エリザベス1世

 

エリザベス1世

 


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デンマンさん。。。イギリスのエリザベス1世に興味があるのですかァ〜?


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あります。。。

どういうところが。。。?

あのねぇ〜、エリザベス1世の父親のヘンリー8世は6度結婚しているのですよ。。。

 


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エリザベス1世は2番目の妻、アン・ブーリンの娘として生まれた。。。アンは流産や想像妊娠を経るも、男子の誕生を求めるヘンリーの期待に応えることが出来なかった。。。

確か、アン・ブーリンは処刑されたはずですよねぇ?

そうです。。。アンは、その強い性格と優れた知性で政治に介入したので、多くの敵を作ったのです。。。1536年、元王妃キャサリンが病死し、アンは再び妊娠した。ヘンリーが男子誕生を強く望んでいたため、男子を産まなかった場合に自分の立場が著しく不利になることをアンはよく知っていた。だが馬上槍試合でヘンリーが落馬し、一時意識を失い死の可能性もあったという知らせを聞いたアンは、衝撃を受けて流産した。

つまり、ヘンリー8世の期待に応えられなかったことが命とりになったのですか?

それもあるけれど、決定的な理由は、政治に介入し続けたことですよ。。。そのため、アンおよびブーリン家は多くの敵を作っており、アンの母方の伯父のノーフォーク公トマス・ハワードまでもアンの態度を快く思わなかった。。。更に、王の寵臣トマス・クロムウェルの影響下でアンの政敵は力を増した。メアリー王女は成長して支持者たちは増え、最初の王妃キャサリンの支持者たちもそこに加わった。。。そういうわけでアンはヘンリーに疎(うと)まれ 2度目の離婚はいまや現実の可能性となった。

そんな簡単に離婚できるのですか?

だから、ヘンリー8世は離婚の口実を 更に作ったのですよ。。。アンの実弟ジョージ・ブーリンを含む5人の男が王妃との姦通罪で逮捕され、アンもまた姦通罪、近親相姦罪、魔術を用いた罪で逮捕された。、。

 


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ロンドン塔に幽閉されたアン・ブーリン

 

実弟と近親相姦なんて実際にあったのですか?

あのねぇ〜、裁判の正当性は当時でも疑問とされ、冤罪であると信じる人が多かった。。。ヘンリー8世が離婚するための口実ですよ。。。こういう事を見たり聞いたりして育ったエリザベス1世は、早熟で少女の頃から宮廷の裏側や陰謀に気づいていたのですよ。。。母親の血筋をひいて頭が良く知性的だった。。。人を見る目もあった。。。

でも、デンマンさんは、どうして急にエリザベス1世を取り上げたのですか?

実は、つい最近、バンクーバー市立図書館で DVD を借りて次の映画を観たのですよ。。。

 


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『実際のページ』

 

あらっ。。。デンマンンさんは2度観てますねぇ〜。。。

そぅです。。。最初に観たのは 2013年2月23日ですよ。。。今から11年前です。。。

なぜ2度観たのですか? それほど素晴らしい映画なのですか?

いや。。。いい映画には違いないけれど、2度観るつもりはなかったのですよ。。。僕は DVD を予約して映画を観るようにしているのです。。。

 


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『実際のページ』

 

僕は毎日 上のページを見るのです。。。ここにバンクーバー市立図書館の会員が 映画を観てコメントを書き込んだ DVD が表示されるのです。。。例えば、赤枠で囲んだDVDをクリックすると次のページが表示されます。

 


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『実際のページ』

 

この映画は僕がすでに見た映画なのですよ。。。なぜなら僕がコメントを書いている。。。同じ映画を何度も観ないように、僕は映画を観たら必ずコメントを書き込むようにしているのです。

デンマンさんが「エリザベス」の映画を予約した時には デンマンさんが2013年2月に観た時のコメントが表示されたなかったのですか?

表示されなかったのですよ。。。10年以上前のコメントは表示しないようにしているのかもしれません。。。とにかく、そういうわけで「エリザベス」の映画のDVDを予約したというわけです。

。。。で、どういうあらすじなのですか?

予告編があるので観てください。。。

 

 

エリザベス

 


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『エリザベス』(Elizabeth)は、1998年に公開されたイギリスの歴史映画。
監督はシェカール・カプール、出演はケイト・ブランシェットとジョセフ・ファインズなど。
エリザベス1世の前半生の人生を描く

第71回アカデミー賞では作品賞を始めとする7部門にノミネートされ、メイクアップ賞を受賞。
2007年に同じ監督・主演で続編『エリザベス:ゴールデン・エイジ』も公開された。

 

あらすじ

ヘンリー8世がカトリックを捨て、新教である国教会を打ち立てたことで国内外に新旧の宗教抗争がくすぶる16世紀のイングランド。

父王の遺志を汲みプロテスタントであったエリザベスは、カトリックの異母姉メアリー女王にロンドン塔に幽閉されてしまうが、メアリーの病死の後を受けて25歳でイングランド女王に即位する。

ロバート・ダドリーと恋愛関係にあったエリザベスに重臣ウィリアム・セシルは、アンジュー公(後のフランス王・アンリ3世)やスペイン王との結婚で、国の難局をのりきることを進言する。

だがエリザベスは、政略結婚に活路を見出すことはできなかった。

イングランドの国としての状態は決してかんばしくはなく、縁戚関係にもある隣国スコットランドとの戦争にも敗れてしまう。

エリザベスは、大陸より帰還したプロテスタントのフランシス・ウォルシンガムを重用し、イングランドを新教である国教会を中心におくことを宣言する。

ローマ教皇やカトリック列強国がこれを黙って認めるわけもなく、イングランドを取り巻く状況はより一層、緊迫し、エリザベスの暗殺未遂事件まで起る。

形勢を立て直すため、ウォルシンガムはまず、カトリック側と意を通じているスコットランドの施政者メアリ・オブ・ギーズを暗殺する。

カトリックの国内貴族ノーフォーク卿は教皇を後ろ盾としてエリザベスを潰しに出ようとしていたが、エリザベスは先んじて主だったカトリック派を一気に捕縛して処刑する。

ロバートとの愛に破れたエリザベスは髪を切り、国家と結婚すると誓うのだった。


出典:「エリザベス (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

エリザベス1世は生涯結婚せず、ヴァージン・クイーン(処女女王)として名前を残してますけれど 本当に処女だったのですか?

「ロバートとの愛に破れたエリザベスは髪を切り、国家と結婚すると誓うのだった」、と書いてあるけれど、愛人はロバートだけじゃなく幾人もいたのですよ。。。ヴァージンどころか情事を楽しんでいたのです。。。

隠れたところで淫乱な生活を楽しんでいたのですわねぇ〜。。。

あのねぇ〜、エリザベス1世を暗殺する動きは両手の指では数え切れないほどあった。。。彼女が暗殺されなかったことが不思議なくらいですよ。。。だから、愛人を持つというのはただ単に情事を楽しむだけではなかったのですよ。。。

つまり、情報収集ですか?

そうです。。。エリザベスは人を見る目があった。。。彼女は、大陸より帰還したプロテスタントのフランシス・ウォルシンガムを重用した。。。エリザベスは外見では人を判断しなかった。。。

 

フランシス・ウォルシンガム

 


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1532年頃 – 1590年4月6日

 

サー・フランシス・ウォルシンガム (Sir Francis Walsingham, PC)は、イングランドの政治家。

テューダー朝最後の女王エリザベス1世に重臣として仕えた。
秘密警察長官・スパイマスター的立場にあり、国内外に情報網・監視網を張り巡らせ、反エリザベス陰謀の摘発にあたった
駐フランス大使(在職:1570年 – 1573年)や国王秘書長官(在職:1573年 – 1590年)などの官職を歴任。

ノーフォーク州の旧家出身の法律家ウィリアム・ウォルシンガムの息子としてケント州チズルハーストに生まれた。

ケンブリッジ大学キングズ・カレッジで学ぶが、学位は得なかった。
その後、ロンドンのグレイズ・イン法学院に入学。

敬虔なプロテスタントであったため、強硬カトリックのメアリー1世が即位するとバーゼル大学など国外の大学へ逃れて法学の勉強を続ける。

 

政界入り

エリザベス1世即位後の1558年に帰国。
エリザベス女王の国王秘書長官ウィリアム・セシルの支援を受けてバンベリー選挙区選出の庶民院議員となる。
1563年から1567年にかけてはライム・レジス選挙区、1574年から1590年までサリー選挙区から選出される。

1570年、リドルフィ事件の解決に尽力した。
当時イングランドで軟禁されていたスコットランド女王メアリー・ステュアートやノーフォーク公トマス・ハワードらカトリックが、エリザベス暗殺を企んだ陰謀
この事件の頃からセシルの命令でウォルシンガムのもとに情報組織が作られるようになった。

 

駐仏大使

1570年に駐フランス大使となる。ユグノー支援やフランスとの同盟を求めてシャルル9世との交渉にあたり、1572年4月19日のブロワ条約締結に尽力した。
これはイングランドかフランスのどちらかが外国から攻撃された場合、他方は援助するという軍事同盟であり、実質的にはスペインを仮想敵国としたものだった。

しかし1572年8月、ユグノーのアンリ(後のアンリ4世)と王妹マルグリットの結婚を機にフランス各地でカトリックによるユグノー虐殺が吹き荒れた(サン・バルテルミの虐殺)。
この虐殺で反スペイン派・親イングランド派の大物ユグノー貴族ガスパール・ド・コリニーも殺害されたことはイングランドにとって打撃だった。
ただこの時期にはイングランドも明確に反スペイン路線に踏み切っているわけではなかった。

 

諜報・秘密警察業務

 


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バビントン事件に際してのエリザベス女王とウォルシンガムを描いた絵画(ジョン・チャールズ・ブロンリー画)

 

エリザベス女王は1570年にローマ教皇ピウス5世に破門され、以降イエズス会士などカトリック宣教師がイングランドに潜入してきて反エリザベス謀議を行うようになった。

先のリドルフィ陰謀事件もカトリックによって起こされた事件であった。
1580年代になると教皇は一層反エリザベス姿勢を強め、エリザベスを暗殺した者には祝福を与えるとまで宣言し、カトリックのエリザベス暗殺謀議も一層増加した。

これに対抗してウォルシンガムは国内外に情報網・監視網を張り巡らせ、秘密警察業務にあたった。
多くの反エリザベス陰謀がウォルシンガムの組織によって摘発された。

彼の秘密諜報活動の予算は増額され続け、ヨーロッパの主要都市ほぼ全てにウォルシンガムのスパイが放たれた。
こうした大規模諜報活動のおかげでエリザベスは20回以上も暗殺計画から助かっている

1583年にはスロックモートン事件を摘発した。
これはローマ教皇グレゴリウス13世とフランスのギーズ公アンリ1世の間で練られた反エリザベス陰謀計画(エリザベス暗殺、スペインのイングランド侵攻、メアリーのイングランド女王擁立)であった。

ウォルシンガムはメアリーの手紙を入手して事前にこの動きを察知し、計画の関係者であるフランシス・スロックモートンがイングランドへ帰国するとともに彼を逮捕して拷問にかけイングランド国内の陰謀加担者を自白させた後に裁判にかけて処刑した。
そしてスロックモートンの自白に基づき、駐英スペイン大使ベルナルディノ・デ・メンドーサも陰謀関係者として国外退去処分にした(以降エリザベス朝を通じてスペイン大使は置かれなかった)。

スペイン王フェリペ2世がいよいよイングランド侵攻を計画するようになった1586年にはバビントン事件を摘発した。
これは大陸旅行中に反エリザベス陰謀に加わったアンソニー・バビントンがイングランドに帰国した後、パリで立案されている反エリザベス陰謀についてメアリーに手紙で報告した際、メアリーがエリザベス暗殺を歓迎する返事を出した事件である。

ウィルシンガムはメアリー周辺に忍び込ませているスパイからこの手紙のやり取りの報告を受けており、メアリーが反逆的な手紙を出すまで待ってから、1586年8月から9月にかけてバビントンをはじめとする関係者を一斉に摘発して裁判にかけて死刑に処した。

さらにメアリーも逮捕して裁判の末に1587年2月8日に死刑に処した。
典型的な「泳がせ捜査」であった。

バビントン事件ではフランシス・ベーコンがウォルシンガムの下で諜報活動に尽力、ウォルシンガムが属していたレスター伯ロバート・ダドリーの派閥に入っていたベーコンはイングランド国内のカトリックの動向の探索、容疑者の尋問準備と尋問の報告書作成に取り組んだ。
ウォルシンガムもベーコンに目をかけ、たびたび彼の庶民院議員選出を後押ししている(1586年・1589年)。

 

人物

ウォルシンガムの諜報活動・秘密警察活動のおかげでエリザベス女王はスペイン王フェリペ2世やローマ教皇、イエズス会などカトリックが策動し続けたエリザベス暗殺計画から逃れることができた。

彼の諜報組織には巨額の予算が投じられていたが、それについて彼は「情報にはいくら金をかけても高すぎるということはない」と述べていた

ウォルシンガムはカトリック的反動に反発するピューリタン的熱意を強く持っていた。
エリザベス女王をプロテスタント諸国の盟主とし、カトリック諸国(スペイン、フランス、ポルトガル、神聖ローマ帝国、教皇)に対抗する勢力に育て上げることを夢見ていた。

エリザベスはウォルシンガムの強いプロテスタント思想を好んでおらず、ウォルシンガムのことを「偏狭なピューリタンめ」と吐き捨てることもあったが、ウォルシンガムの慧眼には常に一目置いていたという。

しかしエリザベスがウォルシンガムに友情を感じることは最後までなかった
ウォルシンガムは私財を諜報活動に注ぎ込み、義理の息子の借金を引き受けたため、家計難の状態にあったが、エリザベスが彼に経済援助してくれることは最後までなかった。

ウォルシンガムの家計難に同情したウィリアム・セシルは、ウォルシンガムが集めた証拠で大逆罪の有罪判決を受けた者の没収財産の一部をウォルシンガムにあげるべきとエリザベスに上奏したが、エリザベスはそれを許可しなかった。
そのような女王の態度を聞いてウォルシンガムは「心ない扱い」と嘆いたという。

