仏陀とキリストと娼婦

 

仏陀とキリストと娼婦

 


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デンマンさん。。。 どうして急に宗教のお話なのでござ~ますかァ~?


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いけませんか?

しかも、宗教とは対立するような“娼婦”まで持ち出しているのは、なぜでござ~ますか?

“宗教”と“娼婦”は対立するのですかァ~?

だってぇ~、お寺に娼婦がたむろしているなんてぇ、聞いたことがござ~ませんわァ~。。。

そんなことはありませんよ。。。 昔、昔、。。。お寺と娼婦は切っても切れない関係にあったのですよ。。。 その証拠に『ウィキペディア』にもちゃんと次のように書いてありますよ。

 

神聖娼婦


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神聖娼婦は宗教上の儀式として神聖な売春を行った者である。その儀式を神聖売春または神殿売春という。

古代近東地域における神聖娼婦

イナンナもしくはイシュタルは女神官の儀式用髪飾りを付けて表される
チグリス川とユーフラテス川に沿った古代近東にはバビロンのイシュタルの神殿をはじめとした多くの聖地や神殿、「神の家」が存在しており、ヘロドトスは『歴史』の中で神殿売春の慣習を伝えているが、多分に誤解を含んでいるという主張もある。

サミュエル・ノア・クレーマーの聖婚:古代シュメールの信仰・神話・儀礼によると、後期シュメールおよびアッカドの王サルゴンは、アキトゥと呼ばれる新年祭の10日目に神殿で行われる王と女神の結合の儀式に神聖娼婦を参加させることで、その正当性を確立させたとされる。
西暦4世紀にキリスト教を奉じるローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が女神の神殿を破壊し、キリスト教化したことによって、神聖娼婦の習慣は終了した。

メソポタミア

古代メソポタミアの巫女は、寄進を受けた者に神の活力を授けるために性交渉を行う風習があった。

『ギルガメッシュ叙事詩』でもギルガメッシュの友エンキドゥの獣性を鎮めるために、娼婦を派遣して性交渉を行ったとの記録があり、当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であった事をうかがい知る事ができる。


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また、古代メソポタミアのイシュタルや古代ギリシアのアフロディーテ、北欧神話のフレイヤなど、多くの神話では愛と美を司る女神は性に奔放な姿で描かれているのも、こうした神殿娼婦の影響によるものと考えられている。

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは古代メソポタミアにおいて神殿売春が行われていたと初めて言及した人物である。

アジア

デウキ(英語版)とは、古にされた契約を果たして宗教的な利益を得るために少女が地元のヒンズー教の寺院に捧げられる、ネパール西部の古い習慣である。

少女は売春婦として寺院に奉仕し、それはインドのデーヴァダーシーの習慣と類似している。


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この習慣は無くなりつつあるが、少女はまだ捧げられている。

日本

日本における金精様などの生殖器崇拝の起源も、農作物の豊穣祈願である。
交接を伴う祭祀も多く見られ、各地の闇祭のほとんどが性交の儀礼を伴なっていた。
筑波山にはカガイと称する性の解放祭があり、宇治には闇祭(別名:種もらい祭)という露骨な性の取引があったという。

また白拍子や加賀女等の遊女が主役の祭りも多く、中山太郎は「巫女が日本における遊女、遊郭の起源である」と書いている。
祇園八坂神社の「神輿迎え」、沖縄の尾類馬、遊女供養の下関の赤間宮の先帝祭などでは遊女が舞いを奏し、播磨の鎮守賀茂神の祭りや摂津の住吉大社では遊女が祭りの主役であり「この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であった」と唱えられているという。

ゆえに各地方の遊郭は神社を中心に発達した。
伊勢の古市に遊郭が整備されたのは決して近年の話ではなく、「大昔から全国に渡り『夫婦連れての伊勢参宮したのでは御利益がない』という諺が行われている裏面には、道者は必ず古市で遊ばなければならぬように仕向けられていたのである」と述べている。


出典: 「神聖娼婦」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。 昔は、マジですご~いことになっていたのですわねぇ~。。。

当時は売春行為は、現在とはかなり違い神聖な儀礼であったのですよ。。。

現在は、どうして神聖な儀礼ではないのでしょうか?

野放しにすると性病が蔓延して人類が滅亡してしまうからですよ。。。 それで、野放しに性行為をすることは野蛮で非道徳的な行為だと言われるようになたのです。

。。。で、どうして、デンマンさんは このような話題を取り上げる気になったのでござ~ますか?

実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 

釈迦の入滅

釈迦はマガダ国の首都ラージャガハ郊外の鷲の峰を下りて北に向かい、ガンジス河の南岸パータリ村に行った。

そこでマガタ国が新しい都を建設しているのを見学してから河を渡り、ベーサーリに着く。

ここで釈迦は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けてからベールヴァ村に行き、そこで雨季を過ごす。


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そのとき肉体の苦痛を感じ、入滅の近いことを覚悟する。

釈迦は自分の亡きあとの教団のあり方を弟子のアーナンダ(阿難)に告げた。

「自分の亡きあと、よく自らを灯りとなし、自らをよりどころとなし、他人をよりどころとせず、法を灯りとなし、法をよりどころとなして、他をよりどころとすることなかれ」

雨季が終わって北上し、パーヴァー村でチュンダという鍛冶屋から食事の招待を受け、それが原因で釈迦は食中毒を起こす。

その後クシナーラーに着き、郊外のサーラ樹のもとで弟子たちに寝床を用意させて横たわる。

そして老年の修行者スバッダを教化して最後の弟子とし、付き添いの弟子たちに見守られながら、「もろもろの現象は移り行く、汝ら怠らず努力せよ」ということばを残して入滅する。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


75-76 ページ
『お経の基本がわかる小事典』
著者: 松濤弘道
2004年11月1日 第1刷発行
発行所: PHP研究所

 

あらっ。。。 「お釈迦様の入滅」を取り上げるなんて、どうして急に抹香臭(まっこうくさ)い事にデンマンさんは興味をもたれたのでござ~ますか?

あのねぇ~、上の箇所を読んで、お釈迦様の考え方が 死後500年たって生まれたキリストに影響を与えたのではないか?。。。 そう思えたのですよ。

まさかァ~。。。!? 500年も経ってからお釈迦様がキリスト様に影響を与えたなんて考えられませんわァ~。。。 でも、なぜ、そう思われたのでござ~ますか?

だから、娼婦ですよ。。。 お釈迦様は財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けたのですよ。

 


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娼婦アンバパーリーの招待を受けた事とキリスト様と関係があるのでござ~ますか?

卑弥子さんはキリストと娼婦のマグダラのマリアの話を知っているでしょう!?

 

マグダラのマリア

 


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マグダラのマリアは、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。

マリヤ・マグダレナとも転写される。

正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。

伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』 (Golden_Legend)などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。

娼婦をも意味する「罪の女」(the Sinner)との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。


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このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。

イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられた。

ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張している。

しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。


出典: 「マグダラのマリア」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

でも。。。、でも。。。、マグダラのマリアが娼婦だったという証拠はないのではありませんか!?。。。 それは、あくまでも伝説の域(いき)を出ていないのでござ~ますわァ。

確かに、それは単なる伝説かもしれないけれど、昔の人は言ったものですよ。。。 “火の無い所に煙は立たぬ”と。。。 マグダラのマリアが娼婦だったと信じている人は 意外に多いのですよ。

つまり、そういう話が生まれたのも、お釈迦様が財産のある娼婦アンバパーリーの招待を受けた事実と関係あると、デンマンさんは主張するのですか?

 


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あのねぇ~、僕は別に娼婦に拘(こだわ)っているわけじゃないのですよ。。。 お釈迦様が娼婦だろうが、乞食だろうが、貧乏人だろうが、お金持ちだろうが。。。 とにかく、財産だとか地位だとか、性別に拘らずに、人間を平等に扱ったという、その精神ですよ。。。

つまり、“平等の精神”がキリスト様に受け継がれたとデンマンさんは考えているのですか?

だってぇ、そうでしょう! キリストはユダヤ人なのですよ。。。 ユダヤ人は選民思想に凝り固まっている人々だと言われている。。。 

 

選民としてのユダヤ人


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ユダヤ教において、選民性(chosenness)は、ユダヤ人が選民である: 神との契約のなかにあるという信仰である。

この思想はトーラー(モーセ五書)の中に最初に見出され、後のタナハ(旧約聖書)で詳述される。

このことに関する多くの事柄がラビの文学で見出される。

タナフ(ヘブライ聖書)によれば、選民としてのイスラエルの性格は、神のミツワー(commandments, 「命令」と訳すべきところだが、「戒め、おきて」などとも訳された)へのobedience服従、従順によって特徴づけられる。

 

“今、もしあなたがたが、本当に私の声に聞き従い、私の契約を守るなら、あなたがたは全ての国々の民の中にあって、私の宝となる。

全世界は私のものだから。

あなたは私にとって祭司の王国、聖なる国民となる”

(出エジプト記 19章5, 6節)。

 

主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも多かったからではない。

事実、あなたがたは、全ての国の民のうちで最も数が少なかった。

しかし、主はあなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖達に誓われた誓いを守られたから。

(申命記 7章7, 8節)


出典: 「選民としてのユダヤ人」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

“ユダヤ教”と言うのは、いわばユダヤ人のための宗教なのですよ。。。 だから、ユダヤ教徒はユダヤ人以外の人に、まず宣教することは無い。。。 キリストは、ユダヤ人でありながら、ユダヤ教の外に出たのですよ。。。 なぜなら、人種に関係なく人間は平等だというお釈迦様の考え方に感動したからですよ。。。

でも。。。、でも。。。、お釈迦様の生きた時代とキリスト様の生きた時代は約500年近くも隔たっているのですわァ~。。。 これをどのようにデンマンさんは説明するのでござ~ますかァ~?

簡単なことですよ。。。 お釈迦様の前世の話が書かれている“ジャータカ”の説話は500年以上も経ってから『千夜一夜物語』の中にも脚色されて出てくるのです。

 


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『ブッダと千夜一夜物語』


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『絹の道と千夜一夜物語』

 

お釈迦様が亡くなったあと、“シルクロード”を通じて お釈迦様の“人間平等の精神”がユダヤの地に住んでいたキリストの耳に達するのも充分に考えられることなのですよ。


初出:2016年4月2日


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ですってぇ~。。。
あなたはデンマンさんのお話を信じることができますか?

なるほどと思われた方は救われるかもしれませんわァ。

どうしてかってぇ~。。。?

昔の人は言いましたわァ。

“信じる者は救われる”と。。。

娼婦のお話が出てきましたけれど、

実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。

ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?

“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!
うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

“お釈迦様とキリスト様と娼婦”のお話も、大変興味深いですけれど、

日本の古代にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。

だから、あなたのために平安史、古代史の記事を用意しましたわァ。

ぜひ お読みくださいまし。
では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


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『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』

『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『修道院の悲劇』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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ハロウィン人気

 

ハロウィン人気

 


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デンマンさん。。。、4月にハロウィンなんてぇ、季節外れじゃありませんかァ~?

そうなんですよ。。。僕もそう思います。。。

それなのに、どういうわけでハロウィンを取り上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

 

これはアメブロの僕の「バークレーの書きたい放題!」の記事に付いた「いいねリスト」です。。。赤枠で囲んだ個所に注目してください。。。

あらっ。。。Halloween@Shibuya  に「いいね」が43個付いてますわねぇ〜。。。

そうなんです。。。この記事は2017年の11月2日に投稿したものなんですよ。。。

今から6年以上前に投稿した記事に どうして今頃になって「いいね」を付けたアメブロ会員がいたのですかァ~?

ちょっと次のリストも見てください。。。

 


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『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

 

あらっ。。。「いいね」が43個付いてますけれど、最近になって「いいね」を付けたのは 「沙彗奈らんこ」 さんと 「Museum Shop」の二人ですわねぇ~。。。でも、どういうわけで季節外れなのに Halloween@Shibuya を読んだのですか? しかも、この記事はデンマンさんが英語で書いた記事ではありませんかァ~。。。

あのねぇ~、英語は、今や、世界の共通語ですよ。。。だから、大学を卒業してからも英語を勉強しているネット市民は、けっこういるのですよ。。。その証拠が上のリストです。。。Halloween@Shibuya に「いいね」が43個付いている! 現実主義者 馬鹿の見本 には「いいね」が  1368個付いている! その次に多いのが Halloween@Shibuya なのですよ。。。

英語に堪能なネット市民が けっこういるという事ですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。英語が読めなかったら「いいね」を付けることができませんからねぇ~。。。

でも、どういうわけで 季節外れの Halloween@Shibuya を読んだのですか?

英語は世界共通語だとは言うけれど、英語を習得するという事は難しい。。。もう30年以上も昔のことになるけれど、AFS 交換留学生としてアメリカに留学していた高校2年生の服部剛丈(はっとり よしひと)君(当時16歳)がハロウィンの当日、パーティーに参加するために、ホームステー先のクラスメートと共に出かけたのです。。。ところが家を間違えてしまった。。。奇妙な仮装をしていたので、その家の主婦が警戒してドアを閉め、夫に銃を持ってくるように言った。。。

それで服部君は撃たれてしまったのォ~?

夫(ピアーズ)は、銃を構えて、「フリーズ(Freeze 日本語で「動くな」の意)」と言った。。。服部君はピアーズに対し「パーティーに来たんです(We’re here for the party.)」と説明しながら車庫の中に入り勝手口に近づいた。。。動くな、と言ったのに、無視してやって来たので夫は銃を発砲した。。。弾丸は服部君の左肺を貫いた。。。救急車が呼ばれたが、服部君は出血多量により搬送中に死亡したのです。。。

 


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日本人留学生射殺事件

 


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日本人留学生射殺事件は、1992年10月17日にアメリカ合衆国・ルイジアナ州バトンルージュ市の郊外で日本人留学生が射殺された事件である。

当時高校2年生だった16歳の日本人留学生(以下「被害者」と呼ぶ)は、英語好きの母親の影響もあって幼い頃からアメリカに憧れを持ち、愛知県立旭丘高等学校に通っていた2年生の夏、AFS (交換留学)を通じてアメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュを訪れ、ホームステイ先である大学教授の父親、医師の母親、同年代の高校生の長男(以下、”A”と呼ぶ)の3人一家の元で留学生活をしていた。

1992年10月17日夜、被害者はAの運転する車に乗り2人でハロウィンパーティーへと出掛けた。
この際被害者は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』で主役を務めたジョン・トラボルタの衣装を模して借り物のタキシード、黒のパンツ、シワのついた白いシャツを着ていた。

同行していたAは事件の数日前にプールへ飛び込んだ際に首を痛めギプス包帯を巻いていた事から、ショーツとテニスシューズを組み合わせ、頭や手足に包帯等を巻きつける事で交通事故の被害者を模した格好に仮装していた。

しかしAが会場周辺の地理に不慣れであったことから訪問先の家を間違え、ロドニー・ピアーズ(当時30歳)一家の住む家へと辿り着いた。
2人はそれに気づかないまま玄関のベルを鳴らし、勝手口で応対したピアーズの妻は玄関先の2人を見つけるとすぐさまドアを閉め、夫に銃を持ってくるよう要求した。

それに応じてピアーズは寝室からレーザースコープ付きのスミス&ウェッソン社製.44マグナム拳銃を持ち出し勝手口へと向かい、2人に向け構え、「フリーズ(Freeze 日本語で「動くな」の意)」と警告した。
だが被害者はピアーズに対し「パーティーに来たんです(We’re here for the party.)」と説明しながら車庫の中に入り勝手口に近づいた。

この行為からAはフリーズを「プリーズ(Please 日本語で「こっちへ来い」という意で使われる時がある)」と聞き間違えたともみられる

ピアーズは発砲し、弾丸は被害者の左肺を貫いた。
救急車が呼ばれたが、被害者は出血多量により搬送中に死亡した

 

刑事裁判

ピアーズは、日本の刑法では傷害致死罪に相当する「計画性のない殺人罪」で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員は12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪の評決を下した。
その際ピアーズ側は以下の通りに主張した。

ピアーズが警告したにもかかわらず、被害者が立ち止まらずに至近距離まで歩み続けたため、脅威に感じ発砲した。
被害者が手に持っていたカメラを凶器と誤認してしまった

評決の理由は裁判において明らかにされていない。
ルイジアナ州の法律では、屋内への侵入者については発砲が容認されているが、撃たれたとき被害者は敷地内に踏み込んではいたものの、屋内へ立ち入ったわけではない。

通常、発砲は認められていなかったにもかかわらず無罪評決が出たが、正当防衛が認められたものか、傷害致死罪の犯罪構成要素を満たしていないと陪審員が判断した結果なのかは不明である。

ただし日本のメディアは、発砲が正当防衛と認められて無罪となったことや、被害者が警告を理解できなかったなどの文化の違いを原因として報じる傾向があった。

ピアーズは刑事裁判後『ニューヨーク・タイムズ』の記者に対し「もう二度と銃を手にすることはないだろう」と語ったことがあるが、その後銃を手放したかどうかは不明である。

 

民事裁判

この後行われた、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判は、刑事裁判とは正反対の結果となった。

まず、原告側のムーア弁護士は裁判の公平性を確保すべく、感情で判決が左右されることもある陪審員裁判ではなく、証拠に基づいて判決を行う判事裁判にすることを狙った。

アメリカでは陪審員裁判にする場合、原告・被告のどちらかによる事前の申請と費用負担が必要であり、それがない場合は自動的に判事裁判になる。
ムーア弁護士はそれを逆手に取り、陪審員裁判の準備をしているように見せかけて期日までに費用を払い込まなかったため、被告側弁護士が気がつくのが遅れ、判事裁判となった。

まず、ムーア弁護士は、ピアーズと被害者の距離には矛盾があると指摘した。
刑事裁判におけるピアーズ側の弁護士は2人の距離が90cmから150cmしかなかったと主張したが、ピアーズの腕の長さと全長21cmのマグナムを考えると2人の距離はそれに加えてさらに1mはあったはずであり、ムーア弁護士が銃の専門家に確認すると、歩いてくる人間を至近距離で撃った場合、撃たれた人間は歩く勢いで1mほど前に倒れ込むと証言した。

刑事裁判において専門家が出したという90cmから150cmという数値は、銃口から被害者までの距離であり、別の専門家の鑑定によると、2人の距離は190cmから250cm離れていた。

そのため、被害者は屋内へ立ち入ったわけでもなく、玄関からも数メートル離れていたこととなるため、後ろに下がりドアを閉めたり、応対せずに警察を呼ぶなどの選択肢もあったのに、ピアーズは威嚇射撃ではなくいきなり被害者の胸に向けて発砲したこととなる

刑事裁判で弁護側はこの事実を伏せ、ピアーズと被害者の距離が近かったためにやむなく発砲したと主張し、陪審員たちを無罪評決へ導いたことが明らかとなった。
警告したにもかかわらず被害者が近距離に接近してきたとの主張については、法医学的証拠により、被害者はゆっくりとしか動いていなかったことが証明されている。

しかも、刑事裁判でピアーズ側は被害者が手に持っていたカメラを凶器と誤認したと主張していたが、民事裁判ではカメラには気づいていなかった、すなわち手ぶらに見えたと証言を翻した

他にも、身長170cm、体重61kgの被害者に対し、身長188cm、体重84kgのピアーズに体格差による恐怖心は起きにくかったことや、熊をも撃ち殺せるマグナムを構えておきながら、恐怖を感じ、威嚇射撃や足などへの射撃もせず、いきなり急所へ向けて発砲したのは不自然であり、殺意があった証拠だとムーア弁護士は主張した。

