ケネディ家の呪い

 

2018年4月20日 (金曜日)

 

ケネディ家の呪い

 


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ケイトー。。。、どういうわけで、急にケネディ家の呪いというようなミステリアスなタイトルを付けたわけぇ~?


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あのねぇ~、僕はイギリスのある公爵家のことを書こうと思ったのですよ。。。

その公爵家というのは、イギリスでも有名な家系なのォ~?

デヴォンシャー公爵という代々キャヴェンディッシュ家が世襲しているイングランドの公爵位なのですよ。。。

デヴォンシャー公


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 第8代デヴォンシャー公爵

 

キャヴェンディッシュ家は、14世紀にサフォーク・キャヴェンディッシュ村に所領を持っていたジョン・キャヴェンディッシュに始まる。
彼は1372年から1381年にかけChief Justice(大法官に次ぐ地位)の地位にあり、後に農民反乱で殺害された。

曾孫にはトマス・ウルジーの伝記を書いたジョージ・キャヴェンディッシュ、ジョージの弟でヘンリー8世の宮廷官ウィリアム・キャヴェンディッシュがいる。
このウィリアムが財務省に地位を持ち、修道院解散で国が没収した資産を不当に懐に入れるなどして巨額の富を築いた。

ウィリアムは2番目の妻エリザベス・ハードウィック(「ハードウィックのベス」として知られる)との間に8子をもうけ、そのうちの一人チャールズ(1553年-1617年)は初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの父である。
また別の息子ヘンリーはウォーターパーク男爵家の祖となった。

ウィリアムとベスの次男が、政治家でバージニア植民地政策を支持した初代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュである。
彼は1605年にキャヴェンディッシュ・オブ・ハードウィック男爵に授爵され、1618年にデヴォンシャー伯爵とされた。

第4代デヴォンシャー伯爵ウィリアムは名誉革命の立役者の1人であり、ウィリアム3世とメアリー2世によって王室家政長官(Lord Steward; 王室家令長)に任命され、1694年にイングランド貴族としてハーティントン侯爵位とデヴォンシャー公爵位を授けられた。
以後、同家は有力なホイッグ党員であり続けた。

デヴォンシャー公爵の長男(法定推定相続人)が儀礼称号として使用する従属称号はハーティントン侯爵(Marquess of Hartington)である。
ハーティントン侯爵の長男が使用する儀礼称号はバーリントン伯爵(Earl of Burlington)で、それ以外の公爵家男子は卿がクリスチャンネームに添付される(Lord + Christian name + Cavendish、例としてチャールズ・キャヴェンディッシュ卿はLord Charles Cavendishとなる。
その妻は Lady Charlesチャールズ卿夫人と称す)。

公爵家の女子は敬称Lady がクリスチャンネームに添付される (Lady + Christian name + Cavendish レディー・エマ・キャヴェンディッシュLady Emma Cavendish)。

公爵家は、広大なカントリー・ハウスであるチャッツワース・ハウス(ダービーシャー)、ボルトン・アベイ(ノース・ヨークシャー)、リズモア城(アイルランド・ウォーターフォード州)を所有する。

公爵家はかつてロンズボロ・ホール(ヨークシャー)、ハードウィック・ホール(ダービーシャー)、ロンドンでの邸宅であったデヴォンシャーハウス(第一次世界大戦後に売却)を所有していた。

一族のモットーは「用心深く安全に(Cavendo Tutus)」。


出典: 「デヴォンシャー公」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デヴォンシャー公爵のことを書くつもりが、どういうわけでケネディ家の呪いを書くことになったわけなのォ~?

実は、デヴォンシャー公爵のことを書くために、バンクーバー市立図書館で次のDVDを借りたのですよ。。。


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『拡大する』

『実際のページ』

 

Chatsworthというのはチャッツワース・ハウス(ダービーシャー)のことなのですよ。。。 この邸宅にデヴォンシャー公爵が住んでいるわけです。。。

ケイトーは上のDVDを 4月5日に観てコメントを書いたようだけれど、ネタバレを書いたので、コメントが半透明にされてしまったのねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 僕としては、ネタバレとは思わなかった。。。 要するに、重要な点がもれていたので 書き加えたまでです。。。

その重要な点というのが、ケネディ家と関係があるわけねぇ~。。。

そういうことです。。。 ドキュメントの最後の方に出てくるのだけれど、実は、ケネディ大統領のお気に入りの3つ年下の妹・キャスリーン(キック)・ケネディが第10代デヴォンシャー公爵の長男・ウィリアム(ビリー)・キャヴェンディッシュ(陸軍少佐)と恋に落ちて結婚するのですよ。。。

それは衝撃的な結婚だったわけ。。。?

