利口な女狐

 

利口な女狐

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでセクシーな女性を貼り出したのですか?


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オマエは80歳を過ぎてもセクシーな女性が好きだろう?

デンマンさん! 年のことは言わないでくださいよう! んもおおおおおおおおおおおおおォ~♪~!

そんなにムキになるなよゥ~! ちょっとからかっただけじゃないか!

時間の無駄になるから、本題に入ってください。。。

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んだら次の箇所に出くわしたんだよ!

ヤナーチェク 「シンフォニエッタ」

 


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村上作品の主人公が異界といわれる場所に足を踏み入れるとき、その前触れとして、あるいはその契機になるのが、クラシック音楽であることが少なくない。
つまり、クラシックは異界への窓あるいは鍵として機能しているといってもいいくらいだ。

『1Q84』では、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」がそうだ。

この音楽は、現実と異界、あるいは2人の主人公につなげる「橋」の役割を果たしている。
冒頭、渋滞したタクシーの車中で、この音楽が鳴るとき、それは主人公が異界への扉に触れたことを意味するのだ。

ヤナーチェクはまことに不思議な作曲家だ。
彼のどの作品を聴いても、すぐにはこれはヤナーチェクだとわかるような際立った特徴を持ち、かなり斬新なことをやっていても、容易にそうとわかるようには響かず、ベートーヴェン的な闘争抜きで高揚する音楽を書き、かつスタイリッシュに鳴らせるセンスで、主要登場人物が動物だらけの不思議ちゃんテイストのオペラを書いたりする(彼の「利口な牝狐の物語」は、オペラ芸術において5本の指に入る美しい傑作だ)。

(著者: 鈴木淳史)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


158-159ページ 『村上春樹の100曲』
編者: 栗原裕一郎
2018年6月15日 第1刷発行
発行所: 株式会社 リットーミュージック

つまり、デンマンさんは村上春樹のファンなのですかァ~?

いや。。。 僕は自慢じゃないけれど、村上春樹の小説は一冊も読んだことがない!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは村上春樹のことでは、けっこう記事を書いてるじゃありませんかァ~!

僕は彼の小説は、書評を読むだけで僕の趣味に合わないのが判るので読んでないけれど、彼のエッセーや、他の人が書いた村上春樹に関する本などは、結構読んでいるのだよ! 彼は、けっこう面白い興味深いエッセーを書くのだよ! でも、小説はあらすじを書評で読むだけで読む気が起こらない!

つまり、喰わず嫌いなのですねぇ~。。。 彼の小説を読まないで村上春樹の批判を書いてはダメですよ!

じゃあ、オマエは村上春樹の小説を読んだことがあるのォ~?

ありません!

オマエも、村上春樹の小説を読んだことがないのに、どうしてそのように僕に説教するわけぇ~?

デンマンさんを ちょっとからかっただけですよう! うへへへへへへへ。。。 とにかく、いくらメディアで村上春樹がノーベル賞をもらえるか?もらえないか?と騒がれても、実際、日本人で実用書以外の本を買って読む「純粋な趣味としての読書人口」は、せいぜい500万人から600万人程度だと言われているのですよ。。。

 


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『読書人口について-本を読んでいますか?』

 

2017年の時点で、日本の人口は 126,800,000人ですよ。。。 仮に読書人口が6,000,000人だとしても、小説を読んでいるのは、126人に6人だけですよ! 多く見積もっても 126人に7人だけです!

オマエは、やっぱり早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業しただけのことはあるねぇ~。。。

デンマンさん! この程度の算数は小学生でもできるのですよ!

。。。で、オマエは何が言いたいわけ?

だから、読書が趣味じゃないからって悲観して自殺しなくてもいいのですよ!

あのさァ~、日本で、いくら自殺者が多いと言っても、読書が趣味でないことに劣等感を持ち、それが原因で自殺した人はいないと思うよ!

デンマンさん! “死人に口なし!” と昔の人は言ったものですよ! 中には、先生から本を読んでないことを指摘されて、ショックで自殺した中学生や小学生がいると思います。。。

あのさァ~、今日は自殺についてオマエと話をするために呼び出したのじゃないのだよ。。。

そうでした。。。 何のためにセクシーな女性を貼り出したのですか?

だから、上の本の中に彼の「利口な牝狐の物語」は、オペラ芸術において5本の指に入る美しい傑作だと書いてあるだろう!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんの貼り付けたのは牝狐じゃなくて、牝狐の真似をしているセクシーな女じゃないですかあああああああああああああァ~♪~!

セクシーな女性が出てきたぐらいで、そんなにムキになるなよゥ~! オマエだってぇ~、80歳を過ぎているのに、セクシーな女性が好きだろう!?

年のことは言わないでくださいってばああああああああああああああァ~♪~!

わかったァ。。。、わかったァ~。。。、 大きな声を出して欲しくないのだよ! オマエはセクシーな女性を見ただけで、心にもなくムキになってるけれど、オマエこそ牝狐に拘(こだわ)っているじゃないか!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 オマエハはかつてヤナーチェクと≪利口な女狐の物語≫について次のようなクラシックの記事を書いていたのだよ!

3.9 Leos Janàcek (1854 – 1928)

古畑銀之助が<ある晴れた日に>(No. 41)の誌上に:<スタバート.マーテル>は<悲しみの聖母>と歌謡曲の題みたいに低俗意訳されていますが、ラテン語辞典にある直訳<母は立いたり>とするほうが、ひとを思索に誘う深い意味を表すのではないでしょうか。事は悲しみどころではないのですから。――と書いている。その通りだ、と私も思う。私自身の気持ちとしては、<佇む聖母>ぐらいに翻訳したいところであるが、どちらにしても、言葉は、もっと大事にしたいものである。いや、歯に衣を着せないで言おう。私は、よくあることであるが、<Stabat Mater>を<悲しみの聖母>などとするような日本人のmentalitéを嫌悪する。そして、誰の編纂か私は知らないが、古畑氏の<ラテン語辞典>の訳は、厳密に言えば、直訳ではない。誤訳である(草子地:これは、古畑氏に文句を言っているのではない)。遠慮して言っても、誤訳に近い意訳であろう。直訳は<母は立っている>である。時制が間違っていることは、私の乏しいラテン語の知識でも歴然としている。
こういう例もある。Moravia語の(草子地:以下、c、rとsの文字は正確なMoravia語の文字ではないときがある。許されたい。)<<Liska Bystronozka>>(直訳:早足の女狐)が。A. Bergの<<Wozzeck>>の場合と似た事情から、<<Liska Bystrouska>>(直訳:早耳の女狐)と変り、それをL. Janàcekがオペラとして作曲した際に<<Prihody Lisky Bystrousky>>(直訳:女狐、早耳の冒険)と題したいきさつがあった。それがドイツ語に翻訳されたとき、<<Das schlane Füchslein>>(この誤訳を誤訳のまま直訳すると:ずるい子狐)となり<女>が消えてしまったが、面白いことに、さらに英語に重訳されて<<The Cunning Little Vixen>>と、それは英語の語彙の故であろうが、魔法のように、偶然に<女>が復元されている。くどくなるが、話は、まだ続く。以前に誰かが<<ずるい女狐>と日本にて日本語に翻訳したが、今では普通<<利口な女狐の物語>>と題されている。A. Schoenbergの<<Verklärte Nacht>>が<聖められたる夜>と一度は、ほぼ正しく翻訳されたものの、それが、いつの間にか<浄夜>などと言う訳の解らない言葉にすれかえられてしまったのに似ているのである。こういうことは、意図的であろうとなかろうと、日本人の意識、或いは、意識下に問題がある故ではないか。Moravia語->ドイツ語->英語への言葉の変遷は、間違い、不注意、無神経の故であろうが、日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように挿入されたりして、それを嫌らしいとは、日本にいる日本人は感じないのであろうか。
ことは表題だけではない。武士の情けで名前はここに出さないが、このオペラについて次のような解説があった:森に住む女狐ビストロウシュカは猟番につかまるが逃げだし、恋をし、子供を生み、密猟者の弾丸に当たって死ぬ。しかしその後には母にそっくりな子狐が…自然は永遠だ。――ときたものだ。この作品の場合には、それほど深刻ぶってもしかたがないとはいえ、ことは、そんな綺麗事ではない。この女狐は、言ってみれば、純情な阿婆擦れなのである。自然は永遠だ、などという陳腐な通り一遍のsentimentalismeからは、はみ出でている。
日本の評論家たちからは、何も本質的なことを学んだ覚えがないが、多くの知識はかき集めることができた、と私は思っていた。少なくとも、海外の(草子地:今の私にとっては、海内か?)情報の紹介の労に対しては評価したく思っていたが、昨今では、それも疑わしくなってきた。古畑もまた、日本の評論家は不勉強である、と書いていたが。
要約には注意を要する。私がまだ小学生の頃、国語(草子地、日本語のことか?)の授業で、……以上を通して、作者は、何を言わんとしているか、などという質問を受けたか、読んだかした記憶がある。この種の質(愚)問には、どこかに罠があるのではないか、と幼い心にも訝しく、警戒したものである。こういう、いらぬお節介を<読書指導>などと、教師は言っていたのではなかったか。
作者は、何を言わんとするか、それが一言や二言で言えるのであれば、紙数を費やすことなく、作者は、それを書いていたはずである。それを、誰かが代行して、より簡単に言換え得るなどという、多分に無意識であろうが、無神経で官僚的な傲慢さは作者にたいして失礼、いや、無礼である、ということなどは、子供でさえ感じとれるものである。その自覚のなさは、役人の知的怠慢である。私も可愛げのない子供であったであろうが、質問した人、機関 ― 子供にとっては、学校は、権力で有る ― ほどには文学を含めての芸術作品に対しては小賢しくなかった、ということである。
短ければよい、要約すればよい、ということではなかろう。例えば、一つの和歌を解説しよう、と試みるならば、その文章は、その和歌そのものよりも長くなるであろう。当然であり、かつ、評論は文学よりは、決して、上位にはない、ということである。本来は芸術である文学の、よくて哲学的な言い換えに何かの意味があるのだろうか。その無意味さが、大学の文学部の文学や音楽学部の音楽学を成立、維持させている。それだったら、何故、例えば、哲学をやらないのであろう、と私は訝しく思うのである。哲学は、本来、面白い学問なのに。それにしても、上記の例は、それ以前の話であろう。

蛇足(コーダ):
私の娘たちは、こちらの日本語の学校で、土曜日の午前だけ日本語を勉強しているが、そこで使用されている日本からの<国語>の教科書には、今でも、あの種の質問が書かれている。いや、さらに踏み込んで、……を読んで何を感じたか、などというのもあった。こうなったら、官民挙げての情操管理である。正しい感じ方なるものまでが指導されるのか。<良い子>は、教師の意向を察して、それに迎合する。
私は、無論、カナダの全部のEnglish / Françaisの授業を見聞きしたわけではないが、私の知る限り、何が書かれてあったか、を生徒に聞くに止まるようである。もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。なによりも、健康的である。


55-56ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やラテン語が入り混じっている。。。 普通の日本人にとって、オマエの文章は似非(えせ)外国語のような印象を与えるのだよ!

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

3.9 レオシュ・ヤナーチェク

    (1854 – 1928)


(yanacek2.jpg)

 

古畑銀之助が<ある晴れた日に>(No. 41)の誌上に:

<スタバート.マーテル>は<悲しみの聖母>と

歌謡曲の題みたいに低俗意訳されていますが、

ラテン語辞典にある直訳<母は立いたり>とするほうが、

ひとを思索に誘う深い意味を表すのではないでしょうか。

事は悲しみどころではないのですから。

――と書いている。

その通りだ、と私も思う。私自身の気持ちとしては、<佇む聖母>ぐらいに翻訳したいところであるが、どちらにしても、言葉は、もっと大事にしたいものである。
いや、歯に衣を着せないで言おう。

私は、よくあることであるが、<Stabat Mater>を<悲しみの聖母>などとするような日本人のメンタリティを嫌悪する。

そして、誰の編纂か私は知らないが、古畑氏の<ラテン語辞典>の訳は、厳密に言えば、直訳ではない。
誤訳である(草子地:これは、古畑氏に文句を言っているのではない)。

遠慮して言っても、誤訳に近い意訳であろう。
直訳は<母は立っている>である。
時制が間違っていることは、私の乏しいラテン語の知識でも歴然としている。

こういう例もある。
モラヴィア語の(草子地:以下、c、rとsの文字は正確なモラヴィア語の文字ではないときがある。許されたい。)≪Liska Bystronozka≫(直訳:早足の女狐)が。

アルバン・ベルクの≪ヴォツェック≫の場合と似た事情から、≪Liska Bystrouska≫(直訳:早耳の女狐)と変り、それをヤナーチェクがオペラとして作曲した際に≪Prihody Lisky Bystrousky≫(直訳:女狐、早耳の冒険)と題したいきさつがあった。

 


(yanacek4.jpg)

 

それがドイツ語に翻訳されたとき、≪Das schlane Füchslein≫(この誤訳を誤訳のまま直訳すると:ずるい子狐)となり<女>が消えてしまったが、

面白いことに、さらに英語に重訳されて≪The Cunning Little Vixen≫と、。。。

 


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それは英語の語彙の故であろうが、魔法のように、偶然に<女>が復元されている。

くどくなるが、話は、まだ続く。

以前に誰かが≪ずるい女狐>と日本にて日本語に翻訳したが、今では普通≪利口な女狐の物語≫と題されている。

アルノルト・シェーンベルクの≪Verklärte Nacht≫が<聖められたる夜>と

一度は、ほぼ正しく翻訳されたものの、

それが、いつの間にか<浄夜>などと言う訳の解らない言葉にすれかえられてしまったのに似ているのである。

 


(nacht2.jpg)

 

こういうことは、意図的であろうとなかろうと、日本人の意識、或いは、意識下に問題がある故ではないか。

モラヴィア語->ドイツ語->英語への言葉の変遷は、間違い、不注意、無神経の故であろうが、日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように挿入されたりして、それを嫌らしいとは、日本にいる日本人は感じないのであろうか。

ことは表題だけではない。
武士の情けで名前はここに出さないが、このオペラについて次のような解説があった:

森に住む女狐ビストロウシュカは猟番につかまるが

逃げだし、恋をし、子供を生み、

密猟者の弾丸に当たって死ぬ。

しかしその後には母にそっくりな子狐が…自然は永遠だ。

――ときたものだ。

この作品の場合には、それほど深刻ぶってもしかたがないとはいえ、ことは、そんな綺麗事ではない。
この女狐は、言ってみれば、純情な阿婆擦れなのである。
自然は永遠だ、などという陳腐な通り一遍のセンチメンタリズムからは、はみ出ている。

日本の評論家たちからは、何も本質的なことを学んだ覚えがないが、多くの知識はかき集めることができた、と私は思っていた。
少なくとも、海外の(草子地:今の私にとっては、海内か?)情報の紹介の労に対しては評価したく思っていたが、昨今では、それも疑わしくなってきた。
古畑もまた、日本の評論家は不勉強である、と書いていたが。

要約には注意を要する。
私がまだ小学生の頃、国語(草子地、日本語のことか?)の授業で、「……以上を通して、作者は、何を言わんとしているか?」などという質問を受けたか、読んだかした記憶がある。
この種の質(愚)問には、どこかに罠があるのではないか、と幼い心にも訝しく、警戒したものである。
こういう、いらぬお節介を<読書指導>などと、教師は言っていたのではなかったか。

作者は、何を言わんとするか、それが一言や二言で言えるのであれば、紙数を費やすことなく、作者は、それを書いていたはずである。
それを、誰かが代行して、より簡単に言換え得るなどという、多分に無意識であろうが、無神経で官僚的な傲慢さは作者にたいして失礼、いや、無礼である、ということなどは、子供でさえ感じとれるものである。
その自覚のなさは、役人の知的怠慢である。

私も可愛げのない子供であったであろうが、質問した人、機関 ― 子供にとっては、学校は、権力で有る ― ほどには文学を含めての芸術作品に対しては小賢しくなかった、ということである。
短ければよい、要約すればよい、ということではなかろう。

例えば、一つの和歌を解説しよう、と試みるならば、その文章は、その和歌そのものよりも長くなるであろう。
当然であり、かつ、評論は文学よりは、決して、上位にはない、ということである。

本来は芸術である文学の、よくて哲学的な言い換えに何かの意味があるのだろうか。
その無意味さが、大学の文学部の文学や音楽学部の音楽学を成立、維持させている。

それだったら、何故、例えば、哲学をやらないのであろう、と私は訝しく思うのである。
哲学は、本来、面白い学問なのに。
それにしても、上記の例は、それ以前の話であろう。

 

追記(コーダ):

 

私の娘たちは、こちら(カナダ)の日本語の学校で、土曜日の午前だけ日本語を勉強しているが、そこで使用されている日本からの<国語>の教科書には、今でも、あの種の質問が書かれている。
いや、さらに踏み込んで、「……を読んで何を感じたか?」などというのもあった。

こうなったら、官民挙げての情操管理である。
正しい感じ方なるものまでが指導されるのか。
<良い子>は、教師の意向を察して、それに迎合する。

私は、無論、カナダの全部の英語とフランス語の授業を見聞きしたわけではないが、私の知る限り、何が書かれてあったか、を生徒に聞くに止まるようである。

もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。
なによりも、健康的である。


赤字はデンマンが強調)

55-56ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

つまり、オイラが次のように言ったことがデンマンさんには気に障るのですか?


