ゼリーフライのふるさと

 

ゼリーフライのふるさと

 

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デンマンさん。。。、 今日はゼリーフライのお話ですか?


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そうです。。。 いけませんか?

別に、かまいませんけれど、どうして急にゼリーフライを取り上げるのですか?

話せば長いのだけれど、まず手始めに次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『亀姫と香芽子さん』(PART 1)

『アホノミクスと現実主義者』

『現実主義者@クリスマス』


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 

この上のリストはGOOの僕の『デンマンブログ』の1月3日の午前5時37分から午前11時37分まで6時間の「リアルタイム アクセス解析」のリストなのですよ。。。  アクセスされたページ  の7番に注目して欲しい。。。 

あらっ。。。 2017年4月30日に投稿された 亀姫と香芽子さん(PART 1) が読まれのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。

 


(goo70430e.gif)


『拡大する』

『亀姫と香芽子さん』(PART 1)

 

。。。で、どなたが読んだのですか?

金田香芽子さんですよ。。。

 


(ip217148b.png)

 

あらっ。。。 『亀姫と香芽子さん』の中に出てきた女性ではありませんか?

そうです。。。 

でも。。。、でも。。。、金田香芽子さんは仮名でしょう?

そうです。。。

ご自分の名前を入れて検索して 記事を探し当てたのですか?

違います。。。 次のようにして検索したのですよ。。。

 


(gog00106b.gif)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

あらっ。。。 亀姫 ゼリーフライ かねつき堂 と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。 

でも。。。、でも。。。、どういうわけで『亀姫と香芽子さん』を読もうとしたわけですか?

香芽子さんは、改めて次の箇所をじっくりと読んだのですよ。。。

行田の「かねつき堂」というのは名前ばかりで 実際には鐘はない。。。 ただ、鐘を吊っていた古い鐘楼だけがあるだけで、それを看板代わりにして 行田名物の“ゼリーフライ”を売っているということが解ったのです。


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香芽子さんは、それだけで満足したのですか?

もちろん、それは“おつり”のようなものですよ。。。 あとで機会があったら、ぜひ行田市の亀姫ゆかりの東照宮を訪ねて ついでに近くの「かねつき堂」に寄って“ゼリーフライ”を食べてみたいと思ったのです。。。 ただ、亀姫に興味を持っていた香芽子さんは次の記事を読んで なるほどと思ったのですよ。。。

行田市の東照宮


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例祭は 4月17日。

祭神は家康公、松平忠明、それから八幡大神が祀られており、大坂夏の陣後の復興に尽力した家康公の長女・亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのがはじまりという。

この川崎東照宮(廃絶)は、2代将軍秀忠により、姉である亀姫に伝えられた家康公の木像を御神体とした。


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又、亀姫は父・家康公の肖像画も頂いており、のちに忠明に伝えられている。

忠明は大和国郡山へと移ると、寛永2年(1625)には大和郡山城内にも社殿を造営して、家康公の肖像を安置したといわれ、以来、藩主・藩士崇敬の社となった。

その後、移封の都度に東照宮は遷座された。

文政6年(1823)、忠明の子孫・松平忠尭(ただたか)は伊勢桑名から忍へと移封するにあたり、忍城内の下荒井の地へ東照宮を勧請した。

社領は、大和郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続くことになるが、その地は埼玉古墳群(さきたまこふんぐん・行田市埼玉)の辺りであったと伝えられている。

又、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの引揚げに際して、時の藩主・松平忠誠は大坂蔵屋敷内の川崎東照宮の御神体であった家康公の木像を、忍東照宮に遷座したと伝えられている。

その後、明治 4年(1871)に藩主が東京に移住したため、忍東照宮は祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士らにより、同 7年(1874)に下荒井の地より、忍城本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内に忍東照宮の本殿を移し、同33年(1900)には藩祖である松平忠明を配祀、現在に至っている。

尚、現在の拝殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、又、亀姫から松平忠明に伝わった、家康公の肖像画(徳川家康画像・県文化)は、現在も忍東照宮にある。


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出典: 『忍東照宮』

(写真はデンマンライブラリーより)

亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのが東照宮のはじまりということが解った。。。 つまり、ここに大阪と亀姫のつながりを見つけたのですよ。

要するに、香芽子さんは亀姫と大阪とのつながりをネットで見つけようとしていたのですか?

もちろん、それは単なる興味以外の何ものでもなかった。。。 ひょっとして亀姫と大阪に何か関係あるのかなァ~?。。。 そう思っただけですよ。

ただ、それだけのことですか?

いや。。。それだけじゃありません。。。 さらに記事を読んでいったら小百合さんと僕との次の対話に出くわしたのです。。。

どうして亀姫が家康の肖像を持っていたのですか?

亀姫は家康の長女でもあり、やはり何かと気遣っていたらしい。 嫁いでから久しぶりに会った亀姫に、家康が「何か望む物があったら、何なりと申せ」と言ったらしい。

それで、亀姫は何と答えたのですか?

健気(けなげ)にも、亀姫は「父上とは しばしばお会いすることができないので、どうか肖像画をくださいませ。 そうすれば、父上といつも一緒に居られるような気がいたします」と言ったらしい。

亀姫のその気持ち、何となく分かりますわ。 私は一人っ子で、父には大変可愛がられたので、結婚してからも、父と撮った写真は大切にしていますから。。。

ほおォ~。。。 そうだったのですか? 僕は亀姫の話を聞いた時に、なんだかゴマをすってぇ、あとでもっと高価なものをねだるのではないか?! 僕は、そう思ったのですけどねぇ~。。。

それで、家康は娘の求めに応じて御用画家に自分の肖像画を描かせたのですか?

そうなのです。。。それが行田の東照宮に伝わる肖像画ですよ。 家康には“狸オヤジ”というような悪賢いイメージがあってぇ、現在に伝えられている家康の肖像画は、まさに“狸オヤジ”を想わせるような肖像画が多いのですよ。


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上の家康の肖像も“狸オヤジ”というイメージです。 でも実物は、亀姫に持たせた肖像画のように、それほど悪いイメージではなかったらしい。 家康が生前に描かせた肖像画というのは、行田市の東照宮に伝わっている肖像画だけだということですよ。

つまり、行田の東照宮に伝わっている肖像画が家康にもっとも似ているということですか?


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そういうことになりそうです。

でも、御用画家が気を遣って、実物よりも良い男に描いたのではありませんか?

うん、うん、うん。。。 そのような可能性も充分にありますよねぇ~。。。


『かねつき堂と亀姫』より
(2014年11月25日)

つまり、亀姫のお父さんの肖像画のうちで 最も似ているモノが行田の東照宮にあるということが判って香芽子さんも それを見てみたいと思ったのですか?

そうですよ。。。 それで上の肖像画を見ながら いつか暇ができたら行田市に行って「かねつき堂」で“ゼリーフライ”をぜひ食べようと心に決めたのです。。。

それは、デンマンさんの推測でしょう?

いや。。。 ここまで読んでくれば、誰でも「かねつき堂」の“ゼリーフライ”が食べたくなるはずです。。。


『亀姫と香芽子さん』(PART 1)より
(2017年4月30日)

つまり、香芽子さんは行田市に行って「かねつき堂」で“ゼリーフライ”をぜひ食べようと心に決めたのですか?

そうです。。。

信じられませんわ。。。

あのねぇ~。。。 昔の人は “信じる者は救われる!” と言ったのですよ。。。 だから、小百合さんも僕の言うことを信じてルンルン気分で幸せになってねぇ~。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~~

また、デンマンさんの口癖が出ましたわァ~。。。

あなたも行田のゼリーフライが食べたくなりましたか?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、

2020年元旦にバンクーバーで第100回寒中水泳があったのでござ~ますわよう。

その模様をお見せしますわねぇ~。。。

 


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ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

個人的なお話ではありますけれど、

次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

 

ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?

ご存知でござ~♪~ましょうか?

なぜ。。。?

実は簡単な事なのですわよう。

 


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小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。

 


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

 

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

 

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

日本のハーブティーは、なんといっても桜湯だそうですけれど、


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カナダ、アメリカ、イギリスではハーブティーとして

ローズティーが好まれています。

普通、ローズヒップティーと呼ばれます。

ローズヒップ(rose hip)とは

バラ科バラ属の植物の果実。

つまり、バラの実です。

ローズヒップ生産のため、バラの特定品種、

特にRosa canina(ドッグ・ローズ)が栽培されています。

ハイビスカスとブレンドしたハーブティとして飲用されることもあります。

また、ローズヒップオイルは食用油として、

ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられるほか、

スキンケアにも用いられます。

こんなエピソードがありました。

第二次世界大戦中、

イギリスはドイツ海軍Uボートの海上封鎖により

オレンジの輸入がストップしたのです。

ビタミンCの補給ができなくなったのです。

それで、英国の学童たちは生垣に生えている

ローズヒップの採集を命じられました。

ローズヒップティーにして飲んで

ビタミンCを補給したのですって。。。


(rosehip.jpg)

なんだか信じられないようなお話ですよね。

ところで、英語の面白い話を集めました。

時間があったら覗いてみてください。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。


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百姓と農民

 

百姓と農民

 


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デンマンさん。。。 百姓と農民 は同じ意味ですかァ~?


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たぶん日本人の多くの人が同じ意味だと思ってますよ。。。 この記事を読み始めたネット市民の皆様も、たぶん百姓と農民 は同じ意味だと思っているはずです。。。

どうしてですか?

僕が小学生の頃は、先生も農民のことを“お百姓さん”と言ってました。。。 だから、小学校を卒業すれば、まず多くの日本人は 百姓と農民 は同じ意味だと思っているはずです。

でも、本当は違うのですか?

あのねぇ~、『ウィキペディア』には、次のような説明があります。。。


(100sho3.jpg)

 

百姓(ひゃくしょう)とは、

1. 農民(農家、農業従事者)の事を指す語。農業や農作業をする動詞として用いられる場合もある。

2. 江戸時代における本百姓のこと。

3. あかぬけない人や情趣を解さない人に対する侮蔑語。

4. 下記「ひゃくせい」の意味。


百姓(ひゃくせい)とは、

一般の人民。庶民。多くの役人または人民の事を指す漢語に由来する。

日本においては当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。

しかし、古代末期以降、多様な生業に従事する特定の身分の呼称となり、具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。
この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。

だが、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農本主義的理念が浸透・普及し、明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。
百姓を農民の意味とした初見は、現在のところ9世紀末に編纂された『三代実録』である。

なお、本来の意味で用いる漢文の読み下し及び日本の古代の用例には漢音と呉音の混交した「ひゃくせい」、日本の中世以降の用例には呉音の「ひゃくしょう」の読みを当てるのが慣例である。
純粋に漢音で発音した場合は「はくせい」となる。

日本固有の大和言葉では、「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」を意味する、「おおみたから」の和訓がふられている。


出典: 「百姓」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。 もともとは中国と同じ天下万民を指す語だったのですわねぇ~。。。

そうらしいのですよ。。。

。。。で、「あかぬけない人や情趣を解さない人に対する侮蔑語」としても使われるのですか?