また、大口径である.44マグナムの拳銃は家にあった6丁の銃の一つだが、玄関にあったライフル銃ではなく、わざわざ寝室まで取りに行き、持ち出しに時間もかかるクローゼットの中から取り出したことを指摘した。

また、ムーア弁護士は新たな事実として、ピアーズは当時家に6丁も銃を持つガンマニアで、鹿狩りが趣味と公言し、銃愛好家であることを提示した。
その上、当日はウイスキー・コークを飲んでいたため、判断力が低下していたこと、妻の前夫とトラブルを起こしており、事件の前に前夫に対して「次に来た時は殺す」などと言っていたなどの事実を明らかにした。

そのうえ、ピアーズ夫妻は、警察からの聴取や裁判で矛盾する証言を行なっていた。
例えば、ピアーズは当初、過去2年間に銃を使用したことは一度もないと証言していたが、実際は2年間に200回以上もの射撃をしていた。

これらの事実を踏まえ、正当防衛ではなく、殺意を持って射殺したとして65万3000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出された
翌年、同州高等裁が控訴を棄却したため判決が確定した。

 

その後

ロドニー・ピアーズおよびその妻や親は、裁判所に命じられた賠償金65万3000ドルのうち、2022年現在に至るまでその一切を支払っていない。
服部夫妻側に支払われたのは、ピアーズが自宅にかけていた保険によって支払われた10万ドルのみである。

ピアーズはこの事件により職場(ウイン・ディキシー・スーパーマーケット)を解雇され、賠償金を一切支払わないまま自己破産した。
その後ピアーズ夫妻は街を出ていき、現在の消息は不明である

被害者の両親は交換留学生と友人たちの協力で「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始、1年余で170万人分を超える署名を集めた。
1993年11月、当時のアメリカ大統領ビル・クリントンに署名を届けるために面会した。
服部夫妻がワシントンD.C.に滞在していた間に、アメリカにおける銃規制の重要法案であったブレイディ法が可決された。

日米間の文化の違いを乗り越え相互理解を促進することを目的に、被害者の両親は生命保険の支払い金を原資として、AFS留学生として日本に滞在するアメリカの高校生に毎年1人ずつ奨学金を提供する「YOSHI基金」を1993年6月に設立した。

AFSが翌年から毎年実行している他、各種行事や活動内容を記事にして公開している。
被害者の遺族はまた、支払われた賠償金の10万ドルのうち、弁護士報酬および裁判費用を除いた4万5000ドルを原資として、「Yoshi’s Gift」を設立し、アメリカ国内の銃規制団体を援助している。
1996年の初年度はバージニア州およびニューハンプシャー州の銃規制団体を援助、その後も公式サイト上で1998年、1999年、2000年、2002年、2004年の活動を報告している。

2012年10月18日、被害者の両親はルイジアナ州を訪れ、追悼式典、銃規制の会議に出席した。
母親は「銃をめぐる状況は停滞しているが、希望が見えてきた。尊敬される米国になってほしい」と述べた。

中国系アメリカ人の女性映画監督クリスティン・チョイは『世界に轟いた銃声』(原題:The Shot Heard Around the World)というドキュメンタリー映画を製作した。
この映画では民事訴訟におけるピアーズの様子のほか、被害者の母親も出演している。
そこで彼女は息子を射殺した男性もまたアメリカの銃社会の被害者かも知れないと発言している。

バトンルージュでは銃規制団体が10月17日を「YOSHIの日」として祈念行事を行っている。

2022年3月に事件時に被害者と同行していた男性Aが自殺していたことが報道された。

 

事件の背景

この事件は、銃を身近にある日常的なものとして暮らしているアメリカと、日常生活において銃を目にする機会がほとんどない日本とで、銃に対する意識が大きくかけ離れていることを互いに認識させる契機となった。

アメリカ合衆国には、アメリカ合衆国憲法の権利章典にて、銃で自らや家族を防衛すること(武装権)を認める権利が存在するので、他人の敷地に許可なく侵入することの危険性、射撃の警告を受けた場合の対処の仕方(例えば警官に職務質問などにおいて警告を受けた場合、絶対身体を動かしてはならない)などのアドバイスが、外国人に対して必要という指摘もある。

その後夫婦はストップ・ザ・ガンキャラバン隊に参加し、The Coalition to Stop Gun Violence (CSGV)と連携して活動している。

映画評論家の大場正明は事件の背景として、銃社会のほかに、当時のアメリカの新興住宅地に蔓延していた犯罪への恐怖や人種偏見などを指摘している。


出典: 「日本人留学生射殺事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

銃規制が徹底していたら、服部君は死ななくても済んだのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。もしアメリカが日本並みに銃規制をしていたら、こういう事件は起きなかったはずです。。。

それにしても、服部君と同行していたアメリカ人のクラスメートがいたのに、どうして服部君を止めなかったのでしょうか?

アメリカ人の級友はフリーズを「プリーズ(Please 日本語で「こっちへ来い」という意で使われる時がある)」と聞き間違えたのではないか、と言われているのですよ。。。でも、責任を感じたんでしょうねぇ~。。。2022年3月に自殺しているのですよ。。。

30年後ですわ。。。責任を感じていたら、事件の直後か? 翌年にでも自殺するのではありませんかァ~?

本人に訊いてみない限り真相は分かりません。。。死人に口なし。。。今となっては、真相は闇の中ですよ。。。とにかく、服部君が「フリーズ(Freeze)」をちゃんと聞き取り、その意味を理解していたら、この事件は起こらなかった。。。

外国人が英語を習得するのはマジで難しいのでしょうねぇ~。。。

そういうことですよ。。。ジューンさんが日本語を習得するのが難しいように、僕が英語を習得するのも難しのですよ。。。20年以上も英語に親しんでいるけれど、未だにまごつくことがあります。。。でも、僕は「フリーズ(Freeze)」を聞き間違えることはありません。。。なぜなら、英語のギャング映画を含めて 6000本以上の映画を観ていますから。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

ギャング映画をたくさん観ていれば、警官が犯人を目の前にして「フリーズ(Freeze)」と叫ぶのを何度も見ているはずですわねぇ~。。。

そうです。。。だから、映画を観ることも 時には命拾いすることになるかもしれないのですよ。。。

ところで、「いいね」を付けたアメブロ会員の二人は、この事件を知ってHalloween@Shibuya を読んだのでしょうか?

いや。。。この記事には、事件の事は何も書いてありません。。。多分、二人とも英語が堪能で、ネットでハロウィンの事を調べていたのでしょう。。。


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、アメリカに行くことがあったら気を付けてくださいねぇ~。。。

10代や20代の日本人の男女がアメリカでは銃で殺されています。。。

アメリカに行くのだったら、英語だけは、できるだけしっかりと勉強しておいてくださいませぇ~。。。

命にかかわることですから。。。

ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他にもっと面白い話でもしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのでござ~♬~ますかァ~?

いけ好かないお方ァ~。。。!

分かりましたわ。。。じゃあ、、ローレル&ハーディのドタバタ喜劇があります。

面白いので、ぜひ観てくださいまし。。。

 

 

どうでした? 笑いが止まりませんでしたかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で 更に、あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

いけ好かないお方ァ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


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ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


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スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


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いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


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『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『タイタニック@スリランカ』

『蜂@泣きっ面』

『外人が知っている美しい日本』

『腰使い 熟女』

『熟女の下着姿』

『腰を使う熟女』

『ブログランキング』

『曇ってきた@英語』

『出会い系より腰を使う熟女』

『ブリスベンの従妹』

『アヒルが行く』

『英語ペラペラ勉強法』

『ブラウザとOS』

『二千二夜物語』

『大晦日のおばさんパンツ』

『下着の人類学』

『万夜一夜@ロンドン』

『ヒトラーとトランプ』


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『ロマン@マルタ島』

『下着の人類学@大阪』

『ハロー@ロックビル』

『孀婦岩の人気 なぜ』

『マグダラのマリア 娼婦か聖女か?』

『マグダレンの祈り』

『女子大生の多い混浴』

『アンネフランクの言葉』

『ビクトリア朝の慎み』

『銭湯と円タク』

『女装ブログ』

『注目記事』


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『風邪が治るまで』

『ひょうたんde徒然』

『アヒルが並んだ』

『なぜ骨なの?』

『にべもない』

『やぶさかでない』

『おかしなパンツ』

『みもふたもない』

『自動翻訳はダメ』

『慫慂』

『ヤンキー』

『及び腰と二の足』

『ジューンさんの従妹』

『ナマズにされた』

『美術解剖学』

『太ったチャンス』

『ジューンさんの下着を探して』

『おおどかさ』

『高級娼婦@パリ』


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『パリの高級娼婦』

『パリのコールガール』

『熟女SEO』

『緑園の天使』

『ジューンさんに魅了され』

『日本のおばさん 生姿』

『仏とアラビアンナイト』

『混浴オフ会ブログ』

『海外美女・海外美少女』

『ん?ボロックス』

『小さな村の魅力』

『小さな村がなぜ?』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
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『ローレル&ハーディ』

『こんな仕事があった』

『少年大統領』

『ベロニカとの記憶』

『混浴ブーム』

『熟年主婦の下着』

『卵とボロック』

『ハイパティア』

『アマサス』

『混浴ブログを探して』

『日本おばさん生姿』

ジューンさんの熟女下着
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『ユーゴーの娘』

『熟女の下着』

『ヤノマミの少女』

『白骨死体』

『混浴ブームだよ』

『処女マリア』

『マルタ島』

『ゴッホは殺されたの?』

『熟女ランジェリー』

『熟女@ランジェリー』

『スクロンクリッシュ』

『7人の美女と現実主義者』

『スクロンクリッシュ後日談』

『ほとぼりが冷める』

『スクロンクリッシュ再訪』

『ゴッドファーザーズ』

『お開き』

『初恋』

『混浴ズラズラ』

『熟女がいっぱい』

『劉沐宸?』

『熱心な読者』

『パパサーチ』

『熟女下着とSEO』

『ハロルド・ロイド』

『上海される』

『フェルメール@6000』

『混浴に惹かれて』

『実はあった王様の墓』

『新年への祈り』

『危険な上海』

『トランスジェンダー』

『日本語の難しさ』

『大谷翔平とハイテク』

『大谷翔平騒動』

『めちゃくちゃ』

『チャンプ』

『美女と美尻』

『ヤノマミの誘惑』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


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ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


『センスあるランジェリー』


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神武君が迷える子羊に

 

神武君が迷える子羊に

 


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すんまへん。。。

デンマンさんがまた

オイラを呼び出したのです。

なんと、神武君が迷える子羊に

と決めつけてオイラを呼び出したのです。

 

オイラが迷える子羊になるなんて

バカバカしいにも

ほどがあるというものです。

そんなことにでもなったら

あの有名なクローンのドリーよりも

有名になってしまいます。

 


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すでに悪名高くなっているオイラが

ますます有名になって

今年の紅白歌合戦の白組の司会者に

抜擢されるかもしれません。

きゃはははははは。。。

 

いったいどういうことなのかァ?

どうか貴方も最後まで

読んでくださいね。

お願いします。

きゃはははははは。。。


『セクハラ止めない神武君』


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神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

デンマンさん。。。いったい どういうわけで ありえないタイトルを書いてオイラを呼び出したのですかァ〜?

オマエは不満なのォ〜?

不満と言うより、バカバカしいではありませんかァ! オイラが子羊に成るなんて誰も信じませんよゥ。。。タイトルを見ただけで、半分以上のネット市民の皆さんが他のブログへ飛んでしまったと思いますよ。。。

あのさァ〜、オマエのオツムには腐った豆腐が詰まっているので、そのようなバカバカしいことを考えるけれど、多くのネット市民の皆様は、オマエが子羊に成るなどとは、端(はな)から思わないんだよ。。。

じゃあ、なんで誤解を招くようなタイトルを書いたのですかァ〜?

これは例えだよ。。。つまり、オマエは人間としての道を踏み外して、まるで母羊の元をはなれた子羊のように人生の道を迷っている。。。つまり、実の母親がオマエを虐待したので、オマエは女性恐怖になってしまった。。。そういうわけで33歳にもなるのに未だに童貞なんだよ。。。母親に対する憎しみは母親に向かわないで、無関係なデッカイブーツさんや、すでに亡くなっているメグさんに向かい、これまでに多くのセクハラ・コメントを書いて女性をイジメ、侮辱してきた。。。そうやって、オマエは母親に対する恨みを晴らしているのだよ!

いけませんか?

当たり前だろう? オマエだって、うしろめたいものを感じている。。。だから、デッカイブーツさんに会う夢を見ると、次のような告白文を書いて僕に送ってよこした。。。

 


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オイラが書いたオリジナルの告白文

 

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

程なくして、俺は4週間前にデッカイブーツと訪れた喫茶店に到着した。ここへ来る途中何度も携帯で日付を確認した。間違いなく今日で合っているはず。
時間も、あの日とちょうど同じ時刻だった。日時は問題なし。場所もここで間違いない。何も問題はないはずだった。

だが、どうしても拭いきれない不安がある。今日ここに来るまでも、もっといえば何日も前から不安だった。果たして、デッカイブーツは来てくれるのかどうか。今まであれだけセクハラコメントを書いて馬鹿にしてきたのだ。

来てくれと言ったのは確かに向こうだ。けど、だからといってそれは口約束だ。俺が約束を守ったとしても、相手が守ってくれるとは限らない。
そんなことはこれまでの人生で嫌になるほど思い知っている。なぜなら、俺は嘘つきで相手の期待を何度となく裏切ってきたからだ
口約束なんて、相手の気が変わればすぐにでも反故にされるものだ。無論、デッカイブーツがそんな女じゃないと信じたい。

これまで接してきた中で見てきたデッカイブーツの性格、人柄からしても、人を裏切るような女には見えない。だから大丈夫なはずだった。
それでも不安が消えない理由は、デッカイブーツではなく むしろ俺の方に原因がある。俺は不安だった。彼女ともう会えなくなるのが怖い。そう感じる。

たった数回会って話をしただけで、別にこれといって深い関係でもないデッカイブーツに会えなくなるのがどうして怖いかといえば、それは彼女とのつながりがなくなればもう俺の周りにまともな人間は一人も残らないからだ。俺には、友達と誇れるような友達は居ない! 残るのは、喪蛾のような醜悪で低俗で、いい歳してエロゲをやってるような最低の人間だけ。

まともな人間とのつながりがなくなれば、俺もそれと同列になる。つまりはそいつの仲間入り。それだけは嫌だ。地獄行きを宣告されたに等しい絶望だ。
だから俺はセクハラで嫌がらせをしていたけれど、デッカイブーツに見捨てられたくないのだ。

デッカイブーツに人権無視、誹謗中傷、名誉毀損、侮辱罪で訴えられたら、俺の人生は一巻の終わりになってしまう! 頼む、俺をそんなクズどもと同じゴミ溜めに送らないでくれ…裁判にかけないでくれデッカイブーツ…そう祈りながら、俺は汗ばむ手で扉を開けた。

入ってすぐ、店内にデッカイブーツの姿を探す。

 

 

…いた!一番奥の、窓際の席。そこにいたのは間違いなくデッカイブーツだった。ああよかった…ちゃんと来てくれていた。当然と言えば当然のことだが、それだけで俺はほっと胸を撫でおろす。来てくれたということは、まだ俺のこと見捨ててないということだ。

とりあえずそれだけでも安心した。ほっとしたところで改めてよく見ると、雑誌か何かだろうか、デッカイブーツは何か本を読んでいるようだった。俺は歩み寄って声をかける。

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

「お待たせしました、そらまめさん」


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「あ、神武君」

デッカイブーツは本を閉じ、俺に笑顔を向ける。

「お久しぶりです、神武君。。。あ、どうぞ掛けてください」

「あ…、はい」

促されて俺はデッカイブーツの向かいに腰掛ける。そして適当に注文を済ませたところで、先にデッカイブーツが口を開いた。

 

 

「つかぬ事をお聞きしますが、大学生の頃の春休みって何されていたか覚えてます?」

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

大学生の頃の春休み…? 改めて聞かれると記憶が曖昧だった。というか、正直言うと何もしていなかったように思う。昼間はゲームをやって、夜は麻雀をやる。それもやらない日は何もやらずに寝ているだけの日も多かった。むしろそっちのほうが圧倒的多数だった気がする。

「ええと、家で過ごすことが多かったです。あんまりやることがなくて…」

「若いうちは一度だけですわ。セクハラ、誹謗中傷、名誉毀損、罵詈雑言、嫌がらせンもコメントを書く暇があったら、小説家になるために、文学、社会学、心理学、あの連続殺人犯の永山則夫が獄中で独学したように、神武君もせいぜい読書してください」

やはり年上の女性は言うことが違う。

「あ、私が抽象画を描いていることって話しましたっけ?」

「え…?いえ、初めて聞きました」

「実は、個人的に注目していたニューヨークの名物カフェのアート展参加が決まりました。目下、一生懸命に出品する作品に取り掛かっています。作品ができあがったら、神武君にも知らせますね」

「え…、ええ楽しみにしてます」

 


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『拡大する』


『ますます自分を見失う神武君』

神武君がセクハラで利用する個人情報は黒塗りで潰してます

 


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ナイショの嬉しい個人的なニュースがあります

^_^

(本当にナイショで)

過去の負の感情をキチンと整理し、新たな絵の師のもとに入門

基礎力をつけるためデッサン教室にも週イチで参加開始。

費用はかかりますが、目標を目指します。

コツコツと国内国外で地元で作品発表を続け、値段つけてもおかしくない作品を実力で制作出来るとこまで、まずレベルをあげる事。

一番の目標は自分自身と向き合い、追究し、自分自身の人生最高と納得出来る作品を作り出す事。

個人的に注目していたニューヨークの名物カフェのアート展参加が決まりました。

査定基準は卑猥表現でなければOKと言うゆるさ。

絵本やイラストがメインなのにガチガチの抽象画が売れるかは謎(笑)

やるだけやってみます

(^^)/

売上は戦争被害者や難民キャンプに寄付されます。

お金持ちも浮浪者も色んな性的嗜好者も様々なバックグラウンドをもつ人々が集まるNYのカフェに作品出すのは嬉しいです。

在宅のイラストの仕事にも応募中、結果はまだ、決まりません。

3月に決まればベスト。

震えながらも、まず一歩からですから。

ニューヨークのカフェ出品公開は6月〜7月です

URLを貼りますので、暇つぶしに見て下さい。

その間に地元グループ展4つこなすと言うスケジュール

^_^;

 

頑張ります!!

