ブラック・ダリア猟奇事件

 

ブラック・ダリア猟奇事件

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでブラック・ダリア猟奇事件 を取り上げるのですか?


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あのねぇ〜、ユーチューブで「人間ドキュメント」のクリップを探していたら、次のクリップに出くわしたのですよ。。。

 


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ブラック・ダリア事件

 

ブラック・ダリア事件(Black Dahlia Murder)とは、1947年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件である。

エリザベス・ショート(Elizabeth Short、1924年7月29日 – 1947年1月14日または15日)という女性がカリフォルニア州ロサンゼルス近辺のレイマート・パークで遺体となって発見された。

ショートの遺体は腰の部分で両断されるという痛ましい状態だった。

 


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この惨状から事件は非常に話題となり、ショートは死後に「ブラック・ダリア」という呼び名で知られるようになった。

ショートはボストン出身で、幼少の頃はマサチューセッツ州メドフォードやフロリダに住んでいた。
後に父の住むカリフォルニアへ転居した。

一般にショートは女優志望だったことが知られているが、ロサンゼルスで過ごしていた間に何らかの女優の仕事をしていたかは不明である。
ショートは死後、「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ばれるようになるが、これは当時の新聞は特に陰惨な犯罪にしばしばニックネームを付けていたためである。

ニックネームは記者がカリフォルニア州ロングビーチの薬局の店主から聞いた話に由来するらしく、薬局の男性客がショートのことをそのようなニックネームで呼んでいたという。1

946年4月に公開されたヴェロニカ・レイクとアラン・ラッドが主演のフィルム・ノワールThe Blue Dahlia(邦題:『青い戦慄』)のもじりであると考えられる。
1947年1月15日にショートの遺体が発見されてから、ロサンゼルス市警察は大規模な捜査を開始した。
被疑者は150人以上いたが、誰も逮捕することはなかった。

事件そのものや事件にまつわる様々なことが長く人々の注目を惹き付け、様々な説が生まれている。
数多くの書籍や映画がショートの生涯と死を元としている。

ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も有名な未解決殺人事件の一つであり、ロサンゼルス郡で最も昔に起こった未解決事件の一つでもあることから、頻繁に引き合いに出される。

歴史家からは、第二次世界大戦後のアメリカで国中の関心を集めた最初の主要な犯罪の一つとして評されている。

 

遺体の発見

1947年1月15日の朝、ロサンゼルスのレイマート・パークのコリシアム・ストリートとウェスト39番ストリートの中間にある、サウス・ノートン・アベニューの西側の空地で、2つに切断されたショートの半裸の遺体が発見された。

当時、近隣はほとんどが未開発だった。
午前10時頃、3歳の娘と一緒に歩いていた地元の住民のベティ・バーシンガー (Betty Bersinger) が遺体を発見した。
バーシンガーは最初、マネキンが投棄されていると思った。
それが死体だと気付くと、近隣の家へ駆け込んで警察へ通報した。

ショートの遺体は腰の部分で完全に切断されており、血液が全て抜かれていた。
肌は青ざめた白色になっていた。

監察医は、ショートは遺体として発見される約10時間前に死亡したと断定し、死亡時刻は1月14日の夜または1月15日の早朝とした。
遺体は明らかに洗い清められていた。

また、口角から耳までが切り裂かれ、いわゆる「グラスゴー・スマイル」になっていた。

 


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腿や胸にも数箇所に切られた傷が見られ、その部分の肉は全体的に薄くスライスされていた。
遺体の下半身は上半身から足が遠くなる向きで置かれ、腸は臀部の下に完全に押し込まれていた。
遺体は両手が頭の上に置かれ、両肘が直角に曲げられ、両脚は広げられていた。

 

被疑者と自白

ショートの殺害は有名になり、それが原因で数年にわたって数多くの人々が出頭していった。
その多くは嘘であると考えられた。

初期捜査では合計して60回の出頭があった。
そのほとんどが男性によるものだった。

それ以来、500名以上の人々が犯行を自白してきた。
その中にはショート殺害の時点では生まれていない人さえもいた

引退するまでこの事件に取り組んだジョン・P・セント・ジョン(John P. St. John) 巡査部長は、これほどまで多くの人が自分は殺人者であると名乗り出るのは驚くべきことだと述べた。

