ケネディ夫人@インドネシア

 

2018年9月7日 (金曜日)

 

ケネディ夫人@インドネシア

 


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アメリカの大統領夫人のケネディさんは、インドネシアに行ったことがあるのォ~?


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僕が知る限り、ケネディ夫人がインドネシアを訪問したということはないはずです。。。

それなのに、どういうわけでケイトーはケネディ夫人@インドネシアというタイトルにしたわけぇ~?

その質問に答える前に、まず次のリストを見て欲しいのですよ。。。


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『拡大する』

『シルヴィーとケネディ夫人(PART 1)』

 

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で9月4日の 午前7時39分から 5日の午前3時11分までの約19時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。

あらっ。。。 9月4日の午前7時49分にGOOGLEのアンドロイドの検索機能を使って検索して『シルヴィーとケネディ夫人(PART 1)』を読んだのねぇ~。。。

そういうことです。。。 僕はケイタイもスマホも持ってないので GOOGLEでどのように検索してみたのか試してみたのですよ。。。 次の検索家かを見てください。。。

 


(gog80904a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

あらっ。。。 「シルヴィー ケネディ夫人」と入れて検索したわけなのォ~?

そうなのですよ。。。 この検索結果を見ると、明らかに画像をクリックして『シルヴィーとケネディ夫人(PART 1)』を読んだことが判るのです。。。

もしかして、上のリストの中に写っている女性が検索したわけなのォ~?

そうです。。。 よく分かりましたねぇ~。。。

だってぇ~、これまでのケイトーの記事を読むと、たいていそうなってるじゃない。。。

実は、シルヴィーのふるさとインドネシアの中部ジャワ州、スラカルタ市に住むジャスミン・チャン (Jasmin Chan) さんが読んだのです。。。

 


(surakarta5.jpg)

 

いつものように、またIPアドレスからジャスミンさんが読んだことを突き止めたのォ~?

そうです。。。

 


(ip2295b.png)

 

。。。で、ジャスミンさんは、スラカルタ市で何をしているのォ~?

スラカルタ市から車で1時間ほど北にあるスマラン市にある国立のディポネゴロ大学(Diponegoro University)で日本文化と日本語を専攻しているのですよ。

 


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。。。で、ジャスミンさんは、何を調べようとしたわけなのォ~?

もちろん、日本とインドネシアの関係についてですよ。。。 

でも。。。、でも。。。、「シルヴィー ケネディ夫人」と入れて検索したわけでしょう。。。 日本とインドネシアとは全く関係ないじゃないのォ~!

あのねぇ~、ジャスミンさんは『徒然ブログ』の常連さんなのです。。。 だから、シルヴィーのことを知っていた。。。

それで「シルヴィー」と入れたわけぇ~?

そういうことです。。。

じゃあ、どういうわけで日本とインドネシアとの関係を調べるのに「ケネディ夫人」を入れたわけなのォ~?

もちろん、初めから日本とインドネシアの関係を調べるつもりではなかった。。。  ケネディ夫人のエピソードを調べていたわけです。。。 ちょっと次のページを見てください。。。

 


(gog80904b.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

ジャスミンさんは、こうしてケネディ夫人の写真をクリックしてみたわけです。。。 すると、画面にインドネシアの元スカルノ大統領と中国の周恩来首相が出てきた。。。 でも、写っている女性は知らない。。。それで興味を持って、その写真をクリックしたのです。。。

 


(gog80904c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

それで、この女性についても、もっと知りたいと思って赤丸印のVisitをクリックして記事を読んだのですよ。。。

。。。で、その女性が日本生まれ、日本育ちのデヴィ夫人だということが判ったわけなのォ~?