(uncle006.gif)

 

モラヴィア語->ドイツ語->英語への言葉の変遷は、

間違い、不注意、無神経の故であろうが、

日本語への翻訳では、ずるい、が利口に変ったり、

<物語>などの余計な言葉が、飴をしゃぶらせるように

挿入されたりして、それを嫌らしいとは、

日本にいる日本人は感じないのであろうか。

いや。。。 別に気に障ったり、ムカついたわけじゃないのだけれど、確かに翻訳する時に、間違うことは往々にしてある。。。

。。。でしょう? だから、そういう事がないように気をつけねばならないと言ってるのですよ!

でもなァ~、例えば、ずるい、が利口に変ったりするのは、間違いとは言えないよ。。。

どうしてですか?

翻訳する人の理解が、そこに表れているわけだよ。。。 つまり、翻訳する人がヤナーチェクの上のオペラを見て感じたままを書いたのだよ。。。 それで、ある翻訳者はずるい狐と感じた。 また、他の翻訳者は利口な狐と感じたわけだよ。。。

でも、正解はただ一つだけだと思いますけれど。。。

だから、それが可笑しいのだよ! 人生と同じで、正解なんてないのだよ!

そんなことはないでしょう! 1 + 1 = 2 と決まっているのですよ! 答えは一つです!

そんなことはないよ! 量子の世界では、確率的に 1 + 1 = 3 になることもあれば 1.5 にも 2.5 にもなるときもある。。。

オイラは普通の、常識的な世界のことを言ってるのですよ。。。

でも、オマエも言ってるじゃないか! もちろん、感じたことを話すのは、生徒の自由であり、また、生徒は自主的に、積極的に、きちんと発言している。 なによりも、健康的であると。。。

確かに、そう言いました!

だから、翻訳者も、理解したままに、感じたままに、それぞれずるい狐利口な狐と感じたままに翻訳したのだよ。。。

 


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つまり、デンマンさんもヤナーチェクの≪利口な女狐の物語≫を見て、上の女狐を思い浮かべたのですか?

そうだよ。。。 オマエは、次のような女を思い浮かべたのだろう!

 


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違いますってばああああああああああああああァ~♪~!

別に恥ずかしがらなくてもいいのだよ! 80歳を過ぎてセクシーな女に心を動かされるというのは健康な証拠だよ! 上のような女じゃないとしたら、オマエは、一体どういう女狐を思い浮かべたわけぇ~?

次のような女狐です。。。

 


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オマエ。。。 完璧なロリコンだなァ~。。。!?

うへへへへへへ。。。 いけませんか?


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どのような女狐を思い浮かべましたか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたはヤナーチェクの≪利口な女狐の物語≫のことなど、どうでもいいのですか?

分かりましたわァ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


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『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

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永遠の愛

 

永遠の愛

 


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あなたの夢の中の

 

わたしの決意

 



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あなたがいなければ、

わたしは存在できないの

わたしは、あなたの夢の住人だから

 

あなたの夢

目が醒めていても続いてる

わたしはあなたとキスをして

ほほ笑み合いながら

おたがいを抱きしめあう

とてもやわらかな安心できる場所

 

あなたは夢を見ているから

本当の世界から逃げている

わたしなんて本当は存在しないのに

 

あなたがこの身体を抱く

わたしがあなたの夢でみだれる

快楽の瞬間が生々しく

この身体をはじけさせて、よじれさせる

それすらもあなたの夢の中のセックス

 

わたしね・・・

 

もう夢の中から出て行くことにしたよ

そして本当の世界にいるはずの

わたし自身を探すことにした

 

だから

あなたも目を覚ましてね

わたしはわたしの世界を生きるから

 

by めれんげ

 

2013年07月11日13:47
【カテゴリ: 詩 別れの詩】


『即興の詩』サイト

『あなたの夢の中のわたしの決意』より

 


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デンマンさん。。。、あんさんは どないなわけで永遠の愛を持ち出してきやはったん?


(kato3.gif)

あのなァ~、実は、さいたま市に住んでおる 相沢香織 (あいざわ かおり)さんは かつて上のめれちゃんの詩を読みはって、それ以来 めれちゃんのファンになったのやがなァ~。。。

 


(saitama1.jpg)

 

ホンマかいなァ~?

めれちゃんは わての言う事が信じられへんのかァ~?

信じられへん、と言うと話が先へ進めんよってに、一応信じますがなァ~。。。

さよかァ~。。。 そんなら、ちょっと次のリストを見て欲しいねん。。。

 


(liv90405a.png)


『拡大する』

『永遠の愛と世界』

 

これはライブドアの わての『徒然ブログ』の日本時間で4月4日の午後11時19分から 5日の午前2時8分まで約3時間の「生ログ」やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。 

あらっ。。。 4月5日の午前2時8分にわたしの『即興の詩』ブログから あんさんのブログにやって来て『永遠の愛と世界』を読みはったネット市民がいたのやねぇ~。。。

 


(liv40515e.png)


『拡大する』

『永遠の愛と世界』

 

。。。で、上の記事を読みはったのが相沢香織さんやと あんさんは言わはるのォ~?

そういうこっちゃがなァ~。。。

あんさんは、またIPアドレスを調べて相沢香織さんがアクセスしたことを突き止めはったん?

そういうことやァ~。。。

 


(ip183176b.png)

 

。。。で、赤いアンダーラインが引いてあるリファラをクリックすると、どのページが出てきよるのォ~?

次のページが出てきよる。

 


(mer40512g.png)


『拡大する』

『実際のリファラ・ページ』

 

あらっ。。。 わたしが2014年5月12日に投稿した『きみ追う心』やないのォ~。。。

そういうこっちゃがなァ~。。。 

きみ追う心

 


(renge102.jpg)

 

 

雲流れ

いずこともなく

さまようは

この身はなれて

きみ追う心

 

by めれんげ

 


(renge37.gif)


『即興の詩 きみ追う心』より
(2014年5月12日)

この上の短歌を読んでから、赤枠で囲んである トラックバック1番の『永遠の愛と世界』をクリックしやはって わてのブログへ飛びはってん。。。

。。。で、相沢香織さんは、さいたま市で何してはるのォ~?

あのなァ~、香織さんは埼玉大学の教育学部で先生になるために勉強しておるねん。。。

 


(saitama2.jpg)

 

相沢香織さんは どないなわけで『永遠の愛と世界』を読みはったん?

そやから“永遠の愛”とは どないなものやろか?。。。 香織さんは、ふと そないな疑問に駆られて記事を読んだというわけや。。。

それで、香織さんは、疑問に答えるような文章を見つけやはったん?

もちろんやがなァ~。。。 ちょっと読んでみィ~なァ~。。。


(wigout2.gif)

When two people make love, there are at least four people present—the two who are actually there and the two they are thinking about.

— Sigmund Freud


カップルがベッドで愛し合うとき、

実は4人がかかわっている。

そこに居る二人と、

それぞれが思い浮かべている違う相手。

— ジクムント・フロイト


『日本で最も有名な三角関係』より
(2007年6月25日)

 

めれちゃんが、現実の世界でわてと愛しおうたとしても、フロイトのおっさんが言うように、4人がかかわってるねんでぇ~。。。 めれちゃんの「今一つの世界」で思い描いている相手と。。。 それに、わての「今一つの世界」で思い描いている相手やんかァ~。。。

つまり、どのみち、現実の世界で愛しおうたとしても、結局、オツムの中の“相手”と愛しおうていると、あんさんは言わはるのォ~?

めれちゃんも、過去に愛しおうた男のことを考えてみィ~なァ~。。。 現実の男と、自分がこうやァとオツムの中で思い描いていた男が違いすぎて、結局は破局を迎えたということが何度かあったやろう?

あんさんは、ごっつう冷酷なことを言いますねんなァ~! そう言うあんさんは、どうやのォ~? あんさんかて、現実の小百合さんと、あんさんのオツムの中の小百合さんが違いすぎて破局を迎えることになったのやろう? うふふふふふ。。。

あれっ。。。 めれちゃんもマジで非情な事を言うのやなァ~。。。

やっぱり、あんさんと小百合さんは別れはったん?

あのなァ~。。。 わてと小百合さんは“永遠の愛”でむすばれてるねん。 うしししし。。。

何をぬかしてけつかんねん! んもおォ~。。。! “永遠の愛”ってなモンがあるわけないやろう! アホくさァ~!

あれっ。。。 めれちゃんは、えろう鼻息荒(あろ)う河内弁でまくし立てたなァ~。 

あんさんは相変わらず“永遠の愛”っちゅうような少女コミックの世界でも、誰も信じへんようなことを夢見てはる。 そやから、わたしは言うてますねん。


(rafu011b.jpg)

 

あなたは夢を見ているから

本当の世界から逃げている

わたしなんて本当は存在しないのに

 

あなたがこの身体を抱く

わたしがあなたの夢でみだれる

快楽の瞬間が生々しく

この身体をはじけさせて、よじれさせる

それすらもあなたの夢の中のセックス

 

あなたも目を覚ましてね

あのなァ~、めれちゃん。。。 そないに言うけれど、フロイトのおっさんは、やっぱり次のように言うのやでぇ~。。。


(wigout2.gif)

カップルがベッドで愛し合うとき、

実は4人がかかわっている。

そこに居る二人と、

それぞれが思い浮かべている違う相手。

— ジクムント・フロイト

現実の世界でも、皆、腕の中で抱いている相手を「今一つの世界」にいる相手だとオツムの中で思い描きながら“永遠の愛”で愛しおうてるつもりになっていると、あんさんは言わはるのォ~?

わてじゃのうてぇ、フロイトのおっさんがそう言うてるねん。

アホくさァ~。。。 いつまで、あんさんはフロイトのおっさんの言うことにこだわりはってるん? フロイトのおっさんは20世紀の人やねん。 わたしらは21世紀に生きてるねんでぇ~。。。 あんさん! いい加減にしいやァ~。。。

あのなァ~、めれちゃん!。。。 そこやがなァ~。。。

そこやってぇ~、どこやと、あんさんは言わはるのォ~?

めれちゃんは次のように言うてたやないかいなァ~。。。


(sadgirl32.gif)

こんにちわ。めれんげです。

この極私的詩集って、

2006年に、始めたんですよ。

で、ちょいっと読み返してみて思ったのが、

当初は、わたしの心が荒んでいたのか、

ずいぶん、荒々しい表現が目立ちます・・・

血に餓えているような、

怒りのオーラを身にまとっているような、

今とは、ちょっと感じが違うなあ、

と、われながら思います

これからの投稿は、現在製作した作品と、

ノートに書き溜めた、過去の作品を、

織り交ぜてやっていこうと思います。

 

by めれんげ


『極私的詩集』

『極私的詩集の過去と現在』より

(2013年7月1日)

これがどうやと、あんさんは言わはるのォ~?

かつて、めれちゃんの心が荒んでいたのか。。。? 血に餓えていたのか。。。? 怒りのオーラを身にまとっているような感じで詩を書いていたと、めれちゃんは自分で言うてるやないかいなァ~。。。

それが、どうやと、あんさんは言わはるのォ~?

あのなァ~、現実の世界にこだわると、相手の真実を見誤るねん。 つまり、相手を理解したつもりになってまう。 ところが一人の人間を理解したつもりになっても、なかなか理解できるものやあらへん。

そやから。。。?

そやから、相手の「今一つの世界」を理解するしかあらへん。 それが理解できへんかぎり現実の相手を理解することはできへん。 ちゃうかァ~? それやのに、めれちゃんは次のように言うてるねん。


(rafu002b.jpg)

だから

あなたも目を覚ましてね

わたしはわたしの世界を

生きるから

目を覚ますのはいいけれど、「わたしはわたしの世界を生きるから」あんさんは、あんさんの世界を生きてぇ~、では、別れ別れになってしまうねん。

そやから、どないしろと、あんさんは言わはるのォ~?

そやから、本当に生きるということは相手の「今一つの世界」に入ってゆくことやないかいなァ~。 もし、その相手がめれちゃんにとって大切ならば。。。 そして、相手にもめれちゃんの「今一つの世界」に入ってきてもらうことやんかァ~。。。 フルトヴェングラーのおっさんも次のように言うてたのやでぇ~。。。


(furt02.jpg) 

人は芸術作品に没頭しなくてはならない。

作品には独立した世界がある。

そのプロセスは愛と呼ばれ、評価や比較とは対極の行為です。

愛は比較できないもの独自性のあるものだけを大切にします。

没頭するたびに喚び起こされるこの愛によってこそ作品の全体を把握できるのです。

作品全体は愛以外の何物でもありません。

それぞれの部分は理性によって把握できますが、全体を理解するには愛が不可欠なのです。

—  フルトヴェングラー

(赤字はデンマンが強調)

そやから、あんさんは わたしに どないせぇ~、と言わはるのォ~?

めれちゃんに どないせぇ~、と言う前に わては めれちゃんの芸術作品に没頭しておるねんでぇ~。。。 そやから、こうして めれちゃんの短歌と詩を取り上げておるねん。

ふゥ~♪~ん。。。

めれちゃん。。。 なんやァ~、突き放した言い方やんかァ~。。。

あんさんが そないに言うなら、 他に言うことあらへん。

えろう素直に開き直ったのやなァ~。。。

。。。で、結局 あんさんは何が言いたいねん?