2003年、事件を担当した刑事の一人であるラルフ・アスデル (Ralph Asdel) はロサンゼルス・タイムズに、ショートを殺したと思しき人物を尋問したことがあると語った。
その男性は、1947年1月15日の早朝に、遺体が発見された空地の近くでセダンを駐車しているのを目撃された。

その日、近隣住民が刈り取った芝を空地に捨てに車で立ち寄ったときに、駐車されたセダンを見かけた。
セダンは右後方のドアが開いており、セダンの運転手が空地の中に立っていたという。
運転手は近隣住民が現れたことに驚いていたようで、近隣住民の車に近付き、窓の中を凝視すると、セダンの方へ戻って去っていった。
セダンの持ち主は地元の料理店で働いていることまで追跡されたが、最終的には容疑から外れた。

様々な著述家や専門家の間で依然として議論の対象となっている被疑者の中には、ウォルター・ベイリー (Walter Bayley) という医師もいる。
ベイリーが犯人であるという説は、かつてロサンゼルス・タイムズの原稿整理編集者だったラリー・ハーニッシュ (Larry Harnisch) により提案された。

伝記作家のドナルド・ウォルフ (Donald Wolfe) は、ロサンゼルス・タイムズの経営者であるノーマン・チャンドラー(Norman Chandler) がショートを妊娠させ、後に殺害したと主張している。

他にも被疑者として、レスリー・ディロン (Leslie Dillon)、ジョセフ・A・デュメー (Joseph A. Dumais)、アーティ・レーン (Artie Lane、またの名をジェフ・コナーズ )、マーク・ハンセン、フランシス・E・スウィーニー (Francis E. Sweeney) 医師、ジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニア(George Hill Hodel Jr)、ホーデルの友人フレッド・セクストン(Fred Sexton)、ジョージ・ノールトン (George Knowlton)、ロバート・M・”レッド”・マンリー、パトリック・S・オライリー (Patrick S. O’Reilly)、ジャック・アンダーソン・ウィルソン (Jack Anderson Wilson、またの名をアーノルド・スミス )が挙げられている。

警察はジョージ・ヒル・ホーデル・ジュニアを被疑者と考えたことがあったが、正式に告発することはなかった
ホーデルの死後、その息子がホーデルを告発したことで注目を集めた。

ホーデルの息子のスティーヴ・ホーデル (Steve Hodel) はロサンゼルスで殺人事件を担当する刑事であり、父はショートの他にも数名を殺害したと主張した。

ブラック・ダリア事件の前にも、ホーデルは自身の秘書のルース・スポールディング (Ruth Spaulding) を殺害した容疑で疑われていたが、告発されなかった

しかし、自身の娘のテーマー (Tamar) を強姦した容疑で告発されたことはあり、その犯行は認めていた
ホーデルは数回アメリカから逃亡していたことがあり、1950年から1990年はフィリピンに住んでいた。

 

売春や性の経歴について

多くの犯罪について扱う書籍で、ショートは1940年代中頃にロサンゼルスに住んでいた、もしくは何度も来ていたと書かれており、ギルモアの著書Severedも含め、ショートはハリウッド酒保で働いていたと主張されている。

この説はハーニッシュにより反論されており、ショートは実際は1945年にハリウッド酒保が閉店した後になって初めてロサンゼルスに住むようになったという。

ショートの知り合いの一部や数名の著述家、記者は、ショートはロサンゼルスにいたときに売春婦やコールガールだったと述べている。

ハーニッシュによると、当時の大陪審により、ショートが売春婦だったことがあることを示す現存する証拠は存在していないことが証明されたという。
また、ショートが売春婦だったという噂は、一部がこの事件を元にしているジョン・グレゴリー・ダン (John Gregory Dunne) の1977年の小説True Confessionsに由来するとも主張している。

広く流布している別の噂で、ときにはショートが売春婦だったという噂の反証にもされているものに、ショートは生まれつきの欠陥で性器が発育不全 (いわゆる「小児生殖器」) であり、そのために性行為をする能力がなかったというものがある。

