裸女に魅せられ

 

裸女に魅せられ

 


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デンマンさん。。。 裸女に魅せられて警察のご厄介になったのですかァ~?


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あれっ。。。 ジュンコさんは僕が裸女に猥褻行為をしでかして警察官に現行犯で逮捕されたと思ったのですか?

だってぇ~、タイトルを見ると、そうとしか考えられないではありませんかァ~!

やだなあああァ~。。。 僕は、そのようなハレンチな事は絶対にできませんよう!

ハレンチな事をして現行犯で逮捕される犯罪者は、たいてい そのような言い訳をするのですわ。。。 でも、そういう犯罪者に限って衝動的に裸女に猥褻行為をしでかしてしまうのですわァ~。。。

ジュンコさんは見てきたようなことを言いますねぇ~。。。 僕が逮捕された瞬間を目撃したのですかァ~?

夢で見ましたわァ~。。。 うふふふふふふふ。。。

やだなああああァ~。。。 夢の話をしないでくださいよう! んもおおおおォ~。。。 僕の事を何も知らない人が読めば、僕が裸女に魅せられて警察の厄介になったと素直に信じ込んでしまいますよう!

。。。で、どういうわけで誤解を与えるようなタイトルをつけたのですかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『日本初のヌードショー』(PART 1)

『虹のケーキ』(PART 1)

『虹のケーキ』(PART 2)

『頭のいい馬』

 

これはGOOの僕の「デンマンブログ」のバンクーバー時間で7月29日の午前11時42分現在のリアルタイムのアクセス解析のリストです。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 「ヌードショー」で検索して『日本初のヌードショー』(PART 1)を読んだネット市民が 延べ6名いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

 


(goo71001e.png)


『拡大する』

『日本初のヌードショー』(PART 1)

 

つまり、この記事を読んだ男性は日本で初めて繰り広げられたヌードショーを調べようとしていたわけですねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、アクセス元ページの1番をクリックすると どのような検索結果が出てくるのですか?

次の結果が表示されます。

 


(so90730a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

あらっ。。。 SO-NETの検索エンジンですわねぇ。。。 で、日本で初めてのヌードショーはいつ頃開かれたのですか?

ちょっと次の小文を読んでみて下さい。。。

アメノウズメ


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アメノウズメは、日本神話に登場する神。
「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。

一説に別名「宮比神」(ミヤビノカミ)。
大宮売神(オオミヤノメノカミ)と同一視されることもある

『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。
神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説や、「髻華(ウズ)」を結った女性(巫女の装束)の意とする『稜威道別』(イツノチワキ)説、折口信夫が『若水の話』で出した、「マナを指すヲチの音便で、魂をヲチふらせる意」説などがある。

 

神話での記述

岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。
思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

『古事記』では次のように記述されている。

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」
つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。


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その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アメノウズメはアマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われた。

この時のアメノウズメは『日本書紀』では次のように記述されている。

「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」

つまり、乳房をあらわにし、裳の紐を臍の下まで押したれて、あざわらいながら向かって言ったとある。
その後、名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。

アメノウズメは天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまのおや)、石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人としてニニギに随伴して天降りした。
アメノウズメはサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君の祖神となった。
一説にはサルタヒコの妻となったとされる。

アメノウズメは大小の魚を集めて天孫(ニニギ)に仕えるかどうか尋ねた。
みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀で裂いてしまった。
それでナマコの口は裂けているのである。


出典: 「アメノウズメ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも。。。、でも。。。、これは神話ではありませんかァ~!

でも、これは古代のストリップショーなのですよ。。。 確かに、神話には違いないのだけれど、このような事がなかったと言い切ることはできない!

デンマンさんは、実際に、このような珍事があったと断言するのですか?

あのねぇ~、昔の人は言いました! 火の無い所に煙は立たない!

つまり、古代でも、ストリップショーを楽しんだ男性がたくさんいたのですか?

神話に出てくるぐらいだから、そうとしか考えられないでしょう!

でも、古代人がストリップショーを楽しんだという証拠は無いのでしょう?

もちろん、当時は写真もビデオもありませんでしたからねぇ~。。。 はっきりとした証拠は残ってません。。。

だったら、証拠が残っている歴史上で初めてのヌードショーはいつだったのですか?

ジュンコさんも興味がありますか?

別に、ヌードショーに関心があるわけではないですけれど、その事を知りたいと思う男性はたくさんいると思いますわァ~。。。

だったら、次の小文を読んでください。。。

日本初のヌードショー


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昭和22年になりますと、1月15日に日本初のヌードショーが行われました。 (略)

新宿の今の伊勢丹の前にあった映画館「帝都座」の5階に小さな劇場がありまして、そこでいわゆるストリップがはじまったのです。

そうは言ってもタイトルは「名画アルバム」。

 

“ヴィーナス誕生”と銘打って、カーテンが上がると女の人が額縁を背景に大きな帽子を持って舞台に立ったまま動かないのです。

下半身は帽子で隠されているけれど、たしかにハダカなんです。

まあそれでも男どもは押し寄せまして、固唾(かたず)をのんで舞台の上にはじめての女性のヌードを見たんですね。

 

この時のヌード第一号が甲斐美春(かい みはる)さんという若い女性だそうですが、彼女は間もなく親父さんに怒られてやめてしまい、その後に出てきたのがヒロセ元美さんという非常に有名なストリッパーです。


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彼女は「立っているだけじゃつまらない」と自ら動き出し、見事な裸踊りを披露して場内は大変沸きました。

これを警察が取り締まることもなく、ストリップは一気に盛んになったんですね。

 

ちなみに、この年の夏くらいから、浅草の大都(だいと)劇場やロック座でも華々しいストリップがはじまりまして、昭和23年に長岡から東京に出てきた私もよく通わせていただきました。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


207-208ページ 『昭和史 戦後篇 1945-1989』
著者: 半藤一利
2009年7月27日 第4刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

昭和22年を契機にヌードショー、つまり ストリップが日本全国に広まったらしいですよ。。。

デンマンさんも、ストリップを見に日本全国を駆け回ったのですか?

僕は、まだヨチヨチ歩きだったので、母親の乳房につかまりっきりでしたよ。。。 (モナリザの微笑)

それほど、ストリップがはやったのですか?

あのねぇ~、中学生になってから黒澤監督が作った映画『生きる』を観たのだけれど、市役所の万年課長で退職する主人公を演じる志村喬が、“生きがい”を見出すために参考のためにストリップを見に行くのですよ。。。

 


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上の写真の中央に写っているのが退職してから“生きがい”を探している主人公ですよ。。。

つまり、ストリップに“生きがい”を見いだしたのですか?

やだなあああァ~。。。 いくら何でも“ストリップ”に“生きがい”を見いだして、主人公が 毎晩、毎晩ストリップを見に行ったら、黒澤監督の映画にならないでしょう!

つまり、ヌードショーもストリップも“生きがい”にはならない事を言うために、この記事を書く気になったのですか?

いや。。。 そうではありません! 実は、なぜ、古代の神話にストリップショーを書かなければならなかったのか?

どうしてですか?

なぜならば宇宙のストリップショーがあったのですよ!

