人気の外人ヌード

 

人気の外人ヌード

 


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デンマンさん。。。外人ヌード に興味があるのですかァ〜?


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興味がない!と言うと嘘になるけれど、外人ヌードにハマっているわけではありません。。。

外人ヌードにそれほど人気があるのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『40代女性のヌード』

 

これはライブドアの 僕の「徒然ブログ」の日本時間で7月11日の午後3時25分から翌日、12日の午前1時26分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。見慣れない検索エンジンで検索して「徒然ブログ」の 40代女性のヌード を読んだネット市民が居るのですねぇ〜。。。

そうです。。。 リファラ のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのです。。。

 


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『現時点での検索結果』


『40代女性のヌード』

 

これは韓国の検索エンジンですわねぇ〜

そうです。。。外人ヌード画像 と入れて検索したのですよ。。。実は、奈良県生駒市に住んでいる朴聖基(パク・ソンギ)君が読んだのです。。。

 


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パク君は生駒市で何をしているのですか?

生駒市にある叔父さんの家に居候をしているのですよ。。。もともと日本で生まれた3世です。。。中学2年生まで日本で過ごして、韓国人の両親と一緒に韓国の釜山に移住したのです。。。

それで日本語には不自由しないのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。釜山で高校と大学を卒業してから3年ほど旅行会社に勤めて、日本での生活が懐かしくなって叔父さんの家にやって来たというわけですよ。。。

日本で働くつもりなのですか?

パク君は、どうしようか?…と考えているところです。。。

。。。で、どういうわけで外人ヌード画像 と入れて検索したのですか?

特に理由があるわけではありません。。。外人のお姉さんのヌードが見たくなったのですよ。。。

デンマンさんも、時には外人のお姉さんのヌードが見たくなることがあるのですかァ〜?

僕も男ですから、時には外人のお姉さんのヌードが見たくなることはあります。。。うへへへへへへ。。。

 


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でも。。。、でも。。。、どういうわけで外人に拘(こだわ)るのですかァ〜?

日本には、昔からヌードを絵にするという文化は根付かなかった。。。だから、一糸まとわにヌードを書いた画家や絵師は日本にはいないのですよ。。。鎖国を止めて明治時代になってから西洋の真似をして裸婦を描くようになった。。。。つまり、ヌードの本場は古代ギリシャや古代ローマなのですよ。。。そういう事を考えると、圧倒的に外人のお姉さんの方がネットでも存在感があるはずだと思うからです。。。。

パク君もデンマンさんのように考えて外人ヌード画像 と入れて検索したのですか?

いや。。。パク君は韓国人なのですよ。。。つまり、日本人のヌードもパク君にとっては「外人ヌード」なのです。。。パク君が見つけたページを見てください。。。

 


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『40代女性のヌード』

 

小百合さんのセミヌードが出てくるページなんですよ。。。

でも、私のヌード写真は出てないと思いますわ。。。

小百合さんのヌード写真は上のページには出てません。。。

じゃあ、パク君は、ガッカリしたでしょうねぇ〜。。。

いや、ガッカリしませんでした。。。せっかく、検索結果の6ページまで見ていって、ついに小百合さんのセミヌードの写真を見つけたのですよ。。。こまめに探せば、きっと小百合さんのヌード写真があるに違いないと信じてさらに検索を続けたのです。。。

 


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『実際のページ』

 

パク君は、こうして画像検索してみたのですよ。。。

ヌード写真は一つも表示されてないではありませんかァ〜!?

そうなのです。。。GOOGLEで翻訳してみると上の検索結果は次のようになります。。。

 


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『拡大する』


『実際のページ』

 

あらっ。。。外人ヌード画像 と入れて画像検索しても、韓国の検索エンジンでは一つも画像を表示しないのですわねぇ〜。。。

そうなのです。。。

それで、パク君は、私のヌード写真を探すのを諦めてしまったのですか?

いや。。。検索結果の6ページまで ひとつひとつ見ていって、やっと小百合さんのセミヌードの写真に出くわしたのです。。。パク君は、すぐに諦めてしまうような性格ではないのですよ。。。

。。。で、パク君は、どうしたのですか?

次のように検索したのですよ。。。

 


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『実際のページ』

 

あらっ。。。日本のGOOGLEで 外人ヌード画像  “徒然ブログ” と入れて画像検索したのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。僕の「徒然ブログ」に掲載されている「外人ヌード画像」を探したのですよ。。。すると向かって左上に小百合さんのセミヌード写真が出てくる。。。

私のヌード写真はどこを探してもないはずですわ。。。

そうなのですよ。。。パク君は、目を皿のようにして ひとつひとつ見ていったのだけれど、ついに見つけることができなかった。。。

それで、パク君はどうなさったのですかァ〜? ついに、諦めたのですかァ〜?

僕にメールを寄越したのですよ。。。ぜひ、小百合さんのヌード写真を添付して返信して欲しいと。。。

マジで。。。?

とにかく、検索結果の6ページまで見ていって、ようやくお目当ての小百合さんのセミヌード写真を見つけたのです。。。諦めきれないと言うのですよ。。。どうですか? 小百合さん。。。パク君の努力を考えて、この際、小百合さんのヌード写真をパク君に差し上げてください。。。

嫌ですわ。。。パク君が、どうしてもと言うのであれば、デンマンさんがコラージュして、返信に添付してあげてくださいなァ〜。。。

分かりました。。。じゃあ、コラージュしてデッチ上げた次の写真を送ることにします。。。

 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも上の小百合さんのヌード写真を見て満足しましたかァ〜?

ええっ。。。? 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ〜♬〜ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ〜♬〜。

 


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世界で最も住みやすい街バンクーバー


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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


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メデューズ号の筏

 

メデューズ号の筏

 


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デンマンさん、メデューズ号の筏 に乗ったのですかァ〜?


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メデューズ号の筏(いかだ)というのは、絵の題材にもなった200年前に作られた筏なんですよ。。。すでに、バラバラになってこの世には存在しない筏です。。。

上の絵がそうなのですか?

そうです。。。

どういうわけで、急に200年前のメデューズ号の筏 を取り上げたのですか?

実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次のドキュメンタリーを観たのですよ。。。

 


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『実際のページ』

 

The Louvre, the seat of great French regents for centuries, is today one of the largest and most visited museums in the world. The invaluable collection, dating back to Jean, Duc de Berry (1340-1415), contains masterpieces from antiquity to the present day. Among its highlights are the museum pieces presented here”


何世紀にもわたって偉大なフランスの摂政の拠点であったルーブル美術館は、今日、世界で最大かつ最も訪問されている美術館の1つ。ジャン、デュクドベリー(1340-1415)にまでさかのぼる貴重なコレクションには、古代から現在に及ぶ傑作が多数含まれている。そのハイライトの中には、このドキュメンタリーで紹介される作品もある。

(デンマン訳)


DVD のカバーから引用

 

 

つまり、ルーブル美術館に収められている作品を紹介するドキュメンタリーなのですか?

そうです。。。

紹介された作品の中に『メデューズ号の筏』があったのですか?

そういうことです。。。

 


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僕は何度か本や映画でこの絵を見たことがある。。。でも、画家の想像で書いたものだた思っていた。。。実際にあった事故を取材して画家が描いたものだとは知らなかったのですよ。。。

どういう事故だったのですか?