そうです。。。

実際に、今でも そのような意味で使われることもあるのですか?

ありますよ。。。 あの太田将宏老人が僕に対して次のように罵声を浴びせたことがありました。

誰が言ったのか、「従僕は従僕の眼でしか主人を見れない」、というのがありました。

皆様、さしずめデンマンこと加藤明氏は、その伝でありましょう。

いや、彼は、ド百姓の眼でしか貴族の太田さんを見れないのかもしれませんね。

いやいや、それでもデンマンこと加藤明氏についてでは誉めすぎでしょう。

つくづく此処で思うのですが、そもそもゴロツキというのは人類に属するのかどうなのでしょうか。

もし、もしもですよ、デンマンこと加藤明が人類に属するのではないとすると、奴さんは人非人になりますね。

それでかどうか、デンマンこと加藤明氏に反省の時期をあげようかと打ち合わせたのにも拘わらず、A. I.やI. A.は憤激遣る方無しの心境が納まらない様で何やら書き続けている様子ですが、何れにしろ、A. I.やI. A.が書いていた通り、私もデンマンこと加藤明氏に太田さんに(公開の場で)土下座して謝罪することを要求しているのです(デンマンこと加藤明氏はChristmas cardにて、こそこそと言い訳がましく謝ったことがありましたが、それでは、私も太田さんと同様、受入れ難く存じます。

また、これは序でなのですが、「デンマンこと加藤明」と繰返しているのは、他に同氏同名の加藤明氏がいらっしゃり、その方と区別させて頂いているからです)。

デンマンこと加藤明氏は、internetの中途半端な知識での未熟な推測、彼の程度の技術での推理で、私たちではなく太田さんが書いているのではないかとの疑心暗鬼で無益な詮索をしている様子ですが、それよりも私たちが書いてきたことを吟味し、反省、悔恨するほうがデンマンこと加藤明氏自身の老後、余生にとって多少なりとも意味があるのではないでしょうか。

 

V. T.

2015年11月25日 6:44 AM

【上のコメントに対するデンマンの返信】


(foolw.gif)

オイ! 太田将宏。。。

オマエは相変わらず馬鹿だね!

どんな人物に成りすましても、このような愚かな極めて長い同じ内容のコメントを書くのは
太田将宏しかいないのだよ!
愚か者! (爆笑)

オマエがこれまでに書いた すべてのコメントのIPアドレスは 次のアドレスなんだよ!

99.244.57.104

オマエは愚劣にも恥の上塗りをしているのを理解していない
孤独で愚かな老人に成り下がってしまったのだよ!

実の娘にも、心優しい奥さんにも相手にされない、愚かで哀れなもうろく爺さんになってしまったのだよ!
きゃははははは。。。

今、愚劣なオマエに付き合っている暇がないのだよ! (微笑)
大切な人に会っている最中なのだよ!

僕は孤独で愚かな老人のオマエとは違って
たくさんの大切な友人、知人、親戚の人たちに恵まれているのだよ!
ぎゃはははは。。。

オマエのような愚か者に こうして返信を書いている時間は、本来ならばもったいないのだよ!
でも、オマエのような愚か者と違って紳士の僕ちゃんは、
オマエが愚かにも、同じ内容のたくさんのコメントを書きまくっているので、
このままほおって置くと、愚かなオマエが、ますます愚かな行為を続けると思うので、
仕方なくこうして返信を書いているのだよ!(爆笑)

そのうち大切な人たちと会って、時間のゆとりができたら、
じっくりとオマエに関する記事を書くつもりなのだよ!

だから、同じ内容のコメントを もうこれ以上書くのをやめろよな!

オマエも、できたら、愚かな事を止めて、田舎者じゃなく紳士になれよな!

僕ちゃんのコメントを次の記事の中で引用したので読むように!

 


(love126.jpg)

『きみ待ちわびて』

 (2015年11月16日)

僕ちゃんの記事はたくさんの人に読まれるけれど、
オマエの書いた愚劣なコメントなど真面目に読む人などいないのだよ!

オマエはネットでは、太田将宏という愚かな悲しい哀れで孤独な老人として知れ渡っているのだよ!
きゃははははは。。。

じゃあ、僕がオマエの記事を書くまで、元気にこの世に居て欲しい!
最後に、ぎゃはははははは。。。

 

By Denman

2015年11月30日 9:50 AM


『5月のバレンタイン』のコメント欄より

あらっ。。。 「彼は、ド百姓の眼でしか貴族の太田さんを見れないのかもしれませんね」と書いたのは太田さん自身なのですか?

そうなのですよ。。。

その場合のド百姓というのは侮蔑語なのですか?

そうです。。。 太田老人は「自分は貴族で あかぬけて情趣を解することができるけれど、オマエはダサい 情趣を解することができないドン百姓だ!」と僕を侮辱にしているわけです。。。

それで、デンマンさんもムキになって 反論したわけなのですねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。

そういうわけです。。。

。。。で、現在でも「百姓」という言葉は、「天下万民を指す語」として使われる場合もあるのですかァ?

あります。。。 でもねぇ~、研究者や学者の間でも百姓と農民 は同じ意味だと思っている人がいるのですよ。。。 ちょっと次の小文を読んでみてください。。。


(nomin02.jpg)

 

素直にこのグラフを見ると、いったい秋田藩にはほんとうに、漁民や廻船人、山の民はいなかったのかという疑問がすぐにわいてきます。

そこで、ここにはなにかからくりがあるなと思って、グラフの典拠にされている関山直太郎さんの『近世日本の人口構成』(吉川弘文館)を買い求めて調べてみました。

 


(nomin03.gif)

 

関山さんの作成された表とこの円グラフはパーセンテージは一致していますが、農民76.4%というところが関山さんの表では、「百姓76.4%」となっています。

この円グラフが、百姓は農民であるという理解に基づいてつくられたことは疑いありません。

 

「お百姓さん」といえば農民に決まっているじゃないかという理解は日本人に広くゆきわたっており、このグラフの作成者もその常識に基づいてこれをつくっているのです。

しかし、ほんとうに百姓は農民と同じ意味なのか、本来、「百姓」という言葉には「農」の意味はないのではないかと問い直してみますと、こうした常識が以外に根拠のないことがわかってきます。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


232-234ページ 『日本の歴史をよみなおす』(全)
著者: 網野善彦
2017年1月25日 初版第1版発行
発行所: 株式会社 筑摩書房

上の表の「百姓」の中には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業、林業、海運業などの経営者も包括していた。 ところが『詳説日本史』という高校の日本史の教科書の編者は円グラフに「百姓」と書かずに「農民」と書いてしまった。

つまり、その研究者も 百姓と農民 は同じ意味だと思い込んでいたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

でも、それは、ごく一部の研究者が間違って思い込んでいたからではありませんか?

いや。。。 けっこう多くの学者や研究者が、現在でも百姓と農民 は同じ意味だと思い込んでいるのですよ。。。 次の小文も読んでみてください。。。


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久隅守景 「夕顔棚涼図屏風」

 

いかにも清貧と呼ぶのがふさわしそうな農夫一家に配されているのは、『源氏物語』に通じるあの白い幽艶な夕顔の花ではなく、同じ夕顔でも別種の瓢(ふくべ)の実のなる棚である。

 (中略)

小石なども散らばるらしいその棚の下の地べたには、二畳分か三畳分はありそうな大き目の藁筵(わらむしろ)が敷かれている。
その上に寝そべり、座って、暑かった今日一日の労働の後に涼をとる核家族の一家三人。 (略)

総じてこの夫婦は片田舎のただの百姓というには気品がありすぎる。
父親の尻のあたりにちょこなんと座る5,6歳の男の子さえ、片肌脱いで、もう甘え顔ではない。
何らかの理由で武士の身分を離れてここに隠れ住む一家なのか。

あるいは将軍家お抱え絵師の総帥狩野探幽の一番弟子の一人として活躍していたのが、娘と息子の不行跡のために江戸を去って加賀金沢のあたりをさまよわねばならなかった画人久隅守景自身の境遇と、志高いままのその心情が、おのずからここににじみ出たのでもあろうか。

もともと稲作の盛んであった「瑞穂(みずほ)の国」日本では、平安・鎌倉の昔から農村での労働の情景はよく絵に描かれてきた。(略)

室町期に入って中国から宋代の「耕織図」とか「四季耕作図」と呼ばれる農民男女の農作風俗画が、画題として実作品として伝えられると、とくに農作を基本産業とする徳川日本では、これが画壇での主流の一画題とさえなっていった。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


197-200ページ 『文明としての徳川日本』
著者: 芳賀徹
2017年9月15日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 筑摩書房

この本の著者は、上の絵を農夫一家を描いたものだと解釈している。。。 しかも、「この夫婦は片田舎のただの百姓というには気品がありすぎる」と書いている。。。 ここでも、著者は 百姓と農民 は同じ意味だと思い込んでいるのです。。。

デンマンさんは、上の絵は農夫一家を描いたものではないと考えているのですか?

まず間違いなく農夫一家ではないはずです。。。

どうして、そう思うのですか?

当時の農夫一家だったら、核家族の一家三人のはずがない! 農家だったら人手が一人でも多い方がいいのだから、大家族のはずですよ。。。

じゃあ、この3人は何をして生活していたのですか?

上の本の著者も書いている! 「将軍家お抱え絵師の総帥狩野探幽の一番弟子の一人として活躍していたのが、娘と息子の不行跡のために江戸を去って加賀金沢のあたりをさまよわねばならなかった画人久隅守景自身の境遇と、志高いままのその心情が、おのずからここににじみ出たのでもあろうか」と。。。 つまり、絵師・久隅守景が自分の家族を書いたのですよ!


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも絵師・久隅守景が自分の家族を書いたのだと思いますか?

