役者 昔と今

 

役者 昔と今

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで昔と今の役者を取り上げるのでござ~ますかァ?


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あのねぇ~、たまたま神田伯山の講談を聴いたのですよ。。。

あらっ。。。デンマンさんは講談に興味があるのでござ~ますかァ~?

いや。。。僕は落語は聴くけれど講談を聴くことはまずありません。。。

それなのに、どういうわけで講談を聴いたのですかァ~?

僕は江戸時代の有名な人気役者・中村仲蔵と言う人物について調べていたのですよ。。。そういうわけでユーチューブで「中村仲蔵」と入れて検索したら次のクリップが出てきた。。。

 


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歌舞伎役者・中村仲蔵と言う人は、今の役者で言えば、大部屋の役者だったのですよ。。。つまり、通行人とか、時代劇で言えば斬られ役として出演する人で、セリフがないか、あったとしても一言二言だけの最下層の役者ですよ。。。

そう言う最下層の役者だったにもかかわらず出世して人気役者になったのでござ~ますかァ~?

そうなのです。。。その当時では考えられない出世をしたのです。。。ウィキペディアで調べたら次のように書いてありました。。。

 

中村仲蔵


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元文元年〈1736年〉 – 寛政2年4月23日〈1790年6月5日〉

 

初代 中村仲蔵(なかむら なかぞう)とは、江戸時代中期の歌舞伎役者。
俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。
紋は中車紋・三つの人の紋。

「名人仲蔵」とよばれた名優であり、江戸時代の伝説の歌舞伎役者ともいわれる。
妻は長唄の七代目杵屋喜三郎の娘お岸。

浪人斉藤某の子として生まれる(江戸平井村渡し守の子の説あり)。
4歳の時に舞踊の師匠志賀山お俊の養子となり、お俊の夫長唄の師匠六代目中山小十郎の名をもらって中山万蔵と名乗る。

はじめは舞踊関係で活動していたが、寛保3年(1743年)役者に転向し、二代目中村勝十郎門下で中村市十郎と名乗る。
初舞台はそれから2年後の延享2年(1745年)、中村中蔵の名で中村座に立つ。

寛延3年(1750年)、贔屓にされていた吉川某に身請けされ、一時役者を廃業する。
人形町で酒屋を営んだり、志賀山流の稽古屋を開き、その傍ら能楽や音曲などを習得する。

宝暦4年(1754年)、舞台に復帰する。
はじめは4年のブランクに不振を極め、先輩同輩からイジメを受け、自殺未遂に至るほど苦しむが、奮起して一心不乱に芸を磨く。

その有様を見て人々は、中蔵を「芸きちがい」と呼んだ。
やがてその才能を四代目市川團十郎に認められてからは人気が上がり、『仮名手本忠臣蔵』五段目で斧定九郎を現行の姿(黒羽二重に献上博多帯)で演じて評判となる。

 

 

天明5年(1785年)、中村仲蔵と改名する。
なお一時養父の名である中山小十郎を名乗ることがあったが、すぐに仲蔵に戻った。

また舞踊では八代目(一説には六代目)志賀山万作と名乗り、志賀山流を発展させた。
享年55。
墓所は下谷の日蓮正宗・常在寺であったが、同寺が区画整理のため池袋に移転する際、谷中霊園に改葬された。
戒名は浄華院秀伯善量信士。

 

功績

一代で仲蔵の名を大名跡とし、門閥外から大看板となった立志伝中の人である。

立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。

『舌出三番叟』のほか、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『義経千本桜』の権太と狐忠信、『関の扉』の関兵衛、『戻籠』の次郎作、『娘道成寺』の白拍子などが当り役であった。
著書に『秀鶴日記』、『秀鶴随筆』、自伝『月雪花寝物語』などがある。

 

その他

落語で現在も口演される人情噺『中村仲蔵』の主人公。

落語『淀五郎』では主人公の澤村淀五郎を励ます役で登場する。

定九郎を今日の浪人風に演じたのは仲蔵の工夫によるものであるが、三代目中村仲蔵の著書『手前味噌』によると、初代仲蔵が立作者の金井三笑と『曽我の対面』の工藤の演出をめぐって不和となり、三笑がわざと定九郎一役だけを仲蔵に振って嫌がらせをしたのが事の起こりということである。

考証に詳しい六代目三遊亭圓生は『中村仲蔵』を演じるとき、上記の説をとっている。

 


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落語では定九郎の役作りの祈願のために柳島の妙見様へ通ったとされているが、実際の仲蔵は葬儀も墓所も菩提寺は下谷常在寺であり、同じ富士派(日蓮正宗大石寺末)の常泉寺に参詣したとする見解もある。
(常泉寺の境内は業平、小梅一帯であった。)

「とにかく三七・二十一日間お詣りしていたんです。そして二十一日満願の帰りに夕立ちになってしまって、業平橋あたりのそば屋へ入って雨やどりをしていたら、そこへ一人の浪人が赤鞘(あかさや)の刀を差して、破れた蛇の目傘を持って尻っぱしょりで入って来て、入って来るなり蛇の目傘の雨しずくを振り切るわけです。その格好が美事だったんでしょう。仲蔵はその姿を見て、「これだ!」ということでその姿を定九郎の役に取り入れて素晴らしい演技ができたそうですよ。」慧燈第8号(昭和55年3月15日発行)

紋の「中車紋」は中の字を四つ組み合わせたもので、師匠の中村傳九郎家のもの。
替紋は、仲蔵が舞台に上がる時気合いを入れるために「人」の字を3回書いて飲み込んだことに由来するという。

平成17年(2004年)、大阪松竹座・東京日生劇場で初代中村仲蔵を主人公にした新作狂言『夢の仲蔵千本桜』が上演されている。
仲蔵を勤めたのは現・二代目松本白鸚だった。


出典:「中村仲蔵 (初代)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

中村仲蔵が演じたという定九郎が出てくる

『仮名手本忠臣蔵』五段目

 

僕はこの落語を聞くまで、中村仲蔵という名前を聞いたことがなかった。。。中村で知っているのは子供の頃チャンバラ映画で見た中村錦之助ぐらいなものですよ。。。

 


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三遊亭圓生の落語を聴いてみればわかるけれど、江戸時代の歌舞伎役者は、名のある役者の家に生まれない限り出世はできず、素人から役者を始めたのでは、今でいう大部屋の役者で終わるのが普通だったのです。。。

 


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『動画を見る』

 

今でも、大部屋俳優から、認められて出世して映画の主演をやるような俳優になったのは数少ないのですよ。。。僕の知っている限り川谷拓三さんだけですよ。。。

 


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現在でも、大部屋俳優から出世して主演を演じるようになった役者は数えるほどしかいないと思います。。。歌舞伎役者でも、現在名前が知られている有名な役者は、ほとんどすべてが名のある役者の家に生まれて少年の頃から子役で歌舞伎の舞台に立っている人たちですよ。。。

そのようでござァ~ますわねぇ~。。。

江戸時代には、士農工商という身分制度もあったし、歌舞伎の世界でも、身分制度があった。。。

&nbsp

歌舞伎の身分制度

 


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江戸時代、歌舞伎役者たちは、主だった役柄を演じる名題(なだい)の下に、相中(あいちゅう)、中通り(ちゅうどおり)、下立役(したたちやく)などの身分があり、個別の楽屋が割り当てられる名題以外の役者は、楽屋の3階に設けられた板の間に雑居していた。

このため、「三階」、「三階さん」といった呼称も用いられた。
ただし、最下層の下立役の部屋は、実際には1階にあった。

こうした厳しい身分制度は、明治末期まで残っていたといわれる。

 

映画

大部屋俳優も、主役級の俳優たちと同じく特定の映画会社と雇用契約を結ぶが、その契約形態は大きく異なっている。
概ね1960年代まで一般的であった専属契約では、主役級などの俳優が、出演本数に基づいて出演料が支払われた。

しかし、大部屋俳優は、定額の月給制で、危険を伴う演技など何らかの特別な場合に一定の手当が加算されるという形であった。
東宝の場合、前者を「Aホーム」、後者を「Bホーム」と称し、後者の中でもエキストラやスタントを含めておこなう者を「B2」と分類していた。

唐沢民賢によれば、東映京都撮影所の大部屋俳優は撮影所契約の月給制だが、会社に認められて本社契約を勝ち取れば、年6本の本編(映画)専属契約となり、ギャラも跳ね上がるという。

大部屋に所属する俳優の数は、数十人から百人以上に及ぶこともある。
大部屋出身の俳優である土平ドンペイの回想によると、1990年代の松竹京都撮影所の大部屋には、実際には男性用の4畳半ほどの部屋が3室ほどと、少し広い女性用の部屋1室があり、そこに20人ほどがいたという。
2018年に、東映が東映京都撮影所の大部屋にあたる「俳優事務所」の一元化をしたところ、所属俳優の規模は、もっぱら東映太秦映画村での殺陣のパフォーマンスにあたる者なども含め、180人ほどとなった。

大部屋の俳優は、端役を演じ、出演者としてクレジットされることもあるが、エキストラ同然の扱いでクレジットされないこともある。
大部屋俳優の多くは、俳優としての一本立ちを目指す比較的若い者たちであるが、中には山内八郎、加藤茂雄、福本清三、小峰隆司のように、ベテランに至るまで大部屋で過ごし、大部屋俳優として名を残した者もいる

また、怪獣映画などのスーツアクターも、大部屋俳優が務める例があった。
初代ゴジラのスーツアクターとして知られた中島春雄もその例である。

 

大部屋出身の俳優

大部屋出身であることが、しばしば言及される俳優、女優の例。

石倉三郎
川谷拓三
志賀勝
谷よしの
土平ドンペイ


出典:「大部屋俳優」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

中村仲蔵は歌舞伎役者の一番下の階級から、名題という最上級になり、さらに三座の座頭になったというのです。。。つまり、中村座の座長ですよ。。。2023年7月21日、文化審議会の答申で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に、歌舞伎俳優の中村歌六さん(72)が選ばれたけれど、江戸時代に人間国宝制度があれば、中村仲蔵も人間国宝になっていましたよ。。。

 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、映画の俳優になろうという夢を持っていますか?

劇団に入って修行を積むのもよいかもしれません。

でも、劇団に入れたとしても、アルバイトしないと食べてゆけないそうです。

昔も今も役者になって出世するのは大変なようです。。。

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 

 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

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下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


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佐保川のドクロ

佐保川のドクロ

 

 

こんにちは。。。デンマンです。
“佐保川のドクロ”なんて、ちょっと物騒な話ですよね。

この佐保川のドクロについて卑弥子さんが次のようなことを書いていたんですよ。

 

おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしもブログで頑張っているのでござ~♪~ますのよ。

あなたも頑張ってますか?

ええっ?ブログを始めると、

どういうすばらしことがあるのかって?

それはね、デンマンさんのブログを見れば分かりますわよ。

あなたは、レンゲさんの記事を読んだことがありますか?

ないのォ~?

ダメよ!そいじゃあああ~~

実に面白いから次のリンクをクリックして読んで御覧なさいよ!

 

『レンゲの面白いお話 (愛はスミレの花よ)』

 

このレンゲさんは、実はデンマンさんが

ネットで出会った女性なのですわよ。

デンマンさんが3年程前にネットで出会って、

それ以来、お二人はラブラブなんですのよ。

あなたがまだ、その記事を読んでいないのだったら、

ぜひ読んでね。

つまりね、ブログを書くと、

そのような出会いもあるという事なのよォ~。

だから、あたくしもブログを始めようと

思ったのでござ~♪~ますのよ。

ええっ?それは不純な動機だとおっしゃるのですか?

何を言ってんのよォ~~。んも~~

不純であろうが、なんであろうが、

あたくしはボーイフレンドが

欲しいのでござ~♪~ますわよゥ。

。。。そいでもって、ネットでデンマンさんのような

すばらしい殿方との出会いがあるのならば、

これ以上の幸せは無いのでござ~♪~ますのよ。

うふふふふふ。。。。

 

 

お分かりですかぁ~~?

あたくしだって、こうしてラブラブに

萌えたいのでござ~♪~ますわよゥ~~。

うしししし。。。。

ええっ?でも、そうゆうのは

不純だと言うのですかぁ~?

あなたは、まだ、そのような下らないことに、

こだわっているのですかあ~? んも~~

不純だろうが、なんであろうが、

結果としてデンマンさんのような

すばらしい殿方と出会えて、

上の写真のようにラブラブになって

萌えることが出来たなら、

これ以上の幸せは無いので

ござ~♪~ますわよ。でしょう?

どうなのよ。。。?あなた。。。? 

このように萌え萌えになったことがあるのォ~?

ないでしょう?

だから、ブログを始めるのよおゥ~~

今度は分かったでしょう?

分かって頂戴よ?んも~~!!

うへへへへ。。。。

そう言う訳なのよゥ~。

だから、わりィ~事は言わないから、

あなたも騙されたと思って

次のリンクをクリックして今から始めるのよ!ねっ?

『あなたもブログを始めましょうね』

お願いよゥ~ うしししし。。。

頼むわよねぇ~。うへへへへ。。。。

あなたはいい子だから絶対に

ブログを始めてくれるわよねぇ~♪~?

ええっ?

そんなことはどうでもいいから、

何か面白い事を話せっつんですかあああァ~♪~

貴方は、あたくしのお願いを

聞いてくれないのですかぁ~?

ええっ?

聞いてあげるから、面白いことを話せと

あなたはあたくしに強要するのですかァ~?

いやなお方ぁあああ~~~

分かりましたわ。

じゃあね、日本の魔女の事をお話しますわよ。

ええっ?

日本に魔女が居たなんて聞いた事がないの?

だから、面白いのじゃないのォ~~~

でしょう?

黙って聞きなさいよゥ~ んも~~

うふふふふふふ。。。

日本にも魔女裁判があったのでござ~♪~ますのよ。

この事件は神護景雲3(769)年5月に

起こったのですわよ。

不破内親王と言う女性が中心になって

称徳女帝の髪を盗んできて、

佐保川の河原から拾ってきた髑髏(ドクロ)に入れて

 

 

呪詛(じゅそ)するという、

おぞましいものだったのでござ~♪~ますのよ。

称徳女帝と言うのは、あの有名な道鏡の

お相手になったと言われている女帝ですわよ。

どうなの。。。?

ん?

絶対に読みたくなってきたでしょう?

じゃあねぇ~、次のリンクを

クリックして読んでみてねぇ。

 

『いにしえの愛を見つめて。。。』

 

ダメよ!生返事だけして

この場を誤魔化そうとしちゃぁあああ~~

絶対見てよねぇ。 

貴方が面白い話をしてって、

強要したのですからねぇ~。

見ないとダメよォ~

おほほほほ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。バーィ

 

長い引用になりましたが、僕はこの佐保川がどこにあるのか実は知らなかったのですよ。

この卑弥子さんの記事がフルーツブログに掲載されたのですが、
それを読んだフラップさんが次のようなコメントを書いてくれたのです。

 

 

こんばんは、はじめまして。
道鏡のことを検索していて立ち寄りました。
佐保川温泉(銭湯)にこのあいだ行きましたわ。
あの近くで拾ったどくろなんですね。
お邪魔しましたすみません。
おやすみなさい。

 

by フラップ at 2006/12/12 01:29

 

僕はさっそく次のような返信を書きました。
 

 

フラップさん、コメントありがとね。
ちゃんとURLが書いてありますね。
うれしいですね。
URLを書かずにコメントを書く人がほとんどですからね。
あなたのように書いてくれると、うれしくなりますよ。
しかも、マジなコメントですからね。(おそらく。。。うへへへへ。。。)

 


 

道鏡のことを検索していたのですか?
あなたの記事を書くためですか?
それとも、単なる興味?

