2019年1月7日 (月曜日)
美しき青きドナウ
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デンマンさんは、どういうわけで美しき青きドナウを持ち出してきたのですか?
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実は、久しぶりに過去の記事を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。
僕は上の文章を何度も何度も読んで、更にYouTubu のクリップを何度か聴いたのだよ。。。 でもなァ~、ハッキリ言ってミサ曲の厳(おごそ)かな雰囲気は理解できたものの、全曲をじっくりと聴くだけの忍耐がなかった。。。 どの曲も5分も聴くと退屈になって、全曲をすべて聴く気になれないのだよ!
だから、それはクラシックに対する感受性の問題なのですよ!。。。 百姓育ちのデンマンさんには高尚なクラシックを理解するだけの教養も素養も無いという事なのですよ!
オマエがクラシックの事になると僕を馬鹿にしたい気持ちは解るよ。。。 でもなァ~、僕は百姓育ちではないのだよ!。。。 オマエのように百姓育ちを馬鹿にするということは職業により農家の人たちを差別するということなのだよ!
別に職業によりデンマンさんを差別するつもりはありません。
あのさァ~、僕は こう見えても小学生の時には合奏部に所属してコントラバスを担当していたのだよ。。。 NHKの関東甲信越の予選で行田市中央小学校の合奏部は入賞したこともあるのだよ。。。 その時の演奏曲は『美しき青きドナウ』。。。、もしかすると『ハンガリア舞曲第5番』だったかもしれない。。。 とにかく、審査委員の先生から、コントラバスの響きがよかったと褒められたことがあるのだよ! それにクラシックで恋をしたこともある!
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マジっすかあああァ~? 信じられません。。。 そのデンマンさんがオイラが上の文章の中で紹介したミサ曲が 全く いいとは思えないと言うことですかァ~?
そうだよ。。。 ハッキリ言ってミサ曲は退屈なのだよ!。。。 僕が赤字で強調したところで オマエは感心したり、感銘を受けているようだけれど。。。、実は、僕も期待しながら曲を聴いてみたのだけれど、感心どころか、感銘も受けず、全く退屈しただけなのだよ!
だから、デンマンさんにはクラシックを堪能するだけの教養も素養も素質も無いのです。。。
それは違うと思うよ。。。 僕にだってクラシックの曲で、素晴らしいと思える曲もあるのだよ。。。
たとえば。。。?
例えば次の記事の中で紹介しているバッハの曲だよ。。。
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デンマンさん。。。 なんだか格調が高いような。。。 それでいて おシモっぽいような妙なタイトルを付けましたわねぇ~。。。 いったい“癒しを奏でるパンツ”ってぇ、どういうパンツなのですか?。。。 デンマンさんは、ちょっとばかりパンツに拘(こだわ)り過ぎているのではありませんかァ~?
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あのねぇ~、僕は別にパンツに拘っているのではありませんよゥ。。。
でも、また わたしの“おばさんパンツ姿”をこの記事の冒頭に たくさん貼り付けているではありませんかァ!
あのねぇ~、ジューンさんの“おばさんパンツ姿”に拘っているネット市民がたくさんいるのですよ。。。
マジで。。。?
こういう話題の時に、僕はウソやデマカセは言いません。。。 お稲荷さんに誓って、弁天様に誓って、八幡様に誓ってウソは絶対につきませんからねぇ~。。。
分かりましたわ。。。 じゃあ、その拘っているネット市民の人たちは、どこのどなたなのですかァ~?
(中略)
次の演奏はジューンさんも呆れるほど面白い演奏ですよ。
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あらっ。。。 ヒモパンで演奏したのですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。
そうなのです。。。 黒いTバックや白いレースのゴージャスな下着などいくつかのパンティを組み合わせて美しいメロディを奏でる変態さんはアンドリュー・ファンというカナダ人なのですよ。
若い頃のデンマンさんかと思いましたわァ~。。。 (微笑)
いや。。。 僕は それほどの才能はありません。 「G線」に掛けて「Gストリング」で演奏するというアホな目論見なのですよ。。。 でもねぇ~、Gストリングで4オクターブの音域が出たのを発見したそうです。
『クラシック鑑賞 1』より
(2017年12月17日)
つまり、デンマンさんが小学校の合奏部でコントラバスを担当して音楽コンクールの予選で、同級生と一緒に『美しき青きドナウ』を演奏したということが言いたいのですねぇ~。。。
そういうことだよ。。。
それで、どうしたのですか?