そやから、ニーチェのおっさんが言うたことを わては、ここで今一度 めれちゃんと一緒に味あおうと思うたわけやァ。。。

そのままの相手を愛する

 


(nietzsche9b.jpg)

 

愛するとは、若く美しい者を好んで手に入れたがったり、すぐれた者を何とか自分のものにしようとしたり、自分の影響下に置こうとすることではない。

愛するとはまた、自分と似たような者を探したり、嗅ぎ分けたりすることでもないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。

愛するとは、自分とはまったく正反対に生きている者を、その状態のまま喜ぶことだ。

自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のまま喜ぶことだ。

愛を使って二人のちがいを埋めたり、どちらかを引っ込めさせるのではなく、両者のちがいのままに喜ぶのが愛することなのだ。

 

『漂泊者とその影』 — ニーチェ


151 『超訳 ニーチェの言葉』
訳者: 白取春彦
2010年3月20日 第11刷発行
発行所: 株式会社ディスカバー・トゥエンティワン

あんさんもニーチェのおっさんに私淑してはるのォ~?

いや。。。 わては別にニーチェのおっさんに私淑しているわけやないでぇ~。。。

そんなら どないなわけでニーチェのおっさんの言葉を取り上げはったん?

わての思うていることを 110年前に言うてくれたからやんかァ~。。。


『永遠の愛と世界』より
(2014年5月15日)

つまり、上の文章を読みはって、香織さんは“永遠の愛”を理解したと思いはったん?

いや。。。 別に“永遠の愛”を理解したとまでは思わんけど、フロイトのおっさんが言いはったことも、フルトヴェングラーのおっさんが言うたことも、更にニーチェのおっさんが言いはったことも、ホンマに考えさせられた、と香織さんは言うとったのやァ~。。。

何で、あんさんが そないなことまで 聞いてきたようなことをぬかすのォ~?

香織さんが わてにメールを寄越しはったのやがなァ~。。。

ホンマかいなァ~?

めれちゃんは、わての言うことが信用できへんようやなァ~。。。

当たり前やんかァ~。。。

あのなァ~、本当は めれちゃんにメールを書いて、いろいろと質問しようと思うたのやけど、最近、 全くブログを更新しておらんさかいに、わてにメールを書いたということやがなァ~。。。 それで、もし機会があったら、めれちゃんに ぜひともブログを更新して欲しいと。。。 そう書いて寄越したのやでぇ~。。。

ホンマかいなァ~?

あのなァ~、昔の人は “信じる者は救われる!” と言うたのやでぇ~。。。 そやから、めれちゃんも素直にわての言うことを信じて、ルンルン気分で幸せになったらええやん。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも めれんげさんに『即興の詩』サイトを更新して欲しいでしょう!?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、何か もっとお面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で、あたくしにご命令なさるのでござ~ますかァ?

分かりましたわ。。。

あなたは、結婚にやぶれたかもしれません。

でも、そんなに落ち込むことはないのですわよう。。。

なぜなら、あの有名なアインシュタインは次のように言ったのでござ~ますわァ。

結婚とは、ひとつの偶然から

永続的なものを作りだそうという、

成功するはずのない試みだ。


(einstein2.jpg)

—アルバート・アインシュタイン

分かるでしょう!

結婚は永続しないものでござ~♪~ますわァ。

だから、今晩も、近くの居酒屋によって一人でお酒を飲めば いいのでござ~ますわァ。

 

ええっ。。。? 「そのような、慰めはいいから、気晴らしに、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に、あたくしにご命令なさるのでござ~♪~ますか?

分かりましたわァ。。。 では、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、レンゲさんの親友の めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

メチャ面白い、

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(june06.jpg)

こんにちはジューンです。

バンクーバーでは例年に無い暑さを記録しました。

1960年7月30日に記録した33.3度を破って

今年の7月30日に 33.8度を記録したのです。

でも、日本の暑さと比べれば

たいしたことはありませんよね。

Hottest Day Ever Recorded

in Vancouver

Source: The Canadian Press
Posted: 07/30/09 8:09AM
VANCOUVER, B.C.


(june08c.jpg)

The city of Vancouver has registered its hottest day on record.

Environment Canada says a temperature of 33.8 C was recorded at Vancouver airport on Wednesday, shattering the previous high of 33.3 C that was set in 1960.

“A very strong ridge of high pressure is currently dominating all of B.C.,” said Gary Dickinson, a meteorologist with Environment Canada.

“The ridge of high pressure also brought up from the south very warm air, which was responsible for the record-breaking temperatures.”

ところで、今日は8月7日ですけれど、

最高気温は18度でした。

夏というよりも、もう秋という感じです。

わずか1週間しか経っていないのですが

変われば変わるものです。

あなたの地方では、いかがですか?

まだまだ暑さが続いているのでしょう?


(valent1.gif)

話は変わりますが、

デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』


(wildrose.jpg)

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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クラシックとじょんがら

 

クラシックとじょんがら

 


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デンマンさん。。。、最近 クラシックと民謡にハマッてるのですか?


(kato3.gif)

。。。ん? オマエは僕がクラシックと民謡にハマッていると思うわけぇ~。。。

だってぇ、タイトルに クラシックとじょんがら と書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエこそクラシックと民謡にハマッてるんじゃないのォ~!?

その証拠でもあるのですかァ~?

あるのだよ。。。 オマエは次の記事を書いていたのだよ!

12.1 Zoltán Kodály (1882-1967)

何故、連弾用のピアノ曲を二台のピアノで弾くと、つまらないのだろう。弾いている二人だけではなくて、聴いている人にとっても、その曲が、なにか間が抜けて響くであろう事は容易に想像できることである。ところが、そうした作品をレコードで聴く場合は、やはり二台のピアノを使用しての録音のほうが良いであろう。ことは、少しばかり複雑である。
ところで、これはピアノ曲ではないが、あるレコードを聴きながら、いつか、この音楽は見てみたい、と想ったことがあった。そのレコードは、Zoltán Kodályの<<無伴奏チェロの為のソナタ>>(Op. 8)である。演奏はJ. Starker,録音はPeter Bartók であった。一寸ばかり有名なLP である。
しかし、この驚異的な録音で、この作品を耳にしても、否、むしろ驚異的な録音であるが故に、何故か、何かもどかしいような感じから逃れられない気持であったのである。私自身が弦楽器から離れて二十年以上になるので、中村紘子の言った<エロティクとすら言える楽器に対する感触>に於ける想像力が減退したのか、などとも思ったことがあった。
その後、ついに、例の曲を見ることができた。演奏は、私の尊敬する堤剛、Starkerの愛弟子(と、私は推察する)である。見て分かるところは解ったように感じとった。音楽を見てみたい、と思ったのは、演奏を見てみたい、ということだけではなかったのに気がついたのだ。この作品の調弦は(低弦二本が標準より半音低い)B, Fis, D, Aである。私は、Kodályが、そのように調弦された楽器を使って作曲したのか、そうした楽器の為に作曲したのか、或いは、彼の作曲上のidéeに基づいて作曲し調弦を指定したのか、が更に気になっていたのである。そこまで見ることは、もともと不可能であったものの、とにかく、演奏を観ていて楽しいことは確かであった。
私がそうしたことに興味をもったのは、私がヴィオラをヴァイオリンの移調楽器として扱って(ハ音記号をト音記号と想定して、譜面上の調性を属調にシフトし、三度下を奏く。ヴァイオリンの経験のないヴィオラの先生が、よくそんなことが出来るわねえ、と感心して(あきれかえって)いたが、そんなことは、瞬時に出来るのである。)いたせいもあるが、それに加えて、H.I.F. Biberの<<Die Rosenkranz-Sonaten>>に思いをはせるからでもあった。この曲集は、標準的な二曲を除いて、全て調弦、配弦がそれぞれに異なっている(scordaturaと言う)。それに、楽譜は実音で書かかれていないので、作曲家自身の間違いが散見される、とのことである。そのへんのところを、吉田秀和はKodályの作品について、<作曲としては、むしろshow pieceに属する>(This is my work)、と書いていたのであろうか。いや、そうではないであろう。彼は更に<幅のせまい表現の内容価>などと言う、一寸解らない言葉ではあるが、とにかく作品の価値判断を含むところまで話を進めている。私は、ここまで来ると、拘りを感じざるを得ないのである。私は、とにかくKodályの初期の作品が好きなのであるが、その私の個人的な嗜好を抜きにしても、アタックを含めた楽器の音色の変化は、いわゆる旋律やrythmeと同じレヴェルでの作品構成上のparamètreであることは、現代では、ほぼ常識であり、Bartókについては、不思議なことに、吉田も認めていたところではなかったか。
ことは、夾雑物、或いはそれと視られるものを含む対象を、どのように見るかにあると思う。何らかのコミュニティに(草子地: ここでは、共同体としての民族を含むことは、言うまでもないであろう。)音楽が属している場合には、音楽を含めた文化としてしか音楽は存在しなかった、と私は思う。Kodály自身は、民謡の傷痕は彼の作品には無い、と言っていたが、それは、何も、民謡のideomの使用も無かった、という意味ではあるまい(もし、そうであったとしたら、私はKodályの言うことは何も信用しない)。話はむしろ逆である。夾雑物と視られたものが、実は本体、本質であった、ということすら有り得るのである。西欧の音楽に慣れた耳にはprimitifに聞こえる音の動きから、BartókやKodályの音楽が進展したことは周知であろう。吉田秀和がBartókの<<Mikrokosmos>>が解らないのも無理はない。<幅のせまい…>などという言い方は、生来未だかつて、何ものをも創った事の無い人間の言い草であろう。繰り返すが、ことはもう少し複雑である。
偉い人の悪口を言ってもはじまらない。自分で考える楽しみがまだ残されている。
音楽が解る、ということは、耳が感じたことを意識が確認することだ、と私は考える。話は、音楽を離れてみても、よくわかる。困難を克服しようとしている姿、姿勢を見ることが、何事にもよらずに感動的なのである。いたいけな幼児の弾く小品が、商品化された、蒸留水の様な演奏よりも感動的な瞬間があるのはそのためである。それは、いたいけな子供を商品化するな、ということでもあろう。意識が確認する、というのは、何も演奏上の困難さだけではない。作曲上の困難さも同様なのである。J.S. Bachの<<Die Kunst der Fuge>>は、楽譜を見るだけでも充分に感動的である。眼で見たものを、意識が確認するからである。
そういえば、J.S. Bachの<<無伴奏チェロ組曲>>のどれをレコードで聴いても、特に演奏を見てみたい、とは思ったことがなかった。音楽は自立して整然とした佇まいをしている。むしろ、静けさを感じるほどに。

蛇足(コーダ):
ついでながら、話は逸れるが、J. Brahmsの<<Symphonie in e-moll>>(Op. 98)の冒頭開始、震い付きたくなるような弦の響きが必要なところであるが、そうした演奏に久しく接してないのを、私は残念に思っている。


52-53ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

12.1 コダーイ・ゾルターン

    (1882-1967)


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何故、連弾用のピアノ曲を二台のピアノで弾くと、つまらないのだろう。
弾いている二人だけではなくて、聴いている人にとっても、その曲が、なにか間が抜けて響くであろう事は容易に想像できることである。

ところが、そうした作品をレコードで聴く場合は、やはり二台のピアノを使用しての録音のほうが良いであろう。ことは、少しばかり複雑である。
ところで、これはピアノ曲ではないが、あるレコードを聴きながら、いつか、この音楽は見てみたい、と想ったことがあった。
そのレコードは、コダーイ・ゾルターンの≪無伴奏チェロの為のソナタ≫(作品8)である。

 


(kodaly03.jpg)

 

演奏はヤーノシュ・シュタルケル,録音はピーター・バルトーク であった。
一寸ばかり有名なLP である。

しかし、この驚異的な録音で、この作品を耳にしても、否、むしろ驚異的な録音であるが故に、何故か、何かもどかしいような感じから逃れられない気持であったのである。
私自身が弦楽器から離れて二十年以上になるので、中村紘子の言った<エロティクとすら言える楽器に対する感触>に於ける想像力が減退したのか、などとも思ったことがあった。

その後、ついに、例の曲を見ることができた。
演奏は、私の尊敬する堤剛、ヤーノシュ・シュタルケルの愛弟子(と、私は推察する)である。
見て分かるところは解ったように感じとった。

音楽を見てみたい、と思ったのは、演奏を見てみたい、ということだけではなかったのに気がついたのだ。
この作品の調弦は(低弦二本が標準より半音低い)シ, ファの半音上, レ, ラである。

私は、コダーイ・ゾルターンが、そのように調弦された楽器を使って作曲したのか、そうした楽器の為に作曲したのか、或いは、彼の作曲上のアイデアに基づいて作曲し調弦を指定したのか、が更に気になっていたのである。
そこまで見ることは、もともと不可能であったものの、とにかく、演奏を観ていて楽しいことは確かであった。

私がそうしたことに興味をもったのは、私がヴィオラをヴァイオリンの移調楽器として扱って(ハ音記号をト音記号と想定して、譜面上の調性を属調にシフトし、三度下を奏く。ヴァイオリンの経験のないヴィオラの先生が、「よくそんなことが出来るわねえ」、と感心して(あきれかえって)いたが、そんなことは、瞬時に出来るのである。)いたせいもあるが、それに加えて、ハインリヒ・ビーバーの≪ロザリオのソナタ集≫に思いをはせるからでもあった。

 


(sonaten2.jpg)

 

この曲集は、標準的な二曲を除いて、全て調弦、配弦がそれぞれに異なっている(変則調弦あるいは特殊調弦と言う)。
それに、楽譜は実音で書かかれていないので、作曲家自身の間違いが散見される、とのことである。

そのへんのところを、吉田秀和はコダーイ・ゾルターンの作品について、<作曲としては、むしろショーピースに属する>(「名曲のたのしみ」)、と書いていたのであろうか。
いや、そうではないであろう。
彼は更に<幅のせまい表現の内容価>などと言う、一寸解らない言葉ではあるが、とにかく作品の価値判断を含むところまで話を進めている。

私は、ここまで来ると、拘りを感じざるを得ないのである。
私は、とにかくコダーイ・ゾルターンの初期の作品が好きなのであるが、その私の個人的な嗜好を抜きにしても、アタックを含めた楽器の音色の変化は、いわゆる旋律やリズムと同じレヴェルでの作品構成上のパラメータであることは、現代では、ほぼ常識であり、バルトークについては、不思議なことに、吉田も認めていたところではなかったか。

ことは、夾雑物、或いはそれと視られるものを含む対象を、どのように見るかにあると思う。
何らかのコミュニティに(草子地: ここでは、共同体としての民族を含むことは、言うまでもないであろう。)音楽が属している場合には、音楽を含めた文化としてしか音楽は存在しなかった、と私は思う。

コダーイ・ゾルターン自身は、民謡の傷痕は彼の作品には無い、と言っていたが、それは、何も、民謡のイディオムの使用も無かった、という意味ではあるまい(もし、そうであったとしたら、私はコダーイ・ゾルターンの言うことは何も信用しない)。
話はむしろ逆である。
夾雑物と視られたものが、実は本体、本質であった、ということすら有り得るのである。

西欧の音楽に慣れた耳には素朴で初歩的に聞こえる音の動きから、バルトークやコダーイ・ゾルターンの音楽が進展したことは周知であろう。
吉田秀和がバルトークの≪ミクロコスモス≫が解らないのも無理はない。

 


(bartok01.jpg)

 

<幅のせまい…>などという言い方は、生来未だかつて、何ものをも創った事の無い人間の言い草であろう。
繰り返すが、ことはもう少し複雑である。

偉い人の悪口を言ってもはじまらない。
自分で考える楽しみがまだ残されている。
音楽が解る、ということは、耳が感じたことを意識が確認することだ、と私は考える。

話は、音楽を離れてみても、よくわかる。
困難を克服しようとしている姿、姿勢を見ることが、何事にもよらずに感動的なのである。
いたいけな幼児の弾く小品が、商品化された、蒸留水の様な演奏よりも感動的な瞬間があるのはそのためである。
それは、いたいけな子供を商品化するな、ということでもあろう。

意識が確認する、というのは、何も演奏上の困難さだけではない。
作曲上の困難さも同様なのである。
バッハの≪フーガの技法≫は、楽譜を見るだけでも充分に感動的である。
眼で見たものを、意識が確認するからである。

 


(gould770.jpg)

 

そういえば、バッハの≪無伴奏チェロ組曲≫のどれをレコードで聴いても、特に演奏を見てみたい、とは思ったことがなかった。

音楽は自立して整然とした佇まいをしている。

むしろ、静けさを感じるほどに。

 

 

追記(コーダ):

 

ついでながら、話は逸れるが、ブラームスの≪交響曲第4番ホ短調≫(作品98)の冒頭開始、

 


(brahms98.jpg)

 

震い付きたくなるような弦の響きが必要なところであるが、

そうした演奏に久しく接してないのを、私は残念に思っている。


赤字はデンマンが強調)

52-53ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

つまり、オイラが上の記事の中で民謡を取り上げたので、その記事を引用して クラシックとじょんがら というタイトルをつけたのですか?