そうなのです。。。ケネディ家はカソリックだけれど、公爵家はイギリス国教会ですからね、キックのお母さんは反対したのですよ。。。 でも、キックは強引に結婚してしまった。。。 


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だから、1944年の5月6日の結婚式に参列したのはケネディ家からは、一番上の兄さんのジョーだけだった。。。 上の写真の向かって右後ろに立っているのが兄さんのジョーです。。。 このジョーはアメリカ海軍のパイロットで、そのあと3ヵ月後の8月12日にドーバー海峡上空で飛行機が爆発して亡くなってしまう。。。 しかも、陸軍少佐のビリーも、新婚ホヤホヤなのに、9月9日にベルギーで狙撃兵に撃たれて戦死してしまう。。。

戦争中とはいえ、大変な悲劇だわねぇ~。。。

悲劇はそればかりじゃない! わずか4ヶ月の新婚生活で未亡人になったキックは、戦後まもなく、1948年5月13日、休日をフランスのリビエラで過ごすために飛行機に乗るのですよ。。。 ところが運悪く嵐に巻き込まれて飛行機が墜落。。。 即死! 葬式に出席したのはお父さんだけ、お母さんはムカついて葬式に出るのを拒否!

やっぱり、母親と娘というのは、一度拗(こじ)れると なかなか修復できないのよ。。。

とにかく、これに引き続いて、ケネディ家を、次々と悲劇が襲うのですよ。。。

 

■1956年8月23日 – ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディは娘アラベラを死産した。 赤ん坊に名前は無く、アーリントン国立墓地にて両親の隣に「娘」と記され葬られた。 その後の調べで、ケネディ夫妻は彼女にアラベラと名付けるつもりだったことが分かった。

■1963年8月9日 – パトリック・ブーヴィエ・ケネディは6週間ほど早産で生まれ、2日後に死亡した。

■1963年11月22日 – アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺された。


■1964年6月19日 – アメリカ合衆国上院議員エドワード・ケネディは飛行機事故に遭い、補佐官とパイロットが死亡した。エドワードは同僚の上院議員バーチ・エヴァンズ・バイ2世によって機の残骸から引き出され、負傷した背中、気胸、肋骨骨折、内出血を治療するため数週間入院した。


■1968年6月6日 – ロバート・ケネディはカリフォルニアでの民主党の大統領予備選挙に勝利した直後、ロサンゼルスでサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された。


■1969年7月18日 – エドワード・ケネディの運転する自動車がマーサズ・ヴィニヤードに架かる橋から転落し、同乗していたマリー・ジョー・コペクニが溺死するというチャパキディック事件が起こった。 7月25日に彼はテレビで「事故の夜、何らかの恐ろしい呪いが本当に全てのケネディ一族に降りかかるのか、疑問に思っていた」と述べた。


■1973年8月13日 – ジョセフ・パトリック・ケネディ2世の運転する自動車が事故に遭い、同乗者の一人パム・ケリーは麻痺の後遺症が残った。


■1973年11月17日 – エドワード・ケネディ・ジュニアは12歳にして骨腫瘍のため右足の一部を切除された。

■1984年4月25日 – デイヴィッド・ケネディはフロリダ州パームビーチのホテルの一室で、ペチジンとコカインの過剰摂取により死亡した。


■1991年 – ウィリアム・ケネディ・スミスは強姦容疑をかけられ、全ての容疑について無罪となった。


■1997年12月31日 – マイケル・ルモアーヌ・ケネディはコロラド州アスペンにてスキー事故で死亡した。


■1999年7月16日 – ジョン・F・ケネディ・ジュニアは飛行機事故で、妻のキャロリン、義姉と共に死亡した。自身で操縦していた軽飛行機 Piper PA-32R が誤操縦によってマーサズ・ヴィニヤード沖の大西洋上に墜落したのである。


■2011年9月16日 – カラ・ケネディは心臓麻痺で死亡した。


■2012年5月16日 – メアリー・リチャードソン・ケネディは自殺した。

 

こうした悲劇が重なると、確かにケネディ家は呪われているように見えるわねぇ~。。。

僕は、“ツタンカーメンの呪い”だとか。。。 そういうものは信じないのですよ。。。

つまり、ケネディ家を襲ったような悲劇の数々には何か原因があるとでもケイトーは言うのォ~?