> 佐保川温泉(銭湯)にこのあいだ行きましたわ。
> あの近くで拾ったどくろなんですね。

佐保川に温泉があったとはねぇ~~。。。
地理まで調べませんでしたよ。
しかし、銭湯と断ってありますね。
実際には、佐保川にある温泉でなくて銭湯ですか?
僕も調べてみようと思いますよ。

ところで、リンクをクリックして
『いにしえの愛を見つめて。。。』を読みましたか?
感想を聞きたいところです。

あなたのURLを見るとclassicと書いてありますね。
つまり、日本の古典ですか?
時間がある時に覗いてみたいと思いますよ。
もし歴史を扱った記事があったら、読んでみようと思います。
面白かったら、このブログで取り上げようと思います。

はてなダイアリーに書いた記事に付いたコメントに気持ちが集中していたのでフルーツブログのコメントを見過ごしていましたよ。
そう言う訳で返信が遅れました。
あしからず。

とにかく、コメントありがとね。
また、気が向いたら書いてね。
じゃあ、バイバ~♪~イ
良いクリスマスを迎えてね。

 

 

by バークレー (デンマン) ◆ barclay at 2006/12/14 22:21

『あなたも、ブログやってる?』のコメント欄より

(デンマン注: 残念ながら、このブログプロバイダーはネットから撤退しました

 

そうなんですよ。
もう古い話です。
去年の12月14日に書いたものです。
何の気なしに、この記事のことが思い浮かんできて、そう言えば佐保川について、まだ調べていなかったなあああ~

そう思って調べ始めたのです。
まず、“佐保川温泉”と入れてGOOGLEで調べてみました。
すぐに見つかりました。

 

佐保川温泉

 

 

近鉄「奈良」駅下車、北へ徒歩約10分。
奈良女子大正門からさらに北へ歩く。

営業時間:15時~22時、不定休
入場料:大人350円
住所:奈良市西笹鉾町30
電話:0742-22-5125

奈良市旧市街地の北はずれに位置する銭湯。
佐保川の南にあるため、こう名付けられたのだろう。
外観は重厚で古い感じに見せてはいるが、内は最近改装されたのか新しくキレイである。
番台で入浴料を支払い、脱衣場へ。

ん、ロッカーの下にカラオケLDが山盛りに置かれている。
番台横にはレーザーカラオケの機械とモニターがあったので、ちょっと前まではカラオケサービスも行っていたのだろうか?
早速服を脱いで浴室へ。

入口横にスチームサウナと水風呂があり、奥に左からメイン(深・浅)浴槽、ジェット、電気風呂、バスクリン風呂(ジェットあり)と奈良では珍しい東京風な配置。
所々手すりも設置されている。
また部屋自体は奥まっていて広く感じるのでゆったりと湯を楽しむことができた。
奥の壁には渓谷のモザイク画が描かれていた。
洗い場のカランにはホースシャワーと固定式シャワーがバラバラに設置されている。

風呂上がりには森永の牛乳&コーヒー(各100円)とあとは缶があり。
評価:★★★☆☆
コメント:ゆったりとできる銭湯。レーザーカラオケ、歌えるのだろうか?

『佐保川温泉』より

 

うん、うん、うん。。。
なるほど、なるほどォ~。。。
フラップさんは、この銭湯に浸かったわけなんですね。
確かにゆったりと出来そうな銭湯のようですよね。
奈良に行ったら、僕もぜひ訪ねてみようと思います。

佐保川について、もっと詳しく知りたいと思い、更にサーフィンを続けました。
程なく次のサイトに出くわしました。

 

佐保川の古桜

 

 

万葉集にも歌われている奈良の佐保川には、多くの桜の木が植えられています。
江戸時代の幕末に奈良奉行が植樹させたものなのですが、桜の寿命は短くほとんどが姿を消し、現存する桜は堤防に4本だけになってしまいました。
しかし樹齢約150年を超える桜の木は見事で、毎年ライトアップされています。

『佐保川の古桜』より

 

ところで上の写真は佐保川とは関係ありません。
おそらく、このような景色ではないか?
そう思って僕のイメージとして上の写真を貼り付けました。

今から1238年前の神護景雲3(769)年5月に事件が起きた当時も、この上の写真のように佐保川の土手は、のどかな情景だったかもしれません。
県犬養姉女(あがたいぬかいのあねめ)と言う女性が不破内親王のもとで氷上志計志麻呂(ひかみのしけしまろ)を皇位に就けようと画策したわけです。
“呪い殺す”と言う事がいかにも奈良時代ですよね。
現在、呪い殺すことが出来るなどと信じている人は、まず居ないでしょう。
でも、当時はほとんどの人が呪って殺すことは出来ると信じていた。
だから、それが、真面目に犯罪として扱われた。

称徳女帝の髪を盗んできて、佐保川の河原から拾ってきたドクロに入れて不破内親王と彼女の仲間は呪詛して女帝を殺そうとした。
この事件によって、不破内親王は「厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)」と名前を改めさせられて京外に追放されてしまった。
厨真人厨女と言うのは“台所の下女”と言う意味です。

遠くから見ればのどかなように見える佐保川の土手も、
当時、河原に降りて見れば、すさまじい光景だったことでしょう。
つまり、行き倒れた人の死骸が河原にゴロゴロと転がっていたのです。
死臭が辺りに漂い、ドクロもあちこちに散らばっていたはずです。

この奈良時代のあとに平安時代が来るわけですが、
“平安”と言う名前とは裏腹に庶民の暮らしは厳しかったらしい。
一握りの貴族だけが優雅に暮らしていたようです。
関心のある人は次の記事を読んでみてください。

■ 『平安時代は、決して平安ではなかった』

奈良時代に生きていた人が、もし現在の佐保川の土手を歩いて“佐保川温泉”に行き、
いろいろな風呂に入ってカラオケでも見たら天国を見るような心地がするかもしれません。

時代をさかのぼってネットで歴史散歩すると、現在に生きている幸せを実感することが出来ますよね。
あなたも、暇があったら歴史散歩してみてください。

 

では。。。

ィ~ハァ~♪~!

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めれんげさんの『即興の詩』

めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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“JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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『センスあるランジェリー』

『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

『面白くて楽しいレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

『今すぐに役立つホットな情報』

おほほほほほ。。。。

また、出てまいりましたわぁ。

ネットには、面白い人がたくさん

居ますわよねぇ~。

えっけん君だとか太田将宏老人のように

ムカついたまま返信を書かないようにしてくださいね。

みっともないコメントになるだけですからね。

本人は、なかなか自分の愚かな事に気づかないんですよね。

でもね、少しは可愛げがありますわ。

でも、可愛げが全くないのが

DEMPA55という人物です。

ネットのゴキブリのような人物です。

誰からも嫌われ相手にされていません。

あなたも、DEMPA55に

気をつけてくださいましね。

2ちゃんねるを覗くと、

確かに、DEMPA55のような

ゴキブリがウヨウヨしていますわよね。

ほ~♪~んとにヤラしいところで

ござ~♪~ますわぁ~。

んも~~

どうか、あのようなヤラしいところには

近づかないでくださいましね。

おほほほほほ。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

Romance@Madison

 

Romance@Madison

 


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Kato, have you been to the above Roseman Covered Bridge in Madison County?


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Oh no, I haven’t.  The other day I watched a drama titled “The Bridge of Madison County” at the Vancouver Public Library.

 



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“Actual List”

 

This is the list of movies I’ve recently viewed at the library… Look at the red-rectangled title in the above list!

I see… You watched it on July 3, huh?

That’s right.

 


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“Actual Page”

 


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I see… so after you watched, you jotted down the following comment, huh?

Produced and directed by Clint Eastwood, this is a 1995 American romantic drama based on the best-selling novel of the same name by Robert James Waller.

The story in the diaries reveals the impact the affair had on the lives of a farm woman and a National Geographic photographer.

The affair took place while her husband and children were at the state fair in Illinois.


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She almost ran away with him to travel the world with him.

After a wrenching period of decision-making, however, she decided to stay at the last minute after considering the bigger picture that includes the consequences leaving would have on the lives of her teenage children and husband, who was a good, loving man.

After all the photographer finds meaning and his true calling as an artist.

It also has deep consequences on the lives of her son and daughter, who are both experiencing marital problems.


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Their mother’s story helped them to find a sense of direction in their lives.

It is an old-fashioned love story with some meanings in terms of the present day context.

Superb are the performances of Clint Eastwood and Meryl Streep.

 

Diane, have you seen the above movie?

Oh yes, I have.  That was quite a popular movie back in those days of the late 1990s simply because the novel, on which the film was based, was a 1992 best-seller.  Actually, 60 million copies were sold worldwide.

 

The Bridges of Madison County (Book)


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It is a 1992 best-selling novel by Robert James Waller that tells the story of a married
but lonely Italian-American woman (war bride) living on a 1960s Madison County, Iowa farm.

While her husband and children are away at the State Fair, she engages in an affair with a National Geographic photographer
from Bellingham, Washington, who is visiting Madison County to create a photographic essay on the covered bridges in the area.

The novel is presented as a novelization of a true story, but it is in fact entirely fictional.
However, the author stated in an interview that there were strong similarities between the main character and himself.

The novel is one of the bestselling books of the 20th century, with 60 million copies sold worldwide.
It has also been adapted into a feature film in 1995 and a musical in 2013.

 

Publication history

It was originally published in the UK under the title Love in Black and White.

A sequel entitled A Thousand Country Roads was published in 2002.
It tells the remainder of the two main characters’ story after their four-day affair.
They never meet again, but their lives are interlocked until death.

In 2005, the trilogy was completed with High Plains Tango, which came about when Waller was writing “A Thousand Country Roads” and he realized he had two novels’ worth of material.
“High Plains Tango picks up the story of itinerant master carpenter Carlisle McMillan, Robert Kincaid’s illegitimate son, who settles in Salamander, S.D.
There his life becomes intertwined with two very different women and almost overrun by the threats of eminent domain.”


SOURCE:”The Bridges of Madison County”
From Wikipedia, the free encyclopedia

 

Sixty million copies, eh?  Amazing!

Did you watch the movie on July 3 for the first time?

Yes, I did.  Actually, I was quite interested in the movie when it was quite often talked about in those days.

Then why didn’t you view the movie back in those days?

Well, I could hardly imagine that Clint Eastwood would take such a melodramatic role.  You see, he was quite famous as a “Dirty Harry.”

 


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He was also famous as a hard-boiled guy in Spaghetti Western or Italian Western such as “For a Few Dollars More” directed by Sergio Leone.

 


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I could hardly think that Clint Eastwood would play a protagonist as a ladys’ man in “The Bridges of Madison County.”

Is that the reason you didn’t watch the movie in the 1990s?

Yes, it is.  His womanizer-image destroyed my appetite for the movie.

Then how come you watched the movie at this time?

Well, as Clint Eastwood gets older, I’m getting softer on his image.

So how did you like the movie?

As I jotted down the comment, the performances of Clint Eastwood and Meryl Streep are superb.  I was quite impressed by their acting.  The film was made based on a true story, I guess.

No, I don’t think so.  As noted in the above article of Wikipedia, the novel is presented as a novelization of a true story, but it is in fact entirely fictional.

I know, but look at the following article about the author.

 

Robert James Waller


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Robert James Waller (August 1, 1939 – March 10, 2017) was an American author best known for “The Bridges of Madison County”—an enormously successful book in 1993.
He was also a photographer and musician.

Life

Waller received his BA (’62) and MA (’64) from University of Northern Iowa (then known as Iowa State Teachers College).
He received his PhD in business from the Kelley School of Business at Indiana University Bloomington in 1968.

Later that year he returned to UNI and began teaching management and economics, and in 1977 became a full professor.
He became dean of the College of Business in 1980 and retired from that position in 1986.
It was announced in 2000 that he made a “seven figure” donation to Indiana University.

Several of his books have been on the New York Times bestseller list including 1992’s “The Bridges of Madison County” which was the top best-seller in 1993.
Both that novel and his 1995 novel, Puerto Vallarta Squeeze, have been made into motion pictures.

Personal life

In 1997, his marriage of 35 years to Georgia ended in divorce.

An article in People Magazine noted, “The parallels between Waller’s life and his art (his Bridges heroine, farmwife Francesca, sacrifices her chance for happiness with a globe-hopping photographer in order to stay home and shield her loved ones from small-town scandal) haven’t been lost on the locals”.

Waller died on March 10, 2017, at his home in Fredericksburg, Texas.
He was 77 and had been battling multiple myeloma.


SOURCE:”Robert James Waller”
From Wikipedia, the free encyclopedia

 

You see, the author was divorced in 1997.  What do you think made the couple get divorced?

Well, nobody knows for sure.  Besides, he’s been dead now.  The secret was buried with him.

But the author stated in an interview that there were strong similarities between the main character and himself.  That’s the reason the novel is presented as a novelization of a true story, which has obviously damaged his wife’s feeling.  Therefore, the couple got divorced, I suppose.

In any case, that’s none of your buinsess, Kato.

I know, I know … But aren’t you curious about it?  The above Wikipedia article says: The parallels between Waller’s life and Francesca’s life remains on the locals.

After all, it is anybody’s guess.


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【Himiko’s Monologue】


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Well…, Francesca almost ran away with Robert to travel the world with him.

After a wrenching period of decision-making, however, she decided to stay at the last minute after considering the bigger picture that includes the consequences leaving would have on the lives of her teenage children and husband, who was a good, loving man.

When you view the movie, you might be surprised to see how much damage a scandal would cause in such a rural community in those days.

As a matter of fact, Robert noticed an alienated woman in a local cafe-restaurant when he dropped in.


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The woman sitting beside Robert (played by Clint Eastwood) was ignored by elder waitresses because of her extramarital scandal.

However, the younger waitress reluctantly took an order, but on a second thought, the woman decided to get out because the customers inside all stared at her with most treacherously despising gaze.

She just couldn’t stand it.

In those days, you could hardly ignore those contemptuous gazes.

Those rural communities were open in terms of scandal and rumors but closed and close-knit in terms of human relations.

Everybody knew everybody; everybody watched everybody.

Now times seem to have been changed.


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So, I think Calpernia is quite brave to make a decision to transform her male self into female self.

Well, you can live your life ONLY once.

Nobody prevents you from realizing your dream.

So, if it’s your dream, it’s your choice to transform yourself or to stay as you are.

In any case, I expect Kato will write another interesting article soon.

So please come back to see me.

Have a nice day!

Bye bye …


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If you’ve got some time,

Please read one of the following artciles:


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Ramen Boom

from Korea

Omakase@Sushi

Crocodile Meat

Killer Floods


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Climate of Doubt

Glory of Death

Big Mystery

Hitler and Trump

Hot October


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Hi, I’m June Adams.

Kato is a real movie lover, who tries to watch 1001 movies.

As a matter of fact, he has already accomplished his goal.


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『Actual List』


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Kato watched “The Arabian Nights” or “One Thousand and One Nights” as his 1001th movie.

You might just as well want to view it.


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The stories in “the Arabian Nights” were collected over many centuries by various authors, translators, and scholars across West, Central, and South Asia and North Africa.

The tales themselves trace their roots back to ancient and medieval Arabic, Persian, Indian, Egyptian and Mesopotamian folklore and literature.

In particular, many tales were originally folk stories from the Caliphate era, while others, especially the frame story, are most probably drawn from the Pahlavi Persian work Hazār Afsān which in turn relied partly on Indian elements.

What is common throughout all the editions of the Nights is the initial frame story of the ruler Shahryār and his wife Scheherazade and the framing device incorporated throughout the tales themselves.

The stories proceed from this original tale.

Some are framed within other tales, while others begin and end of their own accord.

Some editions contain only a few hundred nights, while others include 1,001 or more.


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蛙茶番

 

蛙茶番

 


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デンマンさん、。。。「カエルの茶番」というのは、カエルが芸当をすることでござ〜ますかァ〜?


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いや。。。「かわずちゃばん」と読むのですよ。。。

あらっ。。。そういう日本の古い諺が あるのでござ~ますかァ~?

ことわざじゃありません。。。「蛙茶番」というのは落語の演目なのですよ。。。僕は、たまたま春風亭柳朝さんの次の噺を聴いたのです。。。

 


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『落語を聴く』

 

蛙茶番

 

ある商店で、店内に舞台をしつらえ、店員や出入りの商人で『天竺徳兵衛韓噺』の「忍術譲りの場」を演じることになり、くじ引きで配役を決めた。
当日になり、巨大なガマガエル役の伊勢屋の若旦那が、仮病を使って休んでしまった。
そのため芝居の幕を上げることができず、舞台の頭取(一切を取り仕切る役)を任じている番頭は困り果てる。

番頭は丁稚の定吉を代役に仕立てることにするが、安くない駄賃と休暇を要求され、泣く泣く了承する。

番頭は、舞台番(舞台袖で客の騒ぎをしずめる役)を担当するはずの建具屋・半次(半公)がいつまで待ってもやって来ないことに気づく。
定吉が迎えに行くと、半公は怒っており、「役をやらせてもらえると思ったら裏方だったので面白くなく、さらに店の旦那に『いつか化物芝居の座頭をやるなら頼む』とまで言われた」と定吉にこぼす。

一旦引き返した定吉の報告を聞いた番頭は、「半公が岡惚れしている小間物屋の娘・みい坊の名を使って半次を釣れ。『素人役者なんかより、半ちゃんの粋な舞台番を観たいわ』と言っていた、と半公に吹き込め」とアドバイスする。

うまくだまされた半公は、自分をより粋に見せようと、祭の時に仕立てた真っ赤なちりめんのふんどしを急いで質屋から請け出し、湯屋へ向かった。
「おやじ、油っ紙はねぇかな? ふんどしを包んで、頭に結わいつけて湯に入(へ)えるんだ」
「それじゃ川越えだ。大事なら番台で預かりますよ」
「番台の後ろの神棚にでも上げといて……」
「馬鹿言っちゃいけねえ」

半公が湯に入っていると、定吉が駆け込んできて、早く店の舞台に来るように「早く来ないとみいちゃんが帰っちまう」と、再度嘘を言って急かす。
これを聞くなりあわてた半公は湯から飛び出し、体も拭かず、急いで着物を着て駆け出す。

店へと向かう途中、出入り先の鳶頭(カシラ)に出会った半公は着物のスソをまくり、「いい物だろう?」と自慢をする。
カシラは「確かにすごい」とうなる。
「どっしり目方(重量感)があるんだ。物がいいから、丈が長(な)げえんだ。女子供を驚かそうと思ってよ」
「なるほど。気が小せえ奴が見たら目ぇ回すぜ」
「くわえて引っ張ってみてくれよ、チリチリっていい音が……」
「冗談言うな!!」

ところが、半公が自慢しているつもりになっているふんどしは、そのとき湯屋の番台に置かれたままであった。

半公が店へ入り、ようやく幕が開く。
舞台袖から見渡してもみい坊の姿が見えないので、半公は不審に思うが、ふんどしを見せれば発見できるだろう、と考えて、誰も騒いでいないのに「静かに静かに」と番を務めつつ、着物のスソをまくる。

半公の異様な姿に気づいた酔狂な観客が「ようよう、半公、日本一! 大道具!」と大向う(掛け声)をかけたので、調子に乗った半公は客席の方に乗り出していく。

この間に芝居は、大盗賊の徳兵衛が、赤松満祐の幽霊から忍術の極意を伝授される、という見せ場に入る。

 


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ここで大どろ(太鼓)が鳴り、ガマの登場になるはずが、ガマ役の定吉が舞台袖から舞台へ向かおうとしない。
番頭が「おいおい、定吉! 早く出なきゃだめだよ」と声をかけると、定吉は「いいえ、ガマは出られません」と答える。
「なんでだ?」
「あすこで、青大将が狙ってます」


出典: 「蛙茶番」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

半公は祭の時に仕立てた真っ赤なちりめんのふんどしを締(し)めて、舞台番の役目を務め、岡惚れしている小間物屋の娘・みいちゃんに、かっこいいところを見せようとするのだけれど、肝心(かんじん)のふんどしを風呂屋に置いたままで出てきてしまったのですよ。。。そういうわけで、本人は、そんな事も知らずに、「一物」を客席に向かって見せてしまった、というのがオチになるのです。。。

つまり、ガマ役の定吉が大きな「一物」を見て「青大将」が狙っているので舞台に出られないと言うのでござ~ますわねぇ~。。。

そういうことです。。。(爆笑)

落語の演目の中では、かな~♬~りオシモの噺ですわねぇ~。。。うふふふふふふ。。。

そうです。。。このために、戦時中は「禁演落語」に指定されて、演じることができなかった。

つまり、オシモの噺なので演じてはダメだと言う事でござ~ますかァ?