何ですか? その宇宙のストリップショーというのは。。。?

“日食”ですよ。。。 

日食がどういうわけで古代のストリップショーと関係があるのですか?

あのねぇ~、天照大神が岩戸の中に隠れてしまったというのは、ちょうど月が太陽を隠してしまったので、夜のように暗くなったということなのですよ。。。 その時、当時の縄文人はビックリしてしまった。。。 それで、この世はもう終わりだという人たちが、酒を飲んで歌えや踊れやの乱痴気騒ぎをしたわけです。。。 中には酒を飲みすぎて酔っ払った女が、裸になって踊りだす。。。

つまり、それが古代のストリップショーとなって神話になったとデンマンさんは言うのですか?

そうですよ。。。 外で、信じられないほど縄文人が騒いでいる。。。 それで、不思議に思って天照大神が岩戸の中から覗き見したところを、力持ちの男が岩戸を開けた。。。 それで天照大神が太陽のように再び現れて地上が明るくなったいうのです。。。 要するに、“日食”をストリップショーとダブらせて神話の中に取り入れたわけですよ。

でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な解釈でしょう?

いや。。。、僕だけが、そう言っているわけじゃないのですよ。。。

他にどなたが、そう言ってるのですか?

あの映画俳優で、監督のメル・ギブソンが、すごい映画を作ったのですよ。。。 その映画の中に“日食”が出てくる。。。

 


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『実際のカタログページ』

 

あらっ。。。 デンマンさんはバンクーバー市立図書館でDVDを借りて上の映画を観たのですか?

そうです。。。 歴史に興味がある人にとっては見逃せない映画ですよ。。。

。。。で、どのような内容なのですか?

日本語版の『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてあります。

アポカリプト


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『アポカリプト』(原題: Apocalypto)は、2006年のアメリカ映画。

監督はメル・ギブソン。

 

概要

スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台に、生贄にされそうになった捕虜の脱走と生き残りを掛けた逃走を描く。全編通じて、マヤ語を使った映画となっている。

宣伝の際には「マヤ文明の衰退を描く作品」として宣伝されていたが、マヤ文明自体の衰退は描かれておらず、作品は終始逃走活劇である。

米国では、激しい暴力シーンが続くことからR指定作品となった。

 

評価

非英語作品、出演俳優は無名揃い、レイティングがR指定、そして公開前に監督のメル・ギブソンの逮捕とユダヤ人蔑視発言などの騒動も起こったが、それにも関わらず全米で、公開初週の週末(2006年12月8日 – 10日)の興行収入は初登場1位を記録した。

前述した監督の不祥事事件がプラスになったのではとも言われている(事件についてはメディアによって連日報道されていた)。

しかし、スタートの週末に稼ぎ出した興行収入(約1500万ドル)は監督の前作『パッション』と比べると、低調である。

実在したマヤ文明との相違を議論される作品である。

第一に、マヤ人に劇中にあるような虐殺行為があったかどうかであるが、マヤ文明はトルテカ文明と交流を深めた結果、末期になり盛んに生け贄を捧げる行為を行っていたとされる。

これは入植者であるスペイン人の記録(マヤ人による書物の大半はスペイン人により焼却された)によるものである為、自らを正当化する詭弁という意見もあるが、それらを差し引いても、当事のヨーロッパは未開地への侵略を容認していたことから、生け贄を捧げていたこと自体は事実であるようだ。

映画評論家の町山智浩は「この作品のストーリー構成や演出は、コーネル・ワイルド監督が66年に発表した映画『裸のジャングル』(原題: The naked prey)の影響が顕著であり、重要なシーンは完全に盗作と言ってよいほど似通っている」と評論している。


出典: 「アポカリプト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、この映画にもストリップが出てくるのですか?

この当時の人たちは、ほぼ裸に近い生活をしているから、特に“ストリップ”が強調されてるわけじゃないけれど、僕が注目したのは“日食”の部分が出てくるのですよ。。。 要するに、科学的なマインド持っていない人々にとっては、“日食”はかなりショッキングな現象ですよ。。。 だから、古代日本の縄文人にとっても、この衝撃的な現象が神話の『天岩戸』伝説を生むことになった。

それで、上の映画では、どのような伝説を生むのですか?

上の話は西暦1511年当時のユカタン半島を舞台にくりひろげられるのです。。。 生贄にされそうになった捕虜が、ちょうど“日食”が出現して、その超自然現象に“神秘性”を感じて、“王”がその捕虜を殺さずに生かすことにするのです。。。 つまり、そのときのエピソードが伝説化され、現代になって映画化されたというわけです。。。

。。。で、ストリップは。。。?

だから、日本の縄文人にとっては“日食”とストリップが結びついたのだけれど、ユカタン半島は熱い国だから、日常の生活の中で“ストリップ”は珍しいことではなかった。。。 それで、伝説は“日食”と“サバイバル”が結びついたわけです。。。

つまり、縄文人は寒い国に住んでいたので、ショッキングな現象が“ストリップ”と結びついたけれど、熱い国では“日食”は“サバイバル”と結びついたということを言うために、わざわざ“日本初のヌードショー”を取り上げたのですかァ~?

そうです。。。 いけませんか?


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、縄文人は寒い国に住んでいたので、ショッキングな日食現象が“ストリップ”と結びついたと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですか?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』


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『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


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『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』


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『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『伊藤若冲 ランブータン』

『知的快楽』


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『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』

『日本初のヌードショー』

『可愛い孫』

『ネットで広まる』

『なぜブログを書くの?』

『アルゼンチンから』

『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』

『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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Jagel - Soft Japanese Bagel
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女帝の平和

 

女帝の平和

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで 女帝の平和 というタイトルにしたのでござ~♪~ますかァ?

実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

天武新政権

 

673年2月27日に即位した天皇は、妻を皇后に立て、太政官のメンバー6人のうち右大臣中臣金を斬首に処したほかすべて辞めさせ、大臣を一人も置かず直接政務をみることにした。

皇族の諸王を要職に据えはしても、彼らに実権を持たせたわけではなく、臣下の合議や同意に基づかずに天皇自らが国家に君臨した。

 

壬申の乱によって「新たに天下を平らげ、初めて即位」した、と告げたことにうかがえるように、天武天皇は天智天皇の後継者というより、新しい王統の創始者として自らを位置づけたのである。

天皇の号もこの時期から明確に使用されるようになった。

 

飛鳥の地から皇后の持統天皇が詠んだ次の歌からは、平和の到来が告げられている。


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春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


129-130ページ 『文学で読む日本の歴史』
著者: 五味文彦
2015年7月30日 第1刷発行
発行所: 株式会社 山川出版社

デンマンさんは、上の著者の解釈にご不満でもあるのでござ~ますかァ~?

確かに、平和の到来が告げられているように読めるのだけれど、実は、持統天皇は天武新政権下の日本の平和を願ったわけじゃなく、自分の心の平和を希(こいねが)っている歌なのですよ。。。

デンマンさんは、どういうわけで そのようなことをおっしゃるのですか?