ロサンゼルス郡地方検事の記録によると、捜査官が3人の男性に対してショートと性交したか質問しており、その中には被疑者と見なされていたシカゴの警察官も含まれている。

FBIの記録にも、ショートの恋人と称する人物による発言が含まれている。
ショートの検死記録は、マイケル・ニュートン (Michael Newton) の2009年の著書The Encyclopedia of Unsolved Crimesに全文が転載されており、そこにはショートの子宮は「小さい」と書かれている。

しかし、ショートの生殖器が通常とは解剖学的に異なる部分が他にあるという記述は存在しない。
検死記録には、ショートは妊娠したことがないとも書かれており、ショートの生前や死後に語られていた話と反している。

ショートは同性愛者だったという噂もよく流布された。
グリモアによれば、この噂は代理検視官がロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスのベボ・ミーンズに、ショートは性器が小さいため男性と性交していなかったと語った後に広まったという。

ミーンズはこの話をショートは女性と性交すると解釈し、ミーンズと記者のシド・ヒューズ (Sid Hughes) の両名は更なる情報を求めてロサンゼルスのゲイバーを調査し始めたが、成果は無かったという。

 

事件のその後から現在まで

ショートはカリフォルニア州オークランドのマウンテン・ビュー共同墓地に埋葬されている。
ショートの妹たちが成長して結婚した後、ショートの母のフィーべは娘の墓の近くで暮らすためにオークランドへ転居した。

その後、1970年代に東海岸へ戻り、その地で90代まで生きた。
1947年2月2日、ショートが殺害されてからちょうど2週間後、共和党の州議会議員のC・ドン・フィールド (C. Don Field) はこの事件を受けて性犯罪者登録の作成を求める議案を提出した。
カリフォルニア州は性犯罪者の登録を義務付けた最初のアメリカの州となった。

ショート殺害事件はアメリカの歴史上、最も残忍な犯罪と評されている。
タイム誌は世界で最も有名な未解決事件の一つとしてこの事件を挙げている。

ショートの生涯と死は、フィクションやノンフィクションに関わらず数多くの書籍や映画が元としている。
ショートの死を元とした最も有名なフィクションの一つが、ジェームズ・エルロイの1987年の小説『ブラック・ダリア』である。

文化評論家のデヴィッド・M・ファイン (David M. Fine) によると、この小説は殺人事件だけでなく、戦後のロサンゼルスの政治や犯罪、汚職、パラノイアというより幅広い分野を探る内容になっているという。

このエルロイの小説はブライアン・デ・パルマ監督により2006年に同名の映画に翻案された。
エルロイの小説と翻案された映画はどちらも、事件の実情とはほとんど関係がない。

また、1975年のテレビ映画Who Is the Black Dahlia?ではルーシー・アーナズがショートを演じている。
テレビシリーズ『アメリカン・ホラー・ストーリー』ではミーナ・スヴァーリがショートを演じており、2011年のエピソード”Spooky Little Girl” (双子の真実) と2018年のエピソード”Return to Murder House”に登場する。

他にも、イギリスのテレビドラマ『犯罪捜査官 アナ・トラヴィス』の2010年に放送されたエピソードはこの事件を元にしている。

日本のロックミュージシャンのyasuがAcid Black Cherryという企画で制作した2009年のアルバム『Q.E.D.』もこの事件を題材としている。
Rockstar Gamesから2011年に発売されたコンピュータゲーム『L.A.ノワール』では作中でこの事件を扱う場面がある。

アメリカのデスメタルバンド「ザ・ブラック・ダリア・マーダー」のバンド名はこの事件に由来する。


出典: 「ブラック・ダリア事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

デンマンさんはこの事件にハマっているようですわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。普通の人にはとてもできないような殺人ですよ。。。なぜ、殺してから、こんな酷いことをしたのか? 僕は知りたいと思い、犯人を突き止めようとして色々と調べ始めたのです。。。

死体にこれだけの悪さをするということは、この犯人は被害者を頭から足の先まですべての人格を まるごと憎んでいたのでしょうねぇ〜。。。

僕もそう思いますよ。。。120%被害者を憎み、恨み、憎悪し、嫌っていない限り、死体から血を抜いて、しかも腰をぶった切って半分にしてしまうようなことはとてもできませんよ。。。

確かに、普通の殺人犯は、そんなことまでしようとは思わないでしょうねぇ〜。。。

僕なんか、結構、気が小さいですからねぇ〜、腰をぶった切ったところで、失神して倒れ込んで1日中 昏睡状態になり、目が覚めてからも、1週間ぐらいは食物が喉を通らないと思いますよ。。。

デンマンさんってぇ〜、それほど気が小さいのですかァ〜?