 


(morikage2.jpg)

 

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


(dog807.jpg)

 

 

 

ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他のもっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


(buttdimp5.jpg)

スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『美尻のビーナス』

『紐パン熟女に惹かれて』

『あの二人が気になって』

『肥後ズイキ@セルビア』

『私は下着女装です』

『ドリアンを探して』

『パリの日本人』

『ペンタゴン式己を疑う』

『薄命な女と映画』

『ラーメン@ベリーズ』

『うるさい夏』

『芭蕉と英語』

『晩香坡物語 生誕150年』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『エレクトラde中国』

『熟女パンツ』

『ラーメン@カイロ』

『スパム@クルーズ』

『えくぼ@ヴィーナス』

『孀婦岩』

『モナリザ描きたい』

『ジューンさんの下着』

『やっぱり熟女下着』

『じゅくじょのぱんてー』

『事実と芸術』


(miro0018.jpg)

『パクられたパンツ』

『タイタニック@スリランカ』

『蜂@泣きっ面』

『外人が知っている美しい日本』

『腰使い 熟女』

『熟女の下着姿』

『腰を使う熟女』

『ブログランキング』

『曇ってきた@英語』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『出会い系より腰を使う熟女』

『ブリスベンの従妹』

『アヒルが行く』

『英語ペラペラ勉強法』

『ブラウザとOS』

『二千二夜物語』

『大晦日のおばさんパンツ』

『下着の人類学』

『万夜一夜@ロンドン』

『ヒトラーとトランプ』


(malata019c.jpg)

『ロマン@マルタ島』

『下着の人類学@大阪』

『ハロー@ロックビル』

『孀婦岩の人気 なぜ』

『マグダラのマリア 娼婦か聖女か?』

『マグダレンの祈り』

『女子大生の多い混浴』

『アンネフランクの言葉』

『ビクトリア朝の慎み』

『銭湯と円タク』

『女装ブログ』

『注目記事』


(sylvie122.jpg)

『風邪が治るまで』

『ひょうたんde徒然』

『アヒルが並んだ』

『なぜ骨なの?』

『にべもない』

『やぶさかでない』

『おかしなパンツ』

『みもふたもない』

『自動翻訳はダメ』

『慫慂』

『ヤンキー』

『及び腰と二の足』

『ジューンさんの従妹』


(fan004.jpg)

『ナマズにされた』

『美術解剖学』

『太ったチャンス』

『ジューンさんの下着を探して』

『おおどかさ』

『高級娼婦@パリ』

『つい見たくなった』

『混浴 女子大生』

『FBI捜査官のツブヤキ』

『熟女下着 投稿ブログ』

『おばさんパンツ@ネット』

『がめつい奴』

『二股ラジウム@VIDEO』

『手塩にかけて』

『ジューンさんのパンツ』

『女子大生の秘湯』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)

 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


(juneswim.jpg)


『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(byebye.gif)

元寇船

 

元寇船

 


(genkou02.jpg)

 


(himiko22.gif)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで元寇船を取り上げたのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

いけませんかァ~?

別にかまいませんけれど、多くのネット市民の皆様は「元寇」のことなど、たいして関心を持たないと思いますわァ~。。。

卑弥子さんも関心がないのですか?

あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義していますから、多少は関心がありますけれど、でも あたくしの関心はほぼ平安時代でござ~ますわァ~。。。 「元寇」は、鎌倉時代の出来事ではありませんかァ~。。。

元寇


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元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

蒙古襲来とも。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった。

主に九州北部が戦場となった。


出典: 「元寇」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、卑弥子さんは鎌倉時代の出来事には興味がないのですかァ~?

興味が全くないとは申し上げませんけれど、やはり平安時代の方がよいのでござ~ますわァ。。。 そんなことよりも、どうして元寇船を取り上げたのか?。。。説明してくださいなァ。。。

実は、鎌倉時代の「元寇」に興味を持っているネット市民がいるのですよ。。。 次のリストを見てください。。。

 


(goo91212d.gif)


『拡大する』

『女子大生の秘湯』(PART 1)

『女子大生の多い混浴』(PART 1)

『ジューンさんのパンツ』(PART 1)

『ジューンさんのパンツ』(PART 2)

『じゅくじょのぱんてー』(PART 1)

『不倫と検索』(PART 2 OF 3)

『元寇と捕虜』(PART 1)

 

これはGOOの僕の「デンマンブログ」の12月12日のアクセス解析のリストです。。。 アクセス元ページ の3番に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 「元寇船」で画像検索したネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 実は、京都市に住んでいる笠原紀美代 (かさはら きみよ)さんが読んだのです。。。

また、いつものようにIPアドレスを調べて紀美代さんが読んだことを突き止めたのですかァ~?

そうです。。。

 


(ip170127b.gif)

 

。。。で、紀美代さんは京都市で何をなさっているのですか?

花園大学の文学部で勉強している女子大生ですよ。。。 紀美代さんは平安時代ばかりじゃなく、鎌倉時代にも江戸時代にも関心を持ているのですよ。。。

 


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(kgal22a.jpg)

 

。。。で、アクセス元ページ の3番の URL をクリックすると どのようなページが表示されるのでござ~ますか?

次のページが出てきます。。。

 


(bin91212a.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

このページの左上の 元寇と捕虜(PART 1)- デンマンのブログ をクリックすると記事が表示されるのですか?

そうです。。。 次の記事が表示されます。。。

 


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『元寇と捕虜』(PART 1)

 

。。。で、紀美代さんは記事を読んで「元寇船」について新たな発見をしたのですか?

別に新しい発見をしたわけではないのですよ。。。 長崎で「元寇船」が見つかったということを聞いて検索したのだそうです。。。 でも、記事を読んで「倭寇」の事が書いてあったので興味深く読んだそうです。。。

倭寇


(wakou02.jpg)

 

明朝と南北朝と前期倭寇

 

中国では1368年に朱元璋が明王朝を建国し、日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣する。

使者が派遣された九州では南朝の後醍醐天皇の皇子で征西将軍宮懐良親王が活動しており、使者を迎えた懐良は九州制圧のための権威として明王朝から冊封を受け、「日本国王」と称した。

その後幕府から派遣された今川貞世により九州の南朝勢力が駆逐され、南朝勢力は衰微し室町幕府将軍の足利義満が1392年に南北朝合一を行うと、明との貿易を望んだ義満は、明に要請されて倭寇を鎮圧した。

倭寇鎮圧によって義満は明朝より新たに「日本国王」として冊封され、1404年(応永11年)から勘合貿易が行われようになる。

朱元璋は、福建に16個の城を築城して1万5千の兵と軍船100隻をおき、浙江には59の城を築城して5万8千の兵をおき、広東に軍船200隻をおいて防備を固めた。

 


(wakou03.jpg)


(wakou04.jpg)


出典: 「倭寇」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、日本人の海賊が朝鮮や中国の沿岸部を荒らしまわったのですわねぇ~。。。?

でもねぇ~、上のクリップを見れば分かるように 倭寇海賊10人のうち日本人は3人程度で、あとの7人は中国人を含めた外国人だったと言うのですよ。

。。。で、1368年に朱元璋が明王朝を建国し、日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣したのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 使者が派遣された九州では南朝の後醍醐天皇の皇子で征西将軍宮懐良親王が活動しており、使者を迎えた懐良は九州制圧のための権威として明王朝から冊封を受け、「日本国王」と称したのですよ。。。

その返礼として、捕虜70余名を返すことにしたわけでござ~ますか?

そういうことです。。。

。。。で、その捕虜というのは懐良親王が手下に命じて捕まえた中国人の海賊たちですか?

そういう者たちもいたでしょうねぇ~。。。 それと、たぶん中国沿岸で拉致されて人質とされたり、奴隷として売られる羽目になった中国人もいたことでしょう。。。

。。。で、中国では、それほど倭寇に悩まされていたのでござ~ますか?

そうなのですよ。。。 日本人にとって“倭寇”と言うのは、“元寇”と比べたら あまりなじみのない言葉だけれど、中国では被害にあった人たちがたくさん居たから“倭寇”は有名なのです。。。 だから、今でも映画になっているくらいです。。。

倭寇的踪迹

 

(倭寇だと見て追跡する)

    (2011年中国作品)

 

1604年、明代中国のとある街。
ここを治めているのは、高度な武術の伝統を、それぞれの武器と型で守る名門四家。
ここで新たな流派を開こうとする者は、四大道場に闘いを挑み全てに勝利しなければならない。

ある日、この街に異様な長刀を携えた剣士2人が現れ、あっという間に道場の剣士たちを倒してしまう。
2人はこの新たな長刀を使った究極の剣術道場を開くつもりだった。
しかし彼らを受け入れたくない道場主たちは、その長刀を日本刀だと言い張り、二人を倭寇だと決めつけ、弓矢の大部隊に追わせる…。

 


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一人は負傷し捕えられるも、もう一方の剣士は、外国女の踊り子が働く商売船に逃げ込む。
船を包囲する四大道場の精鋭たち。
踊り子の運動能力を見極めた彼は、武芸の達人でも扉の後ろから一振りで倒すことの出来る究極の棒術を彼女に伝授する。

剣士を仕留めようと船に近づく武芸家たちを踊り子が棒術で翻弄する間に、彼は捕えられた仲間を救い出すべく船を脱出し街に侵入する。
一方、長年世を捨て山に籠っていた四大道場の長老チウが、彼らの出現を知り、ついに街に下りてくるのだった……。

明の時代でも後期の話ですよ。。。 日本では江戸時代になりかけている頃です。。。

その頃でも倭寇が居たのですか?

“倭寇”という名前は当時の中国人ならば、誰でも知っていたけれど、かつてのような大掛かりで華々しい海賊行為は、もうなくなっていた。。。 ただ、それまでの名残が上の映画の中にも出ているのですよ。。。

例えば。。。?

倭寇鎮圧によって室町幕府3代将軍の足利義満は明朝より新たに「日本国王」として冊封され、1404年(応永11年)から勘合貿易が行うのだけれど、この時の輸出品の日本刀が中国では人気があった。。。

日本刀がでござ~ますかァ?

そうなのですよう。。。 現在で言えば、日本人がベンツに乗るようなステイタス・シンボルになっていた。

それで、上の映画では日本刀だと言い張り、二人を倭寇だと決めつけたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。 

あなたも、元寇や倭寇に興味がござ~ますかァ?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)

 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)

 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


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『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


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『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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28歳で夭折

 

28歳で夭折

 

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デンマンさん。。。 どういうわけで急に28歳で夭折というタイトルにしたのですか? デンマンさんは、とっくに28歳を過ぎているけれど、未だにしぶとく生きているではありませんかア!


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それを言うなら、オマエこそ80歳を過ぎて醜態(しゅうたい)を晒しながら 今でもヨイヨイしながら蠢(うごめ)いているじゃないかァ!

デンマンさん! んもおおおおおォ~! 言っていい事と悪い事がありますよゥ! よりによってオイラが「醜態(しゅうたい)を晒しながら 今でもヨイヨイしながら蠢(うごめ)いている」とは、かなり言いにくい事をズバリと言ってるではありませんかァ! 知らない人が聞いたら、オイラが棺桶に片足を突っ込んでいると想像してしまいますよゥ!

僕は事実をありのままに表明しているだけだよ!