 

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

彼女に合わせて、俺は愛想笑いを返す。正直なところ、美術のことなんて何もわからない。ネットじゃ自由業だと名乗ってるが、実際は無職。嘘ばかりついているので、なんだか後ろめたい。…そういうわけで、なんだか後ろめたくて顔を伏せた。

「それで、神武君は最近どうですか?」

「えっ…」

俺はビクッとして思わず顔を上げる。そこで俺の話題になるのか…

「ええと、そうですねぇ〜…」

待て、ここは落ち着くんだ…向こうからこう聞いてくれたということは、良く考えれば今の俺の現状を話すチャンスでもある。けど、一体何から話そう…

「やっぱり、お仕事は決まりそうにない、といった感じですよね」

うっ…! あまりにストレートな言葉が胸に突き刺さる。俺はニートだ! 女性に、しかも年上にこう言われると男として一層惨めになる。俺は何も言えず、ただ黙ってうなずくしかなかった

「すいません、失礼なことを聞いてしまいましたね。神武君は悪くないです。こういう時世ですから、それも致し方ないことです。私の後輩も、思うように就職活動が進まない方も少なくありませんし…」

そこで俺は意を決して、本当のことを話すことに決めた。

「…実は今、生活保護を受けて暮らしているんです」

「生活保護、ですか」

デッカイブーツは、「そうだろうなァ〜!」と言うような表情を見せる。俺は、ちょっとバカにされたように感じたが俺は構わずに続けた。

「…はい、生活保護を受けて、家で寝てばかりいます。酒を飲んで、たまに出かけるところはパチンコ店か雀荘です。そこでの勝ち負けに一喜一憂するだけの毎日。もう、今更普通の会社に戻るなんて無理なんです。俺はもう、頑張れない人間になってしまったんですよ…」

「そう、だったんですか…」(でも、デッカイブーツは「それが当たり前だよ」というような表情を浮かべているのだ!)

デッカイブーツは哀れむような顔で俺を見つめる。これでよかったんだろうか?今の現状を話すと決めてここへきて、実際に今話した。
しかし話したところで何もなりはしなかった。かえって辛いだけ。やっぱり話すべきじゃなかったのか?余計なことは話さず、何か聞かれてもごまかしておけばよかったのだろうか?

そうしようと思えばできたのかもしれない。けど俺は嫌だった。いつものように嘘をついて、ごまかして、本当の今の現状さえ話すことができない。それじゃ俺と彼女は加害者と被害者の関係じゃない! 赤の他人同然じゃないか。

「でも」

少しの沈黙の後、デッカイブーツが言った。

「それでいいとは、思ってないんですよね?」

…思ってるわけない。俺は喪蛾とは違う。ギャンブルに明け暮れてのその日暮らし、毎月の支給日を待つだけの生活なんていいわけがない。それが一生続くとなればなおさらだった。

「でも、これ以外にどうしようもないんです。もう普通の会社に戻るなんて無理なんです」

「ええわかっています。私は神武君に、普通の会社に戻れなんて言いませんから安心してください」

もちろん戻れと言われても戻る気はなかった。けど、じゃあどうすればいいのだろう?普通の会社に戻らないということであれば、結局今の生活を続ける以外にない。八方ふさがりじゃないか。

そんな俺の心情を知ってか知らずか、彼女は黙り込んで何か考える仕草をする。一分、二分、三分、どのくらい経っただろう。どうせ考えたところでどうにもなるわけない、そんな無力感を感じてため息が出そうになったときだった。

「もし、頑張らなくても今の状況を変えられるとしたら、変えたいですか?」

そう、俺に聞いた。変えたいですかって、そりゃ変えられるもんならそうしたい。けど、それができないんだ。できることは全てした。けどどうしようもなかったんだ。変えられるとしたら…、なんて意味のない仮定にすぎない。

「神武君はもしかして、救いを必要としてるんじゃないですか?」

「救い…?」

デッカイブーツの言葉に俺ははっと息をのむ。救いを必要としている…?俺が?生まれてこの方、救いなど考えもしなかった俺が…?

「もし、神武君が救いを必要としているなら…」

そこでデッカイブーツは、何を思ったかおもむろに俺に向かって手を差し出す。

「私に、ついてきてくれませんか?」

…彼女が俺を救ってくれるというのか?こんな俺を?俺がダッチワイフを抱いて寝ていることを哀れに思って、33歳の童貞の俺に「筆下ろし」をしてくれるのだろうか?

 

 

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

マジで。。。? 彼女の目を見る。その目はどこまでも澄んで、とても嘘をついているようには見えなかった。

 

 

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

本当に彼女が救ってくれるとしたら、俺は救われてもいいのか…? 俺は自らに問いかけた。(バークレー注:33歳にもなって童貞の神武君はヨダレを出しながら、内心で感激している! 嬉しいのだ! 馬鹿かああああァ!)ここまで俺はずっと頑張ってきた。けど自分ではどうしようもなかった。試行錯誤の末にここまできたが結局、童貞のままだった。それなら…それならいいんじゃないのか?ここで救われても…

俺は、差し出された手を取ろうとした。しかし、その刹那、彼女の顔を見て思いとどまる。さんざセクハラコメントを書いて馬鹿にしたデッカイブーツに「筆下ろし」されるなんて男としてのプライドが許さない。

「…少し、考えさせてください」

俺は出そうとした手を引っ込めた。落ちぶれたアウトローの俺に残された最後のプライドだった。(バークレー注:こういうところが典型的な馬鹿なのねぇ〜!馬鹿がやせ我慢している! こういう時こそ、お言葉に甘えて「筆下ろし」してもらうんだよ! アホ!

「わかりました」

そこでデッカイブーツは何か考える仕草をし、それから何やら鞄を漁り始めた。そしてメモ用紙のようなものを一枚ちぎって、筆記用具を持って何かを書き始める。

「これ、私の連絡先です。気が変わったら連絡ください」

そういって差し出した紙には、携帯の電話番号とメールアドレスが書かれていた。彼女の連絡先…俺は少し迷ったが受け取った。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、今日はお付き合いいただいてありがとうございました。そろそろ暗くなりますし、これで失礼しますね」

それだけ言うと立ち上がって一礼し、デッカイブーツは去っていった。俺は黙ってその姿を見送る。本当にこれでよかったのだろうか…俺にだってプライドはある。いくら今の状況が望むものではないといっても、年上の女性に憐れみで「筆下ろし」されるのは、やっぱり男のプライドが許さないのだ。

だが、他に現状の童貞を打破できる方法がないことぐらい自分でもわかっていた。俺は女には嫌われるのだ! 自力ではどうにもできない。ふと、俺はデッカイブーツに渡されたメモを見る。もし自分でなんとかできるというなら、この紙はいらない。今すぐ破り捨ててしまえばいい。だがそれはできなかった。俺は、デッカイブーツがもう一度誘ってくれるのを期待しながら、物も言わずにメモを握りしめていることしかできなかった

(バークレー注: 愚かな神武君が男のプライドを持ち出して、せっかくデッカイブーツさんが33歳になる童貞の神武君に「筆下ろし」を申し出たのに、神武君は馬鹿だからやせ我慢する! どこまでも底抜けで 甲斐性のない馬鹿な男です!


『神武君の告白文第5弾』より
(2024年3月16日)

 

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

つまり、上の告白文に出てくるオイラは、まるで母羊から離れた子羊のように人生という道で迷っていると言うのですか?

そうだよ。。。オマエも、改めて読んでみて そう感じるだろう?

そう感じません。。。オイラは男のプライドを固持して純潔を守ったのです。。。

つまり、童貞でいることは、オマエにとってそれほど重要なことなのォ〜?

重要です。。。デッカイブーツがオイラを哀れみながら「筆下ろし」をしてくれたとしたら、オイラは童貞を奪われて後悔するはずです。。。

それってぇ、本心から言ってないよなァ〜?

どうして、デンマンさんはオイラの言うことを信じてくれないのですかァ〜? オイラにも男のプライドがあるのです。。。あれだけセクハラコメントを書いて馬鹿にしてイジメぬいたのに、そんなデッカイブーツに童貞を奪われるなんて、男のプライドが許しません。。。

でも、オマエは子羊のように上の告白文で、おどおどと迷っていたじゃないかァ〜!

デンマンさんは、オイラが迷っていたと言うのですか?

そうだよ。。。「他に現状の童貞を打破できる方法がないことぐらい自分でもわかっていた。… もし自分でなんとかできるというなら、この紙はいらない。今すぐ破り捨ててしまえばいい。だがそれはできなかった。俺は、デッカイブーツがもう一度誘ってくれるのを期待しながら、物も言わずにメモを握りしめていることしかできなかった」と、オマエは本音を漏らしていたんだよ。。。

つまり、この事を言うために、わざわざオイラを呼び出したのですかァ〜?

もちろん、それだけじゃない! ちょっと次のリストを見て欲しい。。。

 


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『拡大する』

『ますます自分を見失う神武君』

 

これはアメブロの僕のブログ「バークレーの書きたい放題!」の記事に付いた「いいねリスト」だよ。。。赤枠で囲んだ ますます自分を見失う神武君 に注目して欲しい。。。

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

37個の「いいね」が付いてますねぇ〜。。。

そうなんだよ。。。二桁以上の「いいね」が付いているのは上のリストでは3つだけ。。。その一つが 2月23日に投稿した ますます自分を見失う神武君 なんだよ。。。

だから どうだと言うのですか?

内訳のリストは次のようになっている。。。。

 


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『拡大する』

『ますます自分を見失う神武君』

 

この記事のリンクは、上の告白文の中に出てくる。。。デッカイブーツさんのメッセージのすぐ下に出てくるのだよ。。。オマエにセクハラコメントを書かれて、馬鹿にされ、侮辱され、イジメられているデッカイブーツさんというのはどういう人なのだろうか?。。。その事が書いてあるに違いないと思って、多くのネット市民の皆さんが ますます自分を見失う神武君 を読むのだよ。。。

神武君 セクハラ 妄想 ネットの嫌われ者 イジメ 嫌がらせ

それで感動して「いいね」を付けるのですか?

この記事には、ますます自分が分からなくなったオマエが 盛んにデッカイブーツさんにセクハラコメントを書いてイジメ、バカにして、侮辱している事が書いてある。。。ところが、デッカイブーツさんは、それにもめげずに負の感情をきちんと整理し、アーティストとして前向きに作品に挑み、世界に羽ばたこうとしている。。。

つまり、自分を見失った迷える子羊のオイラと、世界に羽ばたこうとしているアーティストのデッカイブーツの対比に感動して「いいね」を付けたのですか?

そうだよ。。。その素晴らしい生き様のデッカイブーツさんが「筆下ろし」をしてあげようとしたのに、33歳の愚かな童貞のオマエが、心にもない「男のプライド」を持ち出して断ってしまった。。。オマエが実に哀れで可哀相だと思ったのだよ。。。

それで「いいね」を付けたのですか?

違うだろう! オマエにセクハラコメントを書いてイジメられ、バカにされ、侮辱されたにも関わらず、オマエに救いの手を差し伸べるデッカイブーツさんに感動したのだよ!

つまり、オイラは、心にもない「男のプライド」などを持ち出さずにデッカイブーツに身を任せて「筆下ろし」をしてもらうべきだったのですかァ〜?

その通りだよ!

分かりました。。。じゃあ、この次に会った時には、忘れずに「筆下ろし」をしてもらいます。。。 うへへへへへへ。。。

 


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

神武君は、他人に成りすましてまで セクハラ、名誉毀損、誹謗中傷誹、罵詈雑言、嫌がらせのコメントを書きまわっていました。。。

神武君がデッカイブーツさんや、すでに亡くなっているメグさんに対して書いた嫌がらせのコメントは、ちょっとひどいですよねぇ~。。。

 


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『セクハラ止めない神武君』

 

あなたも、神武君のコメントを読んでみて、ひどすぎると思いませんかァ~?

デンマンさんは、神武君に何度となく精神科のお医者さんに診てもらうようにと助言していますけれど、

神武君は、マジで精神科のお医者さんに診てもらうでしょうか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で あたしに強要するのですかァ~?

分かりましたわ。。。

かつて、めれんげさんの熱烈なファンがたくさんいたのでした。

でも、うっかり めれんげさんが会費を滞納したために、サイトを削除されてしまったのですわ。

けれども、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


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『現時点での検索結果』

現在��で『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


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でも、現在は、5位です。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着姿に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


(surfing9.gif)

メチャ面白い、

ためになる関連記事


(linger49.gif)


(rengey5.jpg)

『荒らしの神武君』

『誹謗中傷の神武君』

『セクハラ止めない神武君』

『セクハラする神武君』

『神武君は悪人』

『神武君は悪人』

『評判下げる神武君』

『サンメリと伊藤浩士先生』

『成りすまし専門の神武君』

『成りすまし専門の神武君』

『神武君の精神分析』

『神武君@ネット犯罪』

『神武現実君』

『神武君とMoGaさん』

『成りすまし馬鹿』

『神武君の染色体』

『メグさんをめぐって』

『成りすまし犯人』

『過信が誤解に』

『ネット犯罪者神武君』

『成りすまし犯罪常習者』

『神武君と恩師』

『6歳女児留学生と現実君』

『MoGaさんと神武君』

『悪名高い神武君@海外』

『成りすましバカ』

『善悪判断できない神武君』

『犯罪続ける神武君』

『神武君の子供の教育』

『神武君が読まれる』

『災い振りまく神武君』

『神武君の糠味噌脳』

『恩師をバカにする神武君』

『伊藤浩士先生を探して』

『伊藤浩士先生の娘が苦情』

『仲間にも嫌われる神武君』

『神武君の告白』

『救いようのない神武君』

『作文でバカにされる神武君』

『神武君の告白第3弾』

『神武君の哀れな人生』

『神武君@拡散』

『神武君は自分の事が解ってない』

『ますます自分を見失う』

『神武君の告白第四弾』

『迷走する神武君』

『神武君とブーツさん』

『神武君ますます迷走』

『神武君と連続殺人犯』

『神武君の告白第5弾』

『神武君のプライド』

『恩師を貶める神武君』

 


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ


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Diane Hypatia

Diane Hypatia

 


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Kato, how come you place my name right beside Hypatia?

Oh … Diane, do you know who Hypatia is?

Yes, of course, I know.  She is a Greek philosopher renowned for her beauty, isn’t she?

Oh …, ma ma mia … ooh la la … What an astounding jack-in-the-box!

Kato, what makes you so flabbergasted?

You know, Diane, not many people go to church these days.

I know.  I know.  But I don’t blame them.

Why not?

…’Cause there are so many diversions people are occupied with.  Going to movies is more exciting than going to church.  Sitting in front of the computer screen is much more fun than sitting on a hard bench in the church.

So, Diane, you don’t blame me for not going to church nor going to Buddhist temple, do you?

No, I don’t.  But why are you talking about church?

Well … you know, Hypatia was killed by a Christian mob.  Since you’re a devoted Christian and regular church-goer, you might have known the tragic incidents in the early history of Christianity—the murder of Hypatia, in particular.  That’s what I thought.

I see…, but, Kato, you aren’t a Christian, are you?  How on earth have you come to know Hypatia?

Well …I borrowed a DVD called “Agora” from Vancouver Public Library.


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“Actual Shelf Page”

I see… You viewed 237th DVD, didn’t you?

Yes, I did.  It is a historical drama about Hypatia.


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“Actual Catalogue Page”

You watched the above movie on May 2, and jotted down the comment in the above, huh?

Yes, I did.

Your comment is too long, Kato.  How come you always write a long comment?  Make it short and get to the point.

I was thinking about writing an article on this movie.  That’s why I made it long so that you will know for sure what the movie is all about.

Instead of a long comment, the trailer will do a much better job, won’t it?

The trailer is too short.  I don’t think you get a relatively full account of the story.  Let me tell you the outline.  I rewrite here the above comment with a number of still photos.

 

This is a 2009 historical drama directed by Alejandro Amenábar.
Rachel Weisz plays as Hypatia—a female mathematician, philosopher and astronomer in late 4th century Roman Egypt.


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Hypatia investigates the flaws of the geocentric Ptolemaic system and the heliocentric model that challenges it.
Surrounded by religious turmoil and social unrest, Hypatia struggles to save the knowledge of classical antiquity from destruction.
Max Minghella co-stars as Davus, Hypatia’s father’s slave.


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   Davus

Oscar Isaac plays as Hypatia’s student, and later prefect of Alexandria, Orestes.


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(Orestes sitting behind Hypatia)

The film starts in 391 AD.
By the end of the 4th century A.D., the Roman empire was on the verge of collapse.
Yet Alexandria, in the province of Egypt, still retained much of its splendor.
It boasted one of the seven wonders of the ancient world—the legendary lighthouse.
It was also proud of the greatest library on earth.


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The library was not only a cultural symbol, but also a religious one, a place where the pagans worshipped their ancestral gods.
The city’s long-established pagan cult was now challenged by the Jewish faith and a rapidly spreading religion until recently banned: Christianity.

After the storming of the library, many pagans converted to Christianity and Alexandria enjoyed a time of peace.
Hypatia continued her teaching and research, while her former disciples occupied important posts among the social elite.

The Roman empire finally split into two parts.
Many Christians saw this as a sign of the end of the world and decided to prepare themselves by living holier lives.
The story uses historical fiction to highlight the relationship between religion and science amidst the decline of Greco-Roman polytheism and the Christianization of the Roman empire.


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Cyril (Sami Samir)

The leader of the Christians, Cyril (Sami Samir), views Hypatia as having too much influence over Orestes and stages a public ceremony intended to force Orestes to subjugate her.
Hypatia’s former pupil, Synesius, now the Bishop of Cyrene, comes to her rescue as a religious authority counterweight, but says he cannot help her unless she accepts Christianity; she refuses.

Hypatia makes a personal discovery, theorizing that the Earth orbits around the Sun in an elliptic, not circular, orbit with the Sun at one of the foci.

Cyril convinces a mob of Christians that Hypatia is a witch and they vow to kill her.


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Hypatia among the mob

Davus tries to run ahead to warn Hypatia, but she is captured by the mob.
They strip Hypatia naked and are about to skin her alive until Davus persuades the mob otherwise, and they decide to stone her instead.
When everyone goes outside to collect stones, Davus secretly suffocates her to spare her the pain of being stoned to death and tells the mob that she fainted.
Davus leaves as they begin to stone her.

Hypatia’s mutilated body was dragged through the streets and burnt on a pyre.
Orestes disappeared, never to be seen again.

Cyril seized power of Alexandria.
Much later, Cyril was declared a saint and doctor of the Church.

Although none of Hypatia’s works survived, it is known that she was an outstanding astronomer and renowned for her mathematical studies for her conic curves.
1200 years later, in the 17th century, the astronomer Johannes Kepler discovered that one of these curves, the eclipse, governs the motion of the planets.
It is thought-provoking and quite fascinating!

 

Kato, how many more DVDs are you gonna borrow?

I’m trying to watch 1,001 movies in the library.

I see… So, the 1,001st movie will be “One Thousand and One Nights (Arabian Nights),” huh?

You’re telling me, Diane.

Tell me, Kato, what impressed you most.

Well … I’d say Pharos—the lighthouse of Alexandria, one of the Seven Wonders.


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And, of course, Library of Alexandria.

The lighthouse and the library … is that all?

Well … lastly, not the least important … Hypatia herself … Her talent, beauty and the tragic death.

You see, Diane, she is the last philosopher of the Hellenistic Era.  Cyril, the leader of the Christians, convinced a mob of Christians to kill her.  And her death, I think, actually started the Dark Age in the Christian world.

Why did he want to kill her in the first place?

Well … I think Cyril viewed Hypatia as a threat to his own dignity and power.  He must have understood that she was much smarter than himself.

So, Cyril’s inferiority complex and jealousy killed Hypatia. Is that it?

You’re telling me, Diane.  Cyril was a self-righteous, bigoted and opinionated man—the kind of guy I hate most in the human history.

Kato, you’re quite mad with him because he killed the most beautiful woman at the time, aren’t you?

No, not really.  Actually, I’m speaking on your behalf.

On my behalf?

Yes, I am.  If Hypatia had survived, she would have educated more women, some of whom would probably have gone into politics and gained the right to vote.

Do you really think so, Kato?