僕は血を見るのが嫌いなんですよ。。。死体から血を抜くことなどとてもできません。。。

それで、犯人を突き止めたのですか?

突き止めました。。。

マジで。。。?

あのねぇ〜、僕は気が小さいけれど、脳みそは大きいのですよ。。。真犯人を探すのは意外に簡単でした。。。

デンマンさんは、本当に真犯人を突き止めたのですかァ〜?

あのねぇ〜、真犯人は上の説明の中に出てますよ。。。

あらっ。。。この殺人事件は未解決なのですわァ〜。。。ロサンゼルス警察とFBIは犯人を見過ごしてしまったのですわァ〜。。。だから、世界でも有名な未解決事件になっているのですわァ〜。。。

あのねぇ〜、実は、ロサンゼルス警察は犯人を知っていた。。。でも、犯人を見過ごさねばならないわけがあったのですよ。。。

そのわけとは。。。?

ロサンゼルス警察は、特に戦前は腐敗しており、賄賂を取ったり、ギャング団とつるんだりして私欲を肥やしている警察官が多かった。。。ギャング団が麻薬取引したり、不法にギャンブルしているのを見て見ぬふりして、その代わりに「テラ銭」を受け取っていた。。。更に、ギャングと組んで売春を公にやっている警察官までが現れた。。。

あらっ。。。マジで。。。?

 

ロサンゼルス警察の腐敗

 


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ロサンゼルス市警察およびその他の市政府内の深刻な汚職問題は 1940 年代まで続いた
1933 年に、犯罪抑圧を任務とする予備部隊が編成された。
それは後にメトロポリタン部門に発展した。
1946 年、アメリカのマフィアとロサンゼルスの犯罪一家と戦うために、極秘のギャング部隊が結成された

第二次世界大戦中、クレメンス・B・ホラール政権下では、軍の要求により人員全体の数が枯渇した。
警察は数を維持する努力にもかかわらず、1943年のズートスーツ暴動を鎮圧することはほとんどできなかった。

ホラールの後任には退役アメリカ海兵隊大将ウィリアム・A・ウォートンが就任し、ウォートンは1950年まで暫定長官を務め、その後ウィリアム・H・パーカーが後を継ぎ、1966年に亡くなるまで務めた。

パーカーは警察のプロフェッショナリズムと文民行政からの自主性を主張した。
しかし、1951 年のブラッディ クリスマス事件により、民間人の責任と警察による残虐行為の停止を求める声が高まった。

1965 年、パーカーの下で、ジョン・ネルソン巡査と当時のダリル・ゲイツ警部は、アメリカの法執行機関で最初のそのような部隊であるメトロポリタン部門の特殊武器戦術(SWAT) 部隊を設立した。
また、特別捜査課、極秘の戦術的張り込み部隊も設立された。
しかし、同年、ワッツの暴動は警察の虐待によって引き起こされた


(デンマン訳)

SOURCE: “LAPD” WIKIPEDIA

 

戦後、ウイリアム・パーカーが警察本部長になって、戦前よりは腐敗が減ったけれど、それでも、急にクリーンになるというようなことはなかった。。。相変わらず、上司に知られないように コソコソとギャング団と絡んで私腹を肥やす警察官がいた。。。

でも、ロサンゼルス警察の腐敗と真犯人が関係あるのですか?

大いに関係があるのですよ。。。なぜなら、ロサンゼルス警察は犯人を知りながら、この人物を告訴できなかった。。。

なぜ?

犯人を裁判にかけると、ロサンゼルス警察内部の腐敗が明るみに出てしまうからですよ。。。

つまり、犯人はロサンゼルス警察内部の腐敗を知り尽くしていたのですか?