いや。。。 そういうわけじゃないのだよ。。。 実は、先日 次の記事を書いてオマエとクラシックと民謡のことで語り合ったのだよ。。。

 


(minyou01.jpg)

『クラシックと民謡』

 

。。。で、上の記事の中でオマエが次のように書いていた。


(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。

オマエが、「私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない」と呆れた事を書いたことから、この点についてやり取りが長くなってしまって、実は、僕が言いたかった事が語りきれなかったのだよ。。。

つまり、今日は、その続きを語り合うということですか?

そういうことなのだよ。。。 オマエが、コダーイ・ゾルターンについて書いた記事の中でも民謡を取り上げていたので、その記事を長々と引用したのだけれど、今日はコダーイ・ゾルターンは、付録のようなもので、僕にとってはどうでもいいのだよ。。。

。。。で、デンマンさんは、何が言いたかったのですか?

まず、次のリストを見て欲しいのだよ。。。

 


(liv90306a2.png)

『拡大する』

『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』

 

これはライブドアの 僕の『徒然ブログ』の日本時間で3月5日の午後6時5分から午前7時51分までの約2時間の「生ログ」なんだよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。 

あれっ。。。 3月5日の午後7時48分に 『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』 を読んだネット市民がいたのですねぇ~。。。 もしかして、上の写真のきれいなお姉さんが読んだのですかァ~?

そうなのだよ。。。 神奈川県川崎市多摩区に住んでいる津島 久留美 (つしま くるみ)さんが読んだのだよ。。。

デンマンさん!。。。 お願いですからオイラに久留美さんを紹介してください。。。 お願いします。。。

あのさァ~、いい年して男性ホルモンを全開して 目をぎらつかせながら ウェブカムに近づいてくるなよ! んもおおおォ~!

また、IPアドレスを調べて 久留美さんが 『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』 を読んだことを突き止めたのですかァ~!?

そうだよ。。。

 


(ip6530b.png)

 

。。。で、久留美さんは川崎市で何をしているのですか?

川崎市高津区にある洗足学園音楽大学で作曲の勉強をしているのだよ。。。

 


(senzoku01.jpg)

 

あれっ。。。 将来は日本を背負って立つような作曲家を目指しているのですか?

そういうことだよ。。。

じゃあ、ぜひともオイラに久留美さんを紹介してください。。。

あのさァ~、オマエには心優しい奥さんがいるのだよ。。。 どうして久留美さんを紹介して欲しいわけぇ~?

ワイフとは日本語が通じなくなってから、もう何年にもなりますから、久留美さんと日本語でクラシックについて話がしたいのです。。。

実は、オマエがそう言うだろうと思ったのだよ。。。

それで、久留美さんが出てくるアクセス解析のリストを持ち出してきたのですか?

オマエは意外にオツムの回転が早いのだねぇ~?

これでも早稲田の理工学部数学科を優秀な成績で卒業しましたから。。。 うへへへへへへへ。。。

あのさァ~、久留美さんを紹介してもらえると思って、ヨダレを垂(た)らしながら シャツの胸元をビチャビチャに濡らしているけれど、みっともないから ハンカチで そのヨダレをふけよう!

。。。で、なぜ久留美さんを取り上げるのですか?

もう一度、オマエが書いたことを読み返してごらんよ!


(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。

つまり、現代の大衆の一人である久留美さんも、オマエは信じてないということだよなァ~。。。?

いいえ。。。 久留美さんならば、オイラは信じることができます。。。 なぜなら、作曲を勉強している人に悪い人も、心の汚染された人もいないからです。。。

でも、オマエは 「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちで。。。 だから、オマエは久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた」 のだろう!?

そうです。。。

だったら、オマエの住んでいる世界と久留美さんの住んでいる世界は別世界だよなァ~?

いいえ。。。 クラシックと民謡に対して造詣の深いオイラと久留美さんは清らかな美しい音楽の世界の住人です! うへへへへへへへへ。。。

そうやって うすら馬鹿笑いを浮かべて 手のひらを返したように噓っぱちを並べている場合じゃないだろう! ちょっと次の記事を読んで欲しい。

“たかが音楽、されど音楽、

 それ以上でも以下でもない。”

。。。だと、僕も思いますね。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

 


(cute0015.gif)

 

ここで、もう一度恵美子さんに登場してもらいますが、
僕は、クラシックが何たるものか?と分からないうちに恵美子さんが演奏した“乙女の祈り”を聴いて感動したんです。
もちろん、可愛いと思っていた恵美子さんが弾いたから、中学生の僕は、なおいっそう感動したのです。

僕がピアノを独習で習い始めたのは、この経験があったからで、それがクラシックであったからではないのです。
いづれにしても、一つの曲がある人物によって演奏された事で僕に感動を引き起こした。
その感動が、僕をピアノに近づけさせた。

恵美子さんに会いたいからピアノを弾き始めたわけじゃない。
なぜなら、恵美子さんに会ったのはあの時が初めで最後。
僕の演奏を聴いてもらった事で僕の“片思い”は完結したのです。
でも、それからも、僕は時々“乙女の祈り”を弾いたものでした。

あの感動を自分のものにしたいから。。。

しかし、今の僕はすっかり忘れていて、この曲を弾く事さえできないんですよね。
あれだけハマッた“乙女の祈り”だったのに。。。

つまり僕にとって。。。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

現在、“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのですよ。懐かしいとは思いますが。。。
しかし、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられます。


『ん? クラシック興味ある?』より

あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、
“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。

なぜなのか?
“昔の民衆の創造性”とは、具体的にどのようなものなのか?

その答えを見出すために、僕は“津軽じょんがら節”の成り立ちを遡(さかのぼ)って行ったのです。

津軽じょんがら節は津軽民謡の代名詞のようなものですが、
元は新潟・十日町市の「新保広大寺」という唄だと言われています。

これは広大寺の和尚・白岩亮端の時代に起きた農地の耕作権をめぐる土地争いが原因で、
広大寺の和尚を追い出すために歌った「悪口唄」でした。

それが越後で大流行し、やがて越後瞽女(ごぜ)のレパートリーとなります。
これが全国に流行するのですが、それが津軽化したものが「じょんがら節」です。

津軽でも民衆の心に長く記憶される事件が起こりました。
慶長2(1597)年、南津軽郡浅瀬石城主・千徳政氏が、大浦為信に滅ぼされたのです。

しかし、政氏の死後も為信は追討をやめず、ついに政氏の墓まで暴こうとします。

 


(joue006.jpg)

 

その戦いで炎上した千徳氏の菩提寺・神宗寺の僧・常椽(じょうえん)は、
それを抗議する意味をこめて本尊を背負って、
上川原に身を投げたと言います。すさまじい話なんですよね。
こうした悲劇を歌った口説節が、じょんがら節であると言います。

つまり、民衆の中から沸き起こった歌なんですよね。
11代にわたって津軽の東の山根に繁栄した千徳家が滅亡。
落城とともに神社・仏閣がすべて焼き払われる。

この時千徳家代々の菩提寺である神宗寺に奉仕していた常椽和尚が、
先祖代々の位牌を背負って逃げた。

ところが、捕らえられそうになったので
白岩の断崖から浅瀬石川(上川原)に身を投じて一生を終えたのです。

年を経た夏に、川原で遊んでいた子供達が常椽和尚の変わり果てた遺体を砂の中にみつけ、
村人が相談して墓をつくり、ねんごろに弔ったと言われています。

その後、その場所を常椽川原(じょうえんがわら)と呼ぶようになったそうです。
それから毎年、お盆には常椽川原に集まり供養をし、
代々の城主をはじめ先祖の霊を慰め、
常椽和尚を偲ぶために即興で歌われたのが「津軽じょんがら節」の始まりだと言われています。

常椽川原もいつしか上川原(じょうがわら)となり、更には「じょんがら」と言われるようになったわけです。

つまり、“民衆の創造性”から生まれた唄というものは、
もともとのクラシックのようにorder-madeではなかったのですよね。

民衆の中から沸き起こった歌。
血と汗と涙。。。
そのような苦労の中で民衆の口により歌い継がれて現在の我々にまで知られるようになった。

現在の僕が、あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、
“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。
それは、やはり、この唄が血と汗と涙の中で民衆によって受け継がれてきたからではないのか?

芸能プロダクションがミーハーの歌手を育てて広めたわけでもない。
そうやって金儲けをするために歌われてきたわけではない。

テレビやラジオで宣伝して広めたわけでもない。
演奏会や、音楽会を開いて広めたわけでもない。
紅白歌合戦があったわけでもない。
レコード会社が儲かるからと言ってレコードに録音したわけでもない。

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。

つまり、太田さんが言うところのこの汚染されきった世界こそ、
すぐ上に書いた芸能プロダクションであり、
テレビやラジオの功利主義であり、
演奏会や音楽会の商業主義であり、
紅白歌合戦と言う馬鹿騒ぎであり、
レコード会社の儲け主義ではないだろうか?

僕が“津軽じょんがら節”を聴いて魂をゆさぶられるのは、
“民衆の創造性”に僕の心の琴線が触れたからだと僕は信じています。

本尊を背負って、上川原に身を投げた常椽(じょうえん)和尚の無念な気持ち。
その和尚に同情を寄せる村人たち。
その中で和尚を悼(いた)み偲ぶ唄が生まれ、その悲劇と共に民衆に歌い継がれてゆく。
僕は、このような悲劇のことは何も知らない。

しかし、その悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。
そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられるとき、僕の魂をゆさぶる。

そういうことだと思うのですが。。。
あなたはどう思いますか?

次のリンクをクリックして、柴田三兄妹の“津軽じょんがら節”を聴いてみてください。


『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』より
(2006年7月9日)

つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんは“津軽じょんがら節”を聴いてその悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。 そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられたとき、デンマンさんの魂がゆさぶられたのですか?

そういうことだよ。。。

要するに、オイラが次のように言ったことに対してデンマンさんは共感したというわけですねぇ~。。。


(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

僕も、そして 津島久留美さんも、“津軽じょんがら節”を聴いて民衆の創造性を信じたのだよ。。。

 


(girl513r.png)

 

じゃあ、オイラもデンマンさんと津島久留美さんのお仲間ですねぇ~! うへへへへへへ。。。

いや。。。 オマエは農民も信用していないだろう!?

いいえ。。。 オイラも“津軽じょんがら節”を聴いて農民の創造性を信用することができました。。。 うしししししし。。。


(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも現代の大衆を信じることができますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、日本での幸せはどうでもいいのですか?

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

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クラシックと民謡

 

クラシックと民謡

 


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デンマンさん。。。、最近 クラシックと民謡 にハマッてるのですか?


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。。。ん? オマエは僕がクラシックと民謡にハマッていると思うわけぇ~。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエこそクラシックと民謡 にハマッてるんじゃないのォ~!?

その証拠でもあるのですかァ~?

あるのだよ。。。 オマエは次の記事を書いていたのだよ!

17.1 Arthur Honegger (1892-1955)

A. Honeggerの<<Movement Symphonique, Pacific 231>>を久しぶりに聴いた。何故か、こういうmachinismeの音楽は、なかなか飽きが来ない。そういえば、L.Russoloも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<Eroica> や <Pastoral>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。C.A. Debussyでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。
そもそも、昔は、<作曲>された音楽はorder-madeであったのだ。それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はprêt à porterとなった。作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。身尺に合ないready-madeのお仕着せに、どのような音楽を聴いてもambivalentな気持ちがするのは、私だけではあるまい。それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側のarrangement、つまりprogrameについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。だから、私は久しく<<Pacific 231>>に対しても反感すらもっていた。
Honegger自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(Je Suis Compositeur)。視覚的印象といえば、C. Monetにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。そうしたlevelで、Honeggerの作品は描写音楽である、とも私は思う。ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。
Honegger自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なrythme運動の表現にあり、形式としてはJ.S. Bachのchoral変奏曲を念頭においた、と語っている。私に言わせれば、彼の言う<抽象的なrythme運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なrythme運動>でもある、と私は考えている。
実を言うと、私は、Honeggerは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。それ故に、Honeggerのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。
ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。これがHoneggerの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。
H. Villa-Lobosにも似た様な作品があるが、そちらのほうはChoral変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。これもまた、程度の問題である。
Honeggerは、<<Movement Symphonique No 3>>は<<Pacific 231>>や<<Rugby>>の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。私が<<Rugby>>でさえ、さほど楽しめないのは、私がrugby(のrule)を知らない故だと思っているのであるが。

蛇足(コーダ):
私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。この世代は<<Movement Symphonique, Pacific 231>>をどのように聴くのであろうか。それは<抽象的なrythme運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。
それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。<rythme運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。
この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。これも、音楽のことだけではないであろう。


73-74ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

17.1 アルテュール・オネゲル

    (1892-1955)


(honeg2.jpg)

 

アルテュール・オネゲルの《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》を久しぶりに聴いた。
何故か、こういうメカニカルな音楽は、なかなか飽きが来ない。

そういえば、ルイージ・ルッソロも、やがて我々にとって、市外電車や内燃機関、自動車や群衆の騒音を理想的に組み合わせる方が、<エロイカ> や <パストラル>を繰り返し聴くより、はるかに大きな楽しみとなろう、と書いていた。
ドビッシーでさえ、飛行機の時代には、それに相応しい音楽が必要だ、と言ったと聞く。

 


(pacific231.jpg)

 

そもそも、昔は、<作曲>された音楽はオーダーメイドであったのだ。
それが不特定多数の市民が対象とされるようになって、音楽はレディーメイドとなった。
作曲と演奏が分離、分業になったのは、この頃ではなかったか。
その方が生産、販売共に効率が良かったのであろう。

現代では、音楽は大量生産され有料、無料で配布されている。
身尺に合ないレディーメイドのお仕着せに、どのような音楽を聴いても相反するような気持ちがするのは、私だけではあるまい。
それはまた、一つ一つの製品に限った話ではない。

