ジュンガル

 

ジュンガル

 


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ケイトー、今日は『津軽じょんがら節』の話をするわけぇ~?


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シルヴィーも、上の予告編を観て興味を持ったァ~?

なんだか、ワクワクするような映画じゃない。。。 でも、タイトルにはジュンガルと書いてあるじゃない!? どういうこと。。。?

あのねぇ~、実はバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

遊牧民の時代の終わり

 


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『拡大する』

 

東アジアでは17世紀中ごろ、清朝が中国全土の主となりました。
一方草原地帯では、ジュンガルという遊牧国家が拡大を続けていました。

2000年にわたり続いてきた農耕民と騎馬遊牧民の戦いは、いよいよ最後の局面を迎えることになります。

清が銃や大砲を備えた歩兵の大軍で侵攻してきたのに対し、遊牧民であるジュンガルも、火気を用いて迎え討ちました。

しかし、火力の戦いは物量で決まります。
数億の人口を背景とした清に対抗する術はなく、ジュンガルは18世紀中ごろに滅び去りました。

ユーラシアを疾駆した遊牧民の時代は、こうして幕を閉じました。
しかし、このときにはすでに世界史の表舞台は内陸を離れ、海へと移っていたのでした。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


84ページ 『学びなおすと世界史はおもしろい』
著者: 太田竜一
2015年8月25日 初版発行
発行所: ベレ出版

『津軽じょんがら節』とは全く関係ないじゃない? それとも、何か関係があるわけぇ~?

何か関係があるんじゃないか? 「ジュンガル」という遊牧国家の名前を聞いたときに僕はそう思ったのですよ。。。

でも、そもそも、どういうわけでこの国を取り上げる気になったわけぇ~?

あのねぇ~、僕は世界史には、かなりの関心があるのですよ。。。 自分では「世界史オタク」だと思っている。。。

その事と「ジュンガル」が、特に関係があるのォ~?

上の本をすべて読んで、その中で自分の知らない国名や出来事は出てこなかったのですよ。。。 ただ一つを除いては。。。

その唯一つが「ジュンガル」だというわけぇ~?

そうです。。。 たぶん他の別名で知っているのではないか? そう思って『ウェキペディア』を調べたら、次のように書いてある。

ジュンガル

 


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    ジュンガル盆地

 

ジュンガル(準噶爾)は、17世紀から18世紀にかけて現在のジュンガル盆地を中心とする地域に遊牧民オイラトが築き上げた遊牧帝国、およびその中心となったオイラトの一部族。

オイラト部族連合に属し、一時期はオイラトの盟主となって一大遊牧帝国を築き上げた。
ジュンガル帝国の滅亡後、このような遊牧帝国が2度と生まれなかったため、最後の遊牧帝国とも呼ばれる。

 

名称

「ジュンガル」、「ジューンガル」とはモンゴル語で「左手、左翼」を意味するジェギュン・ガル (jegün-γar) からきている。
伝統的な遊牧国家は南面して中央、右翼(baraγun-γar、西方)、左翼(jegün-γar、東方)の三部構造をとっており、オイラトのドルベト (オイラト)(モンゴル語版、ロシア語版、中国語版、英語版)部政権において左翼(東方)を担っていた者たちが「ジュンガル」と呼ばれるようになった。

 

汗国という名称

ソ連のズラートキン(ロシア語版)(露: И.Я.Златкин)が著した『ジュンガル・ハン国史』(露: История Джунгарского ханства、1964年)を始めとして、ジュンガルの国をハン国(汗国)あるいはハーン国とする例が多いが、これは誤りである。

そもそもジュンガルの部族長の称号は「ホンタイジ」であり、「ハーン」ではない。
例外としてガルダン・ハーンのみが「ハーン」号を帯びているが、ジュンガルで「ハーン」号を使用したのは彼が最初で最後であり、他はすべて「ホンタイジ」号を採用している。

 

起源

エムチ・ガワンシャラブの『四オイラト史(ロシア語版)』(1737年)において、「ドルベト、ジューンガルの一族は天から出た。管(チョルゴ)状の樹の下に幼児がおり、その樹液を吸って育ったので、その子孫をチョロースという」とあり、ウイグルの誕生説話に類似していることから、ウイグルの後裔と考えられるが、その住地から考察してナイマン部族の後裔と推測される。

ジュンガルの系譜によると、15世紀にモンゴル高原の覇権を握ったオイラトのトゴン・タイシ、エセン・ハーンの後裔とされる。

 

ジュンガルの登場

1619年頃、モンゴルのハルハ部のアルタン・ハーンのウバシ・ホンタイジ(英語版)はロシア皇帝(ツァーリ。当時はミハイル・ロマノフ)に使節を送り、「カルムィクのカラクラ・タイシャがモンゴルとロシアの間にいて、使節の往来を妨げているので、カラクラ・タイシャの部族を両方から挟撃しましょう」と申し出た。

この「カルムィク」というのはテュルク語で「留まった者たち」を意味する「カルマーク (qalmāk)」がロシア側で訛った言い方であり、イスラム教に改宗しなかった「オイラト」を指す。
「カラクラ・タイシャ」というのはジュンガルの始祖である「ハラフラ(英語版)」を指す。

アルタン・ハーンの申し出はモスクワ当局によって却下されたが、1620年頃に攻めてきたオイラトのトルグート部,ジュンガル部をアルタン・ハーン自身で撃退した。
この時、ジュンガル部長であったハラフラは妻子を奪われ、他のオイラト諸部とともにシベリアのロシア領内に逃げ込んだ。

1623年、四オイラト(英語版)連合軍はハルハ部のアルタン・ハーンであるウバシ・ホンタイジを殺し、モンゴルの宗主権から脱した。
このことはオイラト語の英雄叙事詩『ウバシ・ホンタイジ伝』でも詠われている。

 

バートル・ホンタイジ

1636年、オイラトのホシュート部長トゥルバイフはチベット仏教ゲルク派の要請に応じて、青海に割拠するカルマ派のチョクト・ホンタイジを討伐した。

翌年、チョクト・ホンタイジを殲滅したトゥルバイフはダライ・ラマ5世から「持教法王」の称号を授かり、グーシ・ノミーン・ハーン(国師法王)となると、青海遠征に同行したジュンガル部長ホトゴチンに「バートル・ホンタイジ」の称号を授けて中央アジアのオイラトを任せるとともに、自らはチベットを統一してチベット王の位に就いた(1642年)。

中央アジアのオイラト諸部の盟主となったバートル・ホンタイジは、ロシアと盛んに使節を交わし、交易をおこなったため、ロシア史料に頻繁に登場することとなった。

 

ガルダン・ハーン

1653年、バートル・ホンタイジが亡くなると、息子のセンゲ(英語版)が領民の半分を相続して後継者となった。
しかし、センゲの異母兄たちはこれを恨んで相続争いを起こし、1670年にセンゲを殺害した。
時にセンゲの弟であるガルダンは13歳のころからチベットに留学していたが、10年の留学の末に帰国すると、兄の仇を討ってジュンガル部長となった。
1671年、ダライ・ラマ5世はジュンガル部を平定したガルダンに「ホンタイジ」の称号を授けた。

1675年、ガルダンは舅でホシュート部長であるオチルト・ハーン(中国語版、ロシア語版、英語版)と衝突し、翌年オチルト・ハーンを捕虜とした。
これにより、それまでオイラト部族連合の盟主であったホシュート部に代わり、ジュンガル部がオイラト部族連合の盟主となった。
ダライ・ラマ5世はガルダンに「持教受命王」の称号を授け、ゲルク派の擁護者として全オイラトのハーンに認定した。しかし、ジュンガル部でハーン位に就いたのは彼が最初で最後である。

1678年、ガルダン・ボショクト(受命)・ハーンはハミとトルファンを征服し、1680年にはカシュガル、ヤルカンド、ホータンといったオアシス都市を征服してタリム盆地を支配するモグーリスタンのハーンと黒山党(カラ・タグルク、イスハーキーヤ)のホージャをイリに幽閉した。

ガルダンは黒山党と対立する白山党(アク・タグルク、アーファーキーヤ)のホージャをヤルカンドに据えて毎年莫大な貢納を取り立てた。
こうしてタリム盆地を支配する一方、1681年以降西方遠征にも着手し、カザフ草原のカザフ人やキルギス人を攻撃した。
1684年にはタシュケントとサイラムを占領し、1685年にはアンディジャンに遠征した。

 

清との戦争

1688年、ガルダン・ハーンは東モンゴリア(外モンゴル)のハルハ部に侵攻を開始する。
ハルハ部の内紛に乗じてガルダンの弟を殺したハルハ左翼部のトシェート・ハーンを討つべく、モンゴル高原に侵攻した。
ガルダンは迎え撃つトシェート・ハーンを破り、仏教寺院エルデニ・ジョーと左翼のチェチェン・ハーンを攻撃、その地を略奪した。

トシェート・ハーンと弟のジェブツンダンバ・ホトクト1世は南の内モンゴルへ逃れ、清の康熙帝に庇護を求めた。
ガルダンは2人の引き渡しを要求したが、清が応じなかったため、遂に清と衝突することとなった。

ガルダンは南へ進軍中の1690年9月、北京北方300キロのウラーン・ブトン(ウラン・ブトン、ウランプトゥン、遼寧省赤峰市)で清軍と衝突する(ウラーン・ブトンの戦い)。
ジュンガル軍はロシア製の大砲を装備していたが決着がつかず、ガルダンは漠北へ退いた。

1693年にはハミのダルハン・ベク、アブド・アッラーらはジュンガルの搾取を嫌い、清に接近した。

またハルハ部のトシェート・ハーンらが康熙帝に臣従を誓ったため、モンゴル族すべてが清の支配下に入ることとなり、ハルハ部の故地を奪還するという大義名分を得た康熙帝は1696年、ジュンガル親征を開始し、ガルダンをジョーン・モド(チャオモード、昭莫多)で破った。

敗走したガルダンは1697年4月4日にアルタイ山脈北のコプトで病死した。
ガルダンの息子タンチラはハミに亡命したがアブド・アッラーによって捕らえられ、清に渡され、翌年ハミ地区は清の版図となった。


出典: 「ジュンガル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

遊牧民オイラトというのは聞いたことがある。。。 確か、司馬遼太郎の西域の話の中に出てきたと思う。。。 でも、「ジュンガル」という言葉は記憶から完全に抜け落ちていたのですよ。。。

それで、この「ジュンガル遊牧国家」と『津軽じょんがら節』が関係あると思った理由はどういうことよ?

あのねぇ~、かつて僕は次の記事を書いたのですよ。。。


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聖徳太子の一族に

ペルシャ人が居たの?

 

ここで考えなければならないことは、これらの高度の文化を、一体、大和朝廷の誰が受容できたのであろうか?と言うことです。
語学の素養もない、外国文化に触れたこともない一般の官吏ではまず無理です。
つまり、これらの高度の文化を受け入れることができるのは語学の素養もあり、外国文化に触れたこともある東漢人(やまとのあやひと)や今来漢人(いまきのあやひと)などの渡来人です。

この人たちを掌握していたのは一体誰か?
蘇我氏です。
従って、蘇我氏の中にもまた語学の素養があり、外国文化に明るい人たちがたくさん居ないと、彼らを掌握し切れません。
このことからも、蘇我氏が渡来系の氏族であったということがよく分かります。

上に述べたような理由で蘇我氏のもとには渡来人がたくさん集まってきます。
渡来人の中には、もちろんペルシャ人も居ました。
当然のことながら、蘇我氏を頼って行ったでしょう。

ここで、前のページからの本題に入ります。
聖徳太子の母親はペルシャ人だったのか?

 


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当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。
太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。
間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、言うわけです。

太子が赤い髪の毛をしていたと言う伝承があります。
この伝承に真実が隠されているのではないか?
もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であると言う事も決して荒唐無稽な事ではありません。

 


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聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。
この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。

しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。
私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。
その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。
ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。
そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。
なぜ沈黙する必要があるのか?
その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。

天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。
藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。
従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?
それには、これまた事情があります。
そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。
どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。
そして育った土地の名前をつける慣習がありました。
飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。

すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。
大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。
皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。
しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。

しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。
したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。
どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。
「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。

このようなことは、この当時よくあることでした。
軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。
このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。
その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。

したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。
彼女の娘が穴穂部間人皇女です。
確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。
つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。

ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。
それも分かるような気がします。
エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。
このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。
母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。
この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。
推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。
先ず「よそ者」の血が流れているということ。

しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。
このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。
なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?

母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。
しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。
では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。


『聖徳太子の家庭教師』より
(2008年7月15日)

つまり、聖徳太子の一族にペルシャ人が居たので、キリストの伝説を知っていた。。。 それで聖徳太子は厩戸王子と呼ばれるようになった、というわけねぇ~。。。

そういうわけです。。。

でも、その事と「ジュンガル」がどのように関係しているというわけぇ~?

「ジュンガル遊牧国家」が清によって滅ぼされたので、その難民が中国の北方地方を経由して日本に流れてきたのですよ。。。 ベトナム難民が日本へやって来たこともあるので、可能性がないわけではない。。。

 


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ベトナムから難民がやって来たのだから、清に敗れた「ジュンガル遊牧国家」から難民が日本へ逃れてきても可笑しくないわねぇ~。。。 それで。。。?