そうです。。。

その原因とは。。。?

ちょっと遠回りになるけれども、次の小文を読んでみてください。。。

39 いつまでも愚かなままの現実主義者へ

 


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1) オマエが、どうして偏差値が30台のクソ大学しか入学できなかったのか?

2) 愚かなオマエが、どうして伊藤先生に世話になっていると誤解してしまったのか? (実は、伊藤先生に迷惑をかけている!)

3) Yahoo!のスタッフから警告を受けていたにもかかわらず、どうして、ウェブリログでも嫌われてしまうのか?

4) さらに、アメブロでも嫌われてしまうのか?

5) はたまた、「5ちゃんねる」では嫌われるどころか、ケチョン、ケチョンに馬鹿にされているのか?

6) どうして、「ネトウヨ!おまえの母さんデベソ!」というような馬鹿の一つ覚えの決まり文句でしか喚(わめ)けないのか?

7) 元校長のおじいさんが、どうして泣いて オマエの事を嘆くのか?


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8) オマエの両親が、なぜ 悲しみのあまり 泣いてお説教するのか?

9) オマエの弟が 世間に顔向けができないと言って、なぜ嘆くのか?

10) 結婚したいにもかかわらず、なぜオマエは結婚できないのか?

11) なぜ、小学校、中学校の通信簿の国語が 1だったのか?

12) なぜ、下らないコメントしか書けないのか?

13) 40歳を過ぎているのに、なぜ 教養も、常識も、良識も欠如しているのか?

14) どのブログにコメントを書いても、なぜブロガーから嫌われるのか?

15) 40歳を過ぎているのに、友達も無く、家族から嫌われ、なぜ、狭い部屋に閉じこもっているのか?

16) なぜ、学歴社会に、これほどまでに拘(こだわ)るのか?

17) 偏差値30台の学力の無さから、なぜ、これほどまでのトラウマを受けてしまったのか?

18) いつまでたっても、心の傷が癒されずに、生きる価値の無い廃人だと なぜ認めてしまうのか?

 


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「現実主義者」と名乗る

現内バカ雄の

現内家の呪い

 

あのさァ~、ちょっとだけ考えただけでも、愚かなオマエには これだけの問題があるのだよ!
どうしてなの? 

愚かなオマエには解らないだろうなァ~???

なぜなら、愚かなオマエは失敗から学ばないからだよ!

それに、昔の人が言った 格言、生活の知恵。。。、 そういうものから学ぼうとしないからだよ!

だから、馬鹿なオマエは「昔の哲学者の言葉を拾ったみたいな言い方しかできん奴らばっかだが何か?」というような愚かな返信しか書けない!
つまり、オマエは、昔の哲学者や、賢人や、思想家や、業績のある政治家や教育者や、芸術家や、作家の作品や言葉をしっかりと理解したことが無い!

偏差値が30台だというオマエの学力がそれを物語っているのだよ!
しかも、40歳になっても、未(いま)だに下らないコメントだけしか書けないオマエの文章を見ると、
オマエが長い間 狭い部屋に引きこもって、人間関係をうまく築くことができなかったということが、はっきりと見て取れる!

そういうわけで、オマエは人生経験も無ければ、学力も人よりも劣っている!
だから、オマエは、何度となく失敗を繰り返し、反省することも無ければ、努力することも無い!

そういうわけで、オマエには友達と呼べる人もいなかれば、
結婚したくても、結婚相手さえも見つけられない!

それで、仕方なく、寂しさを紛(まぎ)らわせるために、狭い部屋に引きこもりながら、
パソコンに向かって下らないコメントを書いているのだよ!

オマエのような馬鹿は、ほとんどの日本人が相手にしないのだ!
なぜなら、日本には“馬鹿を相手にするな!”という言い伝えがある!

では、なぜデンマンは、底抜けに愚かなオマエのような人間を相手にするのか?

それは、生きる価値が無い廃人だと信じているオマエにも生きる価値があるからだよ!

どういう価値? 愚かなオマエは僕に尋ねるに違いない!(笑)

オマエは、立派で優秀な反面教師なんだよ!
オマエほどの素晴らしい反面教師は世界のどこを探しても見つけることができないのだよ!
きゃはははははは。。。

毛沢東が生きていたら、オマエを拉致(らち)して、天安門広場で公開処刑するのだよ!

それほどに、オマエは類(たぐい)まれな素晴らしい反面教師なのだよ!
オマエは日本で暮らしていることに感謝しなければならない!
中国にいたら、オマエは、まともに処刑されるのだから。。。!