それは、持統天皇が“讚良皇女”と呼ばれていた頃の事を語らないとよく理解できない。。。

讚良皇女の幼少の頃の事件を

もう一度振り返ると。。。

 

乙巳の変(いっしのへん)から4年後の649年3月、
当時右大臣であった蘇我倉山田石川麻呂が謀反を企てていると、
石川麻呂の弟の日向が中大兄皇子に告げ口したのが事件の始まりとなった。

石川麻呂は当時の孝徳天皇に身の証をして助けを求めたのだけれど、聞き入れてもらえなかった。
中大兄皇子と石川麻呂では政治的に意見が対立していたので中大兄皇子はさっそく兵を石川麻呂の邸宅に向かわせた。

危険を察した石川麻呂は飛鳥の自宅である山田寺にすでに逃げていた。
しかし、その山田寺もやがて包囲され、石川麻呂は観念して妻(讃良皇女にとってはおばあちゃん)とともに自害してしまう。

事件はそれだけではすまなかった。
やがて陰謀が夫の中大兄皇子のしわざと知った遠智娘(おちのいらつめ)は半狂乱の状態になってしまう。

無実の罪を着せられて、夫に父親を殺されたと思い込んでいる遠智娘は、身重な体を抱えながら心が晴れないままに日を送った。
“父親殺害者”の子を宿していたのだった。

その年の暮れに建皇子を生み、“この子を頼むわね”と満4才の讚良皇女に言い残して20代半ばの短い人生に終わりを告げて遠智娘は命を絶ってしまったのだった。
後に、中大兄皇子は義理の父である石川麻呂の忠誠の心を知り、死に追いやった事を後悔したという。

ところで、当時の結婚は“妻問い婚”が普通でした。
男性が女性宅を訪れ一夜の契りを結べばそれが結婚となり夫婦になるわけです。

男はその家にとどまることなく自由に女の家を出て自分の家に帰り、
女は男のまたの訪問を待ちます。

子供が生まれればその子は妻の家で養育し、父が子供に会うのは女性宅を訪れる時だけです。
その子供の養育費はすべて女性任せで、子供は女性の実家で養育される事になります。
当然の事ですが、子供はたまに会う父よりも、母方の祖父母への愛着が深くなります。

したがって、優しいおじいさんとおばあさんが一緒に亡くなり、そのあとを追うようにお母さんが亡くなってしまった。
満4才の童女は、当時そのことは知らなくとも、やがて自分の父親が祖父母と母の三人を“殺した”と知ることになります。

可愛がってくれていた3人が死んでしまった。しかも、父親の陰謀がその背景にあった。
その衝撃はトラウマになって、その後の讚良皇女の人格形成に大きな影響を与えた事は想像に難(かた)くありません。

しかも、この生まれてきた建皇子は唖者でした。つまり、生まれつき言葉が話せなかった。
体も不自由だったらしい。
母親が受けた精神的なショックで胎児にも悪い影響が出た事も充分に考えられますよね。

建皇子は、生まれながらの犠牲者でした。
おじいさんとおばあさんと母親の死。そして、弟をそんな悲劇に巻き込んだのは、ほかの誰でもない、父の中大兄皇子であると讚良皇女は知ることになります。

斉明天皇も、この不幸せな孫をずいぶんと可愛がったようです。
でも、建皇子は658年5月に亡くなっています。8年の短い命でした。

つまり、讃良皇女は、幼少の頃、次々と身近の人の悲劇にあったのです。
政略結婚で、姉大田皇女と共に大海人皇子に嫁いだ後、大田皇女も幼い子どもたちを残して亡くなっています。

大海人皇子にはたくさんの妻があり、大田皇女亡き後、身分は一番高くなったものの大海人皇子の心は
万葉集の歌を読んでも分かるように、
讃良皇女にあるのではなく、額田女王に向けられていたようですよね。

このことについては次の記事に書きました。

 


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『日本で最も有名な三角関係』

 

つまり、讃良皇女は幼い頃から愛してくれる人、愛している人を奪われ続けてきたんですよね。
ある意味で“家庭崩壊”の中で生きてこなければならなかった。
そこに僕は境界性人格障害の病根を見るのですよ。

“愛”を奪われる人生だった。
幼い頃は、父親の中大兄皇子の陰謀が基でが近親者が亡くなって行く。
その父親の政略で大海人皇子に嫁がされてからも、皇子の愛は讃良皇女には注がれない。

そんな中で讃良皇女の心の支えは子の草壁皇子だけだった。
この我が子の将来を脅かす存在になったのが姉から預かった子、大津皇子だった。

大津皇子は実力も人気もあり、草壁皇子の皇太子としての地位を脅かす最大の存在になっていた。

天武天皇亡き後、皇后として最初に行なったことが大津皇子を謀反の疑いで逮捕、刑死させることだった。

しかしその後、皮肉にも、あれ程皇位につかせたかった我が子の草壁皇子が病気で亡くなり、
讃良皇女が持統天皇として即位することになります。
高市皇子を補佐役にし、藤原京への遷都を進める。

持統天皇は在位中頻繁に吉野に行幸しました。
それは天武天皇とともに過ごした数少ない愛の日々を
思い出すためだったのでしょうか?

草壁皇子亡き後、期待をかけたのが草壁皇子の忘れ形見、軽(珂瑠)皇子でした。
そして、この孫を天皇につけたのです。文武天皇です。
持統はその名の通り、皇統にこだわった人だったのです。

聡明で非情である持統天皇が

なぜ怨霊を恐れるのか?

ここで持統天皇が詠んだ和歌をもう一度読んでみて欲しい。


(kaguyama2.jpg)

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

この有名な持統天皇の歌は、ただ単に四季の移り変わりに感興を催(もよお)して詠んだのではなのです。

では、持統天皇は何を感じて お詠みになったのでござ~ますか?

これまでの持統天皇の波乱に満ちた人生を振り返って詠んだのです。。。 愛する人を奪われ続けてきたこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えるとき、僕は次のようにしか解釈できないのですよ。。。

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。


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大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって

私を憎んでいるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのですよ。。。


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この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があります。 この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。。。 現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ている。

ホントでございますかァ~?

僕は次のように考えているのです。

つまり、持統天皇は結果として自分と血のつながりがある甥の大津皇子と腹違いの妹を死に追いやったわけです。
この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。

“怨霊の崇り”ということが現在でいえば“テポドンで攻撃を受ける”程度に怖いこととして考えられていた。

持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだ。
それが僕の解釈ですよ。うへへへへ。。。。
僕の知る限り、このような解釈をする人をこれまでに見た事がありません。

では、なぜ持統天皇はここまでする必要があったのか?
そしてなぜ、彼女は怨霊をそれほどまでに恐れねばならないのか?

天武天皇が亡くなれば皇太子が皇位を継承するのが順序であり、
皇后の実子である草壁皇太子が即位する事は約束されていた事です。

この時点で、大津皇子は皇位継承権第2位でした。
それにもかかわらず、皇后はこの甥である大津皇子を排除しようとした。

なぜか?