私は、演奏会や音楽会を提供する側、製品に付加価値をつけようとする側の編曲、つまりプログラムについても同様に感じる故に、めったに演奏会場に足をはこばないのである。
そうした違和感は、皮肉なことではあるが、自分で選択した音楽を、自分で配列した順序でレコードで聴けば、幾分かは軽減されることに私は気がついた。

それ以上を求めるのならば、自作自演をして、つまり自分で作曲をして自分で演奏して自分で耳を傾けるしか手が無いであろう。
私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。
この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである。
だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても反感すらもっていた。

アルテュール・オネゲル自身はこの作品について、彼はこの曲で内燃機関の騒音を模倣しようとしたのではなく、むしろ視覚的印象や身体的快感を表現した、と語っていた(『わたしは作曲家である』吉田秀和訳 創元社 1953年 → 音楽之友社 1970年)。

視覚的印象といえば、クロード・モネにも、汽車の駅の構内を描いた作品があったっけ。

 


(mone02.jpg)

  サン・ラザール駅

 

そうしたレベルで、アルテュール・オネゲルの作品は描写音楽である、とも私は思う。

ただ、私は、彼に限らずに、こうした発言に出会う度に、直接に模倣、表現しているなどと思っている連中には、そう思わせておけ、とでもいった突き放した態度が何故とれないのか、と訝ってもいるいるのである。
そもそも、外界を完全に模倣、描写しようとして成功した音楽などというものが、未だかつて存在したであろうか。
音楽の具体性がそんな処には無い事は明白ではないのか。

アルテュール・オネゲル自身が別のところで釈明しているのは幸いであった。
彼は、あの曲の真の意図は、抽象的なリズム運動の表現にあり、形式としてはバッハのコラール変奏曲を念頭においた、と語っている。
私に言わせれば、彼の言う<抽象的なリズム運動>こそ音楽に於ける具体性であって、そこには直接的に情緒などが入り込む隙間などはない、ということである。

それにも拘わらずに、この作品を聴いて感銘を受けるのは、それはひとえに、創り手の対象への関心、敢えて言えば、対象への終始一貫した愛情とすらいえる拘りに、聴き手が共感するからである。
その対象とは、機関車からの印象であると同時に<抽象的なリズム運動>でもある、と私は考えている。

実を言うと、私は、アルテュール・オネゲルは、少なくともこの曲の前半では、機関車の騒音をある程度は模倣(しよう)としていると判断している。
それ故に、アルテュール・オネゲルのこの作品は、他人の情緒につきあう必要の少ない音楽であって、それが、今、むしろ、私がなかなかに飽きることがない、とでもいうことではないか。

ただ少し気に障るのは、この曲の後半で出てくる、あの安っぽい陳腐な旋律である。
これがアルテュール・オネゲルの言った<身体的快感を表現>しているのであろうか。

エイトル・ヴィラ=ロボスにも似た様な作品があるが、そちらのほうはコラール変奏曲のような技術的な背景がない事と、やはり安易な旋律が登場するので、二度目に聴いた時には、残念だという気持ちを覚えた。
その音響を好ましく感じた私ではあるが、聴覚に触発された視覚的情緒だけでは音楽は支えられない、とも思う私である。
音楽が、印象を含めての情緒、或いはその表現であるとしたら、それはそれで何ものかの描写であろう。
これもまた、程度の問題である。

アルテュール・オネゲルは、《交響的断章(運動)第3番》は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》や《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》の様には表題をもたないので、それほど受け入れられなかった、というような不満、或いは皮肉を言っていたが、果たしてそれは表題のせいだけであろうか。
私が《交響的断章(運動)第2番 『ラグビー』》でさえ、さほど楽しめないのは、私がラグビー(のルール)を知らない故だと思っているのであるが。

 


(rugby11.jpg)

 

追記(コーダ):

 

私の二人の娘たちは、蒸気機関車の走るのを見た事が無い。
この世代は《交響的断章(運動)第1番 パシフィック231》をどのように聴くのであろうか。
それは<抽象的なリズム運動>だけを聴く不幸であるのか、私には分かり様が無い。

それとも、それを見て経験した私の方が不幸なのであろうか。
<リズム運動>が、どこまで<抽象的>なのか、自分自身の耳で聴いても分かり様が無い。

この様に、一人の人間が、対象が何であれ、それを分かっているかどうかは、自分自身のことであろうとなかろうと不確定なのではないか。
これも、音楽のことだけではないであろう。


赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?


(ireba04.png)

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、

昔の民衆の創造性が信じられる。

 

しかし、私は、私自身を含めて、

現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、

あまり幸福とは言えないという気持ちである。

だから、私は久しく《パシフィック231》に対しても

反感すらもっていた。

ムカついたと言うよりも、オマエは実に愚かな事を書いているなと思って、呆れてしまったのだよ!

デンマンさんがそれほど呆れるような事をオイラは書いてますか?

書いてるよ!

でも、何で、それほど呆れるのですか?

あのさァ~、日本語が解る134ヵ国で有名になっている「現実主義者」と名乗る愚か者のことをオマエも知ってるだろう?

もちろん、知ってますよ。。。 “馬鹿の見本”と言われている男でしょう!?

そうだよ!

 


(tenan02.jpg)

『現実主義者 馬鹿の見本』


(smilerol.gif)

 

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

40過ぎても 結婚できない

オイラのために デンマンさんが

オイラの事で記事をたくさん

書いてくれました。

 

このぶんだと、読者の中から、

オイラにプロポーズしたい女性が

現れると思います。

オイラはウハウハしながら

男性ホルモンを全開しているのです。

きゃははははは。。。

 

こうなったら、もう無条件に

スキップして喜びたいですゥ!


(smilejp.gif)

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

ああァ~、うれしいなあああァ~。。。

 

上のリンクをクリックして記事を読んだら、誰だってこの男は“馬鹿の見本”だと信じることができる。

それは、そうですよ。。。 オイラだってぇ、一度読んだだけで、この男が“馬鹿の見本”だとすぐに理解できました。

だけど、この男は自分では“馬鹿”だと思ってないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ! この男のことをじっくりと観察して研究して記事を書いたブロガーがいたのだよ。。。 ちょっと読んでごらんよ!

「現実主義者」の心理


(fool930.png)

 

過去ログでの私とのやり取りを見れば分かる通り、こいつは深刻なヘイトスピーカーである。

奴は私のブログだけではなく、いろいろなブログに現れては、ヘイトを繰り返している。

奴の発言についてはざっとこんな感じ

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

 

被害者や遺族、被害者寄りの人間どもの方が学校関係者やPTA、学区民や教育委員会から「皇子山学区のゴミクズ」認定されてる

いじめ被害者は加害者よりずっと生きてる価値なしのゴミクズ

被害者がアホで根暗だからいじめられるのは当然、自己責任だろ

遺族は泣き寝入りしてりゃいい

(中略)

この書き込みを見て、気分を害さない遺族などいるというのか?

「自分の境遇もいじめ被害者と一緒だ」と訴えている・・・違う、こいつはそんなんじゃない。
少なくともこいつは自分といじめ被害者を「同等」などと思っていない。

奴は、異常なほど学歴に拘っているが、それは奴の中であるヒエラルキーが確立されているからである。

それがこちら
すごく単純だが、こんな感じ。


(kasuga23.png)

奴は自分自身を「低学歴」の立場に置き、自分自身を「ゴミクズ」だの「ボロ雑巾」だの宣っているが、決して自分の事を底辺だとは思っていない。

というのは、奴は上記のヒエラルキーにちょっとした付け加えをしているのである。

それが、これ


(kasuga24.png)

つまり、「どうせ低学歴は底辺這いつくばるしかねえんだ」と、這い上がろうとする者を見下し、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた。
こんなのはただの開き直りなんだけどね(笑)

そして「高学歴」に縋って、「低学歴」を見下していれば、恰も自分が「高学歴」の仲間入りしている気分になり、優越感に浸れると言うわけである。

まさに「虎の威を借る狐」。

だから、こいつにとって底辺から這い上がって成功を収めるなんて、あってはならない事であり、むろん、彼らを救ってやりたいなどと言う気持ちも毛頭ない。

現に、某ブログの管理人さんに、底辺を見下し、あざ笑うようにけしかけるようなことを言っているところを何度か目撃している。

奴にとって「高学歴」はいい人生で「低学歴」はみじめで「なくてはならない」。

ネトウヨレイシストにとって「日本人」はいい人で「朝鮮人」は卑しい人で「なくてはならない」。

どちらもそれがアイデンティティーであり、ここをケチをつけられると癇癪を起すのだ。
私が奴の事を「ネトウヨとメンタリティーは大して変わらない」と言ってきたのはここである。


『春日のブログ』より
2018-08-14 17:08:15

つまり、“馬鹿の見本”の「現実主義者」は、誰が見ても馬鹿なんだけれど。。。、しかも自分で「生きる価値のないウンコのようなクズの廃人」だと伊藤先生のブログで認めているのだけれど。。。、それでも自分が馬鹿だとは思ってない! なぜなら、上の記事でも書いてあるように、この愚か者は馬鹿にする立場を自分の中で作り上げているのだよ!

なるほどォ~。。。 それで、自分よりも愚かな者を馬鹿にして、自分は、愚かでないと思ってるのですねぇ~。。。

その通りだよ。。。 そもそも、自分が馬鹿だと思っていたら他人のブログにコメントなど書けないものだよ!

。。。で、デンマンさんが オイラが書いた文章を読んで、呆れまくったというのは、どういうことですか?

オマエは早稲田大学の理工学部の数学科を優秀な成績で卒業して、小さなソフトウェア会社の課長にまでなったのに、上役と喧嘩してカナダに移住し、大型計算機のメインテナンスを専門とする熟練技術者として自己満足な生活を送っているのだよなァ~。。。

余計な事は言わなくてもいいですから、ズバリと指摘してください。。。

そうゆうオマエがだよ、「私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない」と書いている!

いけませんか?

あのさァ~、もしそれが真実ならば、つまり、オマエは現代の大衆を信じてないばかりか、自分までも信じてないと言うことじゃないかァ!

そうです。。。 いけませんか?

あのさァ~、ホントにオマエが自分自身を信じてないなら、そもそも、オマエは上の記事を書かなかった。。。と言うより、書けなかったはずだよ!。。。 そうだろう!?

デンマンさんも意外に馬鹿なところがあるのですねぇ~?

自分が信じられないオマエは、馬鹿かもしれないけれど。。。 いや、充分に馬鹿の素質があるけれど、自分を信じている僕がどうして馬鹿なのォ~?

“言葉の綾(あや)”ということをデンマンさんは聞いたことがないのですかァ~? 「微妙な意味あいを表したり、事のついでに付け加えたりする、巧みな言葉の言い回し」ですよ。。。

つまり、オマエは本当は自分以外の一般大衆は信じてないけれど、自分自身は信じている。。。 でも、それを言うと、オマエの記事を読む読者に嫌われるので、それを避けるために、わざと 心にも無い「私自身を含めて」を書き加えた。。。 そういうわけぇ~?

そうです。。。 それが読者受けする「巧みな言葉の言い回し」。。。 要するに“言葉の綾(あや)”ですよ。。。

それってぇ~、馬鹿にする立場を自分の中で作り上げた“馬鹿の見本”と同じ論理だよ。。。 オマエは、“真実を語った者”の代わりに“言葉の綾(あや)”を持ち出してきて、読者受けを狙ったのだよ! そうだろう!?

デンマンさん!。。。 そこまで追求しないでくださいよ!。。。 “武士の情け” という言葉もあるでしょう!

時代錯誤な言葉を持ち出して、話題を逸(そ)らすなァ! んもおおおォ~! しかも、オマエは「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」と書いている!

いけませんか?

つまり、オマエが信じてない現代の大衆も「この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えないという気持ちである」とオマエは信じているのだよなァ~。。。

そうです。。。

でも、僕はバンクーバーで幸せなんだよ! 要するに、オマエが信じてない日本の現代の大衆も、「この汚染されきった日本に住むこと」に幸せを感じているかもしれないのだよ!

その証拠でもあるのですか?

あるのだよ。。。 次の小文を読んでごらんよ!

海外に目を向ける

2015年03月03日(火) 09時16分31秒

テーマ:ブログ

久しぶりに朝から外出したので、朝の寒さを舐めてました。

寒すぎオワタw

スマートフォンからの更新である。

相変わらず大阪はミナミには中国から多くの観光客が賑わっております。


(minami100.jpg)


(tourbus.jpg)

特に週末は日本人おらんがなってぐらい多いです。

彼らのパワーは半端ないっす。

ドンキやダイコクではこれでもか!って引くほど大量買いされてます。

日本製の商品は人気あります。

なかには大量に買って、向こうの富裕層に売る転売をしてる人もいるみたいです。

日本にある商品=品質が良いという認識

日本の誇れるところです。

一方で日本のリソースが海外へ流出していく危惧もあります。

トヨタでは為替の影響を減らす目的でアメリカに工場を作り生産。

某エアコン製造企業も流通コストの削減を目的にブラジルに工場を設立。

いずれも何百億という投資をして工場を作ってでも、海外に拠点を設ける大企業は増えています。

システム開発でも、オフショア開発で盛んに海外に外注を降っています。

スポーツでもサッカーならヨーロッパ、野球ならアメリカのメジャーリーグへ国内の優秀な選手が海外へ流出しています。

イチローやダルビッシュ、本田や長友など日本人が海外で活躍する姿は日本の誇りだという見方もありますが、日本にスター不在という状況にもなります。

今二刀流で話題の大谷選手もいずれメジャーといってますが、日本のプロ野球人気を考えれば、間違いなくマイナスです。

2020年にはオリンピックもあり日本は元気だ!と楽観的に考えているジジイたちもいますが、そんなものは一時的なドーピングでしかないでしょ。

日本はどんどん高齢化が進み、国の借金も絶賛増え続けており、決して安泰とは思えません。

そう考えるとリスクは多いですね。

何か起こってからでは遅いので、リスク対策は常に考えないとあかんな。

とはいってもやっぱ日本はええ国ですよ。

前にも言いましたが、サイコロでいうと6の目。

産まれた瞬間運がいい。

こんな住みやすい国他にあるのか?笑

海外住んだことないんですけど、そう思います。

日本最高。

ありがとうございました。


赤字はデンマンが強調。
写真はデンマンライブラリーより。
YouTubeはデンマンが貼り付けました。)


『日本最高?』より
(2005年3月7日)

こうして日本で暮らす一般大衆の中には日本最高と思って満足している人がいるのだよ! 結構たくさんいると思うよ!

そういう人たちは現実が見えてないのです。。。

あのさァ~、「現実主義者」と自称している あの“馬鹿の見本”も現実を見てないのだよ。。。

だから、言ったでしょう! 日本の大衆は、精神的にも物理的にも汚染されきった日本の現実を見てないのです! それゆえにオイラは、現代の大衆を信じてないのです。。。


(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは現代の大衆を信じていますか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、日本での幸せはどうでもいいのですか?

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

あなたが絶対、

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(30june.jpg)

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『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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オペラ@バンクーバー

 

オペラ@バンクーバー

 


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デンマンさんは、最近、バンクーバーでオペラを観たのですか?


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いや。。。 ブログに記事を投稿するのが忙しくてオペラを観る暇がないのですよ。。。

それなのに、どういうわけでオペラを取り上げたのですか?