次のような事故だったのです。。。

 

メデューズ号


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メデューズ(Méduse)は、フランス海軍のパラス級40門帆走フリゲート。
1810年進水、就役。
ナポレオン戦争後期、1809年から1811年にかけてのモーリシャス侵攻に参加し、またカリブ海でも活動した。
メデュース号、メデューサ号などと表記されることもある。

ブルボン王政復古後の1816年、輸送船並みの武装に改修され、植民地の返還を受けにセネガルのサンルイに赴くフランス官僚を輸送することになった。
しかし艦長は政治的理由で任命された亡命貴族で、海軍士官として不適格であり、メデューズはその不適切な航海指揮によってアルガン岩礁に乗り上げ、破壊された。

難破の後、乗員乗客は筏を作ってそれに乗り移ったが、艦の短艇が牽引を放棄したため、筏は漂流することとなった。
この試練を生き延びたものはわずか15名だった。

筏の運命は大衆の関心を呼び、メデューズの事件は帆船時代における最も有名な海難事故のひとつとなった。

画家テオドール・ジェリコーはこの事件に取材して、フランスロマン主義絵画の象徴とされる『メデューズ号の筏』を描いた

 

事件の経緯

150人が筏に移ったが13日後に生き残ったのはわずか15人だった
船に搭載された端艇で、100 km近く離れた海岸に乗客と乗組員を運ぶ計画が立てられたが、それに使用できるボートは2艘だった。

メデューズを軽くして速やかに離礁させる計画もいくつも立てられたが、採用されたのは筏を作ってメデューズの貨物をそこに移すというものだった。
筏は直ちに造られ、長さ20メートル、幅7メートルのそれは乗組員によって「ラ・マシーヌ(la Machine、「機械」の意)」と呼ばれた。

7月5日になると、強風が募り、メデューズは解体の兆候を示した。
乗客と乗組員はうろたえた。
艦長はただちに艦を放棄して146人の男性と1人の女性をひどく不安定な筏に移し、メデューズのボートでそれを引かせることを決定した。

筏にはほとんど必需品が積まれず、また操舵や航海のための手段もなかった。
そしてその床面のほとんどは水没していた。
メデューズ上に残留することを決めた者も17人いたが、残りは船の長艇に乗り込んだ。

2艘のボートの乗組員はすぐに、筏を牽引することが不可能であることに気づいた。
彼らは、必死になった筏の生存者たちに圧倒されることを恐れ始め、ロープを切って、筏とその居住者を運命に任せることを決めた。

ボートはロープを切ると安全な場所に去った。
何人かは間もなくアフリカの海岸に上陸し陸路でセネガルに向かったが、他の大部分はサンルイに向けてボートで航海した。
そしてその過程で数名が死亡したものの、ほとんどが無事サンルイに到着することができた。

筏では事態は急速に悪化した。
樽に入っていたのは水でなくワインだった。
士官および乗客と、水兵・陸兵との間で争いが起こった。
漂流が始まった最初の夜の内に、20人が殺されるか、自殺した。

嵐の気配があったが、そうなると安全なのは筏の中央部だけだった。
何十人もが、筏の中央部を争って、または波にさらわれて死んだ。
食糧はすぐになくなった。

4日目までには筏の生存者は67人だけとなり、人肉食を行うものもあった。
(生存者はそれを否定する証言をしている。)

元気の残っているものは弱ったり傷ついたりした者を海中に投じ始め、8日目には15人が残るだけとなっていた。
そしてその15人は全員、7月17日に偶然遭遇したアルギュスに救出されるまで生き残った。

 

事件の影響

アルギュスは筏の生存者をサンルイに運んだ。
最後のアフリカ人乗組員であるジャン・シャルルを含む5人は数日のうちに死亡した。
ド・ショマレーはまだメデューズに積載されている黄金を回収しようと決め、サルベージ作業員を派遣したが、彼らが見つけたのはまだ無傷のメデューズであった。

メデューズに残留することを選んだ17人のうち3人は54日後にもまだ生きていた。
フランス海軍大臣からの救援が間に合わなかったため、生存者はイギリス海軍士官の助力でフランスに帰国した。

メデューズの生き残った船医アンリ・サヴィニが当局に提出した報告書は反ブルボンの立場を取る新聞「ジュルナル・デ・デバ(Journal des débats)」にリークされ、1816年9月13日の紙面に掲載された。

サヴィニと、もう一人の生存者である地理学者アレクサンドル・コレアールは、それとは別に事件の記録(『フリゲート艦メデューズの難破(Naufrage de la fregate Méduse)』)を書き、1817年に出版した。
この本は1821年までに5版を重ね、英語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語に翻訳された。
本の内容は版を重ねるに従って改訂され、政治的な傾向を増していった。

この事件はフランスの政治スキャンダルとなり、当局はそれを完全に隠蔽しようとした。
1817年のロシュフォール港における軍法会議で、ド・ショマレーは5つの罪状で裁かれたが、船団の遺棄、船の離礁の失敗、および筏の遺棄については無罪となった。

しかし、不適切で漫然とした操艦と、すべての乗客が離艦する前にメデューズを放棄した件では有罪が言い渡された。
この評決は死刑を意味するものであったが、ド・ショマレーに下された処罰は海軍からの追放、勲章の剥奪とわずか3年の収監であった。
ド・ショマレーは事件の14年後、68歳で死んだ。

この軍法会議は上辺の糊塗に過ぎないというのが一般の認識だった。
シュマルツ総督は1818年に強制的に辞任させられた。
後に、グーヴィオン=サン=シール法により、フランス軍における昇進が功績に基づくべきであることが明確にされた。

 

ジェリコーの絵画

 

この難破事件の報告に強い印象を受けた25歳の画家・テオドール・ジェリコーはこの事件に基づく絵を描くことを決意し、1818年に報告者たちに連絡をとった。
ジェリコーの作品は生存者の1人によって語られた瞬間を描いている。

救出の前、乗客らは水平線上に船を認めたが合図を送ろうとしたとき、姿を消してしまった。
生き残った乗員の1人は「我々は狂喜の頂点から深い落胆と悲嘆に突き落とされた」と語っている。
その船(アルギュス)は2時間後に再び現れ、生き残った人々を救出した。

 

映画

1987年から1990年にかけて、イラジ・アジミ監督は1998年に公開された映画「メデューズ号の筏」を制作した。
主演:ジャン・ヤンヌシャウマレイ司令官、ダニエル・メギッチ中尉、アラン・メイス、サヴィニー博士、クロード・ジャド知事の妻、レイン・シュマルツ、フィリップ・ローデンバック、知事ジュリアン・シュマルツ、ローラン・テルジェフ、画家ジェリコー。

 


出典: 「メデューズ (帆走フリゲート)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

現代のモーリタニア沖でメデューズ号は難破したのですわねぇ〜。。。モーリタニアというのは、アフリカにある国ですか?

そうです。。。

 


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モーリタニアという国がアフリカにあるということは漠然と知ってましたけれど、たくさんの難民が悲惨な生活を送っているとは知りませんでしたわァ。。。

僕もどういう国なのか?…全く知りませんでした。。。メデューズ号が難破した当時は、まだ この国はなく原住民が暮らしていただけだったから、難破したことは原住民は知らなかったのでしょう。。。知っていたとしても助ける手段はなかったかもしれません。。。

。。。で、この事故を知ってデンマンさんは衝撃を受けたのですか?

何が衝撃か?…それは150人が筏に移ったが13日後に生き残ったのはわずか15人だったということですよ。。。しかも、4日目までには筏の生存者は67人だけとなり、人肉食を行う者もあったのですよ。。。

でも、生存者はそれを否定する証言をしていますねぇ〜。。。

人肉を食べて生きながらえたとは、当時は口が裂けても言えなかったのですよ。。。

デンマンさんも生存者は人肉を食べたと思っているのですか?

15人のうち、まず殆どが人肉を食べて生きながらえたと思いますよ。。。実は、同じような事故が 1972年に起きてます。。。

 

ウルグアイ空軍機571便遭難事故


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ウルグアイ空軍機571便遭難事故は、1972年10月13日にウルグアイ空軍の571便機がアンデス山脈に墜落した航空事故である。

乗員乗客45人のうち29人が死亡したが、16人は72日間に及ぶ山中でのサバイバル生活の末に生還した

この出来事は奇跡的として多方面からの注目を浴びるが、同時に生存者が死者の人肉で飢えを凌いでいたことをめぐり物議を醸すこととなった

ステラ・マリス学園 (Stella Maris College) のキリスト教徒からなるラグビー選手団とその家族や知人を合わせた一行40人が、チリのサンティアゴでの試合に向かった。
一行と乗員5人の計45人はウルグアイ空軍の双発ターボプロップ機フェアチャイルドFH-227Dをチャーターし、モンテビデオにあるカラスコ国際空港を出発したが、アンデス山脈での天候不良のため、アルゼンチンのメンドーサで一泊することとなった。

飛行機の上昇可能高度上限が9,000 m (30,000 ft)である上に悪天候であったために、メンドーサから直接アンデス山脈を越えてサンティアゴまで飛行することは出来なかった。

そこで、メンドーサからアンデス山脈にそって南下し、山脈の切れ目であるプランソンを西に通過してクリコ のすぐ南の地点で山脈を抜け、そこから山脈のチリ側を北上してサンティアゴへ向かうこととなった。

天候が回復したため、飛行機は午後にメンドーサを出発してすぐに山脈の切れ目を通過していた。
ここでパイロットはサンティアゴの航空管制官に対して現在地点がクリコであると通知したが、これは後に致命的な過ちだったと判明した。
コースが雲に覆われていたので、パイロットは標準的な通過時間を計算することで西から北に方向を変えるタイミングを図った。