他人がムカつくようなことを言わないでください。。。

オマエが初めにムカつくようなことを言ったのだよ。。。

分かりました。。。 デンマンさんの記事は長くなるので、余計な事は言わなくていいですから、すぐに本題に入ってください。。。

じゃあ、まず次の小文を読んで欲しいのだよ。。。

天才を生んだ大富豪

 


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貴志康一を、ごぞんじだろうか。
戦前の日本を代表する、大阪生まれの音楽家である。

ドイツでは、あのフルトヴェングラーから、指揮法をさずかった。
1934年には、彼地でベルリン・フィルのタクトをとり、自分の管弦楽曲を発表している。(略)

だが、1937年には、28歳という若さで病死する。

これからという時に、亡くなった。
いわゆる夭折の天才である。 (略)

もともとは、ヴァイオリンをまなぶことから、音楽の世界にはいっていた。
高校を2年で中退し、ジュネーブ音楽院に留学する。

1929年には、ストラディバリウスのヴァイオリンを買っていた。
家一軒が千円でたったとされる時代に、6万円で購入したと言われている。

戦前の日本にあって、ヨーロッパへ音楽留学する。
のみならず、とんでもない楽器をあたえられてもいた。(略)

貴志家は大阪の富豪にほかならない。
祖父の代にメリヤス業で成功し、大きな財をなしていた。 (略)

だが、康一の才能を世界へはばたかせたのは、ミヒャエル・ウェクスラーであったろう。
ウェクスラーは、革命のロシアをぬけだし、日本へやってきたヴァイオリニストである。(略)

神戸の北野に居をかまえたウェクスラーは、しばしば芦屋あたりを散策した。
ある日、浜芦屋の洋館からもれてきたヴァイオリンの音色を、耳にする。

そこに無限の可能性を感じた亡命のヴァイオリニストは、その洋館へとびこんだ。
そして、自ら名のり、音楽の指南役を買ってでたのだと言われている。

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


110-112ページ 『大阪的』
「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた
著者: 井上章一
2019年1月20日 第4刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎

これを読んでデンマンさんは、貴志康一という 大阪生まれの音楽家を初めて知ったのですか?

そうだよ。。。 僕は、この人の名前をこれまでに一度も聞いたことも見たこともなかったのだよ。。。 オマエは知ってたァ~。。。?

もちろん知ってましたよ。。。

もしかして、オマエは貴志康一と大阪の小学校で同級生だったのォ~?

バカな事を言わないでくださいよう! 貴志康一が小学生時代には、オイラはまだ生まれてませんよ!

じゃあ、オマエは どうして貴志康一を知ってるわけぇ~?

オイラは、これでも早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業したのです。。。

だから、どうだと言うのォ~?

だから、貴志康一が大阪生まれの音楽家だということを知っているのです!

あのさァ~、オマエこそ、バカな事を言わないで欲しいのだよ! 早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業したからと言って、数学と音楽とでは分野が全く違うことぐらい小学生でも知っているのだよ!

じゃあ、あの偏差値が30台のクソ大学を 追い出されるようにして卒業した「現実主義者」と名乗るアホが 貴志康一を知っていると思いますか?

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 

どうしてオマエはこの愚か者を持ち出すのだよ! この男は“馬鹿の見本”だよ! クソ大学を 追い出されるようにして卒業したかもしれないけれど、貴志康一を知っているはずがないだろう!

。。。でしょう!? この男は偏差値が30台のクソ大学を 追い出されるようにして卒業したので教養がないのです。。。 だから、貴志康一を知らないのです。。。

つまり、オマエは早稲田大学理工学部の数学科を優秀な成績で卒業したので、教養があふれている。。。 それで、貴志康一を知っている、と言いたいわけぇ~?

その通りです!

でも。。。、でも。。。、僕は知らなかったのだよ!

だから、デンマンさんの教養も「現実主義者」と名乗る あのアホと同程度なのですよ!

あのさァ~、僕もオマエと同じように音楽は専門じゃないけれど、音楽に関することは けっこう知っているつもりなんだよ! 次の記事をもう一度読んで欲しいよ!

 


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『エチュードの思い出』

 

確かにデンマンさんは少しは音楽のことを知っていますよ! でも、おいらと比べれば、その知識はごくわずかです。。。 あの「現実主義者」と自称する男と、ほとんど変わりがありませんよ!

あのさァ~、誰と比べてもいいけれど、あの“馬鹿の見本”の教養と比べて欲しくはないのだよ! じゃあ、ここで第3者の客観的な貴志康一の略歴を読んで欲しいのだよ!

貴志康一

 


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1909年3月31日 – 1937年11月17日

大阪府吹田市出身の作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト。

母の実家の仙洞御料屋敷西尾邸に生まれる。
父方の祖父は代々式部卿を務め、後にメリヤス業で成功した裕福な大商家である貴志彌右衛門(松花堂弁当の考案者)という環境で育つ。

小学校5年生の時に、芦屋市に転居、14歳より、神戸市の深江文化村でミハイル・ヴェクスラーに直接ヴァイオリンを師事。
音楽理論と作曲法を当時、宝塚交響楽団の指揮を務めていたヨーゼフ・ラスカより学ぶ。

16歳の時に、大阪で、ヴァイオリニストとしてデビュー。
旧制甲南高等学校を2年生の時に中退後、ジュネーヴ音楽院に入学し、優秀な成績で修了。
19歳より、ベルリン高等音楽学校でカール・フレッシュの教室に在籍。

1929年、1710年製のストラディヴァリウスを購入。
三度のヨーロッパ留学の中でも、特に1932~35年のベルリン滞在時に作曲家・指揮者として活躍し、1935年3月、ドイツテレフンケン社に自作作品19曲を貴志自身の指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と録音した。

またフルトヴェングラーとも親交があったことで知られる。
ヴァイオリニストから作曲・指揮者に転向したと言われるが、作曲・指揮活動で多忙になってからもヴァイオリニストとしての活動も諦めてはいなかった。

1935年に帰国した後は指揮者などとして活躍するが、1936年に虫垂炎をこじらせ、1937年11月、腹膜炎の為、28歳で死去した。
墓は京都市右京区にある妙心寺徳雲院にある。

1936年には3回日本でベートーヴェンの第九を指揮している。
その内の1回は新交響楽団(現NHK交響楽団)2月19日146回定期演奏会におけるものである(日本初の暗譜指揮による「第九」演奏であった)。
他に3月18日 5月28日である。

湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞の後の晩餐会の時に、貴志康一の楽曲「竹取物語」が流れたと伝えられている。

 

再評価

母校の甲南高等学校には「貴志康一資料室」があり彼の作品に触れることができる。
同校の元教員・日下徳一による『貴志康一 – よみがえる夭折の天才』(音楽之友社、2001年)、毛利眞人による評伝『貴志康一 – 永遠の青年音楽家』(国書刊行会、2006年)が出版され、また小松一彦らが貴志の曲を復活させ話題を呼んでいる。

生誕100周年に当たる2009年3月31日、「貴志康一生誕100年記念コンサート」が小松一彦指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏でザ・シンフォニーホールにて行われた。
ソプラノ坂本環、ソロ・ヴァイオリニストに小栗まち絵を迎え、歌曲「天の原」「かごかき」「赤いかんざし」「力車」、ヴァイオリン協奏曲、交響曲「仏陀」が演奏された。

また、甲南大学および甲南高等学校・中学校では、様々な場面で彼のヴァイオリン曲「竹取物語」が使用されている。
中高では、講堂での入学式・卒業式・入試説明会などの式典開始前には同曲の音源が流れるほか、授業の開始・終了時および最終下校時刻にはアレンジ音源が流れる。

甲南大学の1限授業開始前にも「竹取物語」が流れ、こちらは中高の講堂と同じ原曲音源である。

 

代表曲

■管弦楽曲・協奏曲

交響曲「仏陀」(4楽章)
大管弦楽のための「日本スケッチ」(市場、夜の曲、面、祭り)
大管弦楽のための「日本組曲」(春雨、祈り、道頓堀、淀の唄、花見、戦死)
ヴァイオリン協奏曲

■舞台音楽

バレエ曲「天の岩戸」(全2幕)
オペレッタ「ナミコ」(シュレーダー・シュロムの脚本による。全3幕)

■室内楽曲

ヴァイオリンソナタ ニ短調
ヴァイオリン曲 「竹取物語」「黒船」「スペイン女」など10曲以上。

■声楽

歌曲 「かごかき」「赤いかんざし」など14曲以上。
自作の詞による作品が多い。


出典: 「貴志康一」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上のウィキペディアの説明を読めば分るように 21世紀になるまで貴志康一の事は世間から忘れ去られていたのだよ。。。

でも。。。、でも。。。、オイラは知っていました。。。

オマエはクラシック・オタクだからだよ。。。 でも、オマエの作品集にも作曲家としての貴志康一は出てこないのだよ!

それは、上の説明にもあるように あまり有名ではなかったからです。。。 で、デンマンさんは どういうわけで貴志康一を取り上げる気になったのですか?

実は、オマエが次のように書いていたからだよ。。。

1.1 クラウディオ・モンテヴェルディ

    (1567 – 1643)


(monte03.jpg)

 

 

これはどうしたことか。

どの時代の、どの作曲家の音楽を聴いても、私は、近頃 好意と嫌悪を同時に持つような反応をしている自分を感じるのだ。

クラウディオ・モンテヴェルディの<<アリアンナの嘆き>>を聴き始めたとき、そのLasciatemi morire(Let me die;死なせて)、のところで、何か間の抜けた、あるいは、虚ろな響きを聴いて、私は疲れているのか、と途惑った。


(monte04.jpg)

実は、morire(死ぬ)、と唱われる処に平行五度があったのである。
モンテヴェルディのことであるので、これは、彼が意識してのことである、と私は信じる。

つまり、これは、見捨てられたアリアンナの内面の空虚としての意味がある、いや、生半可な感情主義以上に効果があるとすら思えるのではあるが、私には、何か、かなわないなあ、といった印象を拭いきれない。
バッハも言ったように、やはり、平行五度や平行八度は聴き苦しいのであろう。
私は、無論、ここで、モンテヴェルディに苦情をいっているのではない。

この嘆きは、オペラのアリアとしては、超一級である、と私も思う。
こうした効果は、所謂絶対音楽では出番が無いであろう。

次なる問題は、私がオデュッセウスに捨てられたアリアンナに何処まで切実に同情しなければならないかにあろう。
それは、私には荷がかちすぎる。
東洋人の男性である私の心が動くなどというのは、もともと無理だったのではなかったか。

かといって、好奇心を満たすだけにしても、感覚的には耳障りという障害がある。
平衡五度に感動するわけにはいかないのでる。

しかし、彼女への同情が無ければ感動も無いであろう。
さらに言えば、これは、現代のヨーロッパ人にとっても、いや、バロック初期のイタリア人ですら、程度の差こそあれ同様なのではないか。
作品が立派である、という認識と、それが私(たち)に感動をもたらす可能性は、不幸にして乖離している。

このことは、一つの作品の水準は、好きとか嫌いとか、あるいは、その作品の有用性(草子地:つまり、感動を求めてそれを聴こうとする人にとっては、感動そのもの)とは別の平面にある、ということの例証にもなるであろう。

音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、そもそも、いったい何であったのであろうか。

小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、可能性について問われたとき(草子地:そういうことを聞く田舎者は世界のどこにでもいるものである。)、音楽は、世界の共通の言語であるからと、(草子地:当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。

壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
それにしても、ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。

かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、一般的に言って、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。

とはいえ、短二度の導音などの無い音楽に、何か、或る懐かしさを感じるのは何故であろう。
平行五度の空虚を東洋人でも感知されるのと同様に、その懐かしさを感じとるのには西洋人であっても変りはないであろう。
音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない、といったとしたら、結論としては平凡すぎるのか。