(ところで、こうして振り仮名をつけるのは偏差値が30台の学力しかない愚かなオマエのためなんだよ! 爆笑)


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つまり、オマエのような底抜けの愚か者がネットで増えては困る!
だから、心の優しい僕ちゃんは、オマエのことを記事にしているのだよ! (モナリザの微笑)

そうすれば、多くのネット市民の皆様が、オマエの天然記念物的な愚かさを見て、
オマエのような愚かな人間にだけはなるまい!と思うわけだよ。
つまり、「他人の振り見て我が振り直せ!」

オマエの反面教師としての価値は、ここにあるわけだ!(爆笑)

そういうわけだから、まだ馬鹿やっていてもいいからねぇ~。。。
(モナリザの微笑)

底抜けに愚かで生きる価値が無いと自分で認めている廃人の現実主義者へ
心の優しいデンマンより
きゃはははははは。。。

 

barclay 2018-04-07 14:03:33


赤字はデンマンが強調のため!)

『世界一愚かな現実主義者』のコメント欄より
(2018年3月26日)

この「現実主義者」と名乗る愚か者のために、家族やブロガー、知り合い、5ちゃんねらーは悲劇的な迷惑をこうむっているのですよ。。。

つまり、常識や良識を欠いた者のために、家族や周りの者が悲劇に見舞われるとケイトーは言うのォ~?

そうですよ。。。 上の愚かな「現実主義者」がその悲劇の元凶なのですよ! 「現実主義者」と名乗る現内バカ雄の近所の人は現内家の呪いと噂しているけれど、実は、呪いの原因は、この愚か者にあるのですよ!

すると、ケネディ家の場合は、どういうことになるのォ~? だれが悲劇の元凶なのォ~?

強(し)いて上げれば、パトリアーチのケネディ家の当主のジョセフ・P・ケネディですよ。

ジョセフ・P・ケネディ

(1888年9月6日 – 1969年11月18日)


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ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニアは、アメリカ合衆国の政治家・実業家、第35代大統領のジョン・F・ケネディの父である。
「ジョー」は「ジョセフ」の短縮形。

巨大な資産をバックグランドにした民主党の有力政治家であり、アメリカのカトリック教徒および、アイルランド系アメリカ人の実力者でもあった。
フランクリン・ルーズベルトの大統領選出時(1932年)に財政支援を行った功によって、初代証券取引委員会委員長(1934年)、連邦海事委員会委員長(1936年)、在イギリスアメリカ合衆国大使(1938年~1940年)のポストを歴任した。

戦後の政治活動

ジョー・ケネディの権力基盤は莫大な財産と幅広いコネクション、特にアイルランド系アメリカ人コミュニティーがその基盤となった。
特にボストン、ニューヨーク、シカゴ、ピッツバーグといった大都市のアイルランド人コミュニティーに築いた強固な基盤は息子ジャックのホワイトハウス入りの大きな推進力となった。

子供たちの政界進出をかけて

自身の政治家生命が絶たれたあと、ジョーの望みは息子たちをアメリカ大統領の座につかせることだった。
そのため、ジョーは戦後、自分は表に出ずに陰から息子たちをバックアップするようになった。

ジョーは大使時代の失態や相場師としての悪評、密輸ビジネス、マフィアとの関係、ルーズベルト大統領への批判、マッカーシー議員との親密さなどジャックの大統領選挙活動にとってマイナスになることが多すぎたため、裏に隠れざるを得なかった。

しかし、ジャックの大統領選挙活動もあって実際に中心にいるのがジョーであることは誰の眼にも明らかだった。
ジョーは選挙資金を出すだけでなく、メディアの利用の仕方、政治家たちとの駆け引き、裏社会との交渉、自己イメージの演出法など己の人生で得た知識のすべてをジャックに叩き込んだ。
大統領を目指すジャックにとって父親は最強のブレーンであり、サポーターであった。

1961年1月20日、ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ合衆国大統領に就任。
弟のボビーは司法長官として入閣した。
しかし、ジョーがフィクサーとしてアメリカ合衆国を自らの手でコントロールできる喜びに浸れたのもつかの間だった。

 


出典: 「ジョセフ・P・ケネディ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィキペディアには書いてないけれど、ジョーの若い頃はプレーボーイとしても知る人は知るやり手だった。。。 マレーネ・ディートリッヒとの情事も、いわば公然の秘密だった。。。

つまり、ケネディ家の男たちには、女性問題を起こすようなパッションの熱い血が流れているとケイトーは言いたいのォ~?