エリザベスは、小男で色の浅黒いウォルシンガムを「エチオピア人」あるいは「ムーア人」と呼んでいた

衣服も黒い服を好んで着用したので、政敵からは悪魔のように思われていたという。


出典: 「フランシス・ウォルシンガム」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

エリザベスは個人的には、ウォルシンガムをあまり好きではなかった。。。でも、彼の秘密警察長官としての才能を高く評価していたのですよ。。。彼がいなかったら、間違いなくエリザベスは暗殺されていたはずです。。。

つまり、エリザベスは外見や感情的に人を判断していなかったのですわねぇ〜。。。

人を見る目は、少女の頃からの苦難な生活を通して育(はぐく)まれていたようです。。。ウォルシンガムは、とりわけエリザベスを熱狂的に支持していたわけじゃないけれど、少なくとも宗教的、思想的には「同志」と感じていたらしく、エリザベスを暗殺しようとする動きに対しては、果敢に摘発し、過酷な拷問も厭(いと)わなかった。。。だから、政敵からは悪魔のように思われていた

 


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この場面は、「バビントン事件」の首謀者として逮捕された司祭のジョン・バラードが拷問にかけられるシーンです。。。

 

バビントン事件

 

バビントン事件は、1586 年にプロテスタントのエリザベス1 世女王を暗殺し、カトリック教徒のいとこであるスコットランド女王メアリーを英国の王位に就かせる計画

これはメアリーの処刑につながったが、メアリー(エリザベスの命令で1568年からイギリスで19年間投獄されていた)がエリザベス暗殺に同意した手紙を送ったことによるものであった。

この計画の長期的な目標は、フェリペ2 世のスペイン軍とフランスのカトリック同盟によるイングランド侵攻であり、古い宗教の復活であった。
この陰謀はエリザベスのスパイ指導者フランシス・ウォルシンガム卿によって発見された。

主な共謀者はアンソニー・バビントンとジョン・バラードだった

若い不信心者バビントンは、スコットランド女王の救出を望んでいたイエズス会の司祭バラードによってスカウトされた。

ウォルシンガムで働いていたのは二重スパイの ロバート・ポーリーとギルバート・ギフォード、スパイエージェントで暗号解読家のトーマス・フェリッペス、ピューリタンのスパイであるマリヴェリー・カティリンであった。

動揺したカトリックの執事ギフォードは、1585年末か1586年の初めからウォルシンガムに仕えていた。
ギフォードはメアリー女王の腹心でスパイのトーマス・モーガンからメアリー女王への紹介状を入手した。

その後、ウォルシンガムは二重スパイのギフォードとスパイ解読者フェリップスを、メアリー女王が投獄されていたチャートリー城の中に配置した。
ギフォードは、バビントンとメアリー女王の暗号化された通信をビール樽のコルクに入れ、その後フェリッペスが傍受し、解読してウォルシンガムに送信するというウォルシンガム計画を組織した。

1586年7月7日、メアリーに送られた唯一のバビントンの手紙がフェリッペスによって解読された。
メアリーは1586年7月17日に暗号で応答し、救出志願者たちにエリザベス女王を暗殺するよう命令した

返答書には、「事はこのように準備されている」「私は突然この場所から連れ出されるかもしれない」という彼女の救出への願望を示す解読された文言も含まれていた。
1586年10月のフォザリンゲイ裁判で、エリザベスの財務長官ウィリアム・セシル(バーリー卿)とウォルシンガムは、有罪を認めようとしないメアリーに対してこの手紙を使用した。

メアリーは秘書のナウとカールに裏切られ、圧力を受けて手紙はほぼ真実だったと告白した。

 


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1587年2月8日、300人の証人たちの前でスコットランド女王メアリーは斬首により処刑された


 (デンマン訳)

SOURCE: “Babington Plot”
WikipediaThe Free Encyclopedia

 

確かに、これほどひどい拷問したら、ある事、ない事まで白状してしまうでしょうねぇ〜。。。

とにかく、ウォルシンガムは、エリザベスの暗殺計画となると、スパイを使って徹底的に犯人を探し出して処刑したのですよ。。。

20以上の暗殺計画があったにもかかわらず、エリザベスが暗殺されずにすんだのもウォルシンガムの働きがあったからでしょうねぇ〜。。。

そうです。。。エリザベス政権が存続できたのはウォルシンガムが秘密警察組織を立ち上げて反対勢力の情報を集めて暗殺計画を潰したからですよ。。。

Information is power! ですわねぇ〜。。。

その通りです。。。ウォルシンガムと同じ事をしているのが プーチンですよ。。。

 


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プーチンは秘密警察出身ですからねぇ〜。。。

プーチン暗殺計画も両手の指では数え切れ無いほどあったのでしょうねぇ〜。。。

間違いありません。。。ニュースにはならないけれど、プーチンの指示を受けて暗殺された反プーチン闘士はかなりの人数がいるはずです。。。とにかく、スターリンの次に長い政権を保持しているのだから。。。

【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。昔の拷問はひどいものだったのですわねぇ〜。。。

ジェームズ・ボンド役を演じるダニエル・クレイグが「バビントン事件」の首謀者として上の動画で拷問にかけられてますけれど、このような拷問に耐えられると思いますかァ!?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い事を話せ!」

貴方は、そのような命令口調で、あたしに命令するのですか?

分かりましたわ。。。

バンクシーが描いた絵は日本でも発見されてます。。。

 


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■ネズミの絵 – 東京都港区の防潮堤。日の出ふ頭2号船客待合所で公開中。

■少女と風船の絵 – 茨城県高萩市の防波堤

■ネズミの絵 – 茨城県水戸市のコインランドリー

■少女と風船の絵 – 千葉県九十九里町の護岸

■ネズミの絵 – 兵庫県西宮市の縁石

■少女と風船の絵 – 東京都足立区青井の青井兵和通り商店街のもんじゃ焼き店の外壁

貴方の家の近くにもネズミの絵が描いてあるかもしれません。。。

探してみてください。。。

うまく見つかれば、宝くじにあったぐらいの金額が懐(ふところ)に入ってきますわ。。。

ええっ。。。「そいうバカバカしい話は、いいから、もっと他に面白いことを話せ!」

あなたが そう言うのでしたら 面白い動画をお目にかけます。。。

一体何をしていると思いますかァ〜? うふふふふふふふ。。。

 


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白い白衣を着ているのは誰だと思いますか?

こういう破廉恥なことをするのは、セクハラなコメントを書き回っている神武君かもしれませんわねぇ〜。。。

 


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『セクハラ止めない神武君』

 

「愚かな神武君の話などどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で 更に わたしに面白いことを話せと命令するのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

じゃあ、気分を変えるために面白い動画をお目にかけます。。。

 


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貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』

『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?

マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『アクセス急増!』

『超アクセス急増!』

『地球を飛ぶ』

『UFOと大津波』

『あと1時間で死ぬと判ったら』

『6000日@GOO』

『パシフィックリムの旅』

『雨のニューヨーク』

『いいねde嫌われる』

『激節スパマー』

『ヒトラーのささやき』

『グッチ家の崩壊』

『ムカつくコメント』

『ネット恋愛注目記事』

『知られざる未開部族』

『37年後に出現した飛行機』

『ほほえましい動物たち』

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『サイトコピーツール』

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『マカロニ・ウエスタン』

『グーグルレンズ』

『グーグルレンズ2』

『ツイートの短縮URL』

『ビックリ』

『ビックリ動画』


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『別名グレイス』

『新年花火大会』

『ビックリ2@正月』

『ビックリ美術』

『フルーツケーキ』

『フルーツケーキ』

『笑ってください』

『人間みたいなロボット』

『モンキー・ビジネス』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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デンマンさん。。。、妙なタイトルを付けましたわねぇ〜。。。いったい どういう話題を取る上げるのですかァ〜?

あのねぇ〜。。。今日はジューンさんに是非 訊きたいことがあるのですよゥ。。。

訊きたいってぇ、どういうことですかァ?

英語ですよ。。。英語と言ってもキングズ・イングリッシュです。。。

カナダやアメリカで話されている英語じゃなく、イギリスで話されている英語のことですかァ〜?

そうです。。。

どういうわけで わざわざイギリスで話されている英語を取り上げるのですかァ〜?

実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて、イギリスの公共放送BBCが制作した次のテレビドラマを見たのです。。。

 


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『実際のページ』

 

番組紹介

 

『グランチェスター』は、1950 年代のケンブリッジシャーのグランチェスターという村を舞台にした英国ITV 制作会社が制作した刑事 ドラマです。
この番組では最初に聖公会牧師シドニー・チェンバース(ジェームズ・ノートン)、続いて牧師ウィリアム・ダベンポート(トム・ブリトニー)が登場し、それぞれがロブソン・グリーン演じるジョーディ・キーティング警部の助けを借りて探偵の副業を始める。

このシリーズは、ジェームズ ランシーによって書かれた短編小説集「グランチェスター ミステリーズ」に基づいている。
最初のシリーズは、最初の本『シドニー・チェンバースと死の影』の 6 つの物語に基づいており、2014 年に放送された。

第 2 シリーズは 2016 年 3 月と 4 月に放送され、第 3 シリーズは2018年4月12日にほうそうされ、
第4シリーズは、ジェームズ・ノートンが主演する最後のシリーズとなる。

ウィル・ダベンポート牧師役のトム・ブリトニーは、第4シリーズでノートンからリードを引き継いだ。

第5シリーズは2020年1月に放送を開始した。

第6シリーズは2021年9月3日に放送を開始した。

第7シリーズは2022年3月11日に初演され、2022年4月15日に終了した。

2022年8月、第8シリーズの制作依頼を受け、アル・ウィーバーが初めて監督を務めた
2024年1月11日から2月15日まで放送されると発表したが、スケジュールの都合で予定より1年遅れた。

2023年7月に第9シリーズが発表され、ブリトニーはこ​​れが最後のシリーズになると発表した。
彼の代わりに、俳優のリシ・ナールが牧師アルフィー・コッテラムを演じる。


SOURCE: “Grantchester”
From Wikipedia, the free encyclopedia

 

デンマンさんが観た「第8シリーズ」はどういう内容なのですか?

あのねぇ〜、この第8シリーズは6つのエピソードから成り立っているのです。。。簡単に内容を説明すると次のようになる。。。

◎エピソード1: 楽しいチャリティー・オートバイの後、若いバイカーが死体で発見される。ウィルとジョーディは、誰が才能ある若者を殺したのか? 犯人を突き止めようと奮闘する。

◎エピソード2: 死亡事故の余波で、ウィルは自分が原因だったことに打ちのめされる一方、ジョーディは友人の無罪を証明しようと奔走する。

◎エピソード3: ケンブリッジの最も名門カレッジの一つで男性が殺害され、貴重な絵画が盗まれた。ジョーディは2つの犯罪に関連性があるかどうか判断することになる。

◎エピソード4: ハーフハウスの住人が死体となって発見され、レナードはショックを受ける。男はウィルに自殺願望を告白したが、これは自殺なのか、他殺なのか? それを見極めることになる。

◎エピソード5: エリオットがジョーディを辞任に追い込もうと画策する中、ジョーディは事務職に就くことになる。次の殺人事件はラリーに引き渡され、ラリーは苦戦しながらも賢明にもミス・スコットの助けを得る。

◎エピソード6: ウィルは行方不明になったが、ボニーが出産を控えているため、ジョーディは手遅れになる前にウィルを見つけて正気に戻さなければならない。

予告編があるので観てください。。。残念ながら日本語の字幕はありません。。。

 

 

このドラマの いったいどこにデンマンさんは注目したのですか?

あのねぇ〜、僕のこれまでの英語の先生は、殆どの人ががアメリカ英語を喋ったのですよ。。。だから、アメリカ英語に慣れた耳にはイギリスで話される英語は聞き取りにくい。。。スコットランドで話される英語は更に聞き取りにくい。。。アイルランドで話されている英語は、もう英語というよりもオランダ語やデンマーク語のように聞こえる。。。

確かにイギリスで話される英語には発音やイントネーションに癖がありますよねぇ〜。。。日本語で言えば、スコットランドの英語は東北弁で、アイルランドの英語は沖縄方言でしょうか? そんな感じでしょうねぇ〜。。。

そうです。。。そうです。。。沖縄方言で喋られたら、僕は全く理解できません。。。イギリスで話される英語がわかりにくいのは、アメリカやカナダで使われてない単語が出てくるのですよ。。。。

つまり、上のドラマの中でアメリカやカナダでは使われてない単語が出てきたのですか?

そうなのですよ。。。聞いてみてください。。。

 


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僕が高校生の時から使っている三省堂英和辞書には sod というのは名詞で「芝土(しばつち)」や「芝生(しばふ)」という意味だと出ている。。。動詞として使う時には「芝土を敷(し)く」あるいは「芝生で覆(おお)う」という意味だと説明している。。。この他の意味は出てない。。。

確かに、sod off(消え失せろ、あっちへゆけ)という慣用句はアメリカやカナダでは、イギリスからやって来た移民以外はまず使わないと思いますわ。。。私も、この半年の間に日常会話では一度も聞いてませんわァ〜。。。

 


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どうしてあっちへゆかないの? 私にかまわないでよ(ほっといてよ)。あんたとは付き合いたくないの(嫌いだから)。

 

イギリスでは、このような使い方をするわァ〜。。。これと同じ意味で、次のようにいう言い方もあります。。。

 


(clearoff.jpg)

 

上のクリップで説明している人の英語の発音は、あまり癖が無くてアメリカ人の話す英語とそれほどの違いはありませんねぇ。。。

イギリス人にしては、比較的聞きやすい発音で話してますわァ〜。。。デンマンさんは、すべての言い方を聞き取ることができましたかァ〜?

全部わかりましたよ。。。前半の clear off, push off, shove off, …は、普通に使うことができるけれど、後半のヤバイ言い方は両親の前では使えませんよねぇ〜。。。bugger off, piss off, fuck off,… 最後の語句を母親の前で言ったら、「私の前で、そういう野蛮で、胸クソが悪くなるような言い方は止めてね」と言われるでしょうねぇ〜。。。

そうです。。。神武君のお母さんでもそう言うかもしれませんわァ〜。。。うふふふふふ。。。

 


(sodoff-fancy.jpg)

 

ところで、上の説明に出てきた fancy という英単語も日常会話では めったに聞くことはないですよ。。。僕はバンクーバーに移り住んでから20年以上になるけれど、これまでに I don’t fancy you. というのを聞いたことがありません。。。。

確かに、イギリスから移民してきた人を除くと、あまり使われない単語ですわ。。。

普通のカナダ人は、そういう言い方よりも手っ取り早く I hate you. と言うでしょうねぇ〜。。。

デンマンさんも、しばしば言われたでしょう?