そうなのです。。。実は、犯人は上の説明にも出てくる医師のジョージ・ホーデル(George Hodel Jr)です。。。

どういうわけで犯人はロサンゼルス警察内部の腐敗を知り尽くしていたのですか?

あのねぇ〜、犯人のジョージ・ホーデルは医者としてロサンゼルスの性病クリニックに勤めていたのです。。。つまり、その当時は性病が蔓延していた。。。だから、市政府当局の役人や、警察官、警察官僚。。。そういったロスアンゼルスの名士たちとも治療・診療を通じて知り合い、警察の内部事情についても知る機会がたくさんあった。。。

 


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それに、ジョージ・ホーデルは、経歴を見ても普通の人ではない。。。女性関係も多く、ヤバイ事を繰り返していた。。。

 

ジョージ・ホーデル

 


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ジョージ ヒル ホーデル ジュニアは 1907 年 10 月 10 日に生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルスで育った。
彼の両親、ジョージ・ホーデル・シニアとエスター・ホーデルはロシア系ユダヤ人の祖先だった。

彼らの一人息子である彼は十分な教育を受けており、非常に知性が高かった(初期のIQ テストで 186 点を獲得した)

彼は音楽の天才でもあり、サウス パサデナ高校に通い、15 歳で卒業し、パサデナのカリフォルニア工科大学(Caltech) に入学した

教授の妻に関係したセックススキャンダルもあり、彼は1年で大学を退学せざるを得なくなった。
彼は、その妻を妊娠させ、子供を一緒に育てようとしたが、女性は拒否した。
ホーデルと女性との不倫により、彼女の結婚生活は破綻した。

1928年頃までに、ホーデルはエミリアという女性と事実婚をしていた。
彼らにはダンカンという息子がいた。

1930年代に、彼はサンフランシスコ出身のファッションモデル、ドロシー・アンソニーと合法的に結婚した。彼らにはタマルという娘がいた。

ホーデルは1932 年 6 月にバークレーの 医学部を卒業した。
その後すぐにカリフォルニア大学サンフランシスコ校の医学部に入学し、1936 年 6 月に医学の学位を取得した。

医療行為で成功を収め、郡の社会衛生局長に就任した後、ホーデルは1940 年代までにロサンゼルスの裕福な社会に溶け込むようになった。
彼はシュルレアリスムの暗い側面とそのアートシーンを取り巻くデカダンスに夢中になり、写真家のマン・レイ、映画監督のジョン・ヒューストン、そして彼らの仲間たちと友人になった。

写真家のマン・レイや他のシュールレアリストたちと、サドマゾヒズムへの関心を共有した

 


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ハリウッドシーンの若者たちと、彼はパーティー、飲酒、女遊びが好きだった

1940年、ホーデルはジョン・ヒューストンの元妻ドロシー・ハーヴェイと結婚した。
彼は、少なくとも彼らの仲間内では、もう一人の妻であるドロシー・アンソニーとの混同を避けるために彼女を「ドレロ」と呼んだが、彼女はドロシー・ヒューストン=ホーデルとして知られている。

ホーデルは1945 年にソーデン ハウスを購入し、1945 年から 1950 年までそこに住んでいた。
この建物はロイド ライト(著名なアメリカ人建築家フランク ロイド ライトの息子) によって 1926 年に建てられ、それ以来ロサンゼルスの歴史的建造物として登録された。

ホーデルは事実上一夫多妻主義者だった。
1940年代後半、スポールディングとエリザベス・ショートが亡くなった頃、ホーデルは「ドレロ」とその3人の子供たちと暮らした。

彼の最初の法的な妻ドロシー・アンソニーとの間にはタマーという娘がいた。
彼の元の内縁の妻であるエミリアとホーデルの間には長男が生まれていた。

彼は一時的な恋人を作る傾向がありった。
後に証人は、ホーデルとショートの間にそのような関係があることを示唆した。

ホーデルは1950年3月に米国を離れ、当時米国領土だったハワイに向かい、そこで上流階級のフィリピン人女性、オルテンシア・ラグダと結婚した。
さらに4人の子供が生まれた後、1960年代に離婚した。