Yes, very much so.  Unfortunately, the Christian mob killed Hypatia, and the coming of other intelligent and politically-powerful women died with her.  Women had to wait for 1500 years to obtain the right to vote.

1500 years?

Yes, Hypatia was killed in 415.  The American women voted for the first time in 1920. The Japanese women voted in 1946.

Kato, are you a feminist?

Yes, of course, I am.


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【Himiko’s Monologue】

 

The Seven Wonders of the Ancient World refers to remarkable constructions of classical antiquity listed by various authors in guidebooks popular among the ancient Hellenic tourists, particularly in the 1st and 2nd centuries BC.

The most prominent of these, the versions by Antipater of Sidon and an observer identified as Philo of Byzantium, comprise seven works located around the eastern Mediterranean rim.

The original list inspired innumerable versions through the ages, often listing seven entries.

Of the original Seven Wonders, only the Great Pyramid of Giza (the oldest of the ancient wonders) remains intact.


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In any case, I hope Kato will write another interesting article soon.
So please come back to see me.

Have a nice day!
Bye bye …


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If you’ve got some time,

Please read one of the following articles:



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(sylvia16.jpg)

“First Love”

“Fright on Flight”

“Boy’s Movie”

“From Summer to Eternity”

“Sōseki & Glenn Gould”


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“Dream Dream Dream”

“In Search of Your Footprint”

“Little Night Music”

“Merry X’mas”

“Happy New Year!”

“Long live Diane!”


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“Mona Lisa”

“Flu Shot”

“Selfish TD Bank”

“Talk with Mozart”


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Climate of Doubt

Glory of Death

Big Mystery

Hitler and Trump

Hot October


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Hi, I’m June Adams.

Woman suffrage is the right of women to vote and to run for office.

Limited voting rights were gained by women in Sweden, Finland and some western U.S. states in the late 19th century.

International organizations were formed to coordinate efforts, especially the International Council of Women (1888) and the International Woman Suffrage Alliance (1904).

In 1893, New Zealand, then a self-governing British colony, granted adult women the right to vote and the self-governing British colony of South Australia did the same in 1895, but also permitted women to run for office.

Australia federated in 1901, and women acquired the right to vote and stand in federal elections from 1902, though uneven restrictions on Aboriginal women voting in national elections were not completely removed until 1962.

The first European country to introduce women’s suffrage was the Grand Duchy of Finland, then part of the Russian Empire, which also produced the world’s first female members of parliament in the 1907 parliamentary elections.

Norway followed, granting full women’s suffrage in 1913.

In most Western countries, women’s suffrage came after World War I, with some important late adopters being France in 1944 and Switzerland in 1971.

If Hypatia had survived, women might have gained the right to vote much earlier.

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デンマンプロフィール

 

デンマンプロフィール

 

(denmanprof9.jpg+balloons2.gif)


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(foolface2.png)

 

すんまへん。。。

デンマンプロフィールに一緒に出ろ!

とデンマンさんが言うので

目障りだとは思いますが

出てきてしまいました。

うししししし。。。

 

何でデンマンプロフィールに

出なければならないのか?

最近、オイラは反省して

セクハラ、名誉棄損、誹謗中傷

罵詈雑言、嫌がらせのコメントを

書くことを止めました。

 

オイラが落ち込んでいるのだと

思い、デンマンさんがオイラを

元気づけるために

呼び出したのだと思います。

 

デンマンさんとは2017年以来の

付き合いです。

持つべきものはネット友です。

 

オイラは、そのうちブログを

立ち上げますので

その時は、あなたもオイラのブログに

やって来てくださいね。

お願いします。


『現実主義者 馬鹿の見本』


(fool932.png)

『現実主義者 馬鹿の見本』


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引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺
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デンマンさん。。。 どういうわけでデンマンプロフィールにオイラを呼び出したのですかァ~?


(kato3.gif)

オマエは不満なのォ~?

いいえ。。。オイラは、こうして新年早々 デンマンさんに呼び出されてうれしいのです。。。やっぱりデンマンさんは、オイラが落ち込んでいると思い、オイラを元気づけるために呼び出したのですねぇ~。。。

いや。。。そうじゃない!。。。オマエは、嬉しそうにヨダレを垂らしながら喜んでいるけれど、僕はオマエを元気づけるために呼び出したわけじゃないのだよ。。。

じゃあ、いったい何のためにオイラを呼び出したのですかァ~?

ちょっと次のリストを見て欲しい。。。

 


(liv23-12-29.jpg)


『拡大する』

『下着女装の現実』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月30日の午前0時37分から午前2時57分までのアクセス者の記録だよ。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

あれっ。。。日本時間で午前1時46分に「にほんブログ村」からやってきて  下着女装の現実 を読んだネット市民がいたのですねぇ〜。。。

そうなんだよ。。。実は、札幌に住んでいる島津真弓(仮名)さんが読んだ。。。

 


(ip132131.jpg)


(susukino20.jpg)

&nbsp

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

もしかして、真弓さんは札幌のすすき野で働いているのですかァ~?

そぅなんだよ。。。実は、真弓さんはトランスジェンダーなんだ。。。すすき野にある、知る人ぞ知るトランスジェンダーの美人が働いているクラブで働いているのだよ。。。

真弓さんは、心身共に女になったのですか?

いや。。。。まだ性別適合手術は受けてない。。。その手術を受けるためにお金を貯めようと思ってクラブで働き始めたのだよ。。。

つまり、現在は、下着女装しているわけですかァ~?

そういうわけになるなァ~。。。でも、ホルモン注射で、オッパイは普通の女性と同じ程度に盛り上がっているよ。。。

なんで、そんな事までデンマンさんは知っているのですか?

真弓さんがメッセージで、そう書いてよこした。。。

見ず知らずのデンマンさんにそんなことまで書いたのですかァ~?

だから、 下着女装の現実 を読んだ後で、僕の人物を調べるためにプロフィールのページを開いたのだよ。。。

 


(mura23-12-29.jpg)


『拡大する』

『 デンマンプロフィール』

『下着女装の現実』

 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

真弓さんは上のプロフィールのページを開いてから Secret of Cleopatra を読んだのですか?

そうなんだよ。。。

 

Secret of Cleopatra

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(alexa10.jpg

 

Alexandria, the birthplace of Cleopatra, is located on the western edge of the Nile that flows into the Mediterranean. Stretching 20 Km along the coast, it was one of the largest cities in the world. Surrounded in the north by the Mediterranean, in the south by Lake Mareotis, in the east by the the Nile River, the city served as a perfect base for international trade among Europe, Asia and Africa.

But it was 69 BC, when Cleopatra was born. When Kato visited Alexandria in 2010, he couldn’t see the the glory of those days anymore.

 


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Seen from the window of the hotel room where Kato stayed is Pharos Island that was once offshore from the city but now connected to the mainland.


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Currently, the old fortress stands where once existed the ancient lighthouse—one of the Seven Wonders of the World. This huge lighthouse had a four-layer height of 130 meters. It is said that the light was visible from 55 km at sea.


『Secret of Cleopatra』より
(2023年11月23日)

 

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

これは英語の記事じゃありませんかァ! 真弓さんは英語が堪能なのですかァ~?

真弓さんは、高校生の時に交換留学生として1年間アメリカに留学した経験がある。。。それに、 北星学園大学の英文学科を卒業しているのだよ。。。だから、英語は日本人としては、ほぼ完ぺきに話せる。。。

 


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引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

それなのに、どういうわけですすき野のクラブでホステスとして働いているのですか?

 


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だから、性別適合手術を受けるためにお金を貯めて、カナダで手術を受けようと考えているのだよ。。。

引きこもり 現実主義者 偏差値 ネットの嫌われ者 イジメ 自殺

どういうわけでカナダなんですか?

真弓さんによると、世界の中でカナダは もっとも性転換に対する偏見が少ない社会の一つだと言うのだよ。。。だから、できることなら、カナダに移住したいと思っている。。。

それでデンマンさんにメッセージを出して、いろいろ相談したのですか?

いや。。。別に相談したというわけじゃないけれど、僕の記事を読んだり、カナダの事をさらに調べたりして、カナダが好きになったというわけだよ。。。

もしかして、デンマンさんは真弓さんと結婚しようと思っているのではありませんかァ~?

何を愚かなことを言ってるんだよ。。。年が違いすぎるよ。。。

年は問題ではありません。。。もしもデンマンさんが真弓さんと結婚しないならば、オイラが真弓さん結婚してもいいですか?

あのさァ~、そうやって勝手に決めるなよ。。。それよりも、ブログを立ち上げて、まともlな仕事に就くことが先決だろう!? 

 


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わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

やはり、仏のデンマンさんは

すばらしいです。。。

 


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『現実主義者 馬鹿の見本』

 

オイラが友達もなく、50ヅラさげて

結婚もできずに

狭い部屋に閉じこもっているにも拘らず

一生懸命に記事を書いて

第2の人生を踏み出して

オイラがまともな人間になるように

応援してくれるのです!

 

オイラがブログを立ち上げて記事を書けば、

今年のノーベル文学賞は村上春樹に代わって

オイラがもらえるということです。。。

 


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オイラは偏差値30台のクソ大学を

卒業して以来、初めて

生きる喜びを感じてます!

もうこうなったら、恥も外聞もなく

天にも舞い上がる気持ちで

スキップしたいと思います。


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わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

ああァ~、うれしいなあああァ~。。。

 

そこで、この記事を読んでいるあなたも

じっとしてないでオイラと一緒に

スキップしてねぇ~…

きゃははははは。。。

 

わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

もう一つおまけに

ルンルンルン ランランラ~♪~ン

ああァ~、うれしいなあああァ~。。。

 


(foolw.gif)


馬鹿ですよねぇ~。。。

なんでノーベル賞に飛躍するんだよ!?

自分で馬鹿を振りまいているのです!

この「現実主義者」は底抜けの

おめでたい愚か者です!

どうして これほどまでに人間は

馬鹿になりきれるのかァ?

僕には、もう付き合いきれません!

明日になれば、この愚か者は

今日のことはすっかり忘れて

また、同じ下らないコメントを

書くのですよ!

とにかく、“井の中の蛙”ですから。。。

でも、もしかすると、この馬鹿は

ブログを立ち上げないとしても

芸能界に入ったら伸びるかもしれません!

おバカ番組に出て

笑いを振りまくと思うのですよ。。。

 


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【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは「現実主義者」さんのように部屋に引きこもって退屈まぎれに、嫌がらせのコメントを書きまわらないでくださいね。

ええっ。。。 「そんなバカバカしいことをする暇はないよ! そんなことは どうでもいいから、もっと他に面白い話しをしろ!」

あなたは、私に、そのような厳(きび)しい口調で命令するのですか?

分かりましたわ。。。 

では、「紐パンツ」のゴムで、有名なバッハの曲を演奏した面白い人が居ます。

ぜひ聴いてみてくださいなァ。。。

 


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どうでしたか?

ええっ。。。「下らない曲を聴かせるな! 他に面白い話はないのかァ~?」

では、太田将宏さんのお話でも。。。

これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので

そのお返しをしたのですわァ。

だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!


(kogiroku9.png)

『実際の抗議録』

デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!

 

デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。

『嘘を書く日記』

 

太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。

でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには、特にアメブロには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています

太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。

また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、

相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って

読者に登録してしまったりするものですわァ。

どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと

てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、

メールアドレスで登録したりすると、

あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには

騙されないと思い込んでいるでしょう?

でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。

あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。

では。。。


(hand.gif)

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■ 『スカムの現実主義者』

■ 『女性に人気の現実主義者』

■ 『現実主義者タグ』

■ 『馬鹿の見本』

■ 『岩手の女と現実主義者』

■ 『現実主義者カテゴリー』

■ 『アスペルガーと廃人』

■ 『荒らしの廃人』

■ 『誹謗中傷を誘う男』

■ 『相手にされない廃人』

■ 『シンガポールの現実主義者』

■ 『注目!馬鹿の見本』

■ 『シンデレラと現実主義者』


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学徒出陣から学ぶモノ

 

学徒出陣から学ぶモノ

 


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デンマンさん。。。、『学徒出陣』の上の動画を見て考えさせられたのですかァ~?


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そうです。。。『学徒出陣』で日本の将来を担う多くの若者が戦死したのですよ。。。この上の神宮競技場で行われた壮行会に参加した学生の内3、000人が戦死したと言うのです。。。

なぜ、学徒が学業半(なか)ばで出陣したのですか?

この壮行会が行われた昭和18年は、太平洋戦争で負け戦ばかりになった頃なのですよ。。。兵員が不足していた。。。

それで急遽(きゅうきょ)、専門学校や大学の学生が戦場に送り出されたのですか?

そうなのです。。。高等教育を受けていた人たちは、当時、同世代の3%で、将来日本を引っ張ってゆく人たちだから、兵役が免除されていたのですよ。。。

でも、兵隊が足りなくなったので、引っ張り出されたのですか?

そうです。。。理科系の学生は兵器の開発・改良のために必要だと認められて文科系の学生だけが引っ張り出された。。。

文科系だけだというのは、ちょと不公平ですわねぇ~。。。

でも、兵器の開発・改良のための人材は必要ですからねぇ~。。。

。。。で、デンマンさんは、何が印象的だったのですか?

あのねぇ~、僕が実際に観たクリップは『雨の神宮外苑~学徒出陣・56年目の証言~NHKスペシャル』というモノなのですよ。。。ユーチューブで検索したら、もうそのクリップは見当たらない。。。僕は保存しておいたので15分に編集してここに貼りだします。。。この壮行会に出席した人たちの証言を聴くことができます。。。

 


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「布張りの偵察機に爆弾を積んで特攻にゆけ!」と言われたら、誰だって拒否したくなりますよ。。。常識で考えても、戦果が上がるわけがない!。。。無駄に死ににゆくだけです。。。どういうわけで そのおんぼろ偵察機で特攻にゆかなくて済んだのか? その当事者は語っていないのだけれど、こういう話を聴くと、上層部は何を考えていたのか? 特攻で死にゆく者にとっては、馬鹿らしくなると言うより、呆れて言葉が出なくなるでしょうね。。。

でも、多くの学徒兵は、命令だと言うので仕方なく特攻で敵戦艦に体当たりしたのでしょうねぇ~。。。

たぶん、そうでしょう。。。とにかく、戦争自体が非人間的なものだから、常識で考えても、どうにもならないのですよ。。。中には、学徒で出陣して、どうにか生き残って復員してきて、戦後を生き抜き、「国家の危機を思い、ああまでして飛び込んでいったのに、その真相は何であったのか」【学徒出陣から80年】という言葉を日記に書いてあの世に逝った人のクリップがありました。。。

 


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亡くなるまで非戦を唱えていた、と言う事ですけれど、そもそも兵役を拒否することはできなかったのですかァ~?

あのねぇ~、僕のオヤジも実は、小学校で代用教員をしていたのだけれど、赤紙で兵隊にとられたのですよ。。。沖縄戦に駆り出されるところを宮古島にいたので助かったのです。。。もし沖縄本島にいたら、おそらく戦死していたでしょう。 「どうして兵役を拒否しなかったのォ~?」と子供の頃にオヤジに尋ねたら、「そんな事を言ったら、まず憲兵にひっぱられて刑務所にぶち込まれる。そんな事は言えない時代だった」と言ったものです。。。

デンマンさんのお父さんが沖縄本島で戦って戦死していたら、デンマンさんは生まれてなかったのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。アメリカ軍は飛び石作戦をとっていたので、宮古島は無視されたのです。。。オヤジも含めて、オヤジがいた部隊は運が良かったのですよ。。。でもねぇ~、あの時代に日本でも兵役を拒否した人がいたのです。。。

あらっ。。。憲兵に引っ張られて刑務所行きになる覚悟で 兵役を拒否したのですか?

そうなのです。。。38(サンパチ)銃を天皇陛下に返して、戦場に出るのを拒否した。。。

 

灯台社

 


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1927年5月灯台社の人々

 

灯台社は、アメリカ合衆国に本部を置くワッチタワーの日本支部としてかつて存在していた団体。

1926年9月6日、アメリカ在住の日本人、明石順三がワッチタワーの任命を受けて来日、同社の日本支部として「灯台社」を結成する。
翌1927年の初頭に彼は神戸に支部を開設するが、その年の後半には東京の銀座へと移転、さらに荻窪へと移転し、そこに印刷工場を設置した。

彼らは聖書を無謬の記録として唯一神を信仰して偶像崇拝を禁じ、また戦争を聖書が唱える殺人罪にあたるとして兵役拒否を唱えていた

1933年5月に治安維持法違反の嫌疑により明石を含む数名が逮捕されるが、証拠不十分として釈放される。
ところが1939年になって明石の息子と他の信者1名が徴兵には応じていたものの信仰上の理由で銃器を返納した

二人への判決が出てから間もなく、日本(6月21日)、台湾(6月22日)、朝鮮(6月29日)の130人の灯台社関係者が一斉検挙され、翌年には強制閉鎖を命じられ、1942年には資産の没収・強制売却処分を受けた。

裁判で明石らは自分たちの活動は日本の国家や天皇と矛盾するものではなく、天皇の神的権威を否定しているに過ぎないと述べる一方、現在の日本はこのままでは滅びると唱え、自分はそれを理解していない1億の国民と戦っていると述べた。

その結果、明石らは有罪判決を受け、日本が終戦を迎えるまでその活動は停止状態にあった。

太平洋戦争終結後、明石らは釈放された。
1947年に明石は活動再興のための日本支部統括を引き受けるにあたり、本部のネイサン・ノア会長に対して協会の有り方に関する公開質問状を8月25日付で送付した。

これは、ノア会長ら本部が進める路線が協会の「世俗化」であると批判する内容であったとされ、これに対しノア会長は「牧師会の会員中より除名」との書状を送付した。

これに対して、明石も本部との絶縁を宣言して灯台社は実質上消滅した。

このため、ワッチタワーは、1949年に新たに宣教者を日本に派遣して新たな日本支部・宗教法人の塔聖書冊子協会を創設することになる。


出典: 「灯台社」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

当時の日本人にとっては、兵役を拒否することは考えられないことでした。。。本人ばかりか家族までが非国民のレッテルを貼られて「村八分」ですよ。。。嫌がらせを受けて まともに暮らせずに山の奥にでも隠れてひっそりと暮らすしかなかったでしょう。。。

でも、その前に兵役を拒否した本人は、憲兵に捕まって刑務所に叩き込まれるのでしょう!?

そういうことになります。。。

デンマンさんが当時、学徒出陣の学徒なら、どうしますか?。。。

僕は戦争絶対反対ですからねぇ~、密航して海外に脱出します。。。

カナダにやって来たのも、密航してきたのですか?

いや。。。正式な手続きを踏んでカナダにやってきました。。。今ではカナダ市民です。。。。

現在の日本は、戦争に巻き込まれることはなさそうですわねぇ~。。。

いや。。。そんな事はありません。。。今の日本は「新たな戦前」を迎えていますから。。。

 


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『今、新たな戦前』


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも、戦争が始まったら兵役を拒否しますか?

ええっ。。。 「戦争が始まることはまずないよ! そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ〜。。。

 

 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

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古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『無重力の性生活』

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『ブラック・ダリア猟奇事件』

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『ホログラム』

『動物おもしろ動画』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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宗教戦争

 

宗教戦争

 


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ケイトー。。。 どういうわけで 宗教戦争 を取り上げたのォ~?