小百合さんは覚えていると思うけれど、2月20日の水曜日にチャイナタウンへ行ったのですよ。。。

 


(chinatwn.png)

『拡大する』


(newtown2.jpg)


(newtown3.jpg)

 

覚えてますわァ。。。 また、ぜひ行きたいですゥ。。。

 


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『この店の紹介と評判』

 

お昼を済ませてからチャイナタウンを歩いて 3時のオヤツの時間だったので スプリングロールとシュリンプ・ターンオーバーを注文しただけだったですけれど、久しぶりにジャスミンティーをいただいて、気分爽快になりましたわァ~。。。


(springroll.jpg)


(turnover2.jpg)


(jasmint.jpg)

飲茶(やむちゃ)もやってるようだったけれど、この新城餅家餐室(New Town Bakery & Restaurant)では、あいにくカートで点心(Dim Sum)を運んでくることはないようでした。。。

でも、ケリスデールで本格的な飲茶を楽しんだので、ジャスミンティーをいただいてだけで満足でしたわァ。。。

 


(kerris03b.jpg)

『ケリスデール』

 

。。。で、飲茶とオペラが関係あるのですか?

あのねぇ~、3時のオヤツを済ませてから歩いてバンクーバー市立図書館に戻る途中で、クイーン・エリザベス・シアターに差し掛かると、たくさんの人たちが列を作っていた。

 


(chinatwn.png)

『拡大する』


(qe20.jpg)


(qe25b.jpg)

 

思い出しました。。。 そうでしたわァ。。。 「あれは何ですか?」とデンマンさんに尋ねたのでしたわァ。。。

チャイナタウンの新城餅家餐室(New Town Bakery & Restaurant)で3時のお茶の時間を過ごしたので、僕は中国のオペラの宣伝を見たことを思い出したのです。。。 それで、この中国オペラをやっていると小百合さんに言ったのですよ。。。

 


(shen2019.jpg)

 

実は、あとで調べてみると、これはオペラじゃなくて、神韻芸術団(Shen Yun Performing Arts)というもので、中国の古典舞踊や民族舞踊を披露する舞台芸術団体の公演なのですよ。

北京からやってきた芸術団ですか?

いや。。。 ニューヨークに拠点を置いて活動しているのです。。。 演目は中国の伝統文化、歴史物語を取り上げたものが多く、独自のオーケストラ「神韻交響楽団」を持っているそうです。。。

。。。で、この芸術団の公演を見るために、あれほどの人たちが並んでいたのですか?

ネットでもかなり宣伝していたので、僕はてっきり そうだと思ったのだけれど、実は、そうじゃないのです。。。 チャイナタウンへ行ったので、そのような先入観にとらわれてしまったのですよ。。。 上の写真をよく見ると、公演は3月22日から31日までなのです。。。

じゃあ、あの時の行列は何を観るためだったのですか?

次のオペラです。。。

 


(bohem04.jpg)


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2月14日のバレンタインデーから24日まで公演していたのですよ。。。

 

ラ・ボエーム (La Bohème)


(bohem03.jpg)

 

ジャコモ・プッチーニの作曲した4幕オペラで、最もよく演奏されるイタリアオペラのひとつである。

物語はアンリ・ミュルジェールの小説・戯曲『ボヘミアン生活の情景』(1849年)からとられた。
台本はジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカのコンビによる。

プッチーニ自身の台本に対する注文が多く完成が難航したものの、短編集の集積である原作の雰囲気をよく伝え、オペラ的な見せ場に富む出来映えとなった。
また登場人物、特にヒロインのミミはプッチーニ好みの役柄となった。

あらすじ

場所:パリ

時代: 1830年代

第1幕

パリにある、ボヘミアン仲間が暮らす屋根裏部屋。クリスマス・イヴ。

画家・マルチェッロと詩人・ロドルフォが火の気の無い部屋で仕事をしている。
寒さに耐えかねてロドルフォが売れ残りの原稿を暖炉に入れて燃やす。
「世界の損失だ」などと軽口をたたいていると哲学者コッリーネが帰ってきて、何も金になることがなかったとぼやく。

そこへ音楽家ショナールが食料・薪・煙草などを運ぶ従者たちとともに意気揚々と入ってくる。
ショナールはこれらをどうやって稼いだかを得意げに語るが、誰も耳を貸さず貪るように食料に飛び付く。
しかし、ショナールはワイン以外は取り置いて、「今夜はクリスマス・イヴなのだから、皆でカフェ・モミュスに繰り出そう」と提案し、一同大賛成する。

そこへ家主のブノアが未払い家賃の催促にやってくる。
ボヘミアンたちはブノアにショナールの金を見せて安心させ、ワインをすすめておだてる。
家主が酔った勢いで、妻があるにもかかわらず浮気をしていたことを語ると、一同憤慨したふりをして家主を部屋から追い出してしまう。

彼らは家賃になるはずの金をカフェ・モミュスでの飲食費として分けあう。
皆出かけるが、ロドルフォは書きかけの原稿があるといって一人残って書きつづける。

そこに誰かがドアをノックする。
お針子のミミがカンテラの火を借りに来たのだが、めまいがして床に倒れ込む。
ロドルフォに介抱されて落ち着いたミミは火を借りて礼を言い、立ち去る。

しかし、彼女は鍵を落としたといって戻ってくるが、戸口で風が火を吹き消してしまう。
再度火を付けようと、近寄ったロドルフォの持つ火もまた風で消えてしまう。
しかたなく二人は暗闇で鍵を探す。

ロドルフォが先に見つけるが、彼はそれを隠しミミに近寄る。
そして彼女の手を取り、はっとするミミに自分のことを詩人らしく語って聞かせる(「冷たい手を」)。
続いてミミも自己紹介をする(「私の名はミミ」)。

一向に降りてこないロドルフォを待ちかねた仲間が「まだか」と声をかける。
ロドルフォは「今2人でいる、直ぐに追いつくから席を2人分取っておいてくれ」と言う。
仲間たちは気を利かせて先に行くことにする。

まだ愛を確認したいロドルフォだが、ミミが仲間と一緒に行きたいと言うので後を追ってパリの街に出かけることにする。
ふたりの愛情のこもった二重唱で幕がおりる。

 


(duet01.jpg)


出典: 「ラ・ボエーム (プッチーニ)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

なるほどォ~。。。 ジャコモ・プッチーニの作曲した4幕オペラで、最もよく演奏されるイタリアオペラのひとつであると書いてありますわねぇ~。。。

小百合さんは、このオペラを観たことがあるのですか?

もちろん、ありませんわァ~。。。 うふふふふふふ。。。

笑っている場合じゃないでしょう!?

デンマンさんは観たことがあるのですかァ~?

YouTube のクリップで予告編を観ただけです。。。

じゃあ、大きな顔をして、さも観たような表情を浮かべて 私に恥をかかせるような質問をしないでくださいなァ~。。。 で、どういうわけで、ことさら このオペラを取り上げる気になったのですか?

もう一度次の箇所を読んでみてください。。。

一向に降りてこないデンマンを待ちかねた仲間が「まだか」と声をかける。

 

デンマンは「今2人でいる、直ぐに追いつくから席を2人分取っておいてくれ」と言う。

仲間たちは気を利かせて先に行くことにする。

 

まだ愛を確認したいデンマンが、小百合が仲間と一緒に行きたいと言うので後を追ってバンクーバーのチャイナタウンの街にジャスミンティーを飲みに出かけることにする。

ふたりの愛情のこもった二重唱で幕がおりる。

 


(newtown5.jpg)

つまり、チャイナタウンでデンマンさんと3時のお茶を過ごしたことと 上のオペラが重なっていると言いたいのですか?

そうです。。。 そう思ってはいけませんか?

それは、デンマンさんが勝手に妄想を膨(ふく)らませているだけですわァ~。。。

でも、ちょっとできすぎていると思いませんか?

だから、それがデンマンさんの妄想なのですわァ~。。。

でも。。。、でも。。。、今回の小百合さんのバンクーバー訪問は、僕に一言も告げずに軽井沢から突然にやって来て、僕の度肝を抜いたのですよ。。。 僕は心臓麻痺を起こして死ぬかと思いました。。。

デンマンさんは、何が何でも、劇的なロマンにしてしまうのですわねぇ~。。。

いけませんか?

この記事を読んでいるネット市民の皆様が白けていると思いますわァ~。。。

じゃあ、白けたついでに、ここで愛情のこもった二重唱を歌いましょう!

 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~~

あなたも白けていますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、

元旦にバンクーバーで第99回寒中水泳があったのでござ~ますわよう。

その模様をお見せしますわねぇ~。。。

 


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ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

個人的なお話ではありますけれど、

次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

 

ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?

ご存知でござ~♪~ましょうか?

なぜ。。。?

実は簡単な事なのですわよう。

 


(sayuri80.jpg)

 

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。

 


(suikyu9.jpg)

 

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

 

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

 

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


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カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


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なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


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官能的な音楽

 

官能的な音楽

 


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デンマンさん。。。、最近 官能的な音楽 にハマッてるのですか?


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。。。ん? オマエは僕が官能的な音楽にハマッていると思うわけぇ~。。。

だってぇ、タイトルに、そう書いてあるじゃありませんかァ!

いや。。。 僕がハマッていると言うよりも、オマエが官能的な音楽 に目覚めたのだよ!

まさかァ~。。。

まさかァ~じゃないよ! オマエが次の記事に中で書いているのだよ!

3.1 Claudio Monteverdi (1567 – 1643)

C. Monteverdiの最初のオペラ<<Orfeo>>を聴いた。私は、イタリア語が殆んど解らない。ラテン語よりも苦手であるので、イタリア語のオペラは敬遠、いや、無視し続けてきた。この短い人生に、そう何もかも出来ない、と思ったのである。それに、G. PucciniやG. Verdiなどの所謂イタリア オペラをあまり好かない故でもあった。しかしながら、いくら何でも、Baroque初源の<<Orfeo>>に(草子地:音楽史上初めてのオペラということではないが)知らないふりはできかねた。
筋書きは、要するに、イザナギとイザナミの命の話である。旧約の<Genesis>にあるLotの説話にも似ていなくはない。不思議なのは、洋の東西を問わずに、振返るという行為が最愛の者を失わしめる、という古代人に共通した発想である。時折り、考えてみるが、私にはそれがよく解らない。
とにあれ、この作品の結末は、あっけらかんとして、happy endで終わっている。いい気なものだ、とすら言えよう。しかしながら、音楽は、新鮮で素晴しかった。また、楽しみが一つ増えたことも嬉しいことである。
という訳で、今度は<<L’ incoronazione di Poppea>>のLPを買ってきた。これは、Monteverdiの最後のオペラだそうである。そして、これもまた、形の上ではhappy endではあるが、一寸と待てよ、と言うところである。
先ず、すぐに気がつくことは、<<Orfeo>>に於いては、男は男声で、女は女声で唱われ、<<Poppea>>に較べて健康的とすら言えようが、後者に於いては、Neroneがソプラノ(カステラート?)、Arnalta(乳母)がテノールで唱われている。小姓がソプラノであるのは、近代になっても例があるが、女どうしでいちゃついているような気がしないでもない。要するに、一貫して男女の愛の退廃を表現しているように聴きとれる(草子地:無論、音楽が退廃している訳ではない)。
いや違う。このdramaでの真の悪役はAmoreではなかったか。感覚的に、私のボーイ ソプラノ嫌いが影響しているのかも知れないが、一方、神(々)の人間を支配する、そのしかたに何か納得できない、と感じとることは、Aeschylusの<Aias>などに観られる如く、ヨーロッパ人の潜在的な、ということはキリスト教以前からの伝統なのではないか、と私は思うのである。
Monteverdiがそれに対して意識的であったかどうかは私は知らない。しかしながら、七十五歳にして、これほどまでに官能的な音楽を書いた彼ではあったが、一面では、その彼方には彼の覚めた眼が見え隠れしている、と感じられるのである。
Ottone、NeroneそしてOttavia、主要な登場人物の全部が、他者の死を望んでいた。Drusillaでさえ、思い違いではあるが、他の死を願っていた。これは、よく考え抜かれた筋書きである。最も退廃からは遠く、健康的な彼女の愛も至上ではない、ということであろう。それら全てが<Amore>の故であったのである。唯一人、<愛>に何らの関係もなく描かれているSenecaのみが、自らの死を喜んでいた。
そういえば、L. Tolstoyも彼の小説<復活>のなかで、愛が、愛が、愛が、と繰り返す恋愛至上主義の女学生を喜劇的に描いていたが、当人にとってはとにあれ、恋愛感情などというものは、所詮、発情期の男女の心理現象にすぎない、ということか。
それを連想させる場面が、このオペラのなかにあるのである。<自ずから起きる愛>に対する皮肉な視線は、第一幕第五景のArnaltaとOttaviaや第二幕第五景の小娘と小姓の遣り取りに見て取れる。あたかも、退廃なしの<愛>などは、この世に存在しない、と言わんばかりである。なお、散逸した第二幕第四景には、非常にerotiqueな場面があった、と想像される。
とにあれ、<<L’ incoronazione di Poppea>>の台本は、Giovanni Francesco Busenelloの手になることを記さねば、片手落ちで不公平ということになろう。そして、そのtextを選んだのは、他ならぬClaudio Monteverdiであったのである。
ところで、この二人の視点は、例の小姓に悪しざまに言われているSenecaのそれと、どの程度に重なるのであろうか、と気になるところではないか。

蛇足(コーダ):
H. Purcellの<<The Fairy Queen>>の第三幕では、<<Poppea>>とは逆に、男どうしがいちゃついている。Mopsaをカウンタ テノールが唱っているためである。日本の歌舞伎の女形をTVで大写ししたようで、見る、聴くに耐えない。
ついでに書けば、私自身は、少し慣れれば、アルトの声域まで発声が出来る。しかし、私はカウンタ テノールの声が嫌いなのである。J.S. BachのKirchenkantatenなどでも女性のアルトではなく男性のカウンタ テノールが唱う傾向になってきた。アルトが失業してしまうのではないか、という私の心配は、よけいなお世話か。


30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

3.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)


(monte03.jpg)

 

モンテヴェルディの最初のオペラ《オルフェオ》を聴いた。
私は、イタリア語が殆んど解らない。
ラテン語よりも苦手であるので、イタリア語のオペラは敬遠、いや、無視し続けてきた。

この短い人生に、そう何もかも出来ない、と思ったのである。
それに、ジャコモ・プッチーニ や ジュゼッペ・ヴェルディなどの所謂イタリア オペラをあまり好かない故でもあった。
しかしながら、いくら何でも、バロック初源の《オルフェオ》に(草子地:音楽史上初めてのオペラということではないが)知らないふりはできかねた。

 


(orfeo2.jpg)

 

筋書きは、要するに、イザナギとイザナミの命の話である。
旧約の<創世記>にあるロトの説話にも似ていなくはない。

不思議なのは、洋の東西を問わずに、振返るという行為が最愛の者を失わしめる、という古代人に共通した発想である。
時折り、考えてみるが、私にはそれがよく解らない。

とにあれ、この作品の結末は、あっけらかんとして、ハッピーエンドで終わっている。
いい気なものだ、とすら言えよう。

しかしながら、音楽は、新鮮で素晴しかった。
また、楽しみが一つ増えたことも嬉しいことである。

という訳で、今度は《ポッペーアの戴冠》のLPを買ってきた。
これは、モンテヴェルディの最後のオペラだそうである。
そして、これもまた、形の上ではハッピーエンドではあるが、一寸と待てよ、と言うところである。

 


(poppea2.jpg)

 