それにしても、不思議なことではある。
私自身、長二度や増二度の導音のある音階による音楽など、何時、何処で、聴いたことがあったか、まったく記憶に無いからである。

少なくとも、今までに、長、短調の音楽を聴いた回数や時の長さは、旋法や五音音階のそれに較べては比較にならないほど多く、長かったはずである。
何故か、調性音楽には、そのような懐かしさは感じさせない風がある。

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの≪ボレロ≫を聴き較べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

 


(ravel001.jpg)

    小澤征爾・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫


    カラヤン・指揮

モーリス・ラヴェル ≪ボレロ≫

 

一方、まだピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンを奏いていたころの東京クオルテットがトロントに来たときのラヴェルの演奏は、未だかつて聴かれたことのない程の名演であった。
ただ、その時の解説者による、何故かピーター・ウンジャンだけに対するインタヴュでの質問で、最後に聞くが、ただひとりで日本人に交じって演奏するのをどのように感じているか、というのがあった。
想像力の欠如した、この程度の思考様式の人間もここでは多いのである。

ピーター・ウンジャンが如何に答えるかを期待していたのであろうか。
答えようが無いではないか。彼らの演奏以外には。
それ以外の、どうでもいいことを聴きたがるのは、下賎な野次馬根性であろう。

そういえば、バッハは、作品855のフーガに於いて、二箇所にわたって壮大に平行八度を用いている(草子地:第19-20小節と第38小節)。


(gould765.jpg)

これほどあからさまにやられると、良いも悪いもない。
ただ、ぎくりとして、あいた口が塞がらない、といった効果がある。
このフーガは、この曲集の中で、唯一の二声のフーガである故に、よけいにめだつ。

 

追記(コーダ):

 

私は、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。だいたい、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女の肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。

そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いに性的感情を持ったとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。

 


(mariabach.jpg)

マリア & ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 

バッハは、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。


赤字はデンマンが強調)

6-7ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!

『バッハと後妻』より
(2019年6月26日)

確かにオイラはクラウディオ・モンテヴェルディについて 上のように書きました。。。 しかし、貴志康一については、一言も触れてません。。。

オマエが貴志康一について書いたとは僕は言ってないのだよ! 僕がなぜ上の作品を引用したかというと、赤字で強調したところに注目して欲しかったからだよ。。。

デンマンさんが赤字で強調したところが、どうだと言うのですか?

実は、ネットで調べてみたら、貴志康一は次のように言ってるのだよ!

作曲活動への動機


(kishi01.jpg)

 

「タマシイがもっともむつかしい問題なんです。(中略) 魂の違う、また人種の違う日本人が、いくら、ドイツ魂の生んだベートーヴェンの曲を練習したってものになるはずがありません」と述べている。

帰国する機上で記した手記には、ドイツにあって西洋音楽に親しめばそれだけ、日本が遠ざかっていく寂寥感を覚え、ヴァイオリンによって西洋音楽を学んでも

すべてがかりものだ、かりものをまたひとにかりものとして紹介して喜んでいるのだ。 どうして自分自身を生みだせないのか、たといそれが未熟な不完全なものにしても……こういう不満から僕は作曲に入らざるを得なかった。
そして意識的か無意識的かそれには何か我々の人種の血が通っていた。 東洋の香りが局にもうつらざるを得なかった。 それを私はどんなに喜んだことだろう」と記し、作曲という手段を見出した喜びが告白されている。

帰国後に「いたずらに西洋音楽を模倣する事を止めて、表現手段は向こうのものを借りても内容は日本的雰囲気の濃いものを創造しなくてはなりません」と述べ、作曲を通して日本人であることを認識し、主張しようとしている。


 (159ページ)
『貴志康一の活動に関する一考察』より
(日本洋楽史における位置づけ)

なるほどォ~。。。 貴志康一は、こういうことを言っていたのですか。。。

そういうことだよ。。。

つまり、貴志康一が西洋音楽に親しめば親しむほどに「すべてがかりものだ、かりものをまたひとにかりものとして紹介して喜んでいるのだ。 どうして自分自身を生みだせないのか」と、苦悶したのですねぇ~。。。

そうだよ。。。 だから、オマエも書いているじゃないか!

 

いつだったか、小澤征爾とカラヤンの指揮するモーリス・ラヴェルの≪ボレロ≫を聴き較べたことがあった。

小澤の演奏は、英語で言うtoo square(単純で直線的で堅苦しい演奏)であったが、カラヤンのそれは、フランス人でもないのに、何とも、セクシーで妖艶ですらあった。

やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。

つまり、デンマンさんもオイラに同意するのですか?

たまには、同意しないとねぇ~。。。 オマエが棺桶に入ってからでは遅いから。。。 「音楽が世界共通の言語などではないとしても、双方がコミュニケーションが取れないほど異質なものを基礎にしているわけではない」ということは僕も そのとおりだと思うよ。。。 貴志康一が、もう少し長く生きていたら、世界的にも通用する、借り物ではない素晴らしい交響曲を作曲していたと思うよ。。。


(foolw.gif)

【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも、貴志康一が、もう少し長く生きていたら、世界的にも通用する、借り物ではない素晴らしい交響曲を作曲していたと思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 それではソプラノ歌手の高島一恵さんの次の歌を聴いてしみじみと泣いてくださいねぇ~。。。

 


(kazue01.jpg)

 

ええっ。。。 「歌は、もういいから、他にもっとも面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強要するのですかァ~?

分かりましたわ。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


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羅漢と良寛

 

羅漢と良寛

 


(ryokany.gif)


(rakan02.jpg)


(himiko92.jpg)


(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで羅漢と良寛を取り上げたのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

卑弥子さんは不満なのですか?

別に不満ではありませんけれど、ただ取り上げた理由が気になったのですわァ~。。。

卑弥子さんは羅漢と良寛に興味がないのですか?

良寛さんと言うと、あの子供と手まりをして遊ぶお坊さんのことですか?

そうです。。。

でも、羅漢という言葉は あまり耳にしませんわァ~。。。

じゃあ、次のリストを見てください。。。

 


(liv91202a.gif)


『拡大する』

『良寛さんの顔』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月1日の午後2時10分から翌日2日の午前4時16分までの「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ個所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 12月1日の午後5時25分に、ドコモの検索エンジンで検索して デンマンさんの「徒然ブログ」に掲載された『良寛さんの顔』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 実は、京都市に住んでいる笠原紀美代 (かさはら きみよ)さんが読んだのです。。。

また、いつものようにIPアドレスを調べて紀美代さんが読んだことを突き止めたのですかァ~?

そうです。。。

 


(ip170127b.gif)

 

あらっ。。。 この写真の女性が紀美代さんでござ~ますか?

そうです。。。

。。。で、紀美代さんは京都市で何をなさっているのですか?

花園大学の文学部で勉強している女子大生ですよ。。。

 


(hanazo02.jpg)


(kgal22a.jpg)

 

。。。で、リストの リファラ をクリックするとどのようなページが表示されるのでござ~ますか?

 


(liv91202a2.gif)

 

次のような検索結果が出てくるのですよ。。。

 


(doc91202a.gif)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

あらっ。。。 羅漢と良寛 と入れて検索したのですわねぇ~。。。

そうです。。。

それで、今日の記事のタイトルを 羅漢と良寛 としたのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。 いけませんか?

かまいませんけれど、ちょっとばかり単細胞的ですわァ~。。。。 おほほほほほ。。。 で、どういうわけで紀美代さんは羅漢と良寛に興味を持ったのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、クラスメートと話をしていた時に、相手の女性が「良寛さんは羅漢顔だったのよ」と言ったというのです。。。 それで、羅漢顔というのは、どういう顔なのだろうか?。。。 そう思って検索したというのですよ。。。

。。。で、紀美代さんは、記事を読んで満足のゆくような答えをゲットしたのですか?

次の箇所を読んだのだけれど、答えは出ていないというのです。。。

ボサツ顔とラカン顔

 

良寛は菩薩だったのか、それとも羅漢だったのか。

そんな問いが、いつごろからか明滅するようになった。

菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える。

安田靫彦(ゆきひこ)の良寛さんをみていて、つくづくそう思う。

 


(ryokan2.jpg)

安田靫彦画 良寛和尚像

 

いや、そう思い惑っている。

現実の良寛も、おそらくそんな風だったのではないか。

良寛の面白いところ、近づき難いところである。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています)


194ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社

確かに、上の文章を読んでも「菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える」と書いてあるだけですわねぇ~。。。

そうです。。。 そして、最後に「良寛の面白いところ、近づき難いところである」と書いている。。。

。。。で、デンマンさんは、紀美代さんの質問に対して、どのように答えたのですか?

あのねぇ~、記事の中には次のように書いてある箇所があるのですよ。。。


(ryokany.gif)

 

名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた。
現在でもその凧は残っている。

ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子供達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。
しかし、日が暮れて暗くなり、子供達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。

翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、
「静かに!そんな大声を出せば、子供達に見つかってしまうではないか」と言ったという。

このような類いの話が伝えられ、子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。

また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。
また弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたといわれている。

今日生家跡には「良寛堂」が建っている。
裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。
沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。

 


(ryokan5.jpg)

 

あのねぇ~、これだけ子供たちに慕われている良寛さんの顔は、ボサツ顔とラカン顔 のどちらでもない。。。

 


(bosatsu2.jpg)


(rakan03.jpg)

 

。。。と言うと、良寛さんは どのようなお顔をしていたのでござ~ますか?

だから、子供たちにとっては、実に優しい顔をしていたのですよ。。。

 


(ryokany.gif)


(foolw.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたは、デンマンさんのお話を信じることができますか?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)

 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)

 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(costa04b.jpg)

『おばさんパンツ@サンホセ』

『聖徳太子のチューター』

『オナラの曲芸』

『死海』

『漱石とオナラ』

『絵里香さん』

『美女とオナラ』

『アンバパーリー』

『ゆっくりと愛し合う』

『見ちゃだめ!』

『二重マチ付きズロース』


(miya08.jpg)

『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


(annasalleh.jpg)

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』

『朝妻船』

『阿修羅を探して』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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阿修羅を探して

 

阿修羅を探して

 

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デンマンさん。。。 どなたが阿修羅を探しているのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんには 何か心当たりがありますか。。。

全く心当たりはありませんわ。。。 じらさないで教えてくださいなァ~。。。

じゃあ、次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『あなたの中の阿修羅』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月2日の午後10時20分から翌日3日の午前3時18分までの約5時間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ個所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 12月3日の午前3時18分に、ロシアのGOOGLEで検索して デンマンさんの「徒然ブログ」に掲載された『あなたの中の阿修羅』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

なんとォ~。。。、モスクワに住んでいるアドリアーナ・ヴォディアノヴァ (Адриана Водянова)さんが読んだのです。。。

また、いつものようにIPアドレスからアドリアーナさんが読んだことを突き止めたのですかァ~?