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あのねぇ~、僕が予約していたDVDが10本ほど届いたので、どれを観ようかと思ったら、次の映画が目についたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 

 

The Sultan and the Saint

サルタンと聖者

 

映画「スルタンと聖者」は、歴史から失われた偉大な物語の 1 つを伝える。

過去の東西対立の時代を舞台に、私たちの現在に切迫感を持って語りかける。

二人の信仰の男(一人は巡回するキリスト教の説教者、もう一人はイスラム帝国の統治者)を中心に物語は進む。
二人は、一世紀にわたる戦争、不信、陰湿なプロパガンダに立ち向かい、相互尊重と共通点を模索した。

これは、アッシジのフランシスコとエジプトのスルタンの物語であり、十字軍として知られるキリスト教徒とイスラム教徒の対立の時代の血なまぐさい戦場での彼らの出会いを描く。
この映画は、アッシジの聖フランシスコとスルタン・マリク・アル・カーミルとのあまり知られていない出会いの物語を描いている。
二人は第5回十字軍中に出会い、それぞれが顕著な変化を遂げる。

史実の再現シーンと、著名な歴史家、美術専門家、宗教思想家、脳科学者へのインタビューで語られるこの映画は、信仰間の宗教対立の恐ろしい時期にありえない出会いを映画化し、この二人の信仰の男を中心に平見つけるける方法を模索する。

1219年、第5回十字軍の最悪の時代、死と恐怖のうめき声が響く過酷な戦場を越えて、サラディンの甥であるマリク・アル・カーミルは、風変わりな2人のキリスト教徒を設備の整ったテントに迎え入れた。
彼らは謙虚な修道士であり、貧困と非暴力を誓う修道会の男たちであり、粗末なローブを着て裸足であった。

彼らの頭は剃られ、頬は献身的な行為の末にこけていた。
彼らはこの戦線を越えるために命を失うことさえ顧(かえり)みなかった。
つまり、すべてを危険にさらして やって来たのだ。

筆頭修道士であるアッシジのフランシスコという男は、生涯をイエス・キリストに倣い、キリスト教徒とイスラム教徒の間の数十年にわたる戦争に終止符を打とうとした。

フランシスコが去ったとき、スルタンはイスラムの精神性をより深く理解し、カトリック教徒にイスラム教徒をより敬意を持って扱うよう促す後の著作に、彼のフランシスコとの出会いの経験は反映された。

アル・カーミルはキリスト教徒と関わり議論するあらゆる機会を歓迎し続け、数年後、神聖ローマ皇帝との協定を結ぶことに成功し、最終的に血なまぐさい第5回十字軍の苦しみに終止符を打った

(デンマン訳)


出典: 「columbanird.org」

 

今から800年以上も前の出来事を基に作られた映画じゃない。。。

そうです。。。800年以上も前の出来事について作られた映画を観てはいけませんか?

かまわないけれど、そんな昔の話をここで取り上げても、多くのネット市民の皆さんは関心がないと思うわァ~。。。

いや。。。そんなことはありませんよ。。。この800年前の宗教戦争と現在ドンパチとおこなわれているハマスとイスラエルの戦いは、時間は800年も離れているけれど、密接な関係がある。。。

 


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でも、このハマスとイスラエルの紛争は「宗教戦争」ではないでしょう!?

確かに、イスラム教とユダヤ教の対決ではありません。。。しかし、イスラム教徒とユダヤ教徒が戦っていることに間違いはないのですよ。。。その意味では、「宗教戦争」と言えないこともない。。。

でも、紛争の目的は宗教の対立にあるわけじゃないでしょう!

確かに、宗教の対立が直接の問題になったわけじゃない。。。あくまでも政治情勢がハマスにとって悪くなってきたので、ここで紛争を起こして世界の目をハマスに向けさせようとしたのが直接の目的ですよ。。。

 


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ハマス

 


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ハマース(アラビア語: حماس‎ Ḥamās, ハマース、英語: Hamas)あるいはハマース運動(英語: Hamas Movement)は、パレスチナのスンニ派イスラム原理主義、民族主義組織であり、パレスチナ土地奪還と、パレスチナ人権保護を目的に活動している。

名称については、公安調査庁や多くの日本メディアはハマスと表記している。

社会奉仕組織「ダアワ ないしは アッ=ダアワ)」と軍事組織「イッズッディーン・アル=カッサーム旅団」を擁する。

2006年のパレスチナ立法選挙で勝利し、2007年のガザの戦いの後、ガザ地区の事実上の統治当局となった
パレスチナ自治政府の議会でも過半数を占めているものの2007年の分割統治以降、議会は実質停止している。

カナダ、欧州連合、イスラエル、日本、オーストラリア、イギリス、アメリカ合衆国はハマスをテロ組織として指定している
ニュージーランドとパラグアイは軍事組織のみをテロ組織として指定している。
ブラジル、中華人民共和国、エジプト、イラン、ノルウェー、カタール、ロシア、シリア、トルコからはテロ組織とはみなされていない。

2018年12月、ハマスに対するテロ組織としての非難決議は国連総会を通過できなかった

なお、ハマスの指導者イスマーイール・ハニーヤはカタールを拠点としている。

 

歴史

1980年代の第1次インティファーダ時代に、ヤーセル・アラファト議長が指揮するパレスチナ解放機構 (PLO) の影響力を排除した民衆レベルでの対イスラエル抵抗組織として設立された。

ハマスとPLOの対立関係を見たイスラエル政府は、ハマスがPLOに対抗する勢力となることを期待して秘密裏に援助を行っていた
ハマスは教育、医療、福祉などの分野で一般民衆への地道な活動を続けたため、パレスチナ人の間で支持が拡大していった。

1990年代にPLOがイスラエルとの和平交渉を開始すると、ハマスはこれに強く反対し、対イスラエル強硬派の支持を得た。
1995年の右派イスラエル青年によるイツハク・ラビン首相の暗殺、和平交渉におけるアラファト議長の強硬姿勢、そして2000年のリクードのアリエル・シャロン党首による岩のドーム訪問をきっかけとして、第2次インティファーダが開始されると、ハマスは自爆攻撃やロケット弾を用いたイスラエル国防軍へ攻撃を開始した。

イスラエルは2004年3月22日に創設者のアフマド・ヤースィーンをアパッチ戦闘ヘリでの攻撃により殺害した。
翌日には最高幹部陣からアブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィーが後継者となることが発表されたが、同年4月17日に再びイスラエル国防軍ヘリの攻撃を受け暗殺された。

ハマスは草の根の民衆支援への評価、和平交渉の破綻、ファタハの率いるパレスチナ自治政府への不満などを背景に、2004年12月に行われたパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得。
さらに2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも定数132の議席中で76議席を獲得するなど圧勝した。
同年3月29日にハマスのイスマーイール・ハニーヤがパレスチナ政府首相に任命された。

多数の西側諸国はハマスをテロリズム団体に指定しており、ハマスの政権参加を機にパレスチナ政府への支援を停止した。
日本は世界食糧計画などを介した形で同年7月に再開している。

 

政策

当初は全パレスチナの支配を主張していたが、現在は1967年の国連安保理停戦決議(安保理決議242)に基づく国境線を容認する構えを示している。
イスラエルの承認は拒否しているため、「イスラエルの生存権を認めない」組織として報道されることが多い

マシャアル政治局長は2009年6月25日に「パレスチナ民衆にとっての最低限のライン」として、イスラエルによる全入植地の撤廃、パレスチナ難民の自由な帰還、1967年6月4日時点での停戦ラインを国境とする、パレスチナをエルサレムを首都とする完全な主権国家とするーーとの4条件を挙げている。

シャリーアに基づく統治を目指しているため、同性愛を処罰対象にするなど、西欧北米諸国において広く認められた人権規範とは相容れない政策も多い。

ガザ地区にはハマスよりさらに過激な武装組織もあり、それらとの間に衝突も発生している。
議会活動も行い対外的にもある程度の妥協も行うハマスに対し、より厳格なシャリーアによる国家の建設を主張している団体もある。

2009年8月14日にはそれらの組織の一つでアルカーイダとの関係も指摘される「ジュンド・アンサール・アッラー」との間で銃撃戦となり、「ジュンド・アンサール・アッラー」の指導者が自爆。
子供1人を含め、双方で24人の死者が発生した。ガザ地区には他にも類似の武装集団が少なくとも10前後はあるとされる。

またISIL(イスラム国、ダーイシュ)とも敵対しており、ISIL側はハマスをユダヤ(イスラエル)、ファタハと共に「根絶やしにする」と宣言している。

このため、イスラエル側はハマスへの攻撃を「芝刈り(mowing the lawn)」と称している。
「芝」であるハマスが伸びすぎないよう、定期的に攻撃して「刈る」が、根絶やしにしてより過激な組織が台頭しても困るというわけである。

西側諸国やイスラエルはシリア、イランがハマスに対して支援を行っていると指摘し、両国はハマスに対して軍事面でも協力しており、最大の支援国であったと主張。
2011年から始まったシリア内戦でアサド政権との関係が悪化したことからシリアとの関係は凍結状態となり、イランからの支援も減少している。

イラクとサウジアラビアもかつて資金提供や軍事支援を行っていたが、イラクは対イスラエル強硬派のサッダーム・フセイン政権が崩壊したため支援は停止された。
サウジアラビアは対米関係への配慮とシリア・イラン両国との対立から、現在は政府としては反ハマスの立場である。

サウジアラビアと同じ親米のペルシア湾岸諸国でも、トルコと並んでムスリム同胞団への影響力が最も強いカタールは政府首脳がハマス指導部と頻繁に会談を行うなどハマスを支援しており、2012年10月23日にはハマスのガザ制圧以来、外国元首として初めてハマド首長がガザ地区を訪問した。
また、国家レベルだけでなく、ハマスを支持するアラブ・イスラーム社会からの個人献金がハマスに対して行われている。


出典: 「ハマース」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

このハマスとイスラエルの戦争を解決するためのアイデアがケイト―が観た映画に秘められているとでも言うのォ~?

そうです。。。もともと上の映画は「第5回十字軍」の「ダミエッタ包囲」を中心に描いたものです。。。

 

第五回十字軍

 


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第5回十字軍(1217年 – 1221年)は、ローマ教皇主導で行われた最後の十字軍。
アイユーブ朝の本拠地エジプトの攻略を目指しダミエッタ(ディムヤート)の占領に成功したが、カイロ攻略に失敗し占領地を返却して撤退した。

1204年にコンスタンティノープルを攻略した第4回十字軍が、現地での争いに忙殺され、エルサレム攻略に向かわないのに失望したローマ教皇インノケンティウス3世は、1213年の教皇教書で新たな十字軍の招集を呼びかけ、1215年の第4ラテラン公会議で正式に発布した。

この時点では、神聖ローマ帝国においては前年のブービーヌの戦いに敗れたヴェルフ家のオットー4世が失脚し、教皇が支持するホーエンシュタウフェン家のフリードリヒ2世が名実共にローマ王となり、フランス南部におけるアルビジョア十字軍もトゥールーズ伯レーモン親子の亡命により一旦収束しており、西欧は一致して十字軍を派遣できる状況と思われた。

しかし、1216年にはレーモン親子の帰還によりアルビジョワ十字軍の戦いは再燃し、従来から十字軍の中心だったフランスの騎士達は第5回十字軍に参加する余裕がなかった。

一方、十字軍参加を誓ったものの、元々宗教的に寛容なシチリアに育ったフリードリヒ2世はイスラム教徒との戦いには熱心でなく、イタリア政策において対立するローマ教皇との条件闘争が先決だった。

ローマ教皇はこれまでの失敗の反省から、第2回十字軍、第3回十字軍のような国王中心の十字軍や、第4回十字軍のような諸侯の自由な主導によるものでもなく、第1回十字軍のような教皇使節が主導する十字軍を意図していた。

結局、新たに教皇となったホノリウス3世の呼びかけに対してフランスの騎士はさほど集まらず、ハンガリー王アンドラーシュ2世とイタリア、ドイツ、フランドルの騎士等が参加した。

 

十字軍進軍

1217年にハンガリー王アンドラーシュ2世、オーストリア公レオポルト6世がアッコンに到着し、現地の十字軍国家の諸侯、エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ、キプロス王ユーグ、アンティオキア公ボエモンらと合流した。

ジャン・ド・ブリエンヌとアンドラーシュ2世を指揮官として、十字軍は進軍を開始する。
十字軍の侵攻を恐れたダマスカスの王アル=ムアッザムはエルサレムの城壁を破壊し、住民達は退避させられた。

以後長らくエルサレムは城壁のない町となり、16世紀に入ってようやくオスマン帝国によって城壁が再建される。
十字軍はシリアにおいてイスラム勢力と小規模の戦闘を行ったが、ほとんど成果を挙げられなかった。

1218年1月にハンガリー王アンドラーシュ2世が帰国、続いてキプロス王ユーグとアンティオキア公ボエモンが撤兵した。

 

ダミエッタ包囲

オーストリア公レオポルト6世やエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌは、エルサレムを奪回して維持するには、アイユーブ朝の本拠地であるエジプトを攻略する必要があると判断した。
十字軍はジェノヴァ艦隊と協力し、1218年5月にエジプトの海港であるダミエッタを包囲し、プニエールという巨大な投石器を投入して城壁を攻撃した。

8月に十字軍の侵攻に苦慮していたアイユーブ朝のスルターン、アル=アーディルが亡くなり、息子のアル=カーミルが跡を継いだ。
9月には教皇使節ペラギウスが率いる後発軍が到着し、十字軍の士気は上がったが、ペラギウスが「教皇代理」として十字軍の指揮権を要求したため、ジャンを初めとする諸侯との軋轢も生じた。

 


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映画の中のペラギウス

 

十字軍とエジプト軍は対峙し小競り合いを繰り返していたが、1219年2月になるとクルド族の反乱などが発生し、アル=カーミルはカイロに戻って対応せざるを得なくなった。

アル=カーミルは十字軍との和睦を模索し、ダミエッタとパレスチナ南部の二つの城の確保と引き換えに旧エルサレム王国領の返却を申し出た。
加えてアイユーブ朝が有する真の十字架と、捕虜の返還が和睦の条件として提案された。

ジャン・ド・ブリエンヌや現地諸侯はこれを受け入れることを望んだが、ペラギウスは異教徒と交渉することを拒み、またエジプトの商業利権を狙うジェノヴァ勢も反対したため、提案は拒否された。
これは十字軍にとって聖地エルサレムの優先度が激減したことを表わす。

また、十字軍陣中にペストが流行して進軍の前に兵力が減少し、テンプル騎士団総長ギヨーム・ド・シャルトルも病に罹り陣没した。
これにより、十字軍ではジャンを支持する現地諸侯、フランス勢とペラギウスを支持するイタリア勢、聖地騎士団との対立が明確になった。

5月になるとオーストリア公レオポルト6世が帰国。新たな援軍も到着しており、ペラギウスは諸侯の反対を押し切って再三に渡り攻撃を命じたが、その度に跳ね返され、特に8月の戦闘では大きな被害を受けた。
アル=カーミルは再び和睦を提案したが、皇帝フリードリヒ2世の到着を期待していたペラギウスは未だに和睦を容れなかった。

アル=カーミルの包囲を破ろうとする試みも成功せず、10月に入るとダミエッタの疲労は大きくなり、11月についに城壁の一角を占領され落城した。
ジャンはダミエッタをエルサレム王国の領土と考えたが、ペラギウスは教皇領とする意向を示し、怒ったジャンは1220年2月にアルメニアの王位争いに介入するためにアッコンに戻ってしまった。

このためペラギウスが十字軍のリーダシップを握ったが、戦闘を指揮する力はないため、フリードリヒ2世の到着を待っていた。
アル=カーミルもマンスーラで対峙したまま防備を固めており、持久戦となった。

 

カイロ進撃

皇帝自身は参加しなかったが、1221年5月にバイエルン公ルートヴィヒ1世指揮の元にかなりの兵を送って来た。
7月になるとジャン・ド・ブリエンヌも戻ってきてため、十字軍は攻勢に出た。

ペラギウスは勝利を確信しており、またナイル川を通じて補給を確保できると考えていたため、諸将の忠告を聞かず、十分な食糧、補給品を持たずに進撃したが、マンスーラ手前のナイル川デルタ地帯で進撃を阻まれた。

おりしも雨季のナイル川氾濫期に入り、ナイルの水かさは増していた。
退路を絶たれる危険性に晒されたため、8月26日に荷駄を焼却して撤退を開始したが、それを見たアル=カーミルはナイルの堤防を切らせ、十字軍は泥沼の中で孤立することになった。

早々と焼却したため食糧もなく、8月30日には降伏し、ダミエッタを返却する条件で解放された。
他に8年間の休戦と真の十字架の返還の条件もあったが、真の十字架は既に失われており戻って来なかった。

 

結果

ペラギウスとジャン・ド・ブリエンヌが失敗の責任者として非難されたが、フリードリヒ2世も自ら行かなかったことで大きな非難を受け、まもなく第6回十字軍を起こすことになる。
これ以降の十字軍は各国王の主導によるもので、教皇主導の十字軍はこれが最後となった。


出典: 「第五回十字軍」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

この「ダミエッタ包囲」の時に戦いを止めさせようとして聖フランシスがスルタンに会いに行ったのォ~?