いや。。。僕は一度も言われたことがありません。。。神武君とデッカイブーツさんがもしバンクーバーにやって来たら、まず間違いなく、デッカイブーツさんは神武君のことを  I hate you. と言うはずです。。。

 


(jinmu91.jpg)


『セクハラ止めない神武君』

 

そうですわねぇ〜。。。デッカイブーツさんにそう言われたとしても、セクハラしてきた神武君ならば当然 素直に受けなければならない言葉ですよね。。。

この fancy もイギリスでは、色々な場合に使われるようですねぇ〜。。。

そうです。。。イギリスでは使い勝手の良い言葉ですわァ。。。

 


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(fancycoffee2.jpg)

 

この場合、fancy はコーヒーが「マジで飲みたい」という意味になりますわ。。。have a coffee というよりも、もっと強い欲求を伴っている感じですわ。。。 

 


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(fancyher2.jpg)

 

男性が fancy her という場合、「彼女はセクシーだと思う」という意味になります。

 


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(fancyhim2.jpg)

 

女性が fancy him という場合、「彼はセクシーだと思う」という意味ですか?

そうです。。。この場合は否定ですから、「彼って性的魅力がなくてダサいわよねぇ〜」という意味ですわ。。。

 


(fancyseeing.jpg)


(fancyseeing2.jpg)

 

「こんなところで会うなんて驚きだね(全く予想もしてなかったよ)」という意味になります。。。

 


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女性が ”Yes, fancy.”と返事をしているけれど、この場合はどういう意味になるのですか?

「待ってはいたんだけれど、来るとは思わなかったわ…びっくりよ」というような意味になりますわ。。。

 


(fancyroom.jpg)


(fancyroom2.jpg)

 

この場合の fancy は形容詞として使われています。。。「きれいな(お部屋ね)」とか「素晴らしい(お部屋ね)」という意味になります。。。

 


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(fancyoffice2.jpg)

 

この場合も fancy は形容詞として使われ「きれいな(事務所)」とか「素晴らしい(事務所)」という意味になるのですか?

そうです。。。「機能的な(事務所ね)」とか「居心地の良さそうな(事務所ね)」という意味になります。。。

なるほどォ〜。。。色々な場合に応じて、意味が違ってくるのですねぇ〜。。。勉強になりました。。。

 


(laugh16.gif)


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも fancy という英単語に、これほどの意味があると思いましたかァ〜?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのでござ~♬~ますかァ~?

いけ好かないお方ァ~。。。!

分かりましたわ。。。

それでは、ローレル&ハーディの面白いドタバタ喜劇を観てくださいまし。。。

 

 

どうでした? 笑いが止まりませんでしたかァ~?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で 更に、あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

いけ好かないお方ァ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


(dog807.jpg)

 

ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


(buttdimp5.jpg)

スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。

(roten101.jpg+cleoani.gif)

『タイタニック@スリランカ』

『蜂@泣きっ面』

『外人が知っている美しい日本』

『腰使い 熟女』

『熟女の下着姿』

『腰を使う熟女』

『ブログランキング』

『曇ってきた@英語』

『出会い系より腰を使う熟女』

『ブリスベンの従妹』

『アヒルが行く』

『英語ペラペラ勉強法』

『ブラウザとOS』

『二千二夜物語』

『大晦日のおばさんパンツ』

『下着の人類学』

『万夜一夜@ロンドン』

『ヒトラーとトランプ』


(malata019c.jpg)

『ロマン@マルタ島』

『下着の人類学@大阪』

『ハロー@ロックビル』

『孀婦岩の人気 なぜ』

『マグダラのマリア 娼婦か聖女か?』

『マグダレンの祈り』

『女子大生の多い混浴』

『アンネフランクの言葉』

『ビクトリア朝の慎み』

『銭湯と円タク』

『女装ブログ』

『注目記事』


(sylvie122.jpg)

『風邪が治るまで』

『ひょうたんde徒然』

『アヒルが並んだ』

『なぜ骨なの?』

『にべもない』

『やぶさかでない』

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『みもふたもない』

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『美術解剖学』

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(fan004.jpg)

『パリの高級娼婦』

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『混浴オフ会ブログ』

『海外美女・海外美少女』

『ん?ボロックス』

『小さな村の魅力』

『小さな村がなぜ?』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『ローレル&ハーディ』

『こんな仕事があった』

『少年大統領』

『ベロニカとの記憶』

『混浴ブーム』

『熟年主婦の下着』

『卵とボロック』

『ハイパティア』

『アマサス』

『混浴ブログを探して』

『日本おばさん生姿』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『ユーゴーの娘』

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『ゴッホは殺されたの?』

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『スクロンクリッシュ』

『7人の美女と現実主義者』

『スクロンクリッシュ後日談』

『ほとぼりが冷める』

『スクロンクリッシュ再訪』

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『劉沐宸?』

『熱心な読者』

『パパサーチ』

『熟女下着とSEO』

『ハロルド・ロイド』

『上海される』

『フェルメール@6000』

『混浴に惹かれて』

『実はあった王様の墓』

『新年への祈り』

『危険な上海』

『トランスジェンダー』

『日本語の難しさ』

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)

 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)


(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ


『センスあるランジェリー』


(byebye.gif)

白い姫君

 

白い姫君

 


(wgal12.jpg)


(wgal13.jpg)


(yen0201.gif)


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デンマンさん。。。、白い姫君 というのはどこの国の姫君ですか?


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イギリスの姫君ですよ。。。

白い姫君がいるということは赤い姫君も居るのですか?

居るのです。。。ベティさんはイギリスで起こった薔薇戦争というのを聞いたことがありますか?

詳しいことは知りませんが、15世紀頃にヨーク家とランカスター家が王位を争って戦争したということは英国史の受業で聞いたことがありますわ。。。

 

薔薇戦争

 


(rosewar10.jpg)

 

薔薇戦争(Wars of the Roses)は、百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱であり、実状としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものと言える。

また、フランスのノルマンディ公2世ギヨームがイングランドを征服したノルマン・コンクエストの後、アンジュー帝国を築いたプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争でもある。

最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。

1455年5月にヨーク公リチャードがヘンリー6世に対して反乱を起こしてから、1485年にテューダー朝が成立するまで(1487年6月のストーク・フィールドの戦いまでとする見方もある)、プランタジネット家傍流のランカスター家とヨーク家の間で戦われた権力闘争である。

ヨーク家とランカスター家は、ともにエドワード3世の血を引く家柄であった。

ランカスター家が赤薔薇ヨーク家が白薔薇をバッジ(記章)としていたので薔薇戦争と呼ばれているが、この呼び名は後世のこととされる。

百年戦争中に、ランカスター家はプランタジネット朝を倒してランカスター朝を成立させていた。1422年、フランス王に対する勝利を重ね百年戦争における優位を確立したランカスター朝二代のヘンリー5世が死去し、生後9ヵ月のヘンリー6世がイングランド王に即位した。

1430年代以降、大陸での戦況が不利になるとフランスから嫁いだ王妃マーガレット・オブ・アンジューやサマセット公エドムンド・ボーフォートをはじめとする国王側近の和平派(ランカスター派)とプランタジネット家傍流のヨーク公リチャードを中心とした主戦派(ヨーク派)とが権力闘争を繰り広げるようになった。

イングランドは百年戦争に敗れ、ヘンリー6世は精神錯乱を起こして闘争を収拾できなかった。
両派は対立を深め、1455年に第1次セント・オールバーンズの戦いで両派間に火蓋が切られた。
以後30年間、内戦がイングランド国内でくり広げられる。

勝利したヨーク公は権力を掌握するが、マーガレット王妃率いるランカスター派の巻き返しを受けてヨーク派が窮地に陥ると1459年に戦いが再開した。

1460年のノーサンプトンの戦いでヨーク派が勝利してヘンリー6世を捕らえ、ヨーク公は王位を目前にするものの、スコットランドの援助を受けたマーガレット王妃の反撃を受けてウェイクフィールドの戦いで戦死した。

1461年、マーガレット王妃はウォリック伯リチャード・ネヴィルを破ってヘンリー6世を奪回するが、ロンドンの占領に失敗する。
ヨーク公の嫡男エドワードがウォリック伯と合流してロンドンに入城し、新国王エドワード4世に推戴されてヨーク朝が成立した。’
タウトンの戦いでヨーク派が大勝し内戦の勝敗は決した。
1465年にはヘンリー6世も捕らえられ、幽閉されている。(第一次内乱)

王位に就いたエドワード4世であったが、成立した政権は不安定であった。
エドワード4世は身分違いのエリザベス・ウッドヴィルとの結婚を独断専行させ、ウッドヴィル一族を重用したこと、そして外交政策の意見の相違からウォリック伯の反逆を招いた。

1469年にウォリック伯は王弟クラレンス公ジョージとともに反乱を起こしてエドワード4世を一時屈服させるが、翌1470年にエドワード4世が両人を反逆者と宣告すると国外逃亡を余儀なくされた。

ウォリック伯は宿敵であったマーガレット王妃と和解してランカスター派と手を結び、イングランドに上陸してエドワード4世を国外に追いやり、ヘンリー6世を復位させた。

だが、エドワード4世はブルゴーニュ公の援助を受けて、翌1471年にイングランドへ攻め入り、バーネットの戦いでウォリック伯を敗死させ、さらにテュークスベリーの戦いでランカスター軍を打ち破ってマーガレット王妃を捕らえた。

ヘンリー6世とエドワード王子は殺害され、ランカスター家の王位継承権者はほぼ根絶やしにされた。(第二次内乱)

1483年に再び転機が訪れた。エドワード4世が急死すると、王弟グロスター公リチャードはエドワード4世の幼い遺児エドワード5世と母后エリザベス・ウッドヴィルの一族を排除し、諸侯や市民の推戴を経てリチャード3世として即位する。

リチャード3世の即位に反対する勢力によって国内は再び混乱した。
フランスに亡命していたランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、1485年に兵を率いてイングランドに上陸すると、ボズワースの戦いでリチャード3世を撃ち破った。(第三次内乱)

ヘンリー・テューダーはヘンリー7世として即位するとエドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚してヨーク家と和解し、新たにテューダー朝が開かれた


出典: 「薔薇戦争」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

つまり、白い姫君 の白は ヨーク家の白薔薇 のことですか?

そういうことです。。。王女エリザベス・オブ・ヨーク白い姫君 なのですよ。。。

でも、どういうわけで 白い姫君 を取り上げたのですか?

実は、バンクーバー市立図書館で DVD を借りて次の映画を見たのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

 


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The white princess is a tale of power, family, love and betrayal, charting one of the most tumultuous times in British history uniquely from the point of view of the women. The tempestuous marriage between Elizabeth of York and King Henry VII officially marks of the conclusion of the War of the Roses, but the real battle for the throne is far from over.

This eight-episode series sees England ostensibly united by the marriage of Elizabeth of York and Henry VII, but their individual and partisan rift runs deep, and the war that furies between them portends to tear the kingdom apart again.


ホワイトプリンセスは、権力、家族、愛、裏切りの物語であり、女性の視点から英国の歴史の中で最も激動の時代の1つを独自に描いている
ヨーク家のエリザベスとヘンリー7世の間の波乱含みの結婚は、薔薇戦争の終結を公(おおやけ)に表明しているけれど、王位をめぐる本当の戦いはまだ終わってない。

イギリスは表面上はヨーク家のエリザベス王女とヘンリー7世の結婚によって統一されるが、彼らの個人的および党派的な裂け目は深く、彼らの間の憎悪は王国を引き裂く新たな火種となる。この八つのエピソードでは、その過程を描いてゆく。


(デンマン訳)
DVD カバーの説明より

 

 

面白そうですわねぇ~。。。で、デンマンさんは、この映画のどこに引き付けられたのですか?

女性の視点から英国の歴史の中で最も激動の時代の1つを独自に描いている と上の説明に書いてあるけれど、普通、日本史でも、女性の活躍はまず語られることは少ない。。。古代では、卑弥呼と持統天皇(女帝)。。。中世では源頼朝の妻の北条政子ぐらいですよ。。。

上の映画では、女性の活躍が描かれているのですか?

そうです。。。上のウィキペディアの説明を読んでも、女性が表舞台に出てきて活躍しているようには見えない。。。でもねぇ~、映画では、タイトルを見れば分かるように男性でなく女性が取り上がられている。。。映画の中では、女性が見えない部分で歴史を動かしているのが実によく分かるように描かれている。。。

つまり、英国史では、白い姫君 である王女エリザベス・オブ・ヨークが重要な役割を果たしているのですか?