それだけじゃないのですよ。。。この噺のマクラでは、たびたび「観兵式」を持ち出す演者が多いのです。。。

どうして「観兵式」を持ち出すといけないのでござ~ますかァ?

オシモの話の中に、国を守って戦う兵隊さんの「観兵式」を持ち出すなんて、もってのほかだと言うわけです。。。この噺の前に語られるマクラは次のようなものです。

 

仮名手本忠臣蔵の五段目、通称「鉄砲渡しの場」をやろうとして配役を話し合うと、人気の早野勘平役に集中してしまう。

もめにもめて、らちが明かないので、頭取役は志願者全員に勘平役を振ってしまった。

幕が開くと勘平が38人ばかり。

驚いた客が「あれは何です?」

「ああ、さしずめカンペイ式(観兵式)でしょう」

 


(kanpei20.jpg)

 

つまり、早野勘平を演じる役者が鉄砲を持って38人も並ぶので「さしづめ観兵式だろう」と冗談を飛ばすのですわねぇ~。。。

そうです。。。戦時中に、オシモの噺の中に「観兵式」を持ち出すのはけしからん、という事になって『蛙茶番』は「禁演落語」になったと言うわけですよ。。。

軍人は頭が固いのですわねぇ~。。。

そうです。。。日本が戦争に負けたのも、英語を軽視するという態度が影響したのです。。。戦時中は敵国語である英語を話すのも、勉強するのはダメだという事になった。。。今では笑い話になってるけれど「早慶戦」でも、ストライクと言ってはダメで次のように言わなければならなかった。

 

「ストライク(ツー)」→「よし(2)本」
「ストライク スリー、ユー アー アウト」→「よし3本、それまで」
「ボール」→「(だめ)1つ」
「ファウル」→「だめ」「圏外」「もとい」
「アウト」→「ひけ」「無為」
「セーフ」→「よし」「安全」
「バッテリー」→「対打機関」
「タイム」→「停止」
「スチール」→「奪塁」
「バント」→「軽打」
「ヒット・アンド・ラン」→「走打」


出典: 「敵性語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

確かに、笑い話ですわねぇ~。。。

ところが、アメリカでは日本語を禁止することはなかった。。。そればかりか日本語を話せる日系人や、日本語学科を卒業した白人を積極的に登用して、戦地で拾い集めた日本兵の日記や、軍の機密書類などを翻訳させ戦略を立てるのに参考にした。。。また日本軍の暗号の解読にあたらせた。。。そういうわけで、日本軍の暗号はほとんどすべて解読されていた。。。

 


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要するに、真珠湾攻撃の前に、すでに情報戦で負けていたのですよ。。。

『蛙茶番』を「禁演落語」にしているというような、頭の固さが敗戦を招いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。

 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも戦争中に、敵国語だという理由で野球で英単語を使うのを禁止したというのは馬鹿げた事だと思いますか?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 

 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

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桜屋敷

 

桜屋敷

 


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デンマンさん。。。、桜屋敷と言うのは、デンマンさんのご先祖が住んでいた屋敷の事ですか?


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いや。。。僕の先祖は、たどってゆくと百済からやって来た騎馬武者なのですよ。。。7世紀の白村江(はくすきのえ)の戦いで百済が 唐と新羅の連合軍に敗れて、当時の大和に避難民として逃げてきたのですよ。。。九州から当時の平城京まで下って行ったのだけれど、食ってゆくために必要な土地がもらえなかったので、ついに関東まで下ってゆき、武蔵の国の忍、現在の行田市に住み着いたのです。。。詳しい事は次の記事で書きました。

 


『デンマンの祖先は百済からやって来た』

 

そんな昔のことがデンマン家には家系図として残っていたのですか?

家系図など当てになりませんよ。。。 昔は家系図を買ったり、新しく作らせたりしたものです。。。僕の実家には遠い祖先が書き残した土地を分けていただきたいという漢字の請願書が残っており、結局その請願書は突き返され、それが家宝のように伝来してきたのです。。。

。。。で、現在はどうなっているのですか?

僕が第132代の当主として持ってますよ。。。デンマン家は、日本の皇室よりも古い歴史を持っているのです。。。

。。。マジで。。。?

いや。。。冗談です。。。でも、百済からやって来たという事は本当です。。。

つまり、この事を言うために、わざわざ 桜屋敷 を持ち出してたのですか?

いや。。。そういうわけではありません。。。確かに、避難民として関東に下って、当時の忍藩の騎馬武者として小田原の合戦に はせ参じたのだけれど、豊臣秀吉の軍に敗れて武士を捨てた頃には、屋敷は手を入れることもなく、やがて廃屋(はいおく)のようになってしまった。

 


(sakura12.jpg)

 

つまり、デンマンさんが子供の頃は、こんなあばら家に住んでいたのですか?

上の写真は江戸が明治に変わる頃のものですよ。。。もちろん、実物のものではありません。。。

つまり、デンマンさんの江戸時代の祖先は落ちぶれて、このようなあばら家に住んでいたと言うために 桜屋敷 を持ち出してきたのですか?

違います。。。

じゃあ、どういうわけで桜屋敷を取り上げたのですか?

実は、ユーチューブで古今亭志ん朝さんの落語を探していたら次の噺に出くわしたのですよ。。。

 


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本所 桜屋敷

鬼平犯科帳

 

天明8年(1788)の正月のある朝、「火付け盗賊改め役所」の長官である長谷川平蔵は昨年末逮捕し、処刑した凶盗・野槌(のづち)の弥平(やへい)一味のうち、取り逃した小川や梅吉を本所で見たという密告を受けた。
密告したのは、越中・高岡で生まれ育った元盗賊で、今は佐嶋与力の密偵をしている岩五郎である。

平蔵はすぐ一人で本所へ向かった。
本所は父の屋敷が三ツ目にあり、17歳から父が町奉行となった京へ赴くまでの10年間、過ごした町である。

最初、平蔵は梅吉が姿を見せ、消えたという南割下水みなみわりげすいの近辺を巡回したが、何の手掛りもなかった。
そこで三ツ目の昔の屋敷を訪ねてみたが、屋敷も周りの情景も17年前と変わらず、懐しかった。
さらに昔剣術を学んだ法恩寺横の一刀流・高杉銀平道場を訪ねてみると、道場は廃屋となっている。

また道場の北側には「桜屋敷」と呼ばれる、この辺りの名主・田坂直右衛門の屋敷があった。
そこの山桜の老樹の花片が道場の窓から吹き込んできたし、名主の孫で両親のいないおふささんが蕎麦切と冷酒を下女に運ばせ、門人に差入れをしてくれた。
それが今や武家屋敷に変わっており、平蔵は茫然とたたずんでいた。

 


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この時、背後からわざと斬りかかった者がいる。
うまくかわした平蔵は高杉道場で猛稽古をした剣友・岸井左馬之助と20余年振りに再会した。
そして2人は法恩寺門前の茶店へ入り、湯豆腐と熱い酒で、積もる話を語り合った。

実は桜屋敷のおふささんは2人の初恋の女性であった
だが2人が22歳の春、彼女は花嫁姿で舟に乗り、横川よこかわを下って日本橋の呉服問屋・近江屋へ嫁いでしまった。

 


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その頃、幕府は本所、深川の土地に目を付け、名主の土地・百姓を他へ移していたため、名主の力が弱体化しており、祖父は孫娘の幸せを願い、思い切って日本橋の大店へ嫁がせたのである。

平蔵は翌年父の跡を継ぐことになり、将軍・家治に拝謁(はいえつ)し、市井の無頼者(ぶらいもの)との付き合いも止めた。

一方岸井は今も十月とつきに1回の割合で桜屋敷を訪ね、独身を貫いている。
おふささんが今は御家人の御新造となり、本所で暮しているからでもあるらしい。

岸井と別れた後、平蔵は南割下水の御家人・服部角之助の家を探してみた。
家は見つからなかったが、今度は本所の無頼者で親しくしていた相模さがみの彦十と20余年振りに出会った。

二ツ目の軍鶏(しゃも)鍋屋・五鉄に誘うと、彦十は、先程は御家人・服部の家から出てきたが、そこでは毎日賭場(とば)が立っている、御新造もばくちを打っているという。
それで平蔵は今の役職を打ち明け、梅吉の人相書を渡し、服部の家にいないか調べるよう頼んだ。

さらに役宅へ戻った平蔵は、日本橋に住む改め方の御用聞・文治郎を呼び、近江屋のおふささんのことを聞くと、彼女は幸せに暮らしていたが、子供を死産してから数日後に夫が馬に蹴られ、1ヶ月後に亡くなってしまった、後取りはもめたが、結局夫の弟に決まり、その弟が桜屋敷を御公儀へ売り払い、いくらかのお金を渡し、彼女を追い出したということであった。

ところで彦十は別れてから4日後の夕、役宅へ来て、服部の家に梅吉がいると報告してくれた。
さらに翌々夜、駆け込んで来て、無頼仲間の蓑虫(みのむし)の久(きゅう)が服部の家に呼ばれ、日本橋の近江屋の押し込みに一枚乗れと言われた、服部の旦那が糸を引き、梅吉と浪人くずれ7人が中心となり、数日中に押し込む様子と急報してくれた。

平蔵はすぐに改め方20余名に出動命令を出し、午後11時には服部の家を取り巻いた。
そして彦十の連れてきた蓑虫(みのむし)の久を使って門を開けさせると、先頭に立って中に入り、服部夫妻を含め梅吉達を一網打尽にした。

取り調べはおふさ以外の者を平蔵が担当し、梅吉は、蓑虫の久を誘い込んだのが運のつきであった。
梅吉は、旦那のお目を逃れて服部の賭場へ転がり込んだ。
そして、御新造と仲良くなった。
近江屋への押し込みは御新造が勧めたものであったと白状した。

 


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最後のおふさは村松与力が取り調べた。
その日平蔵は岸井を役宅に招き、詮議場の横の部屋の障子のすき間から一緒に白洲の彼女を見た。

村松与力がびしびしと調べを進めると、おふさは、近江屋にはうらみがある、それ故梅吉をそそのかせ、近江屋夫婦を殺害させるつもりであった。
お金を盗むことよりもそのことの方が、私には大事であった、とはきはきと答えた。
どういううらみがあったのかと聞かれると、おふさは、日本橋の御用聞が平蔵にいった通りの内容をはっきりと述べた。

おふさが白洲から引き立てられる時、2人はたまりかねて詮議場へ出ると、おふさは2人を見たが、表情は少しも変わらない。
まったく、おふさは2人を忘れ切ってしまっていたのだ。

そのことを平蔵が思わずささやくと、岸井の両眼から泪が湧きこぼれた。
左馬はこれ程までにおふささんを思いつめていたのか。
平蔵は深い感動を覚える。

春になり、梅吉、服部、浪人くずれは死罪、おふさは服部家の小者その他と遠島となった。

数日後平蔵は神田川の船宿で小舟をやとい、本所の横川よこかわへ向かった。
大川から竪川たてかわへ入ると一ツ目橋、二ツ目橋、三ツ目橋とあり、そこに屋敷があった。
三ツ目橋をくぐり、新辻橋の手前から左へ曲ると横川。

横川を北へ進むと右手に法恩寺の屋根が見え、舟は出村町にさしかかり、横川町沿いに止まる。
対岸の桜屋敷の山桜は今が満開である。
そして対岸の草地にたたずむ男がひとり見える。
おふさを想い独身を貫き通した岸井左馬之助だった。
舟は静かに去った。

 

殺伐とした捕り物帖のエピソードの中に、おふさと言う美しい女性を登場させ、若い頃の平蔵と、彼の親友の岸井左馬之助のロマンが語られるのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。映画では、岸井左馬之助とおふさが寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うシーンがある。。。この場面は京都の妙心寺でロケされたのだけれど、実に美しいシーンなのですよ。。。このシーンが岸井左馬之助の胸の内にあるから、いつまでもおふさを想い続けられたのだと思うのです。。。

 


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岸井左馬之助がおふさと寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うだけのことで’、一人の女性を想い続け、男は独身をとおすことができるのでしょうか?

あのねぇ~、江戸時代は儒教と武士道が若者の行動を支配していたのですよ。。。「男女7歳にして席を同じくせず」。。。戦前までは、小学校でも小学5年生、6年生になると教室は男女別々になったほどです。。。

 


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デンマンさんも小学生の頃は男女別々の教室で勉強したのですかァ~?

あのねぇ~。。。僕は戦後生まれですよ。。。だから、小学校でも、中学校でもずっと共学でした。。。戦前は、普通の男女にとって、男女関係は まるで別世界だったのですよ。。。

 


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当時、千代田女子専門学校国文科の1年生だった、戦後、歴史小説家になる杉本苑子さんも、この学徒額出陣式に参列していたのです。。。彼女が話したように、当時そんな事をしたら不謹慎であるにもかかわらず、女学生の中には心の中で恋い焦がれていた男子学生が行進の中にいて、最後の別れをしようと手の届くほどまで近寄ったのです。。。

それに刺激を受けて、もう世間体も気にならずに本能的に行進している男子学生に雪崩(なだれ)を打つように他の女学生も手の届くほどに近づいたのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。その女学生の一団の中に杉本苑子さんもいたというわけです。。。この出陣式に出席した9か月後に、兄をサイパン島の激戦で亡くした妹の戸田聰子(としこ)さんが言っているように、希望が持てる時代ではなかった。。。だから、ほとんどの女学生は、この男子学生の多くが戦地で戦死すると思ったに違いない。

それで、できれば恋焦がれている男子学生の手を取って、最後の別れをしたいと思ったのでしょうねぇ~。。。

でも、そうすることは当時の慣習では、許されることではなかったのですよ。。。

デンマンさんが、その女子学生だったら、どうしますか? 恋焦がれている男子学生に近づいて手を取り、最後のお別れをしますか?

多分、タブーを犯して手を取って最後の別れをするでしょうねぇ~。。。

でも、憲兵がやってきたらどうしますか?

その時は、逮捕される前に、貨物船に忍び込んで海外に密航します。。。

デンマンさんは口では、そういう勇まし事を言ってますけれど、当時に生きていたら絶対に、そういう事はできなかったと思いますわァ~。。。

たぶん、そうでしょう。。。でもねぇ、僕は戦後生まれだから、そういう古臭い慣習にはとらわれません。。。あのねぇ~、岸井左馬之助とおふさが寺の土塀が続く道で軽く会釈をして擦れ違うシーンがある。。。この場面は京都の妙心寺でロケされたのだけれど、実に美しいシーンです。。。このシーンが岸井左馬之助の胸の内にあるから、いつまでもおふさを想い続けながら独身でいられた。。。しかし、今の時代では、そういう事はまず無理ですねぇ~。。。

あらっ。。。無理ですか?

無理です。。。じゃあ、僕の思い出の話を聞いてください。。。

 

ん? クラシックで片思い?


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そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。


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中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。

僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。

曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。

しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。

とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。


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そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。

当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。


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これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。

その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。

小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?

もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。

 


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1856年作曲

乙女の祈り (La prière d’une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド

 

なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。

小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。

クラシックの“威力”なのでしょうか???

実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。

『ん? クラシック興味ある?』

Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)

 


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初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)

乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=

 

by 藤守美愛 2006/06/14 03:45


『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)

 

あらっ。。。これってぇ~、デンマンさんが夢を見たのではありませんか?

いや。。。夢の話ではありません。。。現実に起こったことです。。。

。。。で、もしデンマンさんが岸井左馬之助だったら、どうしますか? 桜屋敷を1週間に1度外から眺め、おふささんを想い出しながら、一生を独身で過ごせますかァ~?

いや。。。僕なら、おふささんを追って遠島で流された八丈島まで舟をこいで会いにゆきます。。。

でも、その当時に生まれていたら、絶対にできませんわァ~。。。

いや。。。できます。。。なぜなら、江戸時代に生まれ育った、上杉鷹山が次のように言いました。。。

 


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為せば成る為さねば成らぬ何事も

成らぬは人の為さぬなりけり

 

そういうわけで、デンマンさんは危険を冒して密航してカナダまでジューンさんに会いにいったのですか?

そうです。。。為せば成るのです。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

言っておきますが、デンマンさんは、わたしに会いにカナダにやって来たわけではありません。。。

日本が嫌になったからやって来たのですわ。。。 うふふふふふふ。。。

日本が嫌になっても海外に出てゆく勇気がないと

その不満がたまって神武君のようにセクハラコメントを書いたり、

白衣を着て女の子のお尻にクサビを打ち込んだりするのですわァ。

 


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『セクハラ止めない神武君』

 

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ〜。。。

 

 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』


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『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』

『無重力の性生活』

『パパは何でも知っている』

『音の力』

『ソフタ』

『くだらない』

『くだらない』

『アルゴー船』

『無重力』

『集団行動』

『ブラック・ダリア猟奇事件』

『殺し屋火山の謎』

『彗星に着陸』

『日本の貧困親子』

『ホログラム』

『ホログラム』

『めでたい動物たち』

『初笑い@動物』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

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『平成の紫式部』

めれんげさんの『即興の詩』

めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

“JAGEL – Soft Japanese Bagel”


(linger65.gif)

『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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『今すぐに役立つホットな情報』


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女帝の業(ごう)

女帝の業(ごう)

 

防人の歌碑の前に立つ小百合さん

 

投稿日時: 2008/09/22 03:58 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午前11時58分
バンクーバー時間: 9月21日 午後7時58分

防人の歌碑のところまで行って、
新しい道を探して 見つかった時の 新鮮さ。
長男や次男のこと、デンマンさんのことも
忘れて 自分だけのことで 走り回ってました。

■ 『ビバ! 白鳥の湖 (2008年6月15日)』
(防人の歌碑については上の記事を読んでみてね。)

“防人の歌”。。。懐かしいですねぇ~。

そうです。そうです。
あの防人の歌の歌碑も、小百合さんと一緒に見たいものですね。

 

日の暮れに

うすひの山を

越ゆる日は

背なのが袖も

さやに振らしつ

 

(巻第十四 東歌 三四〇二

詠み人知らず)

現代語訳:

日の暮れ時に、碓氷の山の峠を越える日に、我が夫が、別れの時に目につくほどはっきりと袖を振っていたわ。

(峠を越えて去ってゆく夫を慕う妻の心情を詠んでいる。)


 

ひなぐもり

うすひの坂を

越えしだに

妹が恋しく

忘らえぬかも

 

(巻第二十 四四〇七

他田部子磐前 [おさたべの子いわさき])

現代語訳:

ひなくもり(碓氷を導く枕詞)碓氷の坂を越える時は、国へ置いてきた妻のことが恋しくて忘れられない。

(碓氷峠越えの別れの恋歌。)


■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』より

 

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに ニュー グランドホテル
と書いてあった。 

 


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(lodge24.jpg)

&nbsp

1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり

うん、うん、うん。。。

小百合さんの事を、もっともっと書いてくれてもいいよう。

 

私 今月末と思ったら 10月末 よね。
ネットカフェ・コンコルドであわてて デンマンさんの旅程表を見たから勘違いしてました。

あと1ヶ月ですね。

まだ1ヶ月以上ありますよう。
でも、1ヶ月なんてすぐに経ってしまいますからね。

僕は1ヶ月分の記事を用意しなければならないので、
この1ヶ月間は大変です。

 

これ SUBMIT できるかな
何だか お気に入りが減ってるし、マウスはどっか
無くなってるし やりずらいなー

これが 現実の世界ですよ、今日も次男坊と喧嘩がはじまりそうー。

では 今日も洗たく 掃除…
今から始めます。

では、また。。。

小百合より

 

そうですよう。そうですよう。
軽井沢は、小百合さんにとって“今一つの世界”なのですよう。

日常茶飯事から開放されて、小百合さんの“夢とロマンの生活”を軽井沢に求めているのですよう。

つまり、それこそ小百合さんの“女の世界”です。
デンマンの“ロマンポルノ天国”と重なると思うのですよう!
うしししし。。。

行田で元気に再会しましょうね。
“恍惚のハグ”を楽しみにしていますよう!
じゃあね。

 


投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分

『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”

 

また、防人の歌でござ~♪~ますか?

そうですよう。防人に狩り出された人たちは苦労したのですよう。苦労どころか、3年こき使われて九州から関東平野まで歩いて帰ってくる途中で、追いはぎや山賊に襲われて亡くなってしまった人もたくさん居たのですよう。

つまり、上の歌は今生(こんじょう)のお別れの歌なのですか?

そうですよう。もう2度と会えないかもしれないと思いながら防人は九州に出かけて行ったのですよう。

。。。んで、大伴家持のおじ様は防人の世話をする役目についていた事があるのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。だから、防人の悲劇をたくさん見たのですよう。

。。。んで、万葉集にも防人の歌をたくさん載せて、大伴のおじ様は当時の政府の非情なやり方を後世に伝えようとしたのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、さらに、持統天皇の陰謀、柿本人麻呂の悲劇までも大伴のおじ様は万葉集の中に書き残そうとしたのでご~♪~ざますか?

そうなのですよう。万葉集をしっかりと読めば、そのような史実がちゃんと書いてあるのですよう。

でも、そのような事をあたくしは学校で教わりませんでしたわ。

それはそうでしょう。万葉集を歴史書だと教える先生は居ないでしょうからね。万葉集は「日本最古の歌集」だと先生は教えますよう。

でも、実は歴史書なのでござ~♪~ますか?

ちょっと次の書評を読んでみてください。クイズを持ち出してきて、全く関係ないじゃないか!。。。そう思わずに面白いから最後まで読んでみてくださいね。

 

欺瞞の根本原理

 

 

上の図を見てください。
O は円の中心、 AB の長さ 14センチ、 BC の長さ33センチという事だけ分かっている。この円の半径は何センチですか。
別にむつかしい計算は要りません。
30秒で答えてください。
もし30秒で答えられなかったら、考えるのをやめて、この小文を終わりまで読んでください。

 (中略)

手元にあったロースン (Clayton Rawson) の長編は Death from a Top Hat (1938)というので、この題名は手品師のシルクハットから兎や鳩が飛び出すように、「死」が飛び出したという意味。ディクスン・カーが褒めるはず、この作はカーの手品趣味をさらにいっそう極端にした徹底的な手品文学である。

 (中略)

その他、この小説にはオカルティズムと手品趣味が充満していて、手品小説愛好者をヘトヘトに堪能させてくれる。結末の種明かしそのものには非常な創意があるとは云えないが、そこまでの道程が面白いのである。カーですら極端だと思っていたのに、そのカーに輪をかけて極端な手品作家に接して、上には上があるものと、ほとんど呆れた次第である。

冒頭に記した謎の図も、マリーニー(主人公探偵)がこの図を描いて警部ともう一人の人物に示し、探偵学の一助とするのである。この図を示されると、誰でも一応は、図の半径 AO の内の AB の長さが分かっているのだから、残りの BO の長さを求めればよいと考える。 ところで、BOC という不等辺直角三角形の底辺 BC の長さは分かっているが、その他に何もデータがないのだから、これだけではどうしても BO の長さを算出する事ができない。これは不可能だ。とてもむつかしいと考える。そう考えたらおしまいである。まんまと手品師の術中に陥ったのである。

そんな考え方をしないで、BC を対角線とする矩形(くけい)を良く見ればよいのである。そして O から発して BC と相交わるもう一つの対角線を描いてみる。すると矩形に置ける二つの対角線の長さは相等しいのだから、O から円周に達する対角線の長さは即ちこの円の半径で、それは BC と同じく33センチなのである。

マリーニー名探偵は云う。
どうだい、答えはちゃんと君の目の前にさらけ出されていたじゃないか。君はそれを見なかったのだ。なぜかというと、AB という余計な太線があり、その長さを14センチと、何か意味ありげに示してあったので、その残りの細線の長ささえ算出すれば半径が分かると、ついその方に気をとられてしまうからだ。この「目くらまし」にかかって、君の論理は脇道にそれ、袋小路(ふくろこうじ)に突き当たってしまった。手品師がハンカチや時計を消して見せるトリックも全くこれと同じなんだよ。左手で何か細工をしようという時には、見物の注意を右手の方に集めるのだ。右手にその品を握っていると思わせるのだ。そして、見物の目が右手に集中されているひまに、易々(やすやす)と左手で物を隠してしまう。見物は全然左手なんか見てやしないんだからね。つまりこの図のAB線は手品師の右手に当たるわけだよ」

名探偵はさらに言う。
「観察力がうまく間違った方向に導かれると、どんな利巧な見物でもごまかされてしまう。これが欺瞞の根本原理だ。この原理は手品師ばかりではなく、賢い犯罪者と、それから探偵作家が常に用いている。だから、これさえ飲み込んでいれば、君は手品や犯罪や探偵小説に欺かれる心配はないわけだよ」


785-789ページ
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行


『愛と心の構造 (2008年9月28日)』より

 

このクイズが万葉集と大伴家持おじ様に関係あるのでござ~♪~ますか?

そうですよう。日本人の多くは万葉集が日本最古の歌集だと長い間、思い込まされてきたから、重要な歴史的事実を見逃してきたのですよう。

つまり、万葉集が“歌集”だと言うのは「目くらまし」なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。そのようにしない限り、つまり、歌集として世に出さない限り、後世の我々に持統天皇の陰謀や柿本人麻呂の悲劇を伝える事ができなかったのですよう。

要するに、当時の藤原政権は、大伴家持のおじ様にまんまと騙されてしまったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。“愛の歌、恋の歌がたくさん集められている女・子供が読むための歌集でございます”。。。このように言って、時の政府の文書検閲官を騙して出版したのですよう。

でも、実は歌で綴られた歴史書なのでござ~♪~ますか?

大伴家持は、そのつもりで編集したのですよう。万葉集の中には、名前が伏せてあるものや“読み人知らず”になっている歌がたくさんあるけれど、すでに見てきたように1073番の歌も柿本人麻呂が詠んだに違いない、と僕は見ているのですよう。

 

 

玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも


詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073

 

このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているが

ああ~、愛(いと)しいあの人は、

もうこの世の人ではない。

あのように儚(はかな)く

逝(い)ってしまうのであれば、

もう少し足しげく通って、

優しい言葉をかけてあげたかった。

でも、そうできない事情が

あったのだ。

今更嘆いたとて、どうなるものでもないが。。。

それでも、あの人を思い出すと

慟哭せずには居られない。

 


『万葉集の謎 (2008年9月23日)』より

 

分かりましたわ。。。んで、まだ他にも柿本人麻呂のおじ様が詠んだ歌で“名無し”として載せられている歌があるのでござ~♪~ますか?

ありますよう。次の長歌も柿本人麻呂が詠んだのですよう。『万葉集』の第一巻に「藤原宮御宇天皇代」の歌として載っているのですよう。

でも、それは「藤原宮の役民の作れる歌」と書いてありますわ。

それで、多くの人は騙されてしまったのですよう。

これも「目くらまし」でござ~♪~ますか?

そうですよう。とにかく、その長歌を読んでみてください。

 

 

やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子

あらたへの 藤原が上に 食国を 見し給はむと

都宮は 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに

天地も 寄りてありこそ 磐走り 淡路の国の

衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを

もののふの 八十氏川に 玉藻なす

浮べ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ

身もたな知らず 鴨じもの 水に浮きゐて わが作る

日の御門に 知らぬ国 寄り巨勢道より わが国は

常世にならむ 図負へる 神しき亀も 新代と

いづみの河に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず

いかだに作り のぼすらむ 勤はく見れば 神ながらならし


万葉集 巻第一・50

 

持統八(694)年12月6日に都を藤原宮に移したのですよう。高市皇子が死去する2年前です。この長歌は、この藤原宮で働いている役人が詠んだ歌だと書いてある。

でも、柿本のおじ様が詠んだのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。僕一人だけが、そう信じているわけじゃないのですよう。多くの古典研究者や歴史研究者がこの長歌は人麻呂が詠んだ長歌に違いないと考えているのですよう。

この長歌は、当時の天皇・持統女帝に献呈された歌だと、あたくしは教わりましたわ。

学校の教科書には、そのように書いてあるのですよう。

でも、違うのでござ~♪~ますか?

もし、人麻呂が持統天皇のために詠(うた)ったのであれば、名前を出しても良いのですよう。

なぜ、柿本のおじ様の名前を出さなかったのでござ~♪~ますか?

なぜなら、人麻呂は持統天皇ではなく高市天皇のために詠(よ)んだからですよう。

しかし、高市天皇なんて日本史では認められていませんわ。

その通りですよう。持統天皇に暗殺されてしまったのだから。。。

まさか。。。?

それが僕の言う悲劇なのですよう。

しかし。。。しかし。。。そのような事は、あたくし、日本史で勉強しませんでしたわ。

だから、この史的事実は隠されてきたのですよう。それで、上の長歌も人麻呂が詠んだのだけれど、“藤原宮で働いている役人が詠んだ”と万葉集に書いたのですよう。

なぜでござ~♪~ますか。。。?

そのようにすれば、本当の真実を後世の人が分かってくれるだろうと考えて大伴家持は、そのように書いたのですよう。真実を書いたら、大伴家持の首が飛んでしまうから。。。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう?上のような長歌を藤原宮で働いている役人が詠んだのですよう。本当に持統天皇のために詠んだものであれば、詠んだ人の名前を伏せる必要はないのですよう。しかし、その人の名前が書かれていない。不自然ですよう。これは臭い!。。。何か隠されているに違いない。。。僕はそう思いましたよう。

でも、ただそれだけでは、あたくし、納得できませんわ。

だったら、卑弥子さんが納得できるように、もっと詳しく説明しますよう。まず、ジューンさんが書いた次の文章を読んでみてください。

 

ある少女の悲劇

 

 

こんにちは。ジューンです。

今日は興味深い歴史のお話をします。

乙巳の変(いっしのへん)から

4年後の649年3月の事です。

当時、右大臣であった蘇我倉山田石川麻呂が

謀反を企てていると、石川麻呂の弟の日向が

中大兄皇子に告げ口したのが事件の始まりでした。

石川麻呂は当時の孝徳天皇に身の証をして

助けを求めたのですけれど、

聞き入れてもらえなかったのです。

中大兄皇子と石川麻呂は

政治的に意見が対立していたので

中大兄皇子はさっそく兵を

石川麻呂の邸宅に向かわせたのです。

危険を察した石川麻呂は

飛鳥の自宅である山田寺にすでに逃げていました。

しかし、その山田寺もやがて包囲され、

石川麻呂は観念して妻と共に自害したのです。

しかし、事件はそれだけではすみませんでした。

やがて陰謀が夫の中大兄皇子のしわざと知った

遠智娘(おちのいらつめ)は

半狂乱の状態になってしまったのです。

無実の罪を着せられて、夫に父親を殺された。

そう思い込んでいる遠智娘は、

身重な体を抱えながら

心が晴れないままに日を送ったのでした。

“父親殺害者”の子を宿していたのです。

その年の暮れに建皇子を生み、“この子を頼むわね”

そう言って満4才の女児に言い残して

20代半ばの短い人生に終わりを告げて

遠智娘は命を絶ってしまったのでした。

後に、中大兄皇子は

義理の父である石川麻呂の忠誠の心を知り、

死に追いやった事を後悔したそうです。

ところで、当時の結婚は“妻問い婚”が普通でした。

男性が女性宅を訪れ一夜の契りを結べば

それが結婚となり夫婦になるわけです。

男はその家にとどまることなく

自由に女の家を出て自分の家に帰り、

女は男のまたの訪問を待ちます。

子供が生まれればその子は妻の家で養育し、

父が子供に会うのは女性宅を訪れる時だけです。

その子供の養育費はすべて女性任せで、

子供は女性の実家で養育される事になります。

当然の事ですが、子供はたまに会う父よりも、

母方の祖父母への愛着が深くなります。

優しいおじいさんとおばあさんが一緒に亡くなり、

そのあとを追うようにお母さんが亡くなってしまった。

満4才の童女は、当時そのことは知らなくとも、

やがて自分の父親が祖父母と母の三人を

“殺した”と知ることになります。

可愛がってくれていた3人が死んでしまった。

しかも、父親の陰謀がその背景にあったのです。

その衝撃はトラウマになって、

その後の童女の人格形成に大きな影響を与えた事は

想像に難(かた)くありません。

その時の4才の女児こそ、後の持統天皇になる

讚良(さらら)皇女だったのです。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

 


『女帝の憎悪 (2008年9月25日)』より

 

つまり、持統天皇は少女の頃に大変つらい思いをしてきたと。。。その事をデンマンさんは強調したいのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。“血塗られた家系”という言葉があるけれど、この言葉は、まさに持統天皇のためにあるような言葉なのですよう。

それ程、血塗られているのでしょうか?