思い出すと、合奏部で演奏している時には、この曲に対して全く関心がなかった。。。で、記事を読み返した時に、調べてみたわけだよ。。。
『美しく青きドナウ』(An der schönen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。
『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ、その中でも最も人気が高い。
作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。
オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている。
『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字が用いられることもある。
当記事では、『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)の、『美しく青きドナウ』に従う。
なお、オーストリアでは単に『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer、Donau-Walzer)と呼ばれることも多い。
ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに』といった題になる。
原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。
ニューイヤーコンサート
大晦日から新年に代わるとき、公共放送局であるオーストリア放送協会は、シュテファン大聖堂の鐘の音に続いてこのワルツを放映するのが慣例となっている。
それに続いて元日正午から始まるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでは、3つのアンコール枠のうちの2番目としてこのワルツを演奏するのが通例である。
つまりオーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのを聴くことができる。
ニューイヤーコンサートでは、序奏部を少しだけ演奏した後、聴衆の拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている。
なお、父シュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』も同コンサートを締めくくる定番の曲であるが、こちらも国家的な行事や式典でたびたび演奏される曲である。
これら二つの曲が同コンサートにきまって取り上げられるのは、ただ人気が高いからというだけの理由ではなく、オーストリアを象徴する曲だということも大きな理由なのである。
ちなみに、カラヤンとケンペはステレオ初期にウィーン・フィルを指揮して録音した「シュトラウス・アルバム」に、この曲を含めていない。
出典: 「美しく青きドナウ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツだということが解ったのだよ。。。
デンマンさんは作曲者の名前も知らないまま演奏していたのですか?
そうだよ。。。 演奏曲目は指揮者の先生が選んだんで、僕が選んだわけじゃない。。。
でも、常識的に演奏曲目ぐらいは小学生でも解っているんじゃないですか?
合奏部の他の生徒は知っていたかもしれないけれど、僕は当時クラシックに全く興味がなかった。
それなのに、どうして合奏部に加わったのですか?
指揮者の五月女先生が僕のオヤジの従弟だった。。。 部員が少なかったので、五月女先生が僕の実家にやって来たときに、勧誘されたというわけだよ。。。
つまり、好きで合奏部に入ったわけじゃなかったのですねぇ~。。。
演奏するのが好きなわけじゃなかったけれど、コントラバスを弾くのは面白そうだったから、やってみる気になったわけだよ。
。。。で、ヨハン・シュトラウス2世が『美しく青きドナウ』を作曲したということが判ってデンマンさんはうれしくなったのですか?
別に、うれしくなったわけじゃないけれど、オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれているということを知って、これはすごい事だと思ったわけだよ。。。 つまり、オーストリア国民からも愛されているからこそ、オーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのだよ。。。
だから、どうだというのですか?
そういう曲を作曲した人間は、いったいどういう人間なのだろうか? そう思って調べたわけだよ。。。
(1825年10月25日 – 1899年6月3日)
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3番目の妻アデーレと共に
ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II)は、オーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者。
ヨハン・シュトラウス1世の長男。
弟にヨーゼフ・シュトラウスとエドゥアルト・シュトラウス1世が、甥にヨハン・シュトラウス3世がいる。
生涯のほとんどをウィンナ・ワルツ、ポルカなどの作曲に捧げ、『美しく青きドナウ』、『ウィーンの森の物語』、『皇帝円舞曲』などのよく知られたワルツを数多く生み出した。
オーストリアのみならずヨーロッパ中で絶大な支持を獲得し、「ワルツ王」、「ウィーンの太陽」、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と対比する形で「ウィーンのもう一人の皇帝」などと呼ばれた。
のちにオペレッタの分野にも進出して、オペレッタの最高傑作といわれる『こうもり』などを生み出し、「オペレッタ王」とも呼ばれるようになった。
毎年元日に行われる「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」では、彼を中心とするシュトラウス・ファミリーの作品をメインにプログラムが組まれる。
死後
ヨハンが死去したという知らせを受けたウィーン市は、ただちにウィーン中央墓地の中に特別墓地を設けることを決定した。
葬式には10万人の市民が参列したとされ、この際ヨハンの「新曲」がいくつも追悼として演奏された。
未亡人となったヨハンの妻アデーレが、夫の未発表作品を世に送り出し、さらには遺された膨大なスケッチを集め、別の作曲家に依頼してそれらをたくみにつなげさせ、新作として発表したのである。
死後数年を経てからも、ヨハンの「新曲」は次々と世に出された。
その後ウィーンでは、『我らがワルツ王の思い出』『シュトラウスの家』などの歌が流行した。
ヨハンの死から5年後の1904年、シュトラウス記念像を建立しようとする動きが高まった。
その名を知らぬ者はいないほどの有名人であったにも関わらず、その銅像は一つもなかったのである。
委員会が設置され、記念像建立のための募金が始められたが、その途上でサラエボ事件が起こり、活動も挫折を余儀なくされる。
第一次世界大戦に敗北して共和制に移行したオーストリアについて、「ヨハン・シュトラウスとともに、ハプスブルク帝国も死んだ」といった評価がされることもある。
1921年、ついに黄金に輝くシュトラウス記念像が建立されたが、贅沢すぎるとの批判を受けて黒色に塗り替えられた。
1991年にあらためて元の金色に塗り直されたヨハン・シュトラウス記念像は現在、ウィーンの代表的な観光名所のひとつとして親しまれている。
女性関係
ヨハン・シュトラウス2世は、生涯に3度の結婚を経験している。
3人の妻との間に子女はいない(3人目の妻・アデーレに前亡夫の娘がいたのみ)。
ヨハンは生前さまざまな女性と浮き名を流しており、肉体関係を結んだ相手も数知れず、好色がたたって性病にかかったこともある。
性病のために子供ができなかったという噂や、早世した弟ヨーゼフの未亡人カロリーネに手を出したとの噂もささやかれた。
未亡人となった最後の妻アデーレはこのような噂を必死になって否定し、ヨハンの清潔さを喧伝した。
毎夏パヴロフスクへ演奏旅行していたヨハンは、30歳の頃にオルガ・スミルニツキーというロシア貴族の娘と知りあった。
ふたりは結婚の約束まで交わしたが、彼女の両親の反対によって別れたという。
アデーレはこの件に関して、亡夫の遺したオルガとの手紙を残らず世間に公表した。
この清純な悲恋物語は、アデーレによってかなり誇張されて世に出回った。
アデーレは、世間に知られたくない夫の側面を隠し通そうとしたのである。
オルガの他にも、シュトラウスの自宅付近に住んでいたエリーゼという女性との結婚を考えたこともある。