タイトルから、この王女が主人公なのだけれど、僕が驚いたのは、本当の歴史上の主人公は、むしろ、テューダー朝を立ち上げたヘンリー7世のお母さんなのですよ。。。

 

マーガレット・ボーフォート

 


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1443年5月31日 – 1509年6月29日

 

マーガレット・ボーフォート(Margaret Beaufort)は、薔薇戦争期のイングランドにおけるランカスター派の貴族階級の女性である。’
ボーフォート家出身。生涯4度結婚したが、唯一の子供が後のイングランド王でテューダー朝の始祖ヘンリー7世である。

マーガレット・ボーフォートは、サマセット公ジョン・ボーフォートとマーガレット・ビーチャムの娘として生まれた。
父方の祖父は初代サマセット伯ジョン・ボーフォートであり、マーガレットはランカスター公ジョン・オブ・ゴーントとその愛人であったキャサリン・スウィンフォードの曾孫にあたる。

祖父は両親の正式な結婚を受けて後に異母兄ヘンリー4世と教皇の許可により庶子から嫡出子へと地位を上げたが、条件として子孫であるボーフォート家は王位継承権を放棄させられていた。

マーガレットは4回結婚しているが子供はただ1人、13歳で産んだ後のヘンリー7世だけである。

 

度重なる政略結婚

1444年、わずか1歳で父を亡くしたマーガレットは、政界の実力者だったサフォーク公ウィリアム・ド・ラ・ポールの後見を受けて育ち、1450年2月に7歳にも関わらずサフォーク公の息子ジョンが最初の結婚相手となった。

しかし同年5月にサフォーク公は暗殺され、ジョンとの結婚は1453年に無効にされた。
又従兄のイングランド王ヘンリー6世が自分に子供がいなかったため、マーガレットを王位継承者に指名することを考えたためだった。

ヘンリー6世は1455年、マーガレットを自分の異父弟リッチモンド伯エドマンド・テューダーと再婚させた。
エドマンドはキャサリン王太后(ヘンリー5世の未亡人)と2番目の夫オウエン・テューダーとの長男だった。

後にヘンリー・テューダーの即位に際してこのキャサリン王妃の再婚の合法性について議論されることになるが、法的には問題なかったと考えられる。

ところが同年から薔薇戦争が始まり、第一次セント・オールバンズの戦いでヘンリー6世の側近だった叔父のサマセット公エドムンド・ボーフォートがヨーク派に殺され、ヘンリー6世もヨーク派に捕らえられランカスター派とボーフォート家は存亡の危機を迎えた。

その余波でエドマンドもヨーク派に捕らえられ1456年11月1日に獄死した時、マーガレットは妊娠しており、翌1457年に息子ヘンリー(後のヘンリー7世)が生まれた。

マーガレットは1459年にヘンリー・スタッフォード卿(バッキンガム公ハンフリー・スタッフォードの息子)と3度目の結婚をして、ヘンリーは1461年にリッチモンド伯に叙されたが、同年にヨーク派の捕虜となりウィリアム・ハーバート(後にペンブルック伯)の保護下に置かれた。

戦況はますますランカスター派が劣勢になり、1464年と1471年に従兄弟のサマセット公ヘンリー・ボーフォートとエドムンド・ボーフォート兄弟がそれぞれヘクサムの戦いとテュークスベリーの戦いで敗死、ボーフォート家は男系が途絶えてしまった。

1469年にヨーク派で内紛が起こりエッジコート・ムーアの戦いでペンブルック伯が戦死、ヘンリーは解放されエドマンドの弟ジャスパー・テューダーに引き取られ、1470年にヘンリー6世の復帰で一時ランカスター派が頂点に立ったが、翌1471年にエドワード4世の反撃でヘンリー6世は廃位され獄死、ヘンリーとジャスパーはフランス、次いでブルターニュへの亡命を余儀無くされた。

 

息子ヘンリーを国王にするために

1471年にスタッフォード卿が亡くなった後、マーガレットは1473年から1482年の間にトマス・スタンリー卿と4度目の結婚をしている。
トマス・スタンリーはその時々の権力者にうまく追従する傾向があったようで、この時もヨーク派に属している。

ランカスター派のマーガレットとヨーク派のトマスとの結婚は政略結婚だったといわれている。
この間、マーガレットは大陸で亡命生活を起こっているヘンリーの身を案じ、ヨーク派のブルターニュに対するヘンリーの引き渡し要求を彼に報せて逃亡に手を貸す一方、エドワード4世に取り入りヘンリーのイングランド帰国に尽力している。

マーガレットはエドワード4世の弟リチャード3世の宮廷に入り、夫トマスと共に1483年7月のリチャード3世の戴冠式に出席している。
しかし、従甥で3番目の夫の甥でもあるバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードの陰謀に加わりリチャード3世打倒とヘンリーの即位を企て、露見してバッキンガム公が11月に処刑されると立場が危うくなった。

トマスの取り成しで辛うじて命拾いしたが、リチャード3世に息子エドワード5世を殺された前王妃のエリザベス・ウッドヴィルと密かに結び、その娘でエドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と息子ヘンリーを婚約させた。

これが後にヘンリーの王位継承権を強化することになった

 


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映画の中の白い姫君とマーがレット(右)

 

1485年8月22日、ヘンリーがリチャード3世と雌雄を決したボズワースの戦いでは、トマスはリチャード3世の側についている(ただし布陣はしたが参戦はしなかったため、実質的には中立)。リチャード3世はトマスが継子に味方するのを恐れてトマスの長男ジョージを人質に取っていたため、うかつに動けなくなっていたのだった。

結局トマスが寝返ってヘンリーに加勢するのは、大勢がヘンリーに傾きかけたタイミングであった。だが、戦闘が終わった戦場からリチャード3世のかぶっていた王冠を見つけ出し、ヘンリーの頭にかぶせたのはトマスだった。

 

教育者として

晩年のマーガレットは宮廷から引退して信仰生活と教育振興に余生を捧げた。
1495年にヘンリー7世夫妻がランカシャーを訪問した時はダービー伯と共に歓待したが、以後はロンドンかサリーの別荘で過ごした。

1497年にはドーセットのウィンボーンに大衆向けの無料の学校を開校する意思を表明、1509年にマーガレットが亡くなると、この願いはウィンボーン小学校として実現する。
学校の場所と名前はそれ以来変化して、今日では「エリザベス女王の学校」としてドーセットで最も大きく、国内でも有数の大きさの学校である。

また1502年、ケンブリッジ大学に自分の名を冠した「レディ・マーガレット神学教授」のポストを新設した

それにとどまらずケンブリッジ大学の拡充を推し進め、ダービー伯と1504年に死別して一段落した1505年、マーガレットはロチェスター司教ジョン・フィッシャーの協力で「ゴッズ・ハウス」(God’s House)を再建・拡大し、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジを開学した。

3年後の1508年にもケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ設立を計画したが、実現は死後の1511年までかかった。

オックスフォード大学の発展にも関与しいくつか講座開設を働きかけ、オックスフォード大学最初の女子校であるレディ・マーガレット・ホール校はマーガレットの名前にちなんだものである。

 


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文化の後援者としても活動、ウェストミンスター寺院のヘンリー7世礼拝堂建設を監督、死後はここに葬られた。
イングランドで印刷業を始めたウィリアム・キャクストンを援助、自らもフランス語の本を英語に翻訳しトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』の第4版を翻訳している。

1509年4月21日にヘンリー7世に先立たれ、2ヶ月後の6月29日に後を追うように66歳で死去、ヘンリー7世礼拝堂に埋葬された。


出典: 「マーガレット・ボーフォート」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

このお母さんがすごいのですよ。。。現在で言えば、教育ママゴンです。。。何が何でも、子供を東大の法学部に入れて、財務省か経産省の官僚にし、事務次官で退職したら衆議院議員に立候補させて末は首相になるようにコネを作り、根回しをしてゆくという女傑ですよ。。。

つまり、ヘンリー7世が子供の頃から、国王の座を目指すように教育したのですか?

そういうことです。。。このマーガレット自身が、波乱に富んだ人生を歩んできたのですよ。。。驚いたことに1457年に13歳でヘンリー7世(ヘンリー・チューダー)を産んでいる。。。現在では、ちょっと考えられない!。。。父はリッチモンド伯エドマンド・テューダー。。。でも、誕生の3カ月前に父親は死去していた。

国王の座につけるような立場にあったのですか?

いや。。。全くその可能性はなかった。。。ヘンリーの祖父オウエン・テューダーはウェールズ君主の血をひくけれど、イングランド王ヘンリー5世の未亡人でフランス王女であるキャサリン・オブ・ヴァロワの納戸係秘書を務める下級貴族に過ぎなかった。

その下級貴族が、どのように上級貴族になったのですか?

ヘンリーの祖父は女主人のキャサリンと結婚したのですよ。。。その間に生まれのがエドマンド、つまり、ヘンリー7世の父親です。。。ヘンリー6世の異父弟ということになり、フランス王家の縁者ともなって、リッチモンド伯に封じられて上級貴族の仲間入りをしたのです。。。

要するに、ヘンリーの王位継承権は主に母方のボーフォート家に由来するのですわねぇ~。

そうです。。。母マーガレット・ボーフォートはエドワード3世の三男のジョン・オブ・ゴーントの子であるジョン・ボーフォートの孫なのです。。。だけど、ジョン・ボーフォートは両親が結婚する前に生まれた私生児だった。。。後に従兄に当たるリチャード2世が嫡出子として認められた時、王位継承権を放棄させられていた。さらに女系の血筋であることもあって、ヘンリーの王位継承権には疑問符が付いていた。

それが、どういうわけで王位継承権がヘンリーに巡り回ってきたのですか?

1483年までに、ヘンリー6世と息子の王太子エドワード・オブ・ウェストミンスター、さらに他のボーフォート家の成員が死に絶えてしまった。。。そういうわけで、ヘンリーがランカスター家一門の最年長の一員となったのですよ。。。

それで母親が、ヘンリーが王座につくように、いろいろと背後で動いたのですか?

そうです。。。ヘンリーの属するテューダー家がウェールズ君主の末裔であることを活用して、ウェールズからの援軍および軍の通行権を確保した。。。ヘンリーは、いつかウェールズを抑圧から解放するとされる“予言の子”の候補であると見なされており、そういうわけで、ヘンリーはウェールズ君主の赤いドラゴンの旗を聖ゲオルギウス十字の旗と共に掲げた。

それで、ヘンリーと母親は、どう動いたのですか?

1456年、父エドマンドは戦場でヨーク家側に捕えられ、ヘンリーの誕生3か月前に死んでいた。幼年時代は叔父ジャスパー・テューダーの保護を受け、ウェールズで暮らした。1461年にヨーク家のエドワード4世が王位に着くとジャスパーは追放され、ヨーク派のペンブルック伯ウィリアム・ハーバートがヘンリーと母を保護した。だけど1469年にペンブルック伯は処刑され、1470年にランカスター家のヘンリー6世が復位し、ジャスパーは追放から戻ってヘンリーを宮廷に連れて行った。

ヘンリーの王位は目前になったのですねぇ~。。。

ところが、翌1471年にヘンリー6世と王太子エドワードが殺されてエドワード4世が復位すると、ヘンリーはランカスター家の血を引く最後の男子となり、ヨーク派から命を狙われるようになった。そのため、叔父ジャスパーに連れられてフランスに渡り、ブルターニュ公に匿われて続く14年間をブルターニュ公国で過ごしたのですよ。

母親のマーガレットもブルターニュに渡ったのですか?

いや。。。彼女はイングランドにとどまった。。。1480年に、ヨーク派のトマス・スタンリーと再婚し、ヘンリーをヨーク朝のリチャード3世に代わる王の候補として運動していたのです。。。運動が実を結んで1483年に、ヘンリーはエドワード4世の長女エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と婚約した。。。兄弟たちが叔父リチャード3世によってロンドン塔に幽閉されて亡くなっていたと思われていたため、エリザベスはエドワード4世の世継ぎとなっていた。。。

つまり、白い姫君と結婚することによりヘンリーは王位につくという考えですか?

初めは、そう考えていた。。。1483年、支援者であるブルターニュ公フランソワ2世の援助で、ヘンリーはイングランドに上陸しようとした。。。ところが、嵐のために計画は失敗し同調者のバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードはリチャード3世に処刑されてしまった。リチャード3世はブルターニュ公国の宰相を動かしてヘンリーを追放しようとしたが、ヘンリーはフランス王国に逃げた。エドワード4世の妹マーガレット・オブ・ヨークが嫁いだブルゴーニュ公国はヨーク朝を支援していたため、これと対立するフランス王ルイ11世から軍勢と装備を援助され、ヘンリーは2度目の攻撃の準備を行ったのです。

。。。で、今度の戦いは、どうなったのですか?

フランス兵とスコットランド兵を率い、叔父ジャスパーやオックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアーと共にランカスター派の拠点であるウェールズのペンブルックシャーに上陸し、イングランドに進軍した。父を通じてウェールズ王の血をひくヘンリーの軍勢は、ウェールズ兵を加えて5000に膨れ上がった。。。ヘンリーはノッティンガムとレスターでも援軍を得て、1485年8月22日のボズワースの戦いでリチャード3世の8000の軍に勝った

リチャード3世の方が優勢なのに勝ったのですか?

あのねぇ~、リチャード3世側の多くの貴族は日和見(ひよりみ)し、リチャード3世の味方であったノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー、およびウィリアム・スタンリー卿とヘンリーの継父トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵)の兄弟は、決定的なタイミングでヘンリーの側に寝返ったのですよ。。。リチャード3世は戦死し薔薇戦争は事実上終結した。

それでヘンリーは王位についたのですか?

いや。。。イングランドが女系の王位継承権を認めているために王位継承権者は数多く、ヘンリーがすぐに王座につくことはできなかった。。。

。。。で、どうしたのですか?

ヘンリーのランカスター家はヨーク家と和解し、エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と結婚することでヘンリー7世として王座を確かなものにしたのです。。。

ところで、日本史にはマーガレットのような女性は居ないのですか?

僕も考えてみたのですよ。。。マーがレットが生きていた15世紀の後半に、同じような野望に燃えていた女性が居るだろうか?。。。思い当たるのは日野富子ですよ。。。ちょうど同じ時期に日本で生きていた女性です。。。でも、野望に燃えていたけれど、むしろ悪女として日本史では知られている女性です。。。

一体、どういう女性なのですか?