草壁皇子は病弱だったのです。
大津皇子と比べると歌においても人望においてもすべての面で劣っていたようです。
それが証拠に草壁皇子のことはたった1行『日本書紀』に記載があるのみです。

それに比べ、大津皇子については『万葉集』にも『懐風藻』にも記載があります。
それも、大津皇子の才能をほめたたえ、その人柄を偲んでいるような書き方になっています。
詳しくは次の記事を読んでください。

 


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『性と愛の影に隠れて–万葉集の中の政治批判』

 

つまり、当時の誰が見ても大津皇子の方が天皇にふさわしいと見ていた事が実に良く表れているのです。
草壁皇子が即位すれば皇太子として草壁皇子の異母弟である大津皇子を立てなければなりません。
なぜなら、草壁皇子の長男の軽皇子(かるのみこ)は当時4歳で皇太子にするにはふさわしくない。

ところが、病弱な草壁には、いつ不測の事が起こるかも知れず、その時には大津皇子が皇位につくことになってしまう。
そうなると、皇統が大津皇子に移ってしまう。

つまり、讃良皇女の血を受け継いだ後継者が、そこで絶えてしまう。
独占欲の強い讃良皇女には、このことは絶対に容認できない事です。

この事は持統天皇として即位してから、自分の血に固執したこの女性の性(さが)と業(ごう)を考えれば、容易に察しがつきます。
上の系図を見れば、そのことが良く分かります。
この独占欲と権勢欲は讃良皇女の生い立ちを考えない限り理解できません。

しかも、この女性はその先例を父親の天智天皇と自分の夫である天武天皇との間に見ているのです。
つまり、この場合なら、草壁皇子が天智天皇にあたり、大津皇子が天武天皇にあたります。
天智天皇の皇太子になったのが大海人皇子(後の天武天皇)だったのです。

このような状況を許せば、大海人皇子が天智天皇を暗殺して、その子の大友皇子を亡き者にしたように
大津皇子が草壁皇子を暗殺して皇位につくかもしれない。

その“禍の芽”を摘み、取り除くために大津皇子を亡き者にしなければならなかったのです。

 

なぜ大津皇子の怨霊を恐れたのか?


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現身(うつそみ)の 

人なる吾(われ)や 

明日よりは 

二上山を 

弟背(いろせ)とわが見む 

(巻2-165)

この世に生き残った私は、

明日からは、

弟が葬られている

二上山を弟と思い見て、

慕い偲ぶことにしよう。

上の歌は大津皇子の死体を飛鳥の墓から掘り出して、
葛城(かつらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移して葬った時に、
大津皇子の実の姉である大伯皇女(おおくのひめみこ)が痛ましい思いに駆られて詠んだ歌です。

死体を掘り起こして他の場所に埋めなおす。
なぜそのような酷(むご)いことをしなければならないのか?
大伯皇女も、そう思って心が痛んだことでしょう。

つまり、大津皇子を偲んで大伯皇女が詠んだ歌を大伴家持が万葉集に取り上げた本音には、
この事実を後世に伝え“謀反”が持統天皇の“でっち上げ”であった事を暗に伝えるためだった。
僕はそう信じることができます。

大伯皇女は、大津皇子が自害した15年後、
大宝元年(701年)に独身のまま41歳で亡くなっています。

彼女は天武2年(673年)に父・天武天皇の指図に従って
伊勢神宮に奉仕する最初の斎王(いつきのみこ)となり、
伊勢の斎宮(いつきのみや)に移ってお勤めをするようになったのです。

しかし、大津皇子が自害した1ヶ月余りの後に、
弟の罪により斎王の任を解かれて飛鳥に戻ったのです。

平安時代の長和4年(1015年)に書かれた『薬師寺縁起』には次のように書かれています。

大津皇子の霊が龍となって崇りを起こしたため、

大津皇子の師であった僧の義淵(ぎえん)が

皇子の霊を祈祷によって鎮めた。

つまり、大津皇子は無実の罪を着せられて自害させられたのですね。
その罪を着せたのは誰あろう持統天皇なのです。
そして、大津皇子の死体を二上山に移して、
皇子の霊を飛鳥から15キロ離れた山の中に閉じ込めたのも持統天皇のしたことです。

持統天皇の心にも“後ろめたさ”があったのでしょうね。
だからこそ大津皇子の霊に恐れを感じた。

しかも、“大津皇子の霊が龍となって崇りを起こし”ていると言うもっぱらのうわさが流れている。
持統天皇が大津皇子の死体を掘り起こし
二上山にその怨霊と共に閉じ込める気持ちが分かるような気がします。

怨霊信仰


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非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。

原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。

『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。

しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。

その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」


SOURCE: 国史大辞典

持統天皇は怨霊信仰に基づいて大津皇子の霊を祈祷によって鎮めて、
後でまた崇りをしないようにと二上山に皇子の霊を閉じ込めたわけです。

つまり、これは持統天皇が無実の罪を着せて大津皇子を殺したことの何よりの証拠なんですよね。

大伴家持は大伯皇女を万葉集に取り上げることによって、
この事実を我々に伝えようとしたわけです。

僕はそう信じているんですよ。

では、ここで 司馬遼太郎さんの言葉を書きます。。。 卑弥子さんも読んで欲しい。。。 生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言ってたのです。。。


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“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

名言だと思います。。。 あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか? それが問題です! 大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。 あなたも、全身全霊の力を込めて。。。 あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのですよねぇ~。 大伯皇女は、それを期待しながら、1300年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠(うた)ったのかも知れません。

それで、大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で万葉集に載せた、とデンマンさんは主張するのでござ~ますかァ~?

もちろんです。。。

つまり、持統天皇は怨霊を恐れるあまりに鎮魂の歌として“春すぎて 夏来たるらし”の歌を詠んだわけなのですかァ~?

そうとしか 僕には考えられないのですよ。。。 自分の心に平安が訪れるようにと。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
ずいぶんと長たらしいお話ですわ。

あなたは、どう思いますか?

関係者は すでにとっくの昔にあの世へ逝ってますから、

“死人に口無し”ですわ。

持統天皇がどのような気持ちを込めて歌を詠んだのか?

それは天のみが知っていることだと思います。

 

ええっ。。。? そんなことはどうでもいいから、

「もっと面白い話をしろ!」と言うのでござ~ますかァ?

分かりましたわァ。。。

あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。


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いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


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『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


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『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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阿倍仲麻呂@ベトナム

 

阿倍仲麻呂@ベトナム

 


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デンマンさん。。。 阿倍仲麻呂はベトナムでも活躍したのでござ~ますかァ?


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僕は知らなかったのだけれど、そうらしい。。。 とにかく、阿倍仲麻呂は日本に帰りたくても結局 帰ることができずに唐の都で亡くなったのですよ。。。

仲麻呂さんはベトナムにも行ったことがあるので、阿倍仲麻呂@ベトナムというタイトルにしたのでござ~ますかァ?

確かに、そうなのだけれど、ちょっと次のリストを見てください。。。。


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『拡大する』

『友情と国際感覚』

 

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月16日の午前4時26分から17日の午前2時23分までの約20時間の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 Yahoo!で検索して『友情と国際感覚』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 実は、この記事を読んだのはベトナムの首都・ハノイに住んでいる ミー・ゴック・ハー(My Ngoc Ha) さんなのですよ。。。

つまり、上のリストの中に写っている女性がミーさんでござ~ますかァ~?