先ず、すぐに気がつくことは、《オルフェオ》に於いては、男は男声で、女は女声で唱われ、《ポッペーア》に較べて健康的とすら言えようが、後者に於いては、ネローネがソプラノ(カステラート?)、アルナルタ(乳母)がテノールで唱われている。
小姓がソプラノであるのは、近代になっても例があるが、女どうしでいちゃついているような気がしないでもない。
要するに、一貫して男女の愛の退廃を表現しているように聴きとれる(草子地:無論、音楽が退廃している訳ではない)。

いや違う。
このドラマでの真の悪役はアモーレではなかったか。
感覚的に、私のボーイ ソプラノ嫌いが影響しているのかも知れないが、一方、神(々)の人間を支配する、そのしかたに何か納得できない、と感じとることは、アイスキュロスの<大アイアース(サラミース島の王テラモーンの子で、トロイア戦争にはサラミース人を率いて12隻の船と共に参加した)>などに観られる如く、ヨーロッパ人の潜在的な、ということはキリスト教以前からの伝統なのではないか、と私は思うのである。

モンテヴェルディがそれに対して意識的であったかどうかは私は知らない。
しかしながら、75歳にして、これほどまでに官能的な音楽を書いた彼ではあったが、一面では、その彼方には彼の覚めた眼が見え隠れしている、と感じられるのである。

オットーネ、ネローネそしてオッターヴィア、主要な登場人物の全部が、他者の死を望んでいた。
ドゥルジッラでさえ、思い違いではあるが、他の死を願っていた。
これは、よく考え抜かれた筋書きである。

最も退廃からは遠く、健康的な彼女の愛も至上ではない、ということであろう。
それら全てが<愛>の故であったのである。
唯一人、<愛>に何らの関係もなく描かれているセネカのみが、自らの死を喜んでいた。

そういえば、トルストイも彼の小説<復活>のなかで、愛が、愛が、愛が、と繰り返す恋愛至上主義の女学生を喜劇的に描いていたが、当人にとってはとにあれ、恋愛感情などというものは、所詮、発情期の男女の心理現象にすぎない、ということか。
それを連想させる場面が、このオペラのなかにあるのである。

<自ずから起きる愛>に対する皮肉な視線は、第一幕第五景のアルナルタとオッターヴィアや第二幕第五景の小娘と小姓の遣り取りに見て取れる。
あたかも、退廃なしの<愛>などは、この世に存在しない、と言わんばかりである。
なお、散逸した第二幕第四景には、非常にエロチックな場面があった、と想像される。

とにあれ、《ポッペーアの戴冠》の台本は、ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブゼネッロの手になることを記さねば、片手落ちで不公平ということになろう。
そして、そのテキストを選んだのは、他ならぬモンテヴェルディであったのである。

ところで、この二人の視点は、例の小姓に悪しざまに言われているセネカのそれと、どの程度に重なるのであろうか、と気になるところではないか。

 

追記(コーダ):

 

ヘンリー・パーセルの《妖精の女王》の第三幕では、《ポッペーア》とは逆に、男どうしがいちゃついている。
モプサをカウンタ テノールが唱っているためである。
日本の歌舞伎の女形をテレビで大写ししたようで、見る、聴くに耐えない。

ついでに書けば、私自身は、少し慣れれば、アルトの声域まで発声が出来る。
しかし、私はカウンタ テノールの声が嫌いなのである。

バッハの 教会カンタータなどでも女性のアルトではなく男性のカウンタ テノールが唱う傾向になってきた。
アルトが失業してしまうのではないか、という私の心配は、よけいなお世話か。


赤字はデンマンが強調)

30-31ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?


(ireba04.png)

 

恋愛感情などというものは、

所詮、発情期の男女の

心理現象にすぎない、ということか。

それを連想させる場面が、

このオペラのなかにあるのである。

ムカついたと言うよりも、オマエの恋愛感情がよく表現されていると思ったのだよ。。。

つまり、オイラの恋愛感情というのは発情期の男女の心理現象と変わらないとデンマンさんは信じ込んだのですか?

その通りだよ。。。 オマエが、そう信じているからこそ、上のような事を恥ずかしげもなく書いてしまうのだよ! それにオマエは同じような事を次の文章の中でも書いていた。

恋愛は、年頃の男女が肉体に

触発された心理現象?


(tantra20.jpg)

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。

それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、

音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

(中略)

いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の 
“Bolero” を聞き比べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

(中略)

わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。

大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。

芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


(jsbach02.jpg)


pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月


『老人の性と太田将宏』より
(2016年8月20日)

この上の文章も、デンマンさんがしばしば引用しますよねぇ~。。。!?

オマエは上の文章を引用されるのがいやなのォ~? 嫌なら書かなければいいのだよ! ネットで公開したからには、出所を明示して引用されても文句は言えないのだよ!

でも。。。、でも。。。、デンマンさんは同じ文章を何度も何度も引用するのですよ。。。

だってぇ~、オマエが書いた文章は、それほど僕にとって異常で衝撃的なのだよ!

それほど異常で衝撃的でしょうか?

あのさァ~、オマエも書いているじゃないか! 「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが」

それが、デンマンさんにとって異常で衝撃的なのですか?

だってぇ~、「バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった」のであれば、普通の人は祝福するのだよ。。。 それをオマエは「困っているが」と書いている。。。 どうしてオマエが困らなけらばならないのォ~?

だから、書いたでしょう!? そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。 長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的欲望を感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか?

オマエのように、そう考える方が異常だろう!?

そうでしょうか?

そうなのだよ! オマエは奥さんに対して性的欲望を感じなくなったから、仲が悪くなったと思っているけれど、それはオマエの一方的な独断と偏見なのだよ! 性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦というのはいるのだよ。。。

そうでしょうか?

だってぇ、オマエが困るほど仲のよいバッハ夫婦がその証拠じゃないかァ!

でも。。。、でも。。。、バッハは年取ってからも老妻に対して性的欲望を感じていたかもしれません!

あのさァ~、オマエはこれまでにクラシック音楽を飽きるほど聴いてきた。。。 そうだろう!?

そうです。。。

だったら、もう一度バッハの上の曲をじっくりと聴いてごらんよ!

上の≪G線上のアリア≫ですか?

そうだよ。。。 この曲を聴いてバッハが老妻に対して性的欲望を感じながら作曲した官能的な音楽だと思えるかァ~?

思えません。。。

。。。だろう!? だから、性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい老夫婦というのはいるのだよ。。。

 


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(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたもデンマンさんのお話を聴いて性的欲望を感じなくなっても、バッハのように仲のよい夫婦は居ると納得できましたか?

ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたにとって、夫婦愛などというものはどうでもいいのですわねぇ~。

分かりましたわ。。。

では、話題を変えます。

たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

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デンマンさん。。。、どういうわけでオイラの名前の前に犬死を書き込んだのですか?


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オマエは不満なのォ~。。。

当たり前でしょう! 何も知らないネット市民の皆様はオイラが犬死したと思うではありませんか! どうして、このような嫌がらせをするのですか? これでは、あの悪名高い「現実主義者」と変わらない嫌がらせ行為ではありませんかア!

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 

僕は、オマエに嫌がらせをするために犬死を書き込んだわけではないのだよ!

じゃあ、何のためですか?

あのさァ~、オマエは忘れてしまっているようだけれど、オマエ自身が記事の中で犬死を書いていたのだよ!

マジで。。。?

信じられないのならば、オマエが“間奏曲集”の中で書いた次の記事を読んでごらんよ。。。

1.5 Ludwig van Beethoven (1770 – 1827)

L.v. Beethovenの<<Fidelio>>(Op. 72)は、初演の当時から幾多の論議を呼んできた。それがとりもなおさず、この四つの序曲をもつ彼の唯一のオペラが、他ならぬBeethovenの作品であるが故であることは、とかく忘れられがちであるのではないであろうか。
その議論の一つに、夫婦愛などをテーマとしたオペラが成功するはずがない、というのがあった(草子地:結婚したことのない彼、Beethovenが描く夫婦の理想像?などと半畳を入れるのはやめよう。こんなことは、結婚などをしていないからこそ出来るのであるから)。しかし、たとえ登場人物が夫婦ではなかったとしても、恋人同士であったとしても、話の筋道は大体つくであろうのに、それを、ことさらに、夫婦とした台本を使用したところに、私は、むしろ、Beethovenの破天荒な意思、意欲を感じるのである(草子地:その、彼らしい作品の説得力の力強さだけは、私にとって、私が結婚する前も後も変りがなかった)。
この作品は良い作品ではあるが、それでも、W.A. Mozartのオペラに較べれば、太陽を前にした星である、ということを誰かが言っていた(草子地:巧く表現したものである)。それはそうであろう。舞台は、貴族の館などではなくして、監獄の中での出来事である。何も、Beethovenの作品に、Mozartの音楽を聴こうとすることもなかろう。そんな風な聴き方は、Mozartだって野暮だと言うであろうし。
第三に、これは、この作品に限らないが、Beethovenの声楽の扱い方に対する批判が後をたたないことである。しかし、思い切って乱暴に言ってしまえば、彼は、彼のやり方で人声を扱ったまでで。それはそれで完成されたものではなかったか、と私は思うのである。器楽的で、唱うのに無理がある? 当り前であろう。苦悩を唱うのには苦しい発声も必要である。彼が、譲歩に譲歩を重ねて、何度も書き直したのは、その苦悩を聴いて欲しかったからであろう。繰り返すが、Beethovenは、Beethoven の声楽を書いたのであって、それが器楽的である、ということではあるまい。それを言うのならば、J.S. Bachの声楽曲だって充分に器楽的である。彼も、Mozartも同様な批判を受けたことがあることはあったが、それは途絶えて、Beethovenのそれだけが、今日なお指摘されている。奇妙なことには、誰も、BeethovenのFugeは、あまりにも和声的だ、などとは言わない。Beethovenは、BeethovenのFuge を書いた、ということは受け入れられている。
しかし、このオペラの筋書きには重大な欠陥がある。もし、FlorestanがFernandoの呼ぶように<Mein Freund!>であったのなら、何故、Leonoreは、あれだけの苦労、辛苦、危険を冒す必要があったのか、ということである。そもそも、直接Fernandoを訪れ、事情を説明すれば、それですんだことではなかったか。
それにも拘らず、抑圧からの解放、これは、常に現代的、現在的である。ただ、その解放がDon Fernandoの鶴の一声では成らぬことを知るのには、人類は、未だ、一世紀余りを要した。さもなくば、この作品中にDon Fernandoなどが出て来る幕などは無かったであろう。これを、また、Beethovenのせいにはすまい。そもそも、彼といえども、何らの見通しの無い時代には、強固の意志に貫かれた、信仰にも近いような信念なくしては、理想などはもち得ないではないか。その意味では、共和主義者Beethoven は古典的であった。
現代的であること、現代人であることは、必ずしも幸いなことではない。今、ソヴィエト社会主義連邦共和国や東欧諸国で起きている事態、あれは何であろうか。この様にして、この二十世紀最大の実験は無に帰するのであろうか。それでは、革命に血を流した勇敢なる闘士は浮かばれないであろう。それこそ、Stalinismeによる犬死に、それで終わるのであろうか。
犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあ
ろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。はっきり言おう。遺族団体は、現在、政府に媚びる圧力団体に堕しているではないか。言うべきことが言える間に、言うべきことは、きちんと言う、それしか出来ない私である。また、私は共産主義者でもないが、それを強調するまでもあるまい。
それにしても、私の知る限り、Beethovenの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであった。奇妙な共和主義者ではあった、と思わざるを得ない。しかしながら、彼のmessageは、いまだ有効である。

追記(コーダ):
仮に、USAという国が世界で一番悪い国だったとすると(草子地:仮定文で書かないで理由も言わねば道義に反する。理由が余りに多すぎるので、煩雑になるが故に、仮定文にしたのである。)、アメリカ人というのは、世界で一番悪い連中である、ということになるであろう。何故かと言うと、USAは、一応は<民主主義の国>(草子地:見られる通り、括弧つきである。)である、ということになっているからである。故に、政府は悪いけれど、その国の国民は悪くはないなどと、あたかも独裁者のいる国に対するようには言えないであろうからである。せめて、国民は、政治家を選び、投票する権利はあるけれど、その投票には、何らの道義的な責任もない、と開き直って言うほどには、ずうずうしくはない、と期待したい。その道義的な責任を果たす手段が見つかり難い、ということだけが、私のみる民主主義の欠陥ではあるが、だからと言って、責任も手段も全く無い、とは言えないであろう。さもなくば、民主主義とは、全くの衆愚主義である。問題は、むしろ、その自覚がアメリカ人に無い、ということであろうか。
(1990年12月12日。2006年5月29日改訂。)


13-14ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やラテン語が入り混じっている。。。

デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。

それは、オマエの個人的な見解だと思うのだよ! 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!

134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?

いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。

マジで。。。?

僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。

1.5 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

    (1770 – 1827)


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ベートーヴェンの<<フィデリオ>>(Op. 72)は、初演の当時から幾多の論議を呼んできた。

 


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フィデリオ

 

この作品は、ベートーヴェンの作品群の中でも特に難産に見舞われた作品のひとつであり、成功を収める版が完成するまでに何度も書き直しがなされている。

このオペラはベートーヴェン中期の代表作に挙げられる。
ブイイの原作の英雄主義的な性格や、当時のヨーロッパの知識人層に浸透し始めていた自由主義思想へのベートーヴェン自身の強い共感を背景として、英雄的な中期の作風が存分に反映されている。

ベートーヴェンの声楽曲によくあることだが、このオペラも歌手にとっては必ずしも歌いやすい音楽ではない。
特に、レオノーレとフロレスタンのパートを歌うには高度な技術を要し、そうでなければ要求された緊張感を表現することは到底不可能である。
このため、これらの配役を見事に演じた歌手は賛美の的となる。

囚人達の合唱、政治犯達の自由を謳う合唱、フロレスタンをレオノーレが助けにきた場面、そして救出が成功した場面などは、特筆に価する。
最後は、ソリストや合唱が代わる代わるレオノーレの勝利を讃えて、フィナーレを迎える。

多くの楽曲分野で後世の指標となる業績を残したベートーヴェンとしては完全な成功作とは言えない(ドイツオペラの最初の成果としても「魔笛」や「魔弾の射手」が挙げられることの方が多い)との批判もあるが、いちおう代表作のひとつとして今なお上演回数も多い。

これによって作曲者はモーツァルトとともに、主要音楽分野のほとんどに代表作を残した稀有の存在となった。
ドイツ圏ではバッハ以来、オペラをまったく残していない(または成功作がない)作曲家が多いだけに、貴重な作である。

 

主な登場人物

フロレスタン(囚人) テノール

レオノーレ(フロレスタンの妻) ソプラノ

ロッコ(刑務所員) バス

マルツェリーネ(ロッコの娘) ソプラノ

ヤキーノ(ロッコの補佐官) テノール

ドン・ピツァロ(刑務所長) バリトン

ドン・フェルナンド(大臣) バス


出典: 「フィデリオ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

それがとりもなおさず、この四つの序曲をもつ彼の唯一のオペラが、他ならぬベートーヴェンの作品であるが故であることは、とかく忘れられがちであるのではないであろうか。
その議論の一つに、夫婦愛などをテーマとしたオペラが成功するはずがない、というのがあった。
(草子地:結婚したことのない彼、ベートーヴェンが描く夫婦の理想像?などと半畳を入れるのはやめよう。こんなことは、結婚などをしていないからこそ出来るのであるから)。