エリーゼは母アンナが息子の花嫁候補と考えた女性であり、実現はしなかったがヨハンも彼女との結婚に乗り気で、『エリーゼ・ポルカ』(作品151)を作曲している。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
出典: 「ヨハン・シュトラウス2世」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、デンマンさんは女性関係に注目したのですねぇ~?
そうだよ。。。 やっぱり音楽を愛する人間は女性も愛するのだよ。。。
そうでしょうか?
そうだよ。。。 オマエも次のように書いていたじゃないか!
触発された心理現象?
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音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。
小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
世界のどこにもいるものである。)、
音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。
壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。
かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。
(中略)
いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の
“Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。
(中略)
わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。
大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。
J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。
芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。
pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年6月
『老人の性と太田将宏』より
(2016年8月20日)
分かるだろう!? 音楽家というのは女性を愛するのだよ。。。 オマエは、本当に女性を愛したことがないから音楽家にはなれないのだよ。。。
ちょっと、そう言い切るには飛躍があるのではありませんか?
いや、飛躍じゃないよ! オマエは奥さんや娘を本当に愛していなかったから、次のようなことになってしまったのだよ。。。
私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。
長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。
私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。
その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。
Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。
私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。
ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。
しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。
S.D.G
コーダ(蛇足):
私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。
【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。
S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者
S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。
F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家
56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月
『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)
デンマンさん! 何度この箇所を引用すれば気が済むのですかア~♪~!
オマエは自分が書いたものを引用されるのがいやなのォ~?
何度も何度も引用されたら、ムカつきますよう! つまり、この事が言いたかったので、わざわざ『美しき青きドナウ』を取り上げたのですねぇ~!?
いや。。。 もちろんそうじゃないよ! オマエの夫婦関係を語るために『美しき青きドナウ』を取り上げたんじゃない!
じゃあ、いったい他に何が言いたいのですか?
僕が小学生の頃には知らなかったけれど、『美しき青きドナウ』は世界的の多くの人の心をつかんだんだよ!
つまり、オーストリアでは第二の国家にもなるほどに、国民に親しまれたと言いたいのですか?
いや。。。 オーストリアばかりじゃない! イギリス国民にもマジで親しまれているのだよ。。。
その証拠でもあるのですか?
あるのだよ! 次の演奏を聴けば、イギリス国民が、どれほど『美しき青きドナウ』に親しみを感じているのかがオマエにも分かるよ!
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どうだい。。。 イギリス国民が熱狂的に親しんでいるだろう!?
馬鹿バカしい。。。!
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ですってぇ~。。。
あなたは、どう思いますか?
最後のオチで、グッと格調が落ち込みましたよねぇ~。。。
うふふふふふふ。。。
ええっ。。。 「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」
あなたは、そのようにあたしにご命令なさるのですか?
わかりましたわァ。。。
デンマンさんは 太田さんに対して かなり辛らつな批判をしています。
太田さんにしてみれば、コケにされたと思えるので、
次のサイトで抗議録を公開したのですわァ。。。
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(デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!)
デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。
太田さんは、これに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。
でも、そのうち 忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。
中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
例えば、あの“馬鹿の見本”の「現実主義者」と名乗る悪名高い人物です。
(tenan02.jpg)
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。
スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って
読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。
悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。
悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。
あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには
騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。
とにかく気をつけてくださいね。
次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。
(hand.gif)
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(byebye.gif)