そうです。。。

 


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あらっ。。。 この写真の女性がアドリアーナ・ヴォディアノヴァさんでござ~ますか?

そうです。。。

。。。で、アドリアーナさんはモスクワで何をなさっているのですか?

モスクワ大学の外国語、地域研究学部で、日本文化と日本語を専攻しているのですよ。。。

 


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。。。で、アドリアーナさんは どのようにして記事を見つけたのでござ~ますか?

次のようにして検索したのです。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

阿修羅 “アスラとインドラ” 徒然 と入れて検索したのですわねぇ~。。。 もしかして、アドリアーナさんは「徒然ブログ」の常連さんなのですか?
 

常連さんというほどのことはないけれど、しばしば僕のブログを覗くそうです。。。

。。。で、アドリアーナさんは阿修羅を探して どうしようとなさったのでござ~ますかァ?

アドリアーナさんはタームペーパーを書くために アスラとインドラ にまつわる日本文化のエピソードを探していたのですよ。。。

それで、記事の中に アドリアーナさんが探していたエピソードが見つかったのですか?

見つかりました。。。 卑弥子さんも読んでみてください。。。

日本女性の愛と美の原点


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この女性は西暦734年当時16才でした。
どうですか?
なんとなく現在でも通用する容貌を備えていると思いませんか?

。。。と言っても、これは興福寺の国宝館に安置されている阿修羅像です。
僕は、この仏像のモデルになった女性のことを話しています。

この阿修羅像を造ろうと言い出したのは誰あろう光明皇后(光明子)なんですよね。
しかも、その目的は亡くなった母親である橘三千代の供養のためなのです。
そして、そのモデルになった女性と言うのは、聖武天皇と光明皇后の娘—当時16才の阿部内親王なのです。

この阿部内親王こそ、後に孝謙天皇(称徳天皇)となる女性なのです。2度女帝になった人です。

阿部内親王は、聖武天皇が皇太子時代の18才の時(718年)に、安宿媛(あすかべひめ:光明子)との間に生まれました。

聖武天皇が即位して3年後(727年)に、光明子との間に男の子が誕生します。
この子は基(もとい)親王と呼ばれ、生後わずか1ヶ月あまりで正式に皇太子になります。
まだ立つことすらできない乳児を皇太子にすることは、当時でも無法なことでした。

藤原一族が、何が何でも自分たちの血とつながりのある親王をゆくゆくは天皇にしたいためだったのです。
ところが、このような無法なことをあたかも天が許さないかのように、この基親王はその1年後に亡くなったのです。

 


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基親王の死は、聖武天皇一家と藤原一族に深刻な悩みをもたらしました。
上の系図で見るとおり、聖武天皇の母親は宮子です。
聖武天皇の皇后は光明子です。
どちらの女性も藤原不比等の娘です。

実は、藤原不比等は持統天皇と組んで天皇家の“設計図”を描きました。
つまり、持統天皇の血を絶やさないような形で皇統を継続させてゆく。
その過程で、藤原氏の血を天皇家に取り込んでゆく。
上の系図は、正にその事を物語るような“証拠”となっているのです。

持統天皇から続いている持統皇統と藤原氏は上の系図で見るように強固な姻戚関係を結んでしっかりと結びついていたのです。

しかし、女帝など即位させずとも天智天皇と天武天皇の血を引く天皇後継者が他にも居たのです。
天武天皇には舎人(とねり)、長(なが)、穂積(ほづみ)、弓削(ゆげ)、新田部(にいたべ)、刑部(おさかべ)という6人の皇子が居ました。
天智天皇にも施基(しき)皇子が居たのです。
この皇子たちは上の系図の女帝たちよりも天皇になる資格が充分にあったのです。
しかし、持統天皇と藤原不比等はこの皇子たちを天皇にはさせなかった。

なぜか?

この皇子たちには持統天皇と藤原不比等の血が流れていないためでした。

しかし、すべてが持統天皇と藤原不比等の思い通りには運ばなかった。
聖武天皇と光明子の間に11年目にして生まれた男の子(天皇後継者)が満2才になる前に亡くなってしまったのです。
つまり、藤原氏につながる皇位継承権者が居なくなってしまったのです。

これは、藤原氏にとっては危機でした。
どうしたらよいのか?

まるで、天が持統天皇と藤原不比等の勝手な“設計図”を白紙に戻すかのように基親王の命を召し上げてしまった。
さらに、持統天皇と藤原不比等のわがままを懲らしめるかのように、皮肉にも天は聖武天皇の妃の県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)という女性に男の子を産ませたのです。
この子は安積(あさか)親王と名づけられました。

この親王は将来聖武天皇の跡を継いで天皇になる可能性が充分にあります。
しかし、藤原氏にとって、藤原氏以外の女性が産んだ親王が天皇になることは我慢がならない事です。

さらに、当時、他にも皇位継承権を持つ天武天皇の皇子の舎人親王と新田部親王が健在でした。
この皇子のどちらが天皇になっても、持統天皇の血と藤原氏の血はなくなってしまう。
藤原氏にとって、そういうことは絶対に許すことができないことでした。

すでに藤原不比等は亡くなって居ませんが、その子供たちがその当時、政治の実権を握ろうとしていました。
藤原4兄弟は額をつき合わせるようにして策略をめぐらせたのです。

こうなったら使える“駒”は阿部内親王しかいない。
何とかしてこの女の子を天皇位につかせることはできないものか?

そのためには光明子を皇后に昇格する必要がある。
そうすれば、光明子が中継ぎの天皇になることができるし、その娘の阿部内親王に皇位を譲ることもできる。
しかし、皇后位は皇族出身に限られており、藤原不比等と橘三千代の娘である光明子にはその資格がないのでした。

ところで、このようなことを充分に考えて、藤原不比等は聖武天皇には皇族の出身である妃をおかずに光明子を事実上の“皇后”として正妃の座に着かせていたのです。

藤原4兄弟は政治の実権を握る前に、考えねばならない強力なライバルが居ました。
それが、当時の政府のトップに居た左大臣の長屋王です。

長屋王は臣下の出の女性が皇后になることを認めないに違いない。
この際、“目の上のタンコブ”である長屋王を葬り去りたい。
藤原4兄弟の陰謀は、こうして実行されたのでした。

長屋王の変 729(天平元)年

「密かに左道(人を呪う呪法を行なうこと)を学んで国家を傾けようとしている」という密告があり、長屋王は謀反の疑いをかけられたのです。藤原武智麻呂らはただちに王の邸を囲みます。もうこれではどうしようもないと観念した王は妻子と共に自殺したのです。完全に濡れ衣を着せられたものでした。

藤原不比等の息子たちが光明子を聖武天皇の皇后にしたかったのですが、長屋王が邪魔だったのです。それで王を亡き者にしようとしたのが、この事件の真相です。

結果として、藤原四兄弟の政権が確立しました。一方、彼らが画策していた光明子を聖武天皇の皇后にすることにも成功したのです。皇后は、天皇なき後臨時で政務を見たり、女帝として即位することがあり皇族でなければならないというのが古来からの慣例だったのです。

729年8月、長屋王の死を待ちかねたように光明子が皇后に即位しました。
すべては藤原四兄弟の思惑どおりに事が運んだように見えました。
ところが737年天然痘が大流行し、藤原四兄弟が全員死亡したのです。
人々は長屋王の怨霊(おんりょう)の崇りだと噂しました。

このように怨霊信仰はけっこう古くから日本にあったんですよね。
光明皇后も娘の阿部内親王もこの長屋王の崇りによって藤原4兄弟が亡くなったことを充分に知っていたはずです。

天平10年(738年)正月に聖武天皇は娘の阿部内親王を皇太子にします。
過去に女性が皇太子になったことは無く、異例の皇太子誕生でした。
光明皇后の娘でもある阿部親王は、このとき未婚の21才でした。

古代の皇族・貴族の娘たちは15才か16才で結婚しています。
光明皇后は、親王が生まれないために、皇位継承の最後の手段として、娘の阿部内親王を嫁がせずに内裏にとどめておいたのです。
基親王を亡くしてから子供が生まれないことも光明皇后は“長屋王の崇り”だと思っていたことでしょう。

政治の実権を持っていた藤原4兄弟が“長屋王の崇り”によって死亡すると、政権は橘諸兄(もろえ)に移り藤原四家のうちの式家・宇合(うまかい)の子・藤原広嗣(ひろつぐ)は大宰小貳として九州に追われました。
一年半ほど管内豪族の動きや疲弊の深い農民の状態を観察し、あらゆる機会を捕らえ藤原広嗣は官人を誘い豪族をあおったのです。

“災害がたびたび生ずるのは諸兄のブレーンである玄昉・真備が良からぬことをしているためだから、彼らを除くべし!”

藤原広嗣は聖武天皇に信書を提出し740年9月3日に挙兵しました。
聖武天皇は大野東人(壬申の乱で大伴吹負を破った近江側の大野果安の子)を大将にして一万七千の兵を動員したのです。
東人の適切な行動もあり2ヶ月で反乱を制圧し広嗣は捕えられました。

藤原広嗣の乱のあと、光明皇后の庇護のもとで頭角を現してきた藤原仲麻呂(藤原南家の祖・武智麻呂の次男)の後見する阿部内親王と、橘諸兄の後見する安積(あさか)親王に北家房前の三男八束(母が橘三千代の子である牟漏女王で諸兄の甥に当たる)と大伴家持もグループとして結束し、どちらを次の天皇にするか争いが生じていたのです。

744年正月11日聖武天皇は難波に行幸しました。
造営中止になった恭仁宮(くにきゅう)に藤原仲麻呂が留守官として残り、安積親王は脚の病で桜井頓宮(さくらいかりみや)より恭仁宮へ帰ったのです。
その二日後に安積親王は急死しました。
藤原仲麻呂の暗殺という噂が難波の朝廷に広まったのです。
しかし、この事件は仲麻呂を留守官から外すだけで終わりました。

安積(あさか)親王暗殺は、おそらく藤原仲麻呂独断で行われたものでしょう。
藤原氏のバイブルである“六韜”を愛読していた仲麻呂ならば当然やりそうなことです。
この兵書については次のリンクをクリックして読んでください。

 


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『マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?』

 

聖武天皇も、光明皇后にも騒動を避けたい心があり、安積親王を担ぐグループに果断な行動をとる力が無かったから藤原仲麻呂を処分することができなかったのです。
しかし、この後、仲麻呂の思う方向へ事態は進んでゆく事を考えれば、仲麻呂の安積親王暗殺の嫌疑は光明皇后によって揉み消されたようです。
むしろ、その後、仲麻呂に活躍の場を与えられたことは、暗殺の“論功行賞”ではなかったのか?