そうです。。。


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左がミーさんで、隣の女性がお姉さんのハーさんです。。。

あらっ。。。 ミーちゃん・ハーちゃん姉妹なのでござ~ますかァ~?

そうです。。。

マジで。。。? なんだか、悪い冗談のようですわねぇ~? うふふふふふふ。。。 これって真面目なお話ですかァ~?

もちろんですよ。。。 卑弥子さんまで呼び出して悪い冗談で終わらせたら、卑弥子さんはヒステリーを起こすから 僕は、そういうヤバイことはしませんよ。。。 ちょっと次のリストを見てください。。。


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ちゃんと、こうして証拠があるのですよ。。。

でも、IPアドレスを調べてもプライバシー保護のためにアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ~。。。

卑弥子さんは、鋭い突込みを入れるのですねぇ~。。。 あのねぇ~、ミーさんは、記事を読んだ後で僕に感謝のメールを寄越してくれたのです。。。

それは、どういうわけでござ~ますかァ?

実は、ミーさんはハノイ国家大学(Vietnam National University, Hanoi)のハノイのカウザイ区にあるキャンパスで日本語・日本文化を専攻しているのですよ。。。


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『拡大する』



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つまり、ミーさんは日本語の読み書きができるのですわねぇ~!?

そういうことです。。。

。。。で、どういうわけでミーさんはデンマンさんが書いた『友情と国際感覚』を読むことになったのですか?

ミーさんは次のように検索したのです。。。


(yah80417c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

「友情 国際感覚 驩州」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 すると、141件ヒットするうちの4番目に『友情と国際感覚』が出てくるのですよ。。。

。。。で、記事のどの箇所にミーさんは関心を持ったのですか?

次の箇所です。。。

席次論争事件

 

天平勝宝2年(750年)9月、清河は遣唐大使に任じられる。
副使には大伴古麻呂と吉備真備が任じられた。
天平勝宝4年(752年)閏3月、出発にあたり清河は節刀を拝し、正四位下に叙される。
遣唐使一行は唐に到着して長安に入り、玄宗に謁し、君子人なりと称賛された。

天平勝宝5年(753年)1月、諸藩の朝賀に出席。
日本の席次が西畔(西側)第二席で吐蕃の次であるのに対して、新羅が東畔第一席で日本より上席であったことに抗議し、新羅と席を交代させ、日本の面目を守っている。


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同年12月、清河ら遣唐使一行は、在唐35年におよび唐の高官にもなっていた阿倍仲麻呂を伴い帰国の途につく。
日本への渡航を望む鑑真一行が乗船を希望したが、唐が鑑真の出国を禁じたため清河は乗船を拒否した。

しかし、副使の大伴古麻呂が独断で鑑真を自身の船に乗せる。
遣唐船は楊州を出航したが、清河と仲麻呂の乗る第一船は逆風に遭い唐南方の驩州(かんしゅう)(現在のベトナム北部)に漂着する。
土人に襲われて船員の多くが害されるが、清河と仲麻呂は僅に身をもって免がれた。

一方、鑑真を乗せた第二船は無事日本へ帰国した。
天平勝宝7歳(755年)清河と仲麻呂は長安に帰着。
清河は河清と名を改めて唐朝に出仕することになり、秘書監になった。


出典: 「藤原清河」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミーさんは、どういうわけでこの箇所に関心を持ったのでござ~ますかァ?

ミーさんの卒論のテーマが「ベトナムにおける阿倍仲麻呂の業績について」というのですよ。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

だから、ウィキペディアの「阿倍仲麻呂」を見たらいいよ、と言ってあげたのですよ。。。

阿倍仲麻呂

(文武天皇2年〈698年〉 – 宝亀元年〈770年〉1月)


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奈良時代の遣唐留学生。
姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。
中務大輔・阿倍船守の長男。
弟に阿倍帯麻呂がいる。

唐名を「朝衡/晁衡」(ちょうこう)とする。
唐で国家の試験に合格し唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たせずに唐で客死した。

 

生涯

文武天皇2年(698年)阿倍船守の長男として大和国に生まれ、若くして学才を謳われた。
霊亀3年・養老元年(717年)多治比県守が率いる第9次遣唐使に同行して唐の都・長安に留学する。
同次の留学生には吉備真備や玄昉がいた。

唐の太学で学び科挙に合格し、唐の玄宗に仕える。
神亀2年(725年)洛陽の司経局校書として任官、神亀5年(728年)左拾遺、天平3年(731年)左補闕と官職を重ねた。
仲麻呂は唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白・王維・儲光羲ら数多くの唐詩人と親交していたらしく、『全唐詩』には彼に関する唐詩人の作品が現存している。

天平5年(733年)多治比広成が率いる第10次遣唐使が来唐したが、さらに唐での官途を追求するため帰国しなかった。
翌年帰国の途に就いた遣唐使一行はかろうじて第1船のみが種子島に漂着、残りの3船は難破した。

この時帰国した真備と玄昉は第1船に乗っており助かっている。
副使・中臣名代が乗船していた第2船は福建方面に漂着し、一行は長安に戻った。
名代一行を何とか帰国させると今度は崑崙国(チャンパ王国)に漂着して捕らえられ、中国に脱出してきた遣唐使判官・平群広成一行4人が長安に戻ってきた。
広成らは仲麻呂の奔走で渤海経由で日本に帰国することができた。
天平5年(734年)には儀王友に昇進した。

天平勝宝4年(752年)衛尉少卿に昇進する。
この年、藤原清河率いる第12次遣唐使一行が来唐する。

すでに在唐35年を経過していた仲麻呂は清河らとともに、翌年秘書監・衛尉卿を授けられた上で帰国を図った。
この時王維は「秘書晁監(「秘書監の晁衡」の意)の日本国へ還るを送る」の別離の詩を詠んでいる。

しかし、仲麻呂や清河の乗船した第1船は暴風雨に遭って南方へ流される。
このとき李白は彼が落命したという誤報を伝え聞き、「明月不歸沈碧海」の七言絶句「哭晁卿衡」を詠んで仲麻呂を悼んだ。
実際には仲麻呂は死んでおらず船は以前平群広成らが流されたのとほぼ同じ漂流ルートをたどり、幸いにも唐の領内である安南の驩州(現・ベトナム中部ヴィン)に漂着した。


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結局、仲麻呂一行は天平勝宝7年(755年)には長安に帰着している。この年、安禄山の乱が起こったことから、清河の身を案じた日本の朝廷から渤海経由で迎えが到来するものの、唐朝は行路が危険である事を理由に清河らの帰国を認めなかった。

仲麻呂は帰国を断念して唐で再び官途に就き、天平宝字4年(760年)には左散騎常侍(従三品)から鎮南都護・安南節度使(正三品)として再びベトナムに赴き総督を務めた。
天平宝字5年(761年)から神護景雲元年(767年)まで6年間もハノイの安南都護府に在任し、天平神護2年(766年)安南節度使を授けられた。
最後は潞州大都督(従二品)を贈られている。