つまり、清に滅ぼされた「ジュンガル遊牧国家」の難民の一部は中国の北方の草原の道を通って最終的に津軽に到着したのです。。。

 


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要するに、『津軽じょんがら節』は、もともと清に滅ぼされた「ジュンガル遊牧国家」の難民の哀愁の歌が基になっている。。。 それで なまって「津軽ジュンガル節」が「津軽じょんがら節」になったというわけねぇ~。。。?

そういうことですよ!

。。。で、日本の学界ではケイトーの説は認められたわけぇ~?

もちろん、認められてません。。。

事実はどうなのよ。。。?

かつて、『津軽じょんがら節』の事で僕が記事を書いたので読んでください。。。

“たかが音楽、されど音楽、

 それ以上でも以下でもない。”

 

津軽じょんがら節は津軽民謡の代名詞のようなものですが、
元は新潟・十日町市の「新保広大寺」という唄だと言われています。

これは広大寺の和尚・白岩亮端の時代に起きた農地の耕作権をめぐる土地争いが原因で、
広大寺の和尚を追い出すために歌った「悪口唄」でした。

それが越後で大流行し、やがて越後瞽女(ごぜ)のレパートリーとなります。
これが全国に流行するのですが、それが津軽化したものが「じょんがら節」です。

津軽でも民衆の心に長く記憶される事件が起こりました。
慶長2(1597)年、南津軽郡浅瀬石城主・千徳政氏が、大浦為信に滅ぼされたのです。

しかし、政氏の死後も為信は追討をやめず、ついに政氏の墓まで暴こうとします。

 


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その戦いで炎上した千徳氏の菩提寺・神宗寺の僧・常椽(じょうえん)は、
それを抗議する意味をこめて本尊を背負って、
上川原に身を投げたと言います。
すさまじい話なんですよね。
こうした悲劇を歌った口説節が、じょんがら節であると言います。

つまり、民衆の中から沸き起こった歌なんですよね。
11代にわたって津軽の東の山根に繁栄した千徳家が滅亡。
落城とともに神社・仏閣がすべて焼き払われる。

この時千徳家代々の菩提寺である神宗寺に奉仕していた常椽和尚が、
先祖代々の位牌を背負って逃げた。

ところが、捕らえられそうになったので
白岩の断崖から浅瀬石川(上川原)に身を投じて一生を終えたのです。

年を経た夏に、川原で遊んでいた子供達が常椽和尚の変わり果てた遺体を砂の中にみつけ、
村人が相談して墓をつくり、ねんごろに弔ったと言われています。

その後、その場所を常椽川原(じょうえんがわら)と呼ぶようになったそうです。
それから毎年、お盆には常椽川原に集まり供養をし、
代々の城主をはじめ先祖の霊を慰め、
常椽和尚を偲ぶために即興で歌われたのが「津軽じょんがら節」の始まりだと言われています。

常椽川原もいつしか上川原(じょうがわら)となり、更には「じょんがら」と言われるようになったわけです。

つまり、“民衆の創造性”から生まれた唄というものは、
もともとのクラシックのようにorder-madeではなかったのですよね。

民衆の中から沸き起こった歌。
血と汗と涙。。。
そのような苦労の中で民衆の口により歌い継がれて現在の我々にまで知られるようになった。

現在の僕が、あれだけハマッタ“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのに、
“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられる。
それは、やはり、この唄が血と汗と涙の中で民衆によって受け継がれてきたからではないのか?

芸能プロダクションがミーハーの歌手を育てて広めたわけでもない。
そうやって金儲けをするために歌われてきたわけではない。

テレビやラジオで宣伝して広めたわけでもない。
演奏会や、音楽会を開いて広めたわけでもない。
紅白歌合戦があったわけでもない。
レコード会社が儲かるからと言ってレコードに録音したわけでもない。


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  太田将宏

 

私は、民謡の発生に思いを廻らせるときに、昔の民衆の創造性が信じられる。

しかし、私は、私自身を含めて、現代の大衆を信じてはいない。

この汚染されきった世界に住むことは、あまり幸福とは言えない、という気持ちである。

つまり、太田さんが言うところのこの汚染されきった世界こそ、
すぐ上に書いた芸能プロダクションであり、
テレビやラジオの功利主義であり、
演奏会や音楽会の商業主義であり、
紅白歌合戦と言う馬鹿騒ぎであり、
レコード会社の儲け主義ではないだろうか?

僕が“津軽じょんがら節”を聴いて魂をゆさぶられるのは、
“民衆の創造性”に僕の心の琴線が触れたからだと僕は信じています。

本尊を背負って、上川原に身を投げた常椽(じょうえん)和尚の無念な気持ち。
その和尚に同情を寄せる村人たち。
その中で和尚を悼(いた)み偲ぶ唄が生まれ、その悲劇と共に民衆に歌い継がれてゆく。
僕は、このような悲劇のことは何も知らない。

しかし、その悲劇性と、農民の気持ちが、この歌の響きの中に、旋律の中に込められている。
そして、その唄が津軽三味線で奏(かな)でられるとき、僕の魂をゆさぶる。

そういうことだと思うのですが。。。
あなたはどう思いますか?

次のリンクをクリックして、柴田三兄妹の“津軽じょんがら節”を聴いてみてください。


『ん? クラシックと津軽じょんがら節?』より
(2006年7月9日)

つまり、常椽和尚を偲ぶために即興で歌われたのが「津軽じょんがら節」の始まりだったのねぇ~。。。

そういうことのようです。。。 でもねぇ~、僕は『津軽じょんがら節』を聴くと、清に滅ぼされた「ジュンガル遊牧国家」の難民が、はるばる 草原の道 をたどって津軽にたどり着いて歌った哀愁の唄声が聞こえるのですよ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

デンマンさんは自分で記事を書いていながら、すっかり忘れていたようですわァ~。。。

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私に命令するのですか?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

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『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

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『やっぱり、セックス』

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『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

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『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

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『日航スチュワーデス』


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『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

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『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

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『空飛ぶスパイ』

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『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

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『女に文句を言う女』

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『10次元の世界』

『ポーランドの犬』

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『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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禁断の愛

 

禁断の愛

 

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デンマンさん。。。、どないなわけで 禁断の愛 というタイトルにしやはったん?


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ちょっと次のリストを見て欲しいねん。。。

 


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『拡大する』

『禁忌の愛を探して』

 

これはライブドアの わての「徒然ブログ」の日本時間で9月14日の午前4時53分から翌日15日の午前2時20分まで約21時間半の「生ログ」の一部やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。 

あらっ。。。 わたしの「即興の詩」サイトから あんさんが「徒然ブログ」に投稿しやはった『禁忌の愛を探して』を9月14日の午前4時53分に読みはったネット市民がいたのやねぇ~。。。

そういうことやがなァ~。。。

 


(liv70511e2.jpg)


『拡大する』

『禁忌の愛を探して』

 

。。。で、もしかしてリストの写真の女性が読みはったん?

 


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そういうことやァ~。。。 さいたま市に住んでおる金城真奈美 (きんじょう まなみ)さんが読みはってん。。。

あんさんは、またIPアドレスを調べて真奈美さんがアクセスしたことを突き止めはったん?

そうやァ~。。。

 


(ip138131b.png)

 

。。。で、赤いアンダーラインが引いてあるリファラをクリックすると どのページが出てきよるのォ~?

次のページやがなァ~。。。

 


(mer31028e2.png)


『拡大する』

『実際のページ』

 

あらっ。。。 わたしが2013年10月28日に投稿した『不思議な感じで未来がやってきた』のページですやん。。。

そういうことやがなァ~。。。 最新トラックバックから  禁忌の愛を探して  をクリックして読みはったわけやァ~。。。

。。。で、真奈美さんはさいたま市で何しておるのォ~?

実は、さいたま市緑区にある浦和大学の総合福祉学部で社会福祉士になる勉強をしておるねん。。。

 


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浦和大学で社会福祉士になる勉強をしておる真奈美さんが、どないなわけで『禁忌の愛を探して』を読みはったん?

あのなァ~、真奈美さんは最近「禁忌の愛」の歴史に興味を持ったのやがなァ~。。。

「禁忌の愛」の歴史。。。?

そうやァ~。。。 平安時代や、さらに奈良時代にさかのぼって「禁忌の愛」について調べてみようと思い立ったわけやァ。。。

そいで、『禁忌の愛を探して』を読みはったん?

そないなわけやァ~。。。

記事の中で真奈美さんは興味を満たしてくれるエピソードを見つけやはったん?

見つけたのやがなァ~。。。 めれちゃんも読んでみたらええやん。。。

恬子(やすいこ)内親王の事は書いてある!


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『伊勢物語』の第69段の最後には、「斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬の親王の妹」と記されているのですよ。この斎宮になった妹は恬子内親王以外には居ないのです。

あらっ!ちゃんと書いてあるのですわね?

レンゲさん、とぼけないでくださいよ。この資料はレンゲさんが持ち出してきたのですよ。

そうだったかしら?

やだなあああぁ~。。。次の記事の中でレンゲさんと対話している時にレンゲさんが持ち出したのですよ。

■ 『年上の女の情念 (2007年1月21日)』

もう1年以上も前の事ですわ。言われて思い出しましたけれど、すっかり忘れていましたわ。

とにかく、上の説明の中で最も重要な事は「藤原道長の時代に公けの場で語られ」たと言う事ですよ。

つまり、今風に言えば、国会、あるいは予算委員会の場で議論されたという事になるのですね?

その通りですよ。公の場で語られるほどに、恬子(やすいこ)内親王が斎宮であった時に子供を身ごもった事実が公然の秘密になっていたと言う事ですよ。単なる御伽噺(おとぎばなし)やうわさを国会や予算委員会で取り上げたら、その国会議員は笑いものになってしまうでしょうね。その事を考えれば、「斎宮懐妊事件」は当時でも知る人ぞ知る「某重大事件」になっていた事が、このような資料から充分に理解できるのですよ。

つまり、デンマンさんは斎宮寮の記録は意図的に抹消された可能性があるとおっしゃるのですか?

そうですよ。だから当時の記録には、在原業平(ありわらのなりひら)が狩の使で伊勢に派遣された事が記載されてないのですよ。

そうでしょうか?

記録が抹消されたにもかかわらず、なぜ恬子(やすいこ)内親王と在原業平の関係が伊勢物語の中で語られているのか?

なぜですの?

語って世に伝えなければならないと考えた人が居たからですよ。

その人とは。。。?


『愛と真実 (2008年2月21日)』より

 

つまり、ラウさんは恬子内親王に興味を持ったのですわねぇ~。。。

そうです。。。

恬子内親王(やすいこないしんのう)


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生まれは848年頃
延喜13年6月18日(西暦913年7月24日)に亡くなる。
第31代伊勢斎宮。
父は文徳天皇、
母は更衣・紀静子。
同母兄に惟喬親王がいる。

貞観元年(859年)、清和天皇の即位にともなって斎宮に卜定
貞観3年(861年)に伊勢に下る。

『三代実録』によると、発遣の儀は天皇自身ではなく、
右大臣の藤原良相が代理であたったという

貞観8年(866年)2月、母親の静子更衣が亡くなるも退下の宣勅は下りず
貞観18年(876年)、清和天皇が陽成天皇に譲位したことにより、ようやく斎宮を退下。

翌元慶元年(877年)4月、妹・珍子内親王を亡くす
恬子内親王本人は比較的長命だったらしく、その後、陽成天皇以下三代の天皇が交代し、醍醐天皇の治世まで生きた。

古典『伊勢物語』において、一説には書名の由来ともされる人物。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「卜定(ぼくじょう)」と言うのは、亀の甲羅(こうら)を火であぶって、ヒビ割れのしかたを見て占うものです。これによって誰を斎宮にするか選んだ。

この卜定に何か問題があるのですか?

全く無いとは言えないのですよう。

どう言うことですか?

右大臣の藤原良相(よしみ)は、早くから恬子内親王を“危険人物”だと見ていたようです。

“危険人物”って、どう言うことですかァ~?

この藤原良相の経歴を読むと分かりますよ。

藤原良相(よしみ)

弘仁4年(813年)に生まれる。
貞観9年10月10日(西暦867年11月9日)に亡くなる。
父は藤原冬嗣、母は藤原美都子。
兄弟に長良、良房らがある。
号は西三条大臣。

834年(承和元年)に蔵人になる。
承和の変に際して近衛兵を率いて兵仗を収める。
848年(嘉祥元年)に参議、右大弁などを経て、851年(仁寿元年)従三位中納言となり、857年(天安元年)右大臣となる。

清和天皇に娘の多美子を入内させ、また周囲からの人望も厚かったことから、政権の首座にあった兄良房からは常に警戒される存在であった
866年(貞観8年)の応天門の変に際し、伴善男(とものよしお)の告発を受け一旦は左大臣源信(みなもとのまこと)の逮捕命令を下すが、信の無実を訴えた良房によってこれを阻止され、以降は影響力を失った。
翌867年(貞観9年)に死去。贈正一位。

今昔物語集に収録された説話の中では、一旦病を得て死去し地獄で閻魔大王の目前に引き据えらるが、小野篁(おののたかむら)の執り成しによって赦され冥界から帰還した、と記されている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原良相は自分の娘を清和天皇に差し出したのですよ。つまり、娘が天皇の子供を身ごもって男の子が生まれれば、自分は外祖父として権力が握れる。そう言う考えを持っていた。だから、時の権力者だった兄の藤原良房からは常に警戒される存在だったのですよ。

でも、その事と恬子内親王と、どのような関係があるのですか?