しかし、実際には、強い向かい風で機体が減速していたために、山脈の切れ目を抜けるには通常よりも長く時間がかかるはずだった。
そのため、山脈の西側に十分に達していないうちに北上を開始した。

山々を深く覆う雲の中に突入して間もなく、当時は無名だった峰と1度目の衝突をした。
この峰は後にセレール峰と名付けられた。
衝突地点はソスネアド峰とティンギリリカ火山の間の人里はなれた山地であり、チリとアルゼンチンの国境にまたがる高度4,200メートルの地点だった。
吹き飛んだ右翼で垂直尾翼が切り取られ、胴体後部に穴が空いた。

別の峰との再度の衝突で左翼もなくなり、機体はただの空を飛ぶ胴体だけとなった。
機体は、飛んできたプロペラによって切り裂かれたのちに、地面に衝突し、険しい崖を滑落して最終的に雪に埋まって停止した。
また機体の尾部は多くの荷物を積んだまま胴体とは分離して別の場所へ滑落した。
乗客3人と乗員2人が機外に放り出され、9人が即死し、負傷が元で初日中に3人が死亡した(死亡12人、行方不明5人、生存28人)。

残った28人は凍てつくように寒い高山でどうやって生存するかという難問に直面した。
防寒着や雪を踏み分ける防寒靴などの装備がなかった。
雪眼炎を防ぐサングラスもなく、最後の生存者のひとりである24歳のアドルフォ・”フィト”・ストラウチは、操縦室のサンバイザーを加工してサングラスを作り、目を守った。

多くの人が墜落直後に席から放り出されたことによって足を骨折していたが、医療品もなく、生存した医大生2人が航空機の支柱で添え木を作った。

ウルグアイ、チリ、アルゼンチンの3か国からなる捜索隊が捜索を開始したが、フェアチャイルド機の外装は白かったので、積雪に混じり合い、空からの発見は非常に困難だった。
捜索は開始から8日後の10月21日に中止された

墜落から11日後に、生存者のロイ・アルレーは、機内にあったトランジスタラジオで捜索が中止されたというニュースを聞いた。

ニュースを聞くと、ロイの周りに居た生存者たちは、パラード以外全員すすり泣き、祈り始めた。
パラードは冷静に西にそびえる山を見上げた。

グスターボ・ココ・ニコリッチは、機体から出て、彼らの顔を見て、彼らが何を聞いていたかを悟った。
そして、スーツケースとラガーシャツで薄暗い胴体の入り口へ登り、振り返ると「ほら、少年!」と叫んだ。
「朗報だ! ラジオを聞いた。捜索が中止された。」機体の中は沈黙していた。

皆は見込みのない状況に涙した。パエスは怒って「一体それのどこが朗報だ?」と叫んだ。
「その意味するところは」とニコリッチは言った。

「我々が自分たちでここを脱出するということだ。」この1人の少年のおかげで、完全な絶望に陥ることは防がれた。


ピアス・ポール・リードの著書『生存者(原題: Alive: The Story of the Andes Survivors)』より

生存者たちは板チョコレート数枚と、その他のスナック菓子、ワイン数本という少量の食料を持っていた。墜落後の数日間、彼らはこの食料が尽きないように少量を分配した。

救援を求めるために、コックピット無線機を使用しようとしたが、無線機の出力が全くないことが判明した。
その後死亡する航空機関士は、墜落後に脱落した機体の尾部にバッテリーが積み込まれていたために電源がなくなり通信ができないと説明した。

10月21日(土)
スサーナ・パラードが彼女の兄であるナンドの腕の中で死去した(死亡13人、行方不明5人、生存27人)。

10月22日(日)
配給管理された食糧が尽き、自然植生植物も動物も雪で覆われている山には存在しなかった。
機体内で議論が行われ、ロベルト・カネッサは仲間の遺体を人肉食して生存を続けることを主張した。
何人もの生存者が食べることを拒否したが、ロベルト・カネッサが主導権を握った。
この決定は人肉食する相手のほとんどが彼らの親友・級友であったので軽い決定ではなかった。

高山では、身体に必要なエネルギーは膨大だった。
…新たな食料を発見するという望みはなく、我々は本気で飢えていた。
我々は新たな食料を探し求めて機内を捜索した。

…何度も胴体の中を探し回り、モーゼルで山を登った。
我々は、荷物の断片である革片を、それに使われている化学物質が身体に与える益よりも害が大きいことを知りながら食べようとした。

我々は藁を見つけようとして多くの座席やクッションを切り裂いたが、藁は使われていないことがわかった。
…我々は何度も同じ結論に達した。
我々が着ていた衣服は食べられないし、アルミニウム、プラスチック、氷、岩石以外に何もここにはなかった。


生存者のひとりナンド・パラードの著書(2006年に出版)
『アンデスの奇跡:72日間を生き延びて山脈から生還』より

乗客は全員カトリック教徒だったが、ピアス・ポール・リードが、問題となっている行為は聖餐(せいさん)と同一視されると主張した。
それは唯一の生存の方法であった。
他の人々は、そのことを祝福したが救出後にその行為が発覚したときには態度を翻している。

10月29日(日)
生存者たちが機体の中で眠りにつこうとしていたとき、雪崩がすさまじい勢いで機体の中に流れ込み、機体の中で横たわっていた全員を埋め尽くした。
比較的浅く埋まった人は、雪で埋まった人を救おうとしたが、19人の生存者を残して8人が死亡した(死亡26人、生存19人)。
3日間、機体は数フィートの雪の下に埋まり、生存者たちは非常に狭く閉じ込められた中で生き延びた。

11月28日(火)
パラードとビシンティンがより多くの食料を尾部へ運んで来た。生存者たちはトランジスタラジオによってウルグアイ空軍のC-47が彼らの捜索を再開したことを知った。

12月11日(月)
捜索機が上空を通過するときに備えて、雪の中にスーツケースで大きな十字を描いた。
アルフレド・”パンチョ”・デルガドの親友であったヌマ・トゥルカッティが死亡した(死亡29人、生存16人)。

12月12日(火)
寝袋の完成後、ロベルト・カネッサは出発をためらっている者を最終的に説得し、ロベルト・カネッサ、ナンド・パラード、アントニオ・”ティンティン”・ビシンティンの3人がチリへ向かう谷を見つけるために最終的な遠征に出発した。パラードが先頭に立ち、行進速度を緩めるために頻繁に声をかけた。登りの行程は、厳しい長旅となった。夜、巨大な岩の横で仲間たちが縫い上げた寝袋で眠った。厳寒であったが、寝袋によって数夜を生き延びることができた。

12月15日(金)
朝、機体に残った13人の男たちが何かが山を滑り降りて来るのを発見した。初めは岩石だと思ったが、ビシンティンが機体の座席を利用したソリを使っていることがわかった。到着と同時に、ビシンティンはカネッサとパラードがまだチリに向かって遠征を続けており、ビシンティンの分の食料を2人に預けたと説明した。前日にアドルフォ・”フィト”・ストラウチ、グスターボ・セルビーノ、ホセ・ペドロ・アルゴルタが外で遺体を探している間に、他の生存者たちがラジオを聴き、彼らがスーツケースで雪上に描いた十字をウルグアイ空軍のC-47が発見したことを知った。

12月17日(日)
機体の生存者たちは、彼らがスーツケースで雪上に描きウルグアイ空軍のC-47によって発見された十字が、アルゼンチンの気象学者が融雪量測定のために円錐形のマーカーで描いたものであると公表されたことに驚愕した。

12月20日(水)
パラードは、最初はカネッサの想像にすぎないと思っていたが、少しして、川の向こう岸で誰かが叫んでいるのを聞くと同時に、馬の背にウアッソの男性が3人乗っているのを確認した。
カネッサとパラードは、川に走り寄り、自分たちが絶望的で、助けを求めていることを身振りで示した。
乗り手の1人は、馬を抑制しながら何かを彼らへ大声で叫んだ。
乗り手の1人、セルヒオ・カタランは、2人に、「明日」と叫んだ。
明日助けられれば、それで十分だった。

2人はこの時点で救助されることを確信し、歓喜に震えながら川のそばで寝入った。出発から9日が経過していた

12月21日(木)
機体の生存者たちは、2人の遠征隊が発見され無事に救出されたというニュースをラジオで聞いた。

12月22日(金)
10月13日に起きた墜落事故を生存者たちが厳しい環境下で生き延びたというニュースは世界中の報道機関を注目させ、その後関係者の下には洪水のようにレポーターたちが訪れた。
パラードとカネッサは朝食を摂り、増加する報道陣に会った。
彼らは熱心に質問に答えたが、どうやって生存できたかについては話すのを避けた。