次のような女性ですよ。。。

 

日野富子

 


(3badgals.jpg)

誕生:永享12年(1440年)
死去:明応5年5月20日(1496年6月30日)

 

日野 富子は、室町時代後期から戦国時代前期の女性。
室町幕府8代将軍・足利義政の正室(御台所)。

父は蔵人右少弁・日野重政、母は従三位・北小路苗子(北小路禅尼)。兄弟に勝光(兄)、永俊(11代将軍足利義澄の義父)、資治(日野兼興の養子)、妹に良子(足利義視室)。9代将軍・足利義尚の母。従一位。

正式名は氏姓+諱の藤原朝臣冨子。
「従一位冨子」の本人署名が後世に伝わる。

当時の呼称は主に将軍正室の意味の「御台」、夫の死後もしばしばそのように呼ばれている。
夫婦喧嘩により別居した時には、居住地を取って「東山殿」と呼ばれるようになった夫に代わって「室町殿」と呼称された記録もある(親元日記)。
大正2年(1913年)の日本史概説書では「藤原富子」。

しばしば中世の夫婦別姓(氏)の例として挙げられるが、実際に本人が「日野富子」を名乗った事実は確認されていない。
当時の社会通念からすると、正室が実家の苗字を名乗るはずはなく、氏姓(本姓)と苗字を混同した後世の誤解だという批判がある。

また前近代の日本で、男性が未婚の若い女性に実名を尋ねることはしばしば求婚を意味し、実名呼称回避の慣習が男性以上に強力だったため、女性はもっぱら仮名 (通称)を名乗り、極めてフォーマルな場合以外実名は名乗らないのが原則であった。

 

生誕と結婚

山城国(京都府)の生まれ。室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、義政の生母・日野重子は富子の大叔母にあたる。

富子も康正元年(1455年)8月27日に16歳で義政の正室となり、長禄3年(1459年)1月9日には第1子が生まれるが、その日のうちに夭折した。
それを義政の乳母の今参局が呪いを掛けたせいだとし、彼女を琵琶湖沖島に流罪とし(本人は途中で自刃)、義政の側室4人も追放した。

 

応仁の乱

富子は寛正3年(1462年)と翌4年(1463年)に相次いで女子を産むが、男子を産むことは出来なかった。
寛正5年(1464年)に義政は実弟で仏門に入っていた義尋を還俗させ、名を足利義視と改めさせ細川勝元を後見に将軍後継者とした。

しかし翌寛正6年(1465年)に富子は義尚を出産、富子は溺愛する義尚の擁立を目論み、義尚の後見である山名宗全や実家である日野家が義視と対立した。
これに幕府の実力者である勝元と宗全の対立や斯波氏、畠山氏の家督相続問題などが複雑に絡み合い、応仁の乱が勃発した

富子は戦いの全時期を通じて細川勝元を総大将とする東軍側にいたが、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機も行うなどして、一時は現在の価値にして60億円もの資産があったといわれる

文明3年(1471年)頃には室町亭(京都市上京区)に避難していた後土御門天皇との密通の噂が広まった。
当時、後土御門天皇が富子の侍女に手を付けていたことによるものだったが、そんな噂が流れるほど義政と富子の間は冷却化していた

文明5年(1473年)に山名宗全、細川勝元が死去し、義政が隠居して義尚が元服して9代将軍に就任すると、兄の日野勝光が新将軍代となった。
義政は完全に政治への興味を失い、文明7年(1475年)には小河御所(上京区堀川)を建設して1人で移った。

文明8年(1476年)に勝光が没すると、富子が実質的な幕府の指導者となった。
「御台一天御計い」するといわれた富子に八朔の進物を届ける人々の行列は1、2町にも達した

11月に室町亭が焼失すると義政が住む小河御所へ移る。
しかし、文明13年(1481年)になって義政は長谷聖護院の山荘に移ってしまった(その後長らく義政とは別居)。

文明9年(1477年)にようやく西軍の軍は引き上げ、京都における戦乱は終止符を打ったが、この翌日、富子は伝奏・広橋兼顕に「土御門内裏が炎上しなかったのは、西軍の大内政弘と申し合わせていたから」という趣旨の発言をしている。

 

応仁の乱後

長禄3年(1459年)以降、京都七口には関所が設置され関銭を徴集していた(京都七口関)。
この関所の設置目的は内裏の修復費、諸祭礼の費用であったが、富子はほとんどその資金を懐に入れた

これに激高した民衆が文明12年(1480年)に徳政一揆を起こして関所を破壊した。
富子は財産を守るために弾圧に乗りだし、一揆後はただちに関の再設置に取りかかったが、民衆だけでなく公家の怨嗟の的となった。

義尚は成長すると富子を疎んじ始め、文明15年(1483年)には富子をおいて伊勢貞宗邸に移転し、酒色に溺れた
このため富子は一時権力を失った。

しかし延徳元年(1489年)に六角高頼討伐(長享・延徳の乱)で遠征中の義尚が25歳で没した。
息子の急死に富子は意気消沈したが、義視と自分の妹良子の間に生まれた足利義材(後の義稙)を将軍に擁立するよう義政と協議し、同年4月に合意が行われた。

延徳2年(1490年)正月に義政が没すると、義材が10代将軍となった。
しかし後見人となった義視は権力を持ち続ける富子と争い、富子の邸宅小河邸を破壊し、領地を差し押さえた。
翌年の義視の死後、親政を開始した義材もまた富子と敵対した。

明応2年(1493年)、義材が河内に出征している間に富子は細川政元と共にクーデターを起こして義材を廃し、義政の甥で堀越公方・足利政知の子・義澄を11代将軍に就けた(明応の政変)。
その3年後、明応5年(1496年)に富子は57歳で死去した。

 

人物

その活動に対する庶民からの評価は決して高くなく、戦乱で苦しむ庶民をよそに巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評された。
夫の義政が東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していたときは、一銭の援助もしていないことから「天下の悪妻」とも呼ばれる。

一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になったときは自身の蓄財から賄ったりしていた。
幕府財政は贈答儀礼や手数料収入などに頼ったものに切り替わりつつあり、富子の蓄財もその文脈で考える必要があるとも指摘されている。
富子の遺産は7万貫(約70億円)に達していたという。

学問にも熱心であり、関白・一条兼良に『源氏物語』の講義を受けている。
将軍家御台所とはいえ、関白が女性に講義をするのは異例であるが、富子はこのために莫大な献金を行っている。

義尚の急死とそれに続く義政の病没によって、幕府内部が動揺する中で40年近く幕府とともに歩んできた富子は「御台」として引き続き幕府内部に大きな影響を与えてきた。明応の政変における将軍追放も「御台」富子の支持があって初めて可能であったと言われている。

応仁の乱の原因として義尚の後見人を山名宗全に頼んだことが挙げられるが、近年の研究で『応仁記』が記した虚構ではないかとされている。
理由として、富子が自身の妊娠中に妹の良子を義視に嫁がせてその基盤強化に力を貸していること(男子が生まれてもそれが成人する可能性が低かったこと当時、義視との連携を維持して万一の場合に義視と実妹の子が将軍職を継ぐのが富子としては望ましかった)、富子が宗全に依頼した出来事は『応仁記』以外の記録には見当たらず、義尚が生まれる前に宗全が諸大名と連携、その中に義視がいたことが挙げられている。

実際に義視を排除したかったのは義尚の養育係である伊勢貞親で、文正の政変の一因にこの動きに山名宗全・細川勝元らが反発したことにあるのではないか、と推測されている。


出典: 「日野富子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

マーガレットは権力に拘(こだわ)っていたようですけれど、日野富子という女性はお金に固執(こしつ)していたようですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。マーガレットと違い、子供の教育にも失敗し、夫を操(あやつ)ることもできなかった。。。つまり、夫にも子供にも頼れないから、頼れるのはお金だけだと思ったのでしょう!

それで日本史では悪女ということになってしまったのですかァ~?

そういうことです。。。お金に執着(しゅうちゃく)すると そういうことになるのですよ。。。


初出: 2022年4月21日


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも権力よりもお金の方が大切だと思いますかァ~?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』

『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

右側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


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じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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ボンカーズ

 

ボンカーズ

 


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デンマンさん、どういうわけでボンカーズ を取り上げたのですかァ〜?


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最近、映画を観たりすると、しばしばこの言葉が出てくるのですよ。。。ジューンさんもけっこう耳にするでしょう?

そう言われてみれば、確かにテレビを見ているとよく耳にする言葉ですわァ〜。。。

僕はテレビを持ってないのでテレビのことはわからないけれど、20年ぐらい前には、あまり聞かなかった言葉なんですよ。。。僕は初めて耳にした時、ビートルズのような人気グループが出てきたのかと思いましたよ。。。

元々、イギリスで使われたようです。。。

僕も調べてみたら次のクリップに出くわしたのですよ。。。

 


(bonk30)

 

このクリップを見ると1970年頃から急にメデォアに登場するようになったと言うのです。。。

 


(bonkergraf20.jpg)

 

今では「バカ」、「愚か」、「クレージー」という意味ですけれど、戦争中にはイギリス軍で「酔っ払った(drunk)」、「酔わされた(inebriated)」という意味で使われていたようですねぇ〜。。。

酔っ払ってバカなことを言うので「バカ」という意味になったのでしょう!?

多分、そんなところですわァ〜。。。(笑い)

 


(bonk23)

これはバカげている

 

でも、どういうわけで1970頃に急に「bonkers」が使われだしたのですか?

上のクリップによると、ジョン・アーヴィングというおじさんが『The World According to Garp』という本を書いたからですわァ。。。

 


(garp41.jpg)


(garp40.jpg)

 

この本が爆発的に人気が出たのですわァ〜。。。この本の中に「bonkers」が出てくるのです。。。

 


(bonk26.jpg)

 

なるほどォ〜。。。なんと書いてあるのですか?

飼っている犬が間抜けで凶暴なので「bonkers」という名前をつけたというのです。。。

 


(bonk25.jpg)

 

しかも、この本を原作に映画まで作られたのです。。。

実は、僕は、その映画を観ているのですよ。。。

 

ガープの世界

 


(garp50.jpg)

 

『ガープの世界』(原題:The World According to Garp)は、ジョン・アーヴィングの4作目の小説。
1978年刊行。および、それを原作とした1982年の映画。

小説は1980年の全米図書賞を受賞しアメリカでは数年にわたる大ベストセラーとなり、これによって一躍アーヴィングは現代アメリカの小説家の稼ぎ頭になった。

 

あらすじ (ネタバレ注意!

物語は主人公T・S・ガープの出生の事情から始まる。
ガープの母親ジェニー・フィールズは看護師だったが、子供は欲しいが夫は欲しくない、子作りのため以外にはセックスしたくないという固い意志を抱いていた。

ある時彼女は、戦争で受けた怪我のせいで意識不明のまま寝たきりになっていた三等曹長のガープの看護をすることになる。
頭部に銃弾が貫通したせいでこの植物人間の男根がつねに勃起しているのを知った彼女は、名前以外には何も知らないこの三等曹長と(一方的に)セックスし、子を宿す

こうしてT・S・ガープが生まれる。
ジェニーは息子をひとりで育て、高校に通わせる。

成長したガープは3つのことに興味をもつ。
セックス、レスリング、そして物語を書くことである。
ガープの母ジェニーはこれらのどれにもあまり興味をもたなかった。

ガープは作家になり、レスリングのコーチの娘に求婚し、そして結婚する。
3人の子供が生まれる。

一方ジェニーは 『性の容疑者』 という題名の自伝を書いてベストセラー作家になり、一躍フェミニストたちの憧れの的になる。

ガープはよき父親となり、子供が安全でいられるかという不安と格闘し、世界の危険から子供が守られるようにと願う。
ガープ一家は暗く暴力的な出来事に否応なく翻弄され、それを通じて成長し、変化していく。

ガープは人生で出会った女性たちから(しばしば痛ましい仕方で)多くを学び、不寛容を前にしてどうにかしてもっと寛容になろうとする。
物語は愚行と悲哀に満ちているが、登場人物たちが経験する滑稽なまでの出来事の数々にはそれでも苦い真理が響いている。

『ガープの世界』 にはジョン・アーヴィングの小説のほとんど全篇に現れる要素のいくつかが含まれている。
熊、レスリング、ウィーン、登場人物の一生を追うディケンズ流の複雑な筋書き等。

またアーヴィングの小説によく現れるもう一つのテーマである「姦通」も重要な役割を果たしており、この物語の最も印象的な場面で描かれている。
アーヴィングの作品にこれもよく現れる「去勢不安」のテーマもあり、マイケル・ミルトンの悲劇的運命に明らかである。


出典: 「ガープの世界」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 


(garp23-03-23.jpg)


『拡大する』


『実際のページ』

 

 

あらっ。。。デンマンさんはバンクーバーの市立図書館でDVDを借りて上の映画を 2016年12月8日に観てコメントを書き込んでいますわねぇ〜。。。

そうなのです。。。僕はあまりいい映画だとは思わなかった。。。もちろん、「bonkers」という名前の犬が出てきたことなんて全く覚えてないのですよ。。。

デンマンさんの評価は5つ星の内2.5星ですけれど、コメントには面白いと書いてありますわねぇ〜。。。

 

デンマンのコメント

 

This is a 1982 American comedy directed by George Roy Hill, based on the novel of the same title by John Irving.
Although funny at times, it appears to me like a nonsensical fantasy at best.

Yet it is an entertaining flick with such sexual episodes as Garp’s earliest feelings of lust for Cushie and his second encounter with a New York prostitute whom his mother introduces to him.


ジョン・アーヴィングの同名小説を基に、ジョージ・ロイ・ヒルが監督した1982年のアメリカのコメディ。
面白いところもあるが、せいぜい無意味なファンタジーのように思える。

それでも、クシーに対するガープの最初の欲望の感情や、母親が彼に紹介したニューヨークの売春婦との2回目の出会いなど、性的なエピソードを備えた面白い映画だ。

 

デンマンさんが喜びそうな話題が豊富なのに、この映画をあまり評価してないのですわねぇ〜。。。なぜですかァ〜?

あのねぇ〜。。。、確かに下卑た面白さがあるんだけれど、この映画を馬鹿笑いして見ている人を見るとバカバカしく感じますよ。。。

なんだか皮肉な批評ですわァ〜。。。うふふふふふ。。。

とにかく、この映画の影響もあって、「bonkers」は流行語のようになってしまったようです。。。ディズニーでは「ボンカーズ」というアニメーションまで作られた。。。

 


(bonk27)

 

小説が映画化されたのだから、ディズニーでは「ボンカーズ」というアニメになるのも時間の問題でしたわァ〜。。。

映画やアニメの世界だけじゃなく、なんと酒・アルコールの世界にまで「bonkers」が進出して「ボンカーズ」という名前のビールまで作られた。。。

 


(bonk28)

 

こうなると、正に、バカげた話ですよねぇ〜!

 


(bonk23)

これはバカげている

 


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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

貴方も、バカげた話だと思いますか?

ええっ。。。? 「そんな事はどうでもいいから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしに命令なさるのでござ~♪~ますか?