やだなあああぁ~。。。惚(とぼ)けないでくださいよ。知能指数が140もあるレンゲさんに分からないはずが無いでしょう?藤原良相の目から見れば恬子内親王は自分の娘のライバルですよ。

つまり、藤原良相は自分の娘を天皇に嫁がせるために、できるだけ候補者を少なくしようとしたと。。。

そうですよ。そのためには美しくて聡明で将来娘のライバルとなるような娘は都から遠ざけるに限るのですよ。それで、藤原良相は恬子内親王を斎宮として伊勢へ閉じ込めてしまったのですよ。。。上の経歴を読むと、そう考えるのがごく自然ですよ。

それはデンマンさんの個人的な見解だと思いますわ。

分かりました。では、僕の個人的な見解ではない事を語りましょう。

どう言う事ですか?

上の経歴を読むと不自然な事が書いてあるのですよ。

不自然な事ですか?

そうですよ。

貞観8年(866年)2月、

母親の静子更衣が亡くなるも

退下の宣勅は下りず

慣例では、母親が亡くなった場合には斎宮は勤めを辞める事ができたのですよ。それが慣(なら)わしだった。実際の例を次に書きますよ。

徽子女王(よしこじょおう)

延長7年(929年)に誕生。
寛和元年(985年)に亡くなる。
歌人。醍醐天皇皇孫。

承平6年(936年)、時の斎宮斉子内親王(醍醐天皇皇女)の急逝により、8歳で伊勢斎宮に選ばれる。
天慶元年(938年)、10歳で伊勢へ下向。
この時の発遣の儀(出発前の儀式)は朱雀天皇が物忌中のため、外祖父の摂政忠平が執り行い、また群行には長奉送使(斎宮を伊勢まで送り届ける勅使)として伯父の中納言藤原師輔が同行した。
天慶8年(945年)、母の死により17歳で退下、帰京。

天暦2年(948年)、叔父村上天皇に請われて20歳で入内し、同3年(949年)女御の宣旨を受ける。
局を承香殿としたことから承香殿女御、また父重明親王の肩書から式部卿の女御などと称されたが、前斎宮であった故の「斎宮女御」の通称が最もよく知られている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天皇の娘ならば“内親王”と呼ばれるのだけれど、この女性は醍醐天皇の娘ではなく孫娘だった。それで女王と呼ばれているのです。この女性の経歴を見れば分かるように「母の死により17歳で退下」と書いてあります。これが慣(なら)わしだったのですよ。

なぜ、恬子内親王はお母さんが亡くなったのに斎宮を辞める事ができなかったのですか?

だから、藤原良相が辞めさせなかったのですよ。

なぜ。。。?

徽子女王の経歴を見てくださいよ。お母さんが亡くなったので17歳で斎宮を辞めて京に戻ったのですよ。すると、叔父の村上天皇に請われて20才で入内した、と書いてある。つまり、村上天皇の妻の一人になったのですよ。

お母さんが亡くなった時、恬子内親王は18才ですよね?。。。と言う事は、恬子内親王が斎宮を辞めた場合、天皇が内親王を妻の一人として招くかもしれない。藤原良相は、その事を心配して恬子内親王を斎宮のままにしておいたのですか?

その通りですよ。とにかく藤原氏以外の女性に天皇が子を産ませる事を藤原氏は極力避けていたのですよ。恬子内親王は紀氏出身ですからね。

つまり、紀氏は藤原氏のライバルだったのですか?

そうですよ。この当時、紀氏の中から優秀な人が出始めていたのですよ。

紀氏を退けようとする動きが実際にあったのですか?

あったのですよ。「応天門の変」と言う政治事件があったのですよ。

応天門の変


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応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である。

大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣・源信(みなもとのまこと)と不仲であった。
源信を失脚させて空席になった左大臣に右大臣の藤原良相がなり、自らは右大臣になることを望んでいたともされる。

応天門が放火され、大納言・伴善男は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣・藤原良房の進言で無罪となった。
その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。
これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。
藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。

藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。放火の罪を着せられた左大臣・源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。

参議・藤原基経(もとつね)がこれを父の太政大臣・藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護した。
源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。

朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。
伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に流され、連座した紀夏井らが処分された。
また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。

この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この事件は結局、藤原良房に“漁夫の利”をもたらす事になったのですよ。伴氏・紀氏ばかりか、ライバルの藤原良相を退(しりぞ)ける事もできた。また、そうなるように藤原基経(もとつね)が裏で動いていたのが見えてきますよ。結果として藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功したのですよ。

『伊勢物語』の中に登場する藤原高子(たかいこ)の兄がこの藤原基経ですか?

そうですよ。在原業平と藤原高子が駆け落ちするのですよ。その妹を連れ戻しに来るのが兄であるこの藤原基経ですよ。つまり、この基経は政略・陰謀に長(た)けていて裏で動き回るだけでなく、恋路(こいじ)の邪魔をする男としても伊勢物語の中に書かれてしまっているのですよ。

でも、この「応天門の変」と恬子内親王は関係があるのですか?

なさそうに見えるでしょう?。。。ところが、関係があるのですよ。この事件に連座して処分を受けた紀夏井(きのなつい)を調べると次のような事が分かるのですよ。

紀夏井(きのなつい)

生没年未詳。
天安2年(858年)に讃岐守、貞観7年(865年)には肥後守に任じ、いずれの任国においても善政を施し領民に慕われた。
その一方、能書家しても名高く、特に楷書の分野においては聖とまで言われるほどの才能を発揮した。
さらに囲碁の分野でも名人として名を馳せるなど、多様な才能を持つ能吏として、中央においても徐々にその名を浸透させていった。

862年(貞観4)、任期満了の処、讃岐国百姓等の懇望により讃岐守を2年延任。
865年(貞観7)1月27日、肥後守に任官。
866年(貞観8)9月22日、応天門の変の罪人との血縁から連座の適用を受け土佐国へ配流となる。
異母弟の紀豊城(きのとよき)が首謀者の一人として逮捕される。
夏井もこれに連座し、官職を解かれて土佐国に配流となった。
その後の詳細は分かっていないが、配所で没したと言われている。

土佐国へ護送中、肥後国百姓等は肥後国外への移送を拒もうとしたり、讃岐国百姓等は讃岐国内から土佐国の境まで付き随い別れを惜しんだという。

【逸話】

紀夏井が讃岐守の任期を終えて二十余年後に、菅原道真が讃岐守として赴任するが、讃岐国の百姓は紀夏井の善政を忘却していなかったため、道真は紀夏井と比較され国政運営で難渋したという。

中央・地方を問わず人望のあった彼の失脚は、武内宿禰(たけのうちのすくね)以来の名家である紀氏(きし)の政界における没落を決定的なものとした。
この事件の後、同氏は宗教界や歌壇において活躍する氏族となっていく。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どのように読んでも、この紀夏井と言う人物は素晴しい人なんですよね。この人は事件とは全く関係ないのですよ。でも、異母弟の紀豊城(きのとよき)が首謀者の一人として逮捕されたために、血のつながりがあると言うだけで逮捕されてしまった。つまり、有能な人物を退けるための口実ですよ。紀夏井が凡人でアホだったら逮捕される事は無かったでしょう。

そうでしょうか?いくらなんでも、藤原氏がそれ程ひどい事はしないと思いますが。。。

現代人にはそう思えるかもしれないけれど、この当時は、そうすることがむしろ常識だったのですよ。

でも、人には良心があるでしょう?

その当時の良心とは、家系を守ると言うことに尽きたのですよ。なにしろ藤原氏にはバイブルが伝わっていますからね。

なんですの?。。。そのバイブルって。。。?

ここで書くと長くなるので次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(machiavelli.jpg)

■ 『あなたもビックリ、マキアベリもビックリの藤原氏のバイブルとは。。。?』

でも、これほど酷(ひど)いのでしょうか?

それが、この当時の藤原氏の常識ですよ。だからこそ、上のような事件が起きるのですよ。陰謀が渦を巻いている。その渦の中心に藤原基経がいた。。。。で、漁夫の利を得るのが父親の藤原良房ですよ。僕はこのように見ているのですよ。

紀夏井と言う人は、確かに素晴しい人だったようですよね。でも、同じ紀氏出身と言えども恬子内親王は皇族ですよね。内親王の身の回りでは、そのような理不尽な処分を受けた人は居ないのでしょう?

それが居るのですよ。

誰ですか?

恬子内親王の妹に、上の経歴の中にも書いてあるけれど、珍子(よしこ)内親王という女性が居るのですよ。この女性は恬子内親王が29才の時に無品で亡くなっているのですよ。

無品ってどう言う事ですか?

つまり、官位を与えてもらえなかったのですよ。

それって重要なものですか?

重要なものだったのですよ。今だって“あの人は品の無い人だ”という言い方があるでしょう? レンゲさんだって“品の無い女だ!”なんて言われたくないでしょう?

もちろんですわ。

この“品”と言うのは官位の“品”から派生したのですよ。あの聖徳太子が制定したと言う官位ですよ。平安時代になると臣下の場合には正一位とか従五位のように呼ばれたものなのですよ。でも、皇族の場合には一品(いっぽん)、二品(にほん)、三品(さんぽん)、四品(しほん)と呼ばれた。

それで、品が無いままで亡くなるのは異常な事ですの?

かなり異常ですよ。ちょっと、次の事件を読んでみてください。

神護景雲3(769)年5月の巫蠱(ふこ)事件


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この事件では、県犬養姉女(あがたいぬかいのあねめ)らが不破内親王(ふわないしんのう)のもとで氷上志計志麻呂(ひかみのしけしまろ)を皇位に就けようとする巫蠱厭魅(ふこえんみ)を行った。
称徳女帝(かつての阿部内親王)の髪を盗んできて、佐保川の髑髏(ドクロ)に入れて呪詛(じゅそ)するという、おぞましいものだった。

この事件のあと、不破内親王は「厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)」と名前を改めさせられて京外に追放された。
つまり、“台所で働く下女”という名前に変えさせられたと言うわけです。

姉妹喧嘩も、ここまでやると滑稽になってきますよね。
不破内親王に対する永年の冷遇は、このような事件が原因だと言われています。

実際、史実を見てみると、不破内親王が初めて官位を授かるのが、天平宝字7(763)年です。
実に41才の時で、親王位としては最低の四品です。

ちなみに、同腹の姉の井上内親王は天平19(747)年、31才の時に二品を授かっています。
待遇の違いが歴然としています。


『愛と憎しみの原点?(2006年6月9日)』より

不破内親王というのはあの有名な道鏡と肉体関係を持ったのではないか?と疑われている称徳女帝の腹違いの妹です。この妹が姉を逆恨みして起こした事件と言うのが真相のようです。しかし、この不破内親王は“台所で働く下女”と言う汚名まで着せられたのに、41才の時に親王位としては最低の四品をもらっているのです。

でも、恬子内親王の妹の珍子(よしこ)内親王はもらってないのですか?

何も悪い事をしていなかったのに、母親が紀氏出身だったのでもらえなかったのですよ。文字通り“品が無い女”として死んでいったのですよ。

でも、死後に追贈する事ができるでしょう?

担当の者が追贈すると、時の権力者に睨まれてしまうから、珍子(よしこ)内親王に四品を追贈したくてもできなかったのでしょうね。応天門の変では、何の罪も無い紀夏井までが、ただ紀氏の血縁だったと言うだけで官職を解かれて刑罰に服したのですからね。。。

つまり、紀氏に同情する者や組する者は徹底的に排除されたのですね?

そうですよ。紀氏の中には珍子(よしこ)内親王や紀夏井を含めて、恨みを呑んで死んでいった者がたくさん居るのですよ。

つまり、そのような人たちが怨霊になって祟(たた)りを引き起こすと思われたのですね?

怨霊信仰


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非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。

原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀(まつ)られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。

『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。

しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。

その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」


SOURCE: 国史大辞典

その通りですよ。だから、怨みをのんで死んだ者の霊をその子孫が祀って御霊(みたま)を鎮(しず)めてあげなければならないのですよ。

つまり。。。つまり。。。そのようにして紀氏の怨霊の御霊(みたま)を鎮(しず)めた人が『伊勢物語』を編集したとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよ。『伊勢物語』には紀氏との関わりの多い人物が多く登場していますよ。在原業平(ありわらのなりひら)は紀有常(実名で登場)の娘を妻としています。その有常の父・紀名虎の娘(紀静子)が惟喬親王と恬子内親王と珍子(よしこ)内親王を産んでいます。作中での彼らは古記録から考えられる以上に零落した境遇が強調されているのですよ。

なぜですか?

つまり、藤原氏との政争に敗れた事を強調しているのですよ。それにもかかわらず、優美であったという紀氏の有り様を美しく描いているのです。それが『伊勢物語』ですよ。

つまり、編者は紀氏の一員なのですね?

そうです。 紀氏の子孫が怨みをのんで死んだ一族の霊を祀ったのが『伊勢物語』だと僕は考えているのですよ。 ここまで言えば、その編者が誰だかレンゲさんにも分かるでしょう?

もしかして。。。もしかして。。。紀氏の一員で有名な人と言えば。。。あのォ~。。。紀貫之(きのつらゆき)ですか?

さすが、レンゲさんですねぇ~。。。僕もそのつもりで話を進めてきたのです。

。。。で、香港の劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんも この話を読んで感銘を受けたのですか?