午後に、小さな村(ロス・マイテネス村)にヘリコプターが到着した。同乗したパラードによって誘導され、フェアチャイルド機が横たわる墜落地点までの谷を飛び、生存者たちは2人の捜索隊、救出登山家によって救出された。
救出されたとき、生存者の数は事故直後の半分以下の16人に減っていた

ヘリコプターの到着は、歓喜に満ちた14人の生存者たちに歓迎された。
1回目に救助されることとなった追加の最大積載人員である6人は、救出されることを山に対して感謝した。
生存者たちがロス・マイテネス村に到着したとき、彼らは喜びの頂点にあった。
草を抱擁し、笑い、転がり回り、自分たちの救出を祝った。
数時間後に、全員がサンフェルナンドのセント・ジョン聖病院へ収容された。

 

ドキュメンタリー映画

アンデスの聖餐(1975年)
ドキュメンタリー映画『アンデスの聖餐』(原題:La Odisea de los Andes)は、1975年にブラジルで公開された。監督はアルバロ・J・コバセビッチ (Alvaro J. Covacevich) 、脚本はマリオ・バルガス・リョサ。墜落・遭難事故の再現と、遺族が墜落現場を訪れる模様を描いている。日本では1976年9月に公開された[8]。邦題の冒頭に「人肉で生き残った16人の若者」の副題がつく。

Alive: 20 Years Later(1993年)
ドキュメンタリー映画 Alive: 20 Years Later は、1993年のアメリカ映画。監督・脚本はジル・フレートン=スミス (Jill Fullerton-Smith) 、ナレーターはマーティン・シーン。事故の20年後に生存者たちの人生を振り返っている。また、ハリウッド映画『生きてこそ』の制作に参加した生存者たちについて議論している。日米ともに劇場未公開。

劇映画

アンデス地獄の彷徨(1976年)
『アンデス地獄の彷徨』(原題:Supervivientes de los Andes)は、1976年のメキシコ映画。監督はレネ・カルドナ (René Cardona) 、製作はレネ・カルドナとレネ・カルドナJr. (René Cardona Jr.) 。クレイ・ブレアJr. (Clay Blair Jr.) の著作『アンデスの聖餐』 Survive! (1973年)を原作としている[10]。日本では劇場未公開。邦題には「航空機墜落・極限の乗客たち」の副題がつく。

生きてこそ(1993年)
『生きてこそ』(原題:Alive)は、1993年のアメリカ映画。監督はフランク・マーシャル。P.P.リード (Piers Paul Read) の著作『生存者』 Alive: The Story of the Andes Survivors (1974年)を原作としている。生存者のナンド・パラードは映画の技術顧問を務め、カルロス・パエスとラモン・サベージャは墜落地点の胴体部分を訪れ、撮影の際はセットの細かいところや、実際の出来事に関して指示した。日本では1993年5月に劇場公開された。

 


出典: 「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

すごい事故だったのですわねぇ〜。。。

この事故で生存者がいたことは世界中に大きなニュースとして報道されたのですよ。。。僕は当時、日本で暮らしていたけれど、日本にでも大ニュースとして報道されました。

私はまだ生まれていませんでしたわァ。。。

当然、生き延びるために人肉を食べて良いものかどうか? 日本でもマスコミで、ずいぶんと議論されたものですよ。。。

デンマンさんは、同じような状況に追い込まれたら人肉を食べますか?

僕はキリスト教徒でもないし、特に神様を信じているわけではないので、死んだ人の肉を食べることは、それほど抵抗はありません。。。もちろん、生きるか死ぬかの状況に追い込まれたときだけですけどね。。。

普段の生活で死んだ人の肉を食べたら法律で罰せられるのでしょう?

死体遺棄罪という、死んだ人を埋葬もしないで置きっぱなしにするだけで罪に問われるほどだから、死体の肉を食べたら遺体損壊罪で当然罰せられるでしょうねぇ〜。。。

上の事件で死体を食べて生き延びた人たちは、罪に問われたのですか?

救助から34年後の2006年、生存者のナンド・パラードさんが書いた本『アンデスの奇蹟』に次のように書かれてますよ。。。

 

事実上、我々の生還は国家のプライドの問題となった。
我々の試練は輝かしい冒険譚として祝われていた

…私はあの山脈には栄光などなかったと彼らに説明する方法を知らなかった。
それは、全ての醜悪さと、恐怖と、自暴自棄と、とても多くの罪無き人々が死にゆくのを見る不快だった。

また、私は報道が我々が生存するために食べたものに関することを扇動したことに動揺した。
我々の救出後すぐに、カトリック教会の職員たちは、教義に照らしても我々が死者の肉を食べたことは罪に当たらないと発表した。

ロベルトが山で論争したように、教会は罪は自分たちが死にゆくことを許容することにあると世界に発表した。
私にとっての素晴らしい満足だった出来事は、死んだ少年の両親の多くが、我々が生き残るために選択した行為を理解し、受け入れたことを世界に公表し支持を表明したという事実だった。

…これらのジェスチャーにも関わらず、多くの報道が無思慮で強引な方法で我々の食事に焦点を合わせた。
中には薄気味悪い写真を一面に飾り、恐ろしい見出しで報道した新聞もあった。

 

普段の生活の中で人肉を食べたら、当然罪に問われるでしょう。。。でも、この場合は、事故に遭遇して生きるか死ぬかの極限状態で人肉を食べたのですよ。。。上の引用の中で教会が判断を下したように、罪は自分たちが死にゆくことを許容することにある ということですよ。。。どこかの首相が「生命は地球よりも重い」と言いました。

 


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『命の値段』

 

両親から授かった命は粗末にしてはならない。。。生命を粗末にすることこそ罪なのですよ。。。ところで、ジュンコさんは、同じような事故に遭遇して、生きるか死ぬかの状況に追い込まれたら人肉を食べられますか?

私には食べることができないと思います。。。なぜなら、亡くなった人たちは、殆どが親友か級友なのですわァ〜。。。私には食べる気がしないと思います。。。

食べれば生存できるのに、食べないということは、ジュンコさんが自分の生命を粗末にすることになるのですよ。それは罪なのです。。。

私は、亡くなった親友の後を追うように静かに死ぬのを待ちますわァ〜。。。

そういうロマチックなことを言ってる場合じゃないのですよ! 生きるか死ぬかですよ! 食べてください!

デンマンさんは、私に亡くなった親友の肉を食べるように強要するのですかァ〜?

あのねぇ〜、亡くなったジュンコさんの親友の死体は、すでに魂も、精神も、意識もない ただの物体なのですよ。。。普段 食べている豚や牛の肉と同じなのですよ。。。だから食べてね。。。。

私には、そうやってデンマンさんのように割り切ることができませんわァ。。。

つまり、あくまでもロマンチックに生きたいのですねぇ〜。。。

そうですわ。。。死んだ親友の肉まで食べて生きようとは思わないのです。。。人間はいつかは死ぬのです。。。だから、私は親友の後を追ってあの世に逝くことを選ぶと思いますわァ。。。

僕は、何がなんでも、地球より重い自分の命を大切にします。。。親友の死体を食べても、上の本でも書かれているように、親友の両親は僕の決断を認めてくれると思います。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、同じような状況に追い込まれた時に親友の死体の肉を食べることが出来ると思いますか?

ええっ。。。 「そんな仮定の話は どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が


どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?

マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』

『日本初のヌードショー』

『可愛い孫』

『ネットで広まる』

『なぜブログを書くの?』

『アルゼンチンから』

『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

『女性の性欲研究』

『頭のいい馬』


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』

『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、


ためになる関連記事


平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

めれんげさんの『即興の詩』

めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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“JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

『面白くて楽しいレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

『今すぐに役立つホットな情報』


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フェルメール

 

フェルメール

 


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ケイトー。。。どうして急にフェルメールを取り上げるのォ〜? この画家にハマっているのォ〜?


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別に僕は、この画家の熱烈なファンではないのですよ。。。

じゃあ、ケイトーの知り合いで、この画家にハマっている人でもいるのォ〜?

いや、そういうわけでもありません。。。ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』


『フェルメールの謎』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で4月9日の午後6時57分から4月10日の午前0時までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

4月9日の午後10時19分に フェルメールの謎 を読んだネット市民が居たのねぇ〜。。。

そうです。。。

 


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『フェルメールの謎』

 

実は、オランダに留学中の小田原真莉亜(おだわら まりあ)さんが読んだのです。。。

 


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マリアさんは、オランダで何を勉強しているのォ〜?