彼女は後にオルテンシア・シュタルクとしてフィリピン議会議員となった。
ホーデルは 1990 年に米国に帰国した。
彼はサンフランシスコでジューンという女性と (合法的に) 4 度目の結婚をし、そこで生涯を過ごした。
彼は 1999 年に 91 歳で亡くなった。

 

殺人と強姦の容疑者

1947 年 1 月 15 日、ロサンゼルスのライマート パーク地区の空き地で、22 歳のエリザベス ショートの裸の遺体が発見された。
ショートはひどい切断を受けていた。
体は腰のところで真っ二つに切断され、口は耳から耳まで切り裂かれていた。

この事件は大きな注目を集め、ロサンゼルス市警察史上最大規模の捜査が行われた。
事件は決して解決されなかった。
しかし、当時の当局は数百人の容疑者に事情聴取を行い、ホーデル容疑者を含む約25人に焦点が当てられた。
しかし、ホーデルの疑惑は数十年も経つまで公には知られなかった。

1949年後半、ホーデルの10代の娘タマルは、近親相姦による 性的虐待と妊娠の疑いでホーデルを告発した
彼は広く報道された裁判の後、無罪となった。
虐待疑惑の証人2名が公判で証言した。
3人目は以前の証言を撤回して名乗り出ることを拒否し、一説にはホーデルが彼女を脅して黙らせたというものである。
タマルの証言は矛盾しており、注目を集めるものであると認識された。

ホーデルは性的虐待裁判の後、1949年のエリザベス・ショート殺人事件の容疑者として警察の注目を集めた。
この地域の性犯罪者として知られている、あるいは疑われている人々がショート事件で捜査されており、その裁判でテイマーさんが自分の父親がダリア殺人犯であると主張したとされることが判明した。

ショートの体を二分した者がある程度の外科技術を持っていたという仮説を考えると、ホーデルの医学学位も疑惑を引き起こした。
少なくとも8人の目撃者が、1946年に中国からロサンゼルスに戻っていたショートとホーデルの関係を直接知っていると主張した。

捜査の全詳細は、2003年にロサンゼルス郡地方検事局のアーカイブで「ジョージ・ホーデル-ブラック・ダリアファイル」が発見されて初めて明らかになった。
このファイルは、1950年にホーデルがダリア殺人事件の容疑者であったことを明らかになった

彼のハリウッドの住居は、 1950 年 2 月 15 日から 3 月 27 日まで、18 人からなる DA(District Attorney 地方検事) とLAPD(ロサンゼルス警察) の特別部隊によって電子的に盗聴された。
DA のテープには、彼の発言が記録されていた:

 


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私がブラック・ダリアを殺したとしよう。彼らは今それを証明することができない。私の秘書に尋ねても口を利くことができない、なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

ホーデルはまた、近くで1949年6月に起きたルイーズ・スプリンガー殺害事件「グリーン・トウィッグ殺人事件」の容疑者として取り調べを受けたが、この告発を裏付ける証拠は2018年7月まで公表されなかった。

1949年10月、ホーデルの名前はショート殺人事件の主要容疑者5人のうちの1人として大陪審への正式な書面報告書に記載されたが、捜査がまだ続いていたため、指名された容疑者の誰も起訴の検討のために大陪審に提出されなかった。継続中。

ホーデルは精神医学の学位を取得し、ハワイの準州刑務所で3年間囚人のカウンセリングを行った後、フィリピンに移り、そこで新しい家族を作り、1990年まで留まったようで、最終的に1999年にサンフランシスコで告訴されることなく亡くなった。

しかし、息子のスティーブは、ホーデルが1958年から1988年まで、特に1966年から1969年にかけて、さらに殺人を犯してからフィリピンに戻るために毎年複数回米国に再入国したと信じていると書いている。

 


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デンマン訳

SOURCE: “George Hodel” WIKIPEDIA

 

ジョージ・ホデルの息子のスティーブが父親を告訴しようとしたのですか?

そうなのです。。。もともとスティーブはロサンゼルス警察の警察官だったのですよ。。。退職してから父親の遺留品を調べていたら、ブラック・ダリアと思われる女の写真が出てきたのですよ。。。

 


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調べてゆくと、父親とブラック・ダリアがロサンゼルスのダウンタウンのホテルに一緒にいるのが目撃されたという情報も掴んだ。。。

でも、普通ならば父親をかばうはずでしょう? 息子のスティーブは、どういうわけで父親を告訴しようとしたのですかァ〜?