結局、日本への帰国は叶えられることなく、宝亀元年(770年)1月に73歳の生涯を閉じた。

なお、『続日本紀』に「わが朝の学生にして名を唐国にあげる者は、ただ大臣(吉備真備)および朝衡(阿倍仲麻呂)の二人のみ」と賞されている。

また死去した後、彼の家族が貧しく葬儀を十分に行えなかったため日本国から遺族に絹と綿が贈られたという記述が残っている。

 

和歌及び漢詩

仲麻呂の作品としては、次の和歌が有名である。


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天の原 ふりさけみれば 春日なる

三笠の山に いでし月かも

 

百人一首にも選ばれている。
この歌を詠んだ経緯については、天平勝宝5年(753年)帰国する仲麻呂を送別する宴席において王維ら友人の前で日本語で詠ったとするのが通説だが、仲麻呂が唐に向かう船上より日本を振り返ると月が見え、今で言う福岡県の春日市より眺めた御笠山(宝満山)から昇る月を思い浮かべ詠んだとする説も存在する。

現在、陝西省西安市にある興慶宮公園の記念碑と江蘇省鎮江にある北固山の歌碑には、この歌を漢詩の五言絶句の形で詠ったものが刻まれている。

また、奈良県奈良市にある奈良ロイヤルホテル敷地内にも、この歌の歌碑がある。


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翹首望東天

神馳奈良邊

三笠山頂上

思又皎月圓

【原文】


首を翹げて東天を望めば

神(こころ)は馳す 奈良の辺

三笠山頂の上

思ふ 又た皎月の円(まどか)なるを

【書き下し文】


出典: 「阿倍仲麻呂」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 仲麻呂さんはベトナムとは縁があるのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 日本へ帰る船が難破して、なんとか安南の驩州(現・ベトナム中部ヴィン)に漂着して、殺されかけたけれど、755年にやっと唐の都に帰りついた。

それから、5年後に 左散騎常侍(従三品)から鎮南都護・安南節度使(正三品)として再びベトナムに赴き総督を務めたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 761年から767年まで6年間もハノイの安南都護府に在任したのですよ。。。 でも、結局、日本への帰国は叶えられず、770年に73歳で生涯を閉じることになった。。。

可哀相ですわァ~。。。 『続日本紀』には「わが朝の学生にして名を唐国にあげる者は、ただ大臣(吉備真備)および朝衡(阿倍仲麻呂)の二人のみ」と書かれているのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 たいしたものですよ。。。

ところで、デンマンさんも海を越えてカナダに移住して 政府で働いて総督になったのでござ~ますかァ?

いや。。。 僕はノースウェスト・テリトリー政府(Government of the Northwest Territories)の財務省(Department of Finance)で働いたけれど、大臣にも総督にもなれませんでした。。。


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   イエローナイフ

 

白熊に食べられないで生きていただけでもいいですわよう。。。 んで、ミーさんは卒論を書き終えたのでデンマンさんに感謝のメールを出したのですか?

いや。。。 卒論とは全く関係ないのです。。。 「卒業したらバンクーバーのUBC(ブリティッシュ・コロンビア州立大学)の大学院に留学することになっているので、その時にはよろしくお願いします」と書いて寄越したのです。。。

それは心配ですわァ~?

何が心配なのですか?

ミーさんはとっても可愛らしい女の子ですわァ~。。。 デンマンさんのことですから、きっとナンパしますわよう。。。

あのねぇ~、卑弥子さん、僕は卑弥子さんが考えているほど女性に対してダラダラするような男ではないのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

デンマンさんは、ミーさんをナンパすると思いますかァ~?


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ええっ。。。 そんな事はどうでもいいから、何かもっと面白い話をしろ!と言うのでござ~ますかァ?

分かりましたわ。。。。 あなたが、そうおっしゃるのであれば、仕方がありませんわァ~。。。

実は、あたくし、結構 人気があるのでござ~ますゥ。

なぜなら、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。。。


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どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だけが、魅力があると、あなたは言うのでござ~ますかァ~?

やだわあああァ~。。。

前向きの写真も魅力があるのでござ~ますわよう。


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どうでござ~ますかァ~?

あたくしも決して見捨てたものではないでしょう!?

うふふふふふふ。。。

では、このお話は、これくらいにして。。。

実は、他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

たまには、日本古代の面白いお話にも関心を示してくださいまし。

あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(annasalleh.jpg)

『オルフェと聖徳太子』

『源氏物語とおばさんパンツ』

『霊仙はなぜ毒殺されたの?』

『紫式部が地獄へ』

『破戒僧円載』

『アショーカ王の愛と苦悩』

『どら平太の世界』

『三四郎とデンマンさん』

『ヒトラーの姪』

『ゴヤと三島由紀夫』

『仏陀とキリストと娼婦』


(zurose2.jpg)

『ズロースと戦争』

『伊藤若冲ブーム?』

『ブッダと物理学』

『加藤清正ブーム?』

『愛憎と三輪山』

『松原智恵子 お尻ペンペン』

『坂本龍馬は流れ者か?』

『野ざらし』

『紫式部堕獄説』

『日本最古のポルノ?』

『源氏物語の性描写』

『寅さんの本棚と急行まつしま』

『ヒトラーは草食系?』

『ブッダとキリストと娼婦』

『顔文字とオナラ』


(hama10.jpg)

『宝暦の恨みを明治維新で』

『デウキと紅葉@行田』

『薄い陰毛と紅のボートピープル』

『江戸の閨房術』

『ずるがしこい現代人』

『春画@源氏物語』

『千早振る』

『あれっ、松本清張』

『キスと源信』

『伎楽は呉から…?』

『紺瑠璃杯に魅せられて』

『神聖娼婦 マリア』

『安徳帝は生きていた』

『白石川の桜』


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『ブログ村のマリア様』

『萌える済子女王』

『ピンク桃色@徒然』

『富沢金山の桜』

『ピンク桃色村』

『紫式部@徒然』

『絵里香@ペルー』

『ペルシャ人の楊貴妃』

『ん?佐伯今毛人』

『文学と歴史とウソ』

『百人一首ミステリー』

『芭蕉と遊女再び』

『映画とロマン@仙台』

『源氏物语中的性描写』

『忘れられた歴史ロマン』


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『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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紫式部と敗戦

 

紫式部と敗戦

 


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デンマンさん。。。 今日はあたくしを試そうとするのでござ~♪~ますか?


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。。。ん? 僕が卑弥子さんを試そうと。。。?

だってぇ~、タイトルに紫式部と敗戦と書いてあるではござ~ませんかア!

そうです。。。 でも、まさかァ~、僕が卑弥子さんを試そうなんてぇ~。。。 そのような大それた事をするはずがないじゃありませんか。

じゃあ、どう言う訳で「紫式部と敗戦」というタイトルにしたのでござ~ますか?

卑弥子さんは紫式部女史が出て来ると、かなり精神的に過敏に反応するのですね?