オランダの東部にあるオーファーアイセル州の州都でもあるズウォレ市にあるウィンデスハイム・オナーズ大学でメディア・コミュニケーションの勉強をしているのですよ。。。

 


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。。。で、どのようにして記事を見つけたの?

次のように検索したのです。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


『フェルメールの謎』

 

あらっ。。。Beatrice Cenci Vermeer earring 徒然 と入れて検索したのねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。マリアさんは留学する前から「徒然ブログ」の常連さんなのです。。。

。。。で、マリアさんは、どういうわけで『フェルメールの謎』を読んだわけなのォ〜?

あのねぇ〜、マリアさんはメディア・コミュニケーションのセミナーで研究課題として「フェルメールの謎」を取り上げてプリゼンテーションするつもりなのですよ。。。彼女は、かつて僕の記事を読んで Beatrice Cenci(ベアトリーチェ・チェンチ)が Vermeer earring(フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」)のモデルではないか!?ということを覚えていたのですよ。。。

それで、改めて記事を読んでみようとBeatrice Cenci Vermeer earring 徒然 と入れて検索したわけぇ〜。。。?

そういうことです。。。

。。。で、マリアさんはどの箇所に注目したのォ〜?

次の箇所です。。。

 

真珠の耳飾りの少女


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『真珠の耳飾りの少女』(蘭: Het meisje met de parel, 英: Girl with a Pearl Earring)は、オランダの画家 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画であり、彼の代表作の一つ。

『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれ、オランダのデン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する。
口元にかすかな笑みを湛えるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも称される。

制作されたのは、1665年もしくは1666年と推定されている。
フェルメールが33歳から34歳の頃で、画家として安定した技量を発揮しつつあった時期であるが、異論がないわけではない。
この少女のモデルをフェルメールの娘マーリアであるとして1670年代とする意見もあるが、1670年代の彼の技法はこの絵と明らかに異なっているため、可能性は低い。

ただし、本作の構図は極めて単純で、少女の上半身が描かれているだけで他に年代を推定できるような物品や背景が無く、後で述べるように少女の特徴であるターバンも全くの異国の風俗で、オランダ社会のファッションの移ろいとは無縁であるなど、時代から隔絶した趣が強く、1665年又は1666年という数字もあくまで推測の域を出ない。

この絵画には「IVMeer」という署名があるが、日付はない。

注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのか、という事も不明である。
その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。
『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。

その後、1881年まで所有者は転々としたが、フェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたヴィクトール・ド・ステュエール(Victor de Stuers)の説得に応じたデ・トンブ(A.A. des Tombe)は、1881年にハーグのオークションにてわずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入した。
当時この絵は極めて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった。

デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。
1882年には補修が行なわれ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。
現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる。

ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、様々な説がある。
フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明である。


出典: 「真珠の耳飾りの少女」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

。。。で、この絵についてケイトーが迫る謎ってぇ、いったいどのような謎なのよ。。。

だから、上の説明にも書いてあるとおり、ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、様々な説がある、と書いてある。。。

つまり、このモデルは誰か? その事を解明するわけなのォ~?

そうです。。。

でも、それは、もう解明されてるわよ。。。

あれっ。。。 そうなのォ~?

あらっ。。。 やだァ~。。。 ケイトーは知らなかったのォ~?

知りませんよ。。。 上の説明でも「フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明である」と書いてあるのですよ。。。 解明されていたら、ちゃんとモデルが誰であるか?書いてあるはずでしょう!?

だから、上の説明を書いた人も知らなかったのよ。。。

じゃあ、モデルはいったい誰なわけぇ~?

次の映画を見れば解るわよう。。。

 


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真珠の耳飾りの少女 (映画)

 

『真珠の耳飾りの少女』(原題:Girl with a Pearl Earring)は、2003年のイギリス・ルクセンブルク合作のドラマ映画。
ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を題材にした作品。

ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を着想に、トレイシー・シュヴァリエが書き上げた同名の小説を映画化した作品。

 

あらすじ

1665年のオランダ、デルフトの街。
タイル絵師の父を持つグリートは、画家のフェルメールの家に下働きとして入る。

フェルメール夫人に、アトリエの掃除を命じられ、「窓を拭いてよろしいですか? 光が変わりますが?」と問う。
芸術を理解しない夫人との対比がされている。

グリートは陰影、色彩、構図に隠れた天分を持っていた。
才能を見出したフェルメールはグリートに遠近法や絵の具の調合を教える。

絵の構図が悪いと考えたグリートは、アトリエでモデルとなった椅子を除けて、陰影を強調する。
フェルメールはこれを見て、描いていた椅子を消し、光と影を付け加える。

ついに、フェルメールはグリートをモデルとした製作を決意し、狂気の目でグリートを見るようになる。
創造の苦しみに耐えるフェルメール。

夫人はフェルメールがグリートに恋情を抱いていると誤解する。
フェルメールが使用人とアトリエに篭りきっている事はあらぬ噂を呼び、夫人を苦しめる。

とうとう夫人は逆上し、立ち入らないはずのアトリエに乱入する。
そこで夫人は自分の耳飾りをつけたグリートの肖像画を目にする。


出典: 「真珠の耳飾りの少女 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この映画を見ればすぐに判るのよ。。。 モデルになったのはフェルメールの家で下働きをしていたグリートなのよ。。。

あのねぇ~、シルヴィー。。。 上の映画はドキュメンタリーでも、ドキュドラマでもないんだよ。。。 上の説明にも書いてあるとおり、トレイシー・シュヴァリエが書き上げた同名の小説を映画化した作品なのですよ。。。

でも、その小説も史実を基にした書いたんじゃないのォ~?

違うのです。。。 その上の説明にも書いてあるとおり、史実では、絵のモデルは「フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明」なのですよ。。。

そのように言うからには、ケイトーは絵のモデルが誰だか知っているのねぇ~。。。?

知ってます。。。 ちょっと次の2つの絵を見てください。。。

 


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『拡大する』

 

あらっ。。。 なんだか2つとも よく似てるわねぇ~。。。

でしょう。。。?

向かって左の絵はいったい誰なのォ~?

1599年にグイド・レーニによって描かれたと伝えられる『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』です。。。

ベアトリーチェ・チェンチという女性は、いたい何者なのォ~?

あのねぇ~、ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci)はイタリアの名門貴族の娘なのですよ。。。 ところが、お父さんが悪逆非道だったので、思い余って殺害してしまった。。。 悪い男には違いなかったけれど、とにかく殺した相手が父親ですよ。。。 だから、裁判にかけられて、斬首刑という判決が下された。。。

ベアトリーチェ・チェンチ

Beatrice Cenci


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(1577年2月6日 – 1599年9月11日)

 

イタリアの貴族の女性。
ローマで起こった尊属殺人事件(父親殺し)裁判の主役として知られている。
その悲劇的な最期から、多くの文学・芸術の題材とされて来た。

ベアトリーチェは貴族のフランチェスコ・チェンチの娘として生まれた。
フランチェスコはその暴力的気性と不道徳きわまりない行動から、教皇庁裁判官と一度ならず悶着を起こしていた。
一家はローマのレゴラ区にあったチェンチ宮に暮らしていた。

チェンチ宮はローマのユダヤ人居住区の端にある、中世の要塞跡に建てられたものだった。
家族は他に、兄ジャコモ、父親の2番目の妻ルクレツィア・ペトローニ、そしてその子供でまだ幼かったベルナルドがいた。
一家は、ローマの北、リエーティ近郊の小さな村に「ペトレッラ・デル・サルト要塞」という名前の城を所有していた。

伝えられるところによれば、父フランチェスコは妻と息子たちを虐待し、ベアトリーチェとは近親姦の関係にあった。
ある時、父フランチェスコが別の罪で投獄された。
貴族であったことから、恩赦を受け、すぐに釈放されたが、その時、ベアトリーチェは頻繁に受ける虐待を当局に訴えた。

ローマ市民は誰でもフランチェスコがそういう人間だということは知っていたが、何の手も打たなかった。
父フランチェスコは娘が自分を告発したことに気付き、ベアトリーチェと妻ルクレツィアをローマから追い出し、田舎の城に住まわせた。