だって、そうでしょう?持統女帝の父親である中大兄皇子は乙巳の変(いっしのへん)では蘇我入鹿を殺しているのですよう.

 

 

板蓋宮(いたぶきのみや)における

暗殺の場

 

太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)、弓を手にしているのが中臣鎌足。
蘇我入鹿の首が飛んで御簾(みす)に喰らい付いている。

何食わぬ顔で、かぐや姫のように奥で澄まし込んでいるのが中大兄皇子の実の母親である、当時の皇極天皇(女帝)です。

蘇我入鹿と女帝は、男女の関係で結ばれていたのではないかと信じている歴史家もかなり居ます。
蘇我入鹿は女帝が助けてくれると思っていたのに助けてくれないので、
“この尼!”と追いかけるようにして首だけが御簾に喰らいついている、という怨念の込められた絵です。
ただし、これは江戸時代に描かれたもの。


■ 『藤原鎌足と六韜 (2003年7月17日)』より

 

確かにこれは、すごい事でござ~♪~ますわね。。。これだけでござ~♪~ますか?

まだありますよう。大津皇子を死に追いやったのも持統天皇ですよう。それで、持統天皇は次のような歌を詠んでいるのですよう。

 

 

春すぎて 夏来たるらし 白妙(しろたえ)の

 衣(ころも)ほしたり 天(あめ)の香具山

 

あの有名な歌でござ~♪~ますわね。

そうですよ。これを文字通りに解釈したら全く平凡で、つまらない歌ですよ。“もうすぐ夏になるのだなあああぁ~、香具山のふもとで農民が白妙を干しているから。。。” 初めてこの歌を読んだ時、僕はこの歌の素晴しさが全く分かりませんでしたよ。一体、何のために大伴家持は、この歌を『万葉集』に載せたのか?

今のデンマンさんには、大伴家持が上の持統天皇の歌を『万葉集』に載せた理由が分かるのですか?

分かります。上の歌は次のように解釈する事ができるのですよ。

 

春が過ぎて夏が来たようだ。

天の香具山に美しく真っ白な衣が

干してあるなあぁ~

でも、私の心はあの山の裏にある

磐余(いわれ)の池を見ているのです。

 

 

大津皇子が自害する前に池の端で

辞世の歌を読んだという。

自害の後で、皇子の妻であり、

私の腹違いの妹でもある山辺皇女が

髪を振り乱し、裸足で駆けて行き、

共に殉死したという。

痛ましいには違いない。

しかし私は、ああせねばならなかったのです。

怨霊になって私を憎んで

いるのかもしれないけれど、

私には他にとるべき道はなかったのです。

どうか、心安らかに眠っていて欲しい。


『愛と陰謀 (2008年2月27日)』より

 

上の歌を持統天皇は藤原京の宮殿から香具山を見て詠んだのです。

 

 

この地図で見れば分かるように、香具山の裏に磐余(いわれ)の池があるのですよ。この池の端で大津皇子は辞世の句を詠んだのです。現在では、ほとんどの歴史家が大津皇子は持統天皇の陰謀によって死なされたと見ています。

デンマンさんも、そう考えているのでござ~♪~ますか?

そうです。持統天皇は自分の子供、草壁皇子を天皇にしたかった。血のつながりがある甥の大津皇子が邪魔だったのですよう。結果として大津皇子の妻、持統天皇にとっては腹違いの妹も死に追いやったわけですよう。

それで、なぜ、持統天皇は上のような歌を詠んだのでござ~♪~ますか?

この当時は怨霊ということがマジで信じられていた。“怨霊の崇り”ということが現在で言えば“テポドンで攻撃を受ける”程度に怖い事として考えられていた。持統天皇だって、テポドンを宮殿に打ち込まれたくないので大津皇子の怨霊を鎮魂するために上の歌を詠んだのですよう。

つまり、持統天皇は自分の血がつながったものだけを天皇にしたかったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。それは持統天皇にとって、悲劇的に死んでしまった亡き母親や、おじいちゃんや、おばちゃんの供養のためだったのでしょうね。

それ程、持統天皇は自分の血筋に、こだわっていたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。持統天皇が藤原不比等と組んでやった事を見ると、その事が実に良く分かるのですよう。すでに、その事を僕は記事に書いたので、ここに引用します。

 

女の意地と執念

 

 

天平年間は、災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依しました。
いわば、現代流に言うならば、極めて人間的な人だったと僕は思いますよ。
つまり、藤原4兄弟などの策謀が渦巻く中で、政治に嫌気がさしていたと思いますね。
“長屋王の崇り”も、“藤原氏の一員”として充分に感じていたでしょうね。

聖武天皇は741年には国分寺建立の詔を出します。
743年10月には、東大寺大仏の建立の詔を出しています。
また、度々遷都を行って災いから脱却しようとしたものの官民の反発が強く、最終的には平城京に復帰しました。
このような聖武天皇の行動を見ると、意志の弱さが見えますよね。優柔不断です。

また、藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が取り仕切りました。
結局、聖武天皇は政治に見切りを付けていたのですよね。
それで、出家したのでしょう。
その気持ちが分かるような気がします。

それに引き換え女性たちの意志の強さは驚くばかりです。
特に持統天皇の強烈な執着と執念が目を見張らせます。

 

 

持統天皇の相談役とも言える橘三千代がすごい人ですよね。
この人のもとの名は県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)です。
三千代は持統天皇がまだ天皇になる以前に彼女の女官として仕えていたのです。
持統天皇の孫の軽皇子(かるのみこ)の乳母(めのと)だった人です。
三千代は皇族の美努王(みのおう)と結婚して3人の子供をもうけています。
早くから女官として内裏に仕え、持統天皇の信頼を得ています。

藤原不比等は持統天皇、彼女の息子の草壁皇子、さらにその子の軽皇子(後の文武天皇)に仕えていました。
この関係で橘三千代と知り合い、持統天皇の皇統を守る同志として二人の絆が生まれたのです。
三千代は美努王(みのおう)と離婚していますが、すでに二人は三千代の離婚以前から深い関係になっていたようです。

 

 

美努王は三千代と離婚する以前、694年に九州の太宰帥(だざいのそち)として九州に赴任していますが、妻の三千代はこのとき夫に従ってゆかず、都にとどまって女官として仕え続けています。
この年の暮れには藤原京への遷都があり、新都の華やいだ雰囲気の中で藤原不比等と三千代の不倫関係が深まってゆきました。

藤原不比等は女性関係でも精力的で、この時期に天武天皇の未亡人である五百重娘(いおえのいらつめ)とも親密になっており、695年に二人の間に藤原不比等の四男・麻呂が生まれています。
ちなみに五百重娘の父親は藤原鎌足です。つまり、五百重娘は不比等の異母妹でした。

『続日本紀』によると、石上麻呂の息子の石上乙麻呂(おとまろ)が藤原不比等の三男・藤原宇合(うまかい)の未亡人となった久米連若売(くめのむらじわかめ)と通じた罪によって処罰を受けています。
石上乙麻呂(おとまろ)は土佐国に流され、久米連若売は下総国に流刑になります。

藤原不比等の場合には大胆にも、かつての天武天皇の后妃であり、新田部皇子の母でもある五百重娘(いおえのいらつめ)を相手にして、子供まで産ませているのです。
ところが、何の罰も受けていません。

橘三千代にしてみれば、不比等に裏切られたような気がすると思うのですが、ヒステリーになるわけでもなく、大事の前の小事と割り切ったようです。
持統天皇のそばに仕えて厚い信任を得ていたので、その立場を利用して不比等の出世のために持統天皇へのとりなしに動いたようです。
このようなことを考えても、橘三千代が只者ではないと言うことが分かります。

感情的にならず、大事を見失わずに困難を乗り越えてゆく三千代の姿がはっきりと浮かび出ていると言えるでしょう。
深謀遠慮の藤原不比等と組んで持統天皇を取り入れ、橘三千代は三つ巴で持統皇統を継続させてゆきます。
女の意地と執念を感じさせますよね。


『日本女性の愛と情念の原点』より
 (2006年5月30日)

 

これだけ女帝がたくさん出てきたのは、なぜだと思いますか?

持統天皇の血を分けたものだけを天皇にするためでござ~♪~ますか?

その通りですよう。

。。。んで、天皇になった高市皇子を暗殺したのですか?

そうですよう。

でも、高市皇子は、持統女帝の夫である天武天皇の子供ですわ。

しかし、持統女帝の産んだ子供ではないのですよう。彼女の血は一滴も高市皇子には流れていないのです。

要するに、高市皇子は持統天皇の意地と執念にとって邪魔者でしかなかったのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。上の系図を見れば、その事が実に良く分かるのですよう。

しかし。。。、しかし。。。、証拠が。。。?

その証拠が出てきたのですよう。

まさか。。。?

マジで出て来たのですよう。
 
どのような証拠でござ~♪~ますか?

1988(昭和63)年8月下旬、北宮、通称「長屋王邸宅」と呼ばれていた場所の地下2メートルのところで1条の溝が発掘されたのですよう。

何が出てきたのでござ~♪~ますか?

合計4万点にものぼる木簡が出て来たのですよう。その中に高市皇子の長男である長屋王の名が「長屋親王」と書かれた木簡があった。

「親王」というのは、確か天皇の男の子か孫でござ~♪~ますよね。

そうですよう。つまり、この木簡に従えば長屋王は“高市天皇”の長男だったのですよう。上の柿本人麻呂が詠んだ長歌は持統天皇のために詠んだものではないのです。高市天皇のために詠んだのです。だから、“日の皇子”になっている。つまり、皇子とは男です。

それが正しいとして、柿本人麻呂はどのように関わっていたのでござ~♪~ますか?

持統天皇があれほど目をかけてやって出世できたというのに、事もあろうに柿本人麻呂は高市天皇になびいてしまったのですよう。それで、持統天皇の手が伸びて高市天皇が暗殺されたあと、人麻呂は石見国に左遷された。そこで、失意のうちに人麻呂は亡くなったのですよう。

どうして失意のうちに亡くなったと分かるのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~、卑弥子さんも天神様を知っているでしょう?

もちろん知っておりますわ。菅原道真を祭(まつ)った神社でござ~♪~ますわ。

どうして菅原道真は祭られたのですか?

だってぇ~、道真は何も悪い事をしていないのに、告げ口によって。。。つまり、陰謀によって左遷されてしまったからですわ。

人麻呂も同じ事ですよう。「人麻呂」は転じて「人丸」とも言われるようになったけれど、そこから「火止ル」になったり「人生マル」になったりして、火難防除や安産、疫病防除のための語呂合わせともなり、その後「人麻呂信仰」になったのですよう。つまり、その当時、知っている人は知っていたのです。柿本人麻呂が持統天皇に睨(にら)まれて不遇な身になった事を。。。

つまり、人麻呂さんは何も悪い事をしていないのに、高市皇子になびいてしまったので、持統天皇に恨まれたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。持統天皇は執念深いのですよう。“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”。。。それで、人麻呂は持統天皇にトコトン疎(うと)まれた。でも、知っている人は知っていたのです。だから、人麻呂の人徳をたたえて、石見には柿本神社や人丸神社がたくさん建っているのですよう。その事を考えれば、人麻呂が悲劇の死を迎えたのも実に良く分かるのですよう。

【卑弥子の独り言】

 

ですってぇ~。。。
いつものように、デンマンさんは、あちらから、こちらから、いろいろな資料を持ち出してきましたけれど、
なんとなく理屈に丸め込まれてしまったような気がするのでござ~♪~ますわ。
あなたは、どう思いましたか?

とにかく、あさって、まだ面白いお話が続くと思います。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

神社を英語に訳すと

“shrine”ですよね。

でも、英語と日本語の大きな違いがあります。

日本では、神社がやたらに多いのですよね。

デンマンさんの上の記事にも出てきましたけれど、

天神様

柿本神社

でも、まだまだたくさんあります。

東郷神社

乃木神社

秋葉神社

浅間神社

小国神社

。。。

アメリカでもカナダでも、shrineを探そうと思うと、

まず身近にはありません。

ところが、日本に行くと、神社は一つの町だけでも

10以上簡単に見つけることができます。

日本って、本当に神社の多い国だと思いました。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

女帝の怨念

 
女帝の怨念

雲場池(スワンレイク)の小百合さん

投稿日時: 2008/09/22 03:58 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午前11時58分
バンクーバー時間: 9月21日 午後7時58分

防人の歌碑のところまで行って、
新しい道を探して 見つかった時の 新鮮さ。
長男や次男のこと、デンマンさんのことも
忘れて 自分だけのことで 走り回ってました。

■ 『ビバ! 白鳥の湖 (2008年6月15日)』
(防人の歌碑については上の記事を読んでみてね。)

“防人の歌”。。。懐かしいですねぇ~。

そうです。そうです。
あの防人の歌の歌碑も、小百合さんと一緒に見たいものですね。

 

日の暮れに

うすひの山を

越ゆる日は

背なのが袖も

さやに振らしつ

 

(巻第十四 東歌 三四〇二

詠み人知らず)

現代語訳:

日の暮れ時に、碓氷の山の峠を越える日に、我が夫が、別れの時に目につくほどはっきりと袖を振っていたわ。

(峠を越えて去ってゆく夫を慕う妻の心情を詠んでいる。)


ひなぐもり

うすひの坂を

越えしだに

妹が恋しく

忘らえぬかも

 

(巻第二十 四四〇七

他田部子磐前 [おさたべの子いわさき])

現代語訳:

ひなくもり(碓氷を導く枕詞)碓氷の坂を越える時は、国へ置いてきた妻のことが恋しくて忘れられない。

(碓氷峠越えの別れの恋歌。)


■ 『夢のホテル (2008年5月8日)』より

 

昭和25年ごろの手書きのマップを見つけ
コピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~ 

本当に 雲場池のところに ニュー グランドホテルと書いてあった。

 


(lodge25.jpg)


(lodge24.jpg)

&nbsp

1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり

うん、うん、うん。。。

小百合さんの事を、もっともっと書いてくれてもいいよう。

お母さんは 封筒の宛先は どうやって 書いてるの?

封筒だけ デンマンさんが たくさん書いて おいてきたりするの?

弟が書いてやっているようですよう。
僕は書いた事が無い。

 

私 今月末と思ったら 10月末 よね。
ネットカフェ・コンコルドであわてて デンマンさんの旅程表を見たから勘違いしてました。

あと1ヶ月ですね。

まだ1ヶ月以上ありますよう。
でも、1ヶ月なんてすぐに経ってしまいますからね。

僕は1ヶ月分の記事を用意しなければならないので、
この1ヶ月間は大変です。

これ SUBMIT できるかな
何だか お気に入りが減ってるし、マウスはどっか
無くなってるし やりずらいなー

これが 現実の世界ですよ、今日も次男坊と喧嘩がはじまりそうー。

では 今日も洗たく 掃除…
今から始めます。

では、また。。。

小百合より

 

 

そうですよう。そうですよう。
軽井沢は、小百合さんにとって“今一つの世界”なのですよう。

日常茶飯事から開放されて、小百合さんの“夢とロマンの生活”を軽井沢に求めているのですよう。
つまり、それこそ小百合さんの“女の世界”です。
デンマンの“ロマンポルノ天国”と重なると思うのですよう!
うしししし。。。

行田で元気に再会しましょうね。
“恍惚のハグ”を楽しみにしていますよう!
じゃあね。


投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分

『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”

防人の歌が多少、持統天皇と関係あるので、デンマンさんは、また小百合さんのメールを持ち出してきたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。やっぱり話題と無関係なものを書くわけにはゆきませんからね。それに、万葉集に防人の歌を取り上げたのは、まず間違いなく万葉集の編者と考えられている大伴家持ですよう。

どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?

大伴家持は仕事で防人の世話をする役目についていた事があるのです。かつて僕は次のような記事を書きました。関連箇所を抜き書きしました。ちょっと読んでみてください。

 

万葉集で政治批判?