分かりましたわァ。。。 では、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)

『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


(buttdimp5.jpg)

 

どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

 

ところで、話は変わりますけれど、

かつて、レンゲさんの親友の めれんげさんは 一生懸命にブログを更新していたのでした。

でも、時には、他のことに夢中になって、会費を滞納したことがあったのでござ~ますわァ。。。

そのために、サイトを削除されてしまったのです。

それでも、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。

でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)


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『思い出のハロウィン』

『萌える愛』

『愛の死刑囚@バルセロナ』

『愛の地獄なのね』

『淫らな恋なのね』

『愛の構造』

『純毛のズロース』

『坊っちゃんとチンドン屋』

『あふれ出すしずく』


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『愛と性@破綻』

『淫らな恋』

『人間失格@マレーシア』

『身を焼く恋心』

『愛と性の悦び@東京』

『堺まち歩き』

『イギリス領インド洋地域』

『思い出の夕顔@ジャカルタ』

『大宮五郎と野口五郎』

『千代に再会@即興の詩』

『月岡芳年を探して』

『断絶夫婦』

『きみ追う心』


(sayuri201.jpg)

『ニンフォマニア』

『一人で酒を飲む女』

『ブチギレたの?』

『ノルウェイ@即興の詩』

『きくた まなみ』

『永遠の愛』

『平安の愛と性』

『猫に誘われて』

『わが青春に悔なし』

『日本で一番長い五月』


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『出会えてよかった』

『月さえも』

『知られざる蚤』

『死刑囚の気持ち』

『私を見つけてね』

『未来は愛と共に』

『愛と心の旅路』

『片思いで絶望』

『休息と幸福』

『今でもあなたを』

『出会えたね』


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『愛ある未来だね』

『愛のしずく』

『こんにちわ@チェシャム』

『二人の未来』

『熱いファン』

『夢の中』

『別世界』

『ソフィア@ビックリ』

『永遠の愛なの』

『幻想世界』

『リタリン』

『ファンタジー@愛と性』

『デンマン生態研究』

『スミレの花 阿部定』

『愛すること』

『浜美枝の愛犬』

『浜美枝@パリ』

『きみ慕う心』

『素敵な美尻』

『すてきな美尻』

『25セント』
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こんにちはジューンです。

バンクーバーでは例年に無い暑さを記録しました。

1960年7月30日に記録した33.3度を破って

今年の7月30日に 33.8度を記録したのです。

でも、日本の暑さと比べれば

たいしたことはありませんよね。

Hottest Day Ever Recorded

in Vancouver

Source: The Canadian Press
Posted: 07/30/09 8:09AM
VANCOUVER, B.C.


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The city of Vancouver has registered its hottest day on record.

Environment Canada says a temperature of 33.8 C was recorded at Vancouver airport on Wednesday, shattering the previous high of 33.3 C that was set in 1960.

“A very strong ridge of high pressure is currently dominating all of B.C.,” said Gary Dickinson, a meteorologist with Environment Canada.

“The ridge of high pressure also brought up from the south very warm air, which was responsible for the record-breaking temperatures.”

ところで、今日は8月7日ですけれど、

最高気温は18度でした。

夏というよりも、もう秋という感じです。

わずか1週間しか経っていないのですが

変われば変わるものです。

あなたの地方では、いかがですか?

まだまだ暑さが続いているのでしょう?


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話は変わりますが、

デンマンさんがレンゲさんの記事を集めて

一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』


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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。


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白い姫君

 

白い姫君

 


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デンマンさん。。。、白い姫君 というのはどこの国の姫君ですか?


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イギリスの姫君ですよ。。。

白い姫君がいるということは赤い姫君も居るのですか?

居るのです。。。ベティさんはイギリスで起こった薔薇戦争というのを聞いたことがありますか?

詳しいことは知りませんが、15世紀頃にヨーク家とランカスター家が王位を争って戦争したということは英国史の受業で聞いたことがありますわ。。。

 

薔薇戦争

 


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薔薇戦争(Wars of the Roses)は、百年戦争終戦後に発生したイングランド中世封建諸侯による内乱であり、実状としては百年戦争の敗戦責任の押し付け合いが次代のイングランド王朝の執権争いへと発展したものと言える。

また、フランスのノルマンディ公2世ギヨームがイングランドを征服したノルマン・コンクエストの後、アンジュー帝国を築いたプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の、30年に及ぶ権力闘争でもある。

最終的にはランカスター家の女系の血筋を引くテューダー家のヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚してテューダー朝を開いた。

1455年5月にヨーク公リチャードがヘンリー6世に対して反乱を起こしてから、1485年にテューダー朝が成立するまで(1487年6月のストーク・フィールドの戦いまでとする見方もある)、プランタジネット家傍流のランカスター家とヨーク家の間で戦われた権力闘争である。

ヨーク家とランカスター家は、ともにエドワード3世の血を引く家柄であった。

ランカスター家が赤薔薇ヨーク家が白薔薇をバッジ(記章)としていたので薔薇戦争と呼ばれているが、この呼び名は後世のこととされる。

百年戦争中に、ランカスター家はプランタジネット朝を倒してランカスター朝を成立させていた。1422年、フランス王に対する勝利を重ね百年戦争における優位を確立したランカスター朝二代のヘンリー5世が死去し、生後9ヵ月のヘンリー6世がイングランド王に即位した。

1430年代以降、大陸での戦況が不利になるとフランスから嫁いだ王妃マーガレット・オブ・アンジューやサマセット公エドムンド・ボーフォートをはじめとする国王側近の和平派(ランカスター派)とプランタジネット家傍流のヨーク公リチャードを中心とした主戦派(ヨーク派)とが権力闘争を繰り広げるようになった。

イングランドは百年戦争に敗れ、ヘンリー6世は精神錯乱を起こして闘争を収拾できなかった。
両派は対立を深め、1455年に第1次セント・オールバーンズの戦いで両派間に火蓋が切られた。
以後30年間、内戦がイングランド国内でくり広げられる。

勝利したヨーク公は権力を掌握するが、マーガレット王妃率いるランカスター派の巻き返しを受けてヨーク派が窮地に陥ると1459年に戦いが再開した。

1460年のノーサンプトンの戦いでヨーク派が勝利してヘンリー6世を捕らえ、ヨーク公は王位を目前にするものの、スコットランドの援助を受けたマーガレット王妃の反撃を受けてウェイクフィールドの戦いで戦死した。

1461年、マーガレット王妃はウォリック伯リチャード・ネヴィルを破ってヘンリー6世を奪回するが、ロンドンの占領に失敗する。
ヨーク公の嫡男エドワードがウォリック伯と合流してロンドンに入城し、新国王エドワード4世に推戴されてヨーク朝が成立した。’
タウトンの戦いでヨーク派が大勝し内戦の勝敗は決した。
1465年にはヘンリー6世も捕らえられ、幽閉されている。(第一次内乱)

王位に就いたエドワード4世であったが、成立した政権は不安定であった。
エドワード4世は身分違いのエリザベス・ウッドヴィルとの結婚を独断専行させ、ウッドヴィル一族を重用したこと、そして外交政策の意見の相違からウォリック伯の反逆を招いた。

1469年にウォリック伯は王弟クラレンス公ジョージとともに反乱を起こしてエドワード4世を一時屈服させるが、翌1470年にエドワード4世が両人を反逆者と宣告すると国外逃亡を余儀なくされた。

ウォリック伯は宿敵であったマーガレット王妃と和解してランカスター派と手を結び、イングランドに上陸してエドワード4世を国外に追いやり、ヘンリー6世を復位させた。

だが、エドワード4世はブルゴーニュ公の援助を受けて、翌1471年にイングランドへ攻め入り、バーネットの戦いでウォリック伯を敗死させ、さらにテュークスベリーの戦いでランカスター軍を打ち破ってマーガレット王妃を捕らえた。

ヘンリー6世とエドワード王子は殺害され、ランカスター家の王位継承権者はほぼ根絶やしにされた。(第二次内乱)

1483年に再び転機が訪れた。エドワード4世が急死すると、王弟グロスター公リチャードはエドワード4世の幼い遺児エドワード5世と母后エリザベス・ウッドヴィルの一族を排除し、諸侯や市民の推戴を経てリチャード3世として即位する。

リチャード3世の即位に反対する勢力によって国内は再び混乱した。
フランスに亡命していたランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、1485年に兵を率いてイングランドに上陸すると、ボズワースの戦いでリチャード3世を撃ち破った。(第三次内乱)

ヘンリー・テューダーはヘンリー7世として即位するとエドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚してヨーク家と和解し、新たにテューダー朝が開かれた


出典: 「薔薇戦争」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

つまり、白い姫君 の白は ヨーク家の白薔薇 のことですか?

そういうことです。。。王女エリザベス・オブ・ヨーク白い姫君 なのですよ。。。

でも、どういうわけで 白い姫君 を取り上げたのですか?

実は、バンクーバー市立図書館で DVD を借りて次の映画を見たのですよ。。。

 


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『拡大する』


『実際のページ』

 


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The white princess is a tale of power, family, love and betrayal, charting one of the most tumultuous times in British history uniquely from the point of view of the women. The tempestuous marriage between Elizabeth of York and King Henry VII officially marks of the conclusion of the War of the Roses, but the real battle for the throne is far from over.

This eight-episode series sees England ostensibly united by the marriage of Elizabeth of York and Henry VII, but their individual and partisan rift runs deep, and the war that furies between them portends to tear the kingdom apart again.


ホワイトプリンセスは、権力、家族、愛、裏切りの物語であり、女性の視点から英国の歴史の中で最も激動の時代の1つを独自に描いている
ヨーク家のエリザベスとヘンリー7世の間の波乱含みの結婚は、薔薇戦争の終結を公(おおやけ)に表明しているけれど、王位をめぐる本当の戦いはまだ終わってない。

イギリスは表面上はヨーク家のエリザベス王女とヘンリー7世の結婚によって統一されるが、彼らの個人的および党派的な裂け目は深く、彼らの間の憎悪は王国を引き裂く新たな火種となる。この八つのエピソードでは、その過程を描いてゆく。


(デンマン訳)
DVD カバーの説明より

 

 

面白そうですわねぇ〜。。。で、デンマンさんは、この映画のどこに引き付けられたのですか?

女性の視点から英国の歴史の中で最も激動の時代の1つを独自に描いている と上の説明に書いてあるけれど、普通、日本史でも、女性の活躍はまず語られることは少ない。。。古代では、卑弥呼と持統天皇(女帝)。。。中世では源頼朝の妻の北条政子ぐらいですよ。。。

上の映画では、女性の活躍が描かれているのですか?

そうです。。。上のウィキペディアの説明を読んでも、女性が表舞台に出てきて活躍しているようには見えない。。。でもねぇ〜、映画では、タイトルを見れば分かるように男性でなく女性が取り上がられている。。。映画の中では、女性が見えない部分で歴史を動かしているのが実によく分かるように描かれている。。。

つまり、英国史では、白い姫君 である王女エリザベス・オブ・ヨークが重要な役割を果たしているのですか?

タイトルから、この王女が主人公なのだけれど、僕が驚いたのは、本当の歴史上の主人公は、むしろ、テューダー朝を立ち上げたヘンリー7世のお母さんなのですよ。。。

 

マーガレット・ボーフォート

 


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1443年5月31日 – 1509年6月29日

 

マーガレット・ボーフォート(Margaret Beaufort)は、薔薇戦争期のイングランドにおけるランカスター派の貴族階級の女性である。’
ボーフォート家出身。生涯4度結婚したが、唯一の子供が後のイングランド王でテューダー朝の始祖ヘンリー7世である。

マーガレット・ボーフォートは、サマセット公ジョン・ボーフォートとマーガレット・ビーチャムの娘として生まれた。
父方の祖父は初代サマセット伯ジョン・ボーフォートであり、マーガレットはランカスター公ジョン・オブ・ゴーントとその愛人であったキャサリン・スウィンフォードの曾孫にあたる。

祖父は両親の正式な結婚を受けて後に異母兄ヘンリー4世と教皇の許可により庶子から嫡出子へと地位を上げたが、条件として子孫であるボーフォート家は王位継承権を放棄させられていた。

マーガレットは4回結婚しているが子供はただ1人、13歳で産んだ後のヘンリー7世だけである。

 

度重なる政略結婚

1444年、わずか1歳で父を亡くしたマーガレットは、政界の実力者だったサフォーク公ウィリアム・ド・ラ・ポールの後見を受けて育ち、1450年2月に7歳にも関わらずサフォーク公の息子ジョンが最初の結婚相手となった。

しかし同年5月にサフォーク公は暗殺され、ジョンとの結婚は1453年に無効にされた。
又従兄のイングランド王ヘンリー6世が自分に子供がいなかったため、マーガレットを王位継承者に指名することを考えたためだった。

ヘンリー6世は1455年、マーガレットを自分の異父弟リッチモンド伯エドマンド・テューダーと再婚させた。
エドマンドはキャサリン王太后(ヘンリー5世の未亡人)と2番目の夫オウエン・テューダーとの長男だった。

後にヘンリー・テューダーの即位に際してこのキャサリン王妃の再婚の合法性について議論されることになるが、法的には問題なかったと考えられる。

ところが同年から薔薇戦争が始まり、第一次セント・オールバンズの戦いでヘンリー6世の側近だった叔父のサマセット公エドムンド・ボーフォートがヨーク派に殺され、ヘンリー6世もヨーク派に捕らえられランカスター派とボーフォート家は存亡の危機を迎えた。

その余波でエドマンドもヨーク派に捕らえられ1456年11月1日に獄死した時、マーガレットは妊娠しており、翌1457年に息子ヘンリー(後のヘンリー7世)が生まれた。

マーガレットは1459年にヘンリー・スタッフォード卿(バッキンガム公ハンフリー・スタッフォードの息子)と3度目の結婚をして、ヘンリーは1461年にリッチモンド伯に叙されたが、同年にヨーク派の捕虜となりウィリアム・ハーバート(後にペンブルック伯)の保護下に置かれた。

戦況はますますランカスター派が劣勢になり、1464年と1471年に従兄弟のサマセット公ヘンリー・ボーフォートとエドムンド・ボーフォート兄弟がそれぞれヘクサムの戦いとテュークスベリーの戦いで敗死、ボーフォート家は男系が途絶えてしまった。