そうです。。。 恬子(やすいこ)内親王は時代を間違えて生まれてきてしまったのです。。。 でも、すでに没落貴族になりつつある紀氏の一員だというにもかかわらず、自分の考えに忠実に生きたのですよ。。。

つまり、愛に生きたのですわねぇ~。。。

そうです。。。 それでラウさんも、恬子(やすいこ)内親王について知れば知るほど涙なしには読めないと。。。

マジで。。。?

信じてください。。。 ラウさん本人がそう言っていたのだから。。。


『禁忌の愛を探して』より
(2017年5月11日)

この上の詩を読んで真奈美さんは平安時代の「禁忌の愛」がどのようなものだったのか? そして、「禁忌の愛」が芽生えた時代的な背景が理解できたと言うねん。。。

ホンマかいなァ~。。。? そいで真奈美さんは、どないに思いはったん?

つまり、恬子(やすいこ)内親王は、権力闘争のコマの一つとして自分の人生を無為にされるのに抵抗しやはった、と言うねん。。。 要するに、恬子内親王は自分の人生を自分の手に取り戻したのやがなァ~。。。 “人生は愛することやァ”と、恬子内親王は、そう信じたのやァ~。。。

あんさんが、そう思うたわけやのォ~? 

ちゃうねん。。。 真奈美さんが、そう言うのやから間違いあらへん。。。

つまり、真奈美さんは、あんさんにメールで感想を伝えやはったん?

そういうことやがなァ~。。。

ちょっと信じられへん。。。 

そればかりやあらへん。。。 真奈美さんは、めれちゃんの「禁忌の愛」も見つけたのやでぇ~。。。

ホンマかいなァ~。。。

真奈美さんは めれちゃんの次の短歌を見つけたのやがなァ~。。。

 

くちづけ

 


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罪深き

ことと知りつつ

この夜も

きみのくちづけ

もとめて止まぬ

 


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by めれんげ

2009.01.14 Wednesday 14:21


『即興の詩 冬枯れ』より
(デンマン注: このサイトはめれんげさんが
閉鎖したので現在アクセス不可)

『めれんげさんと六条の御息所』に掲載
(2010年2月12日)

あらっ。。。 2010年の記事まで探して読みはったん? ちょっと信じられへんわァ~。。。

真奈美さんは、めれちゃんの愛の詩と短歌に どうしようもなく惹かれたのやがなァ~。。。

ホンマかいなァ~。。。?

あのなァ~、真奈美さんが、めれちゃんのブログで『不思議な感じで未来がやってきた』を読みはったのは、そもそも次のように検索した結果を見たからなんやでぇ~。。。

 


(gog90627a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

愛のコラボ デンマン めれんげ」 を入れて検索すると、こないに 4,730件もヒットするねんでぇ~。。。

そいで真奈美さんが どないに思いはったん。。。?

そやから、愛のコラボというのは、めれちゃんがきみのくちづけもとめて止まぬ人とコラボするようになったということや、と思いはったわけやァ~。。。

わたしがきみのくちづけもとめて止まぬ 相手が あんさんやと。。。 つまり、デンマンさんやと言いたいわけやのォ~?

そういうこっちゃがなァ~。。。 真奈美さんも、そないに思うたわけやんかァ~。。。

そないなこと、信じられますかいなァ~。。。

あのなァ~、昔の人は “信じる者は救われる!” と言うたのやでぇ~。。。 そやから、めれちゃんも素直にわての言葉を信じて、救われたらええやん。。。


(laugh16.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは、めれんげさんとデンマンさんの「愛のコラボ」が素晴しいことだと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、何か もっとお面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で、あたくしにご命令なさるのでござ~ますかァ?

分かりましたわ。。。

あなたは、結婚にやぶれたかもしれません。

でも、そんなに落ち込むことはないのですわよう。。。

なぜなら、あの有名なアインシュタインは次のように言ったのでござ~ますわァ。

結婚とは、ひとつの偶然から

永続的なものを作りだそうという、

成功するはずのない試みだ。


(einstein2.jpg)

—アルバート・アインシュタイン

分かるでしょう!

結婚は永続しないものでござ~♪~ますわァ。

だから、今晩も、近くの居酒屋によって一人でお酒を飲めば いいのでござ~ますわァ。

 

ええっ。。。? 「そのような、慰めはいいから、気晴らしに、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に、あたくしにご命令なさるのでござ~♪~ますか?

分かりましたわァ。。。 では、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、レンゲさんの親友の めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

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こんにちはジューンです。

バンクーバーでは例年に無い暑さを記録しました。

1960年7月30日に記録した33.3度を破って

今年の7月30日に 33.8度を記録したのです。

でも、日本の暑さと比べれば

たいしたことはありませんよね。

Hottest Day Ever Recorded

in Vancouver

Source: The Canadian Press
Posted: 07/30/09 8:09AM
VANCOUVER, B.C.


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The city of Vancouver has registered its hottest day on record.

Environment Canada says a temperature of 33.8 C was recorded at Vancouver airport on Wednesday, shattering the previous high of 33.3 C that was set in 1960.

“A very strong ridge of high pressure is currently dominating all of B.C.,” said Gary Dickinson, a meteorologist with Environment Canada.

“The ridge of high pressure also brought up from the south very warm air, which was responsible for the record-breaking temperatures.”

ところで、今日は8月7日ですけれど、

最高気温は18度でした。

夏というよりも、もう秋という感じです。

わずか1週間しか経っていないのですが

変われば変わるものです。

あなたの地方では、いかがですか?

まだまだ暑さが続いているのでしょう?


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話は変わりますが、

デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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Call Girl Mystery

 

Call Girl Mystery

 


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Kato. . . Did you go to Paris recently and play with a high-priced call girl?


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Oh no, I am such a poor guy as, if I play with a high-priced call girl, I’ll go broke and become homeless.

Don’t be so pessimistic! Cheer up! . . . In any case, how come you’ve brought up a call girl?

Well . . . I recently borrowed a book from Vancouver Public Library and came across the following part. . .

 

The Dark Side of Paris

 


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“Zoom in”

 

Édouard Manet, sometimes referred to as the father of modern painting, is often spoken of as an impressionist, but he has never participated in an impressionist exhibition.
Rather, he was a painter who refused to exhibit at the Impressionist Exhibition.
At that time, the Impressionists were exposed to intense criticism because their novel painting methods were not recognized from the mainstream artists. . .

The theme chosen by Manet is a water-front leisure activity that was popular on the banks of the Seine at the outskirts of Paris, as the original title “Bathing” represents.
However, in the conservative audience at that time, the direct gaze toward the audience and the realistic nude body was too radical. . .

In this era, a plausible reason and/or excuse of “historical painting” was still necessary to draw the nude.
The above painting, however, appeared too shocking and too realistic as a real naked woman.
Critics and spectators condemned this work as “bad” and “immoral”. . .

They saw the dark side of the second imperial era in France, that is, the world of prostitution. . .

By the way, many high-priced courtesans worked in Paris during the 2nd Imperial period, but a strict moral view of social conducts prevailed.

 


(shofu03.jpg)

 

As a result of the invention of photos, some people imagined pornography on the market.
In times when paintings were supposed to be “noble”, Édouard Manet came to impose the reality on people.

The composition of the above painting is similar to the copperplate print “Judgement of Paris” produced by Marcantonio Raimondi (ca.1480 – ca.1534) based on Raphael’s drawing.
It seems obvious if you look at the three people in the lower right. . .

 


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(paris41.jpg)

 

The contrast between the male and female nudes is similar to that of “Concerto campestre” at the Louvre, which is now known as Titian’s work, but at that time people supposed that Giorgione (1476/78-1510) painted it. . .

 


(denen01.jpg)

 

By the way, the current title “Lunch on Grass (Le Déjeuner sur l’herbe)” was renamed after Monet’s “Lunch on Grass” (1865-66) during the 1867 solo exhibition.

 


(mone03.jpg)

 

(Pages 90-96)


Van Gogh’s Mental State

 

At the end of January 1890, a son was born to his brother Theo and Johanna.

Van Gogh, delighted with the birth of a nephew named the same Vincent Willem, began to work on a “Almond Blossom” as a gift. . .

 


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On July 6th, Van Gogh went to Paris on a day trip and learned about Theo’s economic hardship.
Theo, who had also sent money to his Dutch family after his father died, told Van Gogh that he could not expect a stable income like before because he was thinking about setting up his own business after leaving Goupil & Cie, where he was in charge of management.
Awkward and heavy air drifted through Theo’s family.

At that time, Theo, who was not born strong, was not in good health.
The couple was exhausted with care for the sick baby, and his wife Johanna was so tired that she fell sick.

The remittance to Van Gogh spurred the suffering and fatigue of Theo and cast a dark shadow on the marital relationship.
Faced with the plight of his brother and his wife, Van Gogh came to realize that he couldn’t rely on Theo any more.

Now van Gogh understood that Theo considered his family more important than van Gogh. . .

Aware of being too late to start a new life, van Gogh got troubled and began to get sick mentally. . .

Van Gogh devoted himself to the paintings as if to escape from loneliness and fear. His mental state clearly reflects on the “Wheatfield with Crows” drawn at this time.

 


(karasu2.jpg)

 

(Pages 119-121)

(Note:red characters are emphasized by Kato.
Photo from Denman Library
Translated by Kato)


SOURCE: 『人騒がせな名画たち』
著者: 木村泰司
2018年10月5日 第1刷発行
発行所: 株式会社 マガジンハウス

I see. . . There were many high-priced courtesans in Paris during the 2nd Empire period, huh?. . .

That’s right. . .

. . . So when was the second imperial era?

Please read the following a Wikipedia article about the second imperial era. . .

Second French Empire

 

The Second French Empire was the regime of Napoleon III from 1852 to 1870, between the Second Republic and the Third Republic, in France.

 


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Historians in the 1930s and 1940s often disparaged the Second Empire as a precursor of fascism.
That interpretation is no longer promulgated and by the late 20th century they were celebrating it as leading example of a modernizing regime.

Historians have generally given the Empire negative evaluations on its foreign-policy, and somewhat more positive evaluations of domestic policies, especially after Napoleon III liberalized his rule after 1858.

He promoted French business and exports.
The greatest achievements came in material improvements, in the form of a grand railway network that facilitated commerce and tied the nation together and centered it on Paris.

It had the effect of stimulating economic growth, and bringing prosperity to most regions of the country.
The Second Empire is given high credit for the rebuilding of Paris with broad boulevards, striking public buildings, and very attractive residential districts for upscale Parisians.

In international policy, Napoleon III tried to emulate his uncle, engaging in numerous imperial ventures around the world as well as several wars in Europe.

Using very harsh methods, he built up the French Empire in North Africa and in Southeast Asia.
Napoleon III also sought to modernize the Mexican economy and bring it into the French orbit, but this ended in a fiasco.
He badly mishandled the threat from Prussia, and by the end of his reign, Napoleon III found himself without allies in the face of overwhelming German force.


Source:“French Second Empire”
Free encyclopedia “Wikipedia”
 


Cafés and restaurants

Thanks to the growing number of wealthy Parisians and tourists coming to the city and the new network of railroads that delivered fresh seafood, meat, vegetables and fruit to Les Halles every morning, Paris during the Second Empire had some of the best restaurants in the world.
The greatest concentration of top-class restaurants was on the Boulevard des Italiens, near the theaters.
The most prominent of these at the beginning the Empire was the Café de Paris, opened in 1826, which was located on the ground floor of the Hôtel de Brancas.
It was decorated in the style of a grand apartment, with high ceilings, large mirrors and elegant furniture.
The director of the Paris Opéra had a table reserved for him there, and it was a frequent meeting place for characters in the novels of Balzac.
It was unable to adapt to the style of the Second Empire, however; it closed too early, at ten in the evening, the hour when the new wealthy class of Second Empire Parisians were just going out to dinner after the theatre or a ball.
As a result, it went out of business in 1856.

The most famous newer restaurants on the Boulevard des Italiens were the Maison Dorée, the Café Riche and the Café Anglais, the latter two of which faced each other across the boulevard.
They, and the other cafés modelled after them, had a similar arrangement.
Inside the door, the clients were welcomed by the dame de comptoir, always a beautiful woman who was very elegantly dressed.
Besides welcoming the clients, she was in charge of the distribution of pieces of sugar, two for each demitasse of coffee.
A demitasse of coffee cost between 35 and 40 centimes, to which clients usually added a tip of two sous, or ten centimes.
An extra piece of sugar cost ten centimes.
The floor of the café was lightly covered with sand, so the hurrying waiters would not slip.
The technology of the coffee service was greatly improved in 1855 with the invention of the hydrostatic coffee percolator, first presented at the Paris Universal Exposition of 1855, which allowed a café to produce 50,000 demitasses a day.

The Maison Dorée was decorated in an extravagant Moorish style, with white walls and gilded furnishings, balconies and statues.
It had six dining salons and 26 small private rooms.
The private dining rooms were elegantly furnished with large sofas as well as tables and were a popular place for clandestine romances.
They also featured large mirrors, where women had the tradition of scratching messages with their diamond rings.
It was a popular meeting place between high society and what was known as the demimonde of actresses and courtesans; it was a favorite dining place of Nana in the novel of that name by Émile Zola.

 


(nanazola2.jpg)

 


Source:“Paris during the Second Empire”
Free encyclopedia “Wikipedia”

Tell me, Kato, in the Japanese history, what happened during that period.

It was around the end of the Edo period before the Meiji Restoration. . . Commodore Matthew Perry of the United States Navy came to Japan with a 4-ship fleet in 1853, and played a leading role in the opening of Japan to the West with the Convention of Kanagawa in 1854, which in turn led Japan to the beginning of the Meiji Restoration. . .