もちろんでござ~ますわァ! あたくしは、これでも京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのですもの。。。 デンマンさんだって、この事は充分にご存知のはずでござ~ますわァ。 それにもかかわらず、あえて「紫式部と敗戦」というような非常にセンシティブなタイトルをあたくしの目の前にたたきつけたのでござ~ますもの。。。 これは、デンマンさんがあたくしの足元をすくいあげようと画策しているのか? あるいは、あたくしに対する挑戦を挑(いど)んでいるのか? 事と場合によると由々しき問題に発展することになると。。。

あのねぇ~。。。 卑弥子さんは過敏に反応しすぎですよう。 僕は何も橘卑弥子・准教授に対して知的な戦闘を挑(いど)もうとしているわけではないのですよ。

でも、あたくしの専門分野に対する挑戦としか受け取れませんわ。

僕はたまたまバンクーバー市立図書館から次の本を借りてきたのですよう。


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上のリストの赤枠で囲んだ御本でござ~ますか?

そうです。

でも、これは「古代史事典」ではござ~ませんかァ!

そうですよ。

あらっ。。。 デンマンさんは事典を小説のようにお読みになるのでござ~ますか?

いけませんか?

だけどォ~「広辞苑」を小説のように毎日読む人はおりませんわよう。。。 うふふふふふ。。。

いや。。。 居るかも知れませんよう。。。 そういう物好きな人も。。。

でも、いくら歴史に興味があるといっても、まさか事典は毎日読むほど面白いとは思えませんわ。

あのねぇ~、それがこの『ゼロからの古代史事典』というのは、なかなか面白いのですよ。

あらっ。。。 ギャグやパロディーが本の中にたくさん挿入されているのでござ~ますか?

いや。。。 そういうお笑いは一つも書いてありません。

それなのに面白いのでござ~ますか?

そうです。。。

例えばどういうところが。。。?

次のような箇所ですよ。


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早くも11世紀、「にほん紀の局」といわれた紫式部は『源氏物語』蛍の段で、玉かづらに対して光源氏にこう言わせている。

玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語をけなしたのに対して、源氏は、「にほん紀などはただ片そばぞかし。」と語った。

 

どうやら皇族、貴族のトップには日本紀はつくりものという伝承がずっとあったようである。


233ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

このような箇所がデンマンさんにはそれほど面白いのでござ~ますか?

じゃあ。。。卑弥子さんにとって、上の箇所はつまらないのですか?

もちろん、『源氏物語』を専門に研究している者にとって、紫式部が『日本書紀』を取り上げたということは確かに注目に値することですわ。

そうでしょう!? 卑弥子さんにとっても、この事実は興味を引くことだと僕は思ったのですよ。 うへへへへへ。。。

それで、わざわざこうして記事で取り上げたのでござ~ますか?

もちろんですよ。 卑弥子さんの感想をぜひ聞きたいと思ったからですよ。

そのように「よいしょ」をするような煽(おだ)てをかまして、実は、あたくしの足元を掬(すく)うのがデンマンさんの狙いではござ~ませんのォ? (苦笑)

やだなあああァ~。。。 悪い方に悪い方に解釈しないでくださいよう。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を教えている卑弥子さんの専門知識を値踏みするというような大それたことは考えていません。

でも、デンマンさんの前では用心しないわけにはゆきませんわ。

あのねぇ~、それ程緊張しなくてもいいのですよう。 僕は卑弥子さんと嵐山の辺りを散歩するつもりで話題にしているだけなのですから。。。

それで、あたくしに何をお尋ねになるのですか?

だから。。。 玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語をけなしたのに対して、源氏が「にほん紀などはただ片そばぞかし」と語ったと。。。 ここの所を卑弥子さんはどのように捉(とら)えているのですか?

これは真面目なご質問なのですか?

もちろんですよう。 僕は橘卑弥子・准教授をからかうつもりなど全くありません。

解りましたわ。 では、あたくしがその箇所を現代語に訳してお目にかけますわ。

長雨が例年よりもひどく続いて、晴れるときがなく手持ち無沙汰なので、六条院の女君たちは絵や、物語などを慰みにして夜を明かし暮らしていらっしゃる。

明石の君は、そういう物語に趣向を凝らして仕立てられて、(明石の)姫君にさし上げられる。

西の対の玉鬘の姫君は、なおさら珍しく興味のあることなので、明け暮れ(物語を)読んだり写したりしていらっしゃる。

(ここには物語を写すのを)得意にしている若い女房も大勢いる、(物語には)世にも珍しいさまざまな(主人公の)身の上などを、本当なのか嘘なのか、たくさん集めてあるが そういう中でも、〈わたしのような(波瀾に富んだ)身の上はなかった〉と(姫君は)ご覧になっている。

『住吉物語(継子いじめの物語)』の姫君がさまざまな悲惨な目にあったその当時はもちろん、現在でもやはり評判は格別のようだが、(物語の中で)主計頭(かぞえのかみ)がもう少しで(姫君を)奪おうとしたところなど、あの大夫監(たゆうのげん)の恐ろしさと比べていらっしゃる。  

 

源氏の君も、こういう絵や物語などがあちこちに散らばっていて、目につくので、(姫君に)


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困ったものだな。女は面倒がりもしないで、人にだまされるために生まれてきたらしい。

たくさんある物語の中に本当のことはすごく少ないのに、それをよくわかっていながら、こういうつまらない話に心を奪われて、真に受けて、この暑苦しい五月雨どきに、髪の乱れてるのも気づかないで書き写していらっしゃるとは…  

とおっしゃって、笑われるものの、また、

 

でもこういう昔の物語がないと、実際紛らわしようもない(この頃の)手持ち無沙汰を慰めることもできないな。

それにしてもこういう数々の作り話の中に、〈なるほどそういうこともあるだろう〉としみじみとした表現で、もっともらしく書いてあると、一方では、嘘だとはわかっていながらも、無性に興味をそそられて、(物語の主人公である)可愛い姫君が悲しみに沈んでいる様子に多少は心が惹かれるものだ。

また〈こんなことはあるはずがない〉 とわかっていながらも、大げさな誇張した表現にかえって魅了されて、落ち着いてもう一度読み直すときにはつまらないにしても、ふと感心させられることもあるだろう。

この頃明石の姫君が、女房などに時々(物語を)読ませているのを立ち聞きすると、〈口のうまい者が世間にはいるものだな。(こんな話は)嘘ばっかり言っている人の 口からのでまかせだろう〉 と思うが そうでもないかな…

とおっしゃると、(姫君は)


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おっしゃるように嘘ばっかり言っている人は、そんなふうにいろいろと思われるかもしれません。

(わたしには)本当のこととしか思われません。

と言って、硯を押しやられるので、(源氏の君は)

 

失礼なことを言って(物語を)けなしてしまったね。

(物語は)神代から世の中に起こったことを書き残したものです。

(それに比べると)日本紀(『日本書紀』)などはほんの一部分にすぎないのです。

こういう物語にこそ道理にかなった細かいことが書いてあるでしょう。

とおっしゃって笑われる。

 

(物語は)誰かの身の上を、ありのままに書くことはないが、良いことも悪いことも、この世に生きている人のありさまの、見ても飽きない聞いても聞き流せないような、後世に語り伝えたい事柄を、心におさめておけないで書き残したのが物語の始まりなのです。