天平勝宝元年(749年)に、48才の聖武天皇は譲位して太上天皇(上皇)となります。
皇太子の阿部内親王が即位して孝謙天皇となりました。
彼女はこのとき32才でした。
皇后でもない未婚の安部内親王が女帝になるのは大伯母の元正天皇につぐ2例目です。
これは持統天皇の“女の意地”が橘三千代に引き継がれ、それが三千代の娘の光明皇后にバトンタッチされた結果です。

阿部内親王は孝謙天皇となってから詔(みことのり)を出して次のように言っています。

私の母上の大皇后(光明皇后)が私にお告げになった。

「岡宮(おかのみや)で天下をお治めになった天皇(草壁皇太子を指す)の皇統がこのままでは途絶えようとしている。

それを避けるために女子ではあるが、聖武天皇の後をあなたに継がせよう」

このように仰(おお)せになり、それを受けて私は政治を行ったのである

SOURCE: 『続日本紀』

つまり、孝謙天皇の即位には光明皇后の指図があったことを述べているわけです。
父親である聖武天皇の影が極めて薄いのですよね。
この詔もちょっと異常ですよね。
聖武天皇が譲位したのだから聖武天皇の言葉として書くべきだと思いますよね。

一説には聖武天皇が独断で出家してしまい、それを受けた朝廷が慌てて退位の手続を取ったとも言われています。
この孝謙天皇が出した詔には、その辺の事情が垣間見えるような気がします。
歴史書を読むと、聖武天皇は繊細で神経質な性格だったようです。

天平年間は、災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依しました。
いわば、現代流に言うならば、極めて人間的な人だったと僕は思いますよ。
つまり、藤原4兄弟などの策謀が渦巻く中で、政治に嫌気がさしていたと思いますね。
“長屋王の崇り”も、“藤原氏の一員”として充分に感じていたでしょうね。

聖武天皇は741年には国分寺建立の詔を出します。
743年10月には、東大寺大仏の建立の詔を出しています。
また、度々遷都を行って災いから脱却しようとしたものの官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰しました。
このような聖武天皇の行動を見ると、意志の弱さが見えますよね。優柔不断です。

また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が取り仕切りました。
結局、聖武天皇は政治に見切りを付けていたのですよね。
それで、出家したのでしょう。
その気持ちが分かるような気がします。

それに引き換え女性たちの意志の強さは驚くばかりです。
特に持統天皇の強烈な執着と執念が目を見晴らせます。

持統天皇の相談役とも言える橘三千代がすごい人ですよね。
この人のもとの名は県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)です。
三千代は持統天皇がまだ天皇になる以前に彼女の女官として仕えていたのです。
持統天皇の孫の軽皇子(かるのみこ)の乳母(めのと)だった人です。
三千代は皇族の美努王(みのおう)と結婚して3人の子供をもうけています。
早くから女官として内裏に仕え、持統天皇の信頼を得ています。

藤原不比等は持統天皇、彼女の息子の草壁皇子、さらにその子の軽皇子(後の文武天皇)に仕えていました。
この関係で橘三千代と知り合い、持統天皇の皇統を守る同志として二人の絆が生まれたのです。
三千代は美努王(みのおう)と離婚していますが、すでに二人は三千代の離婚以前から深い関係になっていたようです。


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美努王は三千代と離婚する以前、694年に九州の太宰帥(だざいのそち)として九州に赴任していますが、妻の三千代はこのとき夫に従ってゆかず、都にとどまって女官として仕え続けています。
この年の暮れには藤原京への遷都があり、新都の華やいだ雰囲気の中で藤原不比等と三千代の不倫関係が深まってゆきました。
藤原不比等は女性関係でも精力的で、この時期に天武天皇の未亡人である五百重娘(いおえのいらつめ)とも親密になっており、695年に二人の間に藤原不比等の四男・麻呂が生まれています。
ちなみに五百重娘の父親は藤原鎌足です。つまり、五百重娘は不比等の異母妹でした。

『続日本紀』によると、石上麻呂の息子の石上乙麻呂(おとまろ)が藤原不比等の三男・藤原宇合(うまかい)の未亡人となった久米連若売(くめのむらじわかめ)と通じた罪によって処罰を受けています。
石上乙麻呂(おとまろ)は土佐国に流され、久米連若売は下総国に流刑になります。

藤原不比等の場合には大胆にも、かつての天武天皇の后妃であり、新田部皇子の母でもある五百重娘(いおえのいらつめ)を相手にして、子供まで産ませているのです。
ところが、何の罰も受けていません。

橘三千代にしてみれば、不比等に裏切られたような気がすると思うのですが、ヒステリーになるわけでもなく、大事の前の小事と割り切ったようです。
持統天皇のそばに仕えて厚い信任を得ていたので、その立場を利用して不比等の出世のために持統天皇へのとりなしに動いたようです。
このようなことを考えても、橘三千代が只者ではないと言うことが分かります。

感情的にならず、大事を見失わずに困難を乗り越えてゆく三千代の姿がはっきりと浮かび出ていると言えるでしょう。
深謀遠慮の藤原不比等と組んで持統天皇を取り入れ、橘三千代は三つ巴で持統皇統を継続させてゆきます。
女の意地と執念を感じさせますよね。


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この阿修羅像は現在、興福寺国宝館に安置されています。
天平6年(734年)に光明皇后が母親の橘三千代の一周忌追善のために興福寺に西金堂(さいこんどう)を建立したときに、その堂内に奉安した仏像のうちの1つでした。

この仏像については、正倉院文書の『造仏所作物帳(ぞうぶつしょさくもつちょう』に詳しく書かれています。
この記録によると、作業が始まったのは橘三千代が天平5年(733年)1月11日に亡くなってから10日経過した1月21日です。
その一周忌にあわせて翌年の1月9日に完成しています。

日本では、“阿修羅”は“修羅”とも略して呼ばれ、“修羅場”などと言う言葉もあるように、猛々しい争いを好む神として受け入れられます。
阿修羅像は日本では普通3つの顔と6本の腕を持っている仏像として造られました。
阿修羅像の本来の姿は、肌を赤く彩り、髪を逆立て、三面の形相は容貌醜怪であり、目を怒らせ、口を大きく開き、牙をむき出して威嚇し、次に示すような不動明王にも似た怒髪憤怒(どはつふんぬ)の表情を示しています。


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ところが、興福寺に安置されている阿修羅像には、怒髪憤怒(どはつふんぬ)が基本であるにもかかわらず、この荒々しさや猛々しさが全く見えません。
この仏像が持つ本来の憤怒の概念とはおよそ縁遠い姿と表情を見せています。


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その風貌は極めて内省的であり、自己抑制に満ちて、祈りの念さえ表れています。
少なくとも、不動明王のような怒りの表情は全く感じられません。
これはどういう訳なのか?

僕は、この仏像を観て、まずそのことが大きな疑問として気になり始めたのでした。

ただ単に、光明皇后が母親である橘三千代の一周忌追善のために奉安したとは思えません。
それでは、他に何があるのか?

結論を先に言えば、長屋王の怨霊を鎮めるためだと思いますね。

僕は上の阿修羅像に次のような“内なる精神”を感じます。

■ 静謐(せいひつ)

■ 哀感

■ きびしさ

■ 敬虔なまなざし

■ まなざしの中に込められた奥深い苦悩

■ 引き締まった唇に表れた意志の強さ

■ 清純でひたむきな思い 

このモデルになった女性は、聖武天皇と光明皇后の娘—当時16才の阿部内親王なのです。
光明皇后がこの像を造ろうと思い立った733年という年は長屋王が自殺に追い込まれた4年後です。
天平年間は、災害や疫病が多発します。
巷では、“長屋王の崇り”がささやかれ始めています。
橘三千代が亡くなったことも、“崇り”だとは思わないまでも光明皇后にとって不吉なモノを感じていたはずです。
藤原4兄弟が病気にかかって死ぬのは、さらに4年後のことですが、
基親王を亡くしてから子供が生まれないことも光明皇后は“長屋王の崇り”だと思っていたことでしょう。

つまり、上の阿修羅像の感じている深い“内なる精神”は阿部内親王のものであると同時に
光明皇后の感じているもの、念じているものではなかったのか?

この奥深い苦悩の中には、阿部内親王と光明皇后の感じている女ゆえの情念の苦悩も込められているのではないか?
一体、その情念の苦悩とは?


『日本女性の愛と美の原点』より
(2006年5月28日)

つまり、上の記事を読んでアドリアーナさんは「日本女性の愛と美とアスラとインドラの関連」について書こうと思ったのでござ~ますか?

あれっ。。。 よ~く判りましたねぇ~。。。

デンマンさんが言わせているようなものですわァ。。。 うふふふふふふ。。。 それで、アドリアーナさんは、よく理解できない箇所をメールで問い合わせてきたのですか?

そうです。。。 よく分かりましたねぇ~。。。

いちいち、突っ込みを入れないでくださいなァ~。。。 デンマンさんは鼻の下を伸ばしながら、かゆいところに手が届くようにアドリアーナさんに教えてあげたのですか?

もしかして、卑弥子さんは不正アクセスして僕とアドリアーナさんのメールのやり取りを読んでいたのではありませんかァ!

そんな はしたない事をするはずがないでしょう!。。。 で、アドリアーナさんは自己紹介のメールに浴衣を着た写真を添付したのですか?

そうです。。。

 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。 

あなたは、デンマンさんのお話を信じることができますか?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


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どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


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いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』


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『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』


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『ネット市民は見ている』

『朝妻船』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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朝妻船

 

朝妻船

 


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デンマンさん。。。 いつから日本舞踊に興味を持ったのでござ~ますかァ~?


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ん。。。? 卑弥子さんは僕が日本舞踊に興味を持ったと思うのですか?

だってぇ~、日本舞踊のクリップを貼り出しているではござ~ませんかァ~!

僕は日本舞踊には、ほとんど興味がないのですよ。。。

それなのに、日本舞踊のクリップを貼り出しているというのは、どのようなわけでござ~ますかァ?

実は、次の絵を見たのが日本舞踊のクリップを持ち出してきたきっかけなのですよ。。。

 


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あらっ。。。 これは浮世絵ですわね。。。 若い女性が船に乗って さめざめと泣いているように見えますわァ~。。。 これが上のクリップの日本舞踊と関係あるのでござ~ますか?

実は、この浮世絵は「朝妻舟図 (あさずまぶねず)」というもので、琵琶湖畔に浮かべた舟(浅妻船)で客を待つ、物悲しげな白拍子の佇まいを描いたものなのですよ。。。 上の絵から日本舞踊は生まれたのです。。。

マジで。。。?