I see, but how come you focus on Call Girl in Paris?

Well, in those days, even at the end of the Edo period in Japan and later during the Meiji Restoration, a great number of prostitutes entertained men in regulated brothels as well as private brothels. . . So did courtesans in Paris.

I wonder if van Gogh had something to do with a sex worker or a brothel.

Yes, he did. . . Van Gogh lived with an ex-prostitute during the Hague era.

The Hague (1882-183) era

 


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Mauve took Van Gogh on as a student and introduced him to watercolour, which he worked on for the next month before returning home for Christmas.
He quarrelled with his father, refusing to attend church, and left for The Hague.

In January 1882, Mauve introduced him to painting in oil and lent him money to set up a studio.
Within a month Van Gogh and Mauve fell out, possibly over the viability of drawing from plaster casts.

Van Gogh could afford to hire only people from the street as models, a practice of which Mauve seems to have disapproved.
In June Van Gogh suffered a bout of gonorrhoea and spent three weeks in hospital.

Soon after, he first painted in oils, bought with money borrowed from Theo.
He liked the medium, and spread the paint liberally, scraping from the canvas and working back with the brush.
He wrote that he was surprised at how good the results were.

By March 1882, Mauve appears to have gone cold towards Van Gogh, and stopped replying to his letters.
He had learned of Van Gogh’s new domestic arrangement with an alcoholic prostitute, Clasina Maria “Sien” Hoornik (1850–1904), and her young daughter.
Van Gogh had met Sien towards the end of January 1882, when she had a five-year-old daughter and was pregnant.

 


(vangoh21.jpg)

“Sorrow” depicting Sien

April 1882 The Hague sketch (black chalk)

 

She had previously borne two children who died, but Van Gogh was unaware of this; on 2 July, she gave birth to a baby boy, Willem.
When Van Gogh’s father discovered the details of their relationship, he put pressure on his son to abandon Sien and her two children.

Vincent at first defied him, and considered moving the family out of the city, but in late 1883, he left Sien and the children.

Poverty may have pushed Sien back into prostitution; the home became less happy and Van Gogh may have felt family life was irreconcilable with his artistic development.
Sien gave her daughter to her mother, and baby Willem to her brother.
Willem remembered visiting Rotterdam when he was about 12, when an uncle tried to persuade Sien to marry to legitimise the child.
He believed Van Gogh was his father, but the timing of his birth makes this unlikely.
Sien drowned herself in the River Scheldt in 1904.


Source:“Vincent van Gogh”
Free encyclopedia “Wikipedia”

In late 1883, van Gogh left Sien and went to Paris, didn’t he?

That’s right. . . He stayed in Paris, but after all, Paris was a difficult place for van Gogh to live. So, he moved to Arles, southern France, and started living there. . .

So, in Arles, did Van Gogh get involved with a sex worker?

That’s the mystery I’m talking about. . .

What do you mean?

As the above book tells you, van Gogh became mentally sick. . .

Why is that?

Well. . . , van Gogh received a letter that informed him that his brother Theo was engaged with Johanna, and van Gogh understood that his financial assistance would be cut off. At the same time, Gauguin told him that he couldn’t live together and would leave. Van Gogh was so profoundly depressed with this double problems that he cut his left ear with his razor on the spur of the moment. . .

 


(vangoh22.jpg)

 

It looks like van Gogh cut his right ear. . .

At first I thought so when I saw the above picture. . . But the Wikipedia article says he cut his left ear. . . You know what? Van Gogh painted it while looking at him in the mirror. . . In other words, he simplay painted what he saw in the mirror, that is, the opposite image of the real thing.

I see. . . So what happened to the cut ear?

Out of all things and choices, Van Gogh wrapped the ear in paper and handed it over to a girl in a brothel he had visited several times. . .

So van Gogh gave it to his favorite sex worker, didn’t he?

That is the mystery. . . Actually, there is a documentary that delves into this mystery. . .

Kato, did you see this documentary?

Yes, I did. . .

 


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“Zoom in”

“Actual page”


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Kato’s Comment

Produced and directed by Jack MacInnes in 2016, this 56-minute documentary delves into the mystery of what really happened on the night of Dcember 23, 1888, in the French town of Arles.

Vincent van Gogh cut his ear and delivered it in person to a girl called “Rachel” in the nearby brothel.

Why did he do it?

Amazing and intriguing!

 

I see. . . So van Gogh gave the ear to a girl called “Rachel”, huh? But you seem to intentionally write a girl, instead of prostitute or hooker. . . Why is that?

So this is Call Girl Mystery.

Kato, are you kidding? Is this a pun or something?

Actually, this girl’s real name was Gabrielle and she was nicknamed “Gabi”.

Was “Rachel” the name used at the brothel?

Yes, it was, but she wasn’t working as a sex worker.

Why not?

This girl was 19 at the time and died in 1952 at the age of 80. . . Bernadetta Murphy in the above documentary actually visited her grandson and learned that the girl called “Rachel” at the brothel worked as a cleaning girl. . .

In other words, instead of sleeping with her, van Gogh was rather in a friendly relationship with this girl, huh?. . .

I guess so. . . Obviously, van Gogh liked this girl and might have had a pleasant chat with her at times. . . Van Gogh cut his ear and then walked to this brothel nearby, and handed it to this girl and said, “I want you to cherish it.” . . .

 


(shofu04.jpg)

 

Amazing! . . . She might’ve been shocked to death when she found a bloody ear wrapped in a piece of paper. . . Couldn’t van Gogh think of her feelings when she would find his bloody ear wrapped in a paper?

He did it because he was mentally sick. . . If van Gogh had been in a normal mental state, he wouldn’t have done it!

Why did van Gogh cut his ear in the first place?

Good question! . . . Whenever somebody hears this story, he or she will have the same question! . . . Actually I had the same question when I heard this story for the first time.

Don’t waste my time. . . Please tell me why. . .

Well . . . , Diane, probabaly you know that van Gogh had once thought of becoming a pastor. . . Whenever he found his spare time, van Gogh translated Bible chapters into English, French, and German. Van Gogh also prayed for a long time at the table, did not eat meat, and went to the Jansen Church, Catholic Church, Lutheran Church on Sundays as well as the Dutch Reformed Church. . .

In other words, van Gogh was a devout Christian, huh?

You’re telling me, Diane. . . In the Bible, there is a story about cutting a ear. . .

Oh yeah?. . . Tell me about it. . .

The above documentary explains that Van Gogh naturally knew the Biblical story, in which the apostle Peter had resisted the centurion who tried to arrest Jesus and cut his ear. . .

 


(vangoh20.jpg)

 

Kato, are you saying that, recalling the above story, van Gogh cut his own ear on the spur of the moment?

The above documentary seems to interpret the incident that way. . .

Kato, what do you think about it?

Well . . . , Van Gogh seemed in a big trouble because he would have no or little economic assistance from Theo in the near future. . . At that time, because of the difference in opinions, Gauguin told van Gogh that he would leave Arles. Thus, van Gogh plunged into a fathomless depress.

In other words, van Gogh mentally went beyond the limit, huh?

I think so. . . Van Gogh can’t hate Theo. . . He had no courage to cut Gauguin’s ear with a razor. . . At this point in time, he might have come up with the Biblical tale of ear-cutting and came to realize that he himself was to blame, and he cut off his ear on the spur of the moment!

So, eventually he blamed himself and cut off his ear as the spostle Peter did to the centurion, huh?

I can’t think of anything else!


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【Himiko’s Monologue】


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Are you interested in the life of Vincent van Gogh?

There is a famous movie titled “Lust for Life”.

Kirk Douglas plays brilliantly as Van Gogh in an unforgettable performance.

 


(vangoh24.jpg)

 

How do you like the above trailer?

Are you tired of reading and viewing the crazy artist?

Well… here’s a mood-changing tune just for you.

Gess what?… You can now laught to the last tears.

 


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  Mr. Mathane

 

In any road, I expect Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!

Bye bye …


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(renge400.jpg)

If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


(cook002.jpg)

“JAGEL”

“JAGEL Again”

“Say NO!”

Happy Gal in Canada

Roof of Vancouver

Aftershock

Whiplash

Sex Appeal

Better Off Without Senate

Fire Festival

Sweets@Paris

Scary Quake

MH370 Mystery

Putin’s Way

Trump @ Vancouver

Otter & Trump


(juneswim.jpg)

Changeling

Fiddler on the Roof

Flesh and Bone

Maiden’s Prayer

Romeo & Juliet

Trump @ Joke

Halloween in Shibuya

Trump Shock

Happy New Year!


(biker302.jpg)

Life or Death

Way to Millionaire

Adele Hugo

Middle Sexes

Romance@Madison

Hacksaw Ridge

Eight the Dog

Halloween@Shibuya

Chef Babette


(dianesun.jpg)

Ramen Boom

from Korea

Omakase@Sushi

Crocodile Meat

Killer Floods

Climate of Doubt

Glory of Death

Big Mystery

Hitler and Trump

Hot October

2018 BC Ballot

Bach Collegium Japan

Dolly the Sheep

Golden Shower

Cleopatra

Strange Love

Quartet

Unknown Tragedy

World War B.C.

Mystery of Dimension


(surfin2.gif)


(bare02b.gif)

Hi, I’m June Adams.

Kato is a real movie lover, who tries to watch 1001 movies.

As a matter of fact, he has already accomplished his goal.


(lib81126a.png)

『Actual List』


(june001.gif)

Kato watched “The Arabian Nights” or “One Thousand and One Nights” as his 1001th movie.

You might just as well want to view it.


(1001nite.jpg)


(1001nite10.jpg)

The stories in “the Arabian Nights” were collected over many centuries by various authors, translators, and scholars across West, Central, and South Asia and North Africa.

The tales themselves trace their roots back to ancient and medieval Arabic, Persian, Indian, Egyptian and Mesopotamian folklore and literature.

In particular, many tales were originally folk stories from the Caliphate era, while others, especially the frame story, are most probably drawn from the Pahlavi Persian work Hazār Afsān which in turn relied partly on Indian elements.

What is common throughout all the editions of the Nights is the initial frame story of the ruler Shahryār and his wife Scheherazade and the framing device incorporated throughout the tales themselves.

The stories proceed from this original tale.

Some are framed within other tales, while others begin and end of their own accord.

Some editions contain only a few hundred nights, while others include 1,001 or more.


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ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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恋している人の前で

 

恋している人の前で

 

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デンマンさん。。。 自分の年齢を忘れて、今、恋をしているのですかァ~? うふふふふふふ。。。


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あれっ。。。 小百合さんは気づかなかったのですかァ~?

私が何を気づかねばならなかたのですか?

あれっ。。。 やだなあああァ~。。。 僕は小百合さんに恋をしているのですよ。。。 (微笑)

ネット市民の皆様を前にして馬鹿バカしいことを言わないでくださいなァ~。。。 悪い冗談にもなりませんわァ~。。。

小百合さんが「自分の年齢を忘れて、今、恋をしているのですかァ~?」と尋ねたからですよ。。。 だから、僕は真面目に答えたのですよ。。。

デンマンさん。。。 余計な事を話していると記事が長くなるだけですから、本題に入ってくださいなァ~。。。

分かりました。。。 実は、バンクーバー市立図書館で本を借りて読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


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八坂の塔を見上げながら、二年坂の途中にある「かさぎ屋」を目指す。
学生時代に修学旅行で、憧れの竹久夢二が好物だったというぜんざいを食べたさに、ひとり決められたコースを抜け出しやってきて以来。
あの頃は、制服を着てひとりで飲食店に入ることは大きな冒険で、お店の前を何度も行ったり来たりした。

夢路の水墨画を眺めながら、夢路と彦乃がこの地で過ごした数ヶ月の幸せな時間と、私たち二人の時間を重ねあわせ、私はおしるこ、彼はぜんざいを味わう。
日頃は甘いものが苦手な彼も「どっちのおもちが長くのびるか」なんて、いつもよりはしゃいでいるみたい。

 (11ページ)


歴史を刻んだ建物を眺めるのが好き。(略)

黒澤明監督の映画「わが青春に悔いなし」にも使われた、元・京大教授の駒井卓博士の私邸である旧・駒井邸の特別公開に訪れたことがある。

 


(komai02.jpg)


(komai03.jpg)

 

 (34-35ページ)


 

美味しい思い出

 


(kyoto200.jpg)

 

その町の思い出は

この道を誰と歩いたかということよりも

誰となにを食べたとか

あの人への手紙を

どこの喫茶店で書いたとか

そんな記憶がよく残る

 

京都で食べたものすべて

思い出という、付録つき

 


(wagasi2.jpg)

 

 (105ページ)


中学生の頃、給食が食べられず、面談を受けたことがある。
「どうして食べないの?」という先生の問いかけに、ただ黙り込むばかり。
そのとき、好きな男の子が同じ班にいた。

給食の時間は男女机を向かい合わせにする、そんな習慣になじめなかったのだ。

「恋している人の前で、とてもじゃないけれど、食事なんてできません」

 


(breakup0.gif)

 

そんな私の気持ち、誰がわかってくれただろう。
大学生になるまで、食事はひとりで静かにするのが好きだった。

それが京都暮らしの中で、食べ物の好みや、生活における「食」の価値観が似ている人と出会い、気の合う人同士で食事をする楽しさを知った。

 (108ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


『京都おでかけ帖』
著者: 甲斐みのり
2016年9月20日 第1刷発行
発行所: 祥伝社 

あらっ。。。 デンマンさんは上の本を読んだのですか?