 

 

天平18年(746年)3月に宮内少輔。7月に越中国国守となる。
天平勝宝3年(751年)までに赴任。

この間に220余首の歌を詠んだ。
少納言となって帰京後、天平勝宝6年(754年)兵部少輔となり、翌年難波で防人の検校に関わる。
この時の防人との出会いが、万葉集の防人歌収集につながっている。

 (中略)

天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年(西暦775年)に、東国の国々から防人の歌を集めさせたのです。
集まった歌は166首でしたが、家持が選んで84首を万葉集に残しました。
この時は、すでに防人の制度が始まってから、100年近くが経過していました。

歌のほとんどは、家族と離れ離れになる悲しさや、夫が遠くに行ってしまう悲しさ・不安・無事を祈る気持ちで詠(よ)んだものです。
なぜ大伴家持は、防人の歌を集めさせたのか?
上に引用した彼の経歴を見れば明らかです。
家持はこの制度に批判的だったんですよね。

大伴家持は当時の政府の役人を務めてはいますが、心の中は反政府的なんですよね。
彼自身も反政府運動に加担していた。
少なくともそのような嫌疑をかけられて罰を受けたことがある。
反骨精神のある人だったことが分かります。

武器を持って反政府運動を繰り広げて政府を転覆したいと思っていたかもしれませんが、それが現実的でないので万葉集という歌集を編纂して、その中に反政府的歌をあつめて歴史の真相を後世に伝えようとしたわけです。


『性と愛と批判 – 万葉集の中の政治批判?』より
(2006年5月8日)

 

大伴家持が防人の歌を万葉集に載せたのも当時の藤原政権に対する批判だったのでござ~♪~ますか?

日本社会特有の“本音と建前”は、おそらく大伴家持あたりが持ち込んだのでしょうね。

つまり、建前では、身分にとらわれずに広く大和の民衆から歌を集めると言いながら、防人の歌を集めて本音で藤原政権を批判するつもりだったのでござ~♪~ますか?

その通りですよう。それ以外に批判の道は残されてなかった。

。。。んで、その事が柿本人麻呂とどのように関わっているのでござ~♪~ますか?

 

紀貫之は柿本人麻呂が「正三位」であったと『古今和歌集』の仮名序に書いているのですよ。ちょうど、明治政府が明治37年に紀貫之に「従二位」を追贈したように。。。

なぜですの。。。?

だから、僕は紀貫之は真相を知っていると思っているのですよ。

どのような真相ですか?

持統三年(689)草壁皇子(持統天皇の皇子、軽皇子の父)の挽歌に始まり、翌四年の吉野行幸や六年三月の行幸に関する歌を柿本人麻呂は多数残しているのですよ。しかも六年冬に行われた軽皇子(後の文武天皇)の安騎野行きにも御付きとして従っている。十年七月には高市皇子(天武天皇の皇子)の死去にあたって「渾身の傑作」と後世評価される挽歌も捧げている。それなのに、柿本人麻呂の「死」に対し「妻」以外、誰一人として哀悼の意を表し、歌を捧げた人がいなかった。しかも、正史に、この人のことが1行も書かれていない。この事は歴史の謎になっているのですよ。

つまり、柿本人麻呂が正三位であった事は正史に書かれていないのですか?

正史に書かれてないのですよ。

それなのに紀貫之は柿本人麻呂が「正三位」だったと『新古今集』の序文に書いたのですか?

そうです。出鱈目(でたらめ)ではないのですよ。

どうしてですの?

だから、このような形で政治批判をしているのです。現在にまで謎が残る形で奈良朝の政治の暗黒部分を我々に伝えようとしている。ちょうど大伴家持が、持統天皇の平凡な歌を載せたように。。。でもその歌の裏には政治の混乱が隠されていたのですよ。

つまり、『伊勢物語』もそのようにして紀貫之が本音では“政治批判の書”として編集した、とデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよ。

。。。で、具体的には。。。?


『愛と怨霊 (2006年7月5日)』より

 

デンマンさんの古い記事を持ち出してきて何を言おうとなさるのでござ~♪~ますか?

これまで読んでくれば卑弥子さんにも僕が何を言おうとしているか分かるでしょう?

デンマンさんのお話は、あちらに飛んだり、こちらに飛んだりするので、何がなんだか良く分からなくなってしまうのでござ~♪~ますわ。今度は紀貫之までが登場していますわ。

大伴家持も紀貫之も日本の古典や日本史を知っている人であれば誰もが記憶している名前だと思うのですよ。卑弥子さんだって知っているでしょう?

もちろんですわ。これでも、あたくしは古典文学を専攻している者でござ~♪~ますから。。。

ちょっと考えてみてください。大伴家持も紀貫之も歌人としてしか知られていない。

だってぇ~、歌人ですものォ~。。。あたりまえでござ~♪~ますわア~

確かにその通りですよ。でも見方を変えれば、藤原氏以外の人物にとって政治に関わりたくても関わることができなかった。有能であれば有能であるほど藤原氏によって政界から蹴り落とされていったのです。菅原道真などがその良い例ですよ。

菅原道真以外にも居るのですか?

たくさん居ますよ。

デンマンさんは記事にも書いているのでござ~♪~ますか?

もちろんです。藤原氏内部でも主流派と反主流派があって、反主流派の人たちは追い落とされてしまったほどです。

 

 

この世をば

わが世とぞ思ふ

望月の

欠けたることも

なしと思へば

 

藤原道長

 

藤原道長は“氏の長者”になって権勢を欲しいままにして、このような歌を詠んだのです。でも、それまでには、すさまじい権力闘争があった。

 

当子(まさこ)内親王と

藤原道雅(みちまさ)の悲恋

 

 

簡単に言ってしまえば、藤原氏内部の主導権争いだったわけです。道長は道隆の四男だった。道隆の長男が道雅の父親である藤原伊周(これちか)だった。道長に野望が無く、何事も起こらなかったならば、藤原氏の実権は黙っていても道雅の手に入ってくるところだった。分かるでしょう。当子内親王と藤原道雅の恋物語の裏には、このような藤原氏の陰謀が渦をまいていた。

この悲恋にも道長の手が伸びていたのだと。。。デンマンさんはそうおっしゃるのですか?

そうです。このようなやり方は藤原鎌足から受け継いでいる藤原氏の伝統的なやり方ですよ。自分の主導権を正当化するためならば何でも利用するのです。前にも書いたことだけれどね、次の2つの記事を読めばよく分かりますよ。

 

 

■ 『マキアベリもビックリ、藤原氏のバイブルとは?』

『藤原氏の祖先は朝鮮半島からやってきた』

 

でも。。。でも。。。なんだか飛躍しすぎているような説明ですわぁ~。

今から千年前の悲恋ですからね、真相は謎ですよ。でも、藤原氏の長い歴史を見ると見えてくるモノがあります。


『愛と性と不良娘 (2007年2月8日)』
『愛と性に萌えて (2007年2月6日)』より

 

このように、藤原氏であっても反主流派は追い落とされてしまうのですよ。

つまり、大伴家持や紀貫之は政治の世界で身を立てようとしても、それが叶(かな)わぬ事と知り抜いていたので歌の世界で藤原政権に対して批判しようと思ったのでござ~♪~ますか?

その通りです。事実そのようにして大伴家持は万葉集で藤原政権批判をしているのです。紀貫之も柿本人麻呂が事実上三位の人であるという事を後世の人に伝えるために、わざわざ『古今和歌集』の仮名序に書いたのですよ。

そうやって、史実を後世の人たちに知らせるためでござ~♪~ますか?

その通りです。大伴家持が属している大伴氏も紀貫之が属している紀氏も藤原氏によって、すでに政治の世界から追い落とされていたのです。

それで、柿本人麻呂は、一体どのような悲劇に遭遇(そうぐう)したのでござ~♪~ますか?

上の引用の中で赤字にした部分があったでしょう?もう一度ここに書き出します。

 

 

持統十(696)年七月には

高市皇子(天武天皇の皇子)の死去にあたって

「渾身の傑作」と後世評価される挽歌も捧げている。

それなのに、柿本人麻呂の「死」に対し「妻」以外、

誰一人として哀悼の意を表し、

歌を捧げた人がいなかった。

しかも、正史に、この人のことが1行も書かれていない。

 

これが柿本人麻呂の悲劇なのでござ~♪~ますか?

その通りです。

高市皇子の殯宮(もがりのみや)で人麻呂が詠った挽歌は最高傑作とも言われているのです。つまり、この挽歌こそ、人麻呂と高市皇子の結び付きの強さを暗示しているのです。

その挽歌に何か隠されている秘密があるのでござ~♪~ますか?

いや、特に秘密があるわけではありません。ただ、その挽歌を読むと柿本人麻呂が高市皇子の死をとりわけ惜しんでいる事が実に良く分かる。

それで、何が隠された秘密なのでござ~♪~ますか?

実は、『万葉集』巻一に「藤原宮御宇天皇代」の歌として載っている長歌があるのですよ。

どなたがお作りになったのでござ~♪~ますか?

「藤原宮の役民の作れる歌」である、と書いてあるのです。

どのような歌なのでござ~♪~ますか?

ちょっと読んでみてください。

 

 

やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子

あらたへの 藤原が上に 食国を 見し給はむと

都宮は 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに

天地も 寄りてありこそ 磐走り 淡路の国の

衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを

もののふの 八十氏川に 玉藻なす

浮べ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ

身もたな知らず 鴨じもの 水に浮きゐて わが作る

日の御門に 知らぬ国 寄り巨勢道より わが国は

常世にならむ 図負へる 神しき亀も 新代と

いづみの河に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず

いかだに作り のぼすらむ 勤はく見れば 神ながらならし


万葉集 巻第一・50

 

持統八(694)年12月6日に都を藤原宮に移したのです。高市皇子が死去する2年前です。この長歌は、この藤原宮で働いている役人が詠んだ歌だと書いてある。

名前は書いてないのでござ~♪~ますか?

書いてないのです。でも、多くの古典研究者や歴史研究者がこの長歌は人麻呂が詠んだ長歌に違いないと考えているのですよ。

デンマンさんも、そう思っているのですか?

もちろんです。

なぜでござ~♪~ますか?

万葉集の中には、上の長歌のように名前が伏せてあるものや“読み人知らず”になっている歌がたくさんあるけれど、すでに見てきたように1073番の歌も僕は柿本人麻呂が詠んだに違いないと見ているのです。

 

 

玉垂(たまだれ)の

小簾(をす)の間(ま)通し

ひとり居て

見る験(しるし)なき

夕月夜かも

詠み人知らず

万葉集 巻第七・1073

このような素晴しい月夜の晩に、

一人で簾の隙間から月を見ているが

ああ~、愛(いと)しいあの人は、

もうこの世の人ではない。

あのように儚(はかな)く

逝(い)ってしまうのであれば、

もう少し足しげく通って、

優しい言葉をかけてあげたかった。

でも、そうできない事情が

あったのだ。

今更嘆いたとて、

どうなるものでもないが。。。

それでも、あの人を思い出すと

慟哭せずには居られない。

 

『万葉集の謎 (2008年9月23日)』より

 

分かりましたわ。。。んで、上の長歌が柿本人麻呂の歌としてですわねぇ~、それは人麻呂が時の天皇・持統女帝に献呈した歌なのでござ~♪~ますわね?

当然、そのように考えられているのです。

デンマンさんは、そうではないと思って居るのでござ~♪~ますか?

もちろんん、人麻呂が作った長歌なんだけれど、もし、人麻呂が持統天皇のために詠(うた)ったのであれば、名前を出しても良いのですよ。

なぜ、人麻呂の名前を出さなかったのでござ~♪~ますか?

なぜなら、人麻呂は持統天皇ではなく高市天皇のために詠(よ)んだからですよ。

しかし、高市天皇なんて日本史では認められていませんわ。

その通りです。持統天皇に暗殺されてしまったのだから。。。

まさか。。。?

それが僕の言う悲劇なのですよ。

しかし。。。しかし。。。そのような事は、あたくし、日本史で勉強しませんでしたわ。

だから、この史的事実は隠されてきたのです。それで、上の長歌も人麻呂が詠んだのだけれど、“藤原宮で働いている役人が詠んだ”と万葉集に書いたのです。

なぜでござ~♪~ますか。。。?

そのようにすれば、本当の真実を後世の人が分かってくれるだろうと考えて大伴家持は、そのように書いたのです。真実を書いたら、大伴家持の首が飛んでしまうから。。。

そうでしょうか?

だって、そうでしょう?上のような長歌を藤原宮で働いている役人が詠んだのです。本当に持統天皇のために詠んだのであれば、詠んだ人の名前を伏せる必要はないのです。しかし、その人の名前が書かれてない。不自然ですよ。これは臭い!。。。何か隠されているに違いない。。。僕はそう思いました。

でも、ただそれだけでは、あたくし、納得できませんわ。

だったら、卑弥子さんが納得できるように、もっと詳しく説明します。

分かりましたわ。さっそく分かり易いように説明してくださいましな。

うん。。。でも、この記事が、かな~♪~り長くなってしまったので、また明日 話します

また、お預けでござ~♪~ますかア?

このまま続けたら、収拾が付かないほど長くなってしまいますからね。。。


初出: 2008年9月27日

【卑弥子の独り言】

 

ですってぇ~。。。
また、お預けですわ。
デンマンさんの記事は、特に、出だしが長いのですわよう。
あなただって、そう思うでしょう?

とにかく、明日 面白くなりそうでござ~♪~ますわ。
なぜ、持統女帝は天皇である高市皇子を暗殺する必要があったのでござ~♪~ましょうか?
そして柿本人麻呂は、なぜ史書から抹殺されなければならなかったのでしょうか?

あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいましね。
じゃあ、また。。。

ィ~ハァ~♪~!

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こんにちは。ジューンです。

“本音と建前”

よく聞きますよね。

さて、英語で何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

いろいろと言い方があると思います。

appearance and reality

見かけと実物そのまま

これも本音と建前と言い換えることができますよね。

form and substance

外観と実体

これも本音と建前と同じですよね。

one’s real intention and

what one says on the surface

本音と建前を説明しているのですよね。

real motive and stated reason

これも間違いなく本音と建前ですよね。

what one says and what one means

本音と建前をこのように言うこともできますよね。

では、「本音と建前を使い分ける」を

英語でどのように言うのでしょうか?

ちょっと考えてみてください。

次のように言うことができます。

You should be tactful as to

when to tell real intention

and when to show form.

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

日本最古の本

 

日本最古の本

 


(lookanim.gif)


(kojiki10.jpg)


(shoki21.gif)


(himiko93.jpg)


(himiko22b.gif)

デンマンさん、。。。日本最古の本を探しているのでござ〜ますかァ〜?


(kato3.gif)

僕は歴史オタクだと思っているのですよ。。。だから、当然、現在 日本最古の本だと言われている本を知っているつもりです。。。

それなのに どういうわけで 日本最古の本 というタイトルにしたのでござ〜ますかァ?

あのねぇ~、僕は先日 次の記事を書いたのですよ。。。

 

AIによる作文

 


(capcut60.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

赤い楕円で囲まれたリンクをクリックします。。。すると次のページが出てきます。。。

 


(capcut62.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

最も簡単なやり方は、ベティさんが書いた文章を書き込むのではなく、”/” を書き込むとAI writer がベティさんに成り代わって作文してくれるのです。。。”/” を書き込むと次の画面が出てきます。。。

 


(capcut61.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

“Write about love” とか ”movie history” という語句を入れるのですよ。。。もし思いつかなかったら、画面にお勧めの語句が3つ見えます。。。スクロールダウンすると 更にお勧めの語句が出てきます。。。どれも気に入らなかったら、右側の中ほどに ”See others”というリンクをクリックすると更にお勧めの語句が表示されます。。。僕は”Introduce AI development”を選んでみました。。。

 


(capcut61x.jpg)

 

選んだら赤い楕円で囲まれた  Generate video  をクリックします。。。 こうしてAIによって制作されたのが次のビデオ・クリップです。。。

 


(about-ai.jpg)

 

 

ちょっと見た感じは、ビデオ制作のプロフェッショナルが作ったような印象を与えますわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。素人が初めて作ったとは思えない。。。

でも、デンマンさんは語句を選択しただけだから、他に何もしていないということですよねぇ〜。。。結局、素人が選んだ語句に基づいて、AIがスクリプトを作成し、スクリプトにふさわしい画像を選択し、更にバックグラウンド・ミュージックをつけ加えてビデオクリップをを完成させたわけですよねぇ〜。。。

そういうことです。。。

つまり、どれだけ優れたAIを使うか? それによって作品の出来が決まるわけですわねぇ〜。。。


『AIによる作文』より
(2023年12月6日)

 

ベティさんが言ったように「どれだけ優れたAIを使うか?」それによって作品の出来が決まるわけですよ。。。この言葉で僕はひらめいたのです。。。果たして、上のビデオを自動制作したAIは、どれほど優れているのか?

それを見極(みきわ)めるために 日本最古の本 を入れて AI にビデオを作らせたのでござ〜ますかァ〜?

そうなのです。。。

 


(book11.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

 

日本語を入れてもビデオを作ってくれないので「日本最古の本」を英語で the oldest book in Japan と入れたのです。。。で、赤い丸で囲んだリンクをクリックすると、AI がスクリプトを作成してくれます。。。それが次の画面です。。。

 


(book14.jpg)

 

上の画面の右下の Generate video をクリックすると 次のような手順をふんで 自動的にビデオを制作してくれます。。。

 


(book15.jpg)

 


(book16.jpg)

 


(book18.jpg)

 

こうしてビデオを制作してくれます。。。  Export  をクリックすると パソコンのハードディスクに保存することができます。。。

 


(book19.jpg)

 

ファイルの名前を変えたり、解像度を変えたけれが、この画面でそうします。。。

 


(book21.jpg)

 

この画面で Tik Tok、YouTube、Facebook, Instagram にアップロードしてシェアすることもできます。。。パソコンに保存するときには赤い楕円で囲んだ Download をクリックします。。。

 


(book22.jpg)

 

こうして出来上がったビデオを YouTube にアップロードしたのが次のクリップです。。。

 

 

このビデオを作るのに AIが作成したスクリプトが次の文章です。。。

 


(shoki21.gif)

 

Welcome everyone!