上の浮世絵は、英一蝶という絵師が描いたものなのですよ。。。

英 一蝶(はなぶさ いっちょう)

 


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承応元年(1652年) – 享保9年1月13日(1724年2月7日)

 

江戸時代中期(元禄期)の画家、芸人。
本姓は藤原、多賀氏、諱を安雄(やすかつ?)。

後に信香(のぶか)。字は君受(くんじゅ)。幼名は猪三郎(いさぶろう)、次右衛門(じえもん)、助之進(すけのしん。もしくは、助之丞[すけのじょう])。
剃髪後に多賀朝湖(たが ちょうこ)と名乗るようになった。
俳号は暁雲(ぎょううん)、狂雲堂(きょううんどう)、夕寥(せきりょう)。

名を英一蝶、画号を北窓翁(ほくそうおう)に改めたのは晩年になってからであるが、本項では「一蝶」で統一する。
なお、画号は他に翠蓑翁(すいさおう)、隣樵庵(りんしょうあん)、牛麻呂、一峰、旧草堂、狩林斎、六巣閑雲などがある。

 

島流しに至る経緯

当時幕府は、元禄文化の過剰な華やかさ、つまりは風紀の乱れ、特に武士や大名らの綱紀を粛正しようと試みていた感がある。
元禄6年(1693年)には「大名および旗本が吉原遊郭に出入りし、遊ぶこと」を禁じている。

島流しに至る経緯については以下のような、いくつか説がある。

1. 為政者の風刺時の権力者である柳沢吉保が出世する過程で実の娘を将軍綱吉の側室に差し出した、という当時からあったゴシップ的な噂を、一蝶が風刺作品にしたから。
代表作『朝妻舟図』が関係している(吉保の妻を遊女に、綱吉を客に見立てたとするもの)とも言われる。

2. 釣りの罪町人の分際で釣りを行った(武士は修練目的として黙認されていた)ことが、綱吉政権が発令した生類憐れみの令違反とされた。
同年、追加条例として“釣り具の販売禁止令”すらも出ている。

3. 禁句の罪“馬がもの言う”という歌を広めたから。
これは今で言うところの、放送禁止歌謡指定も同然である。

4. そそのかしの罪ある時、いつものように芸で座敷を盛り上げていた際、とある殿様をそそのかし、勢いで花魁を身請け(つまり、武家らしからぬ行状と、巨額浪費)させてしまった。
ところがその殿様は将軍・綱吉の母である桂昌院や柳沢吉保の派閥と縁のある六角越前守であったため、その方面の怒りを買った、という話も伝わる
(表高家旗本の六角家の当時の当主で「遊郭吉原での狼藉により、元禄10年[1697年]頃に閉門蟄居命令」が確認される六角広治(越前守)か。
広治の母は桂昌院実家の本庄氏出身。またこの六角家は、著名な近江国守護大名の六角氏とは別の家系。
公家の烏丸家系。またこれ以外にも掛川藩主井伊直武をそそのかした(遊びで盛り上げた)話なども伝わり、
島流しの際は同時に幇間であった村田半兵衛(村田民部)らも流されている)。

5. その他村田民部との共作『当世百人一首』で将軍綱吉の側室である於伝の方(瑞春院)の舟遊び風景を描いたこと、大名・金持ちの間で当時、石灯籠を集めることが流行った際、それを買い集めて儲けようとした、などの話がある。
当時からお騒がせの有名人だったことが窺える。
大田南畝が伝えるには、当時禁教とされていた不受不施派に与したため、とされている。
正式な罪状として採用されたのは、“釣り罪”であるらしい。


出典: 「英一蝶」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。 英 一蝶(はなぶさ いっちょう)は上の絵を描いたために「島流し」にあったのでござ~ますか?

そうなのですよ。。。 正式な罪状として採用されたのは、“釣り罪”であるらしいのだけれど、世間では英一蝶の代表作『朝妻舟図』を描いたために、「島流し」にあったというのが もっぱらの噂となった。。。

。。。で、「朝妻舟」というのは、何か謂(いわ)れがあるのですかァ~?

次のような船を「朝妻舟」というのです。。。

浅妻船

 


(asatsuma4.jpg)

 

朝妻船(あさづまぶね)は、滋賀県琵琶湖畔 朝妻(米原市朝妻筑摩)と大津と間での航行された渡船。
東山道の一部。

朝妻は『和名抄』に「安佐都末」とある。
朝妻川の入江に位置する。船舶がしきりに出入りしたが、慶長ころから航路の便利から米原に繁栄をうばわれ、おとろえた。
寿永の乱の平家の都落ちにより女房たちが浮かれ女として身をやつしたものが、朝妻にもその名残をとどめ、客をもとめて入江に船をながした。

その情景を英一蝶がえがいた絵が有名である。

 


(asatsuma3.jpg)

 

烏帽子、水干をつけた白拍子ふうの遊女が鼓を前に置き、船に乗っている絵は、五代将軍徳川綱吉と柳沢吉保の妻との情事を諷したものであるという。
一説に英が島流しされたのはこの作品が原因であるという。

英が絵に讃した小唄は、「仇しあだ浪、よせてはかへる浪、朝妻船のあさましや、ああまたの日は誰に契りをかはして色を、枕恥かし、いつはりがちなるわがとこの山、よしそれとても世の中」。
「わがとこの山」は、犬上郡鳥籠山であるのを、床の山にかけたものである。

長唄などもつくられた。


出典: 「浅妻船」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長唄だけじゃなく、日本舞踊にも、講談にも、歌舞伎でも演じられるようになった。。。

でも。。。、でも。。。、次の絵を見ただけで、当時のミーちゃん、ハーちゃんに五代将軍徳川綱吉と柳沢吉保の妻との情事を諷したものであるというのが判るものなのでござ~ますかァ~?

 


(asatsuma3.jpg)

 

おそらく、現代人が見れば、誰もが卑弥子さんのような感想を持つと思うのですよ。。。 上の絵には船の中で女性が悲しげにしているだけが描かれているわけだから。。。 将軍綱吉が生きていた時代の事を知らない限り、上の絵が風刺画だとは判らない! でもねぇ~、当時のミーちゃん、ハーちゃんは町の噂で将軍綱吉の女癖の悪いことを知っていた。。。

江戸時代の御成り

 


(onari02.jpg)

 

江戸時代には、将軍(時には大御所)が、臣下の邸宅を訪問することを特に御成と表現した。

御成りは、世間に主従関係を知らしめるための機会であり、それを受ける各藩は名誉と受け取っていた。

元和9年、江戸時代に最初の大規模な御成りが行われ、その際、尾張藩が徳川秀忠を迎えた際のもてなしかた(茶の湯、観能など)は「元和御成記」として記録され、以後、江戸時代を通じて御成が様式化した。

簡素化された時代もあるが、御成りにあたっては、大規模な江戸屋敷の大改装(庭園や能舞台の造成、改装)や諸道具の新調や随伴者の土産品の調達まで多額の労力と費用が費やされた。

元禄15年初頭、徳川綱吉から加賀藩(当時の藩主は前田綱紀)に対して御成りの意向が下知されると、加賀藩はさっそく本国から職人を呼び寄せて準備を開始、同年4月の御成りまでにかかった総費用は約36万両(仮に1両30万円換算だと約1,080億円)に達し、元禄時代ならではの華やかさが伝えられている。


出典: 「御成」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

徳川綱吉は、どうして「御成」が好きだったのですか?

綱吉には悪い癖があったのです。。。

どのような。。。?

ジュンコさんは綱吉がワンちゃんを大切にしていたのを知っているでしょう?

ええ。。。 確か徳川綱吉は「生類憐みの令」を出して ワンちゃんをはじめ生き物を大切にしなさいと庶民にお触れを出したのですよねぇ~。。。

そうです。。。 この綱吉は、もちろん良い事もしたのだけれど、人の迷惑になる事を考えるだけの分別にかけていた。

たとえば、どのような迷惑をかけたのですか?

綱吉は色っぽい女性に目がなかった。

 


(ken203.jpg)

 

あらっ。。。 色っぽい女性がいると聞くと 居ても立ってもいられない性分だったのですか?

そうなのですよ。。。 だから、ジュンコさんが色っぽい女だという噂が立てば、ジュンコさんの家に「御成」するような将軍だったのです。。。

実際に、そのようにして色っぽい女性の家に「御成」したことがあるのですか?

あるのですよ。。。 綱吉は臣下だった牧野成貞の妻・阿久里の噂を聞きつけて、牧野邸に「御成」したのです。。。

それで牧野成貞さんは、名誉なことだと思って作法どおりに七五三の膳を出してもてなしたわけですか?

そうです。。。 でも、綱吉は食べない。。。 もちろん、目的はご馳走を食べるためではなかった。。。 

それで、本膳の七五三の膳は、その後 誰もが手をつけないようになったのですか?

そうだったのかもしれません。。。 でも、これは僕の個人的な解釈です。。。

本当はどうだったのですか?

あのねぇ~、本膳料理というのは、多くが「見る」料理だったのですよ。。。 つまり、神饌(しんせん)や仏供と同様に飯・餅などを「高盛」と呼ばれる飾り盛で出した。。。

 


(shinsen2.jpg)

 

だから、実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。。。 本膳料理が形骸化すると実際に食べる部分が少なくなったことから、食べるための膳として引替膳が編み出されるようになった。。。

つまり、ご馳走よりも、色っぽい女性がお目当てで、徳川綱吉が七五三の膳に手をつけなかったのは、食べないご馳走の“仕来(しきた)り”とは直接関係がないのですわねぇ~?

直接関係がありません。。。

ところで、牧野成貞の奥さんの阿久里さんは、どうなったのですか?

興味がありますか?

教えてくださいなァ。。。

綱吉は阿久里さんに手を出しただけでなく、驚いたことに 阿久里さんの娘の安子さんも無理やり自分のものにしてしまった。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

安子さんには婿の成時さんがいて、彼は憤激のあまり割腹自殺をしてしまったのです。。。

あらっ。。。 最悪の事態になってしまったのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 さらに綱吉は、腹心の柳沢吉保の側室・染子さんも 「御成」を口実に わがものにしてしまった。。。

あらっ。。。 徳川綱吉はずいぶんと女癖が悪い将軍だったのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 「御成」を口実にして 色っぽい女をご馳走代わりに手を出したのですよ。。。 つまり、徳川綱吉はご馳走を食べないで、色っぽい女性をいただいたわけです。。。


『食べないご馳走』より
(2019年11月30日)

つまり、江戸時代のミーハーは、徳川綱吉が腹心の柳沢吉保の側室・染子さんも 「御成」を口実に わがものにしてしまったことを知っていたのですわねぇ~。。。

そうです。。。

でも。。。、でも。。。、将軍綱吉は牧野成貞の奥さんの阿久里さんにも手を出したのでござ~ますでしょう!?

そうです。。。

だったら、牧野成貞の奥さんの阿久里さんなのか? それとも柳沢吉保の側室・染子さんなのか? どちらなのか? 当時のミーハーには、区別ができないではござ~ませんかァ~!

それができるのですよ!

どのように。。。?

もう一度絵をじっくりと見てください。。。

 


(asatsuma3.jpg)

 

どこにヒントが隠されているのですか?

よ~く注意して見てください。。。 白拍子の頭上にあるのは何ですか?

柳でしょうか?

そうです!  です! 沢吉保の側室・染子さんです!


(foolw.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたも、 を見て納得がゆきましたかァ~? うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)

 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)

 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)

 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

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下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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