しかし、たとえ登場人物が夫婦ではなかったとしても、恋人同士であったとしても、話の筋道は大体つくであろうのに、それを、ことさらに、夫婦とした台本を使用したところに、私は、むしろ、ベートーヴェンの破天荒な意思、意欲を感じるのである。
(草子地:その、彼らしい作品の説得力の力強さだけは、私にとって、私が結婚する前も後も変りがなかった。)

この作品は良い作品ではあるが、それでも、モーツァルトのオペラに較べれば、太陽を前にした星である、ということを誰かが言っていた(草子地:巧く表現したものである)。
それはそうであろう。
舞台は、貴族の館などではなくして、監獄の中での出来事である。

何も、ベートーヴェンの作品に、モーツァルトの音楽を聴こうとすることもなかろう。
そんな風な聴き方は、モーツァルトだって野暮だと言うであろうし。

第三に、これは、この作品に限らないが、ベートーヴェンの声楽の扱い方に対する批判が後をたたないことである。
しかし、思い切って乱暴に言ってしまえば、彼は、彼のやり方で人声を扱ったまでで。
それはそれで完成されたものではなかったか、と私は思うのである。

器楽的で、唱うのに無理がある?
当り前であろう。
苦悩を唱うのには苦しい発声も必要である。

彼が、譲歩に譲歩を重ねて、何度も書き直したのは、その苦悩を聴いて欲しかったからであろう。
繰り返すが、ベートーヴェンは、ベートーヴェンの声楽を書いたのであって、それが器楽的である、ということではあるまい。
それを言うのならば、バッハの声楽曲だって充分に器楽的である。

彼も、モーツァルトも同様な批判を受けたことがあることはあったが、それは途絶えて、ベートーヴェンのそれだけが、今日なお指摘されている。
奇妙なことには、誰も、ベートーヴェンのフーガは、あまりにも和声的だ、などとは言わない。
ベートーヴェンは、ベートーヴェンのフーガ を書いた、ということは受け入れられている。

しかし、このオペラの筋書きには重大な欠陥がある。
もし、フロレスタンがドン・フェルナンドの呼ぶように<私の友よ!>であったのなら、何故、レオノーレは、あれだけの苦労、辛苦、危険を冒す必要があったのか、ということである。
そもそも、直接ドン・フェルナンドを訪れ、事情を説明すれば、それですんだことではなかったか。

それにも拘らず、抑圧からの解放、これは、常に現代的、現在的である。
ただ、その解放がドン・フェルナンドの鶴の一声では成らぬことを知るのには、人類は、未だ、一世紀余りを要した。

さもなくば、この作品中にドン・フェルナンドなどが出て来る幕などは無かったであろう。
これを、また、ベートーヴェンのせいにはすまい。

そもそも、彼といえども、何らの見通しの無い時代には、強固の意志に貫かれた、信仰にも近いような信念なくしては、理想などはもち得ないではないか。
その意味では、共和主義者ベートーヴェン は古典的であった。
現代的であること、現代人であることは、必ずしも幸いなことではない。

今、ソヴィエト社会主義連邦共和国や東欧諸国で起きている事態、あれは何であろうか。
この様にして、この二十世紀最大の実験は無に帰するのであろうか。

それでは、革命に血を流した勇敢なる闘士は浮かばれないであろう。
それこそ、スターリニズムによる犬死に、それで終わるのであろうか。

犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。
遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。

それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。
犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。

はっきり言おう。遺族団体は、現在、政府に媚びる圧力団体に堕しているではないか。
言うべきことが言える間に、言うべきことは、きちんと言う、それしか出来ない私である。
また、私は共産主義者でもないが、それを強調するまでもあるまい。

それにしても、私の知る限り、ベートーヴェンの失恋の相手は、貴族の令嬢ばかりであった。
奇妙な共和主義者ではあった、と思わざるを得ない。
しかしながら、彼のメッセージは、いまだ有効である。

 

追記(コーダ):

 

仮に、アメリカという国が世界で一番悪い国だったとすると(草子地:仮定文で書かないで理由も言わねば道義に反する。
理由が余りに多すぎるので、煩雑になるが故に、仮定文にしたのである。)

アメリカ人というのは、世界で一番悪い連中である、ということになるであろう。
何故かと言うと、アメリカは、一応は<民主主義の国>(草子地:見られる通り、括弧つきである。)である、ということになっているからである。

 


(htrump09.jpg)

 

故に、政府は悪いけれど、その国の国民は悪くはないなどと、あたかも独裁者のいる国に対するようには言えないであろうからである。
せめて、国民は、政治家を選び、投票する権利はあるけれど、その投票には、何らの道義的な責任もない、と開き直って言うほどには、ずうずうしくはない、と期待したい。

その道義的な責任を果たす手段が見つかり難い、ということだけが、私のみる民主主義の欠陥ではあるが、だからと言って、責任も手段も全く無い、とは言えないであろう。
さもなくば、民主主義とは、全くの衆愚主義である。
問題は、むしろ、その自覚がアメリカ人に無い、ということであろうか。

(1990年12月12日。2006年5月29日改訂。)


赤字はデンマンが強調)

13-14ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

つまり、オイラが次のように言ったので、デンマンさんはムカついたのですか?


(dogdie1.jpg)

 

犬死、と言えば、先の太平洋戦争で散った兵士たちの死もまた、全て犬死であった。

遺族は、それぞれに、戦死者に何らかの意味を見い出したいと思い、それもまた当然すぎる心情ではあろうが、私は、敢えて言いたい、それは犬死であったと。

 

それである故にこそ、その無意味な悲惨を繰り返してはならない、と。

犬死という認識ではなかったら、その悲惨さは権力によって薄められるのである。

ムカついたと言うよりも、ご遺族に対してと言うか、戦死した人間に対してオマエが吐いた言葉は“基本的人権”を無視しているように思えたのだよ。。。 だから、敢えてアミサさんの言葉をオマエに浴びせたい。

 


(hot002d.gif)


あなたは「基本的人権」を

理解してないよねぇ~?

『現実主義者のコメント』

 

お言葉ではありますが、オイラは基本的人権に関しては充分すぎるほど理解しているつもりです。。。

オマエが言った言葉は、僕には、あの悪名高い「現実主義者」が次のように言った言葉と同じように響くのだよ!

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

 

イジメ自殺にあった者は

加害者よりも生きる価値がないので、

死ぬのが当然だ!


『現実主義者のコメント』より

(2017年11月27日)

デンマンさんは、この愚かな男に拘(こだわ)り過ぎているのではありませんかア~! オイラはイジメ自殺にあった者は加害者よりも生きる価値がないとは、思ってません!

でも、ご遺族のことを考えてごらんよ! オマエが言った言葉も、「現実主義者」が言った言葉も、ご遺族にとっては死んでも死にきれない、身を切り刻まれるような言葉だと思うよ! 心が痛むのだよ! 例えば、オマエのオヤジが太平洋戦争で戦死したとする。。。 そして、僕が「オマエのオヤジは犬死したのだ!」と言ったら、オマエは僕を呪い殺す気になるだろう!?

確かに、オイラの父親が硫黄島でアメリカ兵に殺され、デンマンさんに「オマエのオヤジは何の役にも立たない野良犬のように犬死したのだ!」と言われたら、デンマンさんのワラ人形を作って、毎晩5寸釘を打ち込んで呪い殺すでしょうねぇ~。。。

 


(5sun.jpg)

 

オイ!。。。 オイ!。。。 そのように血走った目で僕を見つめないでくれるゥ~。。。 僕は、オマエに呪い殺されるような気がしてきたよ。。。 例えばの話として言っただけなんだから、本気になって僕のワラ人形を作って 5寸釘を打ち込むことだけはしないようにしてくれよなァ~。。。

デンマンさんは、何が何でもオイラと あの悪名高い「現実主義者」を“同じ穴の狢(むじな)”だと見なしたいのですかァ~?

だってぇ、そうだろう! オマエはご遺族の気持ちを少しでも考えたことがあるのかァ~?

でも。。、でも。。。、遺族の気持ちよりも、悪意のある権力の方にオイラはムカつくのですよ! だから、次のように言ったのです。

 

それである故にこそ、

その無意味な悲惨を

繰り返してはならない、と。

犬死という認識ではなかったら、

その悲惨さは権力によって

薄められるのである。

確かに、悪意のある権力に視点を向ければ、オマエの言うことも理解できる。。。 でも、やっぱり ご遺族が聞いたらいい気持ちはしないのだよ! つまり、犬死という言葉は、「現実主義者」が使う“クズの廃人”と同じぐらいに嫌悪感を与えるのだよ!

じゃあ、いったい、オイラにどうしろとデンマンさんは言うのですか?

だから、犬死という言葉を使わないことだよ! 例えば、アフガニスタンや、イラクで戦死したアメリカ兵がいるよなァ。。。 その兵士のご遺族に向かって、僕が「あなたの息子の死、あるいは娘の死は犬死でした!」と言ったら、そのご遺族は、オマエのように僕のワラ人形を作って毎晩5寸釘を打ち付けて僕を呪い殺そうとするに違いない!

確かに、そうかもしれません。。。 要するに、どうすればよいとデンマンさんは言いたいのですか?

だから、オマエも次のように書いているじゃないかア!

追記(コーダ):

 

仮に、アメリカという国が世界で一番悪い国だったとすると(草子地:仮定文で書かないで理由も言わねば道義に反する。
理由が余りに多すぎるので、煩雑になるが故に、仮定文にしたのである。)

アメリカ人というのは、世界で一番悪い連中である、ということになるであろう。
何故かと言うと、アメリカは、一応は<民主主義の国>(草子地:見られる通り、括弧つきである。)である、ということになっているからである。

故に、政府は悪いけれど、その国の国民は悪くはないなどと、あたかも独裁者のいる国に対するようには言えないであろうからである。
せめて、国民は、政治家を選び、投票する権利はあるけれど、その投票には、何らの道義的な責任もない、と開き直って言うほどには、ずうずうしくはない、と期待したい。

その道義的な責任を果たす手段が見つかり難い、ということだけが、私のみる民主主義の欠陥ではあるが、だからと言って、責任も手段も全く無い、とは言えないであろう。
さもなくば、民主主義とは、全くの衆愚主義である。
問題は、むしろ、その自覚がアメリカ人に無い、ということであろうか。

アメリカという国が世界で一番悪い国だということに共感したのですか?

はっきり言って、最近のアメリカのやり方には感心しないのだよ。。。 でもなァ~、日本は、そのアメリカのやり方を見習おうとしているのだよ。。。

そうでしょうか?

だから、僕は次の記事を書いたのだよ!

 


(hitrump01.jpg)

『元老のアメリカ』

 

つまり、日本の政治も良くないし、そのために日本での暮らしも良くなっていないと言いたいのですか?

はっきり言うと、そういうことなんだよ。。。 それで、オマエの言葉を借りて次のように言いたいわけだよ!


(antiwar2.jpg)

 

日本政府は悪いけれど、その国の国民は悪くはないなどと、あたかも独裁者のいる国に対するようには言えないであろう。
せめて、日本国民は、政治家を選び、投票する権利はあるけれど、その投票には、何らの道義的な責任もない、と開き直って言うほどには、ずうずうしくはない、と期待したい。

その道義的な責任を果たす手段が見つかり難い、ということだけが、私のみる民主主義の欠陥ではあるが、だからと言って、責任も手段も全く無い、とは言えないであろう。
さもなくば、民主主義とは、全くの衆愚主義である。

 


(judged.png)

 

問題は、むしろ、その自覚が日本人に無い、ということであろうか。

つまり、戦死者を出さないために、絶対に戦争をしてはならない! デンマンさんは、そのように言いたいのですか?

その通りだよ! そうすれば、オマエも「犬死と言えば第3次世界大戦で散った日本兵士たちの死もまた、全て犬死であった」と、言うこともないわけだよ!


(laugh16.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

太田さんをこき下ろしながら、珍しくデンマンさんは太田さんの文章を引用して「悪いアメリカ」ということに共感しているのですわァ。

でも、たいていデンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。

太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、

次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

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あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


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あなたが絶対、

見たいと思っていた

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』

■ 『ちょっと心にぐっと来る動物物語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Godiva Sayuri
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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』


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■ 『クラシックを愛すれど』

■ 『女性を愛せない老人ボケ』

■ 『ボダとキレた老人』

■ 『母という病』

■ 『日本人は嘘つき』

■ 『マジでピッタリ!』

■ 『成りすまし老人』

■ 『バカな大人にならない』

■ 『成りすまし老人の告白』

■ 『だまそうとする老人』

■ 『バカの壁の増設』

■ 『ウソの雪ダルマ』


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■ 『知らずの自分史』

■ 『新渡戸稲造と太田将宏』

■ 『ショーペンハウエルと太田将宏』

■ 『ホーキング博士と太田将宏』

■ 『加藤清正と太田将宏』

■ 『老人の性と太田将宏』

■ 『ノブレス・オブリージュと太田将宏』

■ 『世渡りの道と太田将宏』

■ 『フェアプレーと太田将宏』

■ 『ネット恋愛と太田将宏』

■ 『日本語と太田将宏』

■ 『坊主の袈裟と太田将宏』


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■ 『葛飾北斎と太田将宏』

■ 『女の性的飢餓感』

■ 『敵に塩を送る』

■ 『虚構とウソ』

■ 『手紙と絶交』

■ 『短気は損気』

■ 『不思議な日本語』

■ 『乙女の祈りだわ』

■ 『自作自演じゃないよ』

■ 『マリリンdeアイドル』

■ 『マリリンに誘われて』

■ 『かい人21面相事件』

■ 『悪名と名声』

■ 『嘘を書く日記』

■ 『増長慢』

■ 『自然に耳を傾ける』

■ 『老人極楽クラブ』

■ 『伯母と叔母』

■ 『民主主義とロックンロール』

■ 『後奏曲集@危険』


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■ 『女3人で姦しい』

■ 『クラシック鑑賞 1』

■ 『クラシック鑑賞 2』

■ 『クラシック鑑賞 3』

■ 『クラシック鑑賞 4』

■ 『クラシック鑑賞 5』

■ 『クラシック鑑賞 6』

■ 『クラシック鑑賞 7』

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■ 『クラシック鑑賞 10』

■ 『クラシック鑑賞 11』

■ 『レゲエ@ジャマイカの夜』

■ 『クラシック鑑賞 12』

■ 『クラシック鑑賞 13』

■ 『クラシック鑑賞 14』


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■ 『クラシック鑑賞 15』

■ 『ヒルデガルトとジャンヌ・ダルク』

■ 『クラシック鑑賞 16』

■ 『クラシック@ルブリン』

■ 『田原総一郎と出版業界』

■ 『クラシック鑑賞 17』

■ 『ヒルデガルトと紫式部』

■ 『グールドとバッハ』

■ 『乙女の祈りと子猫のワルツ』

■ 『クラシック鑑賞 18』

■ 『クラシック鑑賞 19』

■ 『信じて跳べ』

■ 『クラシック鑑賞 20』

■ 『クラシック鑑賞 21』

■ 『クラシック鑑賞 22』

■ 『愛と赦し』

■ 『テルミン』

■ 『ヘンデルと自殺』

■ 『バッハとビートルズ』

■ 『人生と偏差値』

■ 『サルトルと現実主義者』

■ 『政治について』

■ 『クラシック馬鹿とエロ松永』

■ 『ティンパニストの本』

■ 『男の美学』

■ 『バッハ・コレギウム・ジャパン』

■ 『中村紘子とワンワン』

■ 『字が汚い!』

■ 『美しき青きドナウ』

■ 『字が汚い人』


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『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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