黒木家永

 
2024年3月5日 (火曜日)
 

黒木家永

 


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デンマンさん、。。。黒木家永って聞いたことがござ~ませんけれど、いつ頃の人なのでござ〜ますかァ~?


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実は、僕も全く知らなかったのですよ。。。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将です。。。

どういうわけで、このあまり名前が知られていない武将を取り上げたのでござ〜ますかァ〜?

あのねぇ〜、ユーチューブで「戦国時代の悲劇の武将」と入れて検索したら次のクリップに出くわしたのですよ。。。

 


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黒木家永

 


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大永5年(1525年)ー 天正12年(1584年)

 

黒木 家永は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。筑後国上妻郡猫尾城主。

黒木氏は筑後上妻郡のほぼ中央部、星野川が矢部川に合流する地点にある黒木郷を拠点とした国人。
筑後十五城と呼ばれた大身の一つ。

曽祖父とされる繁実(親実)、祖父・右実(鑑実)、父・鑑隆(※鑑隆と家永を同一人物とする説もある)がいずれも豊後国の大友氏当主からの偏諱を賜っていることから、この頃は大友氏に従っていたようであるが、家永自身は初めは大友義鎮(宗麟)に対抗の姿勢をみせており、偏諱も賜っていない。

永禄7年(1564年)、大友氏の大軍が攻め寄せると居城・猫尾城で迎え撃ち、寡兵でよく持ち堪えたが、多勢に無勢で叔父の黒木実連ら共に降伏。
その後は大友氏に忠誠を誓い、諸戦に参加した。

しかし、天正6年(1578年)の黒木氏も従軍した耳川の戦いで、大友氏が薩摩国の島津氏に壊滅的な敗北を喫し、筑後に対する影響力を弱めると、代わりに肥前国・龍造寺氏の圧力が増し、これにやむなく従う事となる。

天正9年(1581年)5月、龍造寺隆信は、柳川城主の蒲池鎮漣を謀殺し、鎮漣の一族を殺戮し、柳川の蒲船津城にいた弟蒲池益種も討ち死にする。
龍造寺氏の所業に激怒した家永は龍造寺氏に反旗を翻し、龍造寺政家・鍋島直茂らの軍勢に囲まれるが、肥前の国人・草野氏の仲裁もあり、嫡子を龍造寺氏に人質として送り、和睦した。

同12年(1584年)、沖田畷の戦いで龍造寺隆信が戦死した後も、龍造寺氏に起請文を送り異心のない旨を誓ったが、この大敗によって進軍の好機と見た大友氏が龍造寺領内へと侵攻すると、大友方から龍造寺方に転じた経緯のある黒木氏は、格好の標的となり、猫尾城も包囲された。

大友勢に対し、黒木勢は龍造寺氏に援軍を要請するなどして、よく防戦し膠着状態が続いたが、これに業を煮やした大友勢の援軍として、立花道雪・高橋紹運らが援軍として駆けつけると、龍造寺氏の援軍は立花勢と激戦を展開したものの敗退してしまい、城内の兵糧の欠乏も相まって、ついに家永は抗戦を諦め、部下や家族の助命を条件に切腹した。享年60

この時、家永を介錯したのは、家永の13歳の娘だったという(なお、彼の死に際しては降伏の際に自害したという説と、一度は許されたが後に謀反の兆しありとして誅されたという二説がある)。


出典: 「黒木家永」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

僕がこのクリップを観て驚いたのは、なんと この武将は自刃(じじん)する時に13歳の実の娘が介錯したのですよ。。。

つまり、お父さんが切腹する時に、13歳の娘が作法に則(のっと)って首を切り落としたのでござ〜ますかァ〜?

そうなのですよ。。。13歳の娘に、そういう事ができるのだろうか? 僕は、素朴に、そういう疑問を持ったのです。。。体力的にも心理的にもそれは無理ではないのか?

上の説明でも、13歳では介錯はできないだろうと考えた人がいたのでしょうねぇ〜。。。それで「降伏の際に一度は許されたが後に謀反の兆しあり、殺された」と書いてありますわねぇ〜。。。

確かに、初めてこの悲劇を観たり読んだりすれば、おそらく誰もが13歳の実の娘では介錯などできないだろうと思いますよ。。。だから、それは偽りの伝承ではないのか? 「事実は、一度許されており、その後 謀反の兆しがあったので殺された」という説が後に語られるようになったと僕は思うのです。。。でもねぇ〜、そうだとしたら、別に、後世に語り継がれるような悲劇として残りませんよ。。。

どうして語り継がれないのでござ〜ますかァ〜?

あのねぇ〜、常識的には ありえないような悲劇だから、こうして語り継がれたと思うのです。。。いつの世にも懐疑的な人物というものは居るものです。。。そういう人が余計なことを書き込むのです。。。

そうでしょうか?

そうですよ。。。戦いに敗れて捕虜になって、切腹するなど、掃いて捨てるほどの事例がありますよ。。。歴史に残るような悲劇的なものは、ごく普通の切腹では語り継がれない。。。絶対にそんな事はないだろう!?…と思わせるようなものじゃない限り、歴史に残りません。。。上のウィキペデアの説明では、簡単すぎて説得力がない。。。事実は、もっと複雑なんですよ。。。

具体的には、どのような事情があったのでござ〜ますか?