そうなのですよ。。。死を覚悟して出かけて行ったのです。。。当時、十字軍を指揮していたのは、教皇使節ペラギウスだった。。。フランシスがペラギウスに許可を求めると、初めは「バカなことをするもんじゃない。殺されるのが目に見えている」と言って許可しなかったのだけれど、もともと狡猾なペラギウスは、フランシスが殺されたとしても痛くも痒くもない、もしかすると100に一つの可能性で停戦になることがあるかもしれない。。。そう思い直して許した。。。

 

アッシジのフランチェスコ

1182年 – 1226年10月3日

 


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アッシジのフランチェスコ(伊:Francesco d’Assisi、ラテン語:Franciscus Assisiensis、本名 ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Pietro di Bernardone)は、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。

「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、清貧、 悔悛と「神の国」を説いた。
中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、カトリック教会と聖公会で崇敬される。
また、「シエナのカタリナ」とともにイタリアの守護聖人となっている。

原音主義にしたがい、ここではイタリア語の「フランチェスコ」という表記を採っているが、日本のカトリック教会ではアシジの聖フランシスコと呼び慣らわし、典礼暦には「聖フランシスコ(アシジ)修道者」と記載されている。
日本のフランシスコ会も「聖フランシスコ」の呼称を採用している。

アッシジのフランチェスコは存命中から聖人視されていたために、多くの伝説が流布されている。
ここでは世に知られていて、かつ信頼のおける史料で確認できる彼の生涯について概述する。

 

生い立ち・青年期

フランチェスコは1181年もしくは1182年に、イタリア半島中部ウンブリア地方のアッシジで生まれた。
父親はピエトロ・ディ・ベルナルドーネという裕福な毛織物商、母親はジョアンナもしくはピカという名でフランスの貴族の家の出であるとも伝えられているが、これについては信憑性は薄い。

もともとの洗礼名はジョバンニであったが、当時は風変わりで珍しかったフランチェスコという名前で呼ばれるようになった。
これは「フランス人」ぐらいの意味であるが、その理由としては父親がフランスとの商取引を主としていてフランス贔屓だったから、フランス人の母親への敬意から、本人がフランス語で歌うことが好きであったから等、様々に言われている。

この時期の都市に住む平民として、フランチェスコは高度な教育は受けなかったものの、少年期にラテン語の読み書きをサン・ジョルジュ教会の付属学校で学んだ。
フランチェスコの青年時代は、富貴を問わず誰に対しても礼儀正しかったが、気前の良い散財家で、享楽的な生活を送っていたとされている。
プロヴァンス(南フランス)の言葉で歌われていた宮廷詩や吟遊詩を吟じ、珍奇な衣服を好み、宴会の支払いを引き受けていた。

この時期のヨーロッパは人口と経済が飛躍的に伸長し、それに伴った急速な都市化が進行して、新しい時代の制度が模索されている時期であり、戦乱も絶えなかった。

イタリアの諸都市においては、神聖ローマ皇帝のドイツ勢力(皇帝派)とローマ教皇の勢力(教皇派)が対立すると共に、都市内の領主や貴族・騎士と平民が対立し、都市間の争いと複雑に絡み合っていた。

アッシジは皇帝派を後ろ盾とする貴族や騎士階級が治世権を有する都市であったのが、1198年から1200年にかけて反乱が起きて平民勢力によって貴族や騎士たちが町から追放されている。
町を見下ろしていた、ドイツ軍が駐留するための要塞もこのとき破壊された。
平民の一員であったフランチェスコも、この内乱に参加していた可能性がある。

隣町のペルージャと、そこに逃亡していた貴族たちがアッシジに戦争を仕掛けたのが1202年のことである。
フランチェスコも戦闘に参加したがアッシジは敗北した。
彼はペルージャの牢獄に捕虜として一年以上を過ごした後に釈放されて、和議が成立していたアッシジの町に帰った。

1205年、フランチェスコはイタリア半島南部のプーリア地方の戦争に出征する騎士に同行を申し出た。
これは、戦功を立てて騎士に取り立てられることを目論んだもので、装備を整えた上で出立するが、アッシジ近郊のスポレートで彼は突然に引き返す。
聖人伝は、このとき彼が幻視したか神の声を聞いたのだとしている。

 

回心と出家

フランチェスコがどのように世俗を離れて神の道に生きることを決意したのかについて、順序関係に曖昧なところを残しながら、聖人伝は様々なことを伝えている。
前述したスポレートでの幻視もしくは幻聴もそのひとつであるが、他にも様々なきっかけがあり、フランチェスコの回心は数年間の長いプロセスとして描かれている。

ペルージャの捕虜時代であるのか、釈放後なのかは伝記によって異なるが、フランチェスコは大病を得て、そこから快癒して外に出た時、以前のように自然の美しさを楽しめなくなった自分を発見した。
友人たちとの放埓な生活にも空しさを覚えるようになり、ときおり洞窟などに籠って祈りや瞑想を行うようになった。

あるとき、それまでは近づくことを恐れていたハンセン氏病患者に思い切って近づき、抱擁して接吻した。
すると、それまでの恐れが喜びに変わり、それ以後のフランチェスコは病人への奉仕を行うようになった。

また、ローマに巡礼に出かけて、乞食たちに金銭をばらまき、乞食の一人と衣服を取り換えて、そのまま乞食の群れの中で何日かを過ごしたという伝記もあるが、これは史実かどうか疑わしいとも言われている。

アッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていたとき、磔のキリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞く。
これ以降、彼はサン・ダミアノ教会から始めて、方々の教会を修復していった。

父の不在中、フランチェスコは商品を持ち出して近隣の町で売り払い、その代金をサン・ダミアノの下級司祭に差し出した。
帰宅してそれを知った父親は怒り、家業の商売に背を向けて自分の道を進もうとする息子との間に確執を生むことになる。

最後には、アッシジ司教の前で父子は対決するのだが、フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」として衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけだとして親子の縁を切った。

 

初期の活動

家を出たフランチェスコは、施療施設に住んでハンセン氏病患者への奉仕を行った。
また、森を放浪したともいわれているし、サン・ダミアノ教会に住んだともいわれているが、最終的には修復を行うことになるポルツィウンクラの小聖堂近くに住んだ。
このポルツィウンクラの地は、フランチェスコと後のフランシスコ会にとって重要な地となる。

サン・ダミアノから始まった聖堂の修復は、(おそらく)サン・ピエトロ教会、ポルツィウンクラの小聖堂と続き、その資材となる石や漆喰、灯明の油などの喜捨を、歌やフランス語で呼び掛けた。
これに限らず彼は世俗の時代に慣れ親しんだ吟遊詩のフランス語(プロバンス語)を歌うことが多かった。

日々の食事は、様々な肉体労働もしくは托鉢で得た。
金銭は受け取らず、初期のフランシスコ会でも同志たちはそれを忌み避け、手を触れることさえ嫌がった。
こうした活動のスタイルから、フランシスコ会は同時期のドミニコ会と共に「托鉢修道会」と呼ばれるようになる。

こうした活動の指針を与えたのは福音書に書かれた、キリストや弟子たちの行動である。
ある日、ポルツィウンクラの小聖堂で行われたミサの中で福音書が朗読され、イエスが弟子たちを各地に派遣するときの言葉にフランチェスコは感動した。

その中でイエスは「行って、そこかしこで「神の国は近づいた」と伝えなさい。あなた方がただで受けとったものは、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、もっていってはならない」と弟子たちに命じており、それに従ってフランチェスコは直ちに履物を脱いで裸足となり、皮のベルトを捨てて縄を腰に巻いた。

福音書でイエスが命じている全てをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣することがフランチェスコの生活の全てとなっていた。
「裸のキリストに裸で従った」のである。

フランチェスコが宣教を始めたのは1208年もしくは1209年のことである。
彼は街頭や広場に立ち、聖職者が用いるラテン語ではなく、日常語のイタリア語で聖書の教え、つまり悔い改めて神の道に生きよと説いた。

フランチェスコは歌や音楽も利用して、巧みな説話で人々の心を捉えたとされている。そうした芸能的ともいえる活動から、フランチェスコは「神の道化師」と呼ばれている。

仲間と教団の成立

富裕な商人の子弟であったフランチェスコのそうした活動は、奇行と捉えられ、市民の好奇と侮蔑の対象となった[46]。

しかし、その態度に共鳴してフランチェスコと行動を共にする市民が現れ始める。
アッシジの貴族で大変裕福だったとされるベルナルドは、出家の決心を固めると、自分の資産を処分してそれを貧しい人に分け与えた上でフランチェスコと共に生活を始めた。

この後も、所有物をすべて放棄して、無一物となった人間をフランチェスコは仲間として迎えていく。
初期の仲間には、この他にエジディオ、法律家で聖堂参事会員であったピエトロ・カッターニ、司祭のシルベストロの名前などが知られている。

彼らはフランチェスコも含めてお互いを兄弟と呼び合い、二人一組となってイタリア各地に宣教の旅に出て、行く先々で新たな仲間を得た。
彼らは問われれば「アッシジの悔悛者」と名乗っていたが、やがて彼らは自らの集団を「小さき兄弟団(Ordo Fratrum Minorum)」と名乗るようになっていく。
これは現在でもフランシスコ会の正式名称である。

1210年、仲間の数が12人になっていた小さき兄弟団はローマに向かい、教皇インノケンティウス3世に謁見し、活動の許可を求めた。
これにはアッシジ司教グイドの斡旋があったものとされている。

フランチェスコたちの活動は問題を孕んでいた。そもそも当時の聖職者や修道士は托鉢を禁止されていたし、司祭職の権限を持たない俗人が、説教を行うことも問題視されていた。

修道院の中に閉じこもって祈りと瞑想に身と心を捧げる従来の修道会と、小さき兄弟団はまったく性格を異にする集団であった。
この時代に少し先行して、古い修道院制度を刷新したと言われているシトー会は労働や生産活動を行ったが、托鉢や街頭での説教などを行ったわけではない。

一切を所有しないという清貧の実践、托鉢や宣教活動は、当時の教皇庁を悩ませていた「リヨンの貧者」(ヴァルド派)、あるいはファミリアーティ派と呼ばれたグループなどとも共通するところがあり、異端として弾圧されたこれらのグループとフランチェスコたちが同一視される危険性は十分にあった。

やせ細って、汚れたぼろを纏った兄弟団を最初に見たとき、教皇は不快に感じたとも伝えられている。
しかし何度かの謁見の後、口頭によるものではあったにせよ、小さき兄弟団の活動に認可を与えた。

聖人伝の伝えるところでは、教皇は夢の中で傾いたラテラノ聖堂をたった一人で支えた男の姿を見ており、その男こそがフランチェスコであると悟ったからだという。

このときフランチェスコは教皇に兄弟団の生活規則を記した文書を提出しており、これは今日「原始会則」と呼ばれている。
その本文は現在残っていないが、福音書からの引用で構成された簡単な格言集のようなものであったらしい。

おそらくフランチェスコ達は修道会のような組織を作るつもりはこの時点では無く、福音書に書かれた生活を素朴に実践することだけを考え、その認可を求めたものと推測されている。

しかし、一切の所有を拒否することなどを含む、福音の完全な実践を謳ったその内容に、枢機卿たちは実行が困難として難色を示した。
その否定的な空気を覆したのは「そのような理由で撥ねつけたとあらば、福音が実践不可能であると宣することになります。さすれば、福音をお与えになったキリストを冒涜することになりますまいか」というジョバンニ・コロンナ枢機卿の一言であったという。

教皇は「全能なる主が、汝らの数と恩寵を増してくださったならば、喜びとともに余のもとに戻るがよい。さすれば余は汝らにさらなる愛顧を与え、より大きな使命を、ますますの信頼をもって託すであろう」といって彼らを送り出したとされているが、フランチェスコが与えられたのは仮認可であり、様子見のために結論が先送りされたというのがその実質であった。

 

スルタンとの出会い

 


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フランチェスコはイスラーム世界への宣教にも意欲をもっていた。
1209年から1212年のどこかで船に乗ってシリアに向かったが、船が難破してダルマチア沿岸に漂着して断念した。

1212年から1214年のどこかには殉教覚悟でモロッコを目指したが、途中のスペインで病を得て引き返す。

1219年には、ついに第5次十字軍が駐留するエジプトに渡った
彼はまず、ダミエッタの町を包囲していた十字軍(ダミエッタ包囲戦)に対して戦闘の中止を呼びかけたが、十字軍の行為に幻滅を覚えた。

その後、供を一人連れただけでイスラーム陣営に乗り込んでスルタンのメレク・アル=カーミルと会見しキリスト教への改宗を迫った。
スルタンは改宗には応じなかったものの、フランチェスコは丁重にもてなされた
という。

この席でフランチェスコはイスラーム法学者との対決を望み、神明裁判を持ちかけたとされている。
すなわち、燃え盛る炎の中に飛び込んでどちらに神の庇護があるかを競おうというのである。

フランチェスコ伝の中のこの有名なエピソードは近代以降は史実に根拠を持たない伝説と考えられていた。
しかし、カイロに保存されているある墓碑銘の文面によれば、その時期にイスラム法学者がキリスト教修道士と有名な試みを行ったとされており、この伝説も再考されつつある。

スルタンによって十字軍陣営に送り届けられたフランチェスコは、エルサレムなどの聖地巡礼を行っていたが、イタリアから急を告げる使者がやってきてイタリアに戻ることになった。


出典: 「アッシジのフランチェスコ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。供を一人連れただけでイスラーム陣営に乗り込んでスルタンのメレク・アル=カーミルと会見しキリスト教への改宗を迫ったのですかァ~?

そうなのですよ。。。周りの者は呆れて、「殺せ!殺せ!」とスルタンに迫ったのだけれど、このスルタンは教養もあり、もともと戦いや殺人を好まない。。。スルタンは改宗には応じなかったものの、フランチェスコの言う事に興味と理解を示して丁重にもてなしたのですよ。。。

 

アル=カーミル

生没年:1180年 – 1238年3月6日

 


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アル=カーミルは、アイユーブ朝の第5代スルターン(在位:1218年-1238年)。
初代スルターン・サラディンの弟に当たる第4代スルターン・アル=マリク・アル=アーディル・サイフッディーン・アブー・バクルの子で恐らく長子。

本名はナースィルッディーン・ムハンマドで、アイユーブ朝のスルターンに即位するにあたり冠せられた尊称「アル=マリク・アル=カーミル」から通常「スルターン・(アル=マリク・)アル=カーミル」などと称される。
アラビア語で「カーミル al-Kāmil 」は「完全(なるもの)」を意味する。

父がスルタンの在位にあった間は、副王(=ナーイブ(nā’ib)つまりスルタンの「代理人」)として父を補佐してエジプト統治に務めた。
1218年、父が第5回十字軍と交戦中に心臓発作で死去したため、後を継いでスルタンとして即位した。

しかし父の死により、第5回十字軍によってダミエッタを占領されるなど、一時は危機に陥ったが、総力を挙げて反攻に転じ、十字軍を破った。
その後、カーミルの即位に不満を持つ一族やアレッポとダマスカスの総督に反乱を起こされて危機に陥る中で1228年には神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が第6回十字軍を率いて侵攻を始める。

カーミルには十字軍を迎撃する余裕など無く、フリードリヒ2世もローマ教皇や教皇派諸侯との争いに集中したかった。
2人は知識人としての交流(自然科学についての論議も行われた)を書簡によって(共にアラビア語で)続けるうち、互いが戦う事を望まない事を知った

カーミルは10年間の休戦、十字軍側への聖地エルサレム返還に同意し、全軍を内紛の収拾に向ける。
この為、帝国の内紛は収拾したが、エルサレムを放棄した事で多くのイスラム教徒からの不満を招き、バグダードのモスクではカーミルを糾弾する集会が開かれたという。

エルサレムに和平が訪れてから9年後の1238年にカーミルは亡くなった。
フリードリヒ2世との交流はカーミルが亡くなるまで続いたという。

カーミルの死から12年後、フリードリヒ2世が亡くなった。

19世紀、フリードリヒ2世の遺体が学術調査を受けたとき、棺の中の彼はイスラム風の衣装を身にまとい、シャツの袖にはアラビア語で「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」というカーミルに向けられたと思われる言葉が刺繍されていたことが記録に残っている。


出典: 「アル=カーミル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

イスラム教も、キリスト教もユダヤ教も同じ一つの神を信じているのですよ。。。だから、当然、共通するものがあるから宗派は違えども、お互いを理解できるだけの素養を持っている。。。だからこそアル=カーミルとフランシス、またアル=カーミルとフリードリヒ2世との関係に見るように、平和を願う気持ちが強い。。。

つまり、現在進行しているハマスとイスラエルの戦争には、アル=カーミルやフランシス、それにフリードリヒ2世のような真に平和を願うような人間がいないということなのねぇ~。。。

そういうことですよ。。。失った領土を奪い返す。。。政治的劣勢を回復する。。。政治的、軍事的主導権を奪いたい。。。そういう個人的、あるいは国家的な野望に縛られて、平和を求めようという気になれない。。。少なくとも現在は、そういうガリガリ盲者、ガリガリ亡者、ガリガリ猛者が前面に出てきているのですよ。。。歴史から学んでない。。。だから、悪い歴史を繰り返す。。。

そのうち、アル=カーミルやフランシス、それにフリードリヒ2世のような真に平和を願うような人間が出てくるかしら?

出てきますよ。。。でも、その人たちが亡くなれば、また悪い歴史を繰り返すのですよ。。。

「歴史は繰り返す」と言われるけれど、人類が滅亡するまで戦争はなくならないのかしら?

完璧な人間はいませんからねぇ~。。。人類が滅びる種は、そこらにまかれてますよ。。。北朝鮮の将軍様が核兵器を使ってないことが不思議なくらいです。。。

いくらなんでも、あの将軍様も、そこまで馬鹿じゃないでしょう!?


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【ジューンの独り言】


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あなたは、どう思いますか?

北朝鮮の将軍様が そのうち気まぐれに核兵器を使うと思いますかァ~?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白い事を話せ!」

貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『インドのキリスト』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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インドのキリスト

 

インドのキリスト

 


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ケイトー。。。 インドのキリスト というのはインドにいるキリスト教徒のことなのォ~?


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いや。。。そうじゃありません。。。イエス・キリストが13歳から29歳までの間ペルシャ、インド、チペットを旅していたという話なのですよ。。。

そういうことは聞いたことがないわねぇ~。。。いったいどこで、ケイト―はそういう話を聞き込んできたのォ~?

実は、次のビデオに出くわしたのです。。。

 


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このビデオは、ニコラス・ノトヴィッチが執筆して1894年に出版した本(『聖イッサの生涯』)に基づいて、彼の話を肯定する目的で作られたビデオなのですよ。。。このイッサ(Issa)というのがイエス・キリストです。。。

つまり、この人の本の中に書いてあることを信じない人がたくさんいるのねぇ~?

そうなのですよ。。。「大ウソつき」と罵(ののし)られているほどです。。。

 

Nicolas Notovitch

ニコラス・ノトヴィッチ

August 13, 1858 – after 1916

 


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シュリムまたはニコライ・アレクサンドロヴィチ・ノトヴィッチ
西側世界ではニコラス・ノトビッチとして知られている。
ユダヤ人の冒険家。 本人はロシアの貴族であり、スパイでもあり、ジャーナリストでもあると言っていた。

ニコラス・ノトヴィッチは、イエスの無名時代にガリアを離れてインドに向かい、仏教徒やヒンンズー信者と学び、その後ユダヤに反抗する主張1894年の演説で知られる。
現代の学者の間で一致した見解は、イエスのインド旅行に関するノトビッチの記述はでっち上げだということである。

ノトビッチはまた、戦争におけるロシアの役割に関する政治的な本を何冊か執筆した。

 

聖イッサの生涯

ノトビッチの1894年の著書『La vie inconnue de Jesus Christ (聖イッサの生涯)』では、イエスは無名時代にガリラヤを離れてインドに向かい、そこで仏教やヒンズー教を教徒と共に学び、その後ユダヤに戻ったと主張している。

 


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本の概要

インドで足を骨折し、ラダックのヘミス修道院で回復中に、ノトヴィッチはチベットの著書『聖イッサの生涯、人の子らの最高』を知った。
ノトヴィッチの記述は、「生涯」の文章とともに、1894年にフランス語で「イエス・キリストの生涯」として出版された。
英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語に翻訳された。

 

捏造と自白妄想

 


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ノトヴィッチの本は出版されるやいなや物議を醸した
ミュラーは次のように書いている:「ノトヴィッチ氏が紳士で嘘つきではないことを当然のこととして考えると、ラダックやチベットの仏教僧侶たちは神秘的な好奇心「旺盛な旅行者を楽しむ浮浪者に違いないと考えざるを得ません。ノトビッチ氏は彼らのジョークの餌食になりすぎました。」

 


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ラマ僧長は、自分がラマ僧長を務めていた過去15年間、この僧院を訪れる西洋人は一人もおらず、ノトビッチの物語に関連する文書も存在しない。
他のヨーロッパの学者のもノトビッチの説明に反対し、インド学者のレオポルド・フォン・シュレーダーはノトビッチの話を「大嘘」と呼んだ

その後、アグラのガバメント・カレッジで英語と歴史の教授を務めていたJ・アーチボルド・ダグラス氏がヘミス僧院を訪れ、ラマ僧長にインタビューしたところ、ラマ僧院長は、ノトビッチは一度もそこに行ったことはなく、そのような文書は存在しないと再び述べた

 


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ヴィルヘルム・シュネーメルヒャーは、ノトヴィッチの記述はすぐに捏造であることが暴露され、現在までノトヴィッチが見たと主張する原稿をひと目見た者さえいないと述べている。
ノトビッチは当初、自分自身を弁護するという主張に応じた。
しかし、彼の話が歴史家によって再調査されると、ノトヴィッチは証拠を捏造したことを自白したと言われている。