そうです。。。 いけませんか?。。。 読書の秋ですよ。。。

それで、どうして上の文章を引用したのですか?

読書の秋と言えば、小百合さんにとっては食欲の秋ですよねぇ~。。。 うへへへへへへへ。。。

その、うすら笑いは、なんとなくエロいですわァ~。。。で、何が気になったのですかァ~?

あのねぇ~、僕は子供の頃からおしることぜんざいは同じものだと言われて育ったのですよ。。。 もしかして、お汁粉とぜんざいは違うものなのですかァ~?

あらっ。。。 デンマンさんは、いい年して知らなかったのですか?

あれっ。。。 マジで違うのですか?

いやだわァ~。。。 デンマンさんは京都に行ったことがあるのでしょう!?

もちろん、僕は日本で生まれ育った純粋な日本人ですからね。。。 京都へ行ったことがなかったら、日本人だとは言えないでしょう!

それなのに、デンマンさんはおしることぜんざいは同じものだと思っていたのですか?

そうですよ。。。 マジで、本音で、お汁粉とぜんざいは違うものなのですかァ~?

もし同じものだとしたら、2つの言葉が初めから無いでしょう!

それもそうですねぇ~。。。 確かに、タバコとシガレットは違いますからね。。。 日本に居る頃、僕はタバコとシガレットは同じものだと思っていたのですよ。。。 それで、カナダに移住して初めてトロントで暮らし始めた頃に、「タバコ50%オフ」という張り紙が店先に出ていたのです。。。

 

TOBACCO

 

50% OFF

 

当時、タバコを吸っていましたからね。。。 だから、まとめて買おうと思って「マールボロを2カートンください」と言ったら、店の親父が妙な顔をするのですよ。。。

つまり、店の主人がデンマンさんをぼろくそに馬鹿にしたのですか?

いや。。。 別にバカにしたわけじゃないけれど、「オマエ、何か勘違いしてるんじゃないの? タバコは50%オフだけれど、シガレットは正札どおりだよ」と言うのですよ。。。 だいたいマールボロを2カートンも買う庶民は5年から10年に一人か二人ですよ。。。

 



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「タバコとシガレットは違うの?」と僕が真面目に尋ねたら、親父さんも真面目に缶入りの刻みタバコを持ってきて、「これがタバコと言うものだよ」と見せてくれたのですよ。。。 たぶん、僕のことを知恵遅れの大人だと思ったはずですよ。。。(微笑)

私は子供の頃、バ~に訊いたものですわ。。。

。。。ん? バ~?

祖母のことですわ。。。 そしたら、関東ではおしることぜんざいを区別しない人の方が多いけれど、関西では粒餡を用いた温かい汁物をぜんざいと呼び、漉し餡を用いた汁物は「汁粉」と呼び分けるのよ、と教えてくれましたわァ。。。

 


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    おしるこ



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    ぜんざい

 

小百合さんのバ~は、教養があるんだねぇ~。。。 僕は、全く同じものだと思ってましたよ。。。

つまり、おしることぜんざいは違うものだと言うことをネット市民の皆様に知らせるために、わざわざ長い文章を引用したのですか?

もちろん、それだけじゃありませんよ。。。 小百合さんも歴史を刻んだ建物を眺めるのが好きでしょう!? 朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)を眺めて気に入ったので、軽井沢に別荘を買ったほどだから。。。

 


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デンマンさん! 余計なことは言わなくてもよいのですわ。。。

。。。で、小百合さんは、黒澤明監督の映画「わが青春に悔いなし」を観ましたか?

 


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バ~は観たと言ってましたけれど、私は白黒の古い映画は趣味に合わないのですわァ~。。。

でも、歴史を刻んだ建物を眺めるのが好きな小百合さんならば、ぜひ観るべきですよ。。。 元・京大教授の駒井卓博士の私邸である旧・駒井邸が映画に出てくるのだから。。。

映画を観るよりも、京都に行って本物を見た方が早いですわ。。。 で、デンマンさんは この映画を見たのですか?

もちろんですよ。。。 バンクーバー市立図書館でDVDを借りて観ました。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

デンマンのコメント

Written and directed by Akira Kurosawa in 1946 based on the 1933 Takigawa incident (滝川事件) and the Sorge Spy Ring (ゾルゲ事件), this Japanese docudrama depicts the struggle of a young woman during the war-time Japan.

The film stars Setsuko Hara, Susumu Fujita, Takashi Shimura and Denjirō Ōkōchi.

Fujita’s character was inspired by the real-life Hotsumi Ozaki, who assisted the famous Soviet spy Richard Sorge and so became the only Japanese citizen to suffer the death penalty for treason during World War II.


1933年に起こった滝川事件と、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕されたゾルゲ事件に触発されて 1946年に黒澤明監督がシナリオを書き、制作した、戦時中の日本における若い女性の苦悩・奮闘・努力を描いたドキュドラマ。

映画の主な出演者は原節子、藤田進、志村喬、大河内傳次郎。

藤田進むのキャラクターは、有名なソビエトのスパイであるリチャード・ソルゲを支援した実在の尾崎秀実とされている。

尾崎は、第二次世界大戦中に反逆罪で死刑を宣告された唯一の日本人である。

 

あらっ。。。 5月13日に観てコメントを書き込んだのですわねぇ~。。。

そうです。。。

。。。で、この事を言うために、わざわざ長い文章を引用したのですか?

もちろん、それだけではありませんよ! 小百合さんは「思い出を食べる人」でしょう!?

そんな事まで、デンマンさんは覚えていたのですか?

いや。。。 別に覚えようとしたわけじゃないけれど。。。 小百合さんが、いつも口癖のように言っていたじゃありませんか! だから、僕は上の本を読んで、  美味しい思い出  という詩を読んだ時に、小百合さんが「甲斐みのり」というペンネームで書いた本じゃないかと思ったのですよ。。。

まさかァ~。。。?

いや。。。 まさかァ~じゃありまえんよ。。。 マジで僕は、そう信じたほどだから。。。

。。。で、この事を言うためわざわざ長い文章を引用したのですか?

いや。。。 そればかりじゃありませんよ!

次の手記を読んで、小百合さんが「甲斐みのり」というペンネームで書いたのじゃないかと思ったのですよ。。。


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中学生の頃、給食が食べられず、面談を受けたことがある。
「どうして食べないの?」という先生の問いかけに、ただ黙り込むばかり。
そのとき、好きな男の子が同じ班にいた。

給食の時間は男女机を向かい合わせにする、そんな習慣になじめなかったのだ。

「恋している人の前で、とてもじゃないけれど、食事なんてできません」

 


(breakup0.gif)

 

そんな私の気持ち、誰がわかってくれただろう。
大学生になるまで、食事はひとりで静かにするのが好きだった。

それが京都暮らしの中で、食べ物の好みや、生活における「食」の価値観が似ている人と出会い、気の合う人同士で食事をする楽しさを知った。

 

デンマンさんも しつこいですわねぇ~。。。 私が書いたのじゃないと、言っているではありませんかァ~!

でも、やっぱり、確かめないと、もしか。。。?と言うことだってあるでしょう! 最近、地球温暖化と気象異常で時速200キロの暴風をともなう台風15号が東京を直撃したのだから。。。

 


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あらっ。。。 バンクーバーでも台風15号がニュースになったのですかァ~?

そうなのですよ。。。 だいたい時速200キロの暴風雨なんてぇ、想定外でしょう! まさかァ~の出来事ですよ! だから、カナダのテレビ・ラジオ局の東京特派員が、驚いて本社にこのニュースを伝えたのですよ! それでバンクーバーでもニュースになったわけです。。。室戸台風以来だと思いますよ。。。 これも、地球温暖化の影響で起こった気象異常です!

でも、「恋している人の前で、とてもじゃないけれど、食事なんてできません」と地球温暖化とは全く関係ありませんわァ~!


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~~

あなたも、おしることぜんざいは同じものだと思いましたか?

 


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    おしるこ



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    ぜんざい

 

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、

元旦にバンクーバーで第99回寒中水泳があったのでござ~ますわよう。

その模様をお見せしますわねぇ~。。。

 


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ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

個人的なお話ではありますけれど、

次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

 

ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?

ご存知でござ~♪~ましょうか?

なぜ。。。?

実は簡単な事なのですわよう。

 


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小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。

 


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

 

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

 

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


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ィ~ハァ~♪~!

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(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


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カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


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なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


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政府と役人と嘘

 

政府と役人と嘘

 


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ケイトーは政府と役人がすべて嘘をつくとマジで信じているわけぇ~?


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じゃあ、訊くけれど、シルヴィーは、政府と役人が正直にすべての情報を国民に知らせているとマジで信じているわけぇ~?

外交では、政治的な駆け引きがあるから、おそらく機密情報というのはあると思うわァ~。。。 だから、政府がすべての情報を公開しないということはあっても可笑しくないと思うのよねぇ~。。。

なるほどォ~。。。 つまり、外交的な駆け引きのために公開できない情報もある、とシルヴィーは思っているわけだァ~。。。

そういうことよ。。。 

機密情報を公開しないのは理解できるけれど、嘘をつくのはダメだよ! 例えば、アメリカがイラクに対して戦争を仕掛けた時、アメリカ政府が「フセインが大量破壊兵器を保有している」と嘘をついたのは 今では世界中の誰もが知っていることだよねぇ~。。。

それは、たまたま間違った情報をブッシュ大統領が鵜呑みにしただけじゃないのォ~?

つまり、シルヴィーは政府は原則として国民に対して嘘をつかないものだと素直に信じているわけなんだァ~。。。

そう信じてはいけないのかしら?

あのねぇ~、シルヴィーが素直に、そう信じるのもいいけれど、すべての政府が嘘をついているとしたら、どうする?

どうするってぇ、どうしようもないのじゃないのォ~?

あのねぇ~、いつの時代にも政府や お山の大将は、自分の権利欲や軍事産業と結びついて私欲をむさぼるために、嘘をついてまで戦争を始めるものなのですよ。。。

その証拠でもあるわけ。。。?

証拠というよりも、その事実を暴(あば)いたドキュメンタリーがあるのですよ。。。


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『拡大する』

『実際のカタログページ』

My Comment

 

Directed by Fred Peabody in 2016, this 91-minute documentary exposes government and corporate deception just as the ground-breaking independent journalist I.F. Stone did in the 1960s.

Featuring footage from the last six decdes, the film makes you question what you see and read the news broadcast from mainstream media.

Amazing, provocative and alarming!


2016年にフレッド・ピーボディ監督によって制作されたこの91分の記録映画は、1960年代にI.F.ストーンが「すべての政府は嘘をつく」という信念のもと、組織に属さず、地道な調査によってベトナム戦争をめぐる嘘などを次々と暴いていったように

彼の報道姿勢を受け継いで、現代の独立系ジャーナリストたちの闘いを追い、政府や大企業の嘘を暴露するドキュメンタリー作品です。

あなたもビックリするような衝撃的な事実が飛び出して、眠りを覚まされ、現実を直視することになるに間違いありません!

【デンマン意訳】

あらっ。。。 ケイトーは、ずいぶんと思い切った意訳をしているじゃない!?

いけませんか?

原文の英語よりも、かなり手を加えているけれど言いたい事は理解できるわよ。。。。で、日本政府も嘘をついている、とケイトーはマジで信じているわけなのォ~?

もちろんですよ。。。 その証拠ならば捨てるほどありますよ。。。 たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


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番組を出すのはいいとして、何も新ネタがないのはさびしい。
改ざんは朝日(新聞)の特ダネだ。
何か新情報を付け加えねば。

朝日に見事にやられた私は、何とか一矢報いたいとネタを探していた。
そこでキャッチしたのが、前年(2017)の2月、森友事件の発覚から間もない時期に、財務省側が直接、森友学園に「トラック何千台もごみを搬出したことにしてほしい」という電話をかけていたという事実だった。
つまり財務省の方が虚偽の口裏合わせを学園側に求めていたのだった。

学園側は「そんな事実はないからできない」と断っている。
世間の認識とは裏腹に、財務省がうそをつくよう持ちかけ、森友学園側が断っていたのだ。

これは改ざん同様、財務省がいかに行政のルールをねじ曲げていたかを明るみに出す新事実だ。
よし、何としてもこの事実を世に伝えねば。

 (211-212ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


『安倍官邸 vs. HNK』
著者: 相澤冬樹
2018年12月30日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

あらっ。。。 財務省がうそをつくよう持ちかけ、森友学園側が断っていたのねぇ~。。。

そういうことですよ! 改ざん同様、財務省がいかに行政のルールをねじ曲げていたかを明るみに出す新事実なのですよ。。。 この改ざん問題では野党が かなり激しく政府を追及しているのですよ。。。 大臣の答弁を聞いていると、質問を何とか核心から逸(そ)らせよう、逸らせようと、冷や汗をかきながら 強がって見せているのが マジで分かってしまうのですよ。。。

 


(kakei02.jpg)

 

加計学園問題、森友学園問題では、政府や関係者を含めて、嘘の丸出しでしょう!?

確かに、言われてみればニュースを聞いていて、疑わしいと思えることがあるわァ~。。。

。。。でしょう!?

問題は、こういう政府の嘘の裏では 役人が責任を感じて自殺しているということですよ。。。

あらっ。。。 マジで。。。? 誠実で責任感の強い中堅役人が 罪を背負って自殺しているのォ~?