ベアトリーチェ、ルクレツィア、そして2人の兄弟は、こうなったらもう父親を亡き者にするしかないと決心し、全員でその計画を練った。
1598年、父フランチェスコが城に滞在中、2人の召使い(1人は後にベアトリーチェの秘密の恋人となった)の助けを借り、父親に麻薬を盛ったが、殺すにはいたらなかった。

やむなく、家族全員で父親を金槌で殴り殺し、死体はバルコニーから突き落とした。
ベアトリーチェは事故だと主張したが、誰も信じる者はなかった。

父親の不在に気付いた官憲は事件の真相の調査を開始した。
ベアトリーチェの恋人は拷問を受け死んだが、真相は一言も喋らなかった。

家族の友人(その人は殺人に気付いていた)は危険を避けるため、もう1人の召使いを殺すよう命じた。
しかし計画は露見し、ベアトリーチェたちは逮捕され、有罪判決を受け、死刑を宣告された。

ローマの人々は、殺人の動機を知って、裁判所の決定に抗議した。
それにより処刑は短期間延期されることになったが、ローマ教皇クレメンス8世はまったく慈悲を示さなかった(チェンチ家の財産を懐に入れるため処刑を決定したともされる)。

1599年9月11日未明、被告たちはサンタンジェロ城橋に移送され、そこに処刑台の足場が組まれた。
ジャコモは木槌で手足を4隅に打たれ、四つ裂の刑に処された。

ルクレツィアとベアトリーチェは順番に斬首された。
唯一若い弟だけは死刑を免れたが、財産を没収され(その財産は教皇の家族のものとなった)、刑務所に戻される前、処刑台で家族の処刑を見せられた。
ベアトリーチェの遺体はサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会に埋葬された。

ローマの人々にとって、ベアトリーチェは、傲慢な貴族社会へのレジスタンスの象徴となった。
そして、毎年、彼女が処刑される日の前夜、ベアートリーチェの幽霊が斬られた自分の首を持って橋に戻ってくるという伝説が生まれた。


出典: 「ベアトリーチェ・チェンチ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 


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『拡大する』

 

この左の絵は、ベアートリーチェが処刑される前夜にグイド・レーニが描いたと言われているのです。。。

マジで。。。?

もう一度2つの絵を見比べてください。。。 肩越しに振り向いた様子、ターバンを巻いている姿など、実に 良く似ているのですよ。。。

確かに、言われてみれば、良く似ているのだけれど。。。

シルヴィーは信じられないようだから次の拡大写真を見てください。。。

 


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『拡大する』

 

この眼などそっくりだと思いませんか?

確かに、似ているようにも思えるけれど。。。

じゃあ、次の拡大写真も見てください。。。

 


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『拡大する』

 

この唇など、まるで瓜(ウリ)二つだと思いませんか?

確かに、言われてみれば、そう見えるわねぇ~。。。 でも、フェルメールは、どういうわけでベアートリーチェをモデルにして書いたわけぇ~?

グイド・レーニが描いたベアートリーチェの絵を見て、彼女の悲劇的な話を聞いたら、フェルメールはショックを受けたのですよ。。。 それで、彼なりにベアートリーチェが死後の世界で安らかに日々を送れるようにと、鎮魂の意味を込め、フェルメールの心象としてのベアートリーチェを想い浮かべて「真珠の耳飾りの少女」を描いたのです。。。

マジで。。。?

そうですよ。。。 それが証拠に、今では「真珠の耳飾りの少女」として知られているけれど、この絵は、もともと「ターバンを巻いた少女」と言われていたのです。。。


『フェルメールの謎』より
(208年12月5日)

 

つまり、上の箇所に書いてることを参考にしてマリアさんはメディア・コミュニケーションのセミナーで研究課題として「フェルメールの謎」を取り上げてプリゼンテーションするつもりなのォ〜?

そうです。。。きっと素晴らしいプリゼンになると思います。。。セミナーの他の参加者は日本語が読めないから、僕の記事を参考にしたということは分からない。。。

でも、ケイトーは、どうしてそんなことまで知ってるのォ〜?

マリアさんがメールを書いて知らせてくれたのですよ。。。

マジで。。。?

シルヴィーは僕の言うことが信じられないのォ〜? 昔の人は “信じる者は救われる!” と言ったのですよ。。。だから、シルヴィーも僕の言うことを素直に信じて今日、一日ルンルン気分で過ごしてねぇ〜。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも デンマンさんのお話を聞いて、信じることができましたか?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


(cleopara2.jpg)

『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』


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『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


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『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』


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『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

『10次元の世界』

『ポーランドの犬』


(jump009.jpg)

『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


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『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、


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フェルメールの謎

 

フェルメールの謎

 


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今日、ケイトーはフェルメールの謎に迫るわけぇ~?


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そうです。。。 いけませんか?

いけないどころか、私も俄然、興味がわいてきたわァ~。。。

あれっ。。。 シルヴィーはフェルメールのファンなのォ~?

そうよ。。。 日本でも話題になってるじゃない。。。

あれっ。。。 シルヴィーはバンクーバーに居ながら日本のことまで知ってるわけぇ~?

日本語が解る世界の134ヵ国のネット市民に読まれているブログを書いているケイトーにしては時代遅れなことを言うわねぇ~。。。 ネットをちょっとばかり覗けば、日本美術展史上、最大の「フェルメール展」を上野の森美術館で開催していることがすぐにわかるわァ~。。。

マジで。。。?

だってぇ~、次のようなクリップが どこの国でも見れるじゃない!

 


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来年(2019年)の2月3日まで開かれてるのよ。。。 「光の魔術師」とも称されるフェルメールの、わずか35点とされる希少な現存作品のうち、日本国内過去最多の9点を展示しているのよ。。。

シルヴィーが、そこまでフェルメールにハマっているとは知らなかったなァ~。。。

。。。で、今日はフェルメールのどういう謎を解くわけなのォ~?

もちろん、冒頭に出ている写真の名画ですよ。。。

「真珠の耳飾りの少女」ねぇ~。。。

そうです。。。

真珠の耳飾りの少女


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『真珠の耳飾りの少女』(蘭: Het meisje met de parel, 英: Girl with a Pearl Earring)は、オランダの画家 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画であり、彼の代表作の一つ。

『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれ、オランダのデン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する。
口元にかすかな笑みを湛えるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも称される。

制作されたのは、1665年もしくは1666年と推定されている。
フェルメールが33歳から34歳の頃で、画家として安定した技量を発揮しつつあった時期であるが、異論がないわけではない。
この少女のモデルをフェルメールの娘マーリアであるとして1670年代とする意見もあるが、1670年代の彼の技法はこの絵と明らかに異なっているため、可能性は低い。

ただし、本作の構図は極めて単純で、少女の上半身が描かれているだけで他に年代を推定できるような物品や背景が無く、後で述べるように少女の特徴であるターバンも全くの異国の風俗で、オランダ社会のファッションの移ろいとは無縁であるなど、時代から隔絶した趣が強く、1665年又は1666年という数字もあくまで推測の域を出ない。

この絵画には「IVMeer」という署名があるが、日付はない。

注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのか、という事も不明である。
その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。
『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。

その後、1881年まで所有者は転々としたが、フェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたヴィクトール・ド・ステュエール(Victor de Stuers)の説得に応じたデ・トンブ(A.A. des Tombe)は、1881年にハーグのオークションにてわずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入した。
当時この絵は極めて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった。

デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。
1882年には補修が行なわれ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。
現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる。

ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、様々な説がある。
フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明である。


出典: 「真珠の耳飾りの少女」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

。。。で、この絵についてケイトーが迫る謎ってぇ、いったいどのような謎なのよ。。。

だから、上の説明にも書いてあるとおり、ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、様々な説がある、と書いてある。。。

つまり、このモデルは誰か? その事を解明するわけなのォ~?

そうです。。。

でも、それは、もう解明されてるわよ。。。

あれっ。。。 そうなのォ~?

あらっ。。。 やだァ~。。。 ケイトーは知らなかったのォ~?

知りませんよ。。。 上の説明でも「フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明である」と書いてあるのですよ。。。 解明されていたら、ちゃんとモデルが誰であるか?書いてあるはずでしょう!?

だから、上の説明を書いた人も知らなかったのよ。。。

じゃあ、モデルはいったい誰なわけぇ~?