聖書学者のバート・D・アーマン氏は、「今日、この問題について疑問を抱いてない著名な学者は地球上に一人もいない。この話全体は、かなりの金と相当な額を稼いだノトビッチによってでっち上げられた」と述べている。
彼のデマは悪名が高い。

しかし、ノトビッチが自分に対する告発を受け入れたことを否定する者もいる。
カシミールの作家フィダ・ハスナインは次のように述べている。

ノトヴィッチは、カシミールとラダックへの旅行中に出会った人々の名前とともに、自分の存在を公表することで公に反応した。

…彼はまた、自分の編纂に含まれる聖句の信頼性を検証するために、著名な東洋学者たちとともにチベットに戻ることを申し出た。

フランスの雑誌『ラ・ペ』で、彼は正教会への信念を肯定し、ヘミスにある仏教巻物の存在という単純な問題に限定するよう中傷者に助言した。

 


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サー・フランシス・ヤングハズバンドは彼の話には感銘を受けなかったが、ノトヴィッチがヘミス修道院を出てから間もなく、スカルドゥ近くでニコラス・ノトヴィッチに会ったことを覚えている。

 

インドにおける裏付けの主張

ノトヴィッチはヨーロッパでは信用されていなかったが、インドとアメリカの一部の人々は彼の話に信憑性があると考えていた。

マックス・ミュラーの同僚であり、当初はノトビッチの主張に懐疑的だったスワミ・アベダナンダは、1922年にカシミールとチベットを旅行中にヘミス修道院を訪れ、前年に報道で聞いたノトビッチの報告を検証したと主張した。

スワミ・アベダナンダは、修道院のラマ僧が、ノトヴィッチが足を骨折してこの修道院に運ばれ、そこで1か月半看護されたことを確認したと主張した。

 


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彼はまた、イッサに関するチベット語の写本をノトビッチに見せ、その内容を解釈してロシア語に翻訳できるようにしたとも語った。
この原稿はアベダナンダに見せられ、14 章からなり、223 の対句 ( slokas ) が含まれていた。
スワミはラマ僧の助けを借りて原稿の一部を翻訳させ、そのうち約 40 節がスワミの旅行記に掲載された。
キリストの復活後に書かれたとされるパーリ語の原本は、ラサ近郊のマルブール修道院にあると言われている。

ベンガルに戻った後、スワミは助手のバイラブ・チャイタンヤに、自分がとったメモに基づいて旅行記の原稿を作成するよう依頼した。
この原稿は1927 年に『ラーマクリシュナ ヴェダンタ サミティ』の月刊誌であるヴィシュヴァヴァニに連載され、その後ベンガル語で書籍として出版された。
この本の英語版の第 5 版は 1987 年に出版され、付録としてノトビッチの『聖イッサの生涯』の英語訳も含まれている。

パラマハンサ・ヨガナンダは、ニコラス・レーリヒも1920年代半ばにチベットを訪問した際にノトヴィッチとアベダナンダの話を裏付けたと書いている。

 


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彼はまた、バーラティ・クリシュナ・ティルタによると、「イエスのインド滞在の記録はプリに保存されており、プリを去った後、イエスはパレスチナに戻るまで「ネパールとチベットのサキャ仏教宗派で6年間」過ごしたと書いている。
彼は「歴史上のイエスを探求する上で、これらの記録の全体的な価値は計り知れない」と付け加えた。

 

他の著者の参考文献

著者のアリス・ダンバー・ネルソンは、 1895 年のコレクション『Violets and Other Tales』にイエス・キリストの知られざる生涯のレビューを収録している。

1899年、ミルザ・グラム・アフマドは『インドのイエス』 (1908年出版)を書き、イエスは磔刑を生き延びた後にインドに旅行したと主張したが、それ以前にイエスがインドに行っていたというノトヴィッチの見解には特に同意しなかった。

他の作家もこれらのテーマを取り上げ、自分の作品に取り入れている。

たとえば、エリザベス・クレア・預言者は、著書『イエスの失われた年月: イエスの17年間の東への旅の証拠』の中で、イエスがインド、ネパール、ラダック、チベットを旅した証拠は仏教写本にあると主張している。

ドイツの作家ホルガー・ケルステンは、著書『イエスはインドに住んだ』の中で、ニコラ・ノトビッチとミルザ・グラム・アフマドの考えを支持した

ジェラルド・オコリンズはケルステンの作品を同じ物語の再パッケージ化として分類した。

2002 年のコメディ小説「子羊: キリストの幼少期の友人ビフによる福音書」の中で、不条理作家のクリストファー・ムーアは、イエスが 15 歳から 30 歳の間、僧院で仏教を学ぶためにチベットに旅行したという概念をパロディにしている。
最初の仏教の修行を経た後、アフガニスタンへ旅行し、その後ヒンドゥー教を学ぶためにインドへおもむいた。

(デンマン訳)


出典: 「Nicolas Notovitch」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

。。。で、ケイト―は、ニコラス・ノトヴィッチが書いた本の内容を信じるのォ~?

信じます。。。なぜなら、新約聖書にはイエスが13歳から29歳までのことが何も書かれてない。。。

 


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12歳の時のことがルカ書の第2章の46節と52節に出てくる。

 


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これによると12歳にしてはとても聡明な子供で神官や大人たちとも言葉を交わして、知恵でも人格の面でも優れており、神と人間の関係にも理解を示している、と書かれている。。。

 


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これを最後に30歳になる頃 人々に神の教えを説くまで一切記録がない。。。人格形成に最も重要な青年期、12歳から30歳までの18年間が空白になっている! 不思議だとは思いませんか?

そうよねぇ~。。。言われてみれば、可笑しいわよねぇ~。。。どうして、この重要なイエスの青年期の経験が書かれてないのかしら?

なぜなら、それを書くと、キリスト教が仏教から派生したように思われてしまうからなんですよ。。。

まさかァ~。。。?

 


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新約聖書を読めば、おそらく誰もが、18年間のことが書かれてないことを不思議に思いますよ。。。そもそもイエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の世界で子供時代を過ごしてきた。。。でも、イエスはユダヤ教に馴染めないモノを感じたに違いない。。。それで12歳にして神官や大人たちと言葉を交わして、疑問を投げかけたのですよ。。。そのことがルカ書に書かれている。

つまり、ユダヤ教に疑問を持っていたので、それを知るために、神官や大人たちに色々な疑問を投げかけた、とケイト―は言うのォ~?

そういう事ですよ。。。でも、イエスに納得いくような答えを返した神官や大人がいない。。。それでその答えを得るために旅に出たのですよ。。。

でも、13歳の少年がペルシャ、インド、チベットに旅することができるかしら?

あのねぇ~、別に一人で旅するわけじゃない。。。

 


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当時でも有名だったシルクロードに沿って交易するキャラバンと一緒に旅したのですよ。。。

なるほどォ~。。。 でも、新約聖書にイエスの青年時代の18年間が空白なのは どういうわけ?

あのねぇ~、この18年間、イエスはペルシャ、インド、チベットにいたから、彼の行動を知っている人たちが新約聖書を書いた人の中にはいなかったのですよ。。。

だけど、イエスと行動を共にしたキャラバンの人からイエスの活動や行動を人づてに聴いていると思うのよ。。。

だけど、書けなかったのです。。。

どうして。。。?

イエスは、仏教ばかりでなく、ヒンズー教や拝火教の教えまで学んだのですよ。。。イエスが幼いころに知ったユダヤ教には、はっきりと男尊女卑的な要素がある。。。シナゴーグの祈りの場でも男と女は別々で祈ります。。。人間は平等であるという仏教の教えを学んだイエスは、そのことをキリスト教の教えに取り入れている。。。つまり、ユダヤ教にはない教えをイエスは仏教や、ヒンズー教や拝火教から取り入れているのですよ。。。

そういうことをキリスト教徒が知ったら、問題よねぇ~。。。

もちろんです。。。神はヤハウェだけだという一神教のキリスト教では、それ以外の宗教、例えば、仏教やヒンズー教や拝火教は異教ですよ。。。つまり、いかがわしい宗教なのですよ。。。

 


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18年間、イエスはペルシャ、インド、チベットにいて、仏教やヒンズー教、拝火教からためになる、ユダヤ教にはない教えを学んだ、というようなことは聖書には書けないのです。。。

 


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それで、新約聖書にはイエスの青年時代の18年間が空白になっているのォ~?

そうですよ。。。それ以外に考えられないでしょう!


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【ジューンの独り言】


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あなたは、どう思いますか?

イエスは、実際に18年間、ペルシャ、インド、チベットを旅したと思いますか?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、他に何か面白い事を話せ!」

貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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孀婦岩

 

孀婦岩

 


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デンマンさん。。。 なんだか難しい漢字のタイトルを書き出しましたけれど、どう読むのですか?


(kato3.gif)

「そうふがん」と読むのです。。。

どうして また難しい漢字を書き出したのですか?

いや、僕が書き出したわけではないのですよ。。。

でも、タイトルを書くのはデンマンさん以外にいませんわァ。。。

タイトルを書いたのは僕だけれど、タイトルを決めたのは僕ではないのですよ。。。

卑弥子さんですか?

いや、大阪市に住んでいる相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんが決めたようなものです。。。 ちょっと次のリストを見てください。

 


(liv70822a3.png)


『拡大する』

『「孀婦岩」のタグのページ』

 

これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で8月21日の午後1時53分から午後4時50分までの約3時間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。

あらっ。。。 8月21日の午後2時7分にYahoo!で検索して「孀婦岩」のタグのページを開いたのですわねぇ~。。。

そういうことです。。。 次のようにして検索したのです。。。

 


(yah70822a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「孀婦岩 ジューン」と入れて検索したのですわねぇ~。。。

相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんはジューンさんのファンでもあるのですよ。。。

。。。で、どのようにして相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんが読んだと突き止めたのですか?

IPアドレスを調べたのです。。。

 


(ip13728b.png)

『拡大する』

 

デンマンさんはすぐにIPアドレスを調べますけれど、プライバシーを保護するためにアクセス者の名前まではゲットできないのですわァ。

あのねぇ~、相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは『徒然ブログ』の常連さんなのですよ。。。

記事を読んだあとで、デンマンさんにメールしたのですかァ~?

そうです。。。 実は、かつて孀婦岩について僕とジューンさんとで語り合った記事を 相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは読んだことがあったのですよ。。。 でも、その時のタイトルを思い出すことができなかった。。。

それで、沙扶羅(さふら)さんは「孀婦岩 ジューン」と入れて検索したのですすか?

その通りです。。。

 


(yah70822a2.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

上の赤枠で囲んだ「孀婦岩」のタグのページを開くと 次のページが出てくるのです。。。

 


(livtag334.png)


『拡大する』

『実際のページ』

 

2013年3月4日にデンマンさんが投稿した記事が出てくるのですわねぇ~。。。

そうです。。。 『海に佇むロトの妻』というタイトルで記事を書いたのですよ。。。

相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんは、この記事のタイトルが知りたかったのですか?

もちろん、それだけじゃありません。。。

いったい、何を調べようとしていたのですか?

だから、「ロトの妻」がなぜ「岩」にされてしまったのか? その事を調べようとしたわけです。。。

 


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(loto002.jpg)

 

確か、『旧約聖書』によると「ロトの妻」は「塩の柱」にされたはずですよねぇ~。。。

そういうことです。。。

 

ロト

ロトは『旧約聖書』の登場人物である。
『創世記』11章後半から14章、および19章に登場する。

父はテラの息子ハランであり、ロトはアブラハムの甥にあたる。
また、『新約聖書』では義人として紹介されている(『ペトロの手紙二』2:7-8)。

アブラハムに伴って古代エジプトへ、そしてカナンへと旅をするが、アブラハムの牧夫とロトの牧夫との間に争いが起きたため、ロトは肥沃な土地である東方のヨルダン地域へと移動し後にソドムへと移住する。
エラムの王ケドルラオメルによってソドムが略奪されると、ロトの家族は家財もろとも捕虜として連れて行かれるが、そのことを伝え聞いたアブラハムによって救出される。

後に、天使がソドムに派遣され、ヤハヴェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。
そこでロトは夜が明ける前にロトの妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。
逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となる。


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その後、彼らは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ近親相姦し父によって男子を1人ずつ生んだ。
長女の息子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモンの人々の祖となった。

ロトがいた洞窟とされる場所はビザンチン時代はキリスト教徒の巡礼地となり、教会が建造された。
この教会の遺跡(アラビア語: デイル・アイン・アバタ)が死海東南岸に残されている。

教会横には「ロトの洞窟」が存在する。
教会は現代のヨルダン王国カラク県に位置するが、カラク地域は歴史的には「モアブ」と呼ばれていた。
洞窟で生まれたというモアブ人は鉄器時代には同地域に王国を築いていた。

『創世記』ではロトの妻と娘たちの名は明かされていない。
「エシェット・ロット」は「ロトの妻」という、文字通りの意味。
英語表記はEshet Lot で、英訳するとLot’s wifeとなる。


出典: 「ロト」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

さすがにジューンさんは詳しいですね。

キリスト教徒ならば、この話はたいていの人が知っていますわ。

あれっ。。。 ジューンさんも日曜日にはミサのために教会に行くのですか?

気が向いたら行くことにしていますわ。 (微笑)

ジューンさんはキリスト教徒でも、あまり熱心でない教徒なのですね。

デンマンさん。。。 そのような事はどうでもいいのですわ。 それよりも、どうして「ロトの妻」が岩になって海の中にあるのですか? たとえ岩にされてしまっても海の中ではなくて平地にあるはずですわ。

 


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うん、うん、うん。。。 『旧約聖書』に従えば、確かに「ロトの妻」は「塩の柱」にされて海ではなくて平地か、あるいは荒野にあるのですよ。 でもねぇ、実は、太平洋の中にも岩にされた「ロトの妻」があるのですよ。

 


(lot004.jpg)

 

これが、その太平洋に佇んでいる「ロトの妻」なのですか?

その通りです。

そのような事は聞いたことがありませんわ。

無理もないでしょう。 日本人でも知らない人が多いのだから。。。

あらっ。。。 冗談ではなくてマジで「ロトの妻」と呼ばれる岩が太平洋の海の上に写真のように突き出ているのですか?

もちろんですよ。 僕は「でまかせ」を言っている訳ではないのです。

でも、日本語の本を読んでも、そのような話を読んだためしがありませんわ。

無理もありませんよ。 僕自身も、最近になって知ったのだから。。。

またバンクーバー市立図書館で借りた本の中に出てきたのですか?

そうです。

 


(lib30303.gif)

 

上のリストの赤枠で囲んだ本の中に出てきたのですか?

そうです。 その箇所を読んでみてください。

 

船の名はフェーリス号。
船長はジョン・ミーアズ(1756?-1809)という元イギリス海軍大尉である。

ミーアズは、中国在住のイギリス商人ジョン・ヘンリ・コックスが1785年に設立した「ベンガル毛皮商会」に雇われ、北アメリカ西海岸で住民からラッコの毛皮を買いつけ、それを中国で売る、という仕事に従事していた。
ただし、当時のイギリスでは、中国での取引に際してはイギリス東インド会社、アメリカ西海岸での取引に対しては南海会社に、それぞれライセンス料を支払う必要があったのだが、コックスの事業はそれを無視した非合法なものだった。
ミーアズは1786~87年の最初の航海を行い、アラスカ沿岸に到達して交易を行っている。

続いて1788年、コックスらはフェリース号とイフィジェナイア号の二隻を購入し、二度目の航海を行うことにした。
フェリース号にはミーアズ、イフィジェナイア号にはウィリアム・ダグラスがそれぞれ船長として乗り込むことになった。
このとき、イギリス当局の目をかいくぐるため、コックスらはマカオのポルトガル商人たちとの合弁企業をでっちあげ、二隻もポルトガル船籍だということにしている。

ミーアズの航海記によると、フェリース号は1月22日にマカオを出港し、ミンダナオ島に寄航したのち北アメリカへと向かった。
この途中で、彼はグランパス島を“発見”することになる。
問題の島が目撃されたのは、4月5日のことである。

(中略)

この4日後(9日)、フェリース号は、巨大な岩が海中にぽつねんとそそり立っている、という異様な光景に出くわしている。


(lot004.jpg)

その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。

船員たちは、なにか超自然的な力がこの岩の形を突然今の形に変えたのだ、と強く信じたがっていた。

その岩は「ロトの妻(Lot’s Wife)」という名前を与えられた。 (略)

正午までに我々はこの岩の横に並んだ。

 (中略)

ところで、この巨岩は現存しているのだが、ミーアズの報告とは大きく異なっている。
北緯29度47分37秒・東経140度20分31秒、鳥島の南方約75キロの地点に、海中から、標高99メートルの巨大な岩が突き出している。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)


72-77ページ 『地図から消えた島々』
著者: 長谷川亮一
2011年8月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 吉川弘文館

 

。。。で、この巨大な岩は日本の領海にあるのですか?

そうなのですよ。 ウィキペディアには次のように書いてありますよ。

 

孀婦岩(そうふがん)


(loto001.jpg)

 

孀婦岩は伊豆諸島の島。
同諸島の最南端にある無人島で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。
日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。

東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩。
火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸であり、したがって岩質は玄武岩である。

頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。
面積は0.01平方km。
カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口がある。

その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、ほか2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する。
ただし転落事故も記録されている。

周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。
また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。

海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっている。また、頂部にイネ科の植物が生息している。

孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉のジョン・ミアーズ(John Meares)であった。
彼は交易のため二艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。


出典: 「孀婦岩」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

つまり、「ロトの妻」が日本の領海にあるということがデンマンさんにとって興味深かったので、記事を書いたのですか?

いや、違うのですよ。 ロトは夜が明ける前に妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。 逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」になてしまう。 これに似た話が日本の神話にあるのですよ。

 


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どのようなお話なのですか?

次のような話ですよ。

 


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イザナギ(伊弉諾)は、古事記、日本神話に登場する皇祖神で、イザナミ(伊弉冉)の夫である。
イザナミは、火の神であるカグツチ(軻遇突智)を産むと、あまりにも熱かったために陰部に火傷を負って、それがもとで亡くなってしまう。

夫のイザナギは妻の死を嘆き悲しんだ。
しかし、どうしても諦めきれない。
なんとかして、イザナミに逢いたい。

それで黄泉国(よみのくに)まで逢いに行った。
番人に尋ねると親切にイザナミを呼んできてくれた。
でも、暗くて顔まではよく見えない。

「私もあなたにお会いしたかった」
「それなら、これから一緒に現世に戻ろうじゃないか」
「分かりました。 でも、一つだけ約束してください。 現世に戻る間、振り向いて私をご覧になってはいけません。 この約束を守ることができますか?」
「もちろんだとも。。。 約束するよ」

ところが、現世に戻る道すがら、イザナギは、どうしても妻の姿が気になって仕方がない。
ついに振り返って見てはいけないというイザナミとの約束を破ってしまった。

妻の体は腐敗してウジにたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれたイザナミの姿であった。
その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。
追いかけるイザナミ、八雷神、黄泉醜女(よもつしこめ)らに、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げて、イザナギは何とか難を振り切って逃げるのだった。

 

振り向いて妻の姿を見てはダメだと言うのに夫は見てしまう。 すると妻の体は腐敗してウジに覆われていたというのですよ。

つまり、「ふりむいてはいけない」という事が2つのエピソードに共通していると言うのですか?