そうですよ。。。 ジョーのパッションの熱い血は、当然ケネディ大統領にも受け継がれた。。。 

ケネディ大統領の女性問題


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今日、ケネディは結婚前のみならず、結婚後、そして大統領就任後も複数の女性と不倫関係を持ち続けていたことが明らかになっている。
その中には女優やマフィアの愛人から部下の妻までが含まれている。

上院議員時代の議員事務所の受付嬢だったパメラ・ターニャ、女優のアンジー・ディキンソン、同じく女優のジーン・カーメン、ホワイトハウスのワーキングガールのプリシア・ウイアとジル・カウエン、メアリー・ピンショー・マイヤー、そしてドイツ人外交官の妻。

1980年代後半に公表されたFBIの報告によると、ホワイトハウスを監視していたFBI当局は在任2年10ヵ月の間に大統領が親密な関係を持った女性を少なくとも32名リストアップしている。

ホワイトハウスのシークレットサービス(警護官)が恐れていたのはケネディの女性関係がもたらす保安上の危険であった。
補佐官のデーブ・パワーズが女性を入れる場合に必要なセキュリティチェックや身体検査を認めず、ただ警護官の前を素通りするだけであった。
警護官の1人ラリー・ニューマンは後にジャーナリストのシーモア・ハーシュに「我々には大統領が翌朝死んでいるか生きているか見当もつかなった。」と述べて、同じ警護官だったトニー・シャーマンは、突然ジャクリーン夫人がやって来た場合は側近に《急を知らせる》役割が任務に含まれていた、としている。
キューバ情勢から暗殺を企てているかも知れないとの警告が発せられた時期であった。

 

モンローとの不倫

そして最も有名なのは、1950年代後半から妹パトリシアの夫でハリウッド俳優のピーター・ローフォードから紹介された映画女優のマリリン・モンローで、就任後の1962年5月まで不倫の関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている。

さらに大統領予備選挙前の1960年2月にシカゴのマフィア「シカゴ・アウトフィット」のボスのサム・ジアンカーナの指示を受けたフランク・シナトラから、シナトラの元恋人でありジアンカーナの愛人でもあったジュディス・キャンベル(英語版)を紹介され、その後の大統領予備選挙時においてもモンローと併行して不倫関係を持っていただけでなく、その後もたびたび会っていたことが明らかになっている。
ホワイトハウスでのキャンベルとの通話記録は70回を数え、2人っきりの食事が20回はあったという。

なお、モンローとの関係は、ケネディがマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナらのマフィアが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーが、司法長官を務めるロバートに強く忠告したことで終焉を迎えた。
同じくキャンベルとの関係も間もなく終焉を迎えることになった。

モンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク州のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティーに、体の線が露わになったドレス姿で赴き、「ハッピーバースデー」の歌を披露した(ハッピーバースデー・ミスタープレジデントも参照)。

なおこの際に、ケネディとモンローの性的関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した。

なお、ケネディとモンローが同時に写っている写真は、シークレットサービスにより回収されたために、この際に撮影された写真が現存が確認されている唯一のものとなっている。


出典: 「ジョン・F・ケネディ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、ケネディ家の悲劇の裏には、パトリアーチのケネディ家の当主のジョセフ・P・ケネディのパッションの熱い血が隠されている、とケイトーは言うのねぇ~?

そうですよ。。。 ここまで読んでくれば、納得する人もかなりいると思いますよ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

確かに、10代デヴォンシャー公爵の長男・ウィリアム(ビリー)・キャヴェンディッシュ(陸軍少佐)と恋に落ちたキックは、情熱的に突っ走って、お母さんの反対を押し切り結婚してしまいました。

故ケネディ大統領も、相当なプレーボーイだったようです。。。

チャパキディック事件を起こしたエドワードも、同乗していたマリー・ジョー・コペクニとは、相当深い関係だったようですよね。。。

事件の真相は未だに判っていません。

呪いと言ってしまえば、簡単にケリがつきますが、

世の中は、そう簡単には割り切れない何かが隠されているようですわ。。。

たとえば、デンマンさんが言うように「現実主義者」と名乗る現内バカ雄の近所の人は

現内家の呪いと噂しているようですけれど、

実は、呪いの原因は、「現実主義者」と名乗る愚か者一人にあるわけです。。。

あなたも周りの家族の“呪い”についても考えてみてください。。。

きっと、元凶の愚か者の姿が思い浮かぶと思いますわァ。。。(笑)

 

ところで、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


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『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事


平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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