次の映画を見れば解るわよう。。。

 


(vermeer6.jpg)

真珠の耳飾りの少女 (映画)

 

『真珠の耳飾りの少女』(原題:Girl with a Pearl Earring)は、2003年のイギリス・ルクセンブルク合作のドラマ映画。
ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を題材にした作品。

ヨハネス・フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を着想に、トレイシー・シュヴァリエが書き上げた同名の小説を映画化した作品。

 

あらすじ

1665年のオランダ、デルフトの街。
タイル絵師の父を持つグリートは、画家のフェルメールの家に下働きとして入る。

フェルメール夫人に、アトリエの掃除を命じられ、「窓を拭いてよろしいですか? 光が変わりますが?」と問う。
芸術を理解しない夫人との対比がされている。

グリートは陰影、色彩、構図に隠れた天分を持っていた。
才能を見出したフェルメールはグリートに遠近法や絵の具の調合を教える。

絵の構図が悪いと考えたグリートは、アトリエでモデルとなった椅子を除けて、陰影を強調する。
フェルメールはこれを見て、描いていた椅子を消し、光と影を付け加える。

ついに、フェルメールはグリートをモデルとした製作を決意し、狂気の目でグリートを見るようになる。
創造の苦しみに耐えるフェルメール。

夫人はフェルメールがグリートに恋情を抱いていると誤解する。
フェルメールが使用人とアトリエに篭りきっている事はあらぬ噂を呼び、夫人を苦しめる。

とうとう夫人は逆上し、立ち入らないはずのアトリエに乱入する。
そこで夫人は自分の耳飾りをつけたグリートの肖像画を目にする。


出典: 「真珠の耳飾りの少女 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この映画を見ればすぐに判るのよ。。。 モデルになったのはフェルメールの家で下働きをしていたグリートなのよ。。。

あのねぇ~、シルヴィー。。。 上の映画はドキュメンタリーでも、ドキュドラマでもないんだよ。。。 上の説明にも書いてあるとおり、トレイシー・シュヴァリエが書き上げた同名の小説を映画化した作品なのですよ。。。

でも、その小説も史実を基にした書いたんじゃないのォ~?

違うのです。。。 その上の説明にも書いてあるとおり、史実では、絵のモデルは「フェルメールの娘マーリアとする意見もある他、彼の妻、恋人、あるいは作者の全くの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画は無く、伝記の類も残っていないので真相は不明」なのですよ。。。

そのように言うからには、ケイトーは絵のモデルが誰だか知っているのねぇ~。。。?

知ってます。。。 ちょっと次の2つの絵を見てください。。。

 


(vermeer2.jpg)

『拡大する』

 

あらっ。。。 なんだか2つとも よく似てるわねぇ~。。。

でしょう。。。?

向かって左の絵はいったい誰なのォ~?

1599年にグイド・レーニによって描かれたと伝えられる『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』です。。。

ベアトリーチェ・チェンチという女性は、いたい何者なのォ~?

あのねぇ~、ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci)はイタリアの名門貴族の娘なのですよ。。。 ところが、お父さんが悪逆非道だったので、思い余って殺害してしまった。。。 悪い男には違いなかったけれど、とにかく殺した相手が父親ですよ。。。 だから、裁判にかけられて、斬首刑という判決が下された。。。 

ベアトリーチェ・チェンチ

Beatrice Cenci


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(1577年2月6日 – 1599年9月11日)

 

イタリアの貴族の女性。
ローマで起こった尊属殺人事件(父親殺し)裁判の主役として知られている。
その悲劇的な最期から、多くの文学・芸術の題材とされて来た。

ベアトリーチェは貴族のフランチェスコ・チェンチの娘として生まれた。
フランチェスコはその暴力的気性と不道徳きわまりない行動から、教皇庁裁判官と一度ならず悶着を起こしていた。
一家はローマのレゴラ区にあったチェンチ宮に暮らしていた。

チェンチ宮はローマのユダヤ人居住区の端にある、中世の要塞跡に建てられたものだった。
家族は他に、兄ジャコモ、父親の2番目の妻ルクレツィア・ペトローニ、そしてその子供でまだ幼かったベルナルドがいた。
一家は、ローマの北、リエーティ近郊の小さな村に「ペトレッラ・デル・サルト要塞」という名前の城を所有していた。

伝えられるところによれば、父フランチェスコは妻と息子たちを虐待し、ベアトリーチェとは近親姦の関係にあった。
ある時、父フランチェスコが別の罪で投獄された。
貴族であったことから、恩赦を受け、すぐに釈放されたが、その時、ベアトリーチェは頻繁に受ける虐待を当局に訴えた。

ローマ市民は誰でもフランチェスコがそういう人間だということは知っていたが、何の手も打たなかった。
父フランチェスコは娘が自分を告発したことに気付き、ベアトリーチェと妻ルクレツィアをローマから追い出し、田舎の城に住まわせた。

ベアトリーチェ、ルクレツィア、そして2人の兄弟は、こうなったらもう父親を亡き者にするしかないと決心し、全員でその計画を練った。
1598年、父フランチェスコが城に滞在中、2人の召使い(1人は後にベアトリーチェの秘密の恋人となった)の助けを借り、父親に麻薬を盛ったが、殺すにはいたらなかった。

やむなく、家族全員で父親を金槌で殴り殺し、死体はバルコニーから突き落とした。
ベアトリーチェは事故だと主張したが、誰も信じる者はなかった。

父親の不在に気付いた官憲は事件の真相の調査を開始した。
ベアトリーチェの恋人は拷問を受け死んだが、真相は一言も喋らなかった。

家族の友人(その人は殺人に気付いていた)は危険を避けるため、もう1人の召使いを殺すよう命じた。
しかし計画は露見し、ベアトリーチェたちは逮捕され、有罪判決を受け、死刑を宣告された。

ローマの人々は、殺人の動機を知って、裁判所の決定に抗議した。
それにより処刑は短期間延期されることになったが、ローマ教皇クレメンス8世はまったく慈悲を示さなかった(チェンチ家の財産を懐に入れるため処刑を決定したともされる)。

1599年9月11日未明、被告たちはサンタンジェロ城橋に移送され、そこに処刑台の足場が組まれた。
ジャコモは木槌で手足を4隅に打たれ、四つ裂の刑に処された。

ルクレツィアとベアトリーチェは順番に斬首された。
唯一若い弟だけは死刑を免れたが、財産を没収され(その財産は教皇の家族のものとなった)、刑務所に戻される前、処刑台で家族の処刑を見せられた。
ベアトリーチェの遺体はサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会に埋葬された。

ローマの人々にとって、ベアトリーチェは、傲慢な貴族社会へのレジスタンスの象徴となった。
そして、毎年、彼女が処刑される日の前夜、ベアートリーチェの幽霊が斬られた自分の首を持って橋に戻ってくるという伝説が生まれた。


出典: 「ベアトリーチェ・チェンチ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 


(vermeer2.jpg)

『拡大する』

 

この左の絵は、ベアートリーチェが処刑される前夜にグイド・レーニが描いたと言われているのです。。。

マジで。。。?

もう一度2つの絵を見比べてください。。。 肩越しに振り向いた様子、ターバンを巻いている姿など、実に 良く似ているのですよ。。。

確かに、言われてみれば、良く似ているのだけれど。。。

シルヴィーは信じられないようだから次の拡大写真を見てください。。。

 


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『拡大する』

 

この眼などそっくりだと思いませんか?

確かに、似ているようにも思えるけれど。。。

じゃあ、次の拡大写真も見てください。。。

 


(vermeer4.jpg)

『拡大する』

 

この唇など、まるで瓜(ウリ)二つだと思いませんか?

確かに、言われてみれば、そう見えるわねぇ~。。。 でも、フェルメールは、どういうわけでベアートリーチェをモデルにして書いたわけぇ~?

グイド・レーニが描いたベアートリーチェの絵を見て、彼女の悲劇的な話を聞いたら、フェルメールはショックを受けたのですよ。。。 それで、彼なりにベアートリーチェが死後の世界で安らかに日々を送れるようにと、鎮魂の意味を込め、フェルメールの心象としてのベアートリーチェを想い浮かべて「真珠の耳飾りの少女」を描いたのです。。。

マジで。。。?

そうですよ。。。 それが証拠に、今では「真珠の耳飾りの少女」として知られているけれど、この絵は、もともと「ターバンを巻いた少女」と言われていたのです。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

デンマンさんのお話に共感しましたか?

 

ところで、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


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『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


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『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


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『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

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『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

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『さらば大前研一』

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

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日本の神話

 

日本の神話

 


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デンマンさん。。。 最近、あんさんは日本の神話に興味をもちはったん?


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ん。。。? めれちゃんは、わてが日本の神話に興味を持っていると思うたのかァ~?