そういうことですよ。。。

森友改ざん職員自殺「労災」

財務省認定、心身とも「過重な公務」

2019年8月8日 朝刊

 


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学校法人「森友学園」への国有地売却を巡り、決裁文書改ざんを強要されたとのメモを残して昨年三月に自殺した近畿財務局の男性職員=当時(54)=について、近畿財務局が公務員の労災に当たる「公務災害」と認定していたことが、政府関係者への取材で分かった。
認定は昨年冬。肉体、精神面での過重な公務との因果関係があったと判断したとみられる。

財務省は調査報告書で、文書改ざんは当時理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官(61)が方向付け、本省が財務局に指示したと明記していた。
今回の認定は本省幹部が遺族を訪ねて報告、謝罪したといい、不正を再び起こさない取り組みが問われる。

財務省理財局は、国有地の大幅な値引きが報道で知れ渡った後の2017年2月下旬~4月、近畿財務局に指示し、決裁文書から安倍昭恵首相夫人に関する記述や政治家秘書らの働き掛けを示す部分を削除した。
この時期に男性職員は担当の管財部に所属していた。

毎月百時間に及ぶ残業実態を親族に漏らしていたとされ、2017年夏ごろから体調を崩し休職。
改ざんが発覚した直後の2018年3月7日、神戸市の自宅で自ら命を絶った。

 


『中日新聞 ウェブニュース』より

上役からのそれとないプレッシャーを感じて、どうしようもなくなって自殺しているのですよ。。。

 


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政府の高官、つまり、局長や長官が嘘をつくと その下の役人がプレッシャーを感じて、責任を追わされる感じで自殺するのですよ。。。 そういう構造が日本政府にはできている!

悪しき慣習が出来上がってしまっているのねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 財務省の自殺した役人を含めて、国家公務員がどれぐらい自殺していると思いますか?

そうねぇ~。。。 1年間に 5人ぐらいじゃないのォ~?

もっと多いのですよ。。。 次の統計を見てください。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

&nbsp

2017年の最新の統計で、国家公務員の災害死と自殺者が 49人。。。 死亡率で17.8%。。。 普通の国民の死亡率が 18.6%だから、災害死を含めた自殺者は、国家公務員も普通の国民もほぼ変わらないのですよ。。。

。。。ということは、悩んでいる人は普通の人にも、国家公務員にも同じような割合で存在しているということねぇ~。。。

そうなのです。。。 国家公務員といえば、一応エリートと思われているけれど、真面目で、誠実な正直者ほど、プレッシャーを感じ、責任を感じて自殺してしまう。。。

つまり、真面目で、誠実な正直者ほど馬鹿を見る世の中なのねぇ~。。。

そういうことです。。。 悪者たちは、そういう人たちを踏み台にして、のさばって生きているのですよ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも 誠実で正直者が馬鹿を見る世の中だと思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私に命令するのですか?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


(mh370a.jpg)

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


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『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


(superm3.jpg)

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』

『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

『10次元の世界』

『ポーランドの犬』

『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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ロッキード事件の真相

 

ロッキード事件の真相

 


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ケイトー。。。、ロッキード事件 というのはずいぶん昔に起こった事件でしょう!?


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そうです。。。 でも、元首相の田中角栄が逮捕された事件なので、記憶している人はたくさんいると思いますよ。。。

確かに、そうよねぇ~。。。 一国の首相経験者が逮捕されるというケースは世界を見渡しても、それほど多くないわよねぇ~。。。

そうですよ。。。 だから、日本で暮らしたことのないシルヴィーでも事件の名前ぐらいは知っているわけですよ。。。

。。。で、この事件には謎の部分があったわけなのォ~?

そうなのです。。。 田中角栄が逮捕されたということで、それなりに事件は収まったように見えたのだけれど、この事件にはもっと深いところで謎があったのですよ。。。

でも、どういうわけでケイトーは この事件を取り上げる気になったわけぇ~?

たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

ロッキード事件の真相は?

 


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『消えた21億円を追え』は、関連資料を丹念に追った結果、ロッキード事件の本筋は田中の関与の焦点となった旅客機トライスターではなく、金額もはるかに大きい対潜哨戒機P3Cの日本導入に関わるものであったことを強く示唆する。
当時国産の対潜哨戒機開発も進められていたが、結果として日本は一機100億円超のP3Cを100機購入することになる。

拒否を費やしてアメリカから兵器を購入するのか、国産化志向か。
防衛装備品をめぐる問題は日米関係の「奥座敷」ともいうべき世界であり、そこにはアメリカの「虎の尾」といった謀略説を超えた深遠が広がっているようにも見える。

いずれにせよ、日本が対米関係において強調、依存、自立といった道筋の狭間で懊悩を抱える限り、ロッキード事件は「戦後最大の疑獄」としてではなく、日本の対米関係を映し出す鏡として語られつづけるのではないだろうか。

 (223ページ)

昨今の「角栄ブーム」の背景には、「戦後=庶民の時代」の結実ともいうべき「一億総中流」へのノスタルジーと思慕が込められているのではないだろうか。

こうして見てきたように、田中角栄は戦後日本の象徴であり、それと同時に、21世紀を歩む現代日本の姿と歪みを「戦後」という観点から照射する存在なのである。

 (224-225ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


『日本史の論点』
編者: 中公新書編集部
2018年9月25日 第3刷発行
発行所: 中央公論新社

日本では、最近「角栄ブーム」が起こっているらしいのですよ。。。 実際、僕が2016年に書いた角栄さんの記事も読まれている。。。

 


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『拡大する』

『田中角栄と軽井沢』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で8月15日の午後11時52分から翌日16日の午前2時58分までの3時間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 8月16日の午前2時に『田中角栄と軽井沢』という記事を読んだネット市民がいたのねぇ~。。。

そうなのです。。。 山形市に住んでいる熱心な読者ですよ。。。 この記事の中にも次のようにロッキード事件の謎に関することが書かれているのです。。。

特捜部は米国と深い関係


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歴史的に特捜部は米国と深い関係をもっています。
まず1947年、東京地検特捜部が占領下で、GHQのために働く捜査機関として発足します。

敗戦直後は、それまで旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材が、さまざまな形で横流しされ、行方不明になっていました。
1945年10月にはGHQ自身が、東京の三井信託の地下倉庫からダイヤモンドをなんと16万カラットも接収しています。


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そうした不当に隠された物資を探し出して、GHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が、東京地検特捜部の前身です。
「GHQの管理下に置くことを目的にする」という点に注意してください。
つまり、GHQのために「お宝」を見つけ出す特別の捜査機関。
それが東京地検特捜部の前身だったのです。

 (中略)

過去の東京地検特捜部長のなかで、もっとも興味をひくのは布施健(ふせたけし)でしょう。
彼は戦前、ゾルゲ事件の担当検事として有名でした。
私はこの事件が1941年9月に発覚し、対米戦争の回避を模索していた近衛内閣が崩壊する一因となった裏には、米国の工作があったと考えています。
ゾルゲと親交のあった尾崎秀実は上海でアグネス・スメドレーと親交を結びますが、このスメドレーは1941年に米国国内で、対日戦争の呼びかけを行っていました。

いずれにせよ、G2のウィロビーはゾルゲ事件の報告書をまとめて陸軍省に送っていますから、ウィロビーと布施には密接な関係があります。
さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆する下山事件(国鉄総裁轢死事件)の主任検事でもあります。

そして田中角栄前首相が逮捕されたロッキード事件のときの検事総長でした。

ゾルゲ事件といい、ロッキード事件といい、いずれも闇の世界での米国の関与がささやかれている事件です。
そのすべてに布施健は関わっています。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


83-85ページ 『戦後史の正体』
著者: 孫崎 享
2012年8月20日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 創元社

『田中角栄と軽井沢』に掲載。
(2016年4月21日)

あらっ。。。 この事件の時の検事総長が布施健と書いてあるわねぇ~。。。

そうです。。。 この人が日本の疑獄史上、最大の事件とされるロッキード事件の捜査を指揮し、政治の圧力に屈せず田中角栄元首相を逮捕、起訴に追い込んだのですよ。。。

この人がロッキード事件の謎に深く関わっているのォ~?

僕は、そう思います。。。 実は、NHKの特別番組でこのロッキード事件を取り扱っているのですよ。。。

 


(nhksp01.jpg)

 

上のクリップは第1部から第3部を含んだ3時間13分の長いスペシャル番組なんだけれど不思議なことに、この番組の中には当時の検事総長が布施健さんは出てこない。。。 中心になって動いているのは検事総長から事件を任された東京地検特捜部の吉永祐介・副部長なのですよ。。。

。。。で、謎の部分というのは?

あのねぇ~、ロッキード社から出た5億円を田中角栄が丸紅を通して受け取ったということが表に出てきたのだけれど、それよりも多額の21億円という金が動いているのですよ。。。

その金がどこに消えたのかが謎というわけなのォ~?

そういうことですよ。。。 この金が対潜哨戒機P3Cの日本導入に関わっている、ということなのですよ。。。

要するに、ロッキード事件の本筋は田中の関与の焦点となった旅客機トライスターではなく、金額もはるかに大きい対潜哨戒機P3Cの日本導入に関わるものであったということねぇ~。。。

そういうことです。。。

でも、この対潜哨戒機P3Cというものが、それほど大きな問題になるのォ~?

あのねぇ~、このP3Cというのは冷戦時代のソ連の原子力潜水艦を特定するための哨戒機なのですよ。。。 当時の防衛庁は、この哨戒機を国産で作ろうとしていた。

 


(p3c.jpg)

 

それをロッキード社が21億円の政治資金を日本の政府高官に握らせて、P3Cを買わせようとしたわけなのねぇ~。。。!?

そうです。。。 結果として、日本政府は一機100億円超のP3Cを100機購入することになったのですよ。。。 でも、この軍事が絡んだ事実は当時の日本国民には発表できなかった。

どうして。。。?

あのねぇ~、当時のニクソン政権下の国防総省では日本の自衛隊をアメリカの戦略構想の一部として考えられていた。。。 だから、これから日本が開発しようとしている対潜哨戒機よりも、当時の最新の技術で開発されたP3Cを日本に買ってもらわなけらばならなかったのですよ。。。

つまり、日本はアメリカ防衛戦略の中でP3Cを備えた不沈空母にされたわけねぇ~。。。

そういうことです。。。 そのために、元ロッキード社の副社長だった当時の駐日アメリカ大使・ジェイムズ・ホジソン(James Hodgson)が、いろいろと動いたわけです。。。

。。。で、布施健さんは、この中でどのような役割を占めていたわけぇ~。。。?

まず、次のような動きがあった。

事件もみ消し

 


(nakaso2.jpg)

 

駐日アメリカ大使の任期中に自らの出身企業が関与するロッキード事件が起こった。

2010年2月12日付の朝日新聞は、1976年2月当時に自由民主党の幹事長であった中曽根康弘からアメリカ政府に対し「この問題をもみ消すことを希望する」という要請があったことを報告したホジソンの国務省宛ての公電が見つかったと報じた。

ロッキード事件発覚の翌1977年にP3-Cは導入され2016年までにアメリカに次ぐ約100機、約1兆円の良いビジネスとなった。


出典: 「ジェイムズ・ホジソン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

吉永祐介

 


(yoshina2.jpg)

 

日通事件、ロッキード事件など数多くの事件を東京地検特捜部で手がけ、俗にいう“現場派”として検事総長を歴任。
2004年(平成16年)4月29日、瑞宝大綬章受章。

ロッキード事件の際、吉永祐介・副部長は新聞記者に対して「黙れ」「とにかく今後P3Cと書くことはならん」と言い、違反したら地検の会見には出させないと脅した。
翌日からP3Cが紙面からきれいさっぱり消えたという。

また、実質的な司法取引による刑事免責を与えられたロッキード社幹部のアーチボルド・コーチャンの証言について、吉永副部長は「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と新聞記者に言ったという。
警察から情報が漏れていると考えていた。


出典: 「吉永祐介」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、こういう動きの中で、布施健さんはどのように動いたわけぇ~?

あのねぇ~、ロッキード事件では、極めて異常なことが起こったのですよ。。。 例えば、アメリカ人関係者の不起訴と秘密工作。

アメリカ人関係者の不起訴と秘密工作

 


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また、コーチャン、クラッター、エリオットのアメリカ人3名が起訴されずに嘱託証人尋問調書が作成された点については、日本の司法制度にない司法取引であり反対尋問もできなかったという批判がある。

しかし、両名に対する嘱託尋問がアメリカで行われるのに際して3名は当初証言を拒否し、アメリカでは外国の公務員に対する賄賂を規制する法律がなくアメリカ国内法では合法だったことや、アメリカ政府が実業界要人を日本へ引き渡すことが非現実的だったため、日本の検察が外国裁判所ノ嘱託ニ因ル共助法に基づいてアメリカ司法機関に嘱託するにあたって、刑事訴訟法第248条に基づく起訴便宜主義という手法を取り、1976年7月21日に布施健検事総長が公訴不提起声名を出した。

同年7月24日に最高裁が裁判官会議でアメリカ側証人の刑事免責の保証を決議することで、事実上の免責を与えたのが直接的な理由である(日米犯罪人引渡し条約の発効は1980年、国際贈賄防止条約の発効は更に遅れて1997年)。


出典: 「ロッキード事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、アメリカ国防戦略に絡んだ大きな事件になる前に、田中角栄で手打ちにするために、布施さんがアメリカコネクションを使ったわけなのねぇ~。。。

僕は、そう見てますよ。。。

要するに、日本は今でもアメリカ防衛戦略の中でP3Cを備えた不沈空母にされてるわけねぇ~。。。

その通りですよ。。。 日本は1952年に独立を果たしたことになっているけれど、相変わらず占領時代のままですよ。。。 アメリカ軍の基地が日本から無くならない限り「独立日本」というのは名ばかりですよ。。。

 


(kichi2.jpg)


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも日本が真の独立を果たすには、アメリカ軍の基地がゼロにならなけらばならない、と思っていますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私に命令するのですか?