Today, we will be discussing an intriguing topic: The oldest book in Japan.

The Nikkeijinsho, or “Nihon Shoki,” is often considered the oldest known Japanese book.

It was written around the 5th century AD, making it over 1500 years old!

This ancient work is a compilation of stories and legends from the Japanese mythology, focusing on the origins of the gods, and humans.

The Nikkeijinsho is considered a sacred text, and it has been revered by Japanese culture for centuries.

One fascinating aspect of this book is its unique structure.

It is divided into two main sections: the Shoki and the Murasaki Shogi.

The Shoki tells the story of the creation of the world and the gods, while the Murasaki Shogi is a tale of a great battle between gods and beasts.

In addition to its historical and cultural significance, the Nikkeijinsho has also played a role in the development of Japanese literature.

It has inspired many writers and artists throughout the ages, and its stories continue to be cherished and retold in modern Japanese literature.

In conclusion, the Nikkeijinsho is a remarkable piece of Japanese history and culture.

Its age and status as the oldest known Japanese book make it a fascinating subject for study and appreciation.

So, the next time you come across a copy of this ancient work, take a moment to appreciate its incredible contributions to the development of Japanese civilization.


ようこそみなさん!

今日は、日本最古の本という興味深いテーマについてお話します。

日系人書、または「日本書紀」は、既知の日本の本としては最古であると考えられています。

 


(book31.jpg)
‘ 

 

これは西暦 5 世紀頃に書かれたもので、1500 年以上の歴史があります。

この古代の作品は、神、そして人間の起源に焦点を当て、日本神話の物語と伝説を編纂したものです。

日系人書は神聖な文書とみなされ、何世紀にもわたって日本文化で尊敬されてきました。

この本の魅力的な点は、そのユニークな構成です。

書紀と紫将棋の大きく2つのセクションに分かれています

 


(book32.jpg)
‘ 

 

書紀は天地創造と神々の物語、紫将棋は神と獣の大いなる戦いの物語

 


(book30.jpg)
‘ 

 

日系人書は、その歴史的、文化的重要性に加えて、日本文学の発展にも役割を果たしてきました。

それは時代を通じて多くの作家や芸術家にインスピレーションを与え、その物語は現代の日本文学の中で大切にされ、語り継がれ続けています。

結論として、『日系人書』は日本の歴史と文化の素晴らしい作品です。

その古さと既知の最古の日本語書籍としての地位により、この本は研究と鑑賞にとって魅力的な主題となっています。

したがって、次にこの古代の作品のコピーに出会ったら、日本文明の発展に寄与した驚くべき貢献をじっくりと味わってください。

(デンマン訳)

 

AIも完璧ではないから間違うだろうと思ったのだけれど、マジで いくつか間違えましたよ。。。まず、「日本書紀」が最古の本だと書いてあるけれど、書紀は720年に完成したと言われているのです。。。「古事記」はそれより以前の712年に編纂されたと言われている。。。

上のスクリプトには「日本書紀」は西暦 5 世紀頃に書かれたものだと書いてますわねぇ〜。。。

そうです。。。5世紀といえば 400年代ですよ。。。完全に間違えてます。。。また、「日本書紀」が 日系人書 とも呼ばれていると書いてあるけれど、GOOGLEで調べても どこにも出てきませんでした。。。「日計人書」、「日経人書」、「肉桂人書」、「日型人書」…と思いつくままに似たような語句を入れたけれど、出てきませんでした。

「日本書紀」の構成は 「書紀」と「紫将棋」の大きく2つのセクションに分かれているとも書いてありますわねぇ〜。。。

そうなのです。。。『日本書紀』は、神代から持統天皇11年(697)までの記事からなり、本文30巻、系図1巻で構成されているけれど、「紫将棋」なんて聞いたことも読んだこともない。。。

ずいぶん間違えてますわねぇ〜。。。

そうなのです。。。これほど間違えるとは思いませんでした。。。

やっぱり、AI も完璧ではないのですねぇ〜。。。

完璧でない人間が作るものですからねぇ〜。。。間違いはありますよ。。。

でも、上のスクリプトは間違いだらけという感じですわ。。。

5年もすれば、もっと素晴らしいものができるでしょう。。。それを期待します。。。

 


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【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ~。。。

あなたも、AIを試してみて、間違いを見つけたことがありますか?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 

 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)

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(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』


(surfing9.gif)


(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


(costa04b.jpg)

『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』


(annasalleh.jpg)

『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『美人と接吻』

『パンツに下痢』

『阿仏尼』

『楊貴妃@満州』

『ズロースを探して』

『四睡図』


(miya08.jpg)

『レオタード姿』

『熟女のうずき』

『苫田郡香タ美』

『エロエロ』

『ハーレーダビッドソン』

『貂蝉(ちょうせん)』『平成の卑弥子』

『北国方言』

『人妻』

『温泉で濡れ濡れ』

『痴漢バス』

『フォローしました』

『どこの応天門』

『浜野矩随』

『空白の150年』

『150年の空白』

『美術芸術ヌード』

『あんどん かつどん』

『ヌード第1』

『汚いパンツを見て』

『神聖少女』

『良寛さん@台湾』

『入れ墨熟女』

『忍藩の下級武士』

『熟女の入れ墨』

『ズロースで女装』

『日本語の難しさ』

『人間ドキュメント』

『ブラジル人溺死』

『確信という誤解』

『碁に夢中』

『浦島太郎を探して』

『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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(byebye.gif)

西部戦線異状なし

 

西部戦線異状なし

 


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ケイトー。。。 どういうわけで 西部戦線異状なし を取り上げたのォ~?


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10月29日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

 

西部戦線異状なし

All Quiet on the Western Front

 


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『西部戦線異状なし』(ドイツ語: Im Westen nichts Neues)は、2022年配信のドイツ・アメリカ合衆国の戦争映画。
エーリヒ・マリア・レマルクによる同名小説(Im Westen nichts Neues)の映画化であり、1930年公開の映画。
1979年放送の映画に次ぐ3度目の映像化である
定額制動画配信サービス「Netflix」にて配信された独占作品。

第一次世界大戦末期を舞台とし、理想に燃える若きドイツ人兵士のパウル・ボイマーを描いている。
仲間と共にドイツ軍に入隊したボイマーは戦争の現実を目の当たりにし、英雄になるという当初の希望を打ち砕かれながらも生き残るために最善を尽くす。
本作では原作小説にはない休戦交渉を描いたパラレルストーリーが追加されている

2022年9月12日にトロント国際映画祭で初上映された後に2022年10月28日にNetflixでストリーミング配信された。
2022年8月に第95回アカデミー賞国際長編映画賞のドイツ代表作としての出品が発表され、1月24日にノミネートが決定。

同時に作品賞を始め、作曲賞、音響賞、撮影賞、脚色賞、国際長編映画賞、美術賞、視覚効果賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の計9部門にノミネートされ、作曲賞、撮影賞、国際長編映画賞、美術賞の計4部門において受賞を果たした。

映画は原作の反戦メッセージに忠実であるとして批評家から高評価を得た
またナショナル・ボード・オブ・レビューのインターナショナル映画トップ5に選ばれた。

 

プロット

第一次世界大戦開戦から3年目の1917年。
17歳のパウル・ボイマーは学友のアルベルト・クロップ、フランツ・ミュラー、ルートヴィヒ・ベームと共にドイツ帝国陸軍に入隊する。

彼らは学校職員の愛国心に満ちたスピーチを聞いた後、戦死した兵士から剥ぎ取られクリーニングと補修された軍服をそうとは知らずに受け取ってしまう。
北フランスのラ・マルメゾン近郊に配属された彼らは先輩兵士のスタニスラウス・”カット”・カチンスキーと親しくなる。

西部戦線の塹壕戦の現実は彼らのロマンを打ち砕き、ルートヴィヒは初日の夜に砲撃で命を落としてしまう。

1918年11月7日。ドイツ軍人のマティアス・エルツベルガーは陸軍最高司令部と会談し、連合国との休戦協議を開始するよう説得する。

一方でパウルとカットは農場からガチョウを盗み、アルベルト、フランツ、そしてシャンパーニュ戦線の裏で共に戦った別の先輩兵士のチャーデン・スタックフリートにも分け与える。

文盲のカットはパウルに妻からの手紙を読んでもらい、日常に戻った後に社会復帰が困難であると心配する。
フランス人女性と一夜を過ごしたフランツは彼女のスカーフを土産に持ち帰る。

11月9日朝。フリードリヒ将軍はエルツベルガーとドイツ代表団を休戦交渉のためにコンピエーニュの森行きの列車に乗せる。
パウルとその仲間たちは増援に来るはずだった行方不明の新兵60人の捜索任務に出発し、新兵たちは防護マスクを外すのが早すぎたために毒ガスで全滅していたことを突き止める。

交渉に反対するフリードリヒはフランスの援軍が到着する前に攻撃を命じる。
その夜にエルツベルガーの代表団はコンピエーニュの森に到着し、一方でパウルの連隊は前線に送られてフランス戦線攻撃の準備をする。

11月10日朝。連合国最高司令官のフェルディナン・フォッシュは交渉の余地を与えずに72時間以内に連合国の条件を受け入れるようにドイツ軍に通告する。

一方でドイツ軍の攻撃は白兵戦の末にフランス軍の前線を奪取するが、サン・シャモン突撃戦車、飛行機、火炎放射器による諸兵科連合の反撃を受けて敗走する。

フランツは一同とはぐれ、アルベルトは投降しようとして殺される。
フランス兵と共に無人地帯のクレーターに閉じ込められたパウルは彼を刺し、ゆっくりと死んでいく姿を見ながら後悔し、死体に向かって許しを請う。

エルツベルガーは皇帝ヴィルヘルム2世の退位を知り、その夜にパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥から連合軍の条件を受け入れるように指示される。

パウロは部隊に戻り、戦争終結を祝う仲間たちの姿を目にする。
彼は負傷したチャーデンを発見し、フランツのスカーフを渡す。
パウルとカットは彼に食べ物を持ってくるが、身体が不自由となった現実に取り乱したチャーデンはフォークで自分の喉を刺して絶命する。

11月11日午前5時頃。エルツベルガーの代表団は午前11時に発効する休戦協定書に署名する。

休戦の話を知ったパウルとカットは最後に農場から盗みを働くが、カットは農家の少年によって撃たれ、パウルによって看護所へ運ばれたところで死亡する。
フリードリヒはドイツの勝利で戦争を終わらせたいと考え、10時45分に攻撃を開始するよう命じる。

落胆し、戦意を喪失したパウルは多くのフランス兵を殺害した末に銃剣で胸を刺され、その直後に11時を迎えて戦闘は終結する。
しばらくしてパウルが戦闘で助けた新入りのドイツ兵がパウルの泥まみれの死体を発見し、フランツのスカーフを拾う。

 

評価

レビュー集積サイトのRotten Tomatoesでは126件の批評に基づいて支持率は91%、平均点は8.3/10となり、「タイムリーかつ時代を超えた『西部戦線異状なし』は、戦争の無益さに焦点を当てることでその古典的な原作の力を保持している」とまとめられた。

Metacriticでは35件の批評に基づいて加重は76/100となり、「概ね好評」と示された。

『Netflix Junkie』のレビン・コウチーニョは「それはあなたを身もだえさせられる脚本で手加減はありません。(中略)この映画は孤独、絶望の触媒、戦闘中の民間人の恐怖、そして混沌を取り上げている」と評した。

ベン・ケニスバーグは『ニューヨーク・タイムズ』紙上でこの映画は1930年版よりも印象的ではないと感じたが、緊張感あるサウンドトラックを高く評価した。
彼はまたたとえそれが原作小説の一人称話法の物語から逸脱したとしても、休戦を求めるパラレルプロットの追加を賞賛した。
彼はさらに微調整されたキャラクターの運命が物語的に強力であると論じた。

一方で『ニューヨーク・タイムズ』のジャメル・ブイエは2022年版は反戦だけでなく、帰還した人々でさえも疎外されて酷い犠牲になるという原作小説の本質を見逃していると指摘した。

ブイエは「レマルクは地政学としての戦争に興味があるのではなく、人間の不条理が顕在化した戦争に興味があるのだ」と述べた。
彼はさらに「この政治的な小話を盛り込み、(1930年版にあった)パウルの帰還(の場面)を除外したことで『西部戦線異状なし』は兵士の体験の心理的考察と戦争への非難から高潔な兵士と彼らを裏切る冷笑的指導者というより単純な物語に変貌する」と評した。


出典: 「西部戦線異状なし(2022年の映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ケイトーはコメントで1930年製作の映画よりも2022年製作の映画の方が良い出来だったと書いているけれど、1930年に制作された映画も観たのォ〜?

 

デンマン(ケイトー)のコメント

Oct. 29, 2023

The original version turned superb, but this version appears much better.

It gripped me at the edge of my seat until the last moment.


1930年製作の映画は素晴らしい出来だったけれど、この映画はそれ以上に良かった。

最後まで釘付けになって観てしまった。

 

1930年に制作された映画も観ましたよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

 

西部戦線異状なし

All Quiet on the Western Front

 


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『西部戦線異状なし』(原題: All Quiet on the Western Front)は、1930年公開のアメリカ合衆国の映画。
エーリヒ・マリア・レマルクによる同名小説(Im Westen nichts Neues)の映画化であり、脚本はマクスウェル・アンダーソン、デル・アンドリュース、ジョージ・アボット、監督はルイス・マイルストン。

第3回アカデミー賞最優秀作品賞、および最優秀監督賞を受賞した作品

アメリカ連邦議会図書館が1990年、アメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品でもある。
戦争の過酷さをドイツ側から描く、アメリカ合衆国の映画としては異色の作品である。

 

ストーリー

第一次世界大戦中、ドイツのとある学校。
授業そっちのけで愛国心を説く老教師の言葉に感化された生徒たちは我先にと入隊を志願、愛国歌「ラインの守り」を歌いながら教室を後にする。

級長のポール(リュー・エアーズ)は同級生のフランツ、ムラー、アルバート、ベームらと同じ内務班に配属された。
新兵の教育にあたるのは、予備役から応召したヒンメルストス軍曹である。

普段は気のいい郵便配達員としてポールたちとも顔馴染みのヒンメルストスだが、軍服に身を包み練兵場に現れると態度が豹変、ポールたち新兵に情け容赦のない猛訓練を課す。
その加虐な仕打ちに腹の虫が収まらないポールたちは、検査に合格して出征を控えたある夜、泥酔して帰営したヒンメルストスを待ち伏せ、袋叩きにして鬱憤を晴らす。

やがて彼らは汽車でフランス軍と相対する西部戦線へと送られる。
一息入れる間もなく、さっそく初めての任務、鉄条網の敷設に駆り出されるポールたちだったが、敵軍の銃砲撃の中、いちばん気弱なベームが無惨な死を遂げる。

訓練とはまったく違う本物の戦争を目の当たりにして衝撃を受ける若者たちに、戦場で生き延びて行く為のノウハウを授けてくれたのは、カチンスキー(ルイス・ウォルハイム)ら分隊の古参兵たちだった。

連日の戦闘の中、ひとり、またひとりとクラスメイトたちが戦死していく。
ある日の戦闘でポールは砲弾穴へ落ちたが、同じ穴に飛び込んできたフランス兵をとっさに突き殺す羽目になる。
そのフランス兵のポケットから彼の妻子の写真が落ち、ポールの胸は痛む。

そして数か月が経ったが、戦争はまだ続いていた。
若者たちは一人前の兵士に成長し既に古参兵の域に達していた。
ひょんな事から知り合いになったフランス娘たちと楽しいひとときを過ごした翌日、ポールは行軍中に砲撃を受け負傷、病院へ送られる。

やがて傷も癒え、休暇をもらった彼は帰郷した。
母校では相変わらず老教師が戦争を讃え、愛国心を説いている。
教室を覗いたポールに老教師は、生徒達に戦場での素晴らしい体験談を話して聞かせて欲しいと促す。

まるで英雄でも見つめるかのように軍服姿の自分に羨望の眼差しを向けてくる生徒たち。
彼らや教師が期待するような功名談など話す気になれないポールは戦場の悲惨さを語ろうとするが、実際の戦場も知らず、愛国心に興奮状態の生徒たちには伝わる筈も無く、ただ彼らを失望させるだけだった。
久しぶりの帰郷にもかかわらず、自宅でも心が休まらないポールは休暇を切り上げて戦線へ復帰した。

隊に戻るとかつての自分たちのような幼く不安げな新兵ばかりになっていた。
カチンスキーは相変わらずだったが、再会を喜んだのも束の間、敵の砲爆で負傷、ポールは野戦病院まで背負い続けるが、カチンスキーは既に死亡していた。

長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。
ハーモニカの音が聞こる。
ポールはふと飛んできた蝶にそっと手を伸ばすが、身を乗り出したところを敵兵士に狙撃されて死亡し、物語は幕を閉じる。


出典: 「西部戦線異状なし(1930年の映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。2013年4月24日と2021年9月6日に観てコメントを書いたのねえ〜。。。どうして2度も観たのォ〜?