上の経歴を見てくださいよ。。。子供の目から見たら父親が身勝手な真似ばかりしているでしょう。。。内縁の妻を含めて5人の女と結婚して11人もの子供を作った。。。子供の目から見たらいい加減なオヤジだと映っていたでしょう。。。しかも、腹違いの姉のタマルは、近親相姦による 性的虐待と妊娠の疑いで父親を告訴していたのですよ。。。

つまり、息子のスティーブの目から見てもひどい父親だと映っていたのですわねぇ〜。。。

そうです。。。まず間違いありません。。。

しかし、ジョージ・ホーデルは、どういうわけでブラック・ダリアの死体を腰のところで半分にしたり口を切り裂いたりしたのですか?

あのねぇ〜、上の説明にもあるようにジョージ・ホーデルは、写真家のマン・レイや他のシュールレアリストたちと、サドマゾヒズムへの関心を共有していたのですよ。。。

 


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それでわざわざ殺したあとで血を抜いたり、口を裂いたり、腰のところで死体を半分にしたのですかァ〜? ちょっと信じられませんわ。。。

普通の人にとっては、理解できないでしょう? 僕だって、いくら憎い女としても、殺したあとで死体を半分にするようなことはやりたくないし、できませんよ。。。

もともと、どうしてジョージ・ホーデルはブラック・ダリアを殺さねばならなかったのですかァ〜?

あのねぇ〜、ジョージ・ホーデルは他の女性も殺してるのですよ。。。例えば、彼の秘書ルース・スポールディング (Ruth Spaulding)。。。それに、ジーン・フレンチ。。。

 


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つまり、マルキ・ド・サドのように女性を殺して死体を傷つけることに ある種の快感を感じるような人物なのですよ。。。ある意味で精神異常者ですよ。。。そうでない限り、腰のところで死体を半分にすることなど普通の人にはできません。。。殺しただけで気が動転しているので、死体を半分にするなんて、まず考えもつかないですよ。。。少なくとも僕にはできません。。。

だけど、これだけの凶悪犯人をロサンゼルス警察は犯人と知っていながら なぜ立件しなかったのですかァ〜?

だから、当時の市役所のお偉方や、警察官僚が腐敗している事実をジョージ・ホーデルは、しっかりと握っていたのです。。。だから、彼を裁判にかけようものならば、全て事実を明かされて、自分たちのクビが飛ぶのですよ。。。ジョージ・ホーデルを裁判にかけることは、自分で自分の首を絞める事になる。。。だから、捜査資料を隠して、捜査を打ち切ってしまったのです。。。でも、その捜査資料が2003年にロサンゼルス郡地方検事局のアーカイブで「ジョージ・ホーデル-ブラック・ダリアファイル」が発見されて初めて明らかになったのですよ。。。

ジョージ・ホーデルは、1999年に91歳で亡くなっているので、「後の祭り」というわけですねぇ〜。。。

そういうことです。。。

つまり、市役所のお偉方や、ロサンゼルス警察の幹部が腐敗が明るみに出ると自分のクビが飛ぶので捜査班に圧力をかけて事件を未解決のままにしたのですわねぇ〜。。。

そういうことですよ。。。このようなことはよくあるのですよ。。。冤罪にしてまで犯人を作り上げたり、警察・検察のメンツにかけて捜査の間違いを隠すために、真犯人を知りながら未解決のままにすることは警察の常套手段です。。。

あらっ。。。そういうことが他にもあるのですか?

ありますよ。。。次の記事は、日本の警視庁がメンツを守るために真犯人を知りながら未解決事件にしてしまった例です。。。

 


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『警視庁のメンツ』

 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

日本の警視庁もメンツにこだわって、わざと真犯人を見逃すことがあるのでしょうか?

あなたは、どう思いますか?

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

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なぜ、蝦夷という名前なの?

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どうして残っていないの?

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日本人でないの?

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ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

『安心できない@病院』

『ブルマー姿@自転車』

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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

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