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


(dog807.jpg)

 

ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他のもっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


(sylvie500.jpg)



(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


(mh370a.jpg)

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


(jump009.jpg)

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


(cleopara2.jpg)

『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


(superm3.jpg)

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』

『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

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『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

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裸女に魅せられ

 

裸女に魅せられ

 


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デンマンさん。。。 裸女に魅せられて警察のご厄介になったのですかァ~?


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あれっ。。。 ジュンコさんは僕が裸女に猥褻行為をしでかして警察官に現行犯で逮捕されたと思ったのですか?

だってぇ~、タイトルを見ると、そうとしか考えられないではありませんかァ~!

やだなあああァ~。。。 僕は、そのようなハレンチな事は絶対にできませんよう!

ハレンチな事をして現行犯で逮捕される犯罪者は、たいてい そのような言い訳をするのですわ。。。 でも、そういう犯罪者に限って衝動的に裸女に猥褻行為をしでかしてしまうのですわァ~。。。

ジュンコさんは見てきたようなことを言いますねぇ~。。。 僕が逮捕された瞬間を目撃したのですかァ~?

夢で見ましたわァ~。。。 うふふふふふふふ。。。

やだなああああァ~。。。 夢の話をしないでくださいよう! んもおおおおォ~。。。 僕の事を何も知らない人が読めば、僕が裸女に魅せられて警察の厄介になったと素直に信じ込んでしまいますよう!

。。。で、どういうわけで誤解を与えるようなタイトルをつけたのですかァ~?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(goo90729d.png)


『拡大する』

『日本初のヌードショー』(PART 1)

『虹のケーキ』(PART 1)

『虹のケーキ』(PART 2)

『頭のいい馬』

 

これはGOOの僕の「デンマンブログ」のバンクーバー時間で7月29日の午前11時42分現在のリアルタイムのアクセス解析のリストです。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 「ヌードショー」で検索して『日本初のヌードショー』(PART 1)を読んだネット市民が 延べ6名いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

 


(goo71001e.png)


『拡大する』

『日本初のヌードショー』(PART 1)

 

つまり、この記事を読んだ男性は日本で初めて繰り広げられたヌードショーを調べようとしていたわけですねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、アクセス元ページの1番をクリックすると どのような検索結果が出てくるのですか?

次の結果が表示されます。

 


(so90730a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

あらっ。。。 SO-NETの検索エンジンですわねぇ。。。 で、日本で初めてのヌードショーはいつ頃開かれたのですか?

ちょっと次の小文を読んでみて下さい。。。

アメノウズメ


(iwato07.jpg)

 

アメノウズメは、日本神話に登場する神。
「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。

一説に別名「宮比神」(ミヤビノカミ)。
大宮売神(オオミヤノメノカミ)と同一視されることもある

『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記する。
神名の「ウズメ」の解釈には諸説あり、「強女(オズメ)」の意とする『古語拾遺』説や、「髻華(ウズ)」を結った女性(巫女の装束)の意とする『稜威道別』(イツノチワキ)説、折口信夫が『若水の話』で出した、「マナを指すヲチの音便で、魂をヲチふらせる意」説などがある。

 

神話での記述

岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。
思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

『古事記』では次のように記述されている。

「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」
つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。


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その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アメノウズメはアマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われた。

この時のアメノウズメは『日本書紀』では次のように記述されている。

「その胸乳をあらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」

つまり、乳房をあらわにし、裳の紐を臍の下まで押したれて、あざわらいながら向かって言ったとある。
その後、名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。

アメノウズメは天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまのおや)、石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人としてニニギに随伴して天降りした。
アメノウズメはサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君の祖神となった。
一説にはサルタヒコの妻となったとされる。

アメノウズメは大小の魚を集めて天孫(ニニギ)に仕えるかどうか尋ねた。
みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀で裂いてしまった。
それでナマコの口は裂けているのである。


出典: 「アメノウズメ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも。。。、でも。。。、これは神話ではありませんかァ~!

でも、これは古代のストリップショーなのですよ。。。 確かに、神話には違いないのだけれど、このような事がなかったと言い切ることはできない!

デンマンさんは、実際に、このような珍事があったと断言するのですか?

あのねぇ~、昔の人は言いました! 火の無い所に煙は立たない!

つまり、古代でも、ストリップショーを楽しんだ男性がたくさんいたのですか?

神話に出てくるぐらいだから、そうとしか考えられないでしょう!

でも、古代人がストリップショーを楽しんだという証拠は無いのでしょう?

もちろん、当時は写真もビデオもありませんでしたからねぇ~。。。 はっきりとした証拠は残ってません。。。

だったら、証拠が残っている歴史上で初めてのヌードショーはいつだったのですか?

ジュンコさんも興味がありますか?

別に、ヌードショーに関心があるわけではないですけれど、その事を知りたいと思う男性はたくさんいると思いますわァ~。。。

だったら、次の小文を読んでください。。。

日本初のヌードショー


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昭和22年になりますと、1月15日に日本初のヌードショーが行われました。 (略)

新宿の今の伊勢丹の前にあった映画館「帝都座」の5階に小さな劇場がありまして、そこでいわゆるストリップがはじまったのです。

そうは言ってもタイトルは「名画アルバム」。

 

“ヴィーナス誕生”と銘打って、カーテンが上がると女の人が額縁を背景に大きな帽子を持って舞台に立ったまま動かないのです。

下半身は帽子で隠されているけれど、たしかにハダカなんです。

まあそれでも男どもは押し寄せまして、固唾(かたず)をのんで舞台の上にはじめての女性のヌードを見たんですね。

 

この時のヌード第一号が甲斐美春(かい みはる)さんという若い女性だそうですが、彼女は間もなく親父さんに怒られてやめてしまい、その後に出てきたのがヒロセ元美さんという非常に有名なストリッパーです。


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彼女は「立っているだけじゃつまらない」と自ら動き出し、見事な裸踊りを披露して場内は大変沸きました。

これを警察が取り締まることもなく、ストリップは一気に盛んになったんですね。

 

ちなみに、この年の夏くらいから、浅草の大都(だいと)劇場やロック座でも華々しいストリップがはじまりまして、昭和23年に長岡から東京に出てきた私もよく通わせていただきました。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


207-208ページ 『昭和史 戦後篇 1945-1989』
著者: 半藤一利
2009年7月27日 第4刷発行
発行所: 株式会社 平凡社

昭和22年を契機にヌードショー、つまり ストリップが日本全国に広まったらしいですよ。。。

デンマンさんも、ストリップを見に日本全国を駆け回ったのですか?

僕は、まだヨチヨチ歩きだったので、母親の乳房につかまりっきりでしたよ。。。 (モナリザの微笑)

それほど、ストリップがはやったのですか?

あのねぇ~、中学生になってから黒澤監督が作った映画『生きる』を観たのだけれど、市役所の万年課長で退職する主人公を演じる志村喬が、“生きがい”を見出すために参考のためにストリップを見に行くのですよ。。。

 


(ikiru100.jpg)

 

上の写真の中央に写っているのが退職してから“生きがい”を探している主人公ですよ。。。

つまり、ストリップに“生きがい”を見いだしたのですか?

やだなあああァ~。。。 いくら何でも“ストリップ”に“生きがい”を見いだして、主人公が 毎晩、毎晩ストリップを見に行ったら、黒澤監督の映画にならないでしょう!

つまり、ヌードショーもストリップも“生きがい”にはならない事を言うために、この記事を書く気になったのですか?

いや。。。 そうではありません! 実は、なぜ、古代の神話にストリップショーを書かなければならなかったのか?

どうしてですか?

なぜならば宇宙のストリップショーがあったのですよ!

何ですか? その宇宙のストリップショーというのは。。。?

“日食”ですよ。。。 

日食がどういうわけで古代のストリップショーと関係があるのですか?

あのねぇ~、天照大神が岩戸の中に隠れてしまったというのは、ちょうど月が太陽を隠してしまったので、夜のように暗くなったということなのですよ。。。 その時、当時の縄文人はビックリしてしまった。。。 それで、この世はもう終わりだという人たちが、酒を飲んで歌えや踊れやの乱痴気騒ぎをしたわけです。。。 中には酒を飲みすぎて酔っ払った女が、裸になって踊りだす。。。

つまり、それが古代のストリップショーとなって神話になったとデンマンさんは言うのですか?

そうですよ。。。 外で、信じられないほど縄文人が騒いでいる。。。 それで、不思議に思って天照大神が岩戸の中から覗き見したところを、力持ちの男が岩戸を開けた。。。 それで天照大神が太陽のように再び現れて地上が明るくなったいうのです。。。 要するに、“日食”をストリップショーとダブらせて神話の中に取り入れたわけですよ。

でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な解釈でしょう?

いや。。。、僕だけが、そう言っているわけじゃないのですよ。。。

他にどなたが、そう言ってるのですか?

あの映画俳優で、監督のメル・ギブソンが、すごい映画を作ったのですよ。。。 その映画の中に“日食”が出てくる。。。

 


(lib70930a.png)

『実際のカタログページ』

 

あらっ。。。 デンマンさんはバンクーバー市立図書館でDVDを借りて上の映画を観たのですか?

そうです。。。 歴史に興味がある人にとっては見逃せない映画ですよ。。。

。。。で、どのような内容なのですか?

日本語版の『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてあります。

アポカリプト


(apocal01.jpg)

 

『アポカリプト』(原題: Apocalypto)は、2006年のアメリカ映画。

監督はメル・ギブソン。

 

概要

スペイン人侵略直前のユカタン半島を舞台に、生贄にされそうになった捕虜の脱走と生き残りを掛けた逃走を描く。全編通じて、マヤ語を使った映画となっている。

宣伝の際には「マヤ文明の衰退を描く作品」として宣伝されていたが、マヤ文明自体の衰退は描かれておらず、作品は終始逃走活劇である。

米国では、激しい暴力シーンが続くことからR指定作品となった。

 

評価

非英語作品、出演俳優は無名揃い、レイティングがR指定、そして公開前に監督のメル・ギブソンの逮捕とユダヤ人蔑視発言などの騒動も起こったが、それにも関わらず全米で、公開初週の週末(2006年12月8日 – 10日)の興行収入は初登場1位を記録した。

前述した監督の不祥事事件がプラスになったのではとも言われている(事件についてはメディアによって連日報道されていた)。

しかし、スタートの週末に稼ぎ出した興行収入(約1500万ドル)は監督の前作『パッション』と比べると、低調である。

実在したマヤ文明との相違を議論される作品である。

第一に、マヤ人に劇中にあるような虐殺行為があったかどうかであるが、マヤ文明はトルテカ文明と交流を深めた結果、末期になり盛んに生け贄を捧げる行為を行っていたとされる。

これは入植者であるスペイン人の記録(マヤ人による書物の大半はスペイン人により焼却された)によるものである為、自らを正当化する詭弁という意見もあるが、それらを差し引いても、当事のヨーロッパは未開地への侵略を容認していたことから、生け贄を捧げていたこと自体は事実であるようだ。

映画評論家の町山智浩は「この作品のストーリー構成や演出は、コーネル・ワイルド監督が66年に発表した映画『裸のジャングル』(原題: The naked prey)の影響が顕著であり、重要なシーンは完全に盗作と言ってよいほど似通っている」と評論している。


出典: 「アポカリプト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、この映画にもストリップが出てくるのですか?

この当時の人たちは、ほぼ裸に近い生活をしているから、特に“ストリップ”が強調されてるわけじゃないけれど、僕が注目したのは“日食”の部分が出てくるのですよ。。。 要するに、科学的なマインド持っていない人々にとっては、“日食”はかなりショッキングな現象ですよ。。。 だから、古代日本の縄文人にとっても、この衝撃的な現象が神話の『天岩戸』伝説を生むことになった。

それで、上の映画では、どのような伝説を生むのですか?

上の話は西暦1511年当時のユカタン半島を舞台にくりひろげられるのです。。。 生贄にされそうになった捕虜が、ちょうど“日食”が出現して、その超自然現象に“神秘性”を感じて、“王”がその捕虜を殺さずに生かすことにするのです。。。 つまり、そのときのエピソードが伝説化され、現代になって映画化されたというわけです。。。

。。。で、ストリップは。。。?

だから、日本の縄文人にとっては“日食”とストリップが結びついたのだけれど、ユカタン半島は熱い国だから、日常の生活の中で“ストリップ”は珍しいことではなかった。。。 それで、伝説は“日食”と“サバイバル”が結びついたわけです。。。

つまり、縄文人は寒い国に住んでいたので、ショッキングな現象が“ストリップ”と結びついたけれど、熱い国では“日食”は“サバイバル”と結びついたということを言うために、わざわざ“日本初のヌードショー”を取り上げたのですかァ~?

そうです。。。 いけませんか?


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、縄文人は寒い国に住んでいたので、ショッキングな日食現象が“ストリップ”と結びついたと思いますかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですか?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

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どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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