そういうことです。。。

1949年のハーグ協定によってオランダがインドネシア独立を認めた際に、最後まで難航したのはオランダ植民地であったニューギニアの帰属であった。
オランダはニューギニアの住民はマレー系民族のインドネシアとは異なる別民族であると主張していた。
1910年にオランダは蘭領東インドからニューギニアを切り離して別個の植民地にしたこともありインドネシア領土の対象外であるとした。

インドネシアの民族主義者たちは全オランダ領がインドネシアとして独立することを望んでいた。
結局、ニューギニア問題は棚上げにしてハーグ協定は締結されたが、その間にオランダはジャワ島、スマトラ島からニューギニアへのオランダ人の入植者を募った。
1961年12月1日、オランダ領は国連暫定統治に置かれたが、オランダは新たに国旗、国歌を制定しパプア国としてニューギニアを独立させる準備をすすめた。


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スカルノ大統領と周恩来首相と

デヴィ夫人 ムルデカ宮殿(1964年)

(Merdeka Palace in Jakarta)

オランダの対応に業を煮やしたスカルノ大統領は総力をあげてトリコラといわれるイリアン奪回を宣言した。
そして1961年12月、マンダラ作戦と称する軍事行動を開始した。
海戦で砲火を交え、落下傘部隊の降下作戦を指揮したのは後に大統領になるスハルト将軍であった。


(suharto2.jpg)

スハルト将軍

さらにインドネシアは強硬策を講じ国内のオランダ資産を没収した。

事態の進展に憂慮したアメリカの支援をえて外交交渉の結果、1962年のニューヨーク協定でニューギニアのオランダ領の暫定統治はインドネシアに委任され、数年後に住民の意志を確認した後にインドネシアに
併合されることになった。


『シルヴィーとケネディ夫人(PART 1)』より
(2011年6月15日)

でも。。。、でも。。。、上の引用箇所には、日本とインドネシアの関係が何も書いてないじゃないの!?

だから、僕が、次のような関係があったことをジャスミンさんに教えてあげたのですよ。。。

デヴィ・スカルノ


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東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子の間に生まれる。
父は麻布区霞町界隈の大工の棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。
太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県浪江に疎開していた。
家庭は裕福ではなかった。

 

無名エキストラ女優~高級クラブ

1955年(昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。

中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちし続ける日々を送った。

1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。

1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。
この一件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。

 

スカルノ大統領夫人

独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。

彼女はインドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年(昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。

しかし、同時期にマスコミの執拗な取材により体調を崩していた母が亡くなった。
更にその2日後、セールスマンに全財産を騙し取られたうえ、母の死に目に逢えなかった実弟の八曾男が、自宅アパートでガス自殺し、それを伝え聞いた彼女は「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」と告白し、後にジャカルタの宮殿の一つに実弟の名をつけた。
この宮殿はのちに接収され、軍事博物館になっている。

 

スカルノ大統領失脚

3年後の1965年(昭和40年)9月30日に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノが失脚、代わってスハルトが大統領となった。
スカルノは軟禁状態におかれ、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望したが、国際的立場上の理由で断念。
スカルノの第2夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを離れ逃げ切った。

1967年(昭和42年)3月11日、都内病院にて娘のカリナを出産する。
正式名は「Kartika Sari Dewi Soekarno」。
スカルノ大統領の8番目の子供であった。

デヴィ夫人は政治的に亡命者に寛容なフランスを亡命先に選ぶ。
スカルノ元大統領存命中にも関わらず数回の婚約発表が取りざたされたが、結局再婚はしなかった。


出典: 「デヴィ・スカルノ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも。。。、でも。。。、この上の説明は『ウィキペディア』を見れば書いてあることじゃない!?

そうです。。。 でも、ジャスミンさんは僕にメールで問い合わせてきたので、教えたのですよ。。。 いけませんか?

でも、それだったら、「“ウィキペディア”を見なさい」と言えば済むことなのよ!

でも、それでは、あまりにもつれないでしょう!? ジャスミンさんのような可愛い女性に、そのような冷たいことは僕には言えませんよ!

じゃあ、60歳のおばあさんだったら、相手にならなかったわけぇ~?

いや。。。 相手にしますよ。。。 年齢や性別や肌の色にかかわらず。。。 僕は女性には、とりわけ優しいのだから。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも最後に白けたでしょう?

いずれにしても、デヴィ夫人は数奇な人生をたどりました。。。

日本でも、いろいろなスキャンダルを取り混ぜて話題になったようです。。。

 


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ところで、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


(cleopara2.jpg)

『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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