そやかて、タイトルにそう書いてますやん。。。 それに、あんさんは、古代の日本の歴史について、ようけい記事を書いてますやん。。。

確かに、わては少しは日本の神話に興味を持ってるけど、実は、日本の神話に興味を持っている外人が わてのブログにやって来たのやがなァ~。。。

マジで。。。?

ちょっと次のリストを見て欲しいねん。。。


(liv80207a.png)


『拡大する』

『「月岡芳年」タグのページ』

これはライブドアの わての『徒然ブログ』の2月6日の午後11時46分から7日の午前3時14分までの約3時間半の「生ログ」やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。

あらっ。。。 長たらしいURL からやって来て『徒然ブログ』の「月岡芳年」タグのページを読みはったのやねぇ~。。。

月岡 芳年(つきおか よしとし)


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生年: 1839年4月30日(天保10年3月17日)
没年: 1892年(明治25年)6月9日

日本の画家。幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師である。
姓は吉岡(よしおか)、のちに月岡。本名は米次郎(よねじろう)。
画号は、一魁斎芳年(いっかいさい よしとし)、魁斎(かいさい)、玉桜楼(ぎょくおうろう)、咀華亭(そかてい)、子英、そして最後に大蘇芳年(たいそ よしとし)を用いた。

河鍋暁斎、落合芳幾、歌川芳藤らは歌川国芳に師事した兄弟弟子の関係にあり、特に落合芳幾は競作もした好敵手であった。
また、多くの浮世絵師や日本画家とその他の画家が、芳年門下もしくは彼の画系に名を連ねている。

歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる絵師である。
多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれる。
浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本画や洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。

昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっている。


(yoshitoshi.jpg)


出典: 「月岡芳年」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

月岡 芳年は幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師やのねぇ~。。。 そやけど、この絵師は日本の神話の絵も描きはったん?

いや。。。 わての知る限り、日本の神話の絵は描いておらんでぇ~。。。

それやのに、どないなわけで「月岡芳年」タグのページを読みはったん?

めれちゃんの質問に答えるには上のリストのURL をクリックしてみる必要があるねん。

上のURL をクリックすると どないなページが出てきよるのォ~?

次のページが表示されるのやがなァ~。。。


(wit80207a.png)


『拡大する』

『実際のページ』

あらっ。。。 これは英語のページやんかァ~。。。

そうやァ~。。。 『魔女と異教』というサイトのページやねん。。。

つまり、あんさんのブログにやって来やはった外人さんは、このページを読んで その中のリンクをクリックして 「月岡芳年」タグのページを読みはったわけやのォ~?

そういうこっちゃァ。。。 実は、このページはカナダのトロントに住んでいるオリヴィアさんという日系カナダ人が書いたページやねん。。。 なんと、金光教の準取次者/巫女(associated priestess)さんやがなァ~。。。

金光教


(konko01.jpg)

 

金光教(こんこうきょう)は、日本の新宗教。

教派神道連合会に属し、戦前の神道十三派の一つ。

安政6年(1859年)、備中国浅口郡大谷村にて赤沢文治(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教である。

同じ江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。

現在の本拠地は岡山県浅口市金光町大谷である(旧町名由来の金光町という地名は金光教の本部があることから付けられた)。

祭神は天地金乃神(てんちかねのかみ)と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)である。

教主は金光平輝(こんこうへいき、五代金光様)、教務総長は西川良典(にしかわよしのり)である。

日本を中心に約1600の教会・布教所、45万人の信者を有する。

 

著名人の信徒

市川猿之助 (歌舞伎役者)
市川右團次 (歌舞伎役者)
伊藤昌哉(政治評論家)
扇千景
小川洋子
小田原大造
片岡孝太郎 (歌舞伎役者)
桂かい枝
かんべむさし
甲本ヒロト (ミュージシャン)
坂田藤十郎 (歌舞伎役者)
サトウサンペイ
品川祐 (お笑い芸人) – 親の実家が金光教信者。
杉田二郎
鈴木清一 株式会社ダスキン創業者
砂川しげひさ
中村鴈治郎
十七世中村勘三郎 (歌舞伎役者)
十八世中村勘三郎 (歌舞伎役者)
中村吉右衛門 (歌舞伎役者)
七世中村芝翫 (歌舞伎役者)
八代目中村芝翫 (歌舞伎役者)
九代目中村福助 (歌舞伎役者)
西村朗 – 実家は神仏への信心が深く、神道においては金光教を信仰していた。
日枝久
牧野省三
松木安太郎 (サッカー解説者) – 名前が、玉水教会初代教会長湯川安太郎にちなんでいる。
三田寛子
吉見一起 (プロ野球中日ドラゴンズ) – 金光大阪高校出身。
萬屋錦之介


出典: 「金光教」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あんさんがトロント大学に行っていた時の同級生やのォ~?

いや。。。 わてにはオリヴィアという名の同級生はおらんかったでぇ~。。。

それやのに、どないなわけで あんさんが書きはった 「月岡芳年」タグのページのリンクが貼ってあるのォ~?

わても不思議に思って調べてみたのやけど、上のページのどこにも 「月岡芳年」タグのページのリンクが見当たらん。。。

それやのに、どないして外人さんは、あんさんのブログにやって来やはったん?

そやから、わても不思議に思って じっくりとページを見渡したのやァ~。。。

それで。。。?

そしたら、次の絵に見覚えがあった。


(wit80207a2.png)

『実際のページ』

sourceという言葉にリンクが貼ってあって、ここをクリックすると「月岡芳年」タグのページへ飛ぶねん。

。。。で、その外人さんというのは、どなたはんやのォ~?

ジョージア州のアトランタに住んでいるリンダ・ピロスキーさんやがなァ~。。。


(ip11525b.png)

あらっ。。。 上の写真の女性がリンダ・ピロスキーさんやのォ~?

そうやァ~。。。

そやけど、IPアドレスを調べやはっても アクセス者の名前まではゲットできへんのやでぇ~。。。

あのなァ~、リンダさんは、次の小文を読んで「たいへんに“面白い”お話を伺うことができました」というメールを書いて寄越したのやがなァ~。。。


(amate03.jpg)

ところで内侍所(ないしどころ)の神鏡というのは、むかし天照大神が天岩戸に閉じこもろうとなされた節、どうぞして自分の姿かたちを写しておき、子孫に見せてやりたいという御心から、御鏡を鋳造された。

最初のものは気にいらないというので、さらに二つめの物を造りかえられた。

最初にできた御鏡は、紀伊国日前(きいのくにひのまえ)、国懸(くにかかす: 和歌山市秋口)の社(やしろ)にまつられた。

二番目の御鏡を、御子(みこ)の天忍穂耳尊(あまのにいほみのみこと)に授けられ、「同じ御殿のうちに置きなさい」と仰(おお)せられた。

 

さて天照大神が天岩戸に閉じこもられ、天下がくら闇となったので、八百万代(やおよろずよ)の神々がより集まり、岩戸の口で御神楽(みかぐら)を奏したところ、天照大神が感心され、岩戸を細めにひらいて見物なされた時、神々の顔が互いにほの白く見えたことからして、面白いという言葉がはじまったと聞いている。


(uzume07.jpg)

(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
イラストはデンマン・ライブラリーより)


187ページ 『平家物語(下)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社

ホンマかいなァ~。。。

めれちゃんは、疑り深いのやなァ~。。。

そやかて、リンダさんは日本語がよめへんやろにィ~。。。

あのなァ~、実は、リンダさんはアトランタにあるジョージア州立大学の文学部で日本文化と日本語を専攻しておるねん。


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ホンマかいなァ~。。。?

めれちゃんは、マジで猜疑心が旺盛なのやなァ~。。。 あのなァ~、昔の人は“信じる者は救われる!”と言うたのやでぇ~。。。 そやから、めれちゃんも わての言うことを信じてルンルン気分で幸せになったらええやん。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

いつものように、“信じる者は救われる!” がオチでした。

あなたの デンマンさんの言うことを信じてルンルン気分で 幸せになってくださいねぇ~。。。

それにしても、あたくしまでが記事に登場してしまいました!


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デンマンさんが、かな~♪~りボインにコラージュしてデッチ上げたのでござ~ますわァ。。。。

うふふふふふふ。。。

では、そのお話は、このくらいにして、あなたのために素晴らしいニュースをお届けしますわぁ~。。。

最近 あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”がネットで人気が出ているのでござ~ますわァ~。。。

ええっ。。。 信じられないというのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわよ。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、レンゲさんの親友の めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


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メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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