2013年に観たことを忘れてしまったのですよ。。。

つまり、1930年制作の映画は、ケイトーにとってそれほど印象的ではなかったということねぇ〜。。。

いや。。。充分に印象的だった。。。忘れっと言ったけれど、別の映画だと思ったのですよ。。。つまり、タイトルを忘れていたのです。。。

。。。で、2022年制作の映画の方が良かったわけぇ〜?

僕には、1930年の映画よりも、ずっと印象的だった。。。

どういうところが。。。?

あのねぇ〜、ウィキペディアには、「(1930年版にあった)パウルの帰還(の場面)を除外したことで『西部戦線異状なし』は兵士の体験の心理的考察と戦争への非難から高潔な兵士と彼らを裏切る冷笑的指導者というより単純な物語に変貌する」と書いてあるけれど、高潔な兵士と彼らを裏切る冷笑的指導者というような単純な物語にはなってませんでした。

どういうところが印象的だったわけぇ〜?

『ニューヨーク・タイムズ』のブイエは「レマルクは地政学としての戦争に興味があるのではなく、人間の不条理が顕在化した戦争に興味があるのだ」と批評したけれど、2022年の映画の方が その不条理が強烈に描き出されていましたよ。

マジで。。。?

あのねぇ〜、ヒトラーも第一次世界大戦に下士官として参加して戦ったのだけれど、彼が第2次大戦を起こしたのは、まさに戦中・戦後のこの不条理を体験したからなのですよ。。。

あらっ。。。そうなのォ〜?

ちょっと次の記録映画を観てください。。。

 


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つまり、戦争は不条理な現実を戦中だけではなく、戦後にも残してしまう。。。だから、ヒトラーは、野望をいだいて第2次大戦を起こし、少なくとも千年続く第3帝国を立ち上げようとしたのですよ。。。その妄想にも似た野望は、ある程度実現したけれど、その第3帝国にも不条理があった。。。

その第3帝国の不条理とは。。。?

ユダヤ人を絶滅させようとした。。。そんなことをしたら、ユダヤ人を含めて、多くの民族が不条理を感じてヒトラーを亡き者にしようとするのは目に見えてますよ。。。不条理が不条理を生むのですよ。。。そうやって歴史が繰り返されてゆく。。。

ハマスとイスラエルの戦争も、不条理が戦争を起こして、この戦争の後も不条理を残すわけねぇ〜。。。

そういうことですよ。。。そういう不条理の連鎖は、断ち切らねばならないと人間は理解しているのに、必ず、ヒトラーのように野望を抱く人間が現れて戦争を始める。。。

つまり、人間は他の動物よりも頭が良くなったのに、意外なところで馬鹿なのねぇ〜。。。

そういうことですよ。。。分かっているのに戦争を止められない! 必ず戦争をやりたい人間が出てくる。。。民衆は、その人間に引きずられて、戦争に巻き込まれてゆく。。。バカバカしいことだけれど、そういう事が繰り返されているのですよ。。。


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【ジューンの独り言】


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あなたは、どう思いますか?

北朝鮮の将軍様が そのうち気まぐれに核兵器を使うと思いますかァ~?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白い事を話せ!」

貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『インドのキリスト』

『宗教戦争』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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肝つぶし

 

肝つぶし

 


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デンマンさん。。。、あんこう の肝をつぶして食べたのですかァ~?


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ぜひ食べてみたいと思うけれど、残念ながらこれまで一度もその機会がありませんでした。。。

 


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上の鍋料理は見ただけでも食べたくなるでしょう?

おいしそうですわねぇ~。。。デンマンさんがまだあんこうの肝鍋を食べてないなら、どういうわけで肝つぶし を取り上げたのですかァ~?

昨夜、たまたま三遊亭圓生の『肝つぶし』を聴いたのですよ。。。

 


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肝つぶし

 

肝つぶしは、古典落語の演目のひとつ。
胆つぶし、肝潰しとも表記される。

「肝をつぶす」という慣用句(=大きく驚く意)をフィーチャーした噺。

もとは上方落語の演目で、のちに同じ演題で東京に伝わった。

主な演者に上方の3代目桂米朝、2代目桂ざこば、東京の6代目三遊亭圓生などが知られる。

 

あらすじ

男が、病気で寝ている友人(上方では「ヨシマ」こと吉松、東京では「タミ」こと民吉など)の見舞いに友人宅をたずねる。
友人が「この病気は医者でも治せない『恋わずらい』だ」と告げるので、男は思わず吹き出す。
男が詳しく訊きただすと、友人は以下のような経緯を語る。

友人はふんどし用のサラシを買うために呉服屋をたずねるが、先客がおり、番頭に長く待たされる。
友人がしびれを切らせて帰りかけたところ、奥から出てきた店の娘にひと目ぼれをする。

娘は友人に、「お詫びに反物を差し上げます」と話す。
友人は「自分にはそれを服に仕立てることができる妻も母親もおらず、それはかえって困る」と言って断る。

娘は「では、服を仕立てさせ、あとでお届けします」と約束する。
しばらくして、裏長屋の友人宅に娘がやって来る。娘は身をかくすように戸を閉めきり、「番頭によって望まない縁談が進んでおり、店を飛び出してきたものの、行くところがありません。ここでかくまっていただけないでしょうか」と友人に取りすがる。

ひとつしかない布団にふたりでくるまっていると、番頭が店の者を連れて友人宅の戸を破って押し入って来て、娘を連れて行ってしまう。

「そこで、ふと目を覚ました」
「なんだ、その『目を覚ました』というのは」
「すべて夢だったのだ」

友人が医者に聞いたところによれば、「夢の中の女に惚れて寝付いた場合は、年月そろって(=生まれ年と生まれ月の十二支が同じに)生まれた女の生き肝を煎じて飲めば、何もかも忘れる」のだという。
ただし「人ひとりを助けるために別のひとりを殺すなどということは医者にはできない」と、断られてしまったという。

男は帰り道に、母が「妹のお花は年月がそろっているので、誰にも言ってはならない」と言っていたことを思い出す。

男は家に帰り、お花と夕食をとりながら友人の病気について報告するが、お花の生き肝があれば友人が快癒するかもしれないことを話せず、思いつめる。

夜ふけ、男は包丁を研ぎ、お花が眠っている枕元へ向かい、お花の胸に包丁を付きつけて、独白する。
「思えば俺は、両親に早いうちに生き別れ、あいつの親父に引き取られて、3人できょうだい同然に育った間柄だ。あいつの親父には、自分が盗みを犯した際に代わりに牢獄に入ってくれて、地獄のような罰の身代わりになってくれた恩がある。妹を殺してまであいつを助ける義理がなくても、あいつの親父が亡くなった今では、恩を返す相手はあいつしかいないのだ。生き肝を飲ませた後は、効果の有無にかかわらず、俺もお花の後を追う」

男の頬から伝った涙が、お花の顔にかかり、お花は目を覚ます。
目の前に包丁をかざした兄がいるために、お花は大きく驚く。

男は「これは素人芝居の稽古で、寝ている女を殺す男を演じることになったのだ」と言ってごまかす。
お花は「本当に、肝をつぶしたわ」とつぶやく。
それを聞いた男は、

肝がつぶれた? ああ、それでは、薬にならない


出典: 「肝つぶし」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あんこうの肝とは全く関係ないじゃありませんかァ~!

でも、肝には変わりないでしょう。。。それに、この噺では「肝」がオチに使われている。。。

「オチ」って何ですか?

あのねぇ~、落語は、基本的にマクラ、本題、オチの3つで構成されてるのですよ。。。マクラは、本題が江戸時代の古典で、現在の人には良く分からない行事や、習慣や、言葉が出てくる場合に、それを分かりやすく説明する部分で、それから本題に入るのです。。。本題にかかわる世間話をする場合もあります。。。「オチ」は噺の最後にどっと沸かせて高座を降りていく瞬間がオチです。。。オチには次の表な種類があります。

 

■逆さ落ち(さかさおち)

噺の結末で、冒頭のときより、物事が反対の結果になってしまったり、立場が逆転してしまうことです。
代表的な演目は子供にせがまれて買った凧で親の方が夢中になってしまい、子供に呆れられる「初天神」。

 


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■仕込み落ち(しこみおち)

落語のオチの醍醐味を最も味わえる、オチです。
前半で、オチに対する複線を含ませながら、噺を進め、後半に前半で仕込んだ複線を踏まえつつ、オチに向かいます。
代表的な演目は「時そば」「壷算」など、代表的な落語の演目の多くが、この仕込み落ち。

 


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■仕種落ち(しぐさおち)

噺の結末の仕草ですべてを語る、演技力が必要なオチ。
最後、オチをどういった形で持っていくかが、その噺家の力量が問われます。
代表的な演目は「死神」。この「死神」オチの分類は仕種落ちで統一されるのですが、演じる個々の噺家によって、その仕草が様々あるというちょっと変わった演目です。

 


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■他のオチ

一瞬考えてから、にやりとさせられる「考えオチ」。
くだらない駄洒落がオチになっている「地口オチ」。
最後の一言である意味、強引に途端に結末に持っていく「途端オチ」。
あっと驚く! 意表をつく物に見立たり、勘違いででおこる面白さで落とす「見立てオチ」。

 

上の『肝つぶし』のオチは どの種類ですか?

「地口オチ」だと思いますよ。。。つまり、駄洒落、言葉遊びです。。。生き肝を煎じて飲めば、何もかも忘れるのだけれど、妹が肝をつぶして(肝を踏んずけて)しまっては、煎じて飲めないので薬にならない、というわけです。。。

オチのない話もあるのですか?

あります。。。人情噺にはオチがないものが多い。。。例えば、『文七元結』などは、そのよい例です。。。

 


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。。。で、デンマンさんはオチのある話の中で どういうわけで「肝つぶし」と取り上げたのですか?

実は、僕もかつて「肝つぶし」のように駄洒落で終わる「地口オチ」の噺を作ったことがあるのですよ。。。

ぜひ、聞いてみたいですわァ~。。。

じゃあ、ここに書きだすので読んでみてね。。。

 

はなし


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ちょいと、わいのはなし、聞いてえな。

どないしたんや?

昨日、警察署へ行ってきたんや。

どないしてん?盗みでもやらかしたんか?


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そんなケチなことやらかすかいな。

銀行強盗か?

ちゃうわい。殺人事件のことでな。

さ、殺人、殺人事件? お前、そんなだいそれた事したんか?


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チャウチャウ。わいが人を殺せるわけないやろ。

それもそうやな、お前のような気ィの小さい奴が人を殺せるわけないなァ。

わいのこと、そないに気ィが小さいと思うてんのかァ~?

まあ、いいがな。それでどないしてン?なんで警察なんぞに呼ばれたんや?

だから、ゆうたやろ殺人事件やて。

でもお前、やらんやったんやろ?

やらん、やらん。人など殺すかイナ。

それがどうして殺人事件と結びつくんかいな?

わいに嫌疑がかかったんや?

警察は、お前がやったんやと思うとんのか?どないして?

たまたま被害者が最後に会(お)うたんがわいなんや。

被害者って誰なんや?

それが、わい、よう知らん人なんや。

よう知らん?それなのに、どうして警察がお前を呼んだりすんのや?

わいの名前と住所を書いた紙切れがハンドバックから出てきたんやがな。

ハンドバック?お前、被害者というのは女か?

そうなんや。

若いんか?

若い。まだ30になっとらんやろ。

それで、どないなんや?その人別嬪(べっぴん)か?

それが、ごつうーィ別嬪なんや。

 


(girll96e.png)

 

うそつけー!お前の知り合いにそんな別嬪いやへん!

だから、言うたやろ。わいのよう知らん人やて。

そのよう知らん人がどうしてお前の名前と住所を書いた紙切れを持っていたんや?

わいが一ヶ月前に実家に帰ったのん知ってるやろ?

ああ、そういえばお前、帰ってたな?金をせびりに行ってたんやろ?

何を言うてんのや?金などせびりに行くかいな。わいな、おかァはんの病気見舞いに行ったんや。

実家で、その女の人に会(お)うたんかいな?

実家とちゃゥ。駅でな。わいの帰りがけに駅で会(お)うたんや。

 


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お前、また妙なことをしたんやろ?おいどを触ったり。

ばか言うな。そんな嫌らしいことするかいな。

 


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それで、どないしてその女の人と知り合(お)うたんや?

それがな、わいが駅のフォームでぼんやりとタバコを吸うとるとなァ、「あのう、もうし。。。」と話しかけてきたんやがな。

それで。

「あのう、見ず知らずの人に、つかぬ事をお願いするようで心苦しいのですが、わたくし、路銀が少なくて困っております。もし、お差し支えなければ今夜の宿賃ほど、お貸し願えないものでしょうか?」 こう言うンやがな。

そうか?しかし、初めて会(お)うたんやろ?あまりにもあつかましいがな。

そう思うやろ。わいも、そう思うたんやがな。しかしなあ、その人、ごつーイ別嬪やがな。わいが今まで見たうちでも飛びぬけて別嬪なんや。しかも、悪気のある人には見えへん。なんかこう、ほんまに困っとる様子なんや。

お前、別嬪に弱いんや。そら、だまされたんやで。

わいも、そのこと考えたんや。けどな、断るに断れないような風情があってな。

それ程別嬪かァ?

そうなんやがな。よう昔、話に天女(てんにょ)というのが出てくるやろ。わい、これまでに天女と言うのはどんな女の人だろうと思ったことが何べんもあった。それが、その人を見た時に、なぜか知らん、わい、天女というのは、こういう人のことやと、そう思うてしもうたくらいや。そのぐらイごつーィ別嬪やがな。

そうなんかァ~。わしもその時お前と一緒に実家に行くべきやったなあ。

何をあほなこと言うてんねん。一緒に行ったかてしょうもないやろ。

それでどうしたんや?

わいなァ、ちょうど昔話の中に出てきよる、ちょっと抜けた人のようにな。お金のことなど、もうどうでもいいような気になってしもうたんや。とにかく、世にも不思議な人に出会っているような気ィになってしもうたんや。それでわし言うたんや。「一万円ぐらいでよければ貸してあげてもいいんやけど。。。」

一万円?一万円か?お前、百円でもわしに貸す時には出し惜しみするやないか?それが見ず知らずの人に一万円か?

そうやがな。そういう気ィになってしもうたんや。

ああァ、あほくさ。それで、一万円貸したんか?

そうなんや。戻ってこんやろなァ~とは思うたで。そやけど、世にも不思議な人と出会(お)うた気ィになって、一万円の値打ちがあると思うたんや。

それで別れてしもうたんか?

そうなんや。でも別れる前に言うたな。「あのう。お名前とご住所を控えさせていただきたいのですが」 どうせ書いたって、戻ってコンとは思うたけれど、せっかくそう言うもんだから、わい、書いたんや。

それが、ハンドバックの中から出てきよったわけか?

そうなんや。

それで警察署でどうしたン?

とりあえず、被害者がわいの会(お)うた人と同一人物かどうか確かめるというてな、死体置き場までわいを連れて行きおった。

 


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それで死人を見たんか?

そうなんや。あまり見とうなかったな。でも、警察の言うことやからな、さからエン。

そいで?

ィやあ、死に顔もきれいヤッタでェ。ちィっとも死んでいるとは思えなんだ。

それで何かァ、お前、裸の全身を見たんかァ?

何で裸なんや?

そやかて、死体置き場には裸にしておいて置くんやろ?

そうなんか?

そうなんか、って。裸やったんやろ?

裸やったんかも知れん。でも白い布で覆われていたから、顔だけしか見えヘンかったでぇ~。

なんや。詰まらんな。それじゃあ、一万円の価値ないがなァ~。

何もストリップ見ィにいったんと違うでぇ~。

 


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それはそうや、警察の人と一緒やからな。でも貸した金は何らかの方法で返してもらわんとかなわへんでェ。それで、どうしたんや。それだけか?

警察の人がなァ、「どこか変わったところがないか」聞くねん。

変わったところがあったんか?

いいや、ちょっと見ただけでは分からんかった。

ということは、あったんやな。変わったところが。

そうなんやがな。

どこがァ、変わってたんや?

それがなあ、前歯が一本欠けてたんや。歯が一本なかったんや。つまりな、はなしだったわけや。

はなし?

そう、はなしや。

なにか?この「はなし」をわしに聞いてほしかったというわけか?

ははは。そうなんや。これがわいの「歯なし」や。

あああァ~、アホくさァ!


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『デンマンのはなし』より
(2018年12月1日)

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、デンマンさんの「はなし」を読んで 面白いと思いましたか?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』

『無重力の性生活』

『純子さんのクローン』

『肥後ずいき使用感』

『アナスタシア』

『地球よりも10万年も進んだ文明』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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