1469年にヨーク派で内紛が起こりエッジコート・ムーアの戦いでペンブルック伯が戦死、ヘンリーは解放されエドマンドの弟ジャスパー・テューダーに引き取られ、1470年にヘンリー6世の復帰で一時ランカスター派が頂点に立ったが、翌1471年にエドワード4世の反撃でヘンリー6世は廃位され獄死、ヘンリーとジャスパーはフランス、次いでブルターニュへの亡命を余儀無くされた。

 

息子ヘンリーを国王にするために

1471年にスタッフォード卿が亡くなった後、マーガレットは1473年から1482年の間にトマス・スタンリー卿と4度目の結婚をしている。
トマス・スタンリーはその時々の権力者にうまく追従する傾向があったようで、この時もヨーク派に属している。

ランカスター派のマーガレットとヨーク派のトマスとの結婚は政略結婚だったといわれている。
この間、マーガレットは大陸で亡命生活を起こっているヘンリーの身を案じ、ヨーク派のブルターニュに対するヘンリーの引き渡し要求を彼に報せて逃亡に手を貸す一方、エドワード4世に取り入りヘンリーのイングランド帰国に尽力している。

マーガレットはエドワード4世の弟リチャード3世の宮廷に入り、夫トマスと共に1483年7月のリチャード3世の戴冠式に出席している。
しかし、従甥で3番目の夫の甥でもあるバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードの陰謀に加わりリチャード3世打倒とヘンリーの即位を企て、露見してバッキンガム公が11月に処刑されると立場が危うくなった。

トマスの取り成しで辛うじて命拾いしたが、リチャード3世に息子エドワード5世を殺された前王妃のエリザベス・ウッドヴィルと密かに結び、その娘でエドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と息子ヘンリーを婚約させた。

これが後にヘンリーの王位継承権を強化することになった

 


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映画の中の白い姫君とマーがレット(右)

 

1485年8月22日、ヘンリーがリチャード3世と雌雄を決したボズワースの戦いでは、トマスはリチャード3世の側についている(ただし布陣はしたが参戦はしなかったため、実質的には中立)。リチャード3世はトマスが継子に味方するのを恐れてトマスの長男ジョージを人質に取っていたため、うかつに動けなくなっていたのだった。

結局トマスが寝返ってヘンリーに加勢するのは、大勢がヘンリーに傾きかけたタイミングであった。だが、戦闘が終わった戦場からリチャード3世のかぶっていた王冠を見つけ出し、ヘンリーの頭にかぶせたのはトマスだった。

 

教育者として

晩年のマーガレットは宮廷から引退して信仰生活と教育振興に余生を捧げた。
1495年にヘンリー7世夫妻がランカシャーを訪問した時はダービー伯と共に歓待したが、以後はロンドンかサリーの別荘で過ごした。

1497年にはドーセットのウィンボーンに大衆向けの無料の学校を開校する意思を表明、1509年にマーガレットが亡くなると、この願いはウィンボーン小学校として実現する。
学校の場所と名前はそれ以来変化して、今日では「エリザベス女王の学校」としてドーセットで最も大きく、国内でも有数の大きさの学校である。

また1502年、ケンブリッジ大学に自分の名を冠した「レディ・マーガレット神学教授」のポストを新設した

それにとどまらずケンブリッジ大学の拡充を推し進め、ダービー伯と1504年に死別して一段落した1505年、マーガレットはロチェスター司教ジョン・フィッシャーの協力で「ゴッズ・ハウス」(God’s House)を再建・拡大し、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジを開学した。

3年後の1508年にもケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ設立を計画したが、実現は死後の1511年までかかった。

オックスフォード大学の発展にも関与しいくつか講座開設を働きかけ、オックスフォード大学最初の女子校であるレディ・マーガレット・ホール校はマーガレットの名前にちなんだものである。

 


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文化の後援者としても活動、ウェストミンスター寺院のヘンリー7世礼拝堂建設を監督、死後はここに葬られた。
イングランドで印刷業を始めたウィリアム・キャクストンを援助、自らもフランス語の本を英語に翻訳しトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』の第4版を翻訳している。

1509年4月21日にヘンリー7世に先立たれ、2ヶ月後の6月29日に後を追うように66歳で死去、ヘンリー7世礼拝堂に埋葬された。


出典: 「マーガレット・ボーフォート」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

このお母さんがすごいのですよ。。。現在で言えば、教育ママゴンです。。。何が何でも、子供を東大の法学部に入れて、財務省か経産省の官僚にし、事務次官で退職したら衆議院議員に立候補させて末は首相になるようにコネを作り、根回しをしてゆくという女傑ですよ。。。

つまり、ヘンリー7世が子供の頃から、国王の座を目指すように教育したのですか?

そういうことです。。。このマーガレット自身が、波乱に富んだ人生を歩んできたのですよ。。。驚いたことに1457年に13歳でヘンリー7世(ヘンリー・チューダー)を産んでいる。。。現在では、ちょっと考えられない!。。。父はリッチモンド伯エドマンド・テューダー。。。でも、誕生の3カ月前に父親は死去していた。

国王の座につけるような立場にあったのですか?

いや。。。全くその可能性はなかった。。。ヘンリーの祖父オウエン・テューダーはウェールズ君主の血をひくけれど、イングランド王ヘンリー5世の未亡人でフランス王女であるキャサリン・オブ・ヴァロワの納戸係秘書を務める下級貴族に過ぎなかった。

その下級貴族が、どのように上級貴族になったのですか?

ヘンリーの祖父は女主人のキャサリンと結婚したのですよ。。。その間に生まれのがエドマンド、つまり、ヘンリー7世の父親です。。。ヘンリー6世の異父弟ということになり、フランス王家の縁者ともなって、リッチモンド伯に封じられて上級貴族の仲間入りをしたのです。。。

要するに、ヘンリーの王位継承権は主に母方のボーフォート家に由来するのですわねぇ〜。

そうです。。。母マーガレット・ボーフォートはエドワード3世の三男のジョン・オブ・ゴーントの子であるジョン・ボーフォートの孫なのです。。。だけど、ジョン・ボーフォートは両親が結婚する前に生まれた私生児だった。。。後に従兄に当たるリチャード2世が嫡出子として認められた時、王位継承権を放棄させられていた。さらに女系の血筋であることもあって、ヘンリーの王位継承権には疑問符が付いていた。

それが、どういうわけで王位継承権がヘンリーに巡り回ってきたのですか?

1483年までに、ヘンリー6世と息子の王太子エドワード・オブ・ウェストミンスター、さらに他のボーフォート家の成員が死に絶えてしまった。。。そういうわけで、ヘンリーがランカスター家一門の最年長の一員となったのですよ。。。

それで母親が、ヘンリーが王座につくように、いろいろと背後で動いたのですか?

そうです。。。ヘンリーの属するテューダー家がウェールズ君主の末裔であることを活用して、ウェールズからの援軍および軍の通行権を確保した。。。ヘンリーは、いつかウェールズを抑圧から解放するとされる“予言の子”の候補であると見なされており、そういうわけで、ヘンリーはウェールズ君主の赤いドラゴンの旗を聖ゲオルギウス十字の旗と共に掲げた。

それで、ヘンリーと母親は、どう動いたのですか?

1456年、父エドマンドは戦場でヨーク家側に捕えられ、ヘンリーの誕生3か月前に死んでいた。幼年時代は叔父ジャスパー・テューダーの保護を受け、ウェールズで暮らした。1461年にヨーク家のエドワード4世が王位に着くとジャスパーは追放され、ヨーク派のペンブルック伯ウィリアム・ハーバートがヘンリーと母を保護した。だけど1469年にペンブルック伯は処刑され、1470年にランカスター家のヘンリー6世が復位し、ジャスパーは追放から戻ってヘンリーを宮廷に連れて行った。

ヘンリーの王位は目前になったのですねぇ〜。。。

ところが、翌1471年にヘンリー6世と王太子エドワードが殺されてエドワード4世が復位すると、ヘンリーはランカスター家の血を引く最後の男子となり、ヨーク派から命を狙われるようになった。そのため、叔父ジャスパーに連れられてフランスに渡り、ブルターニュ公に匿われて続く14年間をブルターニュ公国で過ごしたのですよ。

母親のマーガレットもブルターニュに渡ったのですか?

いや。。。彼女はイングランドにとどまった。。。1480年に、ヨーク派のトマス・スタンリーと再婚し、ヘンリーをヨーク朝のリチャード3世に代わる王の候補として運動していたのです。。。運動が実を結んで1483年に、ヘンリーはエドワード4世の長女エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と婚約した。。。兄弟たちが叔父リチャード3世によってロンドン塔に幽閉されて亡くなっていたと思われていたため、エリザベスはエドワード4世の世継ぎとなっていた。。。

つまり、白い姫君と結婚することによりヘンリーは王位につくという考えですか?

初めは、そう考えていた。。。1483年、支援者であるブルターニュ公フランソワ2世の援助で、ヘンリーはイングランドに上陸しようとした。。。ところが、嵐のために計画は失敗し同調者のバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードはリチャード3世に処刑されてしまった。リチャード3世はブルターニュ公国の宰相を動かしてヘンリーを追放しようとしたが、ヘンリーはフランス王国に逃げた。エドワード4世の妹マーガレット・オブ・ヨークが嫁いだブルゴーニュ公国はヨーク朝を支援していたため、これと対立するフランス王ルイ11世から軍勢と装備を援助され、ヘンリーは2度目の攻撃の準備を行ったのです。

。。。で、今度の戦いは、どうなったのですか?

フランス兵とスコットランド兵を率い、叔父ジャスパーやオックスフォード伯ジョン・ド・ヴィアーと共にランカスター派の拠点であるウェールズのペンブルックシャーに上陸し、イングランドに進軍した。父を通じてウェールズ王の血をひくヘンリーの軍勢は、ウェールズ兵を加えて5000に膨れ上がった。。。ヘンリーはノッティンガムとレスターでも援軍を得て、1485年8月22日のボズワースの戦いでリチャード3世の8000の軍に勝った

リチャード3世の方が優勢なのに勝ったのですか?

あのねぇ〜、リチャード3世側の多くの貴族は日和見(ひよりみ)し、リチャード3世の味方であったノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー、およびウィリアム・スタンリー卿とヘンリーの継父トマス・スタンリー (初代ダービー伯爵)の兄弟は、決定的なタイミングでヘンリーの側に寝返ったのですよ。。。リチャード3世は戦死し薔薇戦争は事実上終結した。

それでヘンリーは王位についたのですか?

いや。。。イングランドが女系の王位継承権を認めているために王位継承権者は数多く、ヘンリーがすぐに王座につくことはできなかった。。。

。。。で、どうしたのですか?

ヘンリーのランカスター家はヨーク家と和解し、エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨーク(白い姫君)と結婚することでヘンリー7世として王座を確かなものにしたのです。。。

ところで、日本史にはマーガレットのような女性は居ないのですか?

僕も考えてみたのですよ。。。マーがレットが生きていた15世紀の後半に、同じような野望に燃えていた女性が居るだろうか?。。。思い当たるのは日野富子ですよ。。。ちょうど同じ時期に日本で生きていた女性です。。。でも、野望に燃えていたけれど、むしろ悪女として日本史では知られている女性です。。。

一体、どういう女性なのですか?

次のような女性ですよ。。。

 

日野富子

 


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誕生:永享12年(1440年)
死去:明応5年5月20日(1496年6月30日)

 

日野 富子は、室町時代後期から戦国時代前期の女性。
室町幕府8代将軍・足利義政の正室(御台所)。

父は蔵人右少弁・日野重政、母は従三位・北小路苗子(北小路禅尼)。兄弟に勝光(兄)、永俊(11代将軍足利義澄の義父)、資治(日野兼興の養子)、妹に良子(足利義視室)。9代将軍・足利義尚の母。従一位。

正式名は氏姓+諱の藤原朝臣冨子。
「従一位冨子」の本人署名が後世に伝わる。

当時の呼称は主に将軍正室の意味の「御台」、夫の死後もしばしばそのように呼ばれている。
夫婦喧嘩により別居した時には、居住地を取って「東山殿」と呼ばれるようになった夫に代わって「室町殿」と呼称された記録もある(親元日記)。
大正2年(1913年)の日本史概説書では「藤原富子」。

しばしば中世の夫婦別姓(氏)の例として挙げられるが、実際に本人が「日野富子」を名乗った事実は確認されていない。
当時の社会通念からすると、正室が実家の苗字を名乗るはずはなく、氏姓(本姓)と苗字を混同した後世の誤解だという批判がある。

また前近代の日本で、男性が未婚の若い女性に実名を尋ねることはしばしば求婚を意味し、実名呼称回避の慣習が男性以上に強力だったため、女性はもっぱら仮名 (通称)を名乗り、極めてフォーマルな場合以外実名は名乗らないのが原則であった。

 

生誕と結婚

山城国(京都府)の生まれ。室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、義政の生母・日野重子は富子の大叔母にあたる。

富子も康正元年(1455年)8月27日に16歳で義政の正室となり、長禄3年(1459年)1月9日には第1子が生まれるが、その日のうちに夭折した。
それを義政の乳母の今参局が呪いを掛けたせいだとし、彼女を琵琶湖沖島に流罪とし(本人は途中で自刃)、義政の側室4人も追放した。

 

応仁の乱

富子は寛正3年(1462年)と翌4年(1463年)に相次いで女子を産むが、男子を産むことは出来なかった。
寛正5年(1464年)に義政は実弟で仏門に入っていた義尋を還俗させ、名を足利義視と改めさせ細川勝元を後見に将軍後継者とした。

しかし翌寛正6年(1465年)に富子は義尚を出産、富子は溺愛する義尚の擁立を目論み、義尚の後見である山名宗全や実家である日野家が義視と対立した。
これに幕府の実力者である勝元と宗全の対立や斯波氏、畠山氏の家督相続問題などが複雑に絡み合い、応仁の乱が勃発した

富子は戦いの全時期を通じて細川勝元を総大将とする東軍側にいたが、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機も行うなどして、一時は現在の価値にして60億円もの資産があったといわれる

文明3年(1471年)頃には室町亭(京都市上京区)に避難していた後土御門天皇との密通の噂が広まった。
当時、後土御門天皇が富子の侍女に手を付けていたことによるものだったが、そんな噂が流れるほど義政と富子の間は冷却化していた