この自刃には次のような背景があったのです。。。

 


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力づくでは落ちない猫尾城に手を焼いた立花道雪は高牟礼城の椿原式部に「儂(わし)の次男を黒木家永の娘の娘婿にして黒木家を存続させよう。その仲立ちをしてくれたら、そなたも悪いようにはせぬ」と持ちかけた。

椿原式部はこの話に乗り猫尾城におもむき黒木家永を説得した。

婚礼は天正12年9月5日に行われ、宴もたけなわのその夜、椿原式部に手引された立花道雪の軍は一気に城を乗っ取ってしまう。

娘の婚礼にすっかり気を許していた黒木家永だったが、敵に降参せず立花道雪の軍と戦う。

多勢に無勢。ついに黒木家永は抗戦を諦め、部下や家族の助命を条件に切腹することにする。

最後は13歳の愛娘に介錯させて自刃(じじん)した。

花嫁姿の娘は見事に父親の介錯を果たし櫓の上から父の首を敵軍めがけて投げつけた

 


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そして、婚礼を餌に父を騙した立花道雪らを激しく罵った。

こうして猫尾城は落城した。

立花道雪の調略に乗った椿原式部は、その後長らく裏切り者の誹(そし)りを受けた。

 

でも、13歳の娘が実の父親の自刃の場で介錯することも普通の精神状態ではできないのに、更に、切り取った父親の首を敵軍めがげて投げつけるなど、できるでしょうか?

あのねぇ〜、僕は、この時の娘の年齢は13歳ではないと思うのですよ。。。父親の黒木家永が亡くなったのは、享年60だから、満年齢で言えば58歳か59歳です。。。そうであるならば、13歳の娘というよりは13歳の孫娘ということになってしまいます。。。満年齢で言えば11歳か12歳なのです。。。介錯は無理です。。。この孫娘の母親のような24歳から26歳の娘がいてもおかしくない。。。

つまり、悲劇にするために娘ではなく、後世の「歴史家」が13歳の孫娘を登場させたのですか?

そういう可能性が無きにしもあらずですよ。。。そうであるならば、政略結婚だから、孫娘の母親を婚礼の席に出しても分からないのですよ。。。角隠(つのかく)しで顔は隠れているのだから。。。

なるほどォ〜。。。どうせ政略結婚なので13歳の孫娘の代わりに母親を差し出したのですわねぇ〜。。。

そうです。。。13歳の孫娘であれば、黒木家永の血がはいっている。でも、戦で亡くなっている息子の未亡人になった嫁だとすれば、実の娘ではないから黒木家永の自死の介錯をすることにそれほど強い抵抗は無いと思うのですよ。。。

そうでしょうか?

13歳の孫娘には無理だとしても、26歳の義理の娘ならば、体力的にも心理的にも介錯するのに無理はない。。。それに、もうその時は普通の精神状態ではないですからね。。。婚礼の宴がたけなわの時に急に立花道雪の軍が襲ったのですよ。。。まさか、そんな事が起こるなどとは夢にも思ってない。。。信じられないことが起こって黒木家永も娘も気が動転してしまったでしょう。。。婚礼の宴はめちゃくちゃ。。。しかも、騙されたと知ったから、憤懣(ふんまん)やる方ない。。。しかし一族皆殺しになることだけは避けたいと思った黒木家永は、自分は自刃するからと言って、他の家族の生命だけは助けてもらった。。。娘にすれば、政略結婚で夫を迎え、その婚礼も見せかけだと知ったら、これはもうたまらない気持ちになりますよ。。。

そうでしょうねぇ〜

天国だと思っていた所から地獄に落ち込んだようなものですよ。。。父親を介錯しなければならない。。。もう半分気が違っていたでしょう。。。気が違ってなくても やけになっていたでしょう。。。どうにもならない怒りを、義理の父親の血に塗(まみ)れた首を敵方に投げつけづにはいられない気持ちだったと思います。

確かに義理の娘であれば、60歳近い義理の父親の首を投げつけるのには、それほどの抵抗はないでしょう。。。でも、これは あくまでもデンマンさんの仮説に基づいた解釈でござ〜ますわァ〜。。。

あのねぇ〜、戦国時代のことですよ。。。お互いに騙し合いをしているのですよ。。。

そうでしょうか?

それが、当時の兵法です。。。はっきり言って、満11歳か12歳の女の子では体力的にも心理的にも実の父親の介錯は無理です。。。しかも、切り落とした血まみれの父親の首を敵に投げつけるなんて とてもできませんよ。。。無理です。。。

そうかも知れませんわねぇ〜。。。

歴史というのは、たいてい きれいごとにされるか、必要以上に感動的なもの、ショッキングなものとして伝えられるものなのですよ。。。

 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、13歳の実の娘が父親の首を落としたというのは歴史上の創作だと思いますか?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 

 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 

 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉

軽井沢のイルミネーション

秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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