その通りですよ。

要するに、日本の神話には『旧約聖書』の「ロトの妻」のエピソードの影響があるとデンマンさんは言いたいのですか?

そうですよ。 ジューンさんも、そう思いませんか?

それは偶然だと思いますわ。 第一、「ロトの妻」のエピソードはヨルダンの地域で生まれたものですわ。 日本と何千キロも離れていますわ。 日本の神話が『旧約聖書』の影響を受けるはずがありませんわ。

ところが、聖徳太子の伝説にも明らかに『聖書』の影響を受けているというエピソードがあるのですよ。

まさか。。。?

ジューンさんは信じられないかもしれないけれど、マジなのですよ。

つまり、相馬 沙扶羅(そうま さふら)さんも 聖徳太子の伝説に『聖書』の影響があるというエピソードを読むために、『海に佇むロトの妻』というタイトルで記事を探したわけですかァ?

そういうことです。。。 僕が続きを書いて更新していると思ったのだけれど、どこを探しても書かれてないので、僕にメールを出して尋ねたわけです。。。

。。。で、そのエピソードというのは、どの記事で書いたのですか?

次の記事です。。。

 


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『なぜ厩戸王子なの?』

 

ジューンさんも読んでみてください。。。

でも。。。、でも。。。、この記事は2003年8月3日に書いたものではありませんかァ!

そうです。。。 今から14年前です。。。 いけませんか?

『海に佇むロトの妻』よりも前に書いたのではありませんかァ!

そうです。。。 うっかりして忘れていました。。。


初出: 2017年8月23日


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたはデンマンさんが書いた上の聖徳太子のエピソードを信じることができますか?

ええっ。。。 そんな事はどうでもいいのですか?

少しは日本の古典のお話を真面目に読んでくださいなァ~。。。

ええっ。。。? そんなことより、もっと面白いエピソードはないのかってぇ~。。。?

貴方が そう言うのであれば、特に貴方のために取って置きのお話をしますわァ。。。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


(buttdimp5.jpg)

スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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(spacer.png+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


(juneswim.jpg)


(byebye.gif)

黒人差別

 

黒人差別

 


(blacksab10.jpg)


(blacksab11.jpg)


(junko05.gif)


(junko11.jpg)

デンマンさんは、黒人を差別するのですかァ〜?


(kato3.gif)

いや。。。1960年代までにアメリカ人が黒人を差別していたような差別はしていません。。。

でも、やっぱり黒人を見ると差別したくなるのですか?

僕はアメリカ人が差別していたようには黒人を差別していませんよ。。。

でも、黒人を見るとデンマンさんは、ムカつくのですかァ〜?

別にムカつきません。。。ジュンコさんは、どうして僕が黒人を差別していると思うのですか?

だってぇ〜、タイトルに そう書いているではありませんか?

あのねぇ〜。。。僕が黒人を差別しているのでタイトルに「黒人差別」と書いたわけじゃないのです。。。たまたまバンクーバー市立図書館でDVDを借りて観ていたら次の映画に出くわしたのですよ。。。

 


『拡大する』

『実際のページ』

 

TILL

 


(till100.jpg)

 

『ティル(TILL)』は、チノニエ・チュクウが監督し、マイケル・ライリー、キース・ビーチャム、チュクウが脚本を書き、ビーチャム、ライリー、ウーピー・ゴールドバーグが制作した2022年の伝記ドラマ。

この映画は、1955年8月28日に14歳の息子エメットが殺害された後、母親が正義を追求した映画。
母親のメイミー・ティルは、後年、教育者となり、人権活動家として活躍した。
この映画は、彼女の実話に基づいて制作された。

メイミー役でダニエル デッドワイラー、エメット役でジャリン ホールが出演している。

制作者の一人であるウーピー・ゴールドバーグもエメットの祖母として出演している。

この映画は2020年8月に正式に発表されたが、エメット・ティル殺害に関するプロジェクトは数年前から進行していた。
翌年の夏には主要キャストの多くが参加し、その秋にジョージア州バートウ郡で撮影が行われた。

これは、テレビシリーズ「ウィメン・オブ・ザ・ムーブメント」に続き、2022年にリリースされるメイミー・ティルを題材にした2番目の主要メディア作品となる。
この映画はメイミー・ティルの生涯と功績を追悼するものであり、その公開は2022年10月にミシシッピ州グリーンウッドでエメット・ティルを偲ぶ銅像の除幕式と同時期に行われた。

 

あらすじ ネタバレ注意!

1955年8月、14 歳のエメット ティルは母親のメイミーとシカゴで暮らしている。
エメットがミシシッピ州マネーの親戚に会うために出発する前に、メイミーはエメットに白人の周りでは特に注意するように警告する。

駅でティル家はメイミーの叔父であるモーズ・“プリーチャー”・ライトとエメットの従兄であるウィーラー・パーカーと会う。
小作農場で綿花を摘んだ後、エメットと彼の従兄弟たちはブライアントの食料品店でキャンディーを買う。

レジでエメットはキャロリン・ブライアントに、財布の中に入っている白人少女の写真を見せる前に、彼女は映画スターのようだと言う。
でも、黒人の少年にバカにされたとムカついて、キャロリンはピストルを持ち出す。
キャロリンは店の外で口笛を吹くエメットの後を追う。
その姿にビックリして、エメットと彼の従兄弟たちは車に乗り込んで逃げる。

8月28日の早朝、キャロリンの夫ロイと異母兄弟ジョン・ウィリアム・“JW”・ミラムがライツの家に到着し、強引に中に入る。
彼らはエメットを寝室の1つで見つけ、彼を誘拐する前に服を着るように強制した。

エメットの大叔母エリザベスは男たちに金を提供するが、ミラムは断る。
出発する前に、ミラムは銃を持ってライトを人質に取る。

他の車両の中でキャロリンはエメットを特定し、ブライアントは夜陰に向けて車で走り去る。
その後、エメットはひどく殴られ、射殺され、遺体はタラハッチー川に捨てられた。

シカゴに戻ったメイミーは、息子が誘拐されたことを知らされる。
この時には、まだ殺されていることまでは分かっていなかった。

彼女のいとこのレイフィールド・ムーティは、シカゴのNAACP支部の顧問であるウィリアム・ハフと会うように彼女を説得する。
メイミーの個人的な経歴が尋問されるため、ハフはオフィスでメイミーの過去の結婚について尋ねる。

一方、警察は川沿いでエメットの死体を発見する。
その知らせを聞いたメイミーはショックで倒れてしまう。
ムーティの助言にもかかわらず、メイミーは息子の遺体をシカゴに移送するよう頼む。

その直後、エメットの棺が電車で到着し、それを見たメイミーは苦痛のあまり泣き叫ぶ。
解剖台の上で息子のグロテスクな死体を見たメイミーは、息子に何がされたかを明らかにするために息子の棺を開けたまま葬式を行う。

 


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エメットの殺害と葬儀は全米の見出しを飾った。

ロイ・ブライアントとJ・W・ミラムはエメット殺害に関連した行為で起訴された。
メイミーは父親に付き添われ、エメットの裁判に出席するためマウンド・バイユーへ向かう。

TRMハワードが率いる地域評議会で、ハワードはメイミーに、彼女の活動が黒人アメリカ人に対する投票権に対する連邦政府の支援を活性化するのに役立つ可能性があるとして、裁判後の将来について考えるよう求める。

公判初日、別の証人が出たことを知った検察官は休廷を要請し、裁判官はこれに同意して休廷する。
休憩中に、検察はエメット殺害の目撃者であるウィリー・リードを突き止める。

翌日、ライトとリードは証言を行い、前者はミラムが家族に銃を突きつけた犯人であると特定する。
次にメイミーは裁判に出廷し、死体が自分の息子であると特定できると証言する。

弁護側はその後、メイミーがミシシッピ州での身の振り方についてエメットに警告したと「有色記者」に語ったとして反対尋問する。
その後、証言台でキャロリン・ブライアントは、エメットが彼女に性的な誘いをかけたと証言する。

メイミーは怒り、判決はすでに決まっているようなものだと言い、判決が出ないうちに法廷を後にする。
約1時間後、陪審はエメット殺害のロイ・ブライアントとJ・W・ミラムに無罪判決を下す。

1か月後、ハーレムで開催されたNAACPの集会で、メイミーはミシシッピ州の刑事司法制度が被害者を非難していることと、平等な正義の約束を怠っている米国を批判する。
彼女は家に帰り、エメットの部屋でエメットの思い出に涙する。

 


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映画でのエメットと母親のメイミー


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実際のエメットと母親のメイミー

 


(デンマン訳)

出典: 「Till (film)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

裁判ではエメットを殺害した二人は無罪になったのですか?

そうです。。。陪審員はすべて白人だったのですよ。。。当時は、黒人に対するリンチは当たり前のように行われていた。。。

 


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だから、エメットが殺害されたのも、そのようなリンチの一つだと考えられたから、白人の陪審員たちは、殺されたエメットに同情する者は一人もいなかった。

でも、14才の少年が些細なことで殺されたのですよ。。。どう考えても非人道的ですわァ〜。。。

でも、当時は、白人女性に黒人が妙な事を言うことは、今で言えば「セクハラ」と考えられていた。。。白人の目には、それは「レイプ」にも等しい、やってはいけないことだった。。。

そもそも、差別することはアメリカでは法律で認められていたのですかァ〜?

1964年まで法律で認められていたのですよ。。。

 

ジム・クロウ法

 


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ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。
ジム・クロウ制度とも呼ばれる。

主に「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」を総称していう。

しかし、この対象となる人種は「アフリカ系黒人」だけでなく、「黒人の血が混合している者は全て黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定(ワンドロップ・ルール)」に基づいており、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン(先住民)、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)、日系人などアジア系といった黄色人種などの、ヨーロッパ系の白人以外すなわち非白人の「有色人種」(Colored)をも含んでいる

 

経緯

南北戦争以前、北部州(共和党支持基盤)は「奴隷制廃止」を掲げていた。
しかし、伝統的な南部11州(民主党支持基盤)は反対に「奴隷制維持」を掲げていた。

南北戦争終了後の南北統合期(リコンストラクション)初期、この対立の元に、合衆国軍占領下の南部11州は先手を打って、解放奴隷を抑圧して黒人の準奴隷システムを正当化するような「黒人法」(英語: Black Codes、黒人取締り法とも)を制定した。

当時工業で発展し始めていた北部都市(デトロイト・シカゴなど)と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。
そのため、「黒人が白人と平等になっては困る」というのが、南部経済を支える有力な白人農園主たちの本音であったと考えられる。
この黒人取締り法が、ジム・クロウ法の礎になっていった。

南部各州での「黒人取締り法」は制定直後、合衆国議会で1866年公民権法が成立したことによって廃止されたが、リコンストラクション後に連邦政府の干渉が少なくなった中、南部諸州では次々とジム・クロウ法が制定された。

1945年以降、公民権運動が高まるとジム・クロウ法に対して裁判闘争が行われ、1954年から1955年にかけて、連邦最高裁判所は、プレッシー対ファーガソン裁判で確立された「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆し、公立学校における人種別学制度は違憲とする判決を下した。

1964年7月2日、リンドン・ジョンソン政権は公民権法 (Civil Rights Act) を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった

 

名の由来

ジム・クロウという名は、ミンストレル・ショー(Minstrel Show、白人が黒人に扮して歌うコメディ)の1828年のヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ(英語版)』(Jump Jim Crow) に由来する。

コメディアンのトーマス・ダートマス・ライス (Thomas Dartmouth “Daddy” Rice) が演じて人気を博し、顔を黒塗りして黒人に扮するブラックフェイス・パフォーマンスを全米に広めた。

 

 

ジム・クロウは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、着飾った都会の黒人であるジップ・クーン (Zip Coon) とともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。

1837年までに、ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになっている。

 

州法の例

アラバマ州法

病院:白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として立ち入れない。

バス:バス停留所には白人用と有色人種用の2つの待合場が存在し、乗車券販売所も白人用と非白人用があった。座席まで区別されており、モンゴメリー・バス・ボイコット事件の発端になった。

電車:人種ごとに車両が選別されるか、同一車両内でもバスと同様、人種ごとに席が分けられた。

レストラン:白人と有色人種が同じ部屋で食事ができるようなレストランは違法になりさえもした。

フロリダ州法

結婚:白人と黒人の結婚は、禁止された。なお、4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば(16分の1)、純粋な黒人と同様、『黒人』として扱われた。

交際:結婚していない黒人と白人は(結婚自体既に禁止されているが)一緒に居住してはならないし、共同の部屋で夜を過ごしてもならない。この犯罪には12か月以上の禁固刑、もしくは$500(当時)の罰金が科せられた。

学校:白人学校と黒人学校は、厳密に区分された。

ミシシッピ州法の例

平等扇動罪:パンフレット・出版・公共場での演説などで社会的平等・異人種間結婚を奨励すれば、6か月以下の懲役、もしくは$500以下の罰金


上記州以外に、ジョージア州、ルイジアナ州、ノースカロライナ州、ワイオミング州が類似した法律を持っていた。

ほとんどの南部州では過剰な投票税を課すなどして、黒人が投票するのを防止しようとした。


出典: 「ジム・クロウ法」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

エメットを殺害した二人は、結局、無罪放免になったのですか?

そうです。。。でも、1956年にルック・マガジン(Look Magazine)のインタビューに答えて、二人はエメットを殺害したことを認めたのです。。。

それでも、裁判のやりなおしにはならないのですか?

アメリカには、いったん裁判で無罪の判決が出たら、その事件で2度と裁判はやらない(double jeopady clause)という法律があるのです。。。だから、二人はインタビューに答えて本当のことを話したのですよ。。。

それってぇ、納得のゆかない法律ですわねぇ〜。。。

確かに、冤罪で刑務所に入っていた人が、新たな証拠が見つかって裁判のやり直しで無罪となって釈放されることがあるのだから、その逆もあってもいいと思うのですよ。。。

それなのに、なぜ同じ事件で2度と裁判をやらないのですか? 殺したことを認めたのだから、有罪にして刑務所に入れるべきですわ。。。。

でもねぇ〜、人道上の問題があるのですよ。。。裁判で充分にヒヤヒヤした思いを味わったのです。。。それに、罪の意識で、良心は傷ついているのですよ。。。しかも、キリスト教信者の多い国だから、「許す」ということでキリスト教信者は許すことにより救われるのですよ。。。

でも、素直に頷(うなず)けませんわ。。。

無罪になった二人に対しては、裁判をやらなかったけれど、事件の再捜査をやったのですよ。。。

 

再捜査

 


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関係者のその後

ミランとブライアントは、数年間テキサスに居住した後、ミシシッピーに戻った。
ミランは、1980年に61歳でガンにより死亡した。

ブライアントは、テキサスにいる間は溶接工として働いたが、その為彼の後半生は半盲となった。
ブライアントとキャロラインはある時期離婚し、ブライアントは1980年に再婚した。

彼は、ミシシッピーのルービルで商店を経営していたが、1984年と1988年にはフードスタンプの扱いに関する詐欺の罪で有罪になっている。
ブライアントは、1994年に63歳でガンにより死亡した。

エメット・ティルの母は、ジーン・モブリーと再婚し、教師の職を得て、そして彼女の息子に起こった出来事について人々を啓発する活動家として、彼女の人生を費やした。
1992年、ロイ・ブライアントがエメット・ティルの殺人への関与について取材されている間、ティル-モブリーはそれを聞く機会があった。

ティル-モブリーが聞いているとは知らないブライアントは、エメット・ティルが彼の人生を滅ぼしたと主張し、後悔の面は表さず、「エメット・ティルは死んだんだ、なんで死んだままでいてくれないんだ、俺には分からない」と述べた。

 

再捜査の決定

1996年、ドキュメンタリー映画製作者キース・ボーシャンはエメット・ティルの開かれた棺の写真に大いに心を動かされた。

 


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エメット・ティルの事件を扱ったドキュメンタリー作品の製作開始に伴い、キース・ボーシャンは事件の背景調査を開始し、再婚したキャロライン・ブライアント・ドーハムを含む14人が事件に関与していた可能性がある事を主張した

モーセ・ライトは、ライトの前庭で、ブライアントとミランがエメット・ティルを連れ去る直前、誰かの「小さな声」を聞き、それが、エメット・ティルを探していた者の声だったと確信した。

ボーシャンは「エメット・ルイス・ティルの知られざる物語」(The Untold Story of Emmett Louis Till)の製作に9年費やし、2003年に完成した。
同じ年、PBSは、テレビシリーズ「アメリカン・エクスペリエンス」の中で、「エメット・ティルの殺人」の特集を組み、放送した。

スティーブン・ホイットフィールドが1991年に本を出版し、別の本が2002年にクリストファー・メタースによって書かれ、またメイミー・ティル・モブリー自身の回想録も翌年出版された。

それらによって、誰が殺人に加担し、また犯人隠匿に関わっていたか、そして川から引き上げられた遺体の身元特定の問題が解決するに至った。
2004年、アメリカ合衆国司法省は、ミランとブライアント以外の人物が関わっていたかどうか再調査する為、この事件の再捜査を行う事を公表した。

アラバマ大学教授で歴史研究家のデーヴィット・ベイトーは、「エメット・ティルの事件は、『ケネディ大統領暗殺事件』と同様に、今や神話としての価値にまで昇華して行った」と述べている。

2005年、遺体は掘り出され、改めてクック郡検死官によって検視が執り行われた。
DNAテストに於いてエメット・ティルの親族と比較した結果、その遺体は十分にエメット・ティルである事が証明できた。

頭蓋骨の大きな損傷、左の大腿骨折、両手首の骨折が認められた。
45口径のピストルの銃弾と認定できる金属片が、銃創と一致する頭蓋骨内で見つかった。

 

大陪審での結論

2007年2月、主に黒人の陪審員で構成されたレフロア郡大陪審において、黒人の主任検察官ジョイス・チャイルズは、14人がエメット・ティルの誘拐と殺人に加担したというボーシャンの主張について、信用できる根拠が見つからなかったと結論付けた。

ボーシャンは、その決定に激怒したが、ドキュメンタリー「Eyes on the Prize」の製作に携わったデヴィット・ベイトーとファン・ウィリアムズは、歴史を蒸し返し、他の未解決事件から注意をそらす行為だとして、ボーシャンに批判的だった。

同様に大陪審は、キャロライン・ブライアント・ドーハムに対する告訴の十分な理由を見出す事が出来なかった。

ボーシャンによって共犯者として指摘されたヘンリー・リー・ロギンズに関しては、FBI も大陪審も共に、事件に関与したという僅かな信用できる証拠すら発見出来なかった。

ロギンズ以外に、事件に加担したとされる人物の名を公表する事を、2010年現在、ボーシャンは拒否している。


出典: 「エメット・ティル」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

キース・ボーシャンは事件の背景調査を開始し、再婚したキャロライン・ブライアント・ドーハムを含む14人が事件に関与していた可能性がある事を主張したけれど、結局、事件に関与したという信用できる証拠は見つからなかったのですわねぇ〜。。。

そうです。。。再捜査を始めたのが1996年です。。。1955年の事件から すでに41年が経っているのですよ。。。記憶も薄れているし、証拠が残っていて有罪になるだろうと心配している人がいたとしたら、とっくの昔に証拠を隠滅してますよ。。。再審査が遅すぎたのです。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あたなたも、デンマンさんが言うように、証拠が残っていて有罪になるだろうと心配している人がいたとしたら、とっくの昔に証拠を隠滅していたと思いますかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわァ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


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