お菓子・ケーキ・タルト

 
2022年12月25日 (日曜日)
 

お菓子・ケーキ・タルト

 


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(salon22.jpg)

 


(sayuri55.gif)

デンマンさんはお酒が飲めないので甘いものが好きなのですかァ〜?

酒が飲めない人でも甘いものが好きな人はいるんじゃないですかァ?

そういう人がいるかも知れないけれど、そういう人のお話はあまり聞かないですわねぇ〜。。。ところで、どういうわけでペンタレストにお菓子・ケーキ・タルトのカテゴリ(ボード)のページを立ち上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』


『ハルヴァの面白い話』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月17日の午前0時17分から午前4時35分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 12月17日の午前2時2分に ハルヴァの面白い話 を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。

そうです。。。実は、新潟市に住んでいる新井香里奈(あらい かりな)さんが読んだのですよ。。。

 


(ip17511.jpg)

 

香里奈さんは、検索しないで直接 ハルヴァの面白い話 を読んだのですわねぇ〜。。。

そうです。。。香里奈さんは「徒然ブログ」の常連さんです。。。

ハルヴァの面白い話 という記事は、しばしば読まれる人気の記事なのですか?

そうなのですよ。。。この記事は、2014年2月9日に公開した記事なのです。。。人気がある記事なので12月23日に再投稿しました。。。

 


(newpost22-12-23a.jpg)

 

ついでなので、ピンタレストにお菓子・ケーキ・タルトのカテゴリ(ボード)のページも立ち上げたのですよ。。。

 


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『拡大する』


『実際のページ』

 

あらっ。。。ハルヴァの写真も貼り出したのですわねぇ〜。。。

 


(okashi22-12-21x.jpg)

 

そうです。。。ハルヴァの写真も貼り出したのですよ。。。この3つの写真のどれでも、クリックするとその写真のページが表示されます。

 


(halva22-12-24.jpg)


『拡大する』


『実際のページ』

 

緑の楕円で囲んだリンクをクリックするとハルヴァの面白い話 を読むことができるのです。。。

いったい、どういうわけでこの記事が人気があるのですか?

あのねぇ〜、ハルヴァに興味を持っているネット市民も もちろんいるのだけれど、この記事の中には、ある元首相のスキャンダルが書いてあるのですよ。。。小百合さんも読んでみてください。。。

 

米原万里


(mari01.jpg)

誕生 1950年4月29日
死没 2006年5月25日(満56歳没)

ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。

日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘として東京都中央区の聖路加病院で生まれる。

大田区立馬込小学校3年生だった1959年(昭和34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。

9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。

チェコ語による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。
ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。

クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。

1964年(昭和39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。
1965年1月、大田区立貝塚中学校第2学年編入。
日本の試験が○×式あるいは選択式であることにカルチャーショックを受けた。
ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。
プラハの春(1968年)が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。

東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。
1975年3月に同大を卒業し、同年4月、汐文社に入社。
1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。
1978年3月、同修士課程修了。

大学院在学中の1985年(昭和60年)、「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、死亡時『しんぶん赤旗』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。
後年(2002年5月13日)、逮捕直前の佐藤優に米原は「私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」と語っている。

また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、カール・マルクスほどぴったりな人はいないわよ。絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。

1980年ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。

TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるヤクーツクを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。
この経緯をテレビ番組のみならず、児童向けの『マイナス50°Cの世界 寒極の生活』(1986年)として著した。

1983年(昭和58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。
特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。

1990年1月、エリツィン・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。
エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。

2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。

晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。
またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。

卵巣癌を患い除去したが1年4ヶ月で再発し、2006年(平成18年)5月25日に神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

 

エピソード

趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。
親しい友人のイタリア語同時通訳者の田丸公美子も駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼んでいた。
かつてモスクワで橋本龍太郎から強姦未遂の被害を受けた逸話を、評論家の佐藤優が米原本人から聞いた話として

ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。

橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。

 


(hashimo02.jpg)

 

「ほんと怖かった。やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。

仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」

と米原万里は続けた。

と、著書『インテリジェンス人間論』に記載している。


出典:「米原万里」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。元首相の橋本龍太郎さんは、米原万里さんに破廉恥なことをしようとしたのですわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。

でも、この破廉恥事件とハルヴァがどのように関係しているのですか?