(物語というものは)(作中の人物を)よく言おうとする場合、そのよいことばかりを選び出して書くことになるし、また読者の要望に応じると、ありそうもない悪いことばかりを集めて書くことになるが、(でもそれは)善悪それぞれの面で誇張しただけのことで(その事柄は)この世にないことでもない。

異朝の物語は、書き方が違うし、同じように日本の物語でも昔と今では違うだろうし、(その内容に)深い浅いの違いはあるだろうが、(物語を)まったくの作り話だと断定してしまうのも、物語の本質を無視することになる。

仏がとても立派な心から説かれた経典でも、方便というもの(虚構)があって、悟りのない者は、あちこちで矛盾しているのではないかと疑念を持つだろう、(方便の説は)方等経(ほうどうきょう)の中に多いが、突き詰めてゆくと、(結局は)同一の趣旨によっていて、菩提(悟り)と煩悩(悩み)との違いは、物語の中の、善人と悪人との違いのようなものである。

いい意味に解釈すると、すべてどんなことも無駄なものはない。

と、物語をとても大切なもののように説明された。

 

ところでこういう昔の物語の中に、わたしのように律儀な愚か者の話はありますか。

ひどく人間離れした、物語の姫君でも、あなたのように冷たくて、知らないふりをしている人もいないだろう。

さあ、(二人のことを)世にも珍しい物語にして、後世に伝えさせよう。

と、近くに寄り添っておっしゃるので、(姫君は)顔を襟に引き入れて、

 

それでなくても、こんな珍しい関係は、後世の語り草になるでしょう。

とおっしゃると、(源氏の君は)

 

(あなたも)珍しいと思われますか。

(わたしもこんな気持ちは)またとないと思います。

とおっしゃって寄り添っていらっしゃる様子は、まったくけじめがない。

う~ん。。。 さすがは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授ですね。 やっぱり、こうして卑弥子さんの説明を聞くだけの値打ちがありましたよ。

あらっ。。。 そうでござ~ますかァ? でも、あまり煽(おだ)てないでくださいましなァ。 おほほほほほ。。。

卑弥子さんは「にほん紀などはただ片そばぞかし」を(物語は)神代から世の中に起こったことを書き残したものです。(それに比べると)日本紀(『日本書紀』)などはほんの一部分にすぎないのです。 こういう物語にこそ道理にかなった細かいことが書いてあるでしょう。と現代語に訳したのですね。

そうでざ~ますわァ。 どこか、いけないところでもござ~ますか?

いや。。。 きわめて妥当だと僕は思いますよ。 つまり、玉かづらが退屈しのぎに読んだ物語の中にこそ道理にかなった細かいことが書いてあって、『日本書紀』などのような政府の作ったものには、自分たちの政権が正当なものだという作り事が書き込まれているということを暗に言っているわけですよね。

いいえ。。。 あたくしは別に『日本書紀』が道理にかなっていない事が書かれているとは言ってませんわ。 デンマンさんは『日本書紀』が“つくりもの”だと考えているのでござ~ますか?

いや、僕だけじゃありませんよう。 『ゼロからの古代史事典』には次のように書いてありました。


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西園寺公望公爵(1849~1940)は貴族のトップにいて第二次大戦まで裕仁(昭和)天皇の首相推薦に参与した。
このよう要人中の要人が、こう書き残した。
不幸にしてこの日記は約百年、陽の目を見なかった。
西園寺は明治憲法起草者の井上毅文相を評して「妄誕(もうたん)の書(でたらめの書-古事記、日本書紀)を重んずるごときは大いに国に損あり」と記したが、100年後の1990年10月に立命館大学で発見されたものである。

この西園寺の発言は白鳥(庫吉・東京帝国大学の東洋史学科の教授)とは正反対のリベラルさをしめすもので、20世紀の日本史学者に知らせるのが遅すぎたことが惜しまれてならない。
徹底した日本書紀の否定、蔑視である。
「明治以降、78年」の狂信は「大いに国に損あり」どころではなかった。
皇国史観による国の壊滅をもたらしたといえるだろう。
歴史学は学部の一部門ではなく民族の帰趨を決める基礎の科学でなければならないことを思い知らされたのである。


233ページ 『ゼロからの古代史事典』
編著者: 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎
2012年8月10日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 ミネルヴァ書房

あらっ。。。 西園寺公爵は『古事記』や『日本書紀』は日本を壊滅に導くような悪書だと予言したのでござ~ますか?

今から西園寺公爵の日記を読み返せば、そう受け止められるのですよ。 でもねぇ~、西園寺自身、自分の日記を公開できないことは知っていたようです。

どうして。。。?

だってぇ、戦前、彼の日記が公開されたら狂信的な軍人か? あるいは熱狂的な右翼の人間に暗殺されていましたよ。

そうでしょうか?

それでなくとも昭和11年(1936年)の2・26事件の時には、決起将校の一部に西園寺公爵は「君側の奸」の最たるものと見なされた暗殺されるリストに載っていた。 でも、反対派の者は、西園寺を天皇とのパイプとして利用することを言い出したので、暗殺は実行されなかったと言われているのですよ。

西園寺公爵はそれ程のリベラルだったのでござますか?

明治4年(1871年)にフランスのソルボンヌ大学に留学した経験がありますからね。 フランスでリベラルな思想を身に着けたらしい。 それでいながら天皇制に反対していたわけじゃない。 むしろ天皇を守りたててゆこうという強い信念も持っていた。 でも、他の狂信的な天皇一辺倒な帝国主義者と違って、西園寺は絶対天皇制の持つ、やがては皇室の存続をも危うくさせる危険性を早くから見抜いていたのですよ。 そういう意味で皇国史観に反発していたのです。

それで、古事記や日本書紀は“でたらめな書”だと言うような過激な事を日記に書いたのでござ~ますわね。

そうらしいですよ。

それにしても紫式部さんが日本書紀の本質を見抜いていたというのはマジでござ~ましょうか?

たぶん、知る人の間では、その当時からそういう噂が根強くあったのですよ。 大伴家持が『万葉集』の中に批判めいた歌をたくさん集めたのも『古事記』や『日本書紀』に対抗するためだったのですよう。

そうかしら?

そうですよ。。。 紫式部も西園寺公爵も 古事記や日本書紀は“でたらめな書”だと見抜いて、暗に太平洋戦争の敗戦を予測していたのですよ。。。 信じてください。 「信じる者は救われる」と言うでしょう!?


【初出: 2013年7月6日 『紫式部と皇国史観』】


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんの説明に納得がゆきましたかァ~?

確かに皇国史観や“大和魂”を狂信的に信じていた軍人の一部は

“竹やり”でアメリカ軍に最後まで抵抗して勝つことを信じていたようです。。。

その狂信的な軍人たちは信じることによって救われたのでしょうか?

それを信じて亡くなった本人は、あの世で救われたのかも。。。?

もちろん、あたくしは救われたとは思いませんけれど。。。

なんだか、ジメジメしたお話になってしまいましたわァ。

では、ここで気分を改めて、あなたのために明るいお話をしますわねぇ~。。。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。


(buttdimp5.jpg)

どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

プリキュアにまつわるお話も、大変興味深いですけれど、

他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

たまには、日本古代の面白いお話にも関心を示してくださいまし。

あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいねぇ。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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