文明5年(1473年)に山名宗全、細川勝元が死去し、義政が隠居して義尚が元服して9代将軍に就任すると、兄の日野勝光が新将軍代となった。
義政は完全に政治への興味を失い、文明7年(1475年)には小河御所(上京区堀川)を建設して1人で移った。

文明8年(1476年)に勝光が没すると、富子が実質的な幕府の指導者となった。
「御台一天御計い」するといわれた富子に八朔の進物を届ける人々の行列は1、2町にも達した

11月に室町亭が焼失すると義政が住む小河御所へ移る。
しかし、文明13年(1481年)になって義政は長谷聖護院の山荘に移ってしまった(その後長らく義政とは別居)。

文明9年(1477年)にようやく西軍の軍は引き上げ、京都における戦乱は終止符を打ったが、この翌日、富子は伝奏・広橋兼顕に「土御門内裏が炎上しなかったのは、西軍の大内政弘と申し合わせていたから」という趣旨の発言をしている。

 

応仁の乱後

長禄3年(1459年)以降、京都七口には関所が設置され関銭を徴集していた(京都七口関)。
この関所の設置目的は内裏の修復費、諸祭礼の費用であったが、富子はほとんどその資金を懐に入れた

これに激高した民衆が文明12年(1480年)に徳政一揆を起こして関所を破壊した。
富子は財産を守るために弾圧に乗りだし、一揆後はただちに関の再設置に取りかかったが、民衆だけでなく公家の怨嗟の的となった。

義尚は成長すると富子を疎んじ始め、文明15年(1483年)には富子をおいて伊勢貞宗邸に移転し、酒色に溺れた
このため富子は一時権力を失った。

しかし延徳元年(1489年)に六角高頼討伐(長享・延徳の乱)で遠征中の義尚が25歳で没した。
息子の急死に富子は意気消沈したが、義視と自分の妹良子の間に生まれた足利義材(後の義稙)を将軍に擁立するよう義政と協議し、同年4月に合意が行われた。

延徳2年(1490年)正月に義政が没すると、義材が10代将軍となった。
しかし後見人となった義視は権力を持ち続ける富子と争い、富子の邸宅小河邸を破壊し、領地を差し押さえた。
翌年の義視の死後、親政を開始した義材もまた富子と敵対した。

明応2年(1493年)、義材が河内に出征している間に富子は細川政元と共にクーデターを起こして義材を廃し、義政の甥で堀越公方・足利政知の子・義澄を11代将軍に就けた(明応の政変)。
その3年後、明応5年(1496年)に富子は57歳で死去した。

 

人物

その活動に対する庶民からの評価は決して高くなく、戦乱で苦しむ庶民をよそに巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評された。
夫の義政が東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していたときは、一銭の援助もしていないことから「天下の悪妻」とも呼ばれる。

一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になったときは自身の蓄財から賄ったりしていた。
幕府財政は贈答儀礼や手数料収入などに頼ったものに切り替わりつつあり、富子の蓄財もその文脈で考える必要があるとも指摘されている。
富子の遺産は7万貫(約70億円)に達していたという。

学問にも熱心であり、関白・一条兼良に『源氏物語』の講義を受けている。
将軍家御台所とはいえ、関白が女性に講義をするのは異例であるが、富子はこのために莫大な献金を行っている。

義尚の急死とそれに続く義政の病没によって、幕府内部が動揺する中で40年近く幕府とともに歩んできた富子は「御台」として引き続き幕府内部に大きな影響を与えてきた。明応の政変における将軍追放も「御台」富子の支持があって初めて可能であったと言われている。

応仁の乱の原因として義尚の後見人を山名宗全に頼んだことが挙げられるが、近年の研究で『応仁記』が記した虚構ではないかとされている。
理由として、富子が自身の妊娠中に妹の良子を義視に嫁がせてその基盤強化に力を貸していること(男子が生まれてもそれが成人する可能性が低かったこと当時、義視との連携を維持して万一の場合に義視と実妹の子が将軍職を継ぐのが富子としては望ましかった)、富子が宗全に依頼した出来事は『応仁記』以外の記録には見当たらず、義尚が生まれる前に宗全が諸大名と連携、その中に義視がいたことが挙げられている。

実際に義視を排除したかったのは義尚の養育係である伊勢貞親で、文正の政変の一因にこの動きに山名宗全・細川勝元らが反発したことにあるのではないか、と推測されている。


出典: 「日野富子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

マーガレットは権力に拘(こだわ)っていたようですけれど、日野富子という女性はお金に固執(こしつ)していたようですわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。マーガレットと違い、子供の教育にも失敗し、夫を操(あやつ)ることもできなかった。。。つまり、夫にも子供にも頼れないから、頼れるのはお金だけだと思ったのでしょう!

それで日本史では悪女ということになってしまったのですかァ〜?

そういうことです。。。お金に執着(しゅうちゃく)すると そういうことになるのですよ。。。


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも権力よりもお金の方が大切だと思いますかァ〜?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』

『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

右側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。

天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が


どうして残っていないの?

今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?

マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?

ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


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『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『IPアドレスの謎』


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『地球外生物』

『パスカルの悩み』

『めっちゃアクセス』

『ミラーサイトで金儲け』

『5,216 アクセス!』

『信じられない!』

『アクセス急増!』

『超アクセス急増!』

『地球を飛ぶ』

『UFOと大津波』

『あと1時間で死ぬと判ったら』

『6000日@GOO』

『パシフィックリムの旅』

『雨のニューヨーク』

『いいねde嫌われる』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、


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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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核戦争

 

核戦争

 


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ケイトー。。。どうして急に核戦争を取り上げるのォ〜?


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実は、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて次の映画を観たのですよ。。。

 


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『拡大する』


『実際のページ』

 

Threads (スレッズ)


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『Threads』(スレッズ)とは1984年にイギリス国営放送のBBCが制作したテレビ映画。
NATO空軍基地のあるイングランド北部の都市シェフィールドを主な舞台に、アメリカを始めとするNATO構成国とソビエト連邦が核戦争を開始した場合にどのような影響があるかを軍事専門家やアナリスト等50名以上からの助言を受けた上で制作されたシミュレーション映画作品。

1965年にBBCが製作した擬似ドキュメンタリー作品、The War Gameがベースになっている。

制作に際し、400,000ポンドもの予算を投じ、核戦争そのものの悲惨さよりも核戦争後の崩壊した世界で生きる人々を襲う地獄のような日々の描写に力を入れており、一部の評論家からは「核戦争とその余波の完全な恐怖と、その事件が人間文化に及ぼす致命的な影響を表現するのに最も近い映画」と評価し、類似したシナリオの1983年公開のアメリカ映画『ザ・デイ・アフター』とよく比較される。

日本でも「SF核戦争後の未来・スレッズ」のタイトルでVHSビデオソフトがリリースされたものの、DVDについては長らく発売されていなかったが、2019年にBlu-ray Discと共にリリースされた。

 

あらすじ

イングランド北部の都市シェフィールドの郊外に住む若者、ルース・ベケットとジミー・ケンプはルースが妊娠したため、結婚について考えていた。一方イランに対する米ソの緊張が高まるにつれ、英国も巻き込まれる可能性が高まり内務省はシェフィールドの議会に緊急事態管理チームの組織を命じる。

米国の最後通告を無視したソ連が戦端を開くと英国は略奪と暴動の恐怖が蔓延する。
この事態収束を図るため、英国政府は緊急措置法の下に平和活動家や労働組合員を逮捕した。
5月26日 午前8時30分。核攻撃警報が発され、シェフィールドの街に空襲警報が鳴り響く。
都市はパニックに襲われ、緊急事態管理チームは市役所地下に設けられたオペレーションルームで業務を開始。

午前8時35分、ソ連は北海上空に核攻撃を行い、発生させたEMPで北西ヨーロッパと英国の電気・通信網を破壊。
2分後、シェフィールドの街から32マイル離れたNATO軍の施設を破壊。
街に大きな被害はなかったものの、大きなキノコ雲が街からも見え、住民たちのパニックは増大する。

 


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まもなくシェフィールドはソ連が放った核の洗礼を受ける。
シェフィールドの市役所庁舎は核攻撃によって破壊され、地下で業務にあたっていた緊急事態管理チームを閉じ込めてしまう。

それでも生き残ったチームのスタッフは無事な短波回線を利用し、救援要請などを発する。
警報発令時通勤途中だったジミーは核攻撃後一旦は生き残ったものの、母親が放射線と猛烈な爆風・熱線により重傷を負う。
この事を知ったジミーは水と食料の調達のため一度避難場所を離れるが、最終的に死んでしまう。

一方ルースは両親ともども自宅の地下室に避難しており無事だった。
攻撃が収まった後、地上に出てきたルースが見たものは攻撃により徹底的に破壊しつくされ、変わり果てた住み慣れた街の姿であった。

ルースは自宅を出てシェフィールドの王立保健局へ向かうも、そこは傷ついた人々で溢れ、電気・水道・医薬品などが無い。
ルースが自宅を離れた間に彼女の母親は火事場泥棒によって殺害されてしまう。
父親も放射能汚染と飢えにより死亡してしまう。
程なくしてルースを始めとした生き残った人々にとっての地獄の日々が始まる。

 


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出典: 「Threads」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

なんだかすごい映画ねぇ~。。。

でもねぇ〜、イギリスは日本と違って実際に原爆の被害を受けてないから、観ていてもどこか白々しいものを感じるのですよ。。。

つまり、現実味がないということォ〜?

一言で云ってしまえば、そういうことですよ。。。

でも、ケイトーは戦後生まれで実際に原爆を体験してないじゃない。。。どうして現実の原爆体験が分かるわけぇ〜?

もちろん、僕は実際の原爆を体験したわけじゃないけれど、実際の原爆体験に基づいて作られたドキュメンタリーがあるのですよ。。。

 


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『実際のページ』

 

デンマンのコメント

この記録映画は2007年にスティーブ・岡崎によって監督・制作・編集されて作られた上映時間86分の記録映画です。

原爆の被害の実態とその後の影響を記録したものです。

これまでに公開されてない保存されていたフィルムの中には、目を背(そむ)けたくなるような、気分が悪くなるような映像もあるので、神経が繊細で敏感な人は衝撃で気を失ってしまうかもしれません。注意が必要です。

でも、それ以外の神経の図太い人は、ぜひじっくりと観て、改めて原爆の恐ろしさを実感してください。

 

上のクリップは予告編ではなく、86分の全編です。。。スマホで観ると料金が心配な人は、フリーWI-FIが使える場所で、じっくりと観てください。

ケイトーは、このドキュメンタリーを観て、マジで気分が悪くなってしまったのォ〜?

いや。。。卒倒してしまうほど衝撃を受けたわけではありません。。。ただ、観る人のために、注意して欲しいと思ったので、そう書いたまでです。。。シルヴィーが観ても気を失うようなことはないと思いますよ。。。

わたしは、こう見えても 意外に神経は繊細で敏感なのよゥ。。。

マジで。。。?

ケイトーは、わたしの心臓には毛が生えているとでも思っているのォ〜? うふふふふふ。。。

シルヴィーはこれまでに海外を色々と見て回ったから、神経はかなり図太くなっていると思ってましたよ。。。

ところで、どういうわけで、わたしを呼び出したのォ〜?

実は、シルヴィーに訊きたいことがあるのですよ。。。あのねぇ〜、『Threads』の映画の中で次のようなシーンが出てきたのです。。。

 


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Anybody got a fag?

 

つまり、ケイトーは fag の意味が分からなかったのォ〜?

そうなのです。。。fog(霧) と書くつもりだったのかな? とも思ったけれど、それでは全く意味を成さない。。。fagot (焚き木の束) を省略して fag と書いたのかな? とも思ったのだけれど、火を焚(た)く場面ではないのですよ。。。

fagというのはイギリス英語の俗語で「紙巻たばこ」のことよ。。。つまり cigarette をイギリスではfagと呼ぶことがあるのよ。。。

イギリスで使われている俗語だったんだ。。。僕は聞いたことがないけれど。。。確かに、アメリカでもカナダでも、fag という言葉を聞いたことがありませんよ。。。じゃあ、次のシーンも見てください。。。

 


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Have you got owt to swap?

 

owt は辞書を調べてもでてこない! 僕は初め、owl(フクロウ) だと思ったのですよ。。。でも、それならば不定冠詞の a がつくはずだから、名詞ではないよねぇ〜。。。

owt は anything のことよ。。。イングランドでも北部の地方で使われている方言よ。。。だから普通の英語の辞書にはでてないわよ!

シルヴィーはインドネシア生まれなのによくそんなことまで知ってるねぇ〜。。。

私はイングランドの北部地方で生まれた友だちがいるので、その単語をよく聞かされたものよ。。。。

そうなんだ。。。ということは、「(食べ物と)交換できるようなものを何か持ってるのォ〜?」という意味なんだ!

そういうことなのよ。。。イギリス映画やアメリカ映画をケイトーはいつも英語の字幕を見ながら観るのォ〜?

そうです。。。勉強になるから。。。

でも、字幕を見ながらでは、落ち着いてじっくりと映画を楽しめないでしょう?

いや。。。字幕を見ないと、何を言ってるのかよくわからないことがありますよ。。。特にアイルランド人が話している英語はとても聞きづらい。。。アメリカ南部の黒人が喋っている英語も人によっては、マジで聞きづらいことがある。。。

わたしは字幕は苦手だわ。。。全部読まないうちに次のシーンが出てきてしまうのよ。。。だから、字幕は見ないのよ。。。(苦笑)


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたも イギリス映画やアメリカ映画を英語の字幕で見ることがありますかァ〜?

「もちろん、日本語の字幕で見るんだよ!。。。そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せよ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


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『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


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『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』


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『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』


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『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』


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『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

『10次元の世界』

『ポーランドの犬』


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『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

『鬼島』

『悪徳サイト』

『あげつらう』

『過ちを犯す』

『三島由紀夫の謎』

『ヒラリートランプ現象』

『ノーパン@CIA』

『未開人と文明人』


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『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、


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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
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『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

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■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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■ “JAGEL – Soft Japanese Bagel”


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■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 – 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


(rengfire.jpg)


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