米原万里さんが彼女の著書の中で次のように書いているのです。。。

 

トルコの蜜

小学校3年生の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。

学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋によって買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURETSKIJ MED” 直訳すると、「トルコの蜜」 すなわちトルコ蜜飴だったのだ。

ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。
並みのキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。

なのに、ロシア人のイーラは言う。

「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ

「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」

「えっ、ハルヴァを知らないの。 じゃあ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」

 


(halva02.jpg)

 

夏休み明けの9月1日、イーラは約束を果たしてくれた。
ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。
蓋に白字で “хaлва” とだけ書かれてある。

今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。

 


(nivea02.jpg)

&nbs;

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


73 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

 

つまり、「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」というのを読んでデンマンさんは食べてみたいと思ったのですか?

そうです。。。いけませんか?

デンマンさんは意外に単細胞的なところがあるのですわねぇ〜。。。

小百合さんは上の文章を読んで食べてみたいという気持ちにならないのですか?

デンマンさんからこの話を聞く前に読んでいたら食べたいと思ったかもしれませんわ。。。

。。。で、小百合さんが食べた時の感想はどうでした?

とりわけ美味しいとは思いませんでしたわ。。。特徴的な食感があって、これまでの甘いお菓子とは違いますけれど、「ハルヴァの方が百倍美味しいわ」と言ったロシア人のイーラは、とてもまずいトルコのお菓子を口にしたのでしょうねぇ〜。。。

うん、うん、うん。。。そうかもしれません。。。

ところで、元首相の橋本龍太郎さんは小太りな女性が好みなのですわねぇ〜。。。

いや。。。上の米原万里さんの写真を見てそう思ったのならば、お門違いです。。。元首相の橋本龍太郎さんが米原さんに迫った時には、次のように若々しく痩せていたのですよ。。。

&nbp;


(mari02.jpg)

 

あらっ。。。この上の写真を見ると、確かに橋本龍太郎さんが米原さんに迫った気持ちが分かりますわァ〜。。。でも、ハルヴァと橋本龍太郎さんの間には、直接の関係はないではありませんか!

ウィキペディアにも上の本にも書いてないけれど、橋本龍太郎さんは万里さんがハルヴァに目がないことを知っていたのですよ。。。

それで、「ハルヴァをもらったので一緒に食べよう」と万里さんを誘ったのですかァ〜?

そうです。。。でも、首相と一緒にハルヴァを食べるなんて、考えただけでも堅苦しくて緊張して、ルンルン気分で食べられないと思ったので、なるべく差し障りがないように断ったのですよ。。。

そしたら、「実は、仕事のことでも話がある」と言われたので万里さんは、仕方なく橋本首相の部屋に行ったわけですか?

そうです。。。だから、万里さんは「仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」と書いたのですよ。。。


(foolw.gif)

【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも、もし「ハルヴァ」をエサに誘われたら気をつけてくださいましねぇ〜。。。下心が隠れているかもしれませんから。。。

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。

 


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー


(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)

 

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


(hand.gif)

メチャ面白い、


ためになる関連記事



(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に


別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

■ 『ハルヴァ@軽井沢』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『二人の母親』

■ 『アダルトダメよ』

■ 『月の男』

■ 『アダルト駄目』

■ 『ホロドモール』

■ 『ワンダフルライフ』

■ 『上原良司の自由主義』

■ 『季節外れのハロウィーン』

■ 『アダルトと成人』

■ 『やらしい夢』


(fragran11.jpg)

■ 『ハロウィーンと火祭り』

■ 『火祭り』

■ 『火祭りのあとで』

■ 『人気の外人ヌード』

■ 『ひごずいきの装着』

■ 『軽井沢夫人@韓国』

■ 『トランプ悪大統領』

■ 『トランプ大統領@注目』

■ 『味もめん再び』


(sayuri201.jpg)

■ 『宮沢りえ@ツイッター』

■ 『宮沢りえファン』

■ 『行田中央総合病院』

■ 『怖い話が好き』

■ 『夢の軽井沢』

■ 『タリアセン夫人とツイッター』


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(byebye.gif)

 

お菓子・ケーキ・タルト

 


(okashi22-12-21.jpg)


(salon22.jpg)

 


(sayuri55.gif)

デンマンさんはお酒が飲めないので甘いものが好きなのですかァ〜?

酒が飲めない人でも甘いものが好きな人はいるんじゃないですかァ?

そういう人がいるかも知れないけれど、そういう人のお話はあまり聞かないですわねぇ〜。。。ところで、どういうわけでペンタレストにお菓子・ケーキ・タルトのカテゴリ(ボード)のページを立ち上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv22-12-16.jpg)


『拡大する』


『ハルヴァの面白い話』

 

これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月17日の午前0時17分から午前4時35分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。

あらっ。。。 12月17日の午前2時2分に ハルヴァの面白い話 を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。

そうです。。。実は、新潟市に住んでいる新井香里奈(あらい かりな)さんが読んだのですよ。。。

 


(ip17511.jpg)

 

香里奈さんは、検索しないで直接 ハルヴァの面白い話 を読んだのですわねぇ〜。。。

そうです。。。香里奈さんは「徒然ブログ」の常連さんです。。。

ハルヴァの面白い話 という記事は、しばしば読まれる人気の記事なのですか?

そうなのですよ。。。この記事は、2014年2月9日に公開した記事なのです。。。人気がある記事なので12月23日に再投稿しました。。。

 


(newpost22-12-23a.jpg)

 

ついでなので、ピンタレストにお菓子・ケーキ・タルトのカテゴリ(ボード)のページも立ち上げたのですよ。。。

 


(okashi22-12-21.jpg)


『拡大する』


『実際のページ』

 

あらっ。。。ハルヴァの写真も貼り出したのですわねぇ〜。。。

 


(okashi22-12-21x.jpg)

 

そうです。。。ハルヴァの写真も貼り出したのですよ。。。この3つの写真のどれでも、クリックするとその写真のページが表示されます。

 


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『拡大する』


『実際のページ』

 

緑の楕円で囲んだリンクをクリックするとハルヴァの面白い話 を読むことができるのです。。。

いったい、どういうわけでこの記事が人気があるのですか?

あのねぇ〜、ハルヴァに興味を持っているネット市民も もちろんいるのだけれど、この記事の中には、ある元首相のスキャンダルが書いてあるのですよ。。。小百合さんも読んでみてください。。。

 

米原万里


(mari01.jpg)

誕生 1950年4月29日
死没 2006年5月25日(満56歳没)

ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。
著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。

日本共産党常任幹部会委員だった衆議院議員・米原昶の娘として東京都中央区の聖路加病院で生まれる。

大田区立馬込小学校3年生だった1959年(昭和34年)、父が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、一家揃って渡欧した。

9歳から14歳まで少女時代の5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、ロシア語で授業を受けた。

チェコ語による教育ではなくソビエト学校を選択したのは、ロシア語ならば帰国後も続けられるという理由だった。
ソビエト学校は、ほぼ50カ国の子供達が通い、教師はソ連本国から派遣され、教科書も本国から送られたものを用いる本格的なカリキュラムを組んでいたという。

クラスの人数は20人を越えると二つに分けるなど、きめ細かい教育だったが、最初の約半年間は、教師や生徒が笑っていても言葉がわからず、「先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄」だったと述懐している。

1964年(昭和39年)11月、ソビエト大使館付属学校を第7学年で中退し日本に帰国。
1965年1月、大田区立貝塚中学校第2学年編入。
日本の試験が○×式あるいは選択式であることにカルチャーショックを受けた。
ソビエト学校はすべて論述試験だったからである。
プラハの春(1968年)が起こったのは日本へ戻った後の、18歳のときだった。

東京外国語大学外国語学部ロシア語学科に入学、この頃に日本共産党入党。
1975年3月に同大を卒業し、同年4月、汐文社に入社。
1976年3月、同社を退社し、同年4月、東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程に進学。
1978年3月、同修士課程修了。

大学院在学中の1985年(昭和60年)、「東大大学院支部伊里一智事件」に連座して党から除籍処分を受けたが、死亡時『しんぶん赤旗』訃報欄には、党歴無記載ではあるが掲載された。
後年(2002年5月13日)、逮捕直前の佐藤優に米原は「私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかとほんとうに怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ」と語っている。

また、日本共産党から離れた後「今の社会の仕組みや矛盾を説明するのに、カール・マルクスほどぴったりな人はいないわよ。絶対的とは言わないけれど、今読むことのできる思想家の中では、あれほど普遍的に世の中の仕組みや矛盾をきちんと説明できる思想家は他にいない」とたびたび語っていた。

1980年ロシア語通訳協会の設立に参画し、初代事務局長となる。

TBSのテレビ番組『シベリア大紀行』という番組で、厳寒期の平均気温がマイナス60度になるヤクーツクを取材し、厳冬期のシベリアを一万キロにわたり横断。
この経緯をテレビ番組のみならず、児童向けの『マイナス50°Cの世界 寒極の生活』(1986年)として著した。

1983年(昭和58年)頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。
特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事する。

1990年1月、エリツィン・ソ連最高会議議員(当時)来日にあたって、随行通訳を務める。
エリツィンからは「マリ」と呼ばれ、大変可愛がられていた。

2003年から2006年の死去まで、ロシア語通訳協会会長を務める。

晩年は、肉体的にも精神的にも負担の多い同時通訳からは身を引いて作家業に専念した。
またTBSのテレビ番組『ブロードキャスター』にコメンテーターとして出演していた。

卵巣癌を患い除去したが1年4ヶ月で再発し、2006年(平成18年)5月25日に神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。

 

エピソード

趣味は駄洒落と下ネタ、そして犬や猫と暮らすこと。
親しい友人のイタリア語同時通訳者の田丸公美子も駄洒落と下ネタが得意で、米原は田丸に自分の渾名「シモネッタ・ドッジ」なる称号を献上、田丸は米原を「え勝手リーナ」(エカテリーナ)と呼んでいた。
かつてモスクワで橋本龍太郎から強姦未遂の被害を受けた逸話を、評論家の佐藤優が米原本人から聞いた話として

ロシア語通訳の米原万里は大きな瞳で筆者を見つめ「私橋龍に襲われそうになったことがあるの」と言った。

橋本龍太郎・元首相はエリツィンとの会談で通訳してもらう内容について相談したいと米原万里を3部屋続きのプレジデント・スイートに呼び出し暫く打ち合わせたが途中から様子が変わり米原万里に迫ってきたということだ。

 


(hashimo02.jpg)

 

「ほんと怖かった。やっとの思いで部屋から逃げ出したわ。

仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」

と米原万里は続けた。

と、著書『インテリジェンス人間論』に記載している。


出典:「米原万里」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あらっ。。。元首相の橋本龍太郎さんは、米原万里さんに破廉恥なことをしようとしたのですわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。

でも、この破廉恥事件とハルヴァがどのように関係しているのですか?

米原万里さんが彼女の著書の中で次のように書いているのです。。。

 

トルコの蜜

小学校3年生の秋、両親の仕事の都合でチェコスロバキアのプラハに移り住んだ。

学校の帰り道、学友たちと駄菓子屋によって買うお菓子の人気ナンバーワンが“TURETSKIJ MED” 直訳すると、「トルコの蜜」 すなわちトルコ蜜飴だったのだ。

ヌガーをもう少しサクサクさせて、ナッツ類の割合を多くした感じ。
並みのキャンディーやチョコレートじゃ太刀打ちできないぐらい美味しい。

なのに、ロシア人のイーラは言う。

「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ

「そのハルヴァっていうの、食べてみたい」

「えっ、ハルヴァを知らないの。 じゃあ今度、モスクワに帰ったときに買ってきてあげる」

 


(halva02.jpg)

 

夏休み明けの9月1日、イーラは約束を果たしてくれた。
ちょうど靴磨きのクリームが入っている缶のような形とサイズの青い容器。
蓋に白字で “хaлва” とだけ書かれてある。

今も青い丸い缶に“NIVEA”と白地で書かれたニベア・スキンクリームの容器を見るたびにイーラが持ってきたあの缶を思い出す。

 


(nivea02.jpg)

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)


73 ページ 『旅行者の朝食』
著者: 米原万里
2002年6月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

 

つまり、「これなら、ハルヴァの方が百倍美味しいわ」というのを読んでデンマンさんは食べてみたいと思ったのですか?

そうです。。。いけませんか?

デンマンさんは意外に単細胞的なところがあるのですわねぇ〜。。。

小百合さんは上の文章を読んで食べてみたいという気持ちにならないのですか?

デンマンさんからこの話を聞く前に読んでいたら食べたいと思ったかもしれませんわ。。。

。。。で、小百合さんが食べた時の感想はどうでした?

とりわけ美味しいとは思いませんでしたわ。。。特徴的な食感があって、これまでの甘いお菓子とは違いますけれど、「ハルヴァの方が百倍美味しいわ」と言ったロシア人のイーラは、とてもまずいトルコのお菓子を口にしたのでしょうねぇ〜。。。

うん、うん、うん。。。そうかもしれません。。。

ところで、元首相の橋本龍太郎さんは小太りな女性が好みなのですわねぇ〜。。。

いや。。。上の米原万里さんの写真を見てそう思ったのならば、お門違いです。。。元首相の橋本龍太郎さんが米原さんに迫った時には、次のように若々しく痩せていたのですよ。。。

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あらっ。。。この上の写真を見ると、確かに橋本龍太郎さんが米原さんに迫った気持ちが分かりますわァ〜。。。でも、ハルヴァと橋本龍太郎さんの間には、直接の関係はないではありませんか!

ウィキペディアにも上の本にも書いてないけれど、橋本龍太郎さんは万里さんがハルヴァに目がないことを知っていたのですよ。。。

それで、「ハルヴァをもらったので一緒に食べよう」と万里さんを誘ったのですかァ〜?

そうです。。。でも、首相と一緒にハルヴァを食べるなんて、考えただけでも堅苦しくて緊張して、ルンルン気分で食べられないと思ったので、なるべく差し障りがないように断ったのですよ。。。

そしたら、「実は、仕事のことでも話がある」と言われたので万里さんは、仕方なく橋本首相の部屋に行ったわけですか?

そうです。。。だから、万里さんは「仕事にかこつけて呼び出しておいて迫るのは男として最低だわ」と書いたのですよ。。。


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも、もし「ハルヴァ」をエサに誘われたら気をつけてくださいましねぇ〜。。。下心が隠れているかもしれませんから。。。

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ~♬~ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ~♬~。

 


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー


(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)

 

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


(hand.gif)

メチャ面白い、


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(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に


別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

■ 『ハルヴァ@軽井沢』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

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■ 『アダルトダメよ』

■ 『月の男』

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■ 『ホロドモール』

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■ 『火祭り』

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■ 『トランプ悪大統領』

■ 『トランプ大統領@注目』

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■ 『宮沢りえ@ツイッター』

■ 『宮沢りえファン』

■ 『行田中央総合病院』

■ 『怖い話が好き』

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■ 『タリアセン